奇妙な「家族団らん写生会」

私が小学4年の頃。父親は月に数回酒を飲んでわめき散らす、母親はそのストレスをまともに子どもにぶつける。家は貧乏、学校へ行けばお金持ち大好きの教員から嫌われるという生活でした。

ある日曜日の朝、突然母が「家族団らんをしよう!」と言い出しました。

今思うと笑えてしまうのですが、家族団らんとは取り立てて始めるイベントではなく、日々が楽しく暮らせていればそれが家族団らんというものではないでしょうか。母が「家族団らんをしよう!」言った瞬間に私は「けっ!」と思いました。小学4年生です。

10歳でもこんな大人の幼稚な取り繕いに気づき、「けっ!」と思う頭は持っています。今10歳以上のお子さんをお持ちの方は子どもは幼いからわからないだろう、気づかないだろう、子どもなんだからと思っていても、子どもは大人が思っているより頭のつくりは大人です。

毎度毎度酒を飲んでわめきちらし、母は子どもに決して言ってはいけないことを叫びちらし、ナニが家族団らんじゃい、笑わせるんじゃねぇと思っていました。

母が思いついた「家族団らんイベント」は写生会でした。こたつの上に花を挿した花瓶を置き、それを4人で写生するというものでした。

母は必死で家族仲良い風景を作りたいと思っていたでしょう。がんばって家族らしいことを「お金をかけずに」やりたいと思っていたでしょう。そのがんばりがミエミエな分、私の頭の中には「浅はか」という文字が浮かびました。

#そんなわざとらしいことをするよりも、子どもたちに毒吐きするな

モラハラ被害者の方の中には「子どもが自分の辛さをわかってくれない」「私の味方をして、一緒に夫の悪口を言って」という方はいますが、これはやめた方がいいでしょう。結婚は夫婦で決めたことで、子どもには関係ないことです。子どもには楽しくのびのびと暮らす権利があります。その権利を守るのは親の役目です。

さて、写生会は終わり、ご丁寧にそれぞれの作品を見せ合いながらの寸評になりました。「お母さんのここがいい」「早智子は色がきれい」などと家族団らんごっこをしてお開きになりました。ありがたいことにこの家族団らん写生会はこれ一度だけで、二度と開かれることはありませんでした。

ありがたい無料相談

実家の相続のことで(プーチンスカヤ(母)はまだ死んでない)不動産の法的手続きについて知りたいことがあったので、区役所の無料登記相談に行きました。これは本来であれば法務局に行って尋ねればいいことなのですが、現在、法務局はコロナ対応のため、対面での相談を行っておらず、予約をとっての電話相談になります。

聞きたいことは「ここは手書きですか?印字でも大丈夫ですか?」みたいな簡単なことなのですが、電話に出る職員の方はまず「法務局のHPを見てください」から始まる。「見てもわからないので教えてください」と言うと「では予約を」となります。手探りの状況なので、疑問点が出たらすぐに聞きたいのですが、なにせ「予約を」と言われる。

予約を入れて相談すると「それは私の預かり知らないことです(←本当にこういう)」とそっけない。おそらく私の質問は税に関することで、法務局の管轄ではないのでしょう。でも、これがどちらの管轄なのかがわからないので聞くと「それは私の預かり知らないことです」を連発される。

そんなこんなの手続き作業もやっと終わりが見えて、集大成として作った書類の総点検をしていただこうと2週間後の区役所の登記相談に申し込みました。

予約の時間に書類を持って部屋に入ると、若い、スーツを着たきりっとした女性が座っていました。ふと、「あらー、私は相談員をしていたときにどうでもいい格好をしていたなー。ちゃんとした服を着るべきだったかも」とちょっと反省しました。やっぱり服装は大事。

書類を見せて「ここはこれで大丈夫ですか?」と確認を取りながら進めていくと、「ちょっと待ってください」と言って戸籍謄本を見て、「これ、全部じゃないですね。一部です」と言いました。相続登記には亡くなった父の全戸籍が必要なので、役所には「全部の戸籍を」と申請書に添付した手紙に書いたのですが、どうも全部ではないらしい。

