弁護士は慎重に選びましょう

とある離婚裁判を傍聴したときのこと。

原告(妻)側は沢山の証拠を持ってきており、それをひとつずつあげて弁論する弁護士は、惜しいことにせりふ棒読み。どうやらこの離婚裁判は、新人弁護士の練習台にされてしまったようです。先輩弁護士もついていてふたりでやっているから、結論に違いはないだろうと思いますが。

証拠書類を持つ手がぷるぷる震えているので、緊張しているのでありましょう。

どうやら夫も同じように思ったようで、落ち着き払ってのらりくらりの答弁が続きます。夫は社会にもまれた百戦錬磨の企業戦士。棒読みぷるぷるの若い弁護士なぞ鼻で笑ってしまっています。

弁護士選びは家を出る前に終わらせ、家を出ると同時に受任通知の内容証明を送るというのが手順です。家を出る前はたっぷり時間がありますので、弁護士選びは慎重にしたいところです。同一料金でふたりでやりますと言われたら、手厚いわけでもなく、新人弁護士の練習にされる場合もあります。

ちなみにこの裁判の弁護士ふたり、原告側、被告側とも立派なHPを持っていました。ただ、そのHPによると被告側の弁護士は離婚を得意とする方ではないようで、なぜにこの弁護士に依頼したかが不明。特に弁護人からの質問では、素人の私でも目がテンになるような意味不明な質問が飛び出ました。

その質問とは「原告が書いていた日記に出てくるDV夫がこの被告人(夫)だという証拠がどこにあるんですか?!」

びっくりしますよね。離婚裁判で「夫」と言ったら被告に決まってます。

すかさず裁判長から「ここでは夫とは被告人のこととしていますから」というお答えが出てきましたが、あれは裁判長もびっくりしたと思います。

離婚裁判はドラマ

話を離婚裁判傍聴に戻しましょう。

離婚裁判は家庭内でのことですから、見ている人がいません。だから物的証拠が重要な役割を担います。これが調停と違うところです。私が見た裁判では離婚したいと訴えた側の方たちはみんな「配偶者からの被害メモ」をつけていました。

「避難応援プロジェクト」では「メモは手書きにしましょう。証拠価値が上がります」としてきましたが、実際法廷でそれをみると、なるほどなと思います。

長年にわたってコツコツと書き続けてきて紙が黄色くなり、何度も開け閉じしたから縁が擦れてボロボロになりつつあるノートが証拠として出され、その中にびっしりと書かれているメモ(傍聴席からは何か書かれてあるとしか見えません)を見ると、「ああ、大変だったんだな」と事実が目から入ってきます。

これが白い新品の紙にPCで打たれた活字だと、裁判のために作ったものかもしれず、信ぴょう性に乏しくなりそうです(個人の感想です)。

だから「メモは手書きの方がいい」なのですね。

そもそもなぜ離婚裁判が必要か

離婚裁判は離婚調停で離婚が決まらず、でもどうしても離婚したい場合に申し立てるものです。私はモラハラ家庭の場合、必ず離婚しなければならないとは思っていません。ただ、加害者からは離れる必要はあると思っています。

なぜならモラハラ被害を受けていると必ず心身に影響があるからです。私は職場でパワハラに遭っていた時期が半年ほどありましたが、家庭モラハラの時は低血圧と貧血。職場の時は気管支喘息が止まりませんでした。職場の時は相手がハラッサーだとわかっていたし、自分が悪くないともわかっていたのに症状として出ました。どんなに気を確かに持っていても、どんなに攻撃されないよう細心の注意をはらっていても、攻撃は止まらないし、体は正直ですから「元気はつらつ」とはいきません。

しかも家庭の場合子どもたちはつねに黒いオーラが漂う家の中で生存戦略を屈指して生活しなければならず、これが子どもの健全な成長にどういう悪影響があるかはわかりません。すぐに表れることもあるし、10年後、20年後に現れることもあります。

凛とした母であるためにも、心身ともに健康であるためにも、夫には敢然として立ち向かう必要があります。とはいえ、モラハラ加害者とは話し合いができませんので、離れて今後の生活について折衝する必要があります。だから別居。

加害者更正プログラムを行っている「アウェアさん」ともお話ししましたが、とにかく加害者と離れてしばらくすると、「あれ?一緒にいる必要はないじゃない?」となることが多いのです。夫と一緒に暮らしていると「母子家庭は寂しい」「世間からどう思われるか」「何より経済が不安」「子どもをひとりで育てていけるか」などの不安要素だけが心を占めますが、実際に離れてみたら結構なんとかやって行けるし、夫が帰ってくる足音におびえることもなく、好きなものを食べ、好きな時に寝て、好きな本を読んだりテレビを見たりできる。

特にこの中の「好きな時に寝て」が重要です。夫からの性行為強要から解放されるからです。これはなかなか表に出てきませんが、かなりな苦痛です。拷問と言ってもいい。

離婚裁判を傍聴するには

もし離婚裁判をする予定の方は、一度裁判所に行って実際に裁判を傍聴してみることをお勧めしますが、ただ、「本人尋問」以外は書類の交換や次回の予定の確認という代理人同士のやりとりで、ものの2~3分で終わるので、行っても意味がありません。

