正論は厳しい

こちらの続きになります。

決まっていないのは宿だけでなく、留学ビザも取れていませんでしたが、出発3日前のギリギリでビザがおり、これでめでたく留学に行けることになりました。

すると、子どもは不機嫌マックスで親に当たり散らすのだそうで。

行けることになり、行かなければならないとなり、今度は行った時の不安で当たり散らしているらしい。

「子どもが当たり散らして来たら、あなたが自分で決めた留学ですから、自分で切り開きなさい』『わからなければ人に聞きなさい。ネットで探しなさい』とだけ言って、終わりにしましょう。いつまでも子どものグズグズに付き合う必要はない」

と知人にアドバイスしました。

ただ、彼女に言った「あなたが自分で決めたこと」は正論なのですが、言われた方は正論だけに言い返せない。言い返せなければ暴れるしかない、ということになります。

正論は正論であるがゆえに厳しく相手に刺さるのです。さらにその正論は言われなくても自分でわかっていること。それを甘えでわめき散らしているだけです。甘えにつきあっていると、いつも甘やかしてくれる、なんでも尻拭いしてくれると思ってしまいますので、時には突き放すことも必要です。

それは20歳になるずっと前に、小さな頃からやっておかなければならないことです。

奨学金は借金か

yahooのニュースに奨学金についての記事がありました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3c1a3a526dbf3c4be2475f9abd45845f248281a8
大学生の「5割」が奨学金を利用!40年前と学費は「15倍」に!?

独立行政法人日本学生支援機構の「令和2年度学生生活調査結果」によると、日本学生支援機構を始めとした何らかの奨学金を受給している大学生(昼間部)の割合は49.6%でした。”

ほぼ半分の学生が奨学金を借りているとのことです。私がふたりの子どもを育てている時の周りの人の話では、この「奨学金を借りる」ことについて、全部が全部資力がないというわけではありませんでした。

資力以外のことというのは

1 アメリカは奨学金で大学へ行くというじゃない。勉強したかったら自分のお金で行くべきだよね。

2 自分のお金で行かせた方が熱心に勉強するかと思って

3 地方に住んでいるから、お金は仕送りと学費のふたつがかかる。さらに下の子どもたちもいる。仕送りは何とかがんばるから、学費はとりあえず奨学金を利用して頂戴

こんな感じでした。

3の場合は、学校を卒業したら奨学金の返済は親が行う、という家もありました。

1のアメリカは~ですが、ちょっと問題ありなのは、アメリカの場合、いったん就職してお金を貯め、貯まったら学校へ行くという道が一般的ににあります。日本の場合は昨今変わってきたとはいえ、新卒の就職に失敗したら、その後の人生が大きく変わってしまうという事情があります。

もちろん優秀な人はその部類に入らず、いつからでもどこからでも就職だろうが起業だろうがどんな道でも開けています。でも、それは一部の人で、やはりまずは大学から就職へという安全な道を選ぶ人が多いのではないかと思います。

つまり社会制度が違うのです。違う制度の国の話を持ってきても、日本であてはまらないことがあります。

2の人は結構周りにいました。親は大学の学費を出すくらいのお金はありましたが、自分で返すとなると一生懸命勉強するだろうという、親の希望的観測の元での選択ですが、さてそれは子どもはどうとらえるか。

18歳の、これから4年間大学生をする子がそれで一生懸命勉強するとは思えない←我が子ならばそうです。多額の奨学金を借りて進学したものの、特にそれで気持ちがしゃっきりして勉学に勤しむということはあまり期待できないのではないかと思います。

”就職したら返せばいいんでしょー。長ーく少しずつでしょー。月1万円程度だよね♪”と軽く考えている学生がとても多いように見えます。

新卒のお給料は安いです。2年目に税金やら社会保険料やらが組み込まれると、がっくりするほど安くなります。その中での1万数千円はとても痛い金額です。

若いということは欲しいものも多い。そろえなければならないものも多い。毎月の1万数千円がずっしりと重く感じられるでしょう。就職先がマッチングせず、早々と辞めてしまう人もこの頃は多いですが、それでも奨学金の支払いは続きます。滞納した場合は強制執行です。

だから、奨学金は言葉は美しいですが「借金」なのです。

さらに結婚後、収入を得られない専業主婦になった場合、その借金は誰が返すのかという問題になります。

私は相談員をしていて、この問題を時々伺うことがありました。結婚する前は「一緒に返していこう」と言ってくれた夫も、キチキチの家計の中での奨学金の重さにいらだつことがあります。

