私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記

「私だけ年を取っているみたいだ。 ヤングケアラーの再生日記」というコミックが評判のようです。統合失調症の母に代わって一家の家事をきりもりしている子どものお話です。

Twitterで流れてきた一部分しか読んでいないのですが、小学生の娘がすべての家事をしていることにまったく関心を持たない父と、認知症の祖父というふたりの大人が居るのに、きょうだいだけでなく、このふたりの生活の面倒もみています。

特に被害妄想で叫び暴れる母からの攻撃をどうかわすか自分なりの方法を自分で考案してかわす描写は、まるで戦時下の子どものようです。

この「母親が精神病で、母の介護も担っている子ども」に遠い記憶がありました。

ネットを始めたばかりのころ、女性だけのMLに入っていました。かなり大勢の人が入っているMLで、そのうち気の合う人たちがグループを作り、チャットやオフ会を楽しむようになりました(私はモラ家だったので、オフ会には参加できませんでしたが)。

その中のかなり存在感のあるA子さんは、肉まんを手作りするような家事をきっちりしている印象の専業主婦の方でした。でも、食事のほとんどはA子さんではなく、高校生の娘さんがしていたのです。

「買い物は娘がするから」「食事は娘が作っているから」と、チャットの時によく話していました。小学生の頃から娘さんに家事をしっかりと教えていたので、高校生の頃にはもう一家の家事をできるようになっていました。

ただ、A子さんは気性が荒くて結構きついので、娘さんにとっては教えられているというより無理やりさせられているような感じがしていたかもしれません。

ある日、数人でチャットをしていると、A子さんが「母が亡くなったので明日遠方に行く」と言い出しました。

「え?!」「こんなことしてていいの?!」「準備とかあるんじゃないの?!」と驚くメンバーに、「喪服は娘が用意しているから」と、さらっと言いました。

母の着物の用意を娘がしているって、超びっくり!娘に自分の準備をさせて、友だちとチャットをして遊んでいるという状態がかなり奇異に感じられました。

「これも彼女流の花嫁修業なのかしらね」と他のメンバーとこっそり囁き合ったりもしました。

そんなことがあったずーーっと後のこと。彼女から自分の母のことを語るメールが届きました。何かみんなで自分の母親談義をしていたのかもしれません。

彼女のお母さんは彼女が小学生の頃精神病になり、ずっと入院していたそうです。「母とはもう長い間会ったことがない」とのことでした。あのチャットをしていた夜に「葬式に行く」というのは、その長い間会っていないお母さんのお葬式でした。

彼女は自分もまたお母さんのように精神病になるかもしれないと恐れて、もし自分が精神病になっても子どもがひとりで生活できるようにと家事を教えていたそうなのです。

自分が楽をするためではなく、子どもの教育というわけでもなく、自分が狂ってしまった時のために子どもに家事を教えていたA子さん。

彼女の気丈なふるまいの内側で、いつ母のように狂ってしまうかもしれないという恐怖が隠れていたことは、私たちも、おそらく周囲の誰も知らなかったことでした。

A子さんとはもう年賀状も切れてしまい音信は不通になりましたが、娘さんが大学生になる年までは病気になることもなく、元気にしていました。今もどこかでPCに向かって何かを発信し続けているかもしれません。

ヤングケアラーのコミックから、ふと、A子さんのことを思い出しました。

見たくないものは見ないことにする

こうやって自分で自分のお尻を叩かないと動かない私が言うのもナンですが、相談員をしていた時に時々伺った、動く時に動かないとにっちもさっちもいかなくなりますよのお話です。

モラハラではなかったのですが、よく夫から離婚だと言われる方でした。モラハラの場合は「離婚だ、出ていけ」は脅しでしかないので聞き流してもよいのですが、この方の場合はモラハラではなく、本当に夫は離婚したくて結局は出て行ってしまいました。

夫に家を出られてみると、この先の生活のことが急激に心配になってきました。妻は週に2日のパートだけです。中高の3人の子どもがいてこれから急激に教育費がかかる時期。

一生懸命貯めたお金もすでに底をつきかけています。つまり貯金ゼロ。

もちろん調停をして婚姻費用はもらうことにしましたが、夫はそれほど多くない収入でしたから、受け取る金額も充分というにはほど遠い。夫から「離婚したい」とはずっと言われていましたが、まさか子ども2人を残して本当に家を出るとは思っていませんでした。

彼女はどうしたらよかったのでしょうか。

夫の収入が少ないのですから、彼女はパートではなくフルタイムの仕事を探すべきでした。確かに扶養の範囲を超えると社会保険料や税金が引かれますので手取り額が少なくはなりますが、夫からの養育費とパートの7万円では子どもふたりを育てるのは大変です。

大変なのはわかっていましたが、彼女はイメージすることをやめたのです。

「考えてもどうしようもないから考えないようにしてきました」

そもそもよっぽど夫が太っ腹で高収入だったら養育費をポンと渡してくれることも考えられますが、何しろ夫の収入が少なすぎてそれは望めない。夫の収入が少なければ妻ががんばって働いて二輪車で家計をやっていかなければならないのに、考えるのをやめて「なんとかなるさ」と日を送ってしまい、どん詰まりになるまで動こうとしませんでした。

誰もあなたの家の経済を支援はしてくれません。たまには放っておいてよかったということもありますが、少なくともどうすべきかということは考えておいて、もしもの時に備えておいた方が私は精神的に楽だと思います。

母のお正月の場所

今年の夏はずっと暑すぎたことやコロナ患者の異常発生で、母と会うのは2か月ぶりくらいでしたが、暑さもコロナも和らいだので久しぶりに外で一緒に食事をしました。

さすがに90歳を超えると足元がおぼつかなくなりましたが、消化器は元気。私でも残すランチをぺろりと平らげ、デザートのあんみつもしっかりと完食。

母はいつものように施設の人はみんなボケているので話にならないことなどをひとしきり話すと、「来年のお正月はあんたのところに居させてくれない?」と言い出しました。

弟は長男の責任を感じているので、お正月はいつもは弟が預かってくれ、私も安心していたのですが、母は来年は私の家に来たいと言う。

「ヒデト(弟)んとこじゃないの?」と聞くと、「ヒデトはなんだかイライラしてて、居たくないんだよ」

大晦日の31日から3日まで、いつもはいない母親がいればイライラもしたくなるだろうなとは思うけれど、私のところは子どもたち家族全員がやってきて泊まる予定。

お正月のイライラと言えば、母は昔からいつもイライラしていました。母はキャパの狭い人で、同時進行でいくつもはできません。2つが限度。そして極度の潔癖症と完全主義者。お正月を迎えるにあたり、彼女なりの手順と完成図があり、それに沿った進行をしないとイライラ爆弾がさく裂します。

常に彼女の思うとおりの行動を求められ、時間がずれただけで怒号が飛んでくる。正月に限らず、旅行やいつもの生活の休日の過ごし方も彼女の思うとおりにしないとイライラが爆発します。

お正月に弟宅にいたときもたぶん弟が自分の思うとおりに動かなかったり、期待する言葉を言わなかったりすると、あからさまに嫌な顔をしたのでしょう。

母は弟がイライラすると言っているけど、あなたはいつもお正月前はイライラしていたから、人がイライラすると不満を言えた義理ではないと思うけど。

人は自分の思う通りには動かず、自分の期待する優しい言葉を言わないからと、あからさまに不満そうな態度をとるのはもう卒業したらいかがでしょうか。

よもや彼女は自分が施設送りになり、子どもに正月に居させて欲しいと懇願するようになるとは思わなかったでしょう。子どもは親を敬い、大切にするものなのだとしか考えつかなかったのでしょう。

時代は変わるのです。人の考え方も生活様式もみんな変わるのです。あなたには考えられないことかもしれないけれど。

あの頃もう少し優しい母であってくれれば、喜んでこちらからお迎えに行きますけど。自分は聖母マリアのような母だったと思っている人には、なぜあなたに子どもたちは冷たいのか理解できないでしょうね。

体力は衰えるもの

こちらの続きです。ショコラさんの2冊目の本を図書館から借りて読みました。ショコラさんは正社員のストレスから病気になり、56歳で正規の仕事を辞めてパートタイマーとして再就職されました。

ああ、わかる。私も正規で働いていました。確かにお給料は良いし、待遇的にもしっかりしているのですが、その責務の重圧は厳しいものがありました。女性社員は一生コピーとお茶くみを退職までゆったりと仕事をすればよかったのはほんのわずかな時代です。

