入学試験は親も子も試練

3月になり、合格発表も出そろいつつありますね。入学試験は本当に親も子も試練の時です。中には「受けるのは子どもなんだから、私は関係なかったわ」という人もいて、それはとてもうらやましい方です。

子どもが入試の方のご相談はだいたい11月頃から始まります。内容はほぼすべて同じ。

「入試まで目前なのに勉強しない」

「親や先生がいくら言っても机に向かおうとしない」

「やればできる子なのに、このまま努力せずに終わるはもったいないと先生に言われた」

「第一志望の学校の偏差値まであと少しなのに、がんばろうとしない」

つまり、「がんばってもできないならば諦めもつくが、がんばろうとしないのが腹が立つ」ということです。

私も相談を受けていて、同じ道を通ったので、保護者の方の怒りがものすごくよくわかります。我が子の時は私も相談者の方と同じように歯噛みをし、きーーーーーーーー!!!!っとなったものでした。だから「試験は本人が受けるのだから、私は関係ない」と言える方は本当にうらやましい。

ここで書いておきたいのは、よく「先生から『お宅のお子さんはやればできる子です』と言われた」と仰る方が大勢いることです。私も同じように言われました。どうやら先生方、ほとんど全部の親に同じことを仰っているのではないかと思います。だって「お宅のお子さんはどうやら勉強してもできない子ですね」とは言わないでしょう。だから「やればできる子」とハンコのように同じ言葉を言う。

私が長年子育て生活を通してわかったのは、世の中の子どもの8割は「やればできる子」です。後の1割は「やらなくてもできる子」、残りの1割は「どうやってもできない子」です。たとえばLD(学習障害)の子は学校の勉強はいくらやってもできません。たぶん授業中は苦痛でしかないでしょう。何もわからない呪文のような英単語や割り算の仕方を聞いても、泥の中で泳いでいる気分だと思います。

その反面、まったく勉強なんかしなくてもできる子はいる。←もうはっきり言う

これはもう努力がどうのこうのと言う話ではなく、脳がそういう作りでできて生まれてきているのだから仕方がないとしか言いようがない。

でも、ほどんどの子は多勢の8割、「やればできる子」なのだから、せめて努力して上を目指してもらえないかと親は思うものです。私は子どもの学校名をブイブイ言って見栄を張りたいとか、そういうものはありませんでした。ただ、子どもの将来選ぶ選択肢を増やすには、上位校の方が幅が広がる。そう思っていました。

子どもにはよい環境で勉強して欲しい。よい影響を与えてくれる学友に巡り合って欲しい。その気持ちでした。そして悲しいかな地方は都会と違って、高校名で辛い思いをしたり、進路が阻まれることが多いのです。

「ホテル」の話

こちらの続きです。

すごい勢いでIT化が進み、最初に入ってきたのは「ワープロ」でした。それまでは「タイピスト」と呼ばれる人が、和文タイプで打ったものを正式な書類として使用していましたが、私の職場ではタイピストがひとりしかいなかったので、いつも順番待ち。彼女の机の上には貢物のお菓子がいつも山のように積まれ、夜のご接待も頻繁にあったようです。

時は流れ、ワープロが数台入ってきてワープロ室なるものができ、書類はタイピストではなく各課がそれぞれ作るようになり、私も上司に頼まれたものをよく作っていました。

最初にワープロの前に座って戸惑うのはキーボードの位置がわからないことです。みんなこれでとても苦労して、いわゆる「一本指打法」で打ち込んでいましたが、私は前の仕事で英文と和文簡易タイプライターを使っていたのでキーボード操作は慣れていますから、あとはワープロの機能だけ覚えれば良い。1日で覚えました。

何でも少しでもやっておくものです。ただ、「クマガイに頼むと早い」と言うことになり、仕事量は増えました。早く仕上げるには他の仕事は後回しになりますから、上司の方で計らってくれ、キーボードに向かう時間が多くなりました。

#打てば打つほどタッチは早くなる。機能も裏技もどんどん覚える。

ワープロの次にパソコンが入ってきて、ひとり1台ノートパソコンが机の上に置かれるようになり、「書類は人に頼まず、自分で作ること。課長職も同様」のおふれが出た時、不思議なものを見ました。

