今Twitterが発生場所の「ポテトサラダじじぃ」がちょっとした巷の話題になっています。その記事はこちら
子どもを連れてスーパーに買い物に行ったら、どこぞのじじぃが母親のくせにスーパーの総菜を買うのかと捨て台詞を吐かれたという話です。ああ、義父もやってた。「けっ、いい奥さんが総菜なんか買ってよっ」と、斜め後ろを見て言ってた。
義父はもっと手の悪いことに、妊婦を「見ろ、見ろ」と指さして嘲り笑う人でした。どうやら妊娠のプロセスを想像しているらしい。「あんたはどこから産まれてきたんかい、木の股から産まれてきたんかい」と言ってやりたかったです。
残念ながら、高齢者は男性に限らず「ご飯のおかずを外で買ってくる」ことに苛立ちを覚える方が多いようです。「ちゃちゃっと作ってしまえばいいでしょ」「手抜きすることばっかり覚えて」と言う方もいます。
ポテトサラダって主菜にはならない割に手間のかかる料理で、でも、何かもう1品欲しいなと思って総菜コーナーに行ったら189円で、だったら買うよねという代物だと思います。もしくは業務スーパーに行って1キロ入りを買ってきて小分け冷凍にするか、アレンジするかでしょう。
この話は「母親は子どもに全部手作りの料理を食べさせるものだ」というじじぃの母親信仰の問題と、見知らぬ人に暴言を吐くことが暴力であるということを認識できない人がいるという、ふたつの問題があります。
料理は食べるのは一瞬だけど、作るのは本当に手間がかかり、「今日は何にしようと」毎日毎日ずっと考えなければならない苦労があることを、食事担当をしたことのない人たちは理解できないのでしょう。しかも、予算は限られ、冷蔵庫にあるものを傷まない前どう組み合わせるか、それを1年中考えなければならないことがどういうことなのか、わからないのでしょう。
モラハラも被害に遭ったことのない人に理解してもらうのは難しいものですが、やはり、自分に関係ないものについては理解は難しいのかなと思います。
どこかで読んだ記事ですが「熟年夫婦が離婚した。夫は妻が居なくなって清々したと思っていた。夫の昼食はいつも生ラーメンだった。ひとりになった夫は生ラーメンを作ったが、麺とスープは別々に用意しなければならず、ネギも麺が茹で上がる前に切らなければならず、切ったまな板と包丁は洗わなければならず、鍋もふたつ洗わなければならないことがわかり、次回から具無しのインスタントラーメンを鍋で食べるようになった」というのがありました。
妻がしていた「生ラーメンを買って作る」という作業が「ラーメンを作るなんて簡単」と思っていたら、そうでもなかった、人に作らせる分には簡単だけど、自分で作るのは大変だったということでしょう。
ポテトサラダじじぃがひとりになったら、絶対に自分で料理はしないし(できないし)、3食スーパーの総菜コーナーの総菜を食べるに私は1票入れる。
俺は男だから総菜を買ってもいいんだと言うなら、男ならスーパーの総菜なんか買わずに済むような生活をしろよと言ってやる。