7日放送『しくじり先生 俺みたいになるな!』(テレビ朝日系)で家庭内のモラハラをとりあげていたそうで、いろいろな方からお知らせをいただきました。
#あらー、残念でしたー。見たかったなぁ。
番組はこのような感じだったそうです。
また、この中で取り上げられていたパンサー尾形さんについての記事はこちら
反省できたのなら、それはモラハラじゃないです。反省したふりをしたのなら、モラハラかもしれませんね。
モラハラ被害者同盟管理人の小部屋
7日放送『しくじり先生 俺みたいになるな!』(テレビ朝日系)で家庭内のモラハラをとりあげていたそうで、いろいろな方からお知らせをいただきました。
#あらー、残念でしたー。見たかったなぁ。
番組はこのような感じだったそうです。
また、この中で取り上げられていたパンサー尾形さんについての記事はこちら
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いつもセールの時にまとめて買いますが、今回はマスク、ナッツ、タオルを購入。本当に外に出る機会が無くなったので、衣服を買う機会が無くなりましたね。化粧品も基礎化粧品しか使わない。ファンデ、リップはまったく使わない。私の人生史上、これだけメイクをしなかった期間は無かったと思います。
資生堂がシャンプーなどのパーソナルケア部門を売却したとのこと。きっと私と同じように「上半分化粧しても大して変わんないや」と、メイクを全放棄した人もいるんじゃないかな。
そして目しかない顔だと、個人特定がなかなか難しいという新たな発見がありました。マスクと目だけだと、知り合いによく似た人が沢山いて、人の顔の区別って顔下半分なのだとわかりました。下半分が隠れていると、年齢もよくわからない←これはいいことだ(嬉
ZOOMで人と話す機会が増えましたが、何しろそのためにメイクをするのが面倒なものだから、ビデオフィルターのスタジオエフェクト機能を使って、バーチャル眉にしています。使ったことのない方のために説明すると、モニターに映る自分に眉やリップを描くことができるという機能です。ちゃんと本人と一緒に動くし、表情と一緒に眉も動くスグレもの。良くできてるわぁ。
#こうやって人間は怠惰になっていく。。
コロナ禍が終わったら、元のようにメイクをするようになるんだろうか。いや、ならないような気がする。若い女性たちはするかもしれないけど、私らおばさんはこの手抜き放題の生活様式に慣れたら、もう戻れないような気がするなぁ。。
こちらの続きです。
私がいたところは、会社の名前を言うと「わぁ、いいところに勤めていますね」と言われるような大きな組織で、福利厚生も退職金制度もしっかりとしていました。定年退職まで勤めたら、充分な退職金と年金で、趣味三昧の悠々自適な生活ができると思っていました。なぜなら先輩たちがそうだったから。
ところがいきなりやってきた社会変化に翻弄され、働き方も、収入も、大きく変わっていきました。それについていけない人は自ら辞めるか、辞めさせられる方に持って行かれました。いつもいつも誰かが辞めていく。
青春時代、花の〇期女子と仲よく遊んだ友人たちが、青白い顔をして、「この先、どうしようか」とため息をつく。
とはいえ、女性は生活をどうしようかという危機感は男性に比べてなかったと思います。なにしろPCを覚えるよりも退職を選ぶような安定した収入が夫にあるのでしょうから、それほどせっぱつまったものではなかったのでしょう。
配偶者が看護師や美容師などの資格を持っている男性は、他の男性陣から「いいなぁ」と言われていました。
女性たちは「嫌になったら辞める」「どっかでパートでもする」というのがランチでこの話題が出た時のいつもの締めくくりの言葉でした。
それもなんだか深窓の奥様方の、世間を知らない言葉のように思えました。私のママ友はみんな必死で夜昼働いています。夜9時過ぎにどこかの事務所の掃除に行く人。コンビニのお弁当を流れ作業で作っている人。ホテルのベッドメイキングをしている人はいつも腰痛に悩まされている。この職場がいかに恵まれているか、わかっているのかなと思いました。
