ペットの死

コロナ前は月に1度は行っていたのですが、コロナで都市封鎖が始まった去年3月から行っていない家がありました。彼女も「気管支が弱いから、コロナなんて罹ったらイッパツ」と気をつけているようだったので、私も行かないようにしていました。

緊急事態宣言も解除の方向だったので、久しぶりに訪問してみたら、いつもは部屋のドアを開けると飛びついてくる小型犬のペロの姿がありません。

前々から書いているように、私は幼少の時分に犬に噛まれたトラウマがありますので犬が苦手です。なので最初にこの家にペロが来た時に飛びつかれた時は固まってしまったのですが、月1に訪れるたびに足元にまとわりつかれるのが認知行動療法になったか、次第に抱っこができて、顔をなめまわされるのも平気になりました。

久しぶりにペロに会えるわという楽しみもあった訪問だったのですが、ブンブンと尾を振って飛びついてくるはずのペロの声も姿もありません。

「あれ?ペロは?」

「え?」と振り返る彼女の顔がなんとも言えない表情になって。

嫌な予感

彼女は「ああ、そうか」と言って

「あの子ね、死んだの」

ええええええええーーー、なんで?病気?

詰め寄る私に

「交通事故だったの。外に連れて出たときにぱーーっと走って行っちゃって、追いかけたんだけど」

「目の前で?」

「うん」

死んだ犬よりも、彼女の方が心配だ。飼っていた動物が死ぬということは、子どもが死ぬのと同意味なのです。しかも目の前で車にはねられたとなると、最悪。

「鈴木さん(仮名)大丈夫?」

「うん、去年の5月だったから、もう1年以上が経ってるし。あの子ね、私の身代わりに死んだのよ。本当は私が車にひかれるかもしれなかったのに、代わりに死んだのよ」

そう思うしかないじゃない

という彼女にかける言葉もなく。

そうだね。そう思うしかないよね。

リビングにはペロとその前に飼っていた犬のお骨と写真が飾ってありました。先代の犬は私がこの家に出入りするようになった時にはすでに病気で亡くなっていたので、私は知りません。

ペロが子犬でこの家に来てから亡くなるまで1年無かったと思うので、ほぼ1歳程度の年齢です。広いリビングを駆け回り、一人暮らしの彼女の愛情を一身に受けて、そしてあっという間に亡くなりました。

コロナのため、この家に来ることのなかった私は、彼女の絶望の最中を知らないまま、時を過ごしていました。ペットが死ぬということは、子どもが死ぬのと同意味です。ましてや、まだ1歳のペットが目の前で亡くなったとなると、かける言葉がないどころの話ではありません。

私の友人でペットを亡くした人はたくさんいます。生涯をまっとうして死んだものや病気で死んだものなど様々ですが、みな言うことは同じ。

「親が死んだ時よりも悲しくて辛かった」

たぶんペットロスに耐えられないので、私は生き物を飼えないのです。