マシュウとふくらんだ袖

「赤毛のアン」が好きすぎて、12年前、ついにプリンスエドワード島(以後PEI)に2週間滞在した私。写真はその時に撮った、グリンケイブルズのアンの部屋にあった「ふくらんだ袖の服」です。

私たちの世代は「赤毛のアン」は女の子の必読書だったものですが、今はそうではないようで、アニメで見たか、それすら見ていない方が多いようです。

同世代が集まって「『赤毛のアン』のどの章が好きか」と話をしたことがありました。ミニーメイの喉頭炎を一晩中かけて治す章や、香料と湿布薬を間違えてケーキに入れた章など、それぞれにアンに対する思いがありましたが、私は何といっても「マシュウとふくらんだ袖」の話が好きです。もう泣きたいくらい好きなのは、私も同様の経験をしたからかもしれません。

私が高校生だった頃、父は上場企業の社員だったにも関わらず家は貧乏で、母にお金を出してもらう時には決死の覚悟で言ったものでした。

「金食い虫」「あんたのせいでお金がない」「いつもいつもