最初で最後の親孝行

お茶のいっぷくさんとかショコラさんとかあすみさんとかのブログを読んでいて、ブログ村でふと目に留まったブログを読みました。タイトルは

「死んだ子どもの年を数える」

何にもならないとわかっていても、死んでしまった子が今生きていたら何歳だなーと思う。子どもや孫など、身近に亡くなってしまった子がいる家は同様のことをしているでしょう。

私にも弟がもうひとりいました。生後すぐに亡くなったと聞いています。戦争から10年以上経っているのに、母の胎内が栄養不足だったために生きられなかったとのことでした。

母は偏食だった自分のせいで子を亡くしたと、次の子どもの時は必死で食べたとのこと。

人には「好き嫌いしてはダメ!」と鬼の形相で苦手なものも食べることを強いる母でしたが、自分は嫌いなものは一切食べませんでした。

「それを食べると気持ちが悪くなるんだよ」と言いますが、嫌いなものを食べるとみんなそうなるの!

産まれて1日2日だけ生きて亡くなってしまったことを母は大層悲しんだそうなのですが、その時に医師に言われた言葉があったそうです。

「この子は生きていても重度の障害が残ったでしょう。今亡くなることがこの子の最初で最後の親孝行だったんですよ」

私も相談員をしていて「決め言葉」というのがあります。離婚を悩んでいる方、人を羨んでいるいる方、子どもの育て方に迷っている方など、いろいろなご相談で、その方の心が落ち着くような、決心できるような、諦めがつくような言葉の倉庫があります。

この医師の言葉も、同じように子どもを亡くした親への決め言葉だったのだろうと思います。

「亡くなることが最初で最後の親孝行」

我が家の墓には父と1度だけ親孝行をして亡くなった小さな弟が眠っています。

私も弟もまったくこの弟のことは考えたこともないのですが、母だけはずっとこの子の命日にお供えを絶やしていません。といって死んだ子どもの年を数えることはありません。とうにその儀式は卒業したようです。

もしあれをしていたら今頃はというのも、死んだ子の数を数えるというものと一緒なのかもしれません。

駆け込み部屋のマリコさんが亡くなりました

昨年こちらに駆け込み部屋のマリコさんのガン闘病のお知らせをしましたが、マリコさんは5月21日に亡くなりました。

辛い抗がん剤治療もされていて、生きることに望みを託していらっしゃいましたが、ガンには勝てませんでした。最後は痛みもあまりなく、安らかなお顔だったそうです。

マリコさんには沢山のことを教えていただきました。DVとはどういうものなのか、何にも知らなかった私はマリコさんにひとつひとつ基本から教えていただきました。そしてマリコさんはBBSへの書き込みにも丁寧にお返事を書かれていました。

あの掲示板でマリコさんの言葉に救われた方がどれほどいたか。マリコさんはリアルの支援でも裁判所に行き、24時間の電話相談を深夜勤務もして、悩んでいる方を元気づけられました。

特に深夜の電話相談は身に堪えますので体調も崩し、時々入院もされていました。

マリコさんのお年はDV支援の転機となった95年の北京女性会議の世代ですので、2000年代に向けて文字通り道なき道を切り開いた世代です。

マリコさんとの思い出は沢山ありますが、それは私がマリコさんのところに行った時にお茶飲み話のネタとして温めておこうかと思います。

もう病気と闘う必要もなく、マリコさんはお空から、先に逝った猫ちゃんたちを抱いて静かに見守ってくれていると思います。

なんかふーーと気が抜けたみたいになってしまいました。覚悟はしていましたが、実際に亡くなってみて初めて知ったマリコさんの存在の大きさに、自分で驚いています。

「変な家」はミステリーでした

ショコラさんのブログに「変な家」という本を読んだという記事があり(あのブログは検索機能がないので見つけられない(汗))、間取りのイラストがついていたので、なにか欠陥住宅にチャチャを入れる本なのかなと思って私も図書館にリクエストを入れました。