何より私は子どもを育てていかなければならない。主生計者として生活費を稼ぎ、子どもの学費を何としても稼がなければならない。年齢も高くなり、東京と違って働くところがない地方で、今と同じ条件の職場があるとは到底思えませんでした。
意外だったのは、遠くに飛ばされた人たちで、男性は当然のように単身赴任をしていましたが、女性も同様に現地に部屋を借りて単身で暮らした人が多かったことです。あんなに簡単に辞めるわと言った人たちが単身赴任をしたのは、子どもが成人だったこと(いかに就業年齢が高かったかわかりますよね。辞めさせたくなるわけだ)があります。
しかしそれも長く続く人はおらず、結局キレて辞めていきました。
あの80年代、きゃぴきゃぴと楽しく働き、将来の不安なんかなかった時代。そのころに思い描いていた人生の終末期を送っている人は誰もいません。誰ひとりとしてこの未来を予測できた人はいません。もちろん私も。
思い通りの人生なんかありません。10年後も20年後もわかりません。だから不安と不安と唱えるよりも、その不安に対してどうするかを考えた方が、ストレスが減ります。それが生きるかどうかはわからない。でも、大抵やったことが全部無駄にはならないことは、今までの経験でわかっています。
そして避けきれないものは受け止めるしかないこともわかっています。
そういうもんなんだなぁとわかっただけでも、年をとったかいがありました。
こちらの続きです。
この中にあるように、私にはいつリストラ対象になるかもしれないという不安がいつもありました。上層部に「コネ」のある人はその不安はないでしょうが、元々そんなものはない、その他大勢のひとり。とても不安でした。
ところが同僚たちにその不安の話をしても、あまりピンと来ていません。「辞めさせるときに遠方に転勤させるのは常套手段なんだよ」と言っても、「まっさかぁ」とまったく現実感がない。
新聞やネットには絶対に通勤不可能な場所に転勤をさせられたという話はごまんとあるのに、「そんなひどいことするわけがない」と言う。あったとしてもそれはオトコにやることで、オンナにやるわけがないと思っている。
なぜそう楽観的に「あり得ない」と言うのか、本当に不思議でした。私が心配性すぎるのかもしれないけれど、とにかくその時のための準備はしておこうと思っていました。
そして月日は流れ、職場も昔のようなのんびりしたものではなく、効率優先、成果至上主義があっという間に入ってきました。その間10年ほど。10年間で職場の雰囲気はまるで変ってしまいました。
日中ゆったりと仕事をして、残業代を稼ぐというようなことはできなくなりました。私は元々18時30分にはテーブルにごちそうを並べておかなければならない生活でしたから、残業はありません。前任者が「繁忙期には24時を回らなければ帰れない」という内容の仕事も、PCをフル活動させて定時に帰っていました。
職場にはPCを使わなければならない仕事がものすごい勢いで増えていきました。「PCを覚えないと後で困るよ」と言い続けていた私に「その時になったらやるから」と嫌な顔をしていた人たちはPCを使いこなすことができず、結局次々と辞めていきました。
PCを覚えるより辞める方を選ぶという、配偶者にも自分にも余裕のある奥様たちが多かったということです。私にはそんな選択肢はない。とにかく働き続けること、何としてもこの職を追われないようにすること、そして追われた時のために資格を取ろうかと考えていました。
そして私の心配通り、上層部は辞めさせたい人たちを遠方に飛ばし始めました。小さな子どもがいる女性も対象になりました。予想は当たり、「夫が大きな会社や公務員で生活が安定している人」が優先的に選ばれて飛ばされました。優秀であろうがなかろうが、ともかく人員整理をしたかったようです。
ところが幸か不幸か、その時私はすでに離婚をしていたので、この優先順位からははずれることになりました。さすがにシングルマザーを遠方に飛ばして辞めさせるのは人道的ではないと思ったのかもしれません。
