旅にまつわるエトセトラーその4 添乗員が苦手

こちらに書きましたが、私は添乗員さん付きの旅行が苦手です。団体旅行はいわゆる航空券とホテルがセットになったフリーツアーなら行きますが、びったり添乗員さんにくっつかれてする旅行はどうもなじめないのです。

その元凶となった出来事は、まだ結婚していなかった頃、友人と海外旅行で起こりました。新婚旅行がハワイならば豪勢と言われた時代でしたから、その旅行は最初で最後の海外旅行のつもりで、J〇Bのかなり頑張った金額のツアーを(借金して)予約しました。

そのツアーには男性の添乗員さんが日本から同行しました。現地に着けばその国のガイドさんが付きますから楽ちんだと思うのですが、そう言うと添てんさんに叱られるかも。

その方は年の頃は40代半ばと思われる男性添乗員ですが、この人の物言いがとても冷たい。恐る恐る言葉を選びながらお願いしたりしていたのですが、決定的だったのは

「あのー、ここに行きたいんですが」とガイドブックあった場所を示すとひと言。

「行けばいいじゃない」

だから、どう行けばいいのか、バスなのか歩きなのか、Googlemapが無い時代、どうやって行けばいいかわからないから添乗員に聞いたのに、「行けばいいじゃない」

しかもこの添乗員、お金持ちと美人には優しいのですよ。どちらのカテゴリーにも入らない私たちはみそっかす。

当時、連れていかれるお土産屋で買い物をすると、添乗員のふところにキックバックが入ってくるしくみだったらしく、大した買い物もしない私たちなんか見向きもされなかったわ。

そしてその後、再び友人と参加したツアーの現地ガイドはどうも先輩と新人らしい男性ふたり。バスであちこちに行った後、たまたま4人になって、「オレはこっちにする。お前はそっちにしろ」と、ナンパ。

#客をナンパしてどーすんだよー。しかも「お前はそっちにしろ」って失礼じゃない(ぷん)

この2回でもう添乗員さんという人がいるツアーには参加したくなくなったのです。

旅にまつわるエトセトラーその3 深夜特急

深夜特急(ミッドナイトエクスプレス)は沢木耕太郎のベストセラーです。バッグパッカーの聖書とも言われています。1986年の発売ですが、それまでの聖書は小田実の「何でも見てやろう」でした。

どちらも青年がバックパックを背負って世界中を貧乏旅行する話ですが、旅行の途中で起こる出来事や出会う人たちが生き生きと描かれ、今も色あせることはありません。

私は深夜特急が最初に出て時に買い求め、1・2巻とも夢中で読みました。2巻から3巻の間が数年空き、待ちわびて3巻目を買ったのですが、今見ると3巻がありません。仕方がないのでkindleで買いました。

今まではkindleを読むときはiPad miniを使って読んでいたのですが、たまたま出先でスマホしかなく、仕方なくスマホを使ったら、これがとても読みやすい。字が大きくて行間が広い。1画面に8行なのでめくるのが忙しいのですが、なかなか読み進まない紙の本に比べ、読んだ感があります。

1986年にこのようにして本を読むことになるとは思いませんでした。

今回深夜特急を再読して、なぜこのタイトルをつけたかを沢木耕太郎は本の冒頭に「ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所に入れられた外国人受刑者たちの間の隠語である。脱獄することを、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、と言ったのだ。」と書いています。

沢木耕太郎は映画「ミッドナイト・エクスプレス」を見てこのタイトルにしたそうです。私もこの映画を最新作として映画館で見ました。麻薬を密輸しようとしてトルコの刑務所に投獄されたアメリカ人青年ビリーが、地獄のような刑務所生活から逃れるため脱獄します。

ただ、私の記憶ではよくある脱獄劇のように長期間穴を掘るとか、計画的に脱獄したわけではなく(それは企てていたけれど結局できなかった)たまたま偶然脱獄できちゃったというラストだったと思います。

