やっぱりな結果

先日友だちと話をしていたら、「私、もうケーブルテレビ解約しているし、テレビに接続することがないのよ。当然NHK受信料も払っていない」と普通のことのように言いました。

「もともとドラマなんか見ないし、見たかったらNetflixを見ればいいし、ニュースはYouTubeで流れているじゃない?もうテレビは必要ないからはずしちゃった」

これが若い世代ならわかるのですが、もう還暦も過ぎて、メカもまったくわからない人の話です。そういえば彼女からYouTubeのヨガをテレビで映したいからどうにかしてくれと言われ、接続してあげたのは私でした。

実際私自身、ほとんどテレビを見ることが無くなってきています。毎日見るのはモーニングショーとニュース、それから録画した番組です。ゴールデンタイムはどこの局も同じタレントが出るクイズやバラエティばかりでつまらないことこの上ない。見るのはBS中心です。

BSで放送される映画は録画したいし、フィギュアスケートなどのスポーツ中継は見たいのでまだ外す決心はつかないのですが、ちゃっちゃとやってしまっている人はもういるんですね。

2007年頃、ネットの広告が台頭し、新聞に広告を載せる会社が激減して新聞社はどこも頭を抱える状態になったそう。それがテレビにもやってくるかもしれません。←絶対に来る

私も新聞を取るのをやめて久しくなりました。コロナ前、職場で新聞を見たら、広告は旅行や健康食品ばかり。新聞は年配者しかターゲットが無くなってしまったようです。

#その旅行もコロナで無くなってしまったから、今はどういう広告を載せているんだろう

「もうネットだけがあればいい。テレビは必要ないわ」と彼女は言いながら、「でもYouTubeだって後数年よね。きっと新しい媒体がやってきてそちらにシフトするからさぁ。YouTuberの子たち、どうするんだろうね」

そうやって私たちはいつも時代の波に乗って生きてきたわよね

でも私たちはその波とは別のところに仕事があったから、この年までやってこれたわよね

そうなのよね。時代とは関係のないところの仕事だったからやってこれたし、私はちょっと関係あったけど、それは思わぬ転職という形で乗り越えた。別に未来を考えて転職したわけではなく、目の前に転がっていたからつかんで飛び乗っただけでした。

「やっぱり運よね~」「運だね~」

とはいえ、やはり5年後、10年後を見据えての行動やリサーチは必要です。

amazonブラックフライデー開催中

ただいまアマゾンでブラックフライデーが行われています。

今回はお試しでソイプロティンを買ってみました。ホエイ(牛乳)よりもソイ(大豆)だよなぁとは思っていましたが、お高いのでずっとホエイだったのです。今回ブラックフライデーでお安くなっていたので買ってみました。

私はココアやチョコレート味よりも、酸っぱめの味の方が好きなのでこちら。最初にプロティンを買ったときはアメリカからの輸入品で、一抱えもあるようなプラスチックの容器に入ってきて、その形も爆弾みたいで、超びっくりしました。

このチョコレート味が甘すぎて、やっと飲み切ったという感じだったので、次回からはジムで試飲会をしていた時に気にいったベリー味になりました。これもイチゴミルク味だと甘くてちょっととというところもあり、今回のイチゴミルク味はどんなもんなぁと。

プロティンはジムの運動後に飲んでいます。栄養は食物から摂る主義で、大豆製品は元々好きでよく食べているので、プロテインはあくまでもサプリメント(補助)。

武田真治さんが「食べ物は栄養素として摂る」と語っていましたが、それは私はできない。食べるのは楽しみです。美味しいものを食べるために生きているようなもの。午後4時過ぎは「今日は何を食べようか」と頭の中はそれでいっぱい。

アマゾンブラックフライデーは12月2日(木)までなので、お買い得品をこれからネットショッピングします。←楽だわ~

離婚以外の方法

特に「生活費を渡さない」ことに関して「婚姻費用請求」の調停を起こす方が増えてきました。昔はこの類のことは離婚調停とセットで話し合われることが多かったのですが、今は離婚調停は行わず、婚姻費用請求(以後婚費)として、多くは妻から夫へ出されることが増えました。

中には離婚請求はせず婚費だけ、もしくは同居したままの婚費請求もされるようになりました。一緒に住んでいる者同士が裁判所に行き、生活費を下さいと第三者を交えて話し合うという、以前にはあまりなかったことがこの頃結構起きています。

当然夫はそんなところへ行きたくありませんので、欠席してしまえばこの話し合いはできないことになります。でも、さすが裁判所からのお呼びたてとなると無視できないのか、話し合いの席につく人もいます。

掲示板に「同居している夫から面会交流の調停を起こされた」という書き込みがありました。夫はモラ夫なので、子どもに悪い影響を与える、だから子どもを守るためということでしたが、私は子どもが夫に会わないよう、ピリピリしているお母さんがいる方がむしろあまりよろしくないのではという気がします。