こちらの続きです。
頼まれても嫌なら断るべしと言っても、世の中そう簡単にはいかないもの。特に職場や交友関係はきっぱりできないこともあります。特に仕事の場合は自分の仕事でキツキツだろうが、上下関係や、自分がお願いしなければいけないことも後から出てくるかもしれないと思うと、そうそう無下にもできません。
その時は、自分のスキルを上げるチャンス到来と思って引き受けてみるのも手です。「チャンス到来」と思いこむところがミソ。やりたくない仕事を嫌々引き受けるよりも、どうせやらなければならないのだったら、面白そうと思ってやってみてはどうでしょう。仕事はやればやるほど身になり、自分の武器が増えます。特に新しい仕事だったら、こちらから望んでもやってみる価値はあります。
もちろん新しい仕事というのは手探りが多いし、調べものもたんまりある。でも、そこで必ず身につくものもあるし、うまいこといけば人脈もできるかもしれません。
うま~く仕事から逃げる人はいるものですが、そういう人はやらない分、スキルが低い。結構人は見ているもので、一生懸命仕事をしている人はそれなりに評価してもらえているし、そうでない、うまくやっている人は「あの人、いっつも楽してるよね」と、陰口のネタになっているものです。その陰口は回りまわって権力者のお耳に入るかもしれません。
私はモラハラを知った時に、「HTML」という技術を持っていました。当時ブログなどというものはなく、ネットに情報を流そうと思ったら、HTMLの知識が必要でした。
私がこの知識を持っていたのは、ある出来事がきっかけでした。
ネット仲間がオフ会を行うことになりましたが、何しろモラハラ生活で、泊りがけの旅行なんかできるわけがない。他の在宅組と一緒に家でため息をついていました。行きたかったなぁー。
オフ会が終わってから「めっちゃ楽しかったよーーー」の報告メールに、多数の写真が添付されていました。すると「このオフ会の写真、アップロードしたらいつでも見られるよね」と誰かが言い出しましたが、はて、アップロードとはどのようにするものなのか、さっぱりわからない。それはみんな同じで「?」「?」「?」
ちょうどその頃、私は職場で不安がありました。私の職場は先があまり明るくないところだったので、共稼ぎの人はその時、人員整理の対象になるのではないかという不安です。特に私の元夫は大手に勤めていましたから、私はこの対象になりやすい。女性の場合、本人の実力よりも、その家の経済状態の方を優先させる傾向があるので、私はいつその言葉が来てもおかしくありません。
辞めさせられたら夫の希望通り家にいることになり、常に夫が言う「誰のおかげでメシが食えると思っているんだ」の言葉に怯えなければならない。経済力を失った私が丸腰になり、それまで以上に夫が高圧的になるのは目に見えていました。
何か武器を持たなければ。私にしかできない武器を持たなければ。
これは結婚した当初から思っていたことです。だから将来のためにPCの技術を磨きました。
それにHTMLの技術を加えてはどうか。
写真をアップロードするだけでなく、HTML化して、サイトのように見られるようにしてはどうか。技術を得られることと、みんなを喜ばせることの一石二鳥です。
「わたしがやる!」
何しろナマケモノの私のことですから、誰かに尻を叩かれるか、自分で人参をぶら下げるかしないと動かないのはわかっています。だから自分で自分の尻を叩くことにしました。
HTMLの本を買ってきて、手探りでオフ会の写真をサイト化しました。ひとつできると、また新しいタグの知識が入って来て最初からやり直しを繰り返し。完成までなんと半年かかりました。幸運だったのは職場にこの技術を持っている人がいたので、わからなくなるとお昼休みにおやつを持って聞きにいくことができたことでした。
そしてできたオフ会のサイトはアップロードではなく、CD-ROMにして参加者に配りました。最後のページは、スターウォーズのように宇宙空間にみんなの名前が飛んでいくデザインにしました。
「待たされたかいがあった」とは口の悪いメンバーの喜びの声。
これを契機に、仕事でもHTMLを使って「ダウンロードセンター」を作り、いちいち他部署へ用紙をもらいに行く手間を省き、用紙に手書きをするのではなく、wordに自分で打ち込めるようにしました。また、職場のHPの一部を作ったりしていました。
職場には電算管理者(レトロな名前だ)はいたのですが、なにぶん夢も希望もない殺伐としたオトコで、「きれいで見やすくて便利なHPを作る」という概念すらなかったのです。
知人の保育園のサイト作りはとっても楽しいものでした。子どもたちの写真を載せるために何度も保育園に通ったのですが、そのたびに子どもたちと触れ合えて、乳幼児は抱っこさせてもらい、サイトに沢山の子どもたちの笑顔を載せることができました。(セキュリティの問題については、保育園側との話し合いにより、妥協点を見つける)
そしてモラハラを知った時、すぐにサイトを作ることができたのは、この経験を通してHTMLを使うことができていたからです。もしこれがなかったら、「モラル・ハラスメント被害者同盟」は誕生しなかったかもしれません。
何事も準備が大事。自分の引き出しは増やそう。スペシャリストにならなくても、底が浅い知識でも、沢山持っていれば後から何かの役にたつことは、きっとあるものです。
日曜、地震があった翌日、とりあえず母に安否確認をしました。ほんのちょっとケガをしたり、具合が悪くなった時は向こうから連絡があるので、何もないということは無事だということなのですが、ともかく母は自分を気遣って欲しいという欲求がモリモリなので、電話1本で済むならまぁいいかと思ってかけました。
当然何事もなく無事で、地震の時は職員の方が一部屋ずつ安否確認をしてくださっていたとのことで、これは母も「心強かった。安心だった」と感謝していました。
そして続けて言ったのは、「なんだかヒデト(弟仮名)が冷たいのよぅ。電話1本かけてこないし、こちらからかけてもぶっきらぼうで」
残してきた家の状態が気にかかるけど、家の管理を任せている従兄弟に連絡がとれるのは弟のみ。弟を通さないと従兄弟とは連絡がとれない。
「いいわ。なんとかなるでしょ」と母。急にふっきれた。弟が優しくしている間は依存して「あれしろ、これしろ」と言っていたのに。
今年の正月、1月1日にいい気持でお酒を飲んでいる時にいきなり電話してきて「これからお前の家に行く」。病み上がりがいるからダメと言うと「じゃ、姉の家に行くから連れていけ」と言われ、往復4時間かけてのご奉仕を強要されたのだから、もう勘弁してくれなのだと思います。
詳しくはこちら
依存する先の人はいつも利用されます。断れない人はこの依存先になります。しかたがないといつも引き受けていると、誰からもその苦労をわかってもらえず、「それは〇〇がいつもしているから」で、なぜかひとりでやっかいを背負い込むことになります。
そしてその要求は次第にアップグレードし、背負いきれなくなっても要求は止まらず、結局自分の周りの人に当たり散らしたりして自分の立場を悪くします。
何かを引き受ける前には、それは全部自分がしなければならないことか、他にする人はいないのかを考えて、いつも誰かの依存先になってしまう人にならないようにしましょう。
でも、断れないという方は、断るセリフをいくつか準備しておきましょう。時間がないでも、やれる自信がないでもいい、断るときは大げさな芝居をして「ああ~、やってあげたいんだけど、今別のことでいっぱいいっぱいなんだ~」とか、「中途半端にやって途中で投げ出すとご迷惑をかけるから」でもいい。とにかくセリフを用意しておく。
ちなみに私は20代の時に「母の老後の面倒はみられない」と弟と母にきっちりと宣言をしたので、両方とも私を介護人にすることは無理だとわかっています。できないのにあたかもできるような中途半端な態度をとると、事を複雑にします。
母は子どもには頼れないとわかったら、日常の不満は別のところで発散する方法を自分でみつけるでしょう。そういう方向に仕向けるのが、結局はみんなのためになります。