「ホテル」と呼ばれる課長がいました。この呼び名はある日、ホテルが血相を変えて入口のドアにすっ飛んで行ったと思うと、うやうやしく90度のおじぎをした相手はナンバーツーの上司。その血相の変え方と、90度のおじぎがまるでホテルマンのようだったことから「ホテル」と呼ばれていました。上には90度のおじぎ、下には横柄で高圧的な上司でした。

ふと覗いたホテルの部署で、ホテルが両手を白い包帯でグルグル巻きにしています。

「ホテル、どしたの?」と同僚に聞くと

「金属アレルギーなんだって。医者から絶対パソコンに触れないようにって言われたんだって」

「金属アレルギーって、手に触る所はプラスチックじゃん」

「ホテルの肌はすごく敏感で、少しでも金属イオンを感じるとアレルギー反応が出るんだって」

ぷぷっと同僚は笑って、「だからワープロ打ちのものは私がやることになってんの」

「ホテル、文系だからねー」

私たちだって文系だけどねー、やれと言われたらやるよねーと再度ぷぷっと笑いあいました。

それから数か月後のこと。職場にLANが引かれ、インターネットが導入されました。最初は一部だったインターネットはすぐに全員の机の上にあるパソコンで利用できるようになりました。

そしてある日、ホテルの部署を覗くと、白い包帯を巻いたホテルがマウスに手を置き、PCのモニターを凝視しています。

「ホテル、金属アレルギーはどしたの?」
「ネットはいいみたいなのよ」おかしくて仕方がないといった表情の同僚が言いました。

「ネットの見方を教えたら面白くて仕方がないみたいで、金属アレルギー、忘れたみたいなのよね」

その後、ホテルに抗体がついたか、包帯無しでPCに触れるようになり、一本指打法ではありますが、キーボードに触れるようになりました(あれ?

「全員ワープロができるように」とお達しが出た時に修練を積めば、後々まで酒飲みのネタにされるようなことはなかっただろうに、ね。

メーガン妃は女優

イギリスのメーガン妃がアメリカのテレビのインタビューで、人種差別的発言をされた他、さまざまな嫌がらせにあっていると告白。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fcee29d27f7be1ddc552ac2567fd0ace5a9f08b4

そのインタビュー放送に、ビヨンセやら、沢山の著名人が「勇気ある行動」と褒め称えているそう。さらに、彼女をこきおろしたテレビ司会者は降板させられたそう。

そのインタビューで「自殺も考えた」と発言していますが、なぜメーガン妃はその人種差別発言を聞いた時にその時に言わなかったんだろうか。なぜ今まで温めていたんだろうか。あれだけバリバリと物を言う人が、飲み込んだとは思えないのだけど。飲み込めるような内容ではないと思うのだけど。

なぜ今改めて場所を設定して言うのだろうか。

そして、内容をはっきりと言わない。どうにでもとれそうな発言の仕方は本当によろしくない。表情を作るのは女優さんだからお手のものでしょう。

女王を悪く言わないのは、国民から敬愛される女王を悪く言えば、国民の反発があるから。エリザベス女王も、90過ぎてこんな身内のゴタゴタの始末をしなければならないのは本当にお疲れ様だと思う。

ヘンリー、目を覚ませ!って、同僚とよく言ったものです。

英国王室もエライもんを身内にしてしまったね。これはずっと長く続きますよ。それぞれの子どもたちが成長すると、更に泥沼化すると予言。

いろいろとスキャンダラスな英国王室の歴史に、また追加されそうですね。

チキンレースに負けるな

以前も書きましたが、毎日のように「離婚だ、出ていけ」と言っていた夫が、いざ妻が家を出て離婚調停となると「悪かった、もうしない」「反省している。やりなおしたい」と言って離婚を避けるのかは、本当に七不思議のように思えます。

理由のひとつは、元々「離婚だ」は脅しで、「離婚だ」と言えば妻は怯えて言うことを聞くからがあります。簡単ですね。

「り   こ   ん  だ」

この4文字で妻はなんでも言いなりになります。今モラハラ禍の中で夫からの「離婚だ」に怯えている方は大変多くいると思いますが、モラハラから脱したいと思うなら、それが離婚するかしないかに関わらず、離婚してもいいという腹づもりが必要です。

