教育熱心と教育虐待

「教育熱心と言えば母親」というのが世間一般の思い込みのような気がしますが、いろいろな方からのご相談を伺っていて(モラハラの相談に限りません)むしろ父親の方が度の過ぎる教育熱心さがあるような気がします。

お母さんたちの教育熱心は、評価されることのない主婦の代理として、子どもに良い教育(グレードの高い学校名)を求めるのに対して、父親の場合は実際に社会で生きていると、学歴によって差別を受けることがある悔しさを子ども託す、というようなことを感じます。

自分は私立大出身なので会社で苦労をしている、だから子どもには国立大に行って欲しいというような希望が、教育虐待を生んでいるような気がします。

それが実社会の現実をふまえたものだけに、「そうではない」と言ってもなかなか彼らの中には入って行きません。

親に悪気はないのです。自分が苦労しているから、子どもには苦労をさせたくないという親心から虐待のような教育を強いているのです。ただ、それがいつのまにか子どものためではなく、自分の達成感に置き換わっているように感じます。

そしてそれに耐えきれずぷっつんしてしまった子どもたちは山のようにいます。

ネグレクトとか、身体的虐待というわかりやすい虐待と共に、教育虐待は子どもの福祉分野では大きな問題になっています。

「いつか必ず死人が出る。それが親なのか子なのか、わからないけど」と関係者がいうほど、教育虐待はせっぱつまった問題です。

「あんまり勉強勉強と言いすぎたかもしれない」とは、すでに疲れ果てて身体や精神状態が極度に悪くなった子どもたちの親が異口同音にいう言葉です。

親とは悲しい生き物で、70点をとると「80点を目指せ」と言い、80点をとるともう少しがんばれば90点が取れると思ってしまう。←私もそうだったからわかりますよー。

でも究極に目指すのは、社会の中で子どもが自分で道を切り開きながら、よい人間関係の中で楽しく生きていって欲しいということなんだと、今は思います。

子どもが壊れてから後悔しても、壊れたものはなかなか元には戻らないですよ。

高校入試と男女差別

地方は都会と違って小学校受験も中学校受験もほぼありません。唯一あるのはその地域にある国立大学教育学部付属小学校や中学校の試験です。時には付属幼稚園もの時もあります。

東京に転居して、たまたま青山あたりを歩いていたら、子どもと一緒に歩いてくる若いお母様方の服装が揃えたように同じ、紺色のスーツなのです。それもリクルートスーツとは違う、明らかに上質でお高そうなスーツ。

ははー、これがいわゆるお母様用お受験ルックというやつかーと思いました。

#ホントに実在するんだね

地方には幼稚園受験というものはなく、願書をもらってきて記入するだけ。幼稚園は近場のところです。小学校は公立で中学は前に書いた教育大付属をねらうか、お嬢様が行くミッション系の中学へ行くかですが、もうほとんどは公立中学校です。

だから地方の場合、15の春が己が学力によって選別されるという、初めての試練になります。

みんな手を取り合って仲良く一緒には15歳まで。それ以降はたった1度の試験によって選別され、それぞれのルートの道を歩み始めます。

しかし!ここにしっかりと書いておきますが、私が高校受験をした時には、「女子の合格点」「男子の合格点」というものが存在していて、志望校を書くと、担任からは「お前が男子だったら合格だけど、女子なので難しい」と言われたことです。

40年以上前のことと言ってしまえば終わりですが、平然と女子と男子では差別があり、それが世の中では当たり前のことで、私自身も「こんなことで差別されるなんておかしい」とも思わず、当然として受け入れていました。

でも、もしこれが当然として世にあるならば、税金の支払いも男女差をつけて欲しい。公立高校入試の点は男子が有利で、税金は同じというのはおかしい。女性の場合安くするべきだろうと今は思いますが、当時は男女に差があることをごく普通のことと思っていました。

後年、学校関係者にこの差別について聞いたところ「男子は卒業後大学へ行く。女子は進学する子が少数で、それも地元の短大や専門学校で、進学率を上げられない。さらに、男子は就職して偉くなり、卒業生として学校の運営に力を貸してくれるが、女子はそれがない。だから男子を取りたいのは当然」と言われました。

