若い頃は「森村桂 ~ へ行く」という旅エッセイを連発ヒットさせていましたが、その後「お菓子とわたし」など、ケーキづくりや、それに旅をプラスさせた作品が多くなりました。
1回目の結婚の時は作品に時々ダンナ様も登場し、桂さんを侮辱するような言葉を投げつけていましたが、それは仲がいいから遠慮がないのだと私は思っていました。でも結局破局。三宅さんと再婚することになったのですが、桂さんは以前のように文章を書けなくなっていました。
そんな桂さんは軽井沢にテラスのある物件を見つけ、桂さんは三宅さんに「お父ちゃん、買ってくれ」と言います。その物件は三宅さんが趣味の大工仕事をするために買おうと思っていたもの。
ちなみに三宅さんはビクターエンタテイメントという華やかな会社にお勤めでしたが、その収入は結婚した桂さんが「あまりの少なさに驚いた」という額で、実際生活費として渡されたのは5万円だったと言います。今と物価が違う1979年当時とは言っても、華やかな業界の割には少なすぎる収入のようでした。
その三宅さんが、「趣味の大工仕事をするために軽井沢の家を買おう」というだいそれた考えを持てたのはひとえに桂さんの収入があったからでしょう。
ただ、結婚して専業主婦になった人が、夫が出世して収入がぐっと上がり、ビジネスクラスの海外旅行に行っても何のお咎めもないように、妻をサポートして彼女の能力を引き出し、その結果収入が上がったというならば、前者と同様に贅沢をしても許されるのではないかと思います。
その家を三宅さんと桂さんはお得意のケーキを焼いて提供するティールームとして開店しました。実は我が母はこのティールームに行ったことがあります。私が読んでいた桂さんの本を彼女も読むようになり、特にお菓子の本が彼女のご贔屓でした。
母が「軽井沢の森村桂の店に行ってきた。お土産にジャムをもらった」と得意げに話したことがありました。おそらくは母いつものように「娘があなたのフアンで(母は英語ができないのでファンと言えない)」などと、大騒ぎで盛りに盛って話したのでしょう。
「一度も旅行になんか行ったことがない」と言う割にはあちこちに行っています。
お店を軽井沢で開いたことで、桂さんは軽井沢に骨を埋めることになりました。三宅さんの本の第五章は亡くなるまでの桂さんの様子が記されています。
その五章は桂さんは指圧依存症だったというところから始まります。以前から桂さんを慕っていろいろな人が寄ってきていましたが、その中には桂さんのお金目当ての悪い人ももいて、「タダで指圧をしてあげる」と騙し、実際は料金を取ったり、あまり彼女にとってよくない相手もいたようです。
その指圧依存も24時間指圧を受けたがるなど、常軌を逸するようになり、次第に精神を病んでいきます。離婚がきっかけだったのか、元々不安定だったものが入院レベルになるのですが、さすが有名人。著名な医療関係者が桂さんに手厚い治療を施しましたが、レントゲンを撮ると放射能を浴びて尿が出なくなるといった妄想がとらわれるようになり、その妄想で周りの人たちが振り回されるようになっていきます。
最後に桂さんを看取った精神科医は言います。「桂さんのあの性格は治りません。そして森村さんの性格のことであなたが責任をとることはないのですよ。森村さんのことは森村さんが責任をとるべきなのです」そう言って三宅さんが桂さんから離れることを勧めます。
自〇未遂を1回して、その後、本当に亡くなるのですが、その精神科医は桂さんがそのような性格になったのには大きな理由があると三宅さんに告げていました。
続きます。