総合職という言葉が生まれ、男性並みの仕事のスキルを要求され、その重圧も大きなものになっていきました。仕事自体は面白かったのですが、小さなミスにびくびくし、夜も眠れない日々を何度送ったことか。

さらに60歳を過ぎると体力は衰え、9時から5時までという恵まれた労働時間ながらそのたった8時間、机に座っているのが辛くなってきました。15時頃には目がかすむ始末(16時になると元気になる(笑))。

よく60代の方が「まだ働けると思うけど、今までのような働き方は無理。週2~3日くらいのパートならできると思う」と口をそろえていう状態に私もなりました。

ホントですよ。今は老齢基礎年金が65歳からになり、逃げ水のように手を伸ばすときえてしまう。

フルタイム勤務は実際体力的にしんどいので、ショコラさんのように週3くらいで月数万が稼げるパートタイムに移った方がいいと私も思います。

子ども叱るな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ とはよく言ったものです。アラカンから確実に体力も気力も衰えます。だからその前の老後の準備には、それを想定の中にいれて計画する必要があります。

ショコラさんと離れた子育て

〔写真はイメージです〕

人気シニアブロガーのショコラさんの本を読みました。そういえば以前ブログをちょっと拝見したら面白そうな本を推薦されていて、その本を図書館から借りて読んだような気がします。

結構前の話なので、そこから先は知らなかったのですが、ショコラさんは今や人気シニアブロガーとなり、出版もされています。支払いが終わった小さなマンションの一室は大好きなものだけを置き、あとは清々しい心地よさそうな空間の中で、60代のショコラさんはパート勤めをしながらとっぷりとお好きな読書やネットサーフィンを楽しまれています。

ため息が出そうなこの素敵な空間で暮らしているショコラさんですが、40代で離婚され、息子さんふたりは元の家に住んだまま、ご自分だけ別の家に住み、息子さんたちの食事や洗濯のために毎日通われるといった、「離れた子育て」をされていました。

ショコラさんがなぜ家を出られたのかはわかりませんが、実はモラハラ被害者の方でこういう形態の生活をされる方が時々います。多くは「子どもと一緒に家を出ようと思ったけれど、子どもが付いてきてくれなかった」というものです。

子どもがいる方の別居でこれが一番の難所です。一生懸命長い間避難の準備をして、さて決行と思ったら子どもが家に残ると言い出す場合があります。

子どもの首に縄をつけて引っ張ってくるわけにもいかず、でも夫との生活は限界となると、近くに住んで、子どもの世話をしに家に戻るということになります。

特に食事は「ちゃんとしたものを食べているか」ととても気になりますから、こういった半別居のような生活になってしまっても仕方がないかもしれません。

ショコラさんのお宅は子どもが高校生になると、今度は子どもがショコラさんの家に来るようになり(でも本拠地は夫の家ということか)、面会交流調停のようなことはまったくしていなかったようです。

ショコラさんとお子さんとの間でどういう協議が行われたのかはわかりませんが、母と子の絆は切れることなく、現在30代後半になった息子さんたちは、ショコラさんの部屋に月2回やってきては親子で自転車の小さな旅に出たり、ちょっとリッチな食事に行ったりと、足りなかった親子の生活を補うように暮らしています。

ショコラさんが子どもを置いて自分だけ出た経緯はわかりませんが、もし子どもを連れて家を出たい場合は、子どもが小学校中学年くらいまでに決行しないと、子どもが「自分は行きたくない」と言い出す可能性が出てきます。

まだ低学年の場合は泣く泣くにはなるかもしれませんが、母と一緒に行動してくれますが、自分の世界を持ち始める年代になると、それが難しくなります。

離婚、別居に関しては、こういった形態もあるだろうし、岩崎宏美さんのように長く離れていても成長した子どもたちと仲睦まじく交流することもある。

親子が一緒に過ごしていても、子が家を出てぷっつり音信不通になることもあるし、親子でいがみ合うこともある。一緒に暮らしているから良いというものでもないのかもしれません。

ショコラさんは同じ60代の女性たちのあこがれの人となり、身の丈にあった暮らしを楽しんでいらっしゃるようです。

荘司雅彦先生の新刊が発売されました!

