共同親権パブコメ締め切りまであと1週間

みなさま、法務省がただいま募集している共同親権に関するパブコメにはもう応募されましたでしょうか。

書き方がむずかしい、何を書いたらよいのかわからないという方は、
単独親権続行の乙案にしてくださいと書いてご自分の体験を送るだけでも大丈夫です。

モラ夫と暮らしている時にどんな理不尽なことがあったか、離婚してからどんな嫌がらせ的なことがあったか。モラ夫と接点がなくても、いつも結婚していた時に夫から浴びせられた言葉が忘れられないという方はいます。それはモラ夫があなたの脳内に残した傷です。

「忘れ物をすると夫の怒鳴り声が聞こえる」

「時間に送れそうになると、心臓がどきどきする」

「夫に似た人を見るとすーっと血の気が引く」

みんなモラハラ生活の後遺症です。何年たっても後遺症に悩まされている方は多いです。共同親権のパブコメにこういったことを書きましょう。

離婚してからもずっと連絡を取り続けて、夫と話し合い(できません!)をしながら子どもを育てる、常に自分の居場所を夫に伝えなければならないようになります。

今が歴史が変わる分岐点です。

短くてもかまいません。ぜひパブコメに応募してください。

みんなの一通一通が積み重なって、また違う世界が産まれるかもしれません。

書き方、応募先は↓

あと1週間で締め切りです。

ぜひぜひ参加しましょう!

「小説8050」から思い出すエピソード

林真理子さんの「小説8050」は、50歳のひきこもりの子どもを80歳の親が養うという、8050問題にフォーカスした小説でした。

外からみたら幸せに見える4人家族には秘密があった。それは医学部を目指していた息子が7年間部屋に引きこもっているということである、というのがこの小説のプロローグでした。

あああ、と思い出したのは遠い昔のこと。

義母がとても仲良くしていた隣家に住むご一家は家を建てて同じ市内に転居しました。遠時はまださほど手がつけられていなかった郊外に広い土地を買い、その土地が値上がりし、銅板きの大きな家に住んでいました。

妻の方は体も豪快でしたが、こういった投資的なことも豪快で、裕福な生活をしていました。ふたりの子どものうち、上の子は大層勉強のできる子で、「将来は弁護士」の期待をかけていました。

豪邸に転居してからも、義母は時々この家に招かれましたが、義母の家から少し離れた郊外にあったので、家族の中で唯一車の運転ができる私が送り迎えをしていたりしていました。

そんなある日の朝突然に「XさんとこのAちゃんが縊死(この言葉ではないですが、結構ショッキングな単語なので言葉を変えました)したって!!」と義母から電話がありました。

「え??!!」と驚いたのは、その「XさんとこのAちゃん」とは何者ぞやが??を沢山つけて頭の中を駆け巡ったからです。

仲良く行き来をさせていただいていましたが、Aちゃんという名前が出たことはほとんどないので、いったい誰が縊死したのかが一瞬わからなかったのです。

ともかく職場に半日休暇の電話を入れて、義母を車で迎えに行きXさん宅へ向かいました。いったいAちゃんはどこにいたのか、なぜXさん宅で亡くなったのかという私の疑問に義母は「たぶんあの家のどこかにいたんだろうねぇ、私は見たことはなかったけれど、来客が来ている時は出てくるなって言ってたのかもしれない」と答えました。

Aちゃんは有名私立大学を卒業後、弁護士を目指していたけれど願いはなかなか叶わず、県庁や地元マスコミなど有名企業を受験するも、

「一次は受かるんだけど、どこも面接で落ちるんだって」

「よっぽど暗かったんだろうねぇ」

司法試験を受け続けていると聞いていたけど、こんなことになるなんてと義母も顔を曇らせました。

Xさん宅に着くと子どもが縊死したとは思えないほど明るく迎えて下さり、「さぁさぁ奥へ」と案内され、「早智子さん、Aの顔を見て行ってくれる?」と言ってくださったのですが、ごめんなさい、「ひぇーーーー」と心の中で叫び、生きている時に一度も会ったことのない人の縊死顔はとても見られないと(当然口には出さず)お断りしました。

