月曜は敬老の日でしたが、なんだか報道が「祝う」よりも「憂う」雰囲気の方が強くなっているような気がします。団塊の世代が全員70歳を超えたこともあるでしょう。本当に団塊の世代の方々は、自分で選んだわけでもないのに、いつも時代のトラブルの元になっているような気がします。
知り合いが小学校へ入学する時は校舎が無くて、隣の小学校の古い校舎を使っていたとか、教室に入りきれずにミチミチだったとか、とにかくいつも競争だったとか、団塊ジュニアの子どもたちは大学入試の競争率がものすごく上がってしまい、苦労したとか。
そして「長寿おめでとう」よりも「えー、まだ生きるの。。」というため息のようなものが聞こえる原因は当然「年金と医療費」が膨大になっているから。
年を取れば体がさび付いて、あちこち悪くなるのは当たり前ですから、健康保険組合からの支払いが多くなるのは当然です。コロナが始まって「感染を懸念した人たちが病院に行かなくなったから病院経営が厳しくなった」という報道もありましたが、コロナが怖いから病院に行かない人たちは元々特に急いでいない方たちなのでは?もしくは行く必要のない方たちなのでは?
血圧の薬など、いつも飲んでいる薬だったら、電話で処方箋を出してもらうこともできるようなので、それができれば仕事を休み、痛む体で病院に行く人たちが短い待ち時間で診察を受けることができます。コロナのための一時的な処置でなく、これからもそうすればいいのに。でもそうしたら、お年寄りの時間つぶしや生きがいが無くなってしまうか。
ポテトサラダじじぃがそうでしたが、キレる老人が増えています。何しろ団塊の世代の人数が多いので、それに比例して困った老人が増えるのは当然のこと。社会がなんたらとか、その世代がかんたらよりも、絶対数が多いんだから当然なんだってば。
2025問題とは団塊の世代の全員が後期高齢者になるということ。この世代、小学校に入学するのも大変だったけど、老人施設に入所するのも一苦労の世代になりそうです。
すべて戦争が作った現象なのだけど。そのツケが75年後に来るとはね。