昨日テレビ朝日の「ワイドスクランブル」でいろいろなハラスメントについて放送されました。モラハラ被害者同盟にも家庭内ハラスメントの実情を聞かせて欲しいと取材がありました。
その中で私が提示したのは「性的DV」でしたが、それについて概要をお話しすると「これはもうハラスメントではなく事件」である、これを扱うには時間が足りないとのことで取り上げていただくことは叶いませんでした。
性的DVは配偶者を自分の欲求を満たす道具として扱うものですが、これをオブラートに包んで人に言っても「愛されている証拠」「あなたに魅力があるから」と、かなりズレた反応があるだけです。もしズレたものではなく、実際の描写をすると相当ヒかれる。なぜなら時にはAVまがいのものもあり、正視できるようなものではないからです。
性的DVは相談を受けていてもなかなか最初に話があることはなく、何度も相談を重ねるとほんの少しずつ出てきたりします。実際モラハラ状態ではあるけれど、性交渉は問題なくバッチリという理屈は通りません。無視をされたり理不尽な理由で怒鳴りつけられたり、こちらの要望は一喝して終わりというような相手に愛情が生まれるわけがありません。
女性は男性と違って愛情がなければ性交渉はできません。(これを生業としている人を除く)
さて、DV界では性的DVがトレンドになりつつあります。
全国シェルターネットの最新情報 性的DV・パートナーからの性暴力についての声明
これには被害者の実際の声が集まっています。もしこれが夫婦間でなく行われたのであれば大事件ですが、籍が入っているというだけで事件にはならない。
とはいえ、文中に「配偶者間の検挙件数は強制性交等罪6、強制わいせつ罪2」とありますので、訴えれば犯罪として取り上げてもらえるものもあるということです。
夫婦間レイプは「秘め事」ではなく、世間にこの存在を知らしめる時がきたように思います。
私は四季の中で冬が一番好きなのです。というと「え?!」と驚かれるのですが、私は暑いのと日光が苦手なのです。夏、外に出るのは夕方過ぎというドラキュラ生活(笑)
東京の冬は雪もなく、毎日晴天なので(この時の日光はさほど気にならない)、お弁当を作って自転車で遠出して、川べりでランチをするのが至福の時です。
そして冬のお楽しみは深谷葱に代表される、ぶっとい葱を使ってのお料理がもうこれ以上ないくらい好き。いろんな具材と一緒にとろとろに煮込んだ鍋物もいいし、魚と煮込むと、主役は魚よりも長葱。アクセントに生姜。
スーパーには長ネギの青い部分を切り落として売っていますが、八百屋さんにはちゃんと青い所もついて売っているので、買ってくるとまず青い部分と白い部分を二分割して冷蔵庫に保存します。
根はプランターに挿しておくとまた生えてくるとのことですが、うまくいったためしがない。
近くに焼き鳥が安い冷凍焼き鳥を売っているお店があるので、それを解凍する時はオーブントースターに長ネギと一緒にのせて焼きます。調味は当然塩。主役は鶏から出た脂にまみれた葱。
春になって暖かくなるのは少し嬉しいけれど、この長葱が無くなってしまうのが寂しい、けど、代わりに新玉ねぎが出てくるとまたじゅるっと。
新玉ねぎって、どうやっても旨いよね~、ううっ。玉ねぎと言えば淡路島が有名ですが、去年友だちからもらった「ふるさと納税でもらった玉ねぎ」が絶品だった!簡単に食べるときは厚めの輪切りにしてバターと醤油でチンの玉ねぎステーキ。じゅる♪
ともかく野菜の中で一番好きなのが葱といういうくらい葱が好きなのです。
昨日の夜の地震、かなり大きく、長く揺れました。低層階の鉄筋の建物でこれだけ揺れたので、木造の建物ではかなりの揺れだったのではないでしょうか。
地震によって身体や財産に被害のあった方には心よりお見舞い申し上げます。もし募金の話が出たら早速協力したいですが、東日本大震災の時に変なことに使われたものがあったようなので、〇〇に使います(校舎に被害があったので直しますとか)というピンポイントのものに出したいなぁ。