Aさんは司法試験を受け続け、疲れ果てて亡くなったのかもしれません。

「あのお宅が隣に住んでいた頃、よく『そんなことでどうするのよーーー!』というXさんの怒鳴り声が聞こえてたわ」

親の期待というプレッシャーの中、彼が選んだのは縊死でした。

Aさんのお葬式の読経で、「○○大学法科を出て」と卒業した大学名が入っていました。「お経に出身大学の名前が入ってたのは初めて聞いたわ」と友だちに言うと、「きっとお母さんが頼んだんだよ」と。

Xさん、子どもが縊死した後も、子どもの大学名を参列者に知らせたいと思ったのか。

現在受験期で、受験生がいるお宅は大変だと思います。子どもの受験に親がウロウロしてどうするとか、子どものことは子どもにやらせろとか、様々なことを言う人はいますが、私も同じ道を歩んできましたので、受験生の親がどうにかなるというのはよくわかります。私もどうにかなっていました。

私は自分の受験の時に母からひどい言葉を投げつけられたのを今も忘れません。受験生は外からどう見えようと、神経をすり減らして精一杯やっています。志望校に落ちたからといって人生が終わるわけではない(わかっていても終わりそうな気がするというのもわかります)、ここは少し冷静に、少なくとも子どもに「この言葉は墓場まで持っていく」と思うような言葉は使わないようにしたいものです。

教育費は自己満足だったかもしれない

受験シーズンになり、受験生の親御さんは目が血走り、頭の中は「もし落ちたらどうしよう」でいっぱいだと思います。

過ぎてしまえば自分もそういう状態だったなと懐かしんだりもしますが、当時は本当にどうかしていました。「受験は子どものことだから、結果は子ども次第でしょ」と達観している人もいますが、私は子どもが地方の高校だったので、「落ちたら人生真っ暗」という気持ちでした。

地方は高校名で一生が決まってしまうと言っても過言ではなく、就職やアルバイトは履歴書に書いた高校名で粗選抜をしたりします。「高校名で地頭(じあたま)がわかる」と、地方に住んでいる多くの人が思っています。地頭が悪いと物覚えが悪いし、失敗も多い。教えるのに手間がかかるということです。

入試は一発勝負。たまたま体調が悪かったり、運がなかったりして落ちた人もいるかもしれないのに、「あそこんちの子○×高校」と、お茶飲みしながらおばあさんたちは口が悪いにもほどがあるほど、噂話のネタにします。

だから地方には中学浪人がたくさんいます。中学浪人用の予備校もあります。家にお金のある家は、県外の私立をダブル受験させ、県内の高校が落ちたらそちらに進学させます。

そういうルートで東京の私立高校に進んだ友人は「高校生の時から一人暮らしなんかさせるもんじゃないですよ」と言っていました。

「子どものためとは言うけれど、結局親の見栄じゃないですか。自分の子どもがFランク高校に行っているといいたくないんでしょ。高校生活は思い出したくないほど嫌でした。かといって県内の低ランク私立高校だったらやっぱり嫌かもしれないですけどね」

私は東京の生まれ育ちではないので、いったいどういう高校の順列かわからないせいもあって、まったく関心がありません。そしてずっと住んでいた友人たちの会話の中に高校名が出ることはまずありません。

「あそこんちの子、どこの高校?」も「どこの大学?」もありません。それは住んでいる人たちのマナーとしてそういった類のプライバシーには触れないのが暗黙マナーとして行き届いているのだと思います。

地方は塾がそもそもないか少ないので、通信で勉強している子もいれば、学校が受験生に向けて行ってくれる補修授業を受けたりしています。だから東京に住んでいる人たちよりも極端に教育費は少ないです。

でもなぁ

#小さな頃から塾に通っている東京の子たちと、受ける大学は一緒じゃん

東京の子たちは「伸び切ったパンツのゴム」のようなもので、伸びるだけ伸ばされてから受験をするので、もう伸びしろがないところで受験シーズンに突入することになり、本人のモチベーションが上がらないんじゃないかなぁと思います。

「一発屋」という、本番にだけめっぽう強い子どももいます。←たぶん地頭が良い

東京の親は小さな頃から教育費、塾代にお金をかけることで、「やるだけやった」「結果はしかたがない」というしっかりとした諦めをすることへの担保として、塾代をかけている人も多いんじゃないかと思います。

私もあの時お金をかけたらよかったなーと後悔しないよう、子どもの教育費にはお金をつぎ込んだので、まったく思い残すことはありません。

お金を存分使った、自己満足です。

韜晦(とうかい)ってなんだ?