3年前に最愛の配偶者を亡くされ、ずっと失意の状態だった荘司先生の新刊が発売されました。亡くなった配偶者の方には私も1度お会いしたことがあり、本当にお美しくきさくな方で、先生もお嬢様同様、心から愛された方でした。

その方が突然病気で亡くなり、なかなか立ち直ることができなかった先生。私もどうお慰めしたらよいのかわからず、気の利いた言葉もおかけすることができないままでした。

「すぐに結果を出せるすごい集中力」はそんな先生が3年ぶりに世の中に出された本です。

やらなければいけない仕事をホワイトボードに書いておき、アレクサにリマインドさせることで結構自分のお尻をたたくようにはなってきましたが、

自由な時間がいっぱいある方が、集中力に欠けるような気がします。今しかない、あと1時間で仕上げなければならないとなるとフル活動する脳も、時間が沢山あると結構緩む。

いいじゃないかー、今まで沢山仕事したんだもんー、ちょっと休もうやーを合言葉に、ダラダラと時間を食っていた今日この頃。

でも、強迫神経症の母親から刷り込まれた「やることをやってから休め!」は、本人の意識とは別に号令をかけるので、もうやってしまえーーです。

この本には「集中力を高めるちょっとしたコツ」が沢山ありますが、目から鱗だったのは、「目標を作って仕事をするのはいい。ただし、早くできたからと言って追加するのはやめよう」という項目です。

特に子どもに「今日はこれをしましょう」と課題を出し、それが意外と早く済んでしまうと、「あら、時間が余ったからついでにこれもやって」はダメだそうです。なぜなら仕上げれば好きなことができると思うから一生懸命やったのに、追加をされるともうやる気がなくなる。

早く仕上げると追加があるなら、がんばらない方がいいとなってしまうから。

うん、そりゃそーだね。「お、早くできたなら、これもこれも追加でやってね」と仕事を積まれてやる気が出るわけがない。

自分で追加するならともかく、人に仕事を与えるときはやってはいけないことのひとつだそうです。

そして荘司先生お得意の科学的根拠の基づく人間行動。「人はふたつ一緒の仕事はできない」「音楽を聴きながら、テレビを見ながら仕事はできない」。

私はもうずいぶん前からこのブログを書く時など、仕事の時は無音です。音楽もじゃまです。昔、ラジオの深夜放送を聞きながら勉強したものですが、あれは間違ってたなー。

ディスクジョッキーの(おー、懐かしい言葉)リスナーからのお手紙を聞きながら勉強はできないのです。できると思っていましたが、できないものなのでした。

そのほか「イジイジとする」はまったく共感で、このブログに書こうと思っていたことのひとつです。イジイジ仕事するとはどういうことか。

ぜひ本書をお読みください。

取りたい資格

常々離婚を考えている方には離婚するまでに何か仕事を見つける、資格を取ることをお勧めしていますが、ご相談の方で人気なのは「医療事務」です。

なぜこの資格を取ろうと思ったのかを伺うと、「自分でもできそうな気がするから」「日中の仕事なのできちんと終わるから」「カレンダー通りの仕事だから」というお答えが返ってきます。

後はたぶん座ったままで楽そうだからというのもあるかもしれません。

私の知人も医療事務をしていますが、彼女は資格は持っていません。病院の事務は資格がなくてもできるのです。知り合いから紹介されて、同僚から教えてもらいながら仕事をして覚えていったそうです。

医療事務で検索すると、「覚えなければならない専門用語がたくさん」「人間関係で苦労する」「給料が安い、上がらない」など、あまりよくないことが書いてあります。

ただ、「仕事を覚えなければならない」や「人間関係で苦労する」はどこに行っても同じこととです。医療事務だから特別大変ということはないでしょう。

それよりも、こんなにたくさん医療事務を希望する方がいるのに、働き口があるのかと心配になります。都会はそれなりに小さなクリニックが沢山ありますが、地方は限られています。

私が地方に住んでいた時は、小さな病院の受付の方はずーーっとそのままで、たぶん10年、20年と勤めている方が多かったと思います。つまり定着している。

仕事口の数よりも仕事を探している人の方が断然多い。医療事務はそんな印象があります。資格はとったけど働く場がないということになるのではないかと、医療事務を目指す人を沢山見ていて思います。

