お正月の難はまだ終わっていない

1月4日から仕事始めの方もいらしたと思います。モラ夫と長い間過ごさなければならない年中行事のひとつがお正月ですが、12月28日頃か1月4日頃までの約1週間はいつ始まるかわからないモラ夫の怒号や、イライラなどに振り回された方もいらしゃるでしょう。

これをきっかけに無視が始まる場合もあります。ご相談を受けていて「無視が始まると胸がきゅーっと苦しくなってくる」「一生懸命ご機嫌をとってもまったくおさまらず、子どもたちもびくびくして小さくなっている」というお話を伺うと、私がモラ夫と同居していた頃を思い出します。

辛かったな~。本当に辛かった。

離婚のご報告を女性の上司にした時、「辛かった、辛かった、それしかないです」と言ったら、彼女は涙ぐんで「そっか、辛かったんだね」と自分の目元をぬぐいました。

なかなか難しい厳しい人でしたが、私の辛さをわかってくれました。こんなことがあったとエピソードを語ったわけでもなく、ただ「辛かったです」と言っただけで理解してくれました。

「辛かった」と言っただけで理解してくれる人は少なくありませんでした。いつもは明るくて頑張り屋の私が辛いと言うのだから、本当に辛かったんだろうとわかってくれたのかもしれません。

お正月が明けると女性センターの相談室が忙しくなります。ただ、4日、5日ではなく、その後に成人の日の連休が控えていますので、おそらく混雑するのは9日になると思います。

9日の午前9時には電話が鳴り、相談室に直接来られる方もいます。

「正月にケンカになったら出て行けと言われました」と肩を落としてこられる方がほとんどです。言われた後は判で押したように無視され、ずっと今まで口をきいていませんというのもみなさま同じです。

「出て行けと言われても出ていく必要はありません。あなたの家は夫だけのものではなく、あなたのものでもあるんです。あなたには家に住む権利があります。離れたいのなら夫に出て行ってもらえばいいんです」

多くは「そうですよね!」と仰るのですが、ムンムンと黒いオーラをまき散らしている家に戻るのは本当に気が重いだろうなと思います。

そしてその方たちは継続して相談室に来られることはほぼありません。なんとなくぎぐしゃぐしたまま、なんとなくまた元の生活に戻ったのでしょう。

これをいつも繰り返す。お正月、GW、お盆と年3回あります。

そして60歳を過ぎて「私の人生はいったいなんだったんだろう」「離れられるチャンスは何度もあった」「この年になったらもう無理」と、心の内を吐き出しに来られます。

離れた方で離れなかった方がよかったとおっしゃる方はまずいません。離れずに後悔している方のお話は山ほど伺いました。離れたら離れたでいろいろな苦労はありますが、みなさん、何とかやっておられます←その中に私もいます。

離婚しなくても離れるだけでかなり違います。今年はちょっとそれについて考えてみませんか。

今年もお世話になりましたー禍福は糾える縄の如し

「かふくはあざなえるなわのごとし」は、あまり幸福ではない時にぽっと頭のなかに浮かびます。今は幸せと思えない時でも、いつかは糾える縄のように幸福がやってくるかもしれない。

幸福という縄と不幸とい縄がよられて一本の太い縄になります。これが幸福だけの縄だったら幸福は幸福でなく当たり前。

不幸があるから幸福を感じられる。

不幸の度合いが大きければ、小さな幸せがものすごく大きな幸福に感じます。不幸だったからこそ幸せが感じられるものです。

「えーーー、そーゆーのやだしー。幸せだけの方がいいーーー」とZ世代からは言われるかもしれませんね。

でも60年以上生きてくると、やっぱり「禍福は糾える縄の如し」だと思うのですよ。いい時もあればそうでない時もある。そうでない時におろおろせずに達観できるような人が大人だなぁと思います。

60年以上生きていますが、まだ大人になれていないのがお恥ずかしい。

今年もお世話になりました。

まだモラ夫と生活している方たちは辛い時期になりますが、来年こそ人生がひらける出来事がありますよう、願っています。

この頃お気に入りの言葉

最近お気に入りになった言葉があります。

「たいていのことは 後になればみんな笑い話」

モラ夫からモラモラされても、後になればお茶を飲みながら笑い話にできます。

モラ夫にされたことはもう乗り越えているけれど、母から言われたことはまだ未消化のまま残っています。夫とは別れて勝利しているけれど、母はまだ生きていて、母はその言葉を覚えていないし、言っても反省はしないだろう。