いつリクエストを入れたのかわからないくらい前に入れて、リクエストを入れたことも忘れていた今週届きました。

読み始めたら、期待を大きく裏切って住宅の本ではなく、ミステリーでした。それも横溝正史ばりの結構練られたものでした。この展開はどうなるのかとワクワクしながら読み進み、2時間弱で読み終えました。

本格ミステリーというわけにはいかず、きっとミステリー好きの人には厳しい点がつくかもしれませんが、これはこれで面白かったです。

そしてこの「変な家」の作者雨穴さんの活動の場はユーチューブであることが判明。

YouTubeで見ることで、この室内トリックが見える化し、本よりもこちらの方がわかりやすいかも。

この変な家の他に、1話完結の動画が沢山出ていて、本を読むより手軽で仕事のインターバルにの休憩にはちょうどいい感じです。

「変な家」は来年春公開の映画になるそうです。

ここからはネタバレになるので、読みたい方はさーっと抜けてください。

ただし、私がとても引っかかるのは子どもを殺人者として教育するというお話は倫理的にどうよというところです。気持ちが悪いというか絶対に良くない。そこが引っかかって星をつけるなら☆3です。

新装開店のパン屋で並んだら聞こえてきた話

GW中、新装開店したパン屋さんに行ってみました。天気もよく、テラスでも店内でもイートインできるタイプのパン屋さんなので、ちょっとしたイベント気分にもなれるので、親子連れや同士での来店者が多かったです。

その店はハンバーガー屋さんのように、パンに自分の好きな具を選んではさんでもらうタイプのなので、少し時間がかかるため、結構な人の列になっていました。

私の前に並んでいたのは、お母さんと子どもが二組。小3か4くらいの子どもたちは「どれにしようかなぁー」と、ディスプレイされたメニューをじっくり見ながらあれこれ悩んでいます。ふたりの母親は総菜の種類をさっさと決め、おしゃべりを始めましたが、言葉が丁寧なので、ものすごく親しい仲というわけでもなさそうです。

A「〇子ちゃんち、引っ越したの?学校に来なくなったってきいたんですけど」

B「あ、そうそう。転校したんだって」

A「どこに?」

B「わからないのよ」

A「パパの転勤とか?」

B「う~ん、何か深い事情があるみたいなんだけどね」

A「ああ、そうなんですか」

ここでこの話題に関する会話は終わって別の話題に変わりました。

この二人の会話の距離感から言って、Bが深い事情と言い、それをAは追及しませんでした。これがもっと深い関係だったら小さな声で「なんかあったの?」という展開になったかもしれませんが、そこまでの関係ではないので、そこで打ち切りになったのでしょう。

おそらくBは何となく事情のわけを知っているけれど、ごく親しい仲でないと話せないか、こういった人が沢山いるところで話すべきではない内容なので控えたかのどちらかでしょう。

またAは「深い事情」がこの場合何を意味するかを大体察したので、それ以上追及することはなく、また追求できるような間柄でもなく、話題を変えたのでしょう。

こういった会話での「深い事情」とは、両親の別居か離婚であろうことはおおよそ察しがつきます。

GW前に突然消えたお友だち。

両親が別居・離婚することで住み慣れた場所を離れなけらばならなくなったGW。

ずっと良い天気に恵まれたGWでしたが、晴れやかな天気とはうらはらに、知らない土地に行く心細さや、家庭の環境が変わってしまうのに不安だったでしょう。

ただ、転居したことでいつもピーンと張りつめた空気だった家庭が何の心配もなく過ごせる日常に変わったとしたら、これはもうその子にとって喜ぶべきことなのだと思います。

別居・離婚=不幸、でもない

子どもは新しい土地で、新しい友だちを増やすという機会ができたのかもしれません。

「複雑な事情」は、一生のうちで誰にでも起こりうることで、それを全部不幸としてしまうのもちょっと違うなぁと思ったりします。

姓のいっこもどりルールに注意

以前勤めていた時に、ある方が離婚したとの噂が流れました。その方は2回結婚しているのですが、離婚した後の姓が1回目の結婚相手の姓だったので、「元のダンナと復縁したのか?!」という説があちこちで囁かれました。

