投資は心臓に悪い

よく金持ちは自分のお金を投資に回してさらに儲ける。金持ちはさらに金持ちになる、と言われますが、投資ってものすごく心臓に悪いことですよ。

儲かっているうちはいいけれど、どんな人がやっても失敗することはある。その証拠にプロの投資会社や証券会社がつぶれたりします。プロがやって失敗するのに素人が失敗しないわけがない。

要はその失敗が許容範囲内か、一生の挫折になるかという話です。

「金持ちは投資で儲ける。羨ましい」と言いますが、前述したとおり、投資というのは精神的にとても厳しい状態になります。

もしあなたが100万円持っていて、これを定期預金にしたら利子はほとんどありません。しかしながら減りもしませんので精神的には安定しています。

これを全額危険な投資の仕方をすると(レバレッジをかけるとか)、あっという間に無くなるどころか借金になります。大きくもうけるようなことをするとこうなります。

「いえいえ、そんなに大儲けをしなくてもいいの。でも今の定期預金の金利はあんまりだから、それよりはちょっと増えればいいだけなの」という方。

証券会社が一番のカモというのが↑のようなことを言う方だそうです。「ちょっとだけ増えればいい」という人は知識に乏しく、最高の美味しい客になってくれるとのこと。

証券会社は客からお金を集めて客の代わりに投資し、儲かったら一部を客に還元します。ただし、損をしたらその損も客に還元します。つまり損を押し付けます。自分は損はしないのです。

100万円預けたものが、1週間後に95万、さらに1週間後に90万と減っていく時、とてもドキドキします。証券会社の営業マンは「長い目でみましょう。大丈夫です」と言うのでさらに見守りますが、88万、83万とお金は減っていきます。

投資をしている人たちは、こんなに心臓に悪いことをしているのです。必ず増えるわけではなく、毎朝起きるたびに自分の財産が減っていくという恐怖の中で生活しているのです。

ですから投資の世界では「恐怖指数(VIX指数)」という言葉すらあるのです。

私はこんなに心臓に悪いことをしている人たちは心から尊敬します。精神の安定が何より大事。ドキドキビクビクなんていう生活はしたくありません。

「お金持ちはいいなー」ではなく、「お金持ちはすごいなー(恐怖を乗り越えている)」なのです。

世の中の不公平をどう考える

今までいろいろなことで差別され、不公平な取り扱われ方をしてきました。原因は性だったり、生まれ方だったり(いわゆる親ガチャ)、学歴だったり、見た目だったり、身体的特徴だったり、コネなしだったり、人種だったり、本当に様々です。

親に力のある人なら進学も(裏口入学あったあった)就職先も全部親が露払いをしてくれて、高いハードルもひょいと持ち上げてくれておろしてくれるといったことができます。

私が短大を卒業した時は本当に就職難で、まったく女子学生の就職先がありませんでした。就職課の掲示板には数枚の求人募集がずっとひらひらしているだけで、みんなどうするのかと思っていたら、卒業式に出席した友だちは名だたる官公庁や企業に就職していました。みんな「コネ(コネクション)」でした。

世の中に「コネ」というものがあるとは知らなかった世間知らずの私は、「コネ」というものが強大な力を持っているものだと初めてそこで知りました。女子学生に必要なのはAが並んだ成績表ではなく、親戚筋の「コネ」なのです。

東京の短大へ進学した友人は地元のテレビ局へ就職しました。「親が勝手に決めちゃってたのよ」と口を尖らす友人は、東京で就職したかったと文句たらたらでしたが、親の「コネ」で努力することもなく、自然にショートカットできていたことをどう思っていたのかはわかりません。この友人は病気で早くに亡くなりました。

女は男より20点多く取らなければ合格できないと、高校進学の時にはごく普通に進路指導で言われていた時代です。私もそれをなんとも思わず受け入れていました。

不公平は世の中に数限りなくあります。不公平はどうしても生きていくうえでつきまとう話です。人を羨ましいとか、悔しいとか思う気持ちはとっくにどこかへ行ってしまいました。そうなると不公平感というものもそう大きくはないけれど、世の中って理不尽だなぁと思うことは度々あります。

それに気を取られていると、生活まで嫌になってしまうのと、老年になって本当にどうでも良くなってきているので、これが「枯れる」ということなのかなぁと思ったりします。

やってもやらなくても後悔

90歳を過ぎた母はとても不幸そうです。常に愚痴ばかりの会話です。首都圏の施設に来てはどうかの話になった時、私は一切口をはさみませんでした。「こうしたら?」などと言ったら、どうせ後から「あんたがあの時にああいうから」と必ず責任転嫁されること間違いなしだからです。

だから自分で決めてもらいました。年寄りは動かしてはいけない、環境の変化についていけない、体が不調になったり、最悪死が早くなるというのは知っていました。でも彼女がそうしたいというのなら好きなようにさせました。これを言って「やめた方がいい」と言ったら、「あんたがあの時にああいう~(以下同文)」

来てみたら、毎週施設に子や孫がやってきて、母を囲んでわいわいと賑やかになる予定(母の勝手な想像)だったのに、誰も来ない。まもなく起こったコロナ騒動で、自由に出歩くこともできなくなった。

出歩くのもいちいち出先と帰る時間を書くのが面倒。年金だけでは足りないので、貯金から2~3万円ずつ下ろしているのですが、数字が減るのが「恐怖」。

「来るんじゃなかった、来なければよかった。コロナがなければ帰っていた」と会えば必ずいう愚痴愚痴。

最近いいことがありました。売りに出していた実家が売れたのです。町ではない集落というような不便なところにある家でしたから、売れるのは難しいだろうと思っていましたが、家の見栄えに気をかける母の丹精込めた見た目の良さのせいでしょうか。無事に売れました。

売れるまでは「早く売れてほしいと、毎日神様にお願いしているだよ。思い残すのはこれだけだ」と言っていましたが、売れてみると「売らなければよかった」「住んでいた家を手放すということは身を切られるようだ」と愚痴愚痴愚痴。

あら?私が家を売った時は「売れてよかったじゃない~♪」と言ってたのはだ~れ?身を切られるような私の思いにはまったく気づかなかったのはだ~れ?

転居するときに「捨てるのはしのびないものを預かってほしい」とお願いしたら、「さっさと捨ててしまえ」と言ったけど、自分が同じことになった時「あれを預かって、これは捨てたくない」と言ってきたのはだ~れ?

自分も同じ思いをしなければ気がつかない、想像力のない人です。

やってもやらなくても後悔する。後悔しかない人生です。