〇害した刑務官のダブダブな制服を着て、まるでおしっこを我慢しているようなヨチヨチの足取りで刑務所を出ていく様が印象的でした。

沢木耕太郎は日本を脱出して世界旅行へ旅立つことをこの映画になぞらえて「深夜特急」としたのかはわかりませんが、本の冒頭に↑にあるような文章を載せているところを見ると、示唆はあると思います。

ビリーは刑務所の中で廃人になっていく仲間たちを大勢見ていました。何もしなければ自分も同じ道を歩むことになるのだろうと恐怖の日々でした。刑務所から出られるよう懇願した両親もアメリカ政府もできるだけのことをしてくれましたが、刑期は延びるばかり。深夜特急に乗ることしか道はありませんでした。

地獄のような所から自由な世界へと戻ることを深夜特急に乗るというならば、モラハラの家から避難して自由な生活を送ることも、深夜特急と同じではないでしょうか。

この映画を見て「トルコって怖い所だなー」という印象が強く、なかなか考えを改めることができなかったのですが、エルトゥールル号やイラン・イラク戦争での日本人救出などのエピソードが上書きをしてくれました。

GWでお暇がありましたら、「深夜特急」を一度読んでみませんか?(長いよー)

旅にまつわるエトセトラーその2旅はひとりで

国内外を問わず、旅行はひとり旅が好きです。特に団体旅行が苦手で、はるか大昔独身の頃に2回行き、嫌な思い出ばかりが残るせいか、二度と行こうとは思いません。

何が嫌かというと、「人に気を遣うのが嫌」

旅は日常を離れ、のびのびと好きなように動きたいのです。ただ、子どもとの旅行はまぁまぁ行けます。友人が時間に遅れるのは少しイラっとしますが、子どもはいつものことだから大目に見る。「またかぁ」と気にも止めません。

甘いのか。友人に厳しいのか。子どもが時間に遅れる大元を作った(躾がなっていない)のは自分なので、子を叱れば結局は私に返ってくることになるからかもしれません。

添乗員さんがついている旅行は大の苦手。こう見えても人に気を遣う性格なので、添乗員さんにも気を遣って楽しめないのです。

ショコラさんが台湾旅行に出かけられるのですが、添乗員さんがいる旅行のようで、やっぱり人それぞれなんだなと。

食事付きの団体旅行は行きたくない最たるものですが、友人たちとの会話の中で「何も考えなくても出てくるって最高じゃない」と言った友人がいました。

毎日あれこれと考えて食事を作る主婦なればこその発想です。私は旅先でキッチンが欲しい人なのですが、「旅行の時くらい一切家事をしたくないから全部外食」という人もいます。

一人旅が困るところはホテル代が高くつくところとひとりの食事になってしまうことです。

年齢を重ね、一人前の食事が多すぎて食べられなくなってから、残り物をテイクアウトすることが多くなりました。残り物がテイクアウトできないなら最初からテイクアウトして、スーパーでビールを買ってひとりの部屋で食べます。

これが侘しいから一人旅は嫌という方も多いです。私は日常が個食なので、場所が変わっただけで何ともないのですが。

分かち書きと幸せの分かれ目

「分かち書き」という書き方をご存じでしょうか。実は私は昔図書館で働いていた時に目録を作っておりまして、その時に使ったのが「分かち書き」でした。

本のタイトル、著者名などを目録カードにタイプ打ちするのですが(わーーー、時代がわかるーーー)、タイトルや著者名をカナ表記します。

「吾輩は猫である」→ワガハイ ワ ネコ デ アル 

こんな感じ。へはエ、ヲはオ、ハはワ と表記する(だったと思う)

こんなことをしていたので、ある旅行ブログの作者が分かち書きをしていることにはそれほど違和感はありませでした。同じように「私は・・・そう・・思ってはいませんが・・・ただ・・」こういう書き方をする人もいて、それは柔らかい印象を与えたいのかなと思っていました。

”旅行に行ったら 旦那様は少し 疲れていたので ちょっと 休憩しようかな”と書かれている旅行記を友だちに紹介したのは、この分かち書きがどうのという話ではなく、この中のエピソードが「あらあら」と思ったからです。