ところがその様子はなく、結局たどり着いたのは

「相手の姓を名乗っていた場合、離婚するとひとつ前の姓にしか戻れない」といういっこ前ルールがあるので、「再婚相手の姓を名乗りたくなかったら、前の夫の姓にするしかなかった」というオチでした。二個前の実家の姓には戻れないのです。

一番目も二番目の夫も嫌になったから離婚したわけで、どちらの姓を選ぶかと言われて、まだマシな方を選んだということでしょう。

またある方が離婚後仕事の関係もあり、元の姓に戻らず元夫の姓を使っていました。ところが再婚することになり、再婚予定の方から「なぜ前の夫の姓を名乗り続けていたのか。まだ前の夫のことが忘れられないのではないか」と問い詰められたという話を伺いました。

離婚した時に結婚前の姓に戻るか夫の姓のまま別戸籍をつくるかはその時の状況によりますが、再婚の可能性があるならば、実家の姓にしておいた方が良いかもしれません。

こういう面倒なことを無くすためも、夫婦別姓を早くやって欲しい。

内田也哉子とみっつの種

先日たまたまついていたテレビに樹木希林が映っていました。日テレで放送された「ザ!世界仰天ニュース 秘蔵映像!内田裕也&樹木希林!娘が語った超キテレツ夫婦の真実」です。

https://tver.jp/episodes/epe0vuznjo

↑番組VTR 消される前にお早めに

私は途中から見たので、たぶん内田裕也と樹木希林の変わった夫婦生活をドキュメント化して、おもしろおかしく放送したのだと思っていましたが、番組の最後の方で、娘の也哉子さんが半年ずれて亡くなったふたりの葬式で読んだ謝辞の映像が流れました。

私は内田也哉子とは樹木希林の娘としか知らず、結局何をしている人なのかも知らなかったのですが、その謝辞の言葉の選択に度肝を抜かれました。言葉を操る天才としか思えない、まるで広い宇宙からひとつずつ集めてきたかのような言葉選びのセンス、絶対に他の人には真似のできない熟成された、それでいて斬新な、流れるような言葉運び。

いったいこの人は何なんだと、必死でググりました。肩書はエッセイストとあったので、どうりで言葉選びが洗練されているはずだと思いました。

YouTubeにはインタビュー映像などもあって、それを見ると樹木希林・内田裕也夫妻の子どもで生まれたばかりにかなり変わった子ども時代を過ごされたようです。

彼女にとって最大の幸運はシブがき隊のもっくんと結婚したことでしょう。もっくんは内田家の婿になり、内田雅弘になっています。15歳だった也哉子さんを「その存在感に惹かれた」というもっくんが樹木希林に請われて内田家の婿養子になったのも、もっくんの人間性と度量の大きさならではでしょう。

樹木希林・内田裕也という類まれな才能からたったひとりだけ生まれた也哉子さんですが、もっくんとの間に3人の子どもをもうけます。一粒だった種が、みっつの種を世に送り出しました。

私が度肝を抜かれた謝辞の中で也哉子さんはこう語っています。

”まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく…。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!”

遺伝子は次の時代へと確かに引き継がれ、また次の世代への架け橋になる。

肉体が滅びても、DNAは受け継がれる。みっつの種を撒いた也哉子さんは、やっぱり素晴らしい。そして、その也哉子さんを世に送り出した内田夫婦もまた、偉大でした。

タケノコご飯と今どきの学校

今日ジムに行ったら若いお母さんが「今日給食は筍ごはんなんだけど、ウチの子は筍を食べると舌がしびれるので、ご飯を持たせないといけないからわさわさしちゃった」と言っていました。

