子どもは成長していく

モラハラの家から出る時、たいていの方は子どもを連れて出ると思いますが、私はずっと子どもが低学年のうちにとお話してきました。

子どもは大きくなると自分の世界を持ちます。小学校高学年以上になると、親よりも友だちの方が大事になるので、すんなりと一緒についてきてはくれない場合があります。

さらに思春期になると、あれしろこれするなという母親が鬱陶しくなり、母親と離れたくなる子どももいます。母がいなければ夫はご飯も自分で作れないだろうし、母の味恋しさに母親の元にやってくると思っている方もいますが、今どきはコンビニの弁当の方が実は子どもは好きだったりします。

コンビニ弁当では栄養が偏るからちゃんとした食事をしてと歯がみして、来い来いとうるさく言われると人間行きたくなくなるものです。といって何もしないでいると自分は捨てられたと思い込んでしまったりしますので、さりげなく「元気してる?」と連絡を入れてみたり、「今日は〇ちゃんの好きなハンバーグを作ったよ」と、短くメッセージを入れてみたりしましょう。

子どもが一緒に行きたくないというので、自宅の近くに部屋を借り、食事を作りに行ったり、様子を見に行ったりしてい方がいたのですが「私が行くとみんな臭いツラをする」とのこと。

「だから私は言ってやったんですよ。『長々長々長々延々と長々』」

「それ、全部言ったんですか?」

「だって言わずにいられないんですよ!」

行くたびに長い説教をするものだから、子どもたちも嫌になって母が来ると嫌な顔をするようになったとのことでした。

説教をして子どもが言うことをきくなら苦労はいりません。

コンタクトをとるならとにかく短く、適度な頻度で。

そしてなによりも、子どもが小学校低学年のうちに行動を起こすことです。

男の子の勉強の仕方に納得

https://morahara.cocoon.jp/wp/2023/06/09/%ef%bc%94%ef%bc%90%e4%bb%a3%e3%81%ae%e3%81%8a%e3%81%97%e3%82%83%e3%82%8c%e3%81%aa%e5%a5%b3%e6%80%a7%e5%90%91%e3%81%91%e3%81%ae%e9%9b%91%e8%aa%8c%e3%80%8cstory%eむ3%82%b9%e3%83%88%e3%83%bc%e3%83%aa/

先日ご紹介した「STORY」ですが、モラハラ特集の他に、「困った!どうする?『息子のダラ勉』」という記事がありました。この雑誌は40代向けだそうですので、ちょうど中学生くらいの子どもがいるという設定なのでしょう。

ページ見出しには「息子がコツコツ勉強しない・・・ダラダラしていて続かない!」の文字が。

もし私が同世代なら「そうそう!」と、大共感して食いつく記事です。

学校から帰ったらまず宿題を済ませて、夏休みや冬休みの宿題は午前中に済ませて。遊ぶなとは言っていない、やることをやってから遊んだほうが気持ちがいいでしょと私は思うのですが、まー、やったことがない。

コツコツ、少しずつでいいから毎日の積み重ねがきっと力をつけるのだからと思い続けた日々でありました。女子はこのコツコツができるので、きちんと定期テストで良い点数を取り、推薦入学枠を勝ち取るから早く進路が決まってゆったりと卒業式を迎えるのだけれど、男子はこれができない(できる子もいるかもしれないけど、うちの子は無理)

この記事には名門開成中・高の元校長がコメントを寄せています。

「生物学的に考えて、男子にコツコツ勉強は無理。切羽詰まらないとできないもの」なのだそうです。

「女性は28日間という生理周期のルーティンに慣れて、280日の妊娠期間をコツコツと耐えられる体を作り上げていきますが、男性は違う。狩猟時代は短時間に集中して獲物を捕らえ、ガッと食べて寝るのが男でした。もともと男子にコツコツ勉強は向いてない。男子は切羽詰まらないとできないから「ドカン!ドカン!」と一気に勉強する。むしろ中学生くらいになれば<試験前はこうすればいいのか>と、自分なりのドカン勉強の仕方を見つけ出せばいいのです。」