何しろ40年以上前の、「女の子はいいお嫁さんになるのが幸せ」がまかり通っていた時代の話なので、時代背景もあるのだろうけれど、なんだかどうしようもない時代で生きていたんだなぁ。

ひとり親世帯支援で子ども1人当たり最大5万円追加で支給へ

「新型コロナウイルスの影響が続く中、生活実態が厳しいひとり親世帯への支援策として、政府は、今年度の補正予算の予備費を活用し、子ども1人当たり最大5万円の給付金を追加で支給する方針を固めました。」

ひとり親世帯への支援策として、政府が給付金を支給することになりました。

いろいろな家庭を見聞きして思いますが、ふたり親でも経済的に厳しい家庭があります。進学も、モラ夫が「学費を出さない」と言い張ったりする場合が少なくありません。

ひとり親だから子どもの希望の学校へ進学させてあげられないと嘆く方はいますが、ふたり親でも収入が少なければ同様です。私の育った家は下の上か中くらいの経済程度だったので、私の希望する進学はできませんでした。高校を卒業したら働いて家にお金を入れるように言われました。

人間生きるとき、何もかも思い通りにはいかないものです。行かないから道を探りながら、自分の能力と折り合いをつけながら、何とか落としどころを見つけながら進むしかない。

ひとり親だということに罪悪感を持たない方がいいんじゃないですかね。「お母さんがふがいないばっかりに」と泣くよりも、「自分の道は自分でつかみ取れ」と、好物が入ったお弁当を持たせる方がよっぽど子どもは前向きになれると思うんです。

たぶん私が子どもだったら泣かれても困るし、特に責める気もないし、勝手に被害者になってる親って面倒と思うだろうな。

さよならの夏

子どもが小学生だった頃。少子化がどんどん進み、上の子が入学した時はまだ10人以上いた子ども会が、最終的には我が家のふたりだけになってしまいました。そこに実家に帰ってきた方の子が入り3人に。うちの子ふたりだけだったら夏休み恒例の子ども会ラジオ体操もやらなくて済んだのですが、3人になってしまったからにはやらざるを得ず。しかたなく我が家の隣の空き地でラジカセ持ってラジオ体操をしていました。

そこへもうひとり、お父さんの転勤で引っ越してきたユリエちゃんという1年生の女の子が入ってきました。これで4人。ユリエちゃんの家は子どもの足だと10分以上はかかる場所にあり、弟さんがまだ小さいのでお母さんではなくお父さんがついてきて、イクメンぶりっ子の元夫も入り、結構にぎやかな朝になりました。

夏休みには子ども会でイベントをするのが決まりで、親同志が和気あいあいならば海に連れて行ったりバーベキューしたりするのですが、まったく交流のない親たちなので、私が車で映画に連れて行くことになりました。

4人を連れ「千と千尋の神隠し」を上映中の映画館へ。「夏休みドラえもん祭り」などはよく連れていきましたが、ジブリはいつもレンタルビデオばかりだったような気がする。

子どもたちはお菓子を食べながら、食い入るようにスクリーンを見ています。「千と千尋の神隠し」は、私もジブリ作品の中では好きな映画です。台湾の九份が油屋のモデルになったと聞き、行ってみたりもしました。

映画が終わり、最初はよそよそしかった子どもたちも少し慣れてきたところで、お昼ご飯はマクドナルドにしました。そこのマックは子どもが遊ぶ場所があるので、よく連れて行きました。

それぞれ注文したバーガーをたべ終えると、子どもたちは遊び場で汗びっしょりになって遊び始めました。朝何も口をきかなかったユリエちゃんも、きゃっきゃと笑い声をあげながら遊んでいます。「ユリエ!こっち来いよーー!」というお兄ちゃんの声に「うん!」と言いながら走っていきます。

これだからここのマックはいいのよね。親が楽できる。

たんまり遊んだ後、車でユリエちゃんを家まで送り、みんなでバイバイしました。

そして夏休みの間中毎日ラジオ体操をして、体操が終わるとユリエちゃんはお父さんと一緒に「お兄ちゃん、またねー!」と言って帰っていきました。

ユリエちゃんのお母さんが我が家に来たのはもう夏休みが残り少なくなった日。
「急に転勤が決まったんです。仲良くしてくださってありがとうございました」と言ってあいさつに来られました。