「全部の戸籍とはお父さんが産まれてから死ぬまでの戸籍が必要です。産まれたときの戸籍がありません」

「へ?!」

ここで私は思い出ました。どうやら故郷には戻らず、東京で生涯暮らすことになりそうだから本籍を移そうかと思って戸籍係の方に相談したら「本籍はめったやたらに移すと後から追いかける時にすごく苦労するから、動かさない方がいい」と言われたのです。その「後から追うのに苦労するから」の意味はわからなかったのですが、言われた通り本籍は元居た住所に残したままでした。パスポートを取るときなど、戸籍謄本をいちいち郵送で取るのが面倒くさいのですが、元居た場所と縁を切りたくないというのもあり、残したままでした。

戸籍謄本は本籍がある場所のものしか取れず、本籍を動かすとその場所を管轄する役所に取り寄せ依頼をしなければならないのです。

つまりA県A市で生まれて、親が本籍を動かしてB県B市に行くと、A県A市とB県B市の両方に戸籍が分散してあるのです。B県B市の戸籍には「A県A市から転籍」が最初にありますから、A県A市にも取り寄せの申請が必要とわかります。

本人が生きてれば「最初はA市、次にB市、次にC市」と言ってもらえるので最初からそれぞれの役所に申請しますが、何しろ亡くなっているので、戸籍を取り寄せて産まれた発着点にたどり着くまで捜査をしなければなりません。プーチンスカヤに聞いても「結婚前のことなんか知らない」なので、地道に探索するしかありません。

おそらく父は産まれてから転籍を1度しかしていないと思われるので(まだ探索途中)、2市だけで済みそうですが、これが私の場合だと、もっと多くなります、というか女性は転籍が多くなりがちです。

1 産まれた場所 2 親が家を建てたのでそこに転籍 3 結婚して夫の実家の籍に移る ←これはたぶん今もあると思いますが、女性は結婚すると「相手の家に入る」という風習があり、夫の実家の戸籍に入ることが少なくないと思います。私もわけもわからずそうしていました。 4 家を建てたのでそこを本籍とする。モラハラも離婚もなければそこで終結だったと思いますが、私は離婚をして自分で戸籍を作っていますので(5)がありますが、同じ市内で作っていますので、取り寄せの時は1か所で済むのではないかと思います。

子どもが結婚をする時に戸籍を動かす話になった時にこの話をしました。「本籍はなるべく動かさない方がいいって役所の人が言ってた」と言うと息子は「じゃ、4↑の場所、つまり自分の本籍へ妻を異動させよう」と言ったのですが、そこで私とハナコさん(仮名)が反発。「じゃあんたがハナコさん(仮名)の本籍に移ればばいいじゃん。一緒じゃん」。

息子、不本意の表情。

#なんだよ、相手が自分の戸籍に入るのはいいけど、自分が相手の戸籍に異動するのは嫌なのか?

ハナコさん別の意味で反対。「戸籍を取るときにお義父さんに頼めばいいっていうけど、それは気兼する」

ハナコさんは「私が私が」というタイプではなく、夫の姓にするこを何の疑問もなく同意したくらい普通の女の子なのですが、始終会っている私ならいいけど、会ったこともない(その時は会っていなかった)夫の父親は煙たいよう。

結局話し合って、「ふたりが最初に住んだ街を本籍にする」ことで合意。

#よかったよかった、大団円

とまぁ長くなりましたが、戸籍は離婚するときにぶち当たる問題ですので、離婚を考えている方はよーーく調べて対応してくださいね。

ともかく今回は区の無料相談に行って大変貴重なアドバイスをいただけたので、ちゃんと税金を払っててよかったなの巻でした。これが司法書士さんの有料相談に行くと30分5千円ですからね。

区役所や市役所無料相談はいろいろ沢山あります。タダより安いものはありません。ぜひご利用くださいね!男女参画センターの無料相談もありますよーーー。モラハラ相談できますよーーー!!

受験は親も子も狂います

以前この記事を書きました。

この時期恒例の受験ネタです。

昨年秋、道で元同僚にばったり会いました。なんとなく立ち話をしていたら、「娘が中学受験。成績が低迷し、思春期も重なって大荒れで手がつけられない」と心底困っているよう。彼女、子どもが生まれたときは「うちは公立一本だから。私立なんか考えてないから」と言い切っていたので、「子どもが希望する場合もあるわよ」と言ったのですが、「うちみたいに低収入(本当は高収入)な家は無理。絶対に受けさせない」。

子どもはこう育てるんだ、こうするんだとかなり理想の子育てをしていましたが、どうやら思いと実際は違ったようで。

#育児書どおりに育ったら、こんなに育児書が流行るわけない。みんな思った通りにできないから本に飛びつく

一応アドバイスをして、「受験は親も子も狂うのよ」と言ったら、道の真ん中で身もだえし、「狂いますよねーーー、狂いますよねーーー、そうなんだーーー、みんな狂うんだーーーー!!」と大絶叫しました。

#相当まいっていたみたい

私も通った道だから本当によくわかる。あの時期は自分はどうかしていたと思うほど、試験に落ちたらどうしようかと、そればかり考えていました。地方は高校名で一生が決まるというほど高校が大事。高校名を告げたら就職は門前払い、交際していた相手から結婚をお断りされ、結婚するとあからさまに相手の家から蔑まされ話の中にも入れてもらえない。「お正月は私だけキッチンで料理の上げ下げしてるのよ」と聞いたことがあります。高校名を偽って結婚した人もいます。

この差別をまともに受けるのは女性よりも男性の方が大きく、それゆえ受験に熱心なのは母よりも父の方が強かったりします。社会の中で高校名で差別されるのがどれほど辛いことか、身をもって知っているからです。

これくらいのあからさまな差別のある高校名。高校受験は一発勝負。地方は公高私低。公立高校受験に落ちたら辛い人生が待っていると思うと、正気の状態ではいられません。そのため、中学浪人をする人がとても多いという現実があります。この話を東京でしたら「中学浪人なんて考えられない」とびっくりされました。私の頃は裕福な家は公立高校に落ちたら、他県の私立高校に進学する人もいました。

埼玉でこの話をしたら、「埼玉もそうですよー。あからさまですよー」と言われました。首都圏の埼玉でもそうなのか。うちの子と同期の子の母親で精神科に入院した人がふたりいました。

高校で一生が決まるわけではないというのは事情を知らない人の言うこと。一生が決まることもあります。

「後からなぜあの時あんなに思いつめたんだろうって思うんだけどね」と彼女に言うと、泣きながらうんうんと頷いて、「やっぱり同じ経験をした人の話は説得力がありますー。同じ思いをしないとこの気持ちはわかってもらえませんもん」

「子どもの力を信じて」「これで一生が決まるわけじゃない」と聞いたようなことを言われても、狂った親や子には届かないのです。

嫁いびりがわからない

子どもが結婚し、配偶者という方が仲間内にはいりました。世に言う「お嫁さん」です。スープは冷めてしまいますが、割と近場に住んでいるのでいただきものがたまった時、渡さなければならない時は自転車で持っていきます。往復90分ですね。

さすがに自転車90分(しかも起伏の多いトライアルコース)は楽ではないので頻繁には行けないのですが、何かあったときにはさっと行けるというなかなか便利な距離です。相談員をしていた時に「近所に義母が住んでいて、過干渉がうざい」という相談を時々受けていましたので、うざいと思われるほど行かない方がいいのです。

私は身内では結構口がキツイと思われているようで、「嫁いびりするなよー」などと弟から言われたりしたのですが、今のところこのなかなかしんどい距離のおかげと、息子宅へ用もないのにノコノコ行くほど暇ではないので、平和な関係を保っています。

さて、この嫁いびりですが、橋田寿賀子が得意とするこのジャンルは昔から多くの女性が共感するので不動の人気を博しています。姑の側からするといびってはいないのです。あくまでも相手のことを思って、教育、指導です。だから「あなたのために言っているのよ」と、毎度言うでしょう。この押しつけがましさ(笑)