「でも、奨学金は彼が返してくれるって言ったんです」という方もいますが、結婚前のほとんどビョーキの状態で言ったことは、もうこうなると「あれはうわごとだった」です。

結婚前のカードローンも奨学金も一緒に借金です。毎月10万の奨学金を借りると卒業時には480万円です。20歳を少し出た若者が、学校を卒業したとたん480万の借金を背負っているというは相当重いです。

できれば奨学金は目いっぱい借りるのではなく、補填程度にしておきたいですね。

危ない家庭は役所に通報してください

先日友人に会っておしゃべりしていたら、「勤め先に気になる人がいるの」とのこと。

気になる人とはシングルマザーで、11歳を頭に2歳まで4人の子どもをひとりで育てているとのこと。

「仕事はシフト制で夜は20時になることもある。4人の子はそれまで子どもたちだけで過ごしている。一番下の子は保育園だし、この子のお迎えやご飯はどうしているんだろうと思う」とのこと。

「そういう家庭は役所に通報して」と私が言うと、「それぞれの家にはいろいろな事情があると思うのよね。通報したらなにかされてしまって、家族がバラバラになってしまうのではないかしら」と、心配しています。

誰かに何かをすることを尻込みする人は多いです。困っている人に声をかけることも、重いものを持っているのを手伝うのも、電車で席を譲ることも「もし何かあったら」と躊躇してしまうようです。

いらないお節介を焼いたおかげで大変な目に遭わせてしまっては後から後悔するからと、結局何もしないのが一番という結論になってしまう。

4人の子どもが大人のいない家にいて、10歳の一番上の子どもが下の子のケアラーになっている状態がよいわけがありません。これを役所に通報せず、不幸な結果になってしまったら、通報をためらった人は大いに後悔することになります。

役所が無理やり何かをすることはあまりないのですが、ただし、子どもに関しては親の希望に沿わないことをするかもしれません。ですが、少なくとも子どもたちが安全に暮らせるような計らいはするはずです。

必要がないと判断されればそのままですし、とにかく通報はためらわずに行ってください。

今気にいっているMOECHANNEL

このところほぼ毎日見ているのがMOWCHANNELです。1歳数か月の女の子がただひたすらご飯を食べるという動画なのですが、ことの他、面白い。

https://www.youtube.com/watch?v=wtTY1_xJMho

子どもは好きなものばかり食べるものですが、このモエちゃん、ちゃんと三角食べができるところがすごい。付け合わせの野菜も、汁物もきちんと全部食べる。

好き嫌いなしで、魚も野菜も全部食べるとのこと。ラーメンの汁は出汁で作っているので塩分ゼロとのこと。

お母さんがしきりに話しかけながらの食事シーンですが、お母さん、専業主婦でしょうか。働いていてこれができたらすごいけど。

ワンオペと書いてあるから、夫はまったく家事育児をしないと考えた方がよいのかな。

きっと、元夫が子育て当時に見たら「こういう風にしろ」「他の人はみんなちゃんとやっている」と言うんだろうな。それをするにはあなたの協力も必要なんですけど。手を貸せなくてもいいから嫌がらせは心が萎えるのでやめていただきたいなと。

きっとこの動画を作っているお母さんの夫は嫌がらせはしないと思いますよ。

こういうものを見せられると、手抜き放題だったわが身の置きどころが無くなりますが、それはこの方の方針とわが身の方針が違うだけの話。子どもたちが今、ちゃんと健康に育っただけで十分。好き嫌いはいっぱいあるけど健康です。

お母さん、動画の中で英語を一生懸命教え込もうとしていますが、それ、今から必死でやらなくても、幼稚園くらいからで大丈夫だと思いますよ。この動画、その部分がちょっと「あれあれ~?」って思います。もえちゃんがしゃべっているのも幼児語なんだか英語なんだかわかりません。

お母さんの日本語の書き文字も英語のスペルも違っているところがあるので、まず日本語からがんばってみましょー。

まったくこういう小さな子どもに触れる機会がないので、この頃のささやかな愉しみです。

不幸を知ると幸せも知る

ここ3日間ほど、失くしたもののことで頭がいっぱいでした。今朝、起きがけにお告げのように「もう一度自分のバッグの中を探してみよう」と頭に浮かびました。どうしても他に置いてきたとか、落としたということが考えられなかったのです。

3日間、何度も探したバッグの中からそれは嘘のように出てきました。出てきてみれば「なぜここに気づかなかったのだろう」と思いますが、探している時は気づきませんでした。