「子どもが不得意で嫌いなものはやらせなくていい」「勉強する時間は短ければ短いほどいい」「垂直比較して、YES、BUT方式で誉める」

もう、なるほど~でした。確かに我が息子にぴったりとあてはまる。

「これからの時代は全科目の平均能力は不要。「スペシャリスト」が重宝される」

国立大学に入るには7教科の文系理数系合わせた点数が必要ですが、どうしても理数系が苦手な子、どうしても国語が苦手な子はいるもので、そうなるとそういう子たちは国立は難しいので、私学に進学せざるをえません。

そういう子の方がこれからは「重宝される」ということか。

ともかくコツコツと積み重ねる勉強が男子は生物学的にできないのだとわかっただけでもこの記事は読む価値がありますね。

どんなに親が偉くても、最後は子どもが左右する

長野で4人の方が殺害されるという大きな事件がありました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/07fe9d9631676dab4809c52ae877c4d8ba2e14c4
“【長野立てこもり殺人】高偏差値31歳容疑者は親バカな母親を「横でボーッと見てるだけ」…事件前日に「3人組と揉めていた」新証言も”

ネットにあるこの事件についての記事を読むと、「高校生まではとても明るくて元気な人だった。大学を中退してから変わった」というのと「友だちもおらず、静かで大人しかった」という相反する二つの証言が出てくるのですが、はて、どちらが本当なのでしょう。

というのは置いておいて、父親は市議会議長で事件のあった翌日に辞職しています。母親も息子に仕事をさせるために作ったジェラート店をきりもりしています。

外から見て、このような大きな事件を起こすような要因はないと思われる一家ですが、最終的にはこの事件によって家族は今後が辛いことになってしまいました。

また、一家心中を図ったとされる市川猿之助の代役として、香川照之の息子の市川團子が見事に大役を演じきって梨園の注目を浴び、昨年セクハラでその地位を追われた香川照之が再浮上ということになっているようです。

#息子が親の危機を救う。

エリートの親が引きこもりの子どもを殺す事件もありました。

https://toyokeizai.net/articles/-/320929
「元農水次官の長男殺害」に重なる23年前の事件

この記事の中には14歳の息子に奴隷のように使われ、結局金属バットで殺してしまった父親の話が出てきます。精神科医に息子の暴力を相談したところ、「息子を受け入れるように」「奴隷のように使われるのも、ひとつの技術と考えて頑張るように」と言われ、息子から殴られ続け、結局凶行に及びます。

どんなにがんばって出世をして、お金が沢山あっても、結局は子どもが健全に育つのが一番の安心な老後なのだなぁと、こういう事件を見て思います。

うちの子に限ってというのは子どもが子どもの頃だけでなく、大人になっても心配し続けなければならないのですね。

子育てはいいとこどり

離婚した後、面会交流をしている人の中で「元夫に面会交流させてるけど、たまに会ってニコニコしながら美味しいものを食べさせて、欲しいものを買ってあげるあちらはそりゃー好かれるでしょうよ。こっちは毎日子どもの世話で自分の時間なんかない。経済的にも大変。向こうはいいとこどりをしている。腹が立つ」という方がいます。

確かに子育ては1分1秒が積み重ね。子どもが小さいとトイレにさえ行くこともできず、泣きだしたら止まらない赤子を相手に一緒に泣くか、必死に怒鳴るのを抑えるか、いらいらしっぱなしが毎日続く。

どこに行くのも連れて行かねばならず、洋服の試着もできず、ぐずりだしたら買い物の途中でも帰らなければならない。熱を出したら「今日もお休みで、すみません」とスマホと一緒にペコペコ頭を下げる。

大きくなった子どもは「誰のおかげで飯が食えていると思うんだ」と言いたくなるほど横柄でいつも仏頂面して「メシ、フロ、カネ」しか言わない。LINEの既読もつかず、いつ帰ってくるのかもわからない。

もしくは何か注意するたびに「うっせーなー、ばばー」と怒鳴り散らし、パンツが見えそうなスカートをはいて出ていく。いったいどこへ行くのやら。高校を卒業したらいったいどうするのやら。