ところが友人はそのエピソードを読む前に「なに?!この書き方。気持ち悪い」と言い出し、「なんでこんな気持ちの悪い書き方するの?!」とそちらの方に興味というか怒りが行ってしまったようで。

ネットはPCよりもスマホで見る方が多くなり、私のこのブログも8割以上がスマホで読まれていますので、スマホで読みやすいように改行を多くしたりなど、少し工夫はしています。

ただ、上にあるような分かち書きがスマホで読みやすいかはどうでしょう。「分かち書き 気持ち悪い」で検索すると結構沢山の記事が出てきますので、気持ち悪いと思っている人は少なくないようです。

さて、分かち書きはともかく「あらあら」と思ったエピソードとはこのようなものでした。

とある夫婦が海外クルーズに行きました。お金持ちのご夫婦のようで、たくさんあちこちに海外旅行されています。船に乗る前の日、とあるレストランに食事に行ったところ日本人夫婦と知り合って意気投合。楽しい時間を過ごしました。

さて翌日、妻はそのレストランに入る前に換金していたお金の束をテーブルの上に忘れてきたことに気づきました。写真に撮ったテーブルの上には確かにお金を包んだ包みが置いてありました。そしてそのまま外に出てきてしまい、気づいたのは翌朝。

店に問い合わせても当然あるわけない。これからクルーズ船に乗るお金持ちだから、換金が数万円のはずはなく、きっと十万単位のお金だったと思いますが、「お金忘れた、無くなった」と夫に言っても、夫は一言も責めなかったそうです。

ブログには「夫はマイペースの人だから」とありましたが、さてモラ夫だったらどういう展開になったでしょうか。

自分のしでかした失敗すら人に転嫁するような夫が、妻がお金を失くしたとなったらちょっとやそっとの騒ぎでは収まらない。おそらく死ぬまで悪口雑言の限りをつくし、時々思い出したようにこのエピソードを持ち出して責め続けるでしょう。

お金を失くした妻は「これで厄落とししたと思いましょう」と綴っていました。いいな~、いいパートナーに巡り合えて。

結婚相手を選ぶときに幸せのくじを引く人と不幸のくじを引く人。この分かれ目は何なんだろう。たった1回のくじで一生不幸になることもある。本人だけでなく、子々孫々まで影響が出る。

それにしても、大金をテーブルに上に置いたままなら、誰かひとり「仕舞ったら?」と言ってあげてもよかったのにね。アクシデントは後から「ちょっとあの時こうすれば」で防げるもの。私は山ほどありすぎて、後悔の海で溺れそうです。

フリアコという働き方

旅行に出て、その地方のきれいな景色や珍しい食べ物を食べるのも楽しみですが、様々な人たちと触れ合うのも醍醐味のひとつです。今回の旅行でも普段会うことのない方たちに会って、新鮮な感動をいただきました。

そのひとりがゲストハウスにいた女性です。若い、と言ってもたぶん30代前半だと思われるその方は、ゲストハウスに住み込みで働いている方でした。ちなみにそのゲストハウスを訪れるのは私は2度目で、前回来た時は私以外全員外国人でした。訪日外国人が消え、観光業は大変な状況だろうと予想はしていましたが、ここまでとは思っていませんでした。

その前の土地で泊まったのは、同じようにゲストハウスですが、新しくできたビルの中にある建物で、ホテルにはない広い共同キッチンやランドリーといったゲストハウスならではの設備が整備され、旅慣れた人たちが泊まっていました。小さな子どもを連れた家族はたぶん1室をファミリーで使っているのでしょう。ゲストハウスはホテルよりも機能的です。

ところがお客は私ひとりのゲストハウスは外国人が好むような畳敷き、襖といった純和風で、コロナ前ならば繁盛できていたものが、襖や広々とした作りがかえってこの季節は寒々として(実際とっても寒かった)、日本人には敬遠されたようです。ロケーションがいいので今回も選びましたが、次回はないかも。

さて、そのゲストハウスにいた女性から聞いた話です。

「私、フリーアコモデーションなんです」と仰る。

「は?タダのお部屋?」「そうです。このゲストハウスに住み込んで働く代わりに、全部タダにしてもらっています」

部屋代、光熱水費、ネット代などは全部無料で使え、代わりに夜8時から朝8時までの管理をするのだと言います。管理と言ってもお客は手間のかからない私ひとりなので、ほとんどすることはありません。

「住むところがあると言っても食費なんかはいるでしょう?」「私、働いてるんで収入ありますから」

彼女は通販会社のコールセンター業務をしていて、パソコンからかかってくる電話に出たり、メールの応対をすることで給料をもらっているとのこと。

「パソコンとネットがあればどこでもできる仕事ですから。前はマレーシアでこの仕事をしてました」

ひとしきりコロナ禍の中の外国で違法スレスレというか違法労働をしていた(させられていた)お話などを伺い、普段は知ることのできない情報をいただきました。

「でもね、私、もう来年は実家に帰るんです。ここはとても住み心地はいいんですが、やっぱり家じゃないんです。私、家に住みたくなったんです」

長い旅をして、結局家が一番いいということに気づいたという「青い鳥」のようなお話。もしかしたら前の宿で働いていた若い人たちも、同じようにフリアコだったのかもしれません。

先日、自分の周りの世界しか認めない人と会話をすることがありました。もしその人に「こういう暮らし方もある」と言ったら怒りまくって「そんなやつら、将来困ったときに生活保護になったりするんだろう!老後の暮らしに困るんだろう!」と言いそうだな。まぁ、そういうこともあるかもしれないけれど、どう暮らしても結構一寸先はコロナの世の中。やれるときにやりたいことをやってみるのもいいんじゃないかと思った旅の夜でした。

旅の準備

今まで「私は準備が好き」と書いてきました。好きというよりも、準備をすることで不安を打ち消したいというのが本当だと思います。旅に出るときには「忘れ物はないか」と、とても不安になります。よく見る夢は「パスポートを忘れた」

必死にパスポートを取りに家に戻る夢を何十回見たことか。実はパスポートを実際ホテルに忘れ(海外です)、貴重品一式が入った袋をホテルのセーフティボックスにそっくり忘れ(海外です)、ショルダーバックごとホテルのロビーに忘れた(海外です)という武勇伝(?)もあります。

だから忘れ物や落し物は私は必ずあるので、旅行前は心配でたまりません。心配を打ち消すにはしっかり準備です。国内旅行は忘れ物をしても大抵旅行先で手に入るので2日前くらいですが、海外の場合は遅くとも2週間前から始めます。よく「出発の日の朝にする」という方がいますが、信じられない。私がそれをしたら、旅行中無い物だらけになって旅行を楽しめない。

「無かったら買えばいい」という人もいますが、日本ならば大体大型スーパーに行けばそれほど大きく値段が変わることはありませんが、海外の場合、日本で500円で買えるものが3,000円くらいしたりします。さらに売っている店を探すという手間や時間がかかります。1分なんぼで旅行しているのに、探し物をするなんて時間がもったいない。

#きっと「現地で買えばいい」という人はお金持ちなんだろうなぁ

だからチェックリストは作ってあるし、忘れそうなもの、落としそうなもの、絶対に必要なおのは2個持ちです。忘れそうなものとは帽子などですね。絶対に必要なものは電源にまつわるもの。USBケーブルなどです。これを忘れたら(急に使えなくなったりもするし)走り回るか、高いものを泣く泣く買うかになります。だから2個持ちをすると「1本が無くなっても予備がある」という心の余裕が生まれます。

それゆえ私の荷物は大きくなる。コンパクトに「機内に持ち込めるキャリーひとつ」という方がうらやましい。きっと無くしものも落とし物もしないんだろうな。あとは「旅先で買えばいい」というお金持ちか。

確かに「あの落とし物をした時に探し回った思い出」は、後から旅の彩になります。でも、確実にハッピーな結果になるとは限らない。汚点になるかも、悲しい思い出になるかもしれない。だから、できるだけ準備はしておきたいのです。