母が死んだら、言われたいろんなことは笑い話にできるんだろうか。

調停でモラハラを理解してもらうには

よくどのように言えば調停委員はモラハラを理解してくれるかという相談を受けますが、調停の場でモラハラ被害を受けたと話をしても、要求する婚姻費用や養育費には反映されることはないと聞いています。

被害を具体化させるためのものは離婚調停で行う慰謝料請求です。婚姻費用請求の調停で慰謝料は要求できません。慰謝料を認めてもらうのは離婚裁判です。

調停は話し合いの場なので、相手が「払う」とさえ言えば調停で慰謝料が認められますが、モラ夫が「はい、自分はモラハラをしていました」と言うわけがなく、そして調停委員が「どうやらモラハラがあったようなので慰謝料を払いなさい」と言うこともありません。

調停委員にモラハラを認定してもらったところで、相手が認めなければ慰謝料に結び付きません。どうしても慰謝料が欲しい場合は、裁判するしかありません。

謝ってほしいとか謝罪文が欲しいという方はいますが、モラ夫は口が裂けても謝罪はしません。どんなことをしてでもと仰る方も中にはいますが、大抵は「こんな所に労力とお金と時間をかけても無駄」と、こんなこととはおさらばして次のステップに向かわれます。

長く調停や裁判をすると精神的ダメージが大きく、それが体のあちこちを蝕みます。些少な慰謝料をもらったところで、一度傷んでしまった体は元にはもどらない場合もあります。

中には20年、30年と月日を重ねた方もいて、50歳を過ぎてから人生をやり直すと言っても限度はありますが、残りの30年をのびのびと暮らすために必要な体や時間を大事にした方がいい場合が多いなぁといつも思っています。

親が衰えると子どもが優しくなる

同年代の友人と話していたら、「うちの下の子は、以前は絶対に一緒に暮らすなんて不可能なくらいキツイ子だったんだけど、40歳近くなるとなんだか急に優しくなったのよね。他の人に『親も年だからさぁ』なんて言ってるのよ」と語っていました。

そうか、親が年をとると子は優しくなるのかとは思いましたが、私は年を取っても母に優しくはないです。ただ、離れて暮らしているので、たまに会った時は優しくなります。

2時間のガマンと思うと、「これ、好きだったでしょ」と好物を買っていくこともできるし、母親の自分勝手な話にも(嫌々)つきあってあげることもできる。

これが一緒に住んでいたら、まー、無理ですね。そしてこれは私が冷血だからというわけでもなさそう。

友人が母親と旅行したというので、「日本一周のクルーズなんかどう?」と聞いてみたら、「母とは2泊3日まで、それ以上は無理」と全員が答えました。

どこの家でも母親と離れて暮らしている場合はせいぜい2、3日ならもつけれど、それ以上は無理というのが全員のお答えでした。

離れている子は優しいのです。そして親が子を思うほど、子は親のことなんか思っていません。だから親が年を取ったから子が優しくなったわけではなく、離れて暮らしているからそういう気持ちになるだけ。

親は子に捨てられてなんぼのもの。捨ててもらわないと、一人で生きてもらわないと困るのです。

ああ、それなのにうちの親はいつも親のことを気にかけてほしいと望んでいるようです。もし私が借金苦で困っていたら、すたこら逃げて電話にも出ないくせに。

もし親がすがりついてきて困っている方は、「借金があって困っている。助けて」と言えばさっさと向こうから離れてくれますよ。

教育は恐ろしい

たとえば他の国を征服した時に最初にすることは子どもたちを自国の思想に染めることです。映画「キリング・フィールド」でもあったように、子どもたちを洗脳し、自国に忠誠を誓うような「教育」をします。

カンボジア内戦を描いた「キリング・フィールド」では子どもが大人を支配し、鞭打っていました。

母娘の関係でなぜ母は娘に対して異常なまでに高圧的に接することができるのか。それは母が育った環境がそうだったから、というのがひとつの要因にありましたが、もっと簡単な言葉で表現できることがわかりました。

