がまんは何のため

被害者の方は「自分さえ我慢すれば」と仰る方がとても多くいます。「私がわがままなのかな」「自分さえがまんすればいいのに、我慢が足りないのだろうだろうか」と仰います。

我慢するというのは、大きな甘い果実を手に入れるためにするものです。嫌な気分のままモラハラ夫と我慢して一緒に暮らし、手に入れられるのは夫が定年退職して一日中家の中に居る家での二人暮らしです。気分は嫌なまま、さらに経済的な締め付けはひどくなります。

昼間、町には老人たちが沢山いますが、不思議と男性は図書館、公民館などに集まります。図書館では新聞を読みながら居眠りをする、公民館では無料のコンサートを聞きながら寝ている。

女性は公民館のサークル活動やジムに沢山います。ジムでは体を動かすより口を動かす方が一生懸命。あちこちで2、3人固まってのおしゃべりで日がな過ごしています。男性もいるにはいますが、圧倒的に女性が多い。

どちらにしろ、持て余した時間を潰すのに毎日あちこち出歩いている方が大勢います。

これはむしろいいことで、老人がふたりで家の中にいると辛気臭くてよろしくないし、夫婦のどちらも「相方が家を出て行ってくれればいいなぁ」と思っていますから、どちらかが家を出ることになります。そしてその方が夫婦関係がうまくいく。

もちろん夫から離れて一人暮らしをすれば同じような老後にはなりますが、同じ家にこういう夫はいませんから、自分のことだけ考えればいい。老後の経済が不安なのは、夫がいてもいなくても同じです。夫がいる人は悠々と暮らしていますか?

さらに年を取ると「ケアマネさん」とか「デイサービス」などという言葉が出てくる。そういう年になっても、モラ夫の場合は小言が絶えません。一日中小言です。何しろ妻しか当たる先がないのですから。

さすがに大きな音をたてるなどは無くなりますが、ブツブツと文句を言う、何か言えば怒鳴りつけるは相変わらず。

がまんはその先にいい事があるときにするもの。

がまんの方向を見間違わないようにしましょう。