我が家の母親も、弟一家が家に来た時の鬼姑ぶりはなかなかのもので、私が何度も「そんなことは言わなくてもいい」と袖を引っ張っても「教えてやってるんだ!」と鬼の形相でしたね。弟の妻も3年ほどで来なくなり、両親が弟宅に行くとさーーっと実家に逃げるようになりました。

#当然ですね。母はただいま老人施設に隔離中

さて、嫁いびりですが、たぶん私はいびりができるほど会っていないのでやっていないと思うのですが、そもそも嫁いびりのやり方がわからない。この人を教育しようと思う気持ちもないので「これはこうするのよ!」と包丁を取り上げてやってみせることもない。

不自由だなと思ったら自分から治すだろう。ネットの世の中。自分でググって探すだろう。彼女がキッチンに立っても一緒に立つこともない。だって他にやってくれる人がいるならやる必要ないし。お正月に彼女が家に来た時も、私が全部やってました。

#勝手がわからない人がそばにいるとかえって邪魔なんだよね

嫁が手伝うのは当たり前だけど、自分はする必要はないと思うところが嫁いびりの入り口のような気がします。要するに上下関係を作ってしまうこと。

私は義母から怒られたこと、嫌なことを言われたことが一度もありません。聞きようによってはむっとするようなことを言われたかもしれませんが、彼女は心底良い人なので、悪気があって言っていないことはわかっているので気になりませんでした。

#嫁いびりってされたことがないので、やり方がわからないのよね。

後は「教育しよう」とか思わなければいいんじゃないかな。

教育熱心と教育虐待

「教育熱心と言えば母親」というのが世間一般の思い込みのような気がしますが、いろいろな方からのご相談を伺っていて(モラハラの相談に限りません)むしろ父親の方が度の過ぎる教育熱心さがあるような気がします。

お母さんたちの教育熱心は、評価されることのない主婦の代理として、子どもに良い教育(グレードの高い学校名)を求めるのに対して、父親の場合は実際に社会で生きていると、学歴によって差別を受けることがある悔しさを子ども託す、というようなことを感じます。

自分は私立大出身なので会社で苦労をしている、だから子どもには国立大に行って欲しいというような希望が、教育虐待を生んでいるような気がします。

それが実社会の現実をふまえたものだけに、「そうではない」と言ってもなかなか彼らの中には入って行きません。

親に悪気はないのです。自分が苦労しているから、子どもには苦労をさせたくないという親心から虐待のような教育を強いているのです。ただ、それがいつのまにか子どものためではなく、自分の達成感に置き換わっているように感じます。

そしてそれに耐えきれずぷっつんしてしまった子どもたちは山のようにいます。

ネグレクトとか、身体的虐待というわかりやすい虐待と共に、教育虐待は子どもの福祉分野では大きな問題になっています。

「いつか必ず死人が出る。それが親なのか子なのか、わからないけど」と関係者がいうほど、教育虐待はせっぱつまった問題です。

「あんまり勉強勉強と言いすぎたかもしれない」とは、すでに疲れ果てて身体や精神状態が極度に悪くなった子どもたちの親が異口同音にいう言葉です。

親とは悲しい生き物で、70点をとると「80点を目指せ」と言い、80点をとるともう少しがんばれば90点が取れると思ってしまう。←私もそうだったからわかりますよー。

でも究極に目指すのは、社会の中で子どもが自分で道を切り開きながら、よい人間関係の中で楽しく生きていって欲しいということなんだと、今は思います。

子どもが壊れてから後悔しても、壊れたものはなかなか元には戻らないですよ。

高校入試と男女差別

地方は都会と違って小学校受験も中学校受験もほぼありません。唯一あるのはその地域にある国立大学教育学部付属小学校や中学校の試験です。時には付属幼稚園もの時もあります。

東京に転居して、たまたま青山あたりを歩いていたら、子どもと一緒に歩いてくる若いお母様方の服装が揃えたように同じ、紺色のスーツなのです。それもリクルートスーツとは違う、明らかに上質でお高そうなスーツ。