とある本を読んでいたら「彼は韜晦を装うこともあった」とありました。

韜晦ってなんだ?そもそもどう読むんだと思ってググると「とう‐かいとは1 自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。2身を隠すこと。姿をくらますこと。」出典:goo辞書「韜晦 意味」とあります。

どうも本の文脈からいって、この場合は1のようです。

なるほど、要するに水戸黄門ですねー。

自分の身分を隠してただの老いぼれた爺さんと思わせ、土壇場になって印籠を突き出して「控えおろー、この方を誰だと思っておる」というあれ。

自分は本当はできるんだけどできないふりをしている人っていますからね。

これを奥ゆかしいととるか嫌らしいととるかは場面によって異なるでしょう。

ある時外国人が困っていて、片言しかできない人がさもすごくできますよ風に話しかけて、でもそれほどできないので結局わからなくなって困ってしまったら、そばで見ていた人が流ちょうな英語で話しかけました。

問題解決の後、最初に話しかけた人は後からの人に「できるんだったら最初から言ったらいいじゃないですか」と怒ってしまいました。バカにされたと思ったのかもしれません。

でも、後から話しかけた人は「自分が行かなくても他の人ができるなら特に自分は出る必要はない」と思っていたのかもしれません。

これは場面を読んで、「必要なら行くけど、必要ないなら黙っている」という行動だと思うのです。大体このような場面で自信ありげな人というのは実際はそれほどの能力はなく、そばで何も言わない人の方はすごい能力があったりします。

私はどこから見ても普通のもったりしたおばちゃんですが、普通のおばちゃんよりもちょっぴり機械ものが触れます。どうやら男性たちはおばちゃんは全員ITが苦手と思っているらしく、とうとうとPCの使い方などを教えて下さる方がいます。

「それ、全部知ってますけど」とも言えず、「はい、はい」と伺っていて、相手が「だからここをね」と触って動ない事態になり「あれ?あれ?」となってしまったりすることがあります。

その時に「あー、なんかこのあたりを押してみたらどうですか?」と遠慮深く言うと、「あ、動いた、動いた。よかったよかった」となります。

このあたり、相手のプライドを傷つけないようにしないと後がややこしくなるので、ずっと「あなたはすごいですねー」という態度で臨まなければなりません(めんどくさ)

本当はできるんだけどできないフリをするというこの場合も韜晦になるのかもしれませんが、今までずっややこしい人間関係に揉まれた経験から言うと、「さほどできないのにできるフリをする」のは墓穴を掘ることになるのでやめておいた方がよろしいと思います。

世の中には能力のある人が山ほどいて、私はまったくできない部類の人であると思っていた方がいいです。

黙っていて「もしかすると、こうかもしれませんね」と奥ゆかしく遠慮がちに言ってそれが正しいとなると、相手から「すごいねー」尊敬されます。

能ある鷹は爪を隠す

韜晦はこのことわざの別の言い方なのかもしれませんね。

#昔「能あるブタの爪はチョキ」と言っていたww

育児休業中に学び直しをしましょう案

 岸田文雄首相(65)が27日の国会答弁で、賃金上昇やキャリアアップに向け、産休・育休中のリスキリング(学び直し)を「後押しする」と発言したことについて、ネット上で批判が殺到している。

https://www.sponichi.co.jp/society/news/2023/01/29/kiji/20230129s00042000211000c.html

これによると、そもそもこの発案者は自民党の大家敏志議員(福岡選挙区)で、岸田さんがこれを後押しするといったことでネット上で大批判を浴びているということですよね。

産休や育休中の生活がどんなに過酷か知らない人が政治をしているから、あちこち変なことになってしまうのですよ。3時間おきに起きて授乳し、寝かしつけて寝る、家事は誰もやってくれず、洗った先から吐いて汚すをくりかえす。それを毎日数か月(私は1日も休まず2年間でした)の繰り返しをやってみてから言って欲しい。

毎日ルーティンの家事と一緒にいつ泣くかわからない、泣いたら1時間でも2時間でもしぶとく泣き続ける赤子の世話なんてしたことがないんだろう。必要なのは学ぶ時間ではなく睡眠時間だと、やったことのある私は本気で思います。

とはいえ、私が産休中に「働いている方が楽でしょう」と言った専業主婦もいたので、どっちもどっち。

元に戻ってなぜこの発想になるかというと、ともかく女性に働いてもらい、税収を上げたいからにほかなりません。もうお役人ってどう税収を上げるかしか考えてないのかと思うくらい、最終的にはそこに行きつく。

男性の税収が底打ちなので、目をつけたのが女と老人。働け働け、税金納めろということです。

ただ、私の知人に育休中に資格を取りまくっている人がいるので、全部を否定はしません。30代の彼女は3人の母。二人は保育園、一人は自分で家で面倒をみています。二人の保育園は片道1時間半かけて車で送り迎えをしています。夫はシフトの仕事なので、いつも手伝ってもらえるわけではありません。

「大変じゃない?」と聞くと「子どもが寝てる間とかに集中してやるの」「ついやりすぎて2時とかになっちゃう」という勉強好き。

たぶん前出の国会議員はこのような人が周りにいるのではないでしょうか。確かに議員さんや国会にお勤めするような「デキる」女性たちは手早く雑仕事を終わらせて勉強するというような器用な方が存在します。いわゆるスーパーウーマン。

家事も仕事もちゃちゃっとやっちゃう。その人を見ていたら、この「育休中に学び直し」という発想が出てくるかもしれないし、そういう方に「こういう案はどう?」と聞いたら「いいですねー、やってくださいよ」というかもしれません。

でもそういうスーパーウーマンは一般社会にはそう多くはいません。そこをわかって欲しいかなー。

議員も自分の周りで「いいですねー」と言われたから言っただけで、こんなに反発が来るとは思わなかったのかもしれません。

国会議員の周りの人は特別な人なの!一般市民とは違う人種なの!

そこがわかっていないから、他の施策も?マークが沢山つくようなピンボケのものになる。

国会議員よ。天から地面に降りてきて、一般市民と同じ生活してみてください。

いかに自分らが世の中知らないかわかるから。

自営業の将来、老後の暮らし

私の実家はサラリーマンだったので、自営業の家の金銭感覚がわかりませんでした。私のサイト内の「OGのお仕事紹介」コーナーでシナモンティーさんがカフェ経営について書かれていますが、その中で

”融資を受けることは借金を作ることなので勇気がいりますが、 飲食経営は「借金は財産」です。滞納しなければ融資の額が増えますので、それだけ信用が付くことになります”

と書かれているのを見て、そういうものなのかーと目から鱗でした。

勤め人しかしたことのない私にとって、自営業は未知の世界です。いっとき「好きな時に本を読んだり、ネットしたりできて快適だよ」とお誘いを受けたことがあるのですが、何しろ臆病なので、お金がどんと入る時もあれば、まったくない時もあるというこの不安定さはとても怖いものがあります。

何時から何時までは体は勤務先のものだから自由にすることはできないという縛りはありますが、その報酬として決まった日に決まった額が振り込まれる安心さには代えられません。

さらに自営業の場合、満額でも65,000円の老齢基礎年金しかもらえないので、勤め人ならもらえる厚生年金の代わりを自分で何とかしなければなりません。

自営業で羽振りのいい人はそれなりにしっかりとたまっているでしょうが、個人営業的な自営の場合は老後2,000万どころの話ではないと思います。もっともっと必要です。あるいは定期的に入ってくる収入を確保する必要があるでしょう。

私も還暦を過ぎ、「友人との会話は健康と年金」というご多分にもれない状態になっています。

シングルマザーの老後は子どもたちが自立した後自分一人の生活になりますから、口うるさいモラ夫といるよりもずっと快適ですが、自分の食い扶持を、確実に自分ひとりで用意しなければならないという重荷もあります。

私は「だれかに生活の面倒をみてもらう」という発想がそもそもないので、すんなり自分の老後の生活設計をしてうまく軌道にのっていますが、生活費は誰かが稼いでくれるものと思っている方が離婚をすると、老後はかなり厳しいものになります。

個人事業主は定年がないからいつまでも働けるとは言いますが、いつまでもは働けません。60歳を過ぎると体力も気力も脳力も衰えますし、客商売ならば沈む一方ということもあります。

