普通のお母さんになりたくない

オリパラが終わり、ボランティア仲間の中にはオリパラロスで虚脱現象の真っただ中にいる者多し。完全に腑抜け状態らしいです。私はロスになるほど働いていないのでそこまでではありませんが、それ以外プライベートな仕事も重なって、いつ口内炎になってもいいぞというくらい疲れています。

さて、オリパラで知り合った女性の中には主婦の方が多くいました。大体この時期に10日以上捧げられるのは「リタイア組、学生組、主婦組、パート職組」くらいなもので、それ以外の人は「有休全部使った」とか「仕事辞めた」とか「自営業」だったようです。

女性同士でおしゃべりをすることも多かったのですが、最後の日、「この期間だけ『〇〇ちゃんのお母さん』と呼ばれなかった。そのことがものすごく嬉しかった」という声に、みなさん大きく頷いていました。

私はずっとフルタイムで働き続けてきましたので、この感覚を一緒に味わうことはできないのですが、そうなのねーと新鮮な気持ちで聞いていました。話を聞くと子どもが小さいなどの避けられない事情の方はそう多くなく、子どもが中高生だったら働けばいいのにと思いますが、そこは長年その位置にいたので、重い腰はそう簡単に上がるものではないようです。

一緒に仕事をしていて有能なのがはっきりわかる方もいて、この人材が専業主婦なのは日本の損失だなぁと思うことがたびたびありました。本当にもったいない。

こうやってボランティアに来れるくらだから、夫がモラ夫なんてことはないのでしょうし、妻が仕事をしなくても夫が充分に稼いでくれて、何の問題もないのでしょう。でも、彼女たちの心の底に「〇〇さんの奥さん、××ちゃんのお母さん」のような付属品という違和感は通常感じなくても、こういった体験で掘り起こされるものなんだなぁとも思いました。

このボランティアを通じて、運命を変える人がいるのではないか。いればいいなぁと思う管理人でありました。

あ、管理人の運命は変わりそうにないですぅ~。だって活動日が短すぎるんだモン。

無欲は怠惰の基である

今朝たまたまテレビをつけたら、パラリンピック水泳で銀メダルを獲得した山田美幸選手のインタビューが流れました。山田選手は生まれつき両腕がなく、脚にも障がいがあります。

私が驚愕したのはその泳ぎもさることながら、その口調、語彙の選び方、凛とした態度。字幕に「山田美幸 14歳」と出た時は何かの間違いかと思いました。40歳ですと言われても何の違和感もないようなインタビュー内容でした。

その彼女が座右の銘としているのが「無欲は怠惰の基である(渋沢栄一)」だそうで、その言葉にも動揺しました。「ダメで元々言うだけタダ」(管理人の座右の銘)とはかけ離れすぎている。。

モラハラを始めて18年。やりたいことはやったし、ちっとは世の中のお役にたてたからもう楽隠居にシフトしようかと思っていました。もう欲もなく静かに余生を楽しもうと画策していましたが、これは怠惰をするための言い訳だったんだなと気づかされました。

ああなりたい、こうしたいという欲がなければ今のままでいい、今のままが楽ちん、何もしなくていいんだもの。こんな楽なことはない。周りから何か言われたら「だって年なんだモン、無理無理」と誰もが充分納得できる理由もある。

そうだ、怠けたいから無欲になったんだ。欲がないというのはいい意味に捉えられることが多いですが、それは人間をダメにするための欲。向上心や誰かのために何かしたいという欲は持つべきなんだと思い知らされました。

車いすテニスを見ていても、「え~~、この球を返すのか」というようなプレーの連続で、返せるようになりたいという欲があって、練習を積んだからのこのプレーです。欲がなかったら、楽しく球打ちをして満足していればいい。

うん、この「無欲は怠惰の基である」も私の座右の銘にしよう。

ただ、体と相談しながら。やっぱり14歳とは違うからさぁ。。

折り紙が苦手

オリンピックに続いてパラリンピックもボランティアをしている管理人です。

観客もいないので、常に忙しく仕事をしているわけではなく空き時間も結構あります。その空き時間にするのは「工作」です。部屋を飾るボードを作ったり、海外の方にお渡しする折り紙を折ったりしています。

私は折り紙がものすごく苦手で、折れるのは鶴だけなんですよぉ。。(涙。あの、幼稚園の頃、小学生の頃、みんなが易々とできる折り紙が、私はできないという屈辱感、劣等感の極み。もう、折り紙が目の前に出された時からず~~んと暗くなる。

いくら焦っても、どんなに作り方に目を凝らしても、できないものはできません。

そして今回、折り紙でメダルを作るのだそうだ。

#メダルなら100均で買ってくればいいんじゃね?
#金色の紙とボール紙で作ればいいんじゃね?

と心の叫びはあるけれど、みなさん、教えてくれる人の手元を見ながら楽しそうに折り紙を折り始めました。しかたなく私も折るけれど、どうしても意味がわからないところがあって、首をひねっていたら、教え方の若い方が優しく見本を見せて下さる。だがしかし、焦りもあって「あの~、やっぱりわかりません」

とほほ。。こんなところで恥を晒すとは。。

すると、脇で見ていた若いボーイが紙を取り、さらさらっと折り始めると、見事にできたメダル!「初めて作りました」と言うボーイに

「すご~~~い!!」という歓声。「見てればわかりますから」

ととととと、見て聞いて、やってもらって手取り足取りしてもらってもできないんですけど。。。

どうやら私はある一か所ができないとみなさんわかったらしく、そこまで他の方が作って、私に渡すという流れ作業方式になりました。う~ん、パラリンピックらしく障がい者に優しい心遣い。

昔だったら劣等感にまみれてその夜は涙に暮れるところですが、私はどうやらこういう作業が苦手ということがもう分かっていますので、「それは個性である」と開き直ります。おそらく折り紙も人の3倍くらい頑張ればできるとは思いますが、そこまで頑張ろうという気も必要もないので、これでやっていきます。

#必要があるのなら頑張りますよ!

「箱も折れないんですか?」「やっこさんとかは?」ともの珍しい生物に遭遇したように矢継ぎ早に聞かれたので、「私の人生で今まで折り紙が必要なことはなかったので、できません(●^o^●)」と明るく答えたところ、「私もだわ~」と仲良しのボランティア友が。どうやら私たち、仲良くなったのは同類項だったからかもね。

できないことを克服するのも大切かもしれませんが、この年になったら、もうできることだけやることにしています。親御さん、どうぞできない子を責めないでください。折り紙にむいていない脳構造なのかもしれません。他のことができるなら、それでいいじゃないですか。