それなのに、別れたあちらは好き勝手放題。少ない養育費を支払っているだけで大きな顔をして子どもに会う。ほんとに「いいとこどり」だと思います。

でも、子どもが小さかった頃、初めてたっちができた時、入園式の時、運動会の時、歯が抜けた時、満点を取った時、母の日にプレゼントをくれた時、高校の合格発表を一緒に見た時。いつも母は全部一緒に過ごしていたんです。いい時も悪い時も、悲しい時も、一緒にいられたんです。ちゃんと「いいとこどり」してたんです。

一緒に暮らしていない相手は、その劇的瞬間を知らない。子どもと共有できていない。ちょっとした時間だけ一緒にいても、肝心な時に一緒にいられなかったのです。これはもう子育てをしたとは言えません。

ずっと子どもと時間が共有できること。相手が欲しくても叶わない、いいところをとることはできていると思ったりします。

#でも愚痴りたい気持ちはよーーーーーーくわかりますよーーー。

「小説8050」から思い出すエピソード

林真理子さんの「小説8050」は、50歳のひきこもりの子どもを80歳の親が養うという、8050問題にフォーカスした小説でした。

外からみたら幸せに見える4人家族には秘密があった。それは医学部を目指していた息子が7年間部屋に引きこもっているということである、というのがこの小説のプロローグでした。

あああ、と思い出したのは遠い昔のこと。

義母がとても仲良くしていた隣家に住むご一家は家を建てて同じ市内に転居しました。遠時はまださほど手がつけられていなかった郊外に広い土地を買い、その土地が値上がりし、銅板きの大きな家に住んでいました。

妻の方は体も豪快でしたが、こういった投資的なことも豪快で、裕福な生活をしていました。ふたりの子どものうち、上の子は大層勉強のできる子で、「将来は弁護士」の期待をかけていました。

豪邸に転居してからも、義母は時々この家に招かれましたが、義母の家から少し離れた郊外にあったので、家族の中で唯一車の運転ができる私が送り迎えをしていたりしていました。

そんなある日の朝突然に「XさんとこのAちゃんが縊死(この言葉ではないですが、結構ショッキングな単語なので言葉を変えました)したって!!」と義母から電話がありました。

「え??!!」と驚いたのは、その「XさんとこのAちゃん」とは何者ぞやが??を沢山つけて頭の中を駆け巡ったからです。

仲良く行き来をさせていただいていましたが、Aちゃんという名前が出たことはほとんどないので、いったい誰が縊死したのかが一瞬わからなかったのです。

ともかく職場に半日休暇の電話を入れて、義母を車で迎えに行きXさん宅へ向かいました。いったいAちゃんはどこにいたのか、なぜXさん宅で亡くなったのかという私の疑問に義母は「たぶんあの家のどこかにいたんだろうねぇ、私は見たことはなかったけれど、来客が来ている時は出てくるなって言ってたのかもしれない」と答えました。

Aちゃんは有名私立大学を卒業後、弁護士を目指していたけれど願いはなかなか叶わず、県庁や地元マスコミなど有名企業を受験するも、

「一次は受かるんだけど、どこも面接で落ちるんだって」

「よっぽど暗かったんだろうねぇ」

司法試験を受け続けていると聞いていたけど、こんなことになるなんてと義母も顔を曇らせました。

Xさん宅に着くと子どもが縊死したとは思えないほど明るく迎えて下さり、「さぁさぁ奥へ」と案内され、「早智子さん、Aの顔を見て行ってくれる?」と言ってくださったのですが、ごめんなさい、「ひぇーーーー」と心の中で叫び、生きている時に一度も会ったことのない人の縊死顔はとても見られないと(当然口には出さず)お断りしました。

Aさんは司法試験を受け続け、疲れ果てて亡くなったのかもしれません。

「あのお宅が隣に住んでいた頃、よく『そんなことでどうするのよーーー!』というXさんの怒鳴り声が聞こえてたわ」

親の期待というプレッシャーの中、彼が選んだのは縊死でした。

Aさんのお葬式の読経で、「○○大学法科を出て」と卒業した大学名が入っていました。「お経に出身大学の名前が入ってたのは初めて聞いたわ」と友だちに言うと、「きっとお母さんが頼んだんだよ」と。