いやー、失くしものを探したエピソードなら、売るだけあるぞ(笑

海を見ていた午後

横浜は東京からとても近くて、私は東京都横浜市と言ってもいいくらいの感じで受け止めています。近くて行きやすい分、いつでも行けるような気がするせいか、行くのはひとりではなくたいてい子どもと一緒の中華街B級グルメ旅です。

そんな横浜に住む友人から「一緒に横浜で遊ぼう」とお声がかかったのは2年ほど前。横浜で女子がふたりで行くとしたら、「どこに行きたい?」と彼女。

私にはずっと行きたかった場所がふたつあります。ひとつは青山のジャズクラブ「ブルーノート」。もうひとつは横浜にありました。

私は温泉だろうが海外だろうが、大抵の場所にはひとりで行くのですが、このふたつはどうしてもひとりでは入りづらいお店でした。

「えーと、えーと、えーと。。。ど、ど、どるふぃんに行きたい。。!」

「ドルフィン?ああ、ユーミンね」

さすが同年代。すぐにわかってくれました。

「海を見ていた午後」は、ユーミンがまだ荒井由実だった頃の曲です。おそらくこの曲にたくさんの「青春のリグレット」が詰まっている方が大勢いると思います。

ユーミンのコンサートには何度も行きました。ユーミンがコンサートの中でこの曲を歌うと、観客はそれぞれの思い出に浸り、その思い出で会場には潮風の香りすらしてきます。

横浜に行って、「山手のドルフィン」でソーダ水を注文することを夢見ている人たちがどれほどいることか。

東京に住み始め、横浜は遠くないから行こうと思い、googlemapでドルフィンを探したこともありましたが、どうにも行けない。だって、その世代のおばちゃんがひとりでドルフィンに行ってソーダ水を頼むなんてあまりにもベタすぎて、もうその場で腹かっきって死んでしまいたいくらい恥ずかしい。

だから女子がふたりで喫茶店に来ました!という感じで行ける今回はまたとないチャンス。やっと巡ってきた山手のドルフィン探訪のチャンスです。

友人が前もって調べてくれたとおり、バスに乗ってドルフィン近くのバス停で降りました。歌詞にあるように、ドルフィンはちょっと急な坂を上っていきます。

ドルフィンは2階建てで、レストランには大きな窓あり、外の景色が一望できます。ただ、港にありがちな煙を吐くコンビナートが立ち並び、曇っていたので三浦岬は見えません。ユーミンが書いた歌詞からもう44年が過ぎて、この辺りの景色も変わってしまったのでしょう。

メニューには「ドルフィンソーダ」と別の名前のソーダ水がありました。一般的にある緑色の「メロンソーダ」はこの店では「ドルフィンソーダ」という名前でした。

「どどどどるふぃん そーだ ください。。!」   言えた!(心の声)

友人は別のソーダ水を注文しました。ああ、恥ずかしい。レスカを注文するより恥ずかしい。このお店ではドルフィンソーダの注文があると、BGMに「海を見ていた午後」を流してくれます。それも恥ずかしい。

ところが落ち着いてよく周りを見た渡すと、4~5組いるグループのテーブルのほとんどにドルフィンソーダのグラスが置いてあります。

そそそそーだよねー!ここに来たらドルフィンソーダよねーーー!

友人と2時間ほど粘って(もちろんジェラートを追加オーダーしましたー!)いる間、何度「海を見ていた午後」が流れたことか。

ドルフィンソーダは緑色のシロップをソーダで薄めただけでなく、ちゃんとメロンのピューレが入っているそうで、メロンの甘い味がしました。800円もするんだからね。

建物の1階にはドルフィンのオブジェや絵画の他に、ユーミンのサインが書かれたお皿などが展示されていて、ユーミンファンにはいつまでも居たくなる場所でした。

友人のおかげでやっと叶った「山手のドルフィン探訪」。駅から離れているのでわざわざ目指して行かないといけない場所にありますが、ドルフィンはある時代に青春した、元乙女たちの聖地であることは間違いありません。