台風と地震のダブルパンチ

今晩から台風7号の影響で雨風がひどくなるとのニュースが流れています。とにかく台風に備えて飛びそうなものを片付けておくとか、低電になってエアコンが使えなくなった時のための応急冷却物の作り方などが流れていました。

エアコンやもはや朝から晩までつけっぱなしなので、これが無くなると暑さに慣れていない分、辛さが身にしみそうです。

ペットボトルに水を入れて冷凍庫に入れておくと、エアコンが使えなくなった時に体にあてて冷やすのだそうです。

毎度思うのですが、こうやって「来るぞ来るぞ」と準備をしておくと結構空振りだったり軽傷で、ノーマークの時に大きな災害がどかんと来るような気がするのは私の気のせいでしょうか。

さて、ペットボトルに水をいれようとしたら、空のペットボトルがない。子どもからお古のソーダストリームをもらってからペットボトルの炭酸水を買うことがなくなり、もともとペットボトル飲料を買う習慣がないので、あったのは外に出るときに持っていく小さなペットボトルがふたつだけ。

これでもいっかとふたつに水を入れて冷凍庫へ。ベランダの植物は夏枯れをするのでもう夏の間に咲く花は植えておらず、背の高いローズマリーは倒れそうなので室内にいれました。

ミニトマトはプランターが大きすぎて移動は無理。重いので倒れることもなかろうと放置。

バッテリーは充電しておきましたが、東京に来て15年、いまだにあの東日本大地震の時の計画停電を除いて停電になったことがありません。東京ってすごいな。地方に住んでいた時は大きな災害になると停電したものですが、まったくその気配がない。

私が住んでいるところは海も川も山もないので、水害やがけ崩れの心配がありません。その代わり5センチ雪が降っただけで大混乱になりますが。

この頃の会社はこういった災害の時は「遅く来てもよい。休んでもよい」帰りも「早めに帰って」ということをしてくれるそうで、いい時代になったものだなぁと思います。昔は「這ってでも来い」と言われたものですが。

明日の朝、起きた時には暴風雨か。これからは本格的な台風のシーズン。空振りになってもいいので、準備だけはしておきます(備蓄は普段からしているのでなし)

三大緊張期のお盆です

年間でモラハラ家庭が緊張するのは3回と決まっています。盆、正月、GWです。もちろん家庭の事情によって他の期間が緊張する場合もあるでしょうが、大体はこの3回です。

なぜこの3回なのか。それはモラ夫が家にいて、モラ夫いつものルーティーン生活ができず、親戚が集またりどこかへ出かけるなどのイベントもあって、そこで自分の思うように事が運ばないことがあるとかーーっと頭い血が上るからです。俺様ですからね。

ちなみに今日の朝日新聞に出ていた記事

「きっかけは役職定年」 妻は離婚を切り出した 熟年離婚率が最高に

https://digital.asahi.com/articles/ASS8533ZRS85UEFT002M.html?linkType=article&id=ASS8533ZRS85UEFT002M&ref=mor_mail_kaiin_topix1_20240813

これは有料記事なので途中までしか見られないかもしれませんので、一部を抜粋します。
(yahooにも一部出ました)

“2022年に離婚した夫婦のうち、20年以上同居した「熟年離婚」の割合が23.5%に上り、統計のある1947年以降で過去最高になった。”

 ”厚生労働省の22年の人口動態統計によると、離婚の全体件数は17万9099組(同居期間不詳も含む)で、02年の28万9836組をピークに減少傾向にある。しかし、同居期間が20年以上の夫婦の離婚は3万8991組で、その割合は近年、じわりと増えている。”

熟年離婚が増えている理由に平均寿命が延びたからというのをあげています。1950年頃の男性の平均寿命は58歳、今は81歳ですので23歳も延びています。

昔は子育てが終わったら亡くなったものですが、生活環境が良くなり、食生活も改善し、健康志向の人が増え、寿命は延びています。それでも「結婚は20代後半から30代前半」にする人は変わらず、大体50代で子育ては終わります。

そこから先は二人だけの生活。さらにこの記事では役職定年と言って、50代など、ある一定の年齢になるとガクンと給料が減る会社があり、昔は定年退職して花束を抱えて帰ってきたら妻の置手紙があったというのが通例でしたが、今は収入が減りそれをきっかけにして離婚を切り出す妻が増えているそうです。