お父さんは転勤が多い職業だから仕方がないとは言え、ひと夏だけとは短かすぎる。

「ユリエちゃん、引っ越したんだって」

子どもに言うと「え?」と言ったまま何が起こったかわからない様子のお兄ちゃん。

翌日、ユリエちゃんがいないラジオ体操が終わった後、ユリエちゃんの家の方をずっと見ていました。

先日「コクリコ坂」を初めてみました。映画は見たことがありませんでしたが、テーマ曲の「さよならの夏」が好きでよく聞いています。

たったひと夏しかいなかったユリエちゃん。お父さんが転勤するたびにたくさんのさよならがあったでしょう。でも、1年生の夏休みに4人しか子どもがいないラジオ体操があったこと、「千と千尋の神隠し」をお兄ちゃんたちと一緒に見たこと、覚えていてくれるかな。

みんなときめく

部屋を片付けようと、断捨離を決行することになりました。捨てるか捨てないかは「使うか使わないか」ですが、「使わないけど捨てられない」ものは生きていた時間が長かった分、分量が多い。特に子どもに関するものは中々捨てられません。

子どもの古着は東京に転居する際に、職場の同僚に引き取ってもらったりしましたが、学校で作った工作や図画が「これを捨てたら無くなってしまう。今捨てなくてもいいんじゃないか」と、いつも「次に考える」の箱に入ってしまいます。

田舎の家から都会の集合住宅に転居して、住居の広さが半分になりましたから、あらかたは片付いたのですが、どうしても捨てられなかったのが「子どもふたりのランドセル」でした。

狭い住宅の中に10年間、ランドセルは置いてありましたが、きっかけになったのは市役所の「古いかばん(ランドセル含む)を集めます」という市報記事を見つけたことでした。子どものランドセルをゴミ捨て場に持っていくことができなかったので、「市役所に預ける」という免罪符があるならば、これを利用しようと集積場に持っていきました。それでもなかなか名残惜しくて、ふたつのランドセルを並べて写メしていたところ、市役所の方が「これはアフリカなどに送られるんです。日本のランドセルは人気で、喜んで使ってもらえますよ」と言ってくださいました。

そう言えばテレビのバラエティか何かで、日本のランドセルがアフリカで人気だと言っていたっけ。遠くまで地平線のアフリカの平原で、このランドセルを背負ったアフリカの人たちが歩いている姿が浮かびました。「よろしくお願いいたします」と係の方に頭を下げ、ふたつのランドセルを撫でて、さよならしました。

6年間使ったものだから、かなりよれているのに、「大切にします」と言っていただけて、言葉って魔法だなと思いました。

その晩、通っているジムの大浴場にふたりの年配の方が湯船に浸かっておしゃべりをしていました。

「断捨離しようと思うんだけど、なかなか進まなくてさー」

「そうそう、コンマリが、捨てようかどうしようか迷っている物をこうやって胸にあてて、ときめかなければ捨てればいいんだって言ってた」

「うん、知ってる。だからこうやって胸にあてるんだけどさー、みーんなときめくのよ」

「そうなのよ!みんなときめいちゃうのよ!」

「ときめくのよねーー!」

ふたりで大きく頷きあい、合意されました。

そうなのよね。子どものものは、思い出という物語があるぶん、みんなときめいちゃうのよ。

母なるサラ・コナー

先日、見るともなしにたまたまついていたテレビ番組(波瀾万丈)に鈴木紗理奈さんが出演していて、「サラ・コナーが大好きだったんです」と言ったので、えっとビックリ!ここでサラ・コナーの名前が出てくるとは思わなかった。

サラ・コナーは私が子育てをしていたときに目指していた人です。といってもサラは実在の人物ではありません。シュワちゃんの「ターミネーター」に登場していた主人公です。

「ターミネーター1」ではターミネーターから追いかけられて、ただひたすらキャーキャーと逃げ回っていた女子大生のサラが、自分の息子は未来で人類を救うジョン・コナーになるのだと知り(その時まだ子どもは生まれていない)、 格闘技、武器の使い方はもちろん、ITスキルを使ってATMからお金を盗みだす方法まで、ターミネーターと戦うためのあらゆる技術を息子に教え込みます。

そして未来からはこのジョンとサラを過去の時点で抹殺すべく、新しいターミネーターがやってきます。。。

という、「タイタニック」を作ったキャメロン監督が制作した映画です。この時のシュワちゃん、若い!