私は個人事業主一本よりも、勤め人をしながら副業で仕事をするというのが一番いいと思うので、ずっとその方式で仕事をしてきました。

年金を手にするようになって、それは正解だったなーと思います。

陽のあたる部屋は暖房いらず

我が家のリビングは南向きにベランダがあります。ここには今お正月の定番、葉ボタンとパンジーの寄せ植えと3種の色のゼラニウム、南天とパンジーの寄せ植えの鉢があります。(万年青は室内に避難中)

そして去年100円で買ったキンギョソウがいったん全部花が落ちて葉だけになったものの、また新しい芽が復活し、黄色い花を咲かそうとしています。

1月の厳寒期ですが、このリビングには日中は暖房を入れていません。確かに朝晩は寒いのですが、朝は日が昇る時間になると春のように暖かくなるのでエアコンは切ってしまい、夜はすこし寒いのですが、去年買ったこの充電式湯たんぽに足を突っ込むと充分暖かい。

これにひざ掛けをかけるともう他の暖房器具はいりません。11月分~12月の電気料金がクレジットに上がってきていますが、3,400円でした。本格的に寒くなってきたのが12月からなので、2月請求分の電気代を見なければならないのですが、たぶんそれほど高くならないのではないかと思っています。

これはひとえにこの鉄筋コンクリートでできた建物が、昼間の暖気を閉じ込めて、それが長時間部屋を保っているからではないかと思います。

では夏は暑いのかと言えばそれはなく、外の熱気を建物が防いでくれて、エアコンは必要ですがそこそこ涼しい。

夏の一番エアコンを使った時期の電気代は5,600円でした。寝室は寝ている間中エアコンをつけっぱなしにしていました。

大きな光熱水費高騰の元になるお風呂は、私は100%ジムで入るのでまったく影響がありません。本当に湯水のようにお湯を使って毎日洗髪しています。髪を乾かすドライヤーも電気代がかかるものですが、当然ここで乾かすので家での使用はありません。

80歳を過ぎたような高齢の方たちもジムを銭湯としているようで、体は動かさないけれど同じように毎日通われています。銭湯並みの大きな湯船が複数とサウナもあります。サウナには時々入ってじんわりと体を温めています。

ジムのお金は13,000円と安くはありませんが、もしうちでお風呂に入ることになったら、光熱水費が相当上がってしまうことになります。実際コロナでジムが閉鎖していた時は「え?」というくらい光熱水費が上がったので、お風呂は1日おきにしていました。

よく「光熱水費の高騰で」とニュースで聞きますが、我が家においては実感がありません。一人暮らしの光熱水費は1万円で足ります。

お部屋を選ぶときは南向きがやっぱりベストです。東向きだと午前中は明るいのですが、午後からすごく暗くなる部屋があります。西側に窓があると当然西日で暑くなります。

また、一番上の階にすると屋根の熱気が直接伝わってきますので夏は暑くなります。両端の部屋にすると同じように外気温を直接受けるので、暑くなったり寒くなったりします。

あまりないでしょうが、高層マンションは外に出るためにエレベーターを使わなければならず、そのエレベーターがなかなか来ないということで、外に出ることが億劫になってしまい、運動不足の原因になるそうです。

避難先のお部屋を決める時の参考にしてください。

今回のパブコメでの養子縁組の問題

今回のパブコメでは再婚し、子どもと結婚相手が養子縁組する件も触れられています。

これも甲案と乙案があり、乙案が現状維持で再婚して子どもと相手が養子縁組をフリーにできる状態です。

実は以前から指摘されていたのは、実の父親が自分の子が他の人と養子縁組をしていることをまったく知らない状態でよいのかということでした。

だから今回これが盛り込まれたのかなと思います。

共同親権になった場合「重要事項は協議する」ことになりますので、この養子縁組も協議することの中に入ります。つまり夫の同意がないと養子縁組できません。

「えーー、モラ夫が嫌がらせをして許可しないでしょう」と言われるかもしれませんが、私は全部が全部そうとは限らないと思っています。

養子縁組をした場合、子の父親は養育費を払う必要が無くなるからです。

「養育費がチャラになる」

なんと甘くて素晴らしい響きではないでしょうか。これにのらないケチ夫はいないのではないでしょうか。

だから「養子縁組どうぞどうぞ」という父親は多いだろうなーと思っています。

ただ、問題なのは養育費を払っていないのが8割という現実です。この「どうぞどうぞ」は2割しかいません。そのうちの再婚する方がどれくらいいるのかはわかりませんが、養育費は払わない、養子縁組は許さないという親が出てくるだろうなと思います。