旬の筍を使った年に1度のタケノコご飯なのに、「舌がしびれるから嫌」と言って白いご飯を持参するのだそうです。

確かにタケノコを沢山食べると舌がピリピリする時がありますが、今ピリピリの理由を調べたらあく抜きが足りないとか、アレルギーのせいもあるそうです。

でも、学校給食のご飯に入るタケノコの量はたかが知れていると思うのですが、もしかしたらその子は家でタケノコを食べた時にあく抜きが足りないタケノコを食べて、それからタケノコ=舌がしびれるになったのかもしれません。

それにしても食べられない物が給食に出る日は自宅から別のものを持って行っても良いというのは、学校もずいぶん融通がきくようになったもんだなぁと思います。昔は全部食べるまで教師は許してくれず、お昼休みになっても肉が食べられないユミ子ちゃんは涙を流しながらアルミ椀と向かいあっていたものでした。

今は無理強いはさせず、食べられなかったら残してもいいし、別のものを家から持参してもよいという、なかなかゆとりな教育です。

聞くところによると、食べ物で亡くなる場合があるので、学校も敏感になっているのだとか。

昔のように何でも強制しないというのはいいのですが、それていいのかなぁという気持ちになります。別にタケノコを食べなくても死ぬわけでなし、どうということもないのですが、「嫌ならしなくてもいい」が給食だけなのか、他のこともそうなのかが気になります。

ダイエットが必要なくなるお年頃

「70歳を過ぎたらなんでも食べて、とにかく体重を落とさないようにしよう」というネット情報を見て、はたと気づくとそれは私ではないかと思ったりしています。

60歳を過ぎて食が細くなり、とにかく量が食べられなくなりました。「小鳥がついばむくらい」というのは少ししか食べませんよという時に使われる言葉ですが、本当にそのとおりで、少し食べただけですぐにお腹がいっぱいになってしまう。へたをすると飴玉1個でお腹がふくれる。

3時のおやつに食べたクッキー1片で夕食時間になってもお腹が空かないということになるので、おやつも食べないようにしています。とにかく3食をしっかりととらないと体が作られません。

食べる量が少ないので、とにかくタンパク質中心に野菜、乳製品、ミネラルを含んだものを取るようにこころがけています。プロテインも使います。

とはいえ、ちゃんとお菓子も食べますからそこまで厳重にしているわけでもありません。

若かったあの頃、必死でダイエットをして、毎日グラム単位で体重を計ったりしたものですが今はそれは必要なく、食べたいだけ食べても体重は落ちたままを継続しています。

ただ、ジムで体を作っているので筋肉量はしっかりあって「筋肉系スリム」という体形です。

そうか。60歳を過ぎると食べる量が少なくなるから体重は落ちていくんですね。必死でダイエットをしなくても、年をとるとなんかこうなるみたいですので、あんまり必死にダイエットをしなくてもいいかもしれないですよ。

ただ、体幹を鍛えないと腰の曲がったおばあさんになるし、転びやすくなってけがをしたりするので、筋肉を衰えさせない運動はしておきましょうね。

私は結構ハードにやっております。

あの退職の日のこと

ショコラさんのブログでショコラさんが退職されたとの記事に触発され、私の退職日について何か書いていたかなーと過去を探しましたが何も書いていなかったので、ちょっと書いてみます。

ショコラさんのブログ↓

https://lee3900777.muragon.com/

私が退職をしたのは「すぐに終わるだろう」と思っていたコロナ禍がちょっとまずいことになったぞと変化し始めた頃です。

クルーズ船が乗客を下ろし、市中からマスクが消え、学校が卒業式ができなくなってしまい、この先、オリンピックはどうなるのだとざわめき立っていた春、私も長い間勤めていた職場を去りました。

上司から残って欲しいとは言われましたが、私は別のステージに移る決心をしました。2020年はオリンピックボランティアを始め、いろいろなイベントを行う予定でしたが、すべてコロナで無くなってしまったので残る道もあったのですが、もう9時から5時までの仕事はかなり体に負担がかかっていました。

ダラダラと時を過ごすよりも、新しい何かを見つけに行こうと思えるのは、もう扶養しなければならない子どももいなくなり、自分の生活だけを考えればよいという身軽な状態だったことが大きいです。

