欲しかったのはハサミでした。学校では文房具入れの中にハサミを入れなければならないのですが、中指と親指を入れて使うタイプのハサミを私は買ってもらえませんでした。
先生から「文房具を入れる袋を作って持って来なさい」と言われ、母にそのように伝えたのですが、おそらく何か母を怒らす出来事があったのか、鬼のような顔をした母が茶箪笥の引き出しを開けて引っ張り出し「ほらっ!」と投げつけてきたのは、テロテロした裏地がぐちゃぐちゃにシワになり、2センチほどの縫い目で3方、これまたぐちゃぐちゃに縫ってある袋でした。
長方形の一辺は縫っていませんが、断ち切りですから、ほつれてぼさぼさになっていました。
「みなさん、文房具入れは持ってきましたか?」と先生が言い、「はーい!」と言ってみんなが手に文房具入れを持って掲げた中に、そのぐちゃぐちゃの袋もありました。先生は嫌な顔をしてその文房具入れを見て、何も言いませんでした。
私はともかく女性の先生に嫌われました。たぶん整容検査のたびにハンカチは忘れているし、チリ紙も持っていない。(ハンカチは買ってもらえないし、チリ紙は家から持ち出すのを忘れているし)
ともかくきちんとしていないので、女性の先生は嫌だったんだろうなと思います。
その文房具入れの中にはハサミを入れなければならないのですが、母に「ハサミがいる」と言うと、また「ほらっ!」と言って放ってきたのは、裁縫で使う、いわゆる糸切ばさみでした。みんなが持っているような中指と親指を入れて使うハサミが欲しいのですが、それを言えばまた「金食い虫!」と、怒鳴られるので言い出せませんでした。
文房具として使うはさみが手に入ったのはいつの頃だったか。おそらく弟が使うようになり、母は初めて、学校では文房具として糸切りはさみは使わないのだと知った時かもしれません。弟に「学校で使うはさみはこれだ」と言われて弟に買い、そのおこぼれで買ってもらったのかもしれません。
母は思いっきり戦中に少女時代を過ごしていますので、物の価値観がそこでストップしているものがとても多いのです。
「お弁当に卵を入れてもらえるのはあんただけだよ」と言って、卵焼きとたくあんのお弁当を渡されても、すでに戦後20年以上経っていて、他の同級生が色とりどりのお弁当を持ってきている中、黄色と白のツートンのお弁当は、なかなかシュールでした。
それでも母は「お弁当を持たせてもらえるなんて、あんたは恵まれているんだから。貧乏な家の子は麦ご飯でおかずは梅干しだけなんだから」と言っていました。
母がいつも「かわいそうな家の子」と言っている生活保護家庭のセツコちゃんのお弁当が、麦ごはんでもアワでもヒエでもなく、他の子と同様のきれいなお弁当なのだとは、母は今でも知らないままなのだろうと思います。