ははー、これがいわゆるお母様用お受験ルックというやつかーと思いました。

#ホントに実在するんだね

地方には幼稚園受験というものはなく、願書をもらってきて記入するだけ。幼稚園は近場のところです。小学校は公立で中学は前に書いた教育大付属をねらうか、お嬢様が行くミッション系の中学へ行くかですが、もうほとんどは公立中学校です。

だから地方の場合、15の春が己が学力によって選別されるという、初めての試練になります。

みんな手を取り合って仲良く一緒には15歳まで。それ以降はたった1度の試験によって選別され、それぞれのルートの道を歩み始めます。

しかし!ここにしっかりと書いておきますが、私が高校受験をした時には、「女子の合格点」「男子の合格点」というものが存在していて、志望校を書くと、担任からは「お前が男子だったら合格だけど、女子なので難しい」と言われたことです。

40年以上前のことと言ってしまえば終わりですが、平然と女子と男子では差別があり、それが世の中では当たり前のことで、私自身も「こんなことで差別されるなんておかしい」とも思わず、当然として受け入れていました。

でも、もしこれが当然として世にあるならば、税金の支払いも男女差をつけて欲しい。公立高校入試の点は男子が有利で、税金は同じというのはおかしい。女性の場合安くするべきだろうと今は思いますが、当時は男女に差があることをごく普通のことと思っていました。

後年、学校関係者にこの差別について聞いたところ「男子は卒業後大学へ行く。女子は進学する子が少数で、それも地元の短大や専門学校で、進学率を上げられない。さらに、男子は就職して偉くなり、卒業生として学校の運営に力を貸してくれるが、女子はそれがない。だから男子を取りたいのは当然」と言われました。

何しろ40年以上前の、「女の子はいいお嫁さんになるのが幸せ」がまかり通っていた時代の話なので、時代背景もあるのだろうけれど、なんだかどうしようもない時代で生きていたんだなぁ。

ひとり親世帯支援で子ども1人当たり最大5万円追加で支給へ

「新型コロナウイルスの影響が続く中、生活実態が厳しいひとり親世帯への支援策として、政府は、今年度の補正予算の予備費を活用し、子ども1人当たり最大5万円の給付金を追加で支給する方針を固めました。」

ひとり親世帯への支援策として、政府が給付金を支給することになりました。

いろいろな家庭を見聞きして思いますが、ふたり親でも経済的に厳しい家庭があります。進学も、モラ夫が「学費を出さない」と言い張ったりする場合が少なくありません。

ひとり親だから子どもの希望の学校へ進学させてあげられないと嘆く方はいますが、ふたり親でも収入が少なければ同様です。私の育った家は下の上か中くらいの経済程度だったので、私の希望する進学はできませんでした。高校を卒業したら働いて家にお金を入れるように言われました。

人間生きるとき、何もかも思い通りにはいかないものです。行かないから道を探りながら、自分の能力と折り合いをつけながら、何とか落としどころを見つけながら進むしかない。

ひとり親だということに罪悪感を持たない方がいいんじゃないですかね。「お母さんがふがいないばっかりに」と泣くよりも、「自分の道は自分でつかみ取れ」と、好物が入ったお弁当を持たせる方がよっぽど子どもは前向きになれると思うんです。

たぶん私が子どもだったら泣かれても困るし、特に責める気もないし、勝手に被害者になってる親って面倒と思うだろうな。

さよならの夏

子どもが小学生だった頃。少子化がどんどん進み、上の子が入学した時はまだ10人以上いた子ども会が、最終的には我が家のふたりだけになってしまいました。そこに実家に帰ってきた方の子が入り3人に。うちの子ふたりだけだったら夏休み恒例の子ども会ラジオ体操もやらなくて済んだのですが、3人になってしまったからにはやらざるを得ず。しかたなく我が家の隣の空き地でラジカセ持ってラジオ体操をしていました。