ただ、「金の切れ目が縁の切れ目」ではなく、そうするのは夫のモラハラが原因になるケースがあると記事で紹介されていました。妻としては婚費は裁判所に行けば半強制的に手に入るし、50代ならまだまだ働けます。

お盆で家にいてブンブンと不機嫌をまき散らす夫と一緒にいるより、婚費+パート代で暮らした方が寿命も延びるというものです。

ただし、夫が役職定年ではなく本当の定年になればもう給料はないので、婚費は減額、場合によってはゼロになるかもしれないのを忘れないでください。(大体その前に離婚になりますが)

また記事では妻が夫が高い収入がある時に贅沢な生活をして、役職定年になって給料が下がるから質素な暮らしをしようとを受け入れられず、結局は夫が家を出て少ない貯金を分け合ったという話もありました。

全部お金がらみですね。

そして妻は家を出る2~3年前から準備をしていたとも書かれています。

準備は何をするにも大事です。

運動はひとり孤独にやるべし

オリンピックも明日で終了ですが、実はワタクシ、この春肩を痛めてしまい、整形外科に行きました。整形外科の治療では治らないのはわかっていたのですが、とりあえず変な病気ではないことを確認したかったのです。

初老の男性医師の診察では「肩こりでしょ」ということになり(たぶん加齢によるものと思われる。以前もやったのでわかっています)、体操で改善しましょうということになったのですが、その時に私が「ジムに通っているんですけどね」と言うと、医師はきっとなって、「ジムはやめてください」と言います。

もう10数年続いているジム通い。友だちも沢山いて日々は仕事とジム通いで完結しているような状態なので、ジムを辞めたら生活リズムも狂うし、友だちとも疎遠になってしまいます。

「あのー、私は特に必死になって重いものを持つとかウエイトトレーニングするとかじゃなくて、軽いヨガとかゆるいダンス系なんですが」と言っても「ともかくジムはダメ。やめなさい」と言うので、「どうしてですか?」と聞いてみました。すると医師は

「競うからです。人と一緒にやるとがんばってしまうからです」「大体年寄りになるとみんなジムに行きだす、そして体を壊す」と言う。

ひとりでは続かない運動も、人と一緒にやるからがんばれるのだけれど、そのがんばりがいけないのだと言います。

「ひとりで黙々と体操をするのならいいです」って、そんなーつまんない。ジム友ときゃっきゃしながら体を動かすからいいのに。

「どうしても行くならこれ以上言いませんけど。ジムは宗教みたいなもので、どんなに止めても行く人は行きますから」

と言われた通り、今もジム通いは続いているのですが、確かにジムに来ている人たちは「あっちが痛い、こっちが痛い」と言いながら通ってきます。休めば治るものを休まずについ動かしてしまうので、治りも遅くなります。

オリンピック選手じゃないんだから痛ければ休めばいいのですが、そこまでの痛みじゃないものだから、痛いところをさすりながら続けてしまう。きっと整形外科の医師たちの間では「ジムが良くない」というのが通説になっているのでしょう。

私は医師に言った通り、競うようなプログラムは受けていないし、無理してがんばってヨガのポーズを作ったりもしませんし、私の体に負担になるポーズはしません。

オリンピックを見ていると、体中テーピングをしたり痛み止めを打ってようやく動いている選手もよくいます。オリンピックに出るほどの人たちはみんなどこかしら体を壊し、だましだまし競技を続けているのでしょう。

「運動は体にいい」とは言いますが、あそこまで上り詰めるには、並大抵の練習量ではできないはずです。大体オリンピックに出るような人たちは小さな頃から英才教育的なことをして、親元を離れて合宿所にいることも多い。

競う競技をすると、体はガタガタになり、時には怪我で不自由な暮らしをしなければならなくなったりまします。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。ジムに行っても適当にタラタラ体を動かす分には平和だと思うんですが、やっぱり人がいるとつい、ですね。