そして3日間憂鬱だった頭がスッキリとし、今日は晴れ晴れです。

”人間って、何もない普通のことが一番幸せなのよ”

以前友人が言っていました。

”幸運があるとそれに溺れてしまう。幸運に慣れてしまって幸運であることが普通になってしまい、普通が不幸になってしまう。だから本当の幸せは普通でいることなのよ。宝くじとかにも当たらずに”

大事なものを失う(失っていなかった)という不幸があったから、今幸せでいられます。あの失くしたと思っていた頃、「朝まで幸せだったのに」「昨日まで幸せだったのに」と失くしたことに気づかなかった頃を思っては、今の自分の不運を嘆いていました。

ものすごく飛ぶ話ですみませんが、離婚をしようと妻が家を出ると、夫が狂ったように「子どもが、子どもが」と言い出します。出る前は子どもに見向きもせずにゲームをしたり飲みに行ったりしていた父親がいきなり「子どもの福祉のために」トカ言い出します。

「ハーグ条約が」などという、どこで聞いてきたんかいというワードも飛び出します。飛び出すワードが一緒というのは、ネットでググって指南を受けたのでしょう。

失ってから初めてわかる事ってすごく多い。健康だったり仕事だったり交友関係だったり。

子どもを失ってから初めてわかる子どもの存在。

もっと早く気づけばよかったね。

何度も何度も「子どもと遊んで」「家庭を大事にして」「そういう言い方しないで」って言ったよね。

終わってから気づいても、もう遅いんだよ。

小さな頃の養育の大切さー映画「Lion」から

こちらの続きです。
この映画はいろいろと考えさせられる問題が随所にあります。そのひとつに5歳の頃に迷子になってしまったサルーと、その後同じようにインドから引き取られた子ども(推定8~9歳)と一緒に、オーストラリアの家で育てられます。

ただ、サルーは貧しくても愛情たっぷりの母やきょうだいがいたのに対して、後から引き取られた子どもはそうではなかったようです。

何かあると火がついたように興奮し泣き叫び、自傷します。それはこの家に来て安心と愛情にあふれる生活になっても変わりませんでした。この子がこうなるまでにどれくらいのできごとがあったのか、どんな生活をしていたのか。

インド系独特の射るような眼差しが恐怖と怒りに変わり、自分を殴打し続ける。自傷するだけでなく、自分の人生も破壊し続け、養父母を悲しませます。映画の最後になってもそれは変わりませんでした。

幼いころの養育によってふたつに分かれた子どもの人生。それほど幼育期の環境が子どもに及ぼす影響が大きいということです。

インドは子どもが多いから、ひとりくらい居なくなってもそれほど大騒ぎにならないという話もあります。実際にこの映画の最後に「インドでは毎年8,000人の子どもが行方不明になる」というクレジットが流れます。

でも、サルーの母はいつ行方不明になったサルーが帰ってきてもいいようにと、決して住んでいた場所から離れませんでした。サルーは貧しくとも愛情にあふれた家庭に育ち、子どものいない家の養子として手厚い養護が受けられた、八千分の1の幸運な子どもでした。

映画の最後にインドに住むサルーの実母にオーストラリアの養母が会いにいく実写フィルムが流れます。

サルーは現在インドで孤児院を営み、インドの孤児をオーストラリアに養子縁組する活動をしているそうです。

憂鬱なアルバム整理

時間があるときにやろうと思っていたアルバムの整理をしました。子どもがふたりで映っているものは、とりあえずメインで映っている方に渡すことにして(丁寧な親はデジタル化してUSBやCDにして渡すんだろうな。時間があるときにそれ、しますから)整理をしていたのですが、なんとも妙な気分になってきました。

本来ならば「ああ、こんな時もあったなぁ」といろいろ楽しいエピソードを思い出しながらの作業なのでしょうが、これが嫌なことしか思い出さない。本当に見事なほど嫌なことしか思い出さない。

これはたぶん写真を撮るということは大体イベントの場合が多く、モラ夫が怒りそうなアクシデントが起きやすい。それは地雷がそこいらじゅうに埋まっているようなもの。この時はこうだった、この時はこうだったと嫌なことばかりが思い出されました。

そしてこの小さかった子どもたちにこんな危険な地雷原で育ててしまったことに対して、詫びようのない申し訳なさが湧いてきます。子どもは詫びられても困るでしょうから詫びませんが(子どもに謝りたいというのは親の自己満足。詫びられても子どもは困ります)、本来ならば楽しい家庭のはずが、ビクビクと両親の顔色を窺う日々でしかなかったことは、子どもたちから貴重な時間を奪ってしまったことに他なりません。