また「判決」も裁判官が法廷にやってきて「原告と被告は離婚する」と言うだけなので、これも特に見てどうということもありません。

私は何人かの方の判決文を拝見したことがあるので、その判決文を裁判官が朗々と読み上げるのかと思っていたらそれはないようです。ただ裁判官が「原告と被告は離婚する」とあっさり言ってさっさと法廷から去るだけ。

テレビで見るような原告と被告が法廷で顔を合わせ、それぞれの代理人から質問を受けるという「本人尋問」が一番見たいところだと思いますが、いつその本人尋問があるかは週間スケジュール表があるわけでなし、わからない。

私は今回たまたま裁判所に近くに用事があって、「今日、本人尋問があったらな」とふと思いついて裁判所に入り「今日の日程のノート(開廷表)」のノートを見たら本人尋問があったので偶然に傍聴できました。

この開廷表どこの裁判所でもあると思うのですが、これをマニアのおじさんたちはメモして(写メ不可)あちらの法廷、こちらの法廷とやってくるわけです。

世間を騒がすような刑事事件などには「傍聴希望者が500人」などと報道されますが、この中にはかなりの割合でマスコミが雇ったアルバイトが混じっています。傍聴席の数は限られているので抽選になるため、テレビ局や新聞社などのマスコミがアルバイトを雇って並んでもらい、抽選券を集めるのです。

私もマスコミ関係の知人のお手伝いでアルバイトを集めたりしたことがありますが、一度も当たったことがありません。何しろ衆目を集めるような事件となると百人単位で人が集まりまるのに、席は20とか30とか、その程度の席しかないので、これは大変。そして傍聴しなければ中の様子はわからず、記事が書けない。だからマスコミの方たちは必死。

ともあれ、これは大きな刑事事件の話。私が傍聴したいのは離婚裁判なので、開廷表の中の「人訴」のページを探します。これでたまたま私が行った日に「本人尋問」があったので傍聴できただけの話です。もしなかったら、空戻り。

東京は離婚裁判が多いかもしれませんね。私がまだ地方に住んでいた時に有給をとって裁判所に行ってみたら、例の「代理人による書類のやりとり」のみで、ものの2分で終わってしまいました。はい、空戻り。

以前応援傍聴をした時のように、本人や代理人や支援団体からの情報で「応援傍聴」する以外に、確実にその日に「本人尋問」があるかわかる方法はないのではないでしょうか。

離婚裁判を傍聴してみた

私は離婚裁判を経験した方たちから沢山のお話を伺ってきましたが、さて、実際の離婚裁判の傍聴は、私が東京に来る前に、被害者の方の応援として傍聴席に座ったことがあるだけでしたが、それは本当に「テレビで見る裁判みたい」でした。

妻側の弁護士が(代理人ともいう)、「ここにスーパーのレシートがあります。この時刻は〇月〇日。原告(訴えた側。今回は妻)がこの時間このスーパーの行っていた証拠です!」

高らかにレシートを掲げる弁護士に、「あ、あのスーパー、うちの近く。金曜は2時からタイムセールがあるのよ!だからその時間に行ったんだわ!」とは私の隣に座って、やはり一緒に被害者の方の応援で座っていた友人の小声話。

近所のスーパーだの、タイムセールが証拠になるなんて、なんかとってもお茶の間的。

テレビのドラマで見る裁判は大抵刑事事件で、当事者たちのプライベートな生活がこれでもかとあからさまになりますが、離婚裁判も同じです。そして傍聴人がいるのも同じ。どこの誰だかわからない人の離婚裁判なんて人は興味ないだろうと思っていたら、今回私が傍聴した離婚裁判は満席で、席に座ることができずに帰った方もいました。

どう見ても関係者や親戚ではない、裁判傍聴マニアがいるのだそうです(汗

大抵定年退職後で暇しているおじさんたちです。

そういえば以前犯罪被害者の支援のため裁判傍聴に行ったことがありましたが、私の隣に座ったのがどうやらこの「マニアのおじさん」で、手に持ったメモ帳には「〇時〇分 〇号室」「△時△分 △号室」という、どうやらおじさんが聞きたいと思っている本日の裁判の日程がぎっしり。

おじさんだけでなく、私の同僚にも女性ですがマニアがいました。有休休暇をとって裁判傍聴に行くという熱の入れよう。彼女の場合「ラストで主人公が不幸になる映画が好き」という趣味の持ち主でしたので、心に何か屈折したものを抱えていたのかもしれません。

猟奇的な殺人事件の記事を読むのも好きで、よく事件のことを知っていました。

たぶん、人の不幸が好きな人だったんだろうと思います。周りからは「底抜けに明るい人」という評価でしたが、何か闇の部分があったのかもしれません。

ともかく、離婚という、究極にプライベートな部分を裁判の担当者だけでなく、傍聴人にもつまびらかにしなければならないという部分で、やはり裁判を起こすとなると気が重くなります。