南海トラフ地震-気をつけようと言われても

地震は気をつけようと言われても、いつ襲ってくるかわかりません。ただ、こうやって注意喚起してくれれば、1階に寝ないとか防災グッズを買っておくとか、スマホ充電をしっかりしておくとか、家族が連絡を取れるようにするとか用意はできますね。

能登の地震はお正月の親戚が集まったところへ襲ってきたので、今度はお盆かと思ってしまいます。

南海トラフ地震は「来るぞ、来るぞ」と言われていたものが、ついに現実となったものですが、豪雨、異常熱波と自然災害が続いている中、株価の乱高下、経済不安と続く社会不安は人の心を不安定にします。

こういった災害があると、元々精神的に脆弱な方が多く相談に来られるようになります。有名人が変わった長い名前の病気で亡くなると、「自分もそうではないか」と不安になるようで、たぶん病院は忙しくなるのではないでしょうか。

災害は来ない方が良いに決まっていますが、被害を最小限にする工夫は常日頃しておいた方がいいですね。

今日は私の家も揺れました。鉄筋の建物だからそれほど揺れを感じないのかもしれません。南海トラフ気をつけろと言われてはいましたら、こちらに飛んでくるとは思わなかった。

倒れそうな家具は中身を出してしまった方がいいかもしれませんね。私は東日本大震災の時にグラス類を全部出して、ストッカーに入れて押し入れに入れてしまいました。家具を動かないように固定するグッズは市役所からもらってすでに設置してあります。

それでも急にきたらちゃんと対応できるか不安ではあります。

どっちがいいか

昨日は日本株が歴史的大暴落をした日でした。過去最高と言いますが、そもそも4万円以上値がついたことが過去にないので、暴落の幅も2万円の時と違うと思うのですが。

4万円が半分になったら2万円安ですが、2万円が半分だったら1万円安ですからね。4万円になったことがないのだから、単純に金額の多少では比較できないと思うのですよ。

昨日は友人がハワイについたと、グループLINEにハワイの写真と共に投稿がありました。円安で食料があり得ない金額なので(赤いきつねが700円!)たっぷりの食料品を持って行った写真と共に、ステキな海や街角様子が。

「ドルが141円だよ!運がいいね!」と返事を書いたら、「株がダダ下がりー(´;ω;`)ウゥゥ、こんなんだったら円安の方がいいーーーー」

そうかー、投資に熱心だったものね。。株高と円高は共存しないのか。。。

友人にとって待ちに待った楽しいハワイ旅行は、半分楽しくて、半分辛い旅行になったみたいです。

ベランダにシェードを設置してみました

アマゾンプライムセールの時にシェードを買おうと思っていたのですが、レビューの中に「100均よりいい」とあるのを見て、「100均にあるならそれでいいか」と思い、ダイソーに行きました。

さすがに100円ではありませんでしたが、アマゾンにあるものと大して変わりないものが300円だったので、ダメもとでもいいやと買ってきました。

取り付けるのが難しそうと思ったのですが、一辺に取付用の穴が開いているので、家の物干しとその穴を数か所S字フックでつないだらもう完成。

この茶色ではなく、リゾートにあるようなストライプ柄の方がおしゃれだったなと思いつつ、とりあえず30秒で完成しました。物干しざおは2本あるので、普段はこれで良し、シーツなど大物を干すときは物干しからシェードを抜いていったんたたみます。めんどくさそうですが、そう毎日大物を洗濯するわけでもないので。

結果、300円とは思えないほどしっかりと陽射しを遮ってくれます。ただ、気温は毎日35度なので、植物はへたるし、枯れてしまったものもやっぱりあります。

この気温はきっともうこれから下がることはなく、毎年9月末まで真夏なのが普通になるのでしょう。今年はお試しのシェードでしたが、来年は工夫してもうちょっとおしゃれなベランダにするかなと思っています。

家の跡取りの男が全財産を受け継ぐのは普通

こちらの続きです。

相続のご相談でよくあるのは「兄(弟)が全財産を受け取ると言っている」というものです。ただ、私が受けたご相談では母親はこの兄弟一家と同居しているので、「兄(弟)が財産の多くを受け継ぐのは仕方がないと思う。でも、少しくらいわけてくれてもいいんじゃないか」というものでした。

母も兄(弟)一家の世話になっているので、まったく味方になってくれないとのこと。「その家の財産は長男がすべて受け継ぐ」というのは今から77年前に消滅したはずなのですが、21世紀の今日もまだ生きています。

もちろん「虎に翼」にもあったように「遺留分請求」というのを裁判所に申し立てると、離婚と同じように調停になり、そこで遺留分金額が計算されて親の財産を手にすることができるのですが、これをすると家族は崩壊します。

どこの世界にきょうだいが財産欲しさに裁判所に訴え、それが終ったらニコニコとまたきょうだいに戻れるでしょうか。これをするにはきょうだいはもちろん親戚との決別が必須です。

その財産も億を超えるようなものならば私もやりそうな気がしますが、いただけるものが数百万以下だったら、親子きょうだいの縁を切ってまで申し立てるかは疑問です。

男きょうだいは当然のように「全部オレのもの」と言う。親もそれが当たり前だと言う。これが長男が親の面倒をみておらず、娘が面倒をみている場合はどうでしょう。親の面倒は娘がみているから男兄弟は財産はなしになるか。

ちょっと想像できません。「ちょっと太郎にも少しわけてやらないと」と親が言い出すような気がします。やっぱり法律は法律、感情や慣習は粘り強く残っていくのではないかと思います。

続く災害身を守る行動を

先日から東北を中心に豪雨になっていて、今日まで降り続く予報です。

7月24日(水)に、所用があって自転車で家を出るときに、遠雷が聞こえました。家から駅まで自転車で10数分持ってくれればいいなと祈りながら競輪選手のようにがんばってペダルを漕ぎ、後30秒で駅近くの屋内駐輪場にたどり着くところまで来たとたん、いきなり大粒の雨が一気に落ちてきました。

「バケツをひっくり返したような」という表現がありますが、文字通り雨粒ではなく川が空から降ってきたようなものすごい雨に、近くにあったお店の軒先に避難しました。

運のいいことにそこは軒先だけでなく、建物の一部が廊下のように引っ込んでいたので、自転車ごと中に引き込むことができました。そこから見た外の様子は文字通りの「ゲリラ豪雨」。雨だけでなくまるで竜巻のような突風が吹き荒れ、折れた枝やちぎれた葉が雨粒と共に巻き上げられながら通りすぎていきます。たぶん人がいたら人も巻き上げられたのではないかと思えるほどの強風でした。

この日、関東地方はどこもこのような天気だったようで、突風や竜巻などの被害で看板が飛んだり、建物の一部がはがれたりしていました。

異常気象は世界中に広がっていて、人も建物も構築物も破壊しています。おそらく今夏もこれからも、異常な降雨と強風で多大な被害が出るでしょう。これを防ぐことはできないなら、危険な場所から移動するしかない。

ハザードマップで危険とわかっている場所のお住いの方は、これからこれを考えていかなければならないでしょうね。

転居するなんて簡単に言うなと言われるかもしれませんが、まだ学校に通っている子どもを抱えてシンママの私が未知の東京へ来たのは15年前。関東圏に弟はいるというものの、頼りになるわけもなく、ひとりで就活して仕事を見つけ、子どもを学校に通わせる学費を稼いで卒業させ、今に至ります。

能登の地震でたまたま外にいたひとりを残して一家が全員死亡するという痛ましいことがありました。予想される災害からは逃げる選択肢を考えなければならない時代になったのだと思います。

東京から3年、パリ五輪が始まって

2020年に行うはずだった東京五輪が1年ずらして2021に開催され、私もボランティアとして参加しました。「あれから3年経ったんだなぁ」という思いと共に、あの時思い出すのはボランティア活動ではなく、状況がまるでわからないので毎日毎日Twitterやfacebookをググり続けたこと。

無観客が決まり、当初決まっていた場所は仕事が無くなり、「連絡があるまで待機」のメールが来て、その連絡を今か今かと待ち続けていたけれど、開会式が終わり競技が始まっても音沙汰はなく。

幸いだったのはSNSでも同じような書き込みが多数あったので、「私だけではないんだ」「みんな仲間」という安心感があったことです。

競技を見た記憶はほとんどなく、ひたすらPCに向かっていたことや一緒に仕事をしていた人たちと不満をぶつけあったことなど、ネガティブな思い出の方が多かった「私の五輪」でした。