よく「男の子には父親が必要だ」という言葉を信じて離婚をためらう方がいますが、なぜ男の子には父親が必要と言われるかと言えば、男の子には男性モデルが必要ということでしょう。子どもは身近な大人をモデルにして育つ、だから「男の子には父親が」ということになるのでしょう。

では身近な男性であるモラ夫は、そのモデルとしてふさわしいでしょうか。「男の子にはモデルとなる男性像が必要だ」という言葉を信じて離れるのをためらうのであれば、「自分の子どもがモラ夫をモデルにすることを望む」ことになります。

「反面教師にすればよい」という希望が叶うかどうかはまったく賭けのようなものです。

男の子のモデルは別に父親でなくてもいい。叔父さんでも、学校の先生でも、部活の先輩でも、アニメの主人公でもいい。この子が大きくなっていくときに「こんな大人になりたい」と思う男性に巡り会えたら、それで充分なはずです。

シングルマザーの家には父親はいません。でも、母親だけでもサラのように(人類を救うなんて大それたことは望まないって)「子どもに生きる力を身につけさせる」ことはできると思うです。

子どもにはサッカーもスキーも車の運転も旅のノウハウも勉強も私が教えました。子どもがギターを弾きたいと言った時は、私はギターができませんので、安い個人の教室を探して行かせました。自分ができないところはアウトソーシングすればいいし、ある程度おおきくなれば、子どもが自分で探してきます。

夫が子どもに教えたのはゲームとパチンコぐらいのものです。ただ、「人を力で支配して自分の思い通りに動かそうとするならば、結局自分が不幸になる」ということは、身をもって教えたと言えるかもしれません。

王座の譲渡

私が離婚を迷っていたとき、背中を押してくれたのが精神科医の言葉でした。

「男の子は父と殺し合うかもしれない」

それはもうびっくり仰天でしたが、この「殺し合う父と息子」は何もモラハラ家庭だけでなく、普通の家庭でも起こりうることです。実際私の周りでも、殺し合うまでは行かないまでも、殴り合いの喧嘩になったという話は多く聞きます。ただ、モラハラ家庭は父親の支配がものすごいのと、父の政権への執着が常軌を逸しているので、大事になる可能性はあります。

相談を受ける方から「夫はとても子どもを可愛がります。子どももとても夫になついています。だから離れることをためらってしまいます」と伺うことがとても多いです。ただ、この時の子どもの年齢はだいたい小学校低学年までです。

その後、子どもに自我が芽生え、自己主張するようになると、夫は力で押さえつけようとして子どもに手をあげるようになります。子どももそんな父を恐れて最初はビクビクしていますが、体が大きくなり、年を取り衰えていく父に勝る力を持つようになると、殴り合いの喧嘩になります。そして、たいていは新しい王が誕生することになっています。政権交代です。

これを私は間近で見ていました。我が家ではなく義兄宅でしたが、このとおりのことが起こりました。子どもに負けた義兄は翌日朝から急にペコペコしだし、息子に「何か欲しいものはないのか?」などと手をこすらんばかりに言ったと義姉から聞きました。このコントのような展開に、義姉も呆れ顔でした。

ただ、義兄の腹いせは義姉と娘という、他の弱いものに向かうようになっていったとのことです。モラ夫はどうしても常に誰かを餌食にしないと生きていけない人物なのです。

「夫は子どもをとてもかわいがっている」というのは、子どもが自分の言うことを聞いている年齢までです。その後はふたりでこの家の政権を争うことになります。ただ、ある3世代が同居している家で、政権を持っているのは祖父で、中年の父はまだその支配下にあるという事例も見たことがありますので、交代が起こらない場合もままあるようです。