60代以前の人たちの親は現在80代以上になっていますが、彼女たちの世代は「親に孝行をしろ」としっかりと教育された世代です。おそらく儒教の教えから脈々と受け継がれてきたものですが、家族の中で一番大切なのが「親」なのだそうです。

子どもは二の次。子どもは親に従うのが当然であり、子は親に忠誠を誓い孝行するのが当然なので、目もくれない。子どもの気持ちなんかどうでもいい。とにかく親が大切。

ある研修でこのことを聞かされ、はたと膝を打ちました。

そういえば私の母親も親を大切にしていました。母親が急死した時も、夜明けを待って行けばいいものを、父の尻を叩いて車を長距離走らせて駆けつけました。

お金が無くても親に贈り物をし、親が喜ぶようなネタを仕入れて話し(そのネタのためによい成績、人に羨ましがられる学歴、就職口、褒賞をそろえなければならない)、親に褒めてもらい、喜んでもらうのが親孝行。

彼女たちはそういう教育を受けて育ったのです。親を大切に!は日本国民のスローガンだった時代でした。

「子どもの気持ち」なんてものは考える用意がされていませんので、「私の気持ちを大切にして」と言っても意味がわからないのです。

子どもはどこまでも親に孝行、親を喜ばせ、愛し、感謝するという存在でなければならないとう教育をうけてきたので、この時代になって反発をくらうとは夢にも思っていなかったでしょう。

これは母親だけでなく、今を生きる私たちもしかと覚えておかなければならないことです。

時代についていけない人は置いていかれ、「なぜこうなったんだ!」「いつからそうだったんだ!」「誰も教えてくれなかった」「変わるなんて聞いてない」「昔はよかった」とひとりで叫んでいてもしょうがない。

# もしくはポツンと一軒家とか孤島に住むとか人里離れたところで悠々と暮らすか

恋人同士と夫婦の違い

恋人同士が離れると、離れた方は新しい環境になじんで恋人のことを忘れていき、ふたりの関係は破綻する。

夫婦は離れていると関係が保たれて、ふたりの繋がりは継続する。

恋人は離れてはいけない。夫婦は近づいてはいけない。

慶応高校の優勝でわかった都会のマナー

夏の高校野球甲子園大会は慶応高校の優勝で終わりましたね。何しろ私学のトップ大学の付属高校ですから、入学するのも大変。推薦も他の野球高校と違って「うちに来て」と言われて行くわけではなさそうなので、とにかく学力が高くないと入れない高校だそうです。

決勝戦の時にたまたまジムのスタジオにいて、野球も気になるしと合間合間にスマホを見ていたら、「うちの娘も大学が慶応だから応援するけど」とか「子どもが高校生の時に吹奏楽部で応援に行ってたっけ」など、という話が続々と出てきました。

ジムでおそらく10年以上おつきあいしてきましたが、そういう話を聞いたのは初めてでした。慶応大学を卒業したなら、ブイブイと自慢してもいいようなものなのですが、東京ではとんとそういう話をする人がいません。

地方では久しぶりに会うなり「あんたの子はどこの高校?(大学と言わないところが笑える)」と聞いてくる人もいて、ともかく相手のプライバシーにずかずかと入ってくるのです。

どこの高校に合格し、どこに勤めてと一通り詮索してからマウントを取ったりもします。故郷は大好きだけど、こういうところが嫌だな~と思います。

人の悪口三昧の母ですら「こっちにきてから嫌なことを言われたことがない」と言います。たまに頑固な入居者のご老人もいるみたいですが、施設の人たちはみんな優しくて、田舎にいた時のようなひどい言われ方をしたことはないそうです。

都会は人との境界をしっかりと守るので、人づきあいがスマートです。もしかすると慶応大学を卒業したことはそれほど自慢になるとは思っていないのかもしれないし、なにしろすごい人たちがそこいらじゅうにいるので、何が自慢になるのかが定まっていないのかもしれません。

そもそも長々と話される人の自慢話くらい聞いていて辛いものはありません。とりあえず関係を壊したくない場合は「これもお仕事」と思って「すごいねー」「立派だねー」と相槌をうっていますが、もうおつきあいをしたくなくなったらさらっと離れることにしています。