そもそも離婚後、相手がどこに住んでいるかわからないケースは山のようにあると思いますが、これをどうするのか。どう知らせるのか。

それは共同親権になったら居所を明らかにするという項目がありますので、ここでカバーするのか。

養育費の支払いが棚上げのまま、別のところに手をつけようとしているのはいかがなものかとこの件からも感じられます。

寂しい週刊朝日の休刊

週刊朝日が今年5月末で休刊になるとのニュースを聞き、驚きとともに寂しさや、この時代にの流れではしかたがないという気持ちが混ぜこぜになっています。

こちらにモラハラ被害者同盟がどのメディアに掲載され、協力してきたかの一覧があります。

https://morahara.cocoon.jp/media.html

ここに書いているように、モラハラを一番最初に取り上げて下さったのが週刊朝日でした。突然担当者の方からメールをいただき、職場から帰る途中の車の中で、担当記者さんと電話でやり取りしたのを今も忘れることはありません。

車外は雪と氷の暗い道の脇に車を止めて、どういう趣旨の記事になるのかを伺いました。

些細な家庭内のいざこざを妻が被害妄想で喚き散らしているとだと面白可笑しく掲載するのではなく、社会的な立場からこの現状を報道するというのだという担当者さんの言葉に納得し、東京からお出でいただくということにびっくりしながらも、取材をお受けしました。

初めての取材は私一人では心元ないので、地元のDV関係の方に同席をしていただき、ホテルの喫茶ルームでお話させていただきました。

2005年2月18日号、表紙は沢尻エリカさんのこの号が、華々しいモラハラメディアデビューの号でした。それ以後、沢尻エリカさんのニュースは親戚の子のように受け止めてしまいます。

その週刊朝日の記事を見たNHKの方から取材を受け(日の目を見ず)、その後、同じ朝日系列の新聞、主役が女性なので女性週刊誌、そして、ホップステップのステップにあたるのがフジテレビの「こたえてちょーだい!」と続き、今に至ります。

私が最初にサイトを立ち上げた理由、「沢山のモラハラで困難な人生に陥っている人たちにこの事実を知らせたい」という希望は、ネットと、アナログメディアによって日本中に広がりました。

週刊朝日はまさに私の恩誌です。その恩誌の休刊は一時代の幕引きのようにも思えます。

週刊誌を定期購読する個人などほとんどいないでしょう。ヘアサロンに行っても週刊誌ではなく、タブレットが置れています。病院の待合に週刊誌を置いている所は数少なくなりました。みんな順番待ちの時には自分のスマホを見ていますから、需要が無くなったのです。

週刊朝日とは18年間のおつきあいとなりました。さびしいなぁという思いは尽きないのですが、あの凍てついた冬の車中の情景は、たぶんずっと私の心の中に残っていると思います。

モラハラ被害者同盟20周年です

1月19日でモラハラ被害者同盟は20周年となります。

元夫が成人の日にブチ切れて大暴れして実家へ行き、そこから4日目くらいにこのサイトを立ち上げました。

いろんなことがあった20年でした。20年前にサイトに立ち寄って下さった方々と同窓会でもしたいところです。あの頃、モラハラに悩んでいた方たちはどうしていらしゃるかな。みんんな幸せだといいな。

あの頃と比べて、モラハラを取り巻く環境は大きく変わりました。もう「モラハラって何ですか」と言われることも無くなりました。

#その代わり、思い違いをしている方も増えました

広辞苑にモラル・ハラスメントが入り、どこでも「モラハラ」が出没しています。20年前には考えられないことでした。こんな日が来るとは思いもしませんでした。

あのコタツテーブルに乗ったノートパソコンから、世界が広がりました。パソコンも5代目のものです。あの頃必要なかった老眼鏡が今は必需品に、立ち上がる時には「どっこいしょ」と掛け声をかけるようになりました。

後どれくらい続けられるかわかりませんが、あとしばらくお付き合いいただけたら幸いです。