別居も離婚もせずに、工夫して夫と暮らすことはできますが、困るのは生活費を減額される、止められることです。こればっかりは対処できません。そのためには最初に書いた通り、裁判所に「同居しているが、生活費をもらえない」と訴えるのもひとつの手かなとは思います。

夫が「自分が出せるのはこれだけ。そもそも妻は働いていない(またはパートのみ)。もっとちゃんと働いて家計を助けるべきだと思う」と持論を展開するでしょうが、もしそうだったとしても、裁判所は「妻にこれだけ渡しなさいよ」ということは言ってくれると思います。

ただし、その後の夫が不機嫌極まりなく、家のあちこちで大きな音が出てきたり、怒鳴り散らしたりが頻発することは、あるでしょうねぇ。。

避難応援プロジェクトからー断捨離

昨日は今まで延び延びになっていた、今年度初めての「避難応援プロジェクト」でした。コロナでなかなか開催できず、緊急事態宣言の合間をかいくぐっての開催です。

リモートでやればコロナの危険もないし、どこに住んでいても参加できるのでリモートをというご希望はいただきますが、参加者がどういう方なのか、こちらで安全性を担保できないので、残念ながらリモートでの開催はこの先も行う予定はありません。

さて、昨日の会議で出てきたことの中に、「へーへーへーへー」というような内容があったのでお伝えします。

家を出る準備をするときにしておくことの一つに「荷物を整理する」がありますが、アドバイザーより目から鱗のアドバイスがありました。

「普通の断捨離は捨てますが、避難のための断捨離は『不要なものは残していく』です」

捨てるには労力がかかりますが、残していくなら何もしなくてもいいから楽です。さらに整理をしっかりすると、妙に家の中がさっぱりして、カンいいモラ夫に感づかれることになります。実際出た後「なんだか家の中から物が無くなっていっているとは思っていた」と言ったモラ夫がいました。結構見ていないようで敵は見ています。

ということで、「モラハラ家庭からの避難の断捨離は残していくべし」でした。

この他にもいろいろ出てきましたので、随時ここでアップしていきますね。

養育費といふもの

養育費をずっともらい続けられている方は昔からずっと変わらず2割程度です。8割の方は最初から養育費の取り決めをせずに離婚しているか、踏み倒されているかです。

養育費を払う側は、この養育費をどう思っているのでしょうか。離婚後も子どもの養育に関わりたいと思っているならば、100%養育費を払っているはず。養育費は払わないけれど、養育に関わりたいなんてことはあり得ない。

離れて暮らしていて、いつもはいないもう片方の親の存在を感じるのは養育費が支払われた時です。この時ほど離婚で離ればなれにはなったけど、子を思うことを形にできることはありません。

養育費が滞る可能性があるので、一括で欲しいという方は大勢いますが、それを相手に飲ませるのはなかなか大変です。お金のある相手ならば「本来ならば20歳までの支払いで1千万円だけど、一括なら500万円でもいい」という条件に乗ってくるかもしれませんが、悪い相手だと踏み倒しが可能なのに一括で払うなんて損だ、と考えるかもしれません。

払わなければ強制執行という手段もありますが、これが自営業や職を転々とするような相手だと難しいものがあります。(強制執行についてはちょっと調べてみたので、別の機会に書いてみます)

離れても自分はその子の親であることを1月に1回感じることができる、その子を忘れずに思っていることを表現できる「養育費」。よもや共同親権を訴える方の中に不払いする人がいるとは思えませんが、養育費は坦々と払い続けることに意義のあるものであり、何かと相殺できるようなものではないのだろうと思います。

さらに家族は形態を変えます。相手が再婚することも、子どもができることも、こちらの子どもが進学することも重い病気になることもあるでしょう。養育費はその都度見直しして支払うものだと考えると、「それは変でしょ」ということになる。

ただ、何しろきちんともらえている人が2割しかいないので、これは不安だから最初にに一括でという気持ちはとてもよくわかります。この「8割払っていない状況」を何とかしてほしい。諸外国のように国がいったん肩代わりし、税金と同じように夫から取り立てるというシステムすれば、この一括問題は帳消しになるのですが。

養育費や婚姻費用を減らすために仕事をやめたり、わざと収入の低い部署に異動したりすることもあります。そのくせ「妻がちゃんと子どもを養育しているか心配で」などと言う。心配するなら金をくれと言ってやりたい。

できない要求

相談員をしていて、結構多くの方が要望されることがあります。それは「私もパートで稼いでいたので、離婚のときはその分を返してほしい」という要求です。これから子どもを抱えて生きていかなければならないのだから、お金のことはとても心配だと思うのですが、残念ながらこれは通りません。