「離婚なんて、簡単に言わないでよ。できるわけないじゃない」と思われる方は大勢いると思いますが、これをしないとこの状態からは出られません。夫は何度でも、何年でも「り こ ん だ」と言ってくるでしょう。この悪魔の呪文を唱えさえすれば、妻はなんでも言うことをきくとわかったら、何かあるたびに「離婚だ」を繰り返すでしょう。

前に離婚するかしないかに関わらずと書きました。もしこの夫は真正モラハラ夫ではなく、「離婚だ」と言いさえすれば妻が言うことを発見し、これはしめしめとその上に乗っかっているだけだったら少しは脈があります。

それならば「離婚だ」が効き目がなく、そして妻は離婚してもいいわよと応戦したら、もしかしたらハラスメントの度合いが小さくなるかもしれません。うまくすれば、逆転の可能性もあります。

ただ、「いいわよ」が口先だけで本当は離婚したくない場合。「よし、離婚だな。いいんだな」「これからお前がひとりで子どもを育てるんだな。俺は知らないぞ。全部責任はお前が負うんだな」と言われて、「え、え、え。。そ、そんな、無理。。できない。。」とおろおろしてしまったら、これはもう夫の勝ち。これまで以上に夫の攻撃は多く、激しくなります。なぜなら妻の「いいわよ。離婚するわよ」というのが口先だけだと言うことがバレてしまったからです。

これはもうどちらが先に降りるかのチキンレースです。そしてこのレースに勝つには、本当に離婚してもいいと腹を括ること。そのために離婚した時の準備を固めておくことです。いつ離婚しても大丈夫という状態を作っておいてからレースをすることです。マラソンだって試走して道の高低や風の吹き方、道路の曲がり具合をちゃんと確かめるでしょう。いきなり初めて走って勝てるわけがない。

その後、本当に離婚になったら、それは最初から腹づもりをしていたのだから、問題はないはずです。チキンレース必勝法は離婚に限らずどの場面でも使えますが、ダメで元々くらいの気持ちで始めることです。

「しくじり先生」でモラハラ

7日放送『しくじり先生 俺みたいになるな!』(テレビ朝日系)で家庭内のモラハラをとりあげていたそうで、いろいろな方からお知らせをいただきました。

#あらー、残念でしたー。見たかったなぁ。

番組はこのような感じだったそうです。

https://twitter.com/oubaitouri111/status/1368575153177645056
https://twitter.com/oubaitouri111/status/1368578249815588868

また、この中で取り上げられていたパンサー尾形さんについての記事はこちら

反省できたのなら、それはモラハラじゃないです。反省したふりをしたのなら、モラハラかもしれませんね。

ただいま楽天半額セール中

ただいま楽天市場で半額セールが開催されています。このバナー↓から入ってお買い物をしていただくと、モラハラ被害者同盟への寄付になります。サイト運営にはお金がかかりますので、ご支援のほど、よろしくお願いします。

いつもセールの時にまとめて買いますが、今回はマスク、ナッツ、タオルを購入。本当に外に出る機会が無くなったので、衣服を買う機会が無くなりましたね。化粧品も基礎化粧品しか使わない。ファンデ、リップはまったく使わない。私の人生史上、これだけメイクをしなかった期間は無かったと思います。

資生堂がシャンプーなどのパーソナルケア部門を売却したとのこと。きっと私と同じように「上半分化粧しても大して変わんないや」と、メイクを全放棄した人もいるんじゃないかな。

そして目しかない顔だと、個人特定がなかなか難しいという新たな発見がありました。マスクと目だけだと、知り合いによく似た人が沢山いて、人の顔の区別って顔下半分なのだとわかりました。下半分が隠れていると、年齢もよくわからない←これはいいことだ(嬉

ZOOMで人と話す機会が増えましたが、何しろそのためにメイクをするのが面倒なものだから、ビデオフィルターのスタジオエフェクト機能を使って、バーチャル眉にしています。使ったことのない方のために説明すると、モニターに映る自分に眉やリップを描くことができるという機能です。ちゃんと本人と一緒に動くし、表情と一緒に眉も動くスグレもの。良くできてるわぁ。