そこへもうひとり、お父さんの転勤で引っ越してきたユリエちゃんという1年生の女の子が入ってきました。これで4人。ユリエちゃんの家は子どもの足だと10分以上はかかる場所にあり、弟さんがまだ小さいのでお母さんではなくお父さんがついてきて、イクメンぶりっ子の元夫も入り、結構にぎやかな朝になりました。

夏休みには子ども会でイベントをするのが決まりで、親同志が和気あいあいならば海に連れて行ったりバーベキューしたりするのですが、まったく交流のない親たちなので、私が車で映画に連れて行くことになりました。

4人を連れ「千と千尋の神隠し」を上映中の映画館へ。「夏休みドラえもん祭り」などはよく連れていきましたが、ジブリはいつもレンタルビデオばかりだったような気がする。

子どもたちはお菓子を食べながら、食い入るようにスクリーンを見ています。「千と千尋の神隠し」は、私もジブリ作品の中では好きな映画です。台湾の九份が油屋のモデルになったと聞き、行ってみたりもしました。

映画が終わり、最初はよそよそしかった子どもたちも少し慣れてきたところで、お昼ご飯はマクドナルドにしました。そこのマックは子どもが遊ぶ場所があるので、よく連れて行きました。

それぞれ注文したバーガーをたべ終えると、子どもたちは遊び場で汗びっしょりになって遊び始めました。朝何も口をきかなかったユリエちゃんも、きゃっきゃと笑い声をあげながら遊んでいます。「ユリエ!こっち来いよーー!」というお兄ちゃんの声に「うん!」と言いながら走っていきます。

これだからここのマックはいいのよね。親が楽できる。

たんまり遊んだ後、車でユリエちゃんを家まで送り、みんなでバイバイしました。

そして夏休みの間中毎日ラジオ体操をして、体操が終わるとユリエちゃんはお父さんと一緒に「お兄ちゃん、またねー!」と言って帰っていきました。

ユリエちゃんのお母さんが我が家に来たのはもう夏休みが残り少なくなった日。
「急に転勤が決まったんです。仲良くしてくださってありがとうございました」と言ってあいさつに来られました。

お父さんは転勤が多い職業だから仕方がないとは言え、ひと夏だけとは短かすぎる。

「ユリエちゃん、引っ越したんだって」

子どもに言うと「え?」と言ったまま何が起こったかわからない様子のお兄ちゃん。

翌日、ユリエちゃんがいないラジオ体操が終わった後、ユリエちゃんの家の方をずっと見ていました。

先日「コクリコ坂」を初めてみました。映画は見たことがありませんでしたが、テーマ曲の「さよならの夏」が好きでよく聞いています。

たったひと夏しかいなかったユリエちゃん。お父さんが転勤するたびにたくさんのさよならがあったでしょう。でも、1年生の夏休みに4人しか子どもがいないラジオ体操があったこと、「千と千尋の神隠し」をお兄ちゃんたちと一緒に見たこと、覚えていてくれるかな。

みんなときめく

部屋を片付けようと、断捨離を決行することになりました。捨てるか捨てないかは「使うか使わないか」ですが、「使わないけど捨てられない」ものは生きていた時間が長かった分、分量が多い。特に子どもに関するものは中々捨てられません。

子どもの古着は東京に転居する際に、職場の同僚に引き取ってもらったりしましたが、学校で作った工作や図画が「これを捨てたら無くなってしまう。今捨てなくてもいいんじゃないか」と、いつも「次に考える」の箱に入ってしまいます。

田舎の家から都会の集合住宅に転居して、住居の広さが半分になりましたから、あらかたは片付いたのですが、どうしても捨てられなかったのが「子どもふたりのランドセル」でした。

狭い住宅の中に10年間、ランドセルは置いてありましたが、きっかけになったのは市役所の「古いかばん(ランドセル含む)を集めます」という市報記事を見つけたことでした。子どものランドセルをゴミ捨て場に持っていくことができなかったので、「市役所に預ける」という免罪符があるならば、これを利用しようと集積場に持っていきました。それでもなかなか名残惜しくて、ふたつのランドセルを並べて写メしていたところ、市役所の方が「これはアフリカなどに送られるんです。日本のランドセルは人気で、喜んで使ってもらえますよ」と言ってくださいました。