とはいえ、元々スポーツ好きなので、ついつい開会式もリアルで見てしまいました。やっぱり観客がいて世界中がお祭り騒ぎなのはいいですね。

ただ残念だったのは開会式が雨だったこと。私はいつもこういう時に思うのですが、世の中には「晴れ女、晴れ男」という人たちがいて(雨女、雨男もいる)、こういう人たちが外にいると不思議なことに本当に晴れる。

どうしても晴れにしたいときはこういう人を10人くらい競技場に来てもらったらいいんじゃないでしょうか。交通費を渡して開会式に無料でご招待するなら晴れ女のみなさんも喜んで来ると思うんですが。

非科学的だと思われるかもしれませんが、実際にあることだし、万が一はずれても大して費用はかからず、「あ、はずれちゃったね」で済むんですから、こんな簡単なこと何でやらないんだろう。

それにしてもセリーヌ・ディオンの「愛の賛歌」は圧巻でした。闘病中とのことで、ご本人も不安だったでしょうに、歴史に残るパフォーマンスを聴かせてくれました。

東京五輪の時に「マツケンサンバをやったらどうなんだ」という話がネット上を賑せ、私もちょっと「にぎやかでいいかも」と思ったのですが、やらなくて良かった。。。恥さらしになるところだった。。。東京とパリ、状況がまったく違うので比較できるはずもないのですが、格が違いすぎました。でも私は真矢みきさんが登場した木遣りのシーンは大好きです。

多分夜更かしして試合を見ることはないと思うのですが(というか私はハラハラが苦手なので結果が出てからゆっくり見たい)、また流行っているようではありますが、コロナの収束を祝っていつも通りのオリンピック期間を過ごしたいと思います。

イエというもの、血筋というもの

その昔、従妹の結婚式にお呼ばれしたことがありました。従妹が住むのは父の実家でもある山奥です。披露宴は宴会旅館のようなところで、50畳以上はあろうかという広い畳の部屋いっぱいにお膳が並んでいました。

私の名前が書いたお膳を見つけて座ったのですが、一緒に招かれた母がおろおろと私にやってきて「私の席がないんだけど」と言います。「え?」と不思議に思って一緒に探したのですが、やはりない。

叔父に「母の席がないんですけど」と言うと、

「女の席はないよ。披露宴の時は酌婦をやって、それが終わったらちゃんと料理は用意してあるから」と言うではないですか。

さすがに私も母もびっくりしたのですが、母と同じ立場のおばたちは、当たり前のように宴会の用意を手伝っています。同じおばでも父の兄妹は席があり、いわゆる「嫁に来た」女性は酌婦なのだそうです。

「早智子さんは血が繋がっている大事な人だからお膳を用意してあるんだ」

嫁は目上でも他人、子どもでも血が繋がっていれば大事な親族。ここまではっきりした区別をされたのは初めてで、村で暮らしたことのない私と母は口をあんぐりするばかり。

そういえば、まだ元夫と夫婦をしていた頃、あの家はよく親族が集まってくる家でした。ただ、嫌われ者の義父の親戚は見たことがなく、集まるのは義母の方だけ。6人きょうだいの義母ですが、それがとても仲がよく、GW、お盆はいつも大賑わいでした。

よく親族が集まったりするのを嫌う人が多いですが、この親戚の方々はとてもよい人たちだったし、親戚が来ると夫は機嫌がよく外面なので、嫌な思いはしたことがありませんでした。それでも大勢の親戚の中にいるとふと、「この中で血が繋がっていないのは私だけなんだなぁ」と思うことはありました。

子どもは私の子だけど、夫の血も混じっている。だからこの血族の一員。一滴の血も混わらない私だけがこの大勢の中で他人。ヨメという立場は大きなイエという血族の中で、ひとり孤独な立場の人間なんだなぁと毎度思っていました。

それが相続となると、今は法改正によって1/2が配分されるようになりましたが、これとてそのまま適用されているかは疑問です。

私は相談員でしたのでありとあらゆる相談を受けてきましたが、相続に関することも多くはありませんがありました。その中身は概ね兄、弟との遺産配分のもめごとでした。

>>>続く