#こうやって人間は怠惰になっていく。。

コロナ禍が終わったら、元のようにメイクをするようになるんだろうか。いや、ならないような気がする。若い女性たちはするかもしれないけど、私らおばさんはこの手抜き放題の生活様式に慣れたら、もう戻れないような気がするなぁ。。

福原愛さんのモラハラ問題

福原愛さんが家庭内でモラハラを受けていたという話と、不倫問題が同時に週刊誌に出てきました。なぜ同時なんだろう??

記事を読んでいないのでどういうものなのかはわかりませんが、この話とは全然別に、モラハラを受けていた方が不倫をしていたということはたまに聞きます。大抵は「夫のモラハラを相談しているうちにそういう関係になった」というものです。

もしこれを私に相談されたら「そういう気持になってしまうのはわかります」と言うでしょうが、司法の場でこれは通りません。そして司法の場と言うのは男性の不倫よりも女性の不倫の方が何倍も重要視され、嫌悪されます。これは男女差別だよなぁと思いますが、ともかく現状はそうです。

さらに行政が不倫している方を「夫に見つかって怖いからシェルターに入りたい」と言われたら、どうするだろう。支援できるか。さて、そこが分かれるところでしょうね。

言うまでもないですが、たとえモラハラがあったとしても不倫は圧倒的に不利になります。下手をすると子どもとも会えないということにもなります。心が弱っている時に男性に相談するのはお止めになった方が。。。と老婆心ながら思います。

「モラル・ハラスメントのすべて」は台湾の文字で読めますので、モラハラってなんだろうと思われたらご一読ください。

人生は思い通りにいかないもの

こちらの続きです。

私がいたところは、会社の名前を言うと「わぁ、いいところに勤めていますね」と言われるような大きな組織で、福利厚生も退職金制度もしっかりとしていました。定年退職まで勤めたら、充分な退職金と年金で、趣味三昧の悠々自適な生活ができると思っていました。なぜなら先輩たちがそうだったから。

ところがいきなりやってきた社会変化に翻弄され、働き方も、収入も、大きく変わっていきました。それについていけない人は自ら辞めるか、辞めさせられる方に持って行かれました。いつもいつも誰かが辞めていく。

青春時代、花の〇期女子と仲よく遊んだ友人たちが、青白い顔をして、「この先、どうしようか」とため息をつく。

とはいえ、女性は生活をどうしようかという危機感は男性に比べてなかったと思います。なにしろPCを覚えるよりも退職を選ぶような安定した収入が夫にあるのでしょうから、それほどせっぱつまったものではなかったのでしょう。

配偶者が看護師や美容師などの資格を持っている男性は、他の男性陣から「いいなぁ」と言われていました。

女性たちは「嫌になったら辞める」「どっかでパートでもする」というのがランチでこの話題が出た時のいつもの締めくくりの言葉でした。

それもなんだか深窓の奥様方の、世間を知らない言葉のように思えました。私のママ友はみんな必死で夜昼働いています。夜9時過ぎにどこかの事務所の掃除に行く人。コンビニのお弁当を流れ作業で作っている人。ホテルのベッドメイキングをしている人はいつも腰痛に悩まされている。この職場がいかに恵まれているか、わかっているのかなと思いました。

何より私は子どもを育てていかなければならない。主生計者として生活費を稼ぎ、子どもの学費を何としても稼がなければならない。年齢も高くなり、東京と違って働くところがない地方で、今と同じ条件の職場があるとは到底思えませんでした。

意外だったのは、遠くに飛ばされた人たちで、男性は当然のように単身赴任をしていましたが、女性も同様に現地に部屋を借りて単身で暮らした人が多かったことです。あんなに簡単に辞めるわと言った人たちが単身赴任をしたのは、子どもが成人だったこと(いかに就業年齢が高かったかわかりますよね。辞めさせたくなるわけだ)があります。

