たまたま手に入れた一橋大学の学祭で配られた冊子をぱらぱらっと読んでみました。
一橋大学生が作った冊子だというだけで、インテリジェンスの香りがする(爽)
その中で参政党の梅村みずほ議員のインタビュー記事がありました。梅村議員というのは
ここに書いた「女性が、多様性が、と言ってきた政治家ほど高市総裁誕生に眉ひそめている」と言った方ですが、どうも私の感覚とずれているように思えてなりません。
その梅村議員がこの一橋大学の冊子の中で述べています。
<インタビュアー>議員今は「政治は民衆のものだ」とおっしゃいました。ただ、民衆の判断がかならずしも正解とは限らずに、これまで民衆が集団で過ちを犯した歴史というものも過去にはあったと思っています。その点に関してはどのようにお考えか、もう少しお聞かせください。
梅村「もちろん私たち参政党は素人だけで作っている政治集団ではありません~このあと東大を出ている人がいるとかの記述が続き ~逆に、わたしたち国会議員は皆様の声を届けるという仕事をしていて『その民意が勝って滅んで行くならば、それは政治として仕方ないでしょう』というところは正直あります。政治とはそういうシステムではないでしょうか。私たちは国民の声を届けるために存在している。その国民が間違った未来に導くのであれば、それはそれでその国民が選んだ未来なわけです」
基本的に議員とは確かに国民の代表であり、国民の声を国会に届ける代表権を持っている人が議員と呼ばれる人です。しかしお願いしたわけでもないことをする議員というのもいます。
高市総理が「それが戦艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます」といらないことを言ったために、現在中国との関係がとても緊張感が漂うことになっています。
国民の多くが高市総理に「国会でそう発言してくれ」と言ったのでしょうか。多くの国民は「好き嫌いは別にして、とりあえず中国とは良好な関係であって欲しい」と思っているのではないでしょうか。
高市総理が腹の底で何を考えているのかはわかりませんが、口に出してこうやって諍いの種をばらまくことをお願いしたつもりはありません(そもそも私は高市さんが総理になるのは反対です)
何か起こって、それが戦争を引き起こすようなことになり、多くの犠牲者が出たら、それを引き起こした本人ではなく、選んだ国民の責任だというのはちょっとそれはないんじゃない?
「私は言いたくなかったけれど、私を選んだ人が言わせた」というのも変だと思います。それではまるで議員は伝言を届ける白ヤギさんでしかないんじゃない?議員の考えは入らないのですか?入らないとしたら議員はいりません。白ヤギさんで足りる。
もし議員の考えが入るとしたら、(入りますよね)結果の責任は国民にあるというのは、おかしな考えだと私は思いますけどね。
