「小説8050」から思い出すエピソード

林真理子さんの「小説8050」は、50歳のひきこもりの子どもを80歳の親が養うという、8050問題にフォーカスした小説でした。

外からみたら幸せに見える4人家族には秘密があった。それは医学部を目指していた息子が7年間部屋に引きこもっているということである、というのがこの小説のプロローグでした。

あああ、と思い出したのは遠い昔のこと。

義母がとても仲良くしていた隣家に住むご一家は家を建てて同じ市内に転居しました。遠時はまださほど手がつけられていなかった郊外に広い土地を買い、その土地が値上がりし、銅板きの大きな家に住んでいました。

妻の方は体も豪快でしたが、こういった投資的なことも豪快で、裕福な生活をしていました。ふたりの子どものうち、上の子は大層勉強のできる子で、「将来は弁護士」の期待をかけていました。

豪邸に転居してからも、義母は時々この家に招かれましたが、義母の家から少し離れた郊外にあったので、家族の中で唯一車の運転ができる私が送り迎えをしていたりしていました。

そんなある日の朝突然に「XさんとこのAちゃんが縊死(この言葉ではないですが、結構ショッキングな単語なので言葉を変えました)したって!!」と義母から電話がありました。

「え??!!」と驚いたのは、その「XさんとこのAちゃん」とは何者ぞやが??を沢山つけて頭の中を駆け巡ったからです。

仲良く行き来をさせていただいていましたが、Aちゃんという名前が出たことはほとんどないので、いったい誰が縊死したのかが一瞬わからなかったのです。

ともかく職場に半日休暇の電話を入れて、義母を車で迎えに行きXさん宅へ向かいました。いったいAちゃんはどこにいたのか、なぜXさん宅で亡くなったのかという私の疑問に義母は「たぶんあの家のどこかにいたんだろうねぇ、私は見たことはなかったけれど、来客が来ている時は出てくるなって言ってたのかもしれない」と答えました。

Aちゃんは有名私立大学を卒業後、弁護士を目指していたけれど願いはなかなか叶わず、県庁や地元マスコミなど有名企業を受験するも、

「一次は受かるんだけど、どこも面接で落ちるんだって」

「よっぽど暗かったんだろうねぇ」

司法試験を受け続けていると聞いていたけど、こんなことになるなんてと義母も顔を曇らせました。

Xさん宅に着くと子どもが縊死したとは思えないほど明るく迎えて下さり、「さぁさぁ奥へ」と案内され、「早智子さん、Aの顔を見て行ってくれる?」と言ってくださったのですが、ごめんなさい、「ひぇーーーー」と心の中で叫び、生きている時に一度も会ったことのない人の縊死顔はとても見られないと(当然口には出さず)お断りしました。

Aさんは司法試験を受け続け、疲れ果てて亡くなったのかもしれません。

「あのお宅が隣に住んでいた頃、よく『そんなことでどうするのよーーー!』というXさんの怒鳴り声が聞こえてたわ」

親の期待というプレッシャーの中、彼が選んだのは縊死でした。

Aさんのお葬式の読経で、「○○大学法科を出て」と卒業した大学名が入っていました。「お経に出身大学の名前が入ってたのは初めて聞いたわ」と友だちに言うと、「きっとお母さんが頼んだんだよ」と。

Xさん、子どもが縊死した後も、子どもの大学名を参列者に知らせたいと思ったのか。

現在受験期で、受験生がいるお宅は大変だと思います。子どもの受験に親がウロウロしてどうするとか、子どものことは子どもにやらせろとか、様々なことを言う人はいますが、私も同じ道を歩んできましたので、受験生の親がどうにかなるというのはよくわかります。私もどうにかなっていました。

私は自分の受験の時に母からひどい言葉を投げつけられたのを今も忘れません。受験生は外からどう見えようと、神経をすり減らして精一杯やっています。志望校に落ちたからといって人生が終わるわけではない(わかっていても終わりそうな気がするというのもわかります)、ここは少し冷静に、少なくとも子どもに「この言葉は墓場まで持っていく」と思うような言葉は使わないようにしたいものです。