モラ夫の毎日の自慢話や人の悪口に晒されている方は本当にお気の毒です。これから離れるだけでもストレスから解放されますよ。

アマゾンプライムで「Plan75」を見た

アマゾンセールに乗っかるために入ったアマゾンプライムですが、早速プライム会員限定の映画「Plan75」を見ました。

日本で75歳になったら自分で死を選べる制度ができたという、近未来の話です。私がこの映画が話題になった時に真っ先に思い出したのは「ソイレント・グリーン」というアメリカ映画でした。人口増加で食料が無くなった世界の話ですが、なんとこの設定を2022年としています。

この映画と「Plan75」の違いは、「ソイレント・グリーン」が「人口増加による食糧難」というのに対して、「Plan75」は少子高齢化による政府の政策にしているところです。

1975年は全世界でベビーブームになり、人口が爆発的に増えた時代でした。よもやその40年後に、産まれる子どもの数が激減するとは予想されていなかったのかもしれません。

「ソイレント・グリーン」が死を選び、ホーム(=公営安楽死施設)に行くのと同様に、「Plan75」も75歳になったら安楽死できる制度を利用することができるという設定です。

この「Plan75」は役所の担当課が行っており、安楽死制度を利用すると10万円の給付や、1回15分の傾聴を毎日受けることができます。

映画の中ではこの制度を利用するのは経済的に行き詰った高齢者で、登場する人物はみなひとり暮らしをしています。安楽死施設のベッドに横たわる人たちからは「もう、生きるのに疲れたよ」というつぶやきが聞こえて来そうです。

映画の冒頭に、なぜこの「Plan75」ができたのかというくだりがありました。増え続ける高齢者を支えるために、若者たちがギリギリの生活を強いられている現実に抗議するため、高齢者を襲撃するという事件が相次いだのです。

高齢になって税金が払わなくなり、年金は受け取るといった、社会的にみれば負の存在になった時、高齢者が大きなお荷物になってしまうというのは、私も高齢者のひとりとして考えさせられました。

特に冒頭の「若者の貧困の原因のひとつになっている、増えすぎた高齢者をどうにかしなければ」というのは、もしかしたら本当に政府は心のどこかで必要な制度だと思っているかもしれません。

たとえば高額な薬は〇歳以上の人には使わないとか、健康保険制度のパンクを防ぐために実施されています。健康保険制度の維持のためにはそうしなければ制度を維持できないところまで来ていると、医師たちからの声として伝わっています。

もし私が80歳を超えていたら、お金はこれからの人たちのために使って欲しいと思うので、もしその高額医薬品を使うことによって命が数年延びたとしても、私はお断りしたいかなぁと思います。

寿命が延び、高齢者が増え続けることで若者に負担が行ってしまうのを防ぐため、考え出されたPLAN75。寿命は延びだけれど死ぬまで働き続けなければならず、働く場が無くなった時にこのPLANを選ばなければならない貧困老人たち。

空想の話とはいえ、とても現実に沿ったストーリー展開でした。

りゅうちぇるさんが亡くなったことについて

タレントのryuchell(りゅうちぇる)さんが亡くなったことは、私の周りでも衝撃のLINEメッセが飛び交いました。

私の中ではryuchellさんはLGBTQの方だという認識しかなく、ほとんんど興味もないままに過ごしていて、この記事を出すことに疑問が無くはないのですが、書いておきたいことがあるので記そうと思います。

女性センターに勤務していて、LGBTQについての研修などはひととおり受けていて、虹色の集まりにも参加させていただき、サポートの方々とも顔見知りの方がいます。

とても奥の深いことですので、うわっつらの聞いた、読んだ程度のものでは語れないので、ほんのさわりの部分だけ書いておこうと思います。

今回の事件でLGBTQと死因について直接的に結び付けるのはそういう要因のない人でも自死する人はいますので、どうかなとは思います。

とは言え、私が受けた研修の中では、LGBTQの方の自死はそうでない方のものに比べて比率が高いとのことでした。やはり性自認が世の中の動きと違う場合、生活の隅々で不便や葛藤があるのかもしれません。

ただ、追記事で、元パートナーのpekoさんとの間のお子さんをとてもかわいがっていて、お子さんもりゅうちぇるさんが大好きでということ。親が自死したというのは、子どもにとってとても辛いことだと思います。

私の周りでもいろんな人が自死されました。理由はいろいろあるとは思うし、それだけ辛かったのだろうとも思いますが、自分が亡くなった後、悲しむ人がいることをもう一度思い出してもらえたらなぁと思います。