せめてこれから子どもたちが作る家庭がよりよいものになるよう、私が何かとお手伝いするのがお詫び行脚になるかなと思っています。

どうしても手のかかる子

私は長い間働いていましたが、その中で思うことがありました。

「世の中には手のかかる人が1割いる」

例えば役所を考えてみましょう。ほとんどの人はお役所とは生まれた時と死ぬときに行くものですが、これは本人は行かず(行けず)他の方が行きます。その他に必要なのは引っ越した時、住民票が必要な時、課税証明書などの証明書が必要な時、保険や年金の手続き、それくらいではないでしょうか。

小中学校へ入学するときは自動的に役所から通知が来ますので自分から行くことはありません。後は保育園の申し込み、老年期になってから施設の申し込みなどでしょうか。

正確に数えたわけではない肌感覚ですが、世の中の9割の方はまずほとんど役所に来ることなく、役所の人間が自動的に働いて世の中を回しています。ところが産まれてからずっと役所とつながり続けないと生きていけない方もいます。DV被害者や生活保護の方、障害のある方など、ずっと役所と関わり続けなければならない方は一定数います。

役所以外でも、お店で「これをください」とさっさと買って帰る人もいれば、「これはどんなものですか?」と説明を求める人、「これは思っていたものと違うから取り替えてください」と言う人、クレームをつける人などなど手のかかる人もやっぱり一定数います。もしみんなが何もなく自分の欲しいものをさっと買っていくだけだったら商品知識もいらないし、面倒なカード払いの払い戻しやり方を覚える必要も、クレーム対応研修もいりません。店員さんの数は半分で済むでしょう。こういったイレギュラーな人がいるために、店員の数を減らすわけにはいかないのです。

どの世界でも「手のかかる人」は一定数います。

前置きが長くなりましたが、子どもも同じです。手のかかる子どももいれば、放っておいても勝手に自分でやっていく子どももいます。きょうだいで下は手がかからないけど、上は手がかかる場合があります。同じきょうだいで同じ人(親)が育てたのにやっぱり違います。それは「個性」というものだと思います。

その子にはその子の個性があります。遺伝的なものもあれば、先に生まれた、後に生まれたによっても違いますし、たまたまそういう環境で育った場合もあります。つまり子どもはみんな違います。

我が家は生まれたときは上が手がかからず、下は手がかかる子でした。特に夜泣きがひどく、私も子どももよく生きていられたものだと思います。成長すると上は手がかかる子、下は手がかからない子になりました。下は勝手に自分でなんでもやっていきますから、いわゆる放任野放し状態でOK。ところが上はとても繊細な心を持っているので、注意深く見守らなければなりませんでした。

世の中には子育て本がたくさんあり、その多くに「子どもは指図はするな、見守れ」とあります。私も基本的な部分は賛成ですが、中には手間をかけることが必要な子どももいます。言わなくてもわかる子、言ってもわからない子、どうやってもわからない子は一定数います。飲み込みの悪い子は手取り足取りしなければ理解できません。

母親に十分な時間や忍耐力があればニコニコと見守って「できるまでがんばろうね」と言えますが、仕事、家事子育てと分単位で追いまくられている母親に「見守ろう」はかなりハードルが高いだろうな、見守りのできない母親は失格と言われている気がするのではないでしょうか。

子どもがひとりならまだ何とかなる。でも、二人、三人になると、今度は子どもたちの関係性が出てきます。子どもが二人になると手間が2倍になるのではありません。上と下の子の個性と関係性に目を配らなければならないので4倍になるのです。それが三人になれば9倍です。

親が亡くなった時に起こる遺産相続を巡る争いの根源は、この関係性に帰することが多いのです。何十年たっても「お兄ちゃんにしてくれたことを私にしてくれなかった」と言って骨肉の争いになるのはよくあるケースです。きょうだいは他人の始まりです。

子どもにはその子の個性に合わせた育て方が必要だと思います。ふたりの子どもを30歳過ぎまで育てた私の実感です。

久々に夫に腹をたてる

よく講座での質問で「元夫は今、何をしていますか?」と聞かれることがありますが、答えはいつも「知りません」です。元夫とは物理的距離も心理的距離も1億キロメートルほど離れていますので、彼が何をしているかの興味もない。いつも書きますが、初恋の人の面影の方がよっぽど私の中で生きています。