しかしそれも長く続く人はおらず、結局キレて辞めていきました。

あの80年代、きゃぴきゃぴと楽しく働き、将来の不安なんかなかった時代。そのころに思い描いていた人生の終末期を送っている人は誰もいません。誰ひとりとしてこの未来を予測できた人はいません。もちろん私も。

思い通りの人生なんかありません。10年後も20年後もわかりません。だから不安と不安と唱えるよりも、その不安に対してどうするかを考えた方が、ストレスが減ります。それが生きるかどうかはわからない。でも、大抵やったことが全部無駄にはならないことは、今までの経験でわかっています。

そして避けきれないものは受け止めるしかないこともわかっています。

そういうもんなんだなぁとわかっただけでも、年をとったかいがありました。

先のことは考えない

こちらの続きです。

この中にあるように、私にはいつリストラ対象になるかもしれないという不安がいつもありました。上層部に「コネ」のある人はその不安はないでしょうが、元々そんなものはない、その他大勢のひとり。とても不安でした。

ところが同僚たちにその不安の話をしても、あまりピンと来ていません。「辞めさせるときに遠方に転勤させるのは常套手段なんだよ」と言っても、「まっさかぁ」とまったく現実感がない。

新聞やネットには絶対に通勤不可能な場所に転勤をさせられたという話はごまんとあるのに、「そんなひどいことするわけがない」と言う。あったとしてもそれはオトコにやることで、オンナにやるわけがないと思っている。

なぜそう楽観的に「あり得ない」と言うのか、本当に不思議でした。私が心配性すぎるのかもしれないけれど、とにかくその時のための準備はしておこうと思っていました。

そして月日は流れ、職場も昔のようなのんびりしたものではなく、効率優先、成果至上主義があっという間に入ってきました。その間10年ほど。10年間で職場の雰囲気はまるで変ってしまいました。

日中ゆったりと仕事をして、残業代を稼ぐというようなことはできなくなりました。私は元々18時30分にはテーブルにごちそうを並べておかなければならない生活でしたから、残業はありません。前任者が「繁忙期には24時を回らなければ帰れない」という内容の仕事も、PCをフル活動させて定時に帰っていました。

職場にはPCを使わなければならない仕事がものすごい勢いで増えていきました。「PCを覚えないと後で困るよ」と言い続けていた私に「その時になったらやるから」と嫌な顔をしていた人たちはPCを使いこなすことができず、結局次々と辞めていきました。

PCを覚えるより辞める方を選ぶという、配偶者にも自分にも余裕のある奥様たちが多かったということです。私にはそんな選択肢はない。とにかく働き続けること、何としてもこの職を追われないようにすること、そして追われた時のために資格を取ろうかと考えていました。

そして私の心配通り、上層部は辞めさせたい人たちを遠方に飛ばし始めました。小さな子どもがいる女性も対象になりました。予想は当たり、「夫が大きな会社や公務員で生活が安定している人」が優先的に選ばれて飛ばされました。優秀であろうがなかろうが、ともかく人員整理をしたかったようです。

ところが幸か不幸か、その時私はすでに離婚をしていたので、この優先順位からははずれることになりました。さすがにシングルマザーを遠方に飛ばして辞めさせるのは人道的ではないと思ったのかもしれません。

仕事はやっただけ身になる

こちらの続きです。

頼まれても嫌なら断るべしと言っても、世の中そう簡単にはいかないもの。特に職場や交友関係はきっぱりできないこともあります。特に仕事の場合は自分の仕事でキツキツだろうが、上下関係や、自分がお願いしなければいけないことも後から出てくるかもしれないと思うと、そうそう無下にもできません。

その時は、自分のスキルを上げるチャンス到来と思って引き受けてみるのも手です。「チャンス到来」と思いこむところがミソ。やりたくない仕事を嫌々引き受けるよりも、どうせやらなければならないのだったら、面白そうと思ってやってみてはどうでしょう。仕事はやればやるほど身になり、自分の武器が増えます。特に新しい仕事だったら、こちらから望んでもやってみる価値はあります。