幸いずっとフルタイムで働いてきましたので、ぜいたくをしなければ暮らせるだけの年金はもらえることになっています。後は年金を全額もらえるまで何とかしのげればいい。

職場がどうのこうのよりも、コロナが深刻になっていく方が圧迫感のある3月の末。有休を半日残して使い終えたのは虫の知らせだったか。

最後の日はお世話になった方たちにご挨拶をするものですが、私の職場は自転車で行かなければならない離れ部署が沢山あり、一緒に過ごした方たちがそちらへも異動しているので、ちょっと時間がかかる。

「ご挨拶は私用だから有休をとるように」と言われた時は耳を疑いました。10年間も勤めてきて、その間にお世話になった方はたくさんいるし、大体最後の日は挨拶まわりで終わるものだと思っていたら、「それは私用だと」いう。

「えー、私が前に辞めたときはそんなこと言われなかったわよー」と同僚に言われ、私も挨拶まわりをするのに有休を使うなんて聞いたこともない。

捨てるつもりだった半日の有休をここで使いました。ええ、堂々と好きなようにあいさつまわりをしました。

有給なんだからと途中でパン屋に寄ってテラスでパンも食べました。有休だからこそ味わえる、退職のあいさつまわりの途中でイートインをするというなかなかない体験。このパン屋です。

コロナ禍のため送別会も無し。よくあるあのでっかい花束は飾るところがないので、こちらからお断りしました。断ってはみたものの、なにかおしるし的なものがあってもいいなと思ったので、近所の花屋で五百円のブーケを自分で買いました。

親しくしていただいた方たちから両手に持ちきれないほどの記念品をいただき、私も心ばかりのハンドタオルをみんなに配り、最後の日は終わりました。

とにかくコロナで世の中が毎日右往左往している時期に、それに紛れてささっと辞めたことがかえってよかったかなと今は思います。

「明日も明後日もみんないつもと同じように働くのねー」とつぶやきながら、私ひとりだけはここを去るのだという、この場所にさよならを言いながら、最初にここに来た時の満開の桜を思い出したりしていました。

スポーツに対する考え方は変わるか

今回のWBC野球は本当に見ごたえのあって、はらはら連続な試合に魅了されました。サッカーは試合中トイレタイムはないけれど、野球はトイレタイムもおやつタイムもあるので、とっても助かります。

今回大谷選手が大注目ですが、出身が岩手の片田舎というのが地方出身の私としては嬉しいことでした。サッカーは三苫選手を始め、主要選手がプロの英才チームに小さな頃から所属していたという背景があり、やっぱりそういうものなのかと一抹の寂しさがありました。

地方で生まれた者は、限られた環境と情報の中で、一生懸命頑張っても井戸の中の蛙だったりするものですが、今では指導者と環境があれば世界を目指すことができるようにもなっています。

小さな頃から川に石を投げていたから云々という話もありますが、やはりスポーツ科学は重要で、根性や精神力だけでは効率が悪かったりケガをしたりしますから、体に合わせたメニューが必要なんだろうなと思います。

部活で野球やサッカーをすると言えば、自由時間なし、長期休みは明け方から夜まで練習、親は弁当作りや場所取り(グランド抑える)、洗濯、送迎、遠征費やユニフォームとお金もかかり、親も覚悟がなければこういったメジャースポーツをさせられなかったものです。

#野球は特に丸刈り必須だったから、それが嫌さに野球部に入らなかった男子も多かったですね。丸刈りは甲子園大会を見ると今もでしょう

今回、試合後選手のみなさんが「楽しかった」とコメントしていて、あまり涙もなかったのが印象的でした。

スポーツは楽しいからする。もちろん練習は厳しいし、体づくりの筋トレは地味できついのですが、根性、精神力ではない、休養日も取り入れ、楽しい練習メニューにしたら、スポ根で離れて行った子どもたちも興味を持ってくれるのではないかと思ったりします。