なぜ返してもらえないのかと憤る方には残酷なのですが、家庭というものは「双方が助け合って成り立つ」ものだからです。法律には同居・協力・扶助するという義務が書かれてありますが、「夫は稼いできて妻子を養う」とは書いていないのです。妻が稼いで夫を養っても別によいのです。

ただ、これをすると男性側は「ヒモ」と呼ばれるという現実もあります。妻が夫から養ってもらうのは「専業主婦」と呼ばれますが、これを男性がやろうとすると「ヒモ」と呼ばれる。

このあたりが法律と一般社会の乖離だなぁと思います。ヒモよりもちょっと軽いのは「髪結いの亭主」でしょう。昔は女性がつける職業はあまりなく、「髪結い」つまり美容師は女性が技術をつけることができる数少ない職業でした。

美容師を妻に持つと食いっぱぐれがなく、無職になっても養ってもらえるので男性側の「いいなぁ」という思いとともに「妻子を養なわないなんて男らしくない」という侮蔑の意味もありました。どちらかというと後者の方が大きかったと思います。

冒頭の話に戻りますが、本来夫婦が協力して家計を維持するものなので、妻が働いたものも家計維持に使われたわけですから、夫に返してほしいというのはとても変な話なのです。

「でも夫は自分の好き勝手なことをして趣味に使い果たし、実際の家計のほとんどは私の給料で賄っていました」という方も多いでしょう。特にモラハラの場合は多いです。ですが、いざ離婚の話になると、これはまったく認められません。夫が妻の稼いだお金で何をしても、何を買っても関係なく、家庭のために消費されたとみなされます。

だから、まじめにコツコツ頑張って倹約したり貯金したりした妻ほど離婚のときは損をします。やるせないですね。だから損の幅を少なくするよう、いろいろと考えて行動することが必要なのです。

モラハラの変化

私がモラハラ被害者同盟を作ってからもう18年が経ちます。0歳で生まれた子どもがもう高校3年。大学受験をしようかという年数です。この間に家族の形態がだいぶ変わってきました。

20年前は社会的DVというと、妻の縁戚や友人などとの交友を絶たせたり、「働かせない。家から出ないように始終電話をかけてくる」という意味で使われることが多かったのですが、この頃は様相が変わってきました。

#妻が家から出ていないか、電話を(当然固定しかない時代)1時間置きにかけてくるなんていう家もレアでなくありました。ああ、時代を感じる

ところが月日が流れ、終身雇用制が崩れ始め、男性もいつまでも今のところに勤め続けることができるのか、不安を抱えて働く時代になりました。給料も昔は定期昇給したものですが、今は働きに応じてランク付けされ、時にはランクダウンすることもありますし、働き方改革で残業が減り、受け取る給料は目減りする一方になっています。

この頃よく聞くのは「妻に働いてくれと言っているのに、なかなか働こうとしない」という夫たちの嘆きです。逆に妻側から「夫から働くように迫られて、時には怒鳴られたりする。モラハラだ」という声もあります。

妻側がなかなか重い腰が上がらないのは怠けているわけではなく、長い間働いていないので不安が大きいということが一番なのだと私も感じています。「パソコンも使えないし、職場でいじめにあったりするのも怖いし」という不安です。

そのほかに夫側も「働くなら家事も手抜きをせずにちゃんとすること」などという、これはもうダブルバインドだろうという、相反する指令が飛ぶこともあります。働け、しかし家事もちゃんとしろでは妻はとてもじゃないけど働きになんか行けません。

妻が働きに行くとなったら、家事は「手伝う」のではなく、半分以上は夫がするくらいの気合でやってもらわないと、家事は毎日行わなければならないことが山積みなのです。

その昔は「新聞を取りに行く」というのが夫がする家事でしたが、今は新聞そのものが無くなっていきつつあるので、こちらの方は仕事の方が無くなってしまった例。

「妻にはパートではなくもっと働いてもらいたい。ボクだってちゃんと家事は手伝ってますよ。ごみ捨てはボクの担当です」と言われた日には力が抜けてしまいます。ごみ捨てを家事だと思っている夫に家事をとはなんぞやをどう理解させるか。

働くことに腰が重い妻ばかりを責められないなぁと思います。

大阪茨木市で講座を行います

12月11日に大阪府茨木市男女共生センター「ローズWAM」で講座を行います。この「ローズWAM」は2014年にも伺っていて、とっても熱心に聞いていただいた記憶があります。

暴力防止啓発講座
「家庭内モラル・ハラスメントからの脱出-自分と子どもを守るために-」

時間は 10:00 AM – 12:00 PM です。久しぶりの関西での講座です。1歳~未就学児ですが、託児もありますのでお子さんを預けての参加ができます。

「モラハラって聞いたことがあるけどどういうものかわからない方」から、実際に支援している方まで、どなたでもわかるように説明いたします。ぜひご参加くださいね。

ペットを連れての避難

こちらからの続きです。

ペットの死は親が死んだ時よりも辛い。

避難の時はペットをどうするかが結構大きな問題になります。モラハラを知らない人にとってモラハラがどういうものなのか説明をするのが大変なように、ペットを飼ったことのない人にペットを連れての避難となると、たぶん相談員からは「いったんは置いて出て、後から」という話をされると思います。

残念ながらシェルターはほとんどが動物不可です。動物を飼っている方にはわからないかもしれませんが、私のように動物にトラウマがある人もいるし、アレルギーを持っている方もいるかもしれない。シェルターは様々な方が利用する場所ですから、そこに動物を連れて行くことはできません。

よく「ウチの犬はおとなしいから」という方がいますが、トラウマを持つ人にとって獰猛だろうが大人しかろうが関係ありません。怖いものは怖いのです。私もペロのような小型犬ならばなんとかなるようになりましたが、中型以上はいまだにダメです。

以前は私も「一旦は置いてきて」と言っていましたが、1年半子どもが連れてきた猫を飼ってからは、心が変わりました。

ペットを置いて出るなんて、できない。

となると、できるのは

◎ペットが一緒に住める部屋を探す

◎ペットが一緒に住めるような部屋を借りられるまで、がんばってお金を貯める(そのために収入を増やす)

◎ペットが死ぬまで待つ

これしかありません。ただ、シェルターに行く場合はいったん実家や友人に預かってもらうという手段があります。実家が遠い場合はどうするかですが、飛行機でペットを運んだ方がいました。遠いからダメではなく、遠くてもやってみましょう。子どもと同じくらい愛しているならば、がんばりましょう。

ただ、1匹ではなく2匹、3匹を飼っている方もいて、そういう方はこれ以上数を増やさないようにしましょう、です。

ペットの死

コロナ前は月に1度は行っていたのですが、コロナで都市封鎖が始まった去年3月から行っていない家がありました。彼女も「気管支が弱いから、コロナなんて罹ったらイッパツ」と気をつけているようだったので、私も行かないようにしていました。

緊急事態宣言も解除の方向だったので、久しぶりに訪問してみたら、いつもは部屋のドアを開けると飛びついてくる小型犬のペロの姿がありません。

前々から書いているように、私は幼少の時分に犬に噛まれたトラウマがありますので犬が苦手です。なので最初にこの家にペロが来た時に飛びつかれた時は固まってしまったのですが、月1に訪れるたびに足元にまとわりつかれるのが認知行動療法になったか、次第に抱っこができて、顔をなめまわされるのも平気になりました。

久しぶりにペロに会えるわという楽しみもあった訪問だったのですが、ブンブンと尾を振って飛びついてくるはずのペロの声も姿もありません。

「あれ?ペロは?」

「え?」と振り返る彼女の顔がなんとも言えない表情になって。

嫌な予感

彼女は「ああ、そうか」と言って

「あの子ね、死んだの」

ええええええええーーー、なんで?病気?

詰め寄る私に

「交通事故だったの。外に連れて出たときにぱーーっと走って行っちゃって、追いかけたんだけど」

「目の前で?」

「うん」

死んだ犬よりも、彼女の方が心配だ。飼っていた動物が死ぬということは、子どもが死ぬのと同意味なのです。しかも目の前で車にはねられたとなると、最悪。

「鈴木さん(仮名)大丈夫?」

「うん、去年の5月だったから、もう1年以上が経ってるし。あの子ね、私の身代わりに死んだのよ。本当は私が車にひかれるかもしれなかったのに、代わりに死んだのよ」

そう思うしかないじゃない

という彼女にかける言葉もなく。

そうだね。そう思うしかないよね。

リビングにはペロとその前に飼っていた犬のお骨と写真が飾ってありました。先代の犬は私がこの家に出入りするようになった時にはすでに病気で亡くなっていたので、私は知りません。

ペロが子犬でこの家に来てから亡くなるまで1年無かったと思うので、ほぼ1歳程度の年齢です。広いリビングを駆け回り、一人暮らしの彼女の愛情を一身に受けて、そしてあっという間に亡くなりました。

コロナのため、この家に来ることのなかった私は、彼女の絶望の最中を知らないまま、時を過ごしていました。ペットが死ぬということは、子どもが死ぬのと同意味です。ましてや、まだ1歳のペットが目の前で亡くなったとなると、かける言葉がないどころの話ではありません。

私の友人でペットを亡くした人はたくさんいます。生涯をまっとうして死んだものや病気で死んだものなど様々ですが、みな言うことは同じ。

「親が死んだ時よりも悲しくて辛かった」

たぶんペットロスに耐えられないので、私は生き物を飼えないのです。