これがもし簿記2級だったら、経理知識を必要としているところならどこでも働けます。FP(ファイナンシャルプランナー)だったら、これも幅広く勤め先があります。

私は役所で働いていましたが、社会福祉士の資格を持っている人がすごく多くいました。また、役所がいろいろな職種を募集するときも「社会福祉士」は有利な資格でした。

実習があったりして大変そうですが、医療事務よりは需要がありそうなので、いい資格なのではないかと思います。

平気でうそをつく人たち

「平気でうそをつく人たち」がベストセラーになったのは1990年代最後の方だったと思います。当時はモラハラを知りませんでしたが、あるなぁと思いながら読みました。

世の中には平気で嘘をつく人たちが実存します。それはモラハラの被害者にとっては最も身近な人でしょう。平気でないことをあることにしてしまう、自分がやったことを他人がやったことにしてしまう。まるでプーチンが小分けになってそこいらじゅうに存在しているようです。

ウクライナ侵攻は市民が自分たちで撮影したものを世界中に広げることで、プーチンの嘘は世世に知れ渡り指差しで非難されていますが、モラハラ家庭の場合は説明してもしてもなかなか相手には伝わりません。これはウクライナ戦争と同じように動画で証明するのが一番いいのですが、それはとても難しいことです。

考えてみたら、被害者が自分に起きていることをwebで公開したのがモラハラが大きく広がっていった理由のひとつです。今までは親や友だちに愚痴っては「あなたにも悪いところがあるのでは」「どこも同じ」と言われて終わっていたのが、ネットのあちこちで披露され「うちも」「うちも」という大きな賛同の波がこのモラハラの広がりに繋がりました。

さて、私の身近で平気で嘘つく人がたまに出現しました。ただ、その人たちは人を陥れようとか、だまして金品を持ち去ろうとかそういった大事ではなく、どうも虚言癖があるというか、とっさにウソをついてしまうようなのです。

一番思い出深いのは、勤めて間もない頃一緒に働いていた同僚です。美人でプロポーション良し、頭脳も良し、着るものも持っているものもセンスも良し、仕事もなんでも器用にきれいに片付けるといった人ですが、何分口が悪い。人のうわさを嬉しそうに垂れ流す、自分より下と見るや口調がぞんざいになる。男性にはニコニコと近づき、かいがいしく世話をする。灰皿にタバコが数本入るとさっと持っていき、捨ててくる。お茶もコーヒーも上手に淹れる。飲み会の席ではビール瓶を持ってぴったりとおじさんの横につく。

その男性たちに「あの人はこう、この人はこう」と嘘を混ぜたことを告げ口していると知ったのは、知り合ってからそう時間がたたない頃です。

男性は何しろ仕事の中枢にいますから、私たちの評価がどうつけられるのか非常に興味があるところです。そしてそれは仕事の後の飲み会の席で決定されるのは、たぶん今も昔も大して変わらないでしょう。

私の職場は男性が極端に少人数で、結婚適齢期の女性たちの間ではもう争奪戦(笑)

彼女はその中で一番モテた人を狙ってあの手この手(笑)

しかしその彼を同期に持っていかれ、次に狙ったのが中途採用の男性。あまり筋の良くない人でしたが、どうしても結婚したかったようで、見事撃墜。

その夫になった相手はDV男でした。ある日送別会で遅くなってしまったので、同僚男性が彼女を家に送って行ったところ、玄関先で彼女の顔を一発。その後、彼女は忘年会も歓迎会も一切来ることはありませんでした。このモラハラ家庭にいる私でさえ歓送迎会と忘年会には行けたのに(20時までには帰るけど)


あの人はどうしてるかな~と時々思うことがあります。きれいな顔で矢継ぎ早に繰り出す悪口雑、人の悪口と噂。どこまで本当なのかわからない話。あの人は今も平気で嘘をついているのかな。

立ち止まる脳

とある友人から子どものことで相談にのって欲しいと頼まれました。大学生の娘さんが留学をすることになり、その宿が決まらないとのこと。留学は9月から。その1週間前には行くのですが、部屋が見つからない。

学校でも不動産屋を紹介してくれて、ご本人もとりあえずはがんばって見つけようとはしていたようなのですが、何分ほとんどが夏休みのため返事が来ない。そうしているうちに時間だけが過ぎる。

確か留学が決まったのは春過ぎのはず。

今までナニしてたの?と母に問うと

「とりあえずどうなってるの?とは聞いていたけれど、あまりはかばかしい答えが返って来ず、返って来ないので放置していた」とのこと。

子は子でどうしたらよいかわからず、「お手上げ状態で放置していた」とのこと。

あ・・・

あ・・・

「わかった!お宅の家は同じ脳体系をしてるんじゃないの!」

わからなくなったら、不安になったら、考えないようにする脳。立ち止まる脳です。

何とかしなきゃいけないけど、どうしたらわからないのと、やるのはすごく大変でやりたくないのとがごっちゃになって、「取りあえず今は放置する脳体系」

私もめんどくさいものは後回ししてしまったりするので人のことは言えませんが、とりあえず娘さんには

「不安なことは全部書いてみて。何が不安か見える化して」とアドバイスしました。漠然とした不安は、不安だけが頭の中でぐるぐるするだけで、糸口が見つかりません。

例えば「申請書がきちんと書けているか不安」だったら、書いたもの、集めたものをとりあえず大使館に持っていく。そこで「これとこれが違います」「これが足りません」と言われたら、修正、つけたしすればいいだけです。

一度でできなかったら、二度すればいいだけです。なーんにも恥ずかしいことはない。

それから子どもにも責任感を持たせて自立させるはいいのだけれど、それで何かミスがあったらその尻拭いは親がすることになります。

ライオンが子どもを谷に突き落とすとばかり、難しいことに挑戦させるのはいいけれど、その前に簡単なことを何度も自分でやらせて、それから突き落とさないと、失敗が後から心の大きな傷になってしまいます。しかも今回は留学という大きな出費を伴うものです。

今回は間に合わなかったら飛行機がキャンセル、または変更になるので、その代金は親です。厳しい親ならいったん貸して、後から返したもらうことにするかもしれません。でも、キャンセルするより、まずはお金で解決して、留学という経験を積ませた方がいいと私は思います。

失敗して、親に借金を作って、留学もできず、友だちにも顔向けができないことになるより、「次回からはこうする」という反省材料にした方がいい。

親も何もひっついて手取り足取りする必要はないけど、尻拭いをしたくなかったら「どこまで進んだ?」くらいのお声かけはした方がよろしいのではないでしょうか。

結局平均値に落ち着く

たまたまある友人から「Aさんちが大変なことになっている」と聞いたのはつい最近のことでした。Aさんは事業や投資で成功し、50歳を前にして仕事を引退。今は趣味の世界で悠々自適の毎日でした。

子どもは有名私立大学の医学部を卒業して医師になり、幸福を絵に描いたような一家でした。そのAさんの家が「大変なことになっている」とは。

医師になった息子の配偶者が「かなり変な人で、実家との交流を切らせてしまった」とのこと。実家だけでなく友人関係など仕事以外の繋がりを絶たせてしまったそうなのです。

「生まれた子の性別も名前も教えてもらえない。今どこに住んでいるかもわからない」と本人の口からききました。私が彼と知り合ってから10年以上。順風満帆だったAさんに降ってわいた突然の不幸話。

うんうんと話を聞きましたが、もうこの状態は2年以上続いていて腹も座ったせいか、「本人が気づくしかない。遺産は息子にはやらない。法的処置をとる」とのこと。つまり、カンカンに怒っているということです。

人の一生は様々で、いろいろな幸不幸はあるけれど、結局一生を平均してみたらみんな同じなのかもしれない。誰かがダントツに幸福で、ダントツに不幸ということはないのかもしれない。

たまたま今は不幸でも、昔や未来は幸福なのかもしれない。私は子どもの頃も大人になってからも割と不運や不幸が多かったけれど、今はそれを取り返すように幸運がやってきます。

人はどこかに不運の重荷を持っているのかもしれませんが、みんなそれは隠して生きています。相談員だった頃、相談をされる方が決まって言うのは

「みんな幸せそうですね。こんな不幸なのは私だけでしょうね」でした。

みんな判で押したように同じことを言っていました。人は幸福そうに見えても、意外と爆弾を抱えていたりします。そして一生のうちに幸せと不幸せが平均して終わるのでしょう。みんなと同じように。

できればアベレージを上げたいので、徳貯金を積むことにします。小さな徳貯金の積み重ねが平均値をあげると信じてます。