Xさん、子どもが縊死した後も、子どもの大学名を参列者に知らせたいと思ったのか。

現在受験期で、受験生がいるお宅は大変だと思います。子どもの受験に親がウロウロしてどうするとか、子どものことは子どもにやらせろとか、様々なことを言う人はいますが、私も同じ道を歩んできましたので、受験生の親がどうにかなるというのはよくわかります。私もどうにかなっていました。

私は自分の受験の時に母からひどい言葉を投げつけられたのを今も忘れません。受験生は外からどう見えようと、神経をすり減らして精一杯やっています。志望校に落ちたからといって人生が終わるわけではない(わかっていても終わりそうな気がするというのもわかります)、ここは少し冷静に、少なくとも子どもに「この言葉は墓場まで持っていく」と思うような言葉は使わないようにしたいものです。

教育費は自己満足だったかもしれない

受験シーズンになり、受験生の親御さんは目が血走り、頭の中は「もし落ちたらどうしよう」でいっぱいだと思います。

過ぎてしまえば自分もそういう状態だったなと懐かしんだりもしますが、当時は本当にどうかしていました。「受験は子どものことだから、結果は子ども次第でしょ」と達観している人もいますが、私は子どもが地方の高校だったので、「落ちたら人生真っ暗」という気持ちでした。

地方は高校名で一生が決まってしまうと言っても過言ではなく、就職やアルバイトは履歴書に書いた高校名で粗選抜をしたりします。「高校名で地頭(じあたま)がわかる」と、地方に住んでいる多くの人が思っています。地頭が悪いと物覚えが悪いし、失敗も多い。教えるのに手間がかかるということです。

入試は一発勝負。たまたま体調が悪かったり、運がなかったりして落ちた人もいるかもしれないのに、「あそこんちの子○×高校」と、お茶飲みしながらおばあさんたちは口が悪いにもほどがあるほど、噂話のネタにします。

だから地方には中学浪人がたくさんいます。中学浪人用の予備校もあります。家にお金のある家は、県外の私立をダブル受験させ、県内の高校が落ちたらそちらに進学させます。

そういうルートで東京の私立高校に進んだ友人は「高校生の時から一人暮らしなんかさせるもんじゃないですよ」と言っていました。

「子どものためとは言うけれど、結局親の見栄じゃないですか。自分の子どもがFランク高校に行っているといいたくないんでしょ。高校生活は思い出したくないほど嫌でした。かといって県内の低ランク私立高校だったらやっぱり嫌かもしれないですけどね」

私は東京の生まれ育ちではないので、いったいどういう高校の順列かわからないせいもあって、まったく関心がありません。そしてずっと住んでいた友人たちの会話の中に高校名が出ることはまずありません。

「あそこんちの子、どこの高校?」も「どこの大学?」もありません。それは住んでいる人たちのマナーとしてそういった類のプライバシーには触れないのが暗黙マナーとして行き届いているのだと思います。

地方は塾がそもそもないか少ないので、通信で勉強している子もいれば、学校が受験生に向けて行ってくれる補修授業を受けたりしています。だから東京に住んでいる人たちよりも極端に教育費は少ないです。

でもなぁ

#小さな頃から塾に通っている東京の子たちと、受ける大学は一緒じゃん

東京の子たちは「伸び切ったパンツのゴム」のようなもので、伸びるだけ伸ばされてから受験をするので、もう伸びしろがないところで受験シーズンに突入することになり、本人のモチベーションが上がらないんじゃないかなぁと思います。

「一発屋」という、本番にだけめっぽう強い子どももいます。←たぶん地頭が良い

東京の親は小さな頃から教育費、塾代にお金をかけることで、「やるだけやった」「結果はしかたがない」というしっかりとした諦めをすることへの担保として、塾代をかけている人も多いんじゃないかと思います。