そう言えばテレビのバラエティか何かで、日本のランドセルがアフリカで人気だと言っていたっけ。遠くまで地平線のアフリカの平原で、このランドセルを背負ったアフリカの人たちが歩いている姿が浮かびました。「よろしくお願いいたします」と係の方に頭を下げ、ふたつのランドセルを撫でて、さよならしました。

6年間使ったものだから、かなりよれているのに、「大切にします」と言っていただけて、言葉って魔法だなと思いました。

その晩、通っているジムの大浴場にふたりの年配の方が湯船に浸かっておしゃべりをしていました。

「断捨離しようと思うんだけど、なかなか進まなくてさー」

「そうそう、コンマリが、捨てようかどうしようか迷っている物をこうやって胸にあてて、ときめかなければ捨てればいいんだって言ってた」

「うん、知ってる。だからこうやって胸にあてるんだけどさー、みーんなときめくのよ」

「そうなのよ!みんなときめいちゃうのよ!」

「ときめくのよねーー!」

ふたりで大きく頷きあい、合意されました。

そうなのよね。子どものものは、思い出という物語があるぶん、みんなときめいちゃうのよ。

母なるサラ・コナー

先日、見るともなしにたまたまついていたテレビ番組(波瀾万丈)に鈴木紗理奈さんが出演していて、「サラ・コナーが大好きだったんです」と言ったので、えっとビックリ!ここでサラ・コナーの名前が出てくるとは思わなかった。

サラ・コナーは私が子育てをしていたときに目指していた人です。といってもサラは実在の人物ではありません。シュワちゃんの「ターミネーター」に登場していた主人公です。

「ターミネーター1」ではターミネーターから追いかけられて、ただひたすらキャーキャーと逃げ回っていた女子大生のサラが、自分の息子は未来で人類を救うジョン・コナーになるのだと知り(その時まだ子どもは生まれていない)、 格闘技、武器の使い方はもちろん、ITスキルを使ってATMからお金を盗みだす方法まで、ターミネーターと戦うためのあらゆる技術を息子に教え込みます。

そして未来からはこのジョンとサラを過去の時点で抹殺すべく、新しいターミネーターがやってきます。。。

という、「タイタニック」を作ったキャメロン監督が制作した映画です。この時のシュワちゃん、若い!

よく「男の子には父親が必要だ」という言葉を信じて離婚をためらう方がいますが、なぜ男の子には父親が必要と言われるかと言えば、男の子には男性モデルが必要ということでしょう。子どもは身近な大人をモデルにして育つ、だから「男の子には父親が」ということになるのでしょう。

では身近な男性であるモラ夫は、そのモデルとしてふさわしいでしょうか。「男の子にはモデルとなる男性像が必要だ」という言葉を信じて離れるのをためらうのであれば、「自分の子どもがモラ夫をモデルにすることを望む」ことになります。

「反面教師にすればよい」という希望が叶うかどうかはまったく賭けのようなものです。

男の子のモデルは別に父親でなくてもいい。叔父さんでも、学校の先生でも、部活の先輩でも、アニメの主人公でもいい。この子が大きくなっていくときに「こんな大人になりたい」と思う男性に巡り会えたら、それで充分なはずです。

シングルマザーの家には父親はいません。でも、母親だけでもサラのように(人類を救うなんて大それたことは望まないって)「子どもに生きる力を身につけさせる」ことはできると思うです。

子どもにはサッカーもスキーも車の運転も旅のノウハウも勉強も私が教えました。子どもがギターを弾きたいと言った時は、私はギターができませんので、安い個人の教室を探して行かせました。自分ができないところはアウトソーシングすればいいし、ある程度おおきくなれば、子どもが自分で探してきます。

夫が子どもに教えたのはゲームとパチンコぐらいのものです。ただ、「人を力で支配して自分の思い通りに動かそうとするならば、結局自分が不幸になる」ということは、身をもって教えたと言えるかもしれません。