もちろん新しい仕事というのは手探りが多いし、調べものもたんまりある。でも、そこで必ず身につくものもあるし、うまいこといけば人脈もできるかもしれません。

うま~く仕事から逃げる人はいるものですが、そういう人はやらない分、スキルが低い。結構人は見ているもので、一生懸命仕事をしている人はそれなりに評価してもらえているし、そうでない、うまくやっている人は「あの人、いっつも楽してるよね」と、陰口のネタになっているものです。その陰口は回りまわって権力者のお耳に入るかもしれません。

私はモラハラを知った時に、「HTML」という技術を持っていました。当時ブログなどというものはなく、ネットに情報を流そうと思ったら、HTMLの知識が必要でした。

私がこの知識を持っていたのは、ある出来事がきっかけでした。

ネット仲間がオフ会を行うことになりましたが、何しろモラハラ生活で、泊りがけの旅行なんかできるわけがない。他の在宅組と一緒に家でため息をついていました。行きたかったなぁー。

オフ会が終わってから「めっちゃ楽しかったよーーー」の報告メールに、多数の写真が添付されていました。すると「このオフ会の写真、アップロードしたらいつでも見られるよね」と誰かが言い出しましたが、はて、アップロードとはどのようにするものなのか、さっぱりわからない。それはみんな同じで「?」「?」「?」

ちょうどその頃、私は職場で不安がありました。私の職場は先があまり明るくないところだったので、共稼ぎの人はその時、人員整理の対象になるのではないかという不安です。特に私の元夫は大手に勤めていましたから、私はこの対象になりやすい。女性の場合、本人の実力よりも、その家の経済状態の方を優先させる傾向があるので、私はいつその言葉が来てもおかしくありません。

辞めさせられたら夫の希望通り家にいることになり、常に夫が言う「誰のおかげでメシが食えると思っているんだ」の言葉に怯えなければならない。経済力を失った私が丸腰になり、それまで以上に夫が高圧的になるのは目に見えていました。

何か武器を持たなければ。私にしかできない武器を持たなければ。

これは結婚した当初から思っていたことです。だから将来のためにPCの技術を磨きました。

それにHTMLの技術を加えてはどうか。

写真をアップロードするだけでなく、HTML化して、サイトのように見られるようにしてはどうか。技術を得られることと、みんなを喜ばせることの一石二鳥です。

「わたしがやる!」

何しろナマケモノの私のことですから、誰かに尻を叩かれるか、自分で人参をぶら下げるかしないと動かないのはわかっています。だから自分で自分の尻を叩くことにしました。

HTMLの本を買ってきて、手探りでオフ会の写真をサイト化しました。ひとつできると、また新しいタグの知識が入って来て最初からやり直しを繰り返し。完成までなんと半年かかりました。幸運だったのは職場にこの技術を持っている人がいたので、わからなくなるとお昼休みにおやつを持って聞きにいくことができたことでした。

そしてできたオフ会のサイトはアップロードではなく、CD-ROMにして参加者に配りました。最後のページは、スターウォーズのように宇宙空間にみんなの名前が飛んでいくデザインにしました。

「待たされたかいがあった」とは口の悪いメンバーの喜びの声。

これを契機に、仕事でもHTMLを使って「ダウンロードセンター」を作り、いちいち他部署へ用紙をもらいに行く手間を省き、用紙に手書きをするのではなく、wordに自分で打ち込めるようにしました。また、職場のHPの一部を作ったりしていました。

職場には電算管理者(レトロな名前だ)はいたのですが、なにぶん夢も希望もない殺伐としたオトコで、「きれいで見やすくて便利なHPを作る」という概念すらなかったのです。

知人の保育園のサイト作りはとっても楽しいものでした。子どもたちの写真を載せるために何度も保育園に通ったのですが、そのたびに子どもたちと触れ合えて、乳幼児は抱っこさせてもらい、サイトに沢山の子どもたちの笑顔を載せることができました。(セキュリティの問題については、保育園側との話し合いにより、妥協点を見つける)

そしてモラハラを知った時、すぐにサイトを作ることができたのは、この経験を通してHTMLを使うことができていたからです。もしこれがなかったら、「モラル・ハラスメント被害者同盟」は誕生しなかったかもしれません。

何事も準備が大事。自分の引き出しは増やそう。スペシャリストにならなくても、底が浅い知識でも、沢山持っていれば後から何かの役にたつことは、きっとあるものです。