離婚して夫と関わらなくなってもよくなりましたが、唯一関わらずを得ないのが子どもの結婚です。結婚式の時はどうしよーと思いましたが、幸いコロナ禍で結婚式は今はやらず、両家が東京に集まり、祝いの席を設けることになりました。

私はその前にLINEビデオでご挨拶していますので、最初のご挨拶は済んでいます。

コロナ禍になり、この方式のご挨拶が増えているそうです。私がこの方式を採用したのも、知り合いの男性が「相手の親御さんとはZOOMで挨拶しただけ」という話を聞いたからです。手を抜いているわけではなく、相手が東京に来るのも、東京からふたりが行くのも、ご両親にもご両親が住む地域の方の不安もありますから、これがいらぬ心配の元を作らない一番の方法だと私も思います。

私は聞かされていなかったのですが、私がご両親とお会いし、酒宴の席でご挨拶した翌日、夫が遠方からやってきて、同じように祝いの席が設けられたとのことでした。私に気を使ってくれたふたりと、二回に分けなければならないというややこしい家の事情を汲んでくださった相手のご両親には大変感謝しています。

パートナーのご両親は遠方から来られますから、交通費の出費が大きいし、ふたりはそれほど裕福な新婚生活を送っているわけでもありませんので、この席は私が負担することにして、子どもにお金を渡しました。

当然夫も同様にすると思っていました。元夫はケチですが、こと冠婚葬祭などの決め事にはきちんとする人なので、それなりのものを包むと思っていました。

「お父さんからいくらかもらったよね」

「まんじゅう、ひと箱」

「だけ?」

「だけ」

はぁ~?!まんじゅうひと箱でタダ飯食ってったぁ~~~?

思わず声に出ました。

「結婚式の時にやるからなって」

だ~か~ら~、結婚式はコロナでいつできるかわからないってばっ

式ができなくても結婚届を出して、ちゃんと二人で記念写真撮って、こうやって両家を呼んでの会食の場をセッティングしたんだってばっ

こういうことをするのはお金がかかるんだってばっ

なんで結婚式にこだわるんだろう。わけわからん。

よかったよ。やっぱり。わけのわからん生き物と離れられて本当によかった。

久々の意味不明なモラハラルールとの再会でした。

奇妙な「家族団らん写生会」

私が小学4年の頃。父親は月に数回酒を飲んでわめき散らす、母親はそのストレスをまともに子どもにぶつける。家は貧乏、学校へ行けばお金持ち大好きの教員から嫌われるという生活でした。

ある日曜日の朝、突然母が「家族団らんをしよう!」と言い出しました。

今思うと笑えてしまうのですが、家族団らんとは取り立てて始めるイベントではなく、日々が楽しく暮らせていればそれが家族団らんというものではないでしょうか。母が「家族団らんをしよう!」言った瞬間に私は「けっ!」と思いました。小学4年生です。

10歳でもこんな大人の幼稚な取り繕いに気づき、「けっ!」と思う頭は持っています。今10歳以上のお子さんをお持ちの方は子どもは幼いからわからないだろう、気づかないだろう、子どもなんだからと思っていても、子どもは大人が思っているより頭のつくりは大人です。

毎度毎度酒を飲んでわめきちらし、母は子どもに決して言ってはいけないことを叫びちらし、ナニが家族団らんじゃい、笑わせるんじゃねぇと思っていました。

母が思いついた「家族団らんイベント」は写生会でした。こたつの上に花を挿した花瓶を置き、それを4人で写生するというものでした。

母は必死で家族仲良い風景を作りたいと思っていたでしょう。がんばって家族らしいことを「お金をかけずに」やりたいと思っていたでしょう。そのがんばりがミエミエな分、私の頭の中には「浅はか」という文字が浮かびました。

#そんなわざとらしいことをするよりも、子どもたちに毒吐きするな

モラハラ被害者の方の中には「子どもが自分の辛さをわかってくれない」「私の味方をして、一緒に夫の悪口を言って」という方はいますが、これはやめた方がいいでしょう。結婚は夫婦で決めたことで、子どもには関係ないことです。子どもには楽しくのびのびと暮らす権利があります。その権利を守るのは親の役目です。

さて、写生会は終わり、ご丁寧にそれぞれの作品を見せ合いながらの寸評になりました。「お母さんのここがいい」「早智子は色がきれい」などと家族団らんごっこをしてお開きになりました。ありがたいことにこの家族団らん写生会はこれ一度だけで、二度と開かれることはありませんでした。