東日本大震災からちょうど10年で大きな余震が来ましたね。地震帯にお住いの方は気が抜けない日々で憔悴されているのではないでしょうか。繊細な方はひとりで怯えずに、寄り添ってくれるところと繋がって下さいね。
<<0120-279-338>>
こちらに24時間対応してもらえる電話相談の一覧がありますので、かけてみて欲しいのですが、なにぶん繋がらないことが多いと聞いています。諦めずにかけてみてください。全国の自治体にも相談室があると思うので、区役所、市役所、役場に電話をしてみてください。
今朝の気象庁の発表、女性の方でしたね。森さんの発言であちこちで「女出せ」と言っているのではないかと思ったりして。これが一時のなあなあで終わりませんように。
USAのサキ報道官。ほれぼれしますね。本当にかっこいい。中国の華 春瑩報道官は毎度腹立つけど、キッとしてて仕事、できるんだろうなぁと思います。
早く日本もおっさんじゃない人が報道官として登場しますように。
そうなったら森さん騒動も悪くなかったなということになるんじゃないかと。
森さんの「女が会議に出ると長くなる」発言は撤回しても、与党議員から退陣の話が出なくても外圧が許さず、結局辞任するみたいですね。
私は森さんという方はもともとそういう人だと思っていましたから、発言にそう驚きませんが、ともかく80歳を過ぎて、長く議員をやっているのに、まだ言っていい場所(ステーキ屋やふぐ料理屋)と言ってはいけない場所がわからないという、こちらの方をどうにかして欲しいと思います。
それよりもオリンピックのボランティアをすることになっている私は、森さんよりも二階堂さんの方の発言の方が頭に来ました。
”「どうしてもおやめになりたい」場合は追加で募集をかけざるを得ない”とは、政治家の言葉での発言ですが、これを訳すと「辞めたければ辞めれば?どうせやりたい奴はいくらでもいるし」ということです。
ま、政治家とか役人とかはボランティアをその程度にしか思っていないということですよ。補充なんかいくらでもきくと。
私がボランティアを希望したのは、生涯でオリンピックが2回ある(あった)。その1回は開催地に住んでいるという奇跡。これを受け止めねばなるまいよと思ったからです。
日本国に住んでいる人でボランティアをしたい人は大勢いますが、何しろ10日間東京にいなければならない。ここでほとんどが脱落する。そして仕事をしている人が10日間休んで任務につかなければならない。ここで更に脱落する。
この2点をクリアした人たちは、申請書を送り、面談をし、代々木のオリンピックセンターで研修を1回受けなければならないのです。私も受けましたが、結構日本各地から集まっていました。面談や研修のために交通費や宿泊費を使って、東京に来ている方が大勢いたのです。
その申請書で少しでも有利にするために、語学学校に通ったり、スポーツボランティアをしていた人も大勢いました。オリンピックにはスポンサー企業も参加する。人脈もできるだろう。何か次の人生のきっかけになるのではと、仕事を辞めた人もいます。
その熱意や努力を「やりたい奴らは他にもいるから」とは何事か。勝手にお前らが応募したんだろって言うんだろうか。当初人が集まらなくて、募集団が全国行脚してやっと集めたのではなかったか。この人たちの苦労や努力をブチ壊してどうするのだろうか。
代々木スポーツセンターの研修では、多様性や障がい者の方についてどう考えるかという、とても考えさせられる良い映画を見ました。森さん、あの映画を見たのだろうか。
私は今のところ静観です。だって、オリパラそのものがやるんだかやらないんだかわからないんだもの。今のところ「無理でしょ」の声が大きいですね。ユニフォームのサイズ合わせも終わっていたから残念だけど、人間生きていると予想外のことが起きるものですよ。
それより、選手の方たちは一生をこれにかけていたでしょうから、そちらの方を気遣って欲しかったなぁ。森さん、二階堂さんに考えて欲しいなぁ。
ふたりの写真が並んでいると「暗黒街のふたり」という映画のポスターに見えてきました。政治の世界って、暗黒街みたいだし。