私もあの時お金をかけたらよかったなーと後悔しないよう、子どもの教育費にはお金をつぎ込んだので、まったく思い残すことはありません。

お金を存分使った、自己満足です。

脅しというしつけ

「夫は子どもを叩いたり、車から降ろして置き去りにしてしつけたからあの子はちゃんと自分のいうことを聞くと自慢していました」

それに比べてお前はきちんと怒らないから子どもが言うことをきかない。母親としてなっていないというのが夫の言い分だそうです。

夫のいう「しつけ」とは痛みや苦しみを子どもに与えて恐怖感を持たせ、それによって子どもは自分の言うことをきくようになるということです。しつけは教育であり、当然のことをしているとしっかりとした信念を持って行っていると胸を張るそうです。

ここまでしっかりずれているとどうしようもありません。これがちょっとやそっとの更生プログラムでは矯正のしようがない。

相手に恐怖を与えて支配して言うことを聞かせると言う手法はとても手っ取り早くて簡単にできます。その簡単にできる方法をなぜおまえはしないのか、なっとらんといい、妻にも同様に恫喝、怒鳴る、生活費を渡さないといった脅しを行います。

脅しはする側が優位の立場にいるときにやるものです。これが立場が逆転したら、さてどうなるでしょう。

私は行政の福祉現場にいて、子どもが成長して自分の親に暴力をふるう話を沢山聞いてきました。子どもたちは「自分は子どもの頃に父親から散々叩かれて育ってきた。同じことをして何が悪い」「なんだったら家から出て行っていただいて結構。いや出て行って欲しい」と言うそうです。

そういわれると現場の職員も口では「暴力はいけません」とはいうものの、「親父さん、叩いてたんならしゃーないなぁ」と思うとのこと。

私もそう思います。

「出て行って欲しい」という子どもの足元にすがりついて、「頼むから置いてくれ」と泣き叫んでいる光景。

脅しによる恐怖感を与えると、結局はこういうことになるということをモラ夫さんたちには覚えておいて欲しいですね。

正論は厳しい

こちらの続きになります。

決まっていないのは宿だけでなく、留学ビザも取れていませんでしたが、出発3日前のギリギリでビザがおり、これでめでたく留学に行けることになりました。

すると、子どもは不機嫌マックスで親に当たり散らすのだそうで。

行けることになり、行かなければならないとなり、今度は行った時の不安で当たり散らしているらしい。

「子どもが当たり散らして来たら、あなたが自分で決めた留学ですから、自分で切り開きなさい』『わからなければ人に聞きなさい。ネットで探しなさい』とだけ言って、終わりにしましょう。いつまでも子どものグズグズに付き合う必要はない」

と知人にアドバイスしました。

ただ、彼女に言った「あなたが自分で決めたこと」は正論なのですが、言われた方は正論だけに言い返せない。言い返せなければ暴れるしかない、ということになります。

正論は正論であるがゆえに厳しく相手に刺さるのです。さらにその正論は言われなくても自分でわかっていること。それを甘えでわめき散らしているだけです。甘えにつきあっていると、いつも甘やかしてくれる、なんでも尻拭いしてくれると思ってしまいますので、時には突き放すことも必要です。

それは20歳になるずっと前に、小さな頃からやっておかなければならないことです。

奨学金は借金か

yahooのニュースに奨学金についての記事がありました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3c1a3a526dbf3c4be2475f9abd45845f248281a8
大学生の「5割」が奨学金を利用!40年前と学費は「15倍」に!?

独立行政法人日本学生支援機構の「令和2年度学生生活調査結果」によると、日本学生支援機構を始めとした何らかの奨学金を受給している大学生(昼間部)の割合は49.6%でした。”

ほぼ半分の学生が奨学金を借りているとのことです。私がふたりの子どもを育てている時の周りの人の話では、この「奨学金を借りる」ことについて、全部が全部資力がないというわけではありませんでした。

資力以外のことというのは

1 アメリカは奨学金で大学へ行くというじゃない。勉強したかったら自分のお金で行くべきだよね。

2 自分のお金で行かせた方が熱心に勉強するかと思って

3 地方に住んでいるから、お金は仕送りと学費のふたつがかかる。さらに下の子どもたちもいる。仕送りは何とかがんばるから、学費はとりあえず奨学金を利用して頂戴

こんな感じでした。

3の場合は、学校を卒業したら奨学金の返済は親が行う、という家もありました。

1のアメリカは~ですが、ちょっと問題ありなのは、アメリカの場合、いったん就職してお金を貯め、貯まったら学校へ行くという道が一般的ににあります。日本の場合は昨今変わってきたとはいえ、新卒の就職に失敗したら、その後の人生が大きく変わってしまうという事情があります。

もちろん優秀な人はその部類に入らず、いつからでもどこからでも就職だろうが起業だろうがどんな道でも開けています。でも、それは一部の人で、やはりまずは大学から就職へという安全な道を選ぶ人が多いのではないかと思います。

つまり社会制度が違うのです。違う制度の国の話を持ってきても、日本であてはまらないことがあります。

2の人は結構周りにいました。親は大学の学費を出すくらいのお金はありましたが、自分で返すとなると一生懸命勉強するだろうという、親の希望的観測の元での選択ですが、さてそれは子どもはどうとらえるか。

18歳の、これから4年間大学生をする子がそれで一生懸命勉強するとは思えない←我が子ならばそうです。多額の奨学金を借りて進学したものの、特にそれで気持ちがしゃっきりして勉学に勤しむということはあまり期待できないのではないかと思います。

”就職したら返せばいいんでしょー。長ーく少しずつでしょー。月1万円程度だよね♪”と軽く考えている学生がとても多いように見えます。

新卒のお給料は安いです。2年目に税金やら社会保険料やらが組み込まれると、がっくりするほど安くなります。その中での1万数千円はとても痛い金額です。

若いということは欲しいものも多い。そろえなければならないものも多い。毎月の1万数千円がずっしりと重く感じられるでしょう。就職先がマッチングせず、早々と辞めてしまう人もこの頃は多いですが、それでも奨学金の支払いは続きます。滞納した場合は強制執行です。

だから、奨学金は言葉は美しいですが「借金」なのです。

さらに結婚後、収入を得られない専業主婦になった場合、その借金は誰が返すのかという問題になります。

私は相談員をしていて、この問題を時々伺うことがありました。結婚する前は「一緒に返していこう」と言ってくれた夫も、キチキチの家計の中での奨学金の重さにいらだつことがあります。

「でも、奨学金は彼が返してくれるって言ったんです」という方もいますが、結婚前のほとんどビョーキの状態で言ったことは、もうこうなると「あれはうわごとだった」です。

結婚前のカードローンも奨学金も一緒に借金です。毎月10万の奨学金を借りると卒業時には480万円です。20歳を少し出た若者が、学校を卒業したとたん480万の借金を背負っているというは相当重いです。

できれば奨学金は目いっぱい借りるのではなく、補填程度にしておきたいですね。

危ない家庭は役所に通報してください

先日友人に会っておしゃべりしていたら、「勤め先に気になる人がいるの」とのこと。

気になる人とはシングルマザーで、11歳を頭に2歳まで4人の子どもをひとりで育てているとのこと。

「仕事はシフト制で夜は20時になることもある。4人の子はそれまで子どもたちだけで過ごしている。一番下の子は保育園だし、この子のお迎えやご飯はどうしているんだろうと思う」とのこと。

「そういう家庭は役所に通報して」と私が言うと、「それぞれの家にはいろいろな事情があると思うのよね。通報したらなにかされてしまって、家族がバラバラになってしまうのではないかしら」と、心配しています。

誰かに何かをすることを尻込みする人は多いです。困っている人に声をかけることも、重いものを持っているのを手伝うのも、電車で席を譲ることも「もし何かあったら」と躊躇してしまうようです。

いらないお節介を焼いたおかげで大変な目に遭わせてしまっては後から後悔するからと、結局何もしないのが一番という結論になってしまう。

4人の子どもが大人のいない家にいて、10歳の一番上の子どもが下の子のケアラーになっている状態がよいわけがありません。これを役所に通報せず、不幸な結果になってしまったら、通報をためらった人は大いに後悔することになります。

役所が無理やり何かをすることはあまりないのですが、ただし、子どもに関しては親の希望に沿わないことをするかもしれません。ですが、少なくとも子どもたちが安全に暮らせるような計らいはするはずです。

必要がないと判断されればそのままですし、とにかく通報はためらわずに行ってください。