この家の場合、祖父が孫を猫可愛がりして甘やかしたため、両親は子どもを躾けることができず、子どもは両親を見下し、成長してからモラハラ夫になってしまいました。

本来家庭内の政権は力による譲渡ではなく、子がその年令になったら、父は座を下りて次の世代に譲るのが正しいやり方であるのは言うまでもありません。そういった平和に世代交代が行われる家は家族がみな穏やかで、「父は優しい人だった」と、亡くなった後も愛され続けます。

びくびくビリー

絵本は時として、ぶ厚い哲学書より深い気づきを与えてくれます。本の売れ行きは右肩下がりですが、絵本や児童書は変わらず売れ続けているそうです。「我が子に本好きになって欲しい」は、どこの親も同じなのでしょう。

「びくびくビリー」はたまたま何かで紹介されていた本です。

ビリーは怖がり屋。いつも何かに怯えていて、夜眠れません。そんなビリーにおばあちゃんは「心配引き受け人形」を与えます。心配ごとは全部この人形が引き受けてくれるよとおばあちゃんから教えてもらい、ビリーは半信半疑でその人形を枕の下に入れてベッドに入ったのですが・・・

この「心配ごと引受人形」はグアテマラで古くから伝わるもので、実際に今も使われているそうです、と思ってアマゾンを見たら、ある。

さすがアマゾンと言っていいのか、あるのよー(笑
この分だともしかして「呪いのブードゥ人形」もあるかなと思って探してみたらあった(笑。よく見ると「心配ごと引受人形」ような「看護師人形」とか「家庭円満人形」とかいろいろありました。これはもう「開運・厄除けお守り」ですね。

大の大人だってお守り握りしめて祈るんだから、世の中のしくみがよくわかっていない子どもなら、なおさらでしょう。依頼心が強くなるとか言う人もいるかもしれませんが、子どもに精神安定剤を飲ませるわけにもいきません。眠れない子どもには、この「心配ごと引受人形」をもたせて安心させるというのもひとつの手だなと思います。


いなばのしろうさぎさん

お引越しの時にいろいろなファイルを開けていたら、リンクのページに「いなばのしろうさぎ」さんがあることに気がつきました。いなばさんのホームページはジオシティーズにあります。今この時点でお引越しされていないということは、もうホームページを続けないおつもりなのかもしれません。

惜しいなぁ、いなばさんのサイト。出版もされていて、被害者支援もされていたのに。

私がモラハラ被害者同盟を作った初期の頃に、いなばさんのホームページを見つけました。かわいらしいうさぎのアイコンをクリックすると、そこにあったのは、ワニに食われるよりも恐ろしい現実でした。「モノローグ」をクリックすると、いなばさんのメッセージになります。いなばさんは身体的暴力の被害者でしたから、夫からの暴力について書かれていますが、それ以上に恐ろしいのは、いなばさんを守ろうとしていた子どもたちが、父親と同様にいなばさんに暴力をふるうようになるくだりです

転載禁止なのでここにコピーできないのが残念なのですが、子どもたちは小さな手を広げて暴力をふるおうとする父親の前にたちはだかり、いなばさんを守ろうとします。そんな子どもたちの姿の記憶を、いなばさんは宝物として大切にとってあります。後に成長した兄弟がふたりして、母の体のどこを狙って殴ろうかと話し合うことになるのに。殴るのに缶詰を使うのは痛すぎるから止めてほしいと書いているのに。

号泣

その映像を私も想像できるだけに、ただ、号泣。

いなばさんは、いつか夫は変わってくれると思っていたけれど、夫の変化を待つうちに子どもたちが父親のようになってしまったと書いています。私も子どもたちが父とそっくりになり、母が家の中で孤立してしまった例をたくさん見てきました。年老いた母をこき使う子どもたち、罵声を浴びせる子どもたちの例を、たくさんたくさん見てきました。

あと4日でいなばさんのホームページはすべて無くなりますので、私は保存しておこうと思っています。必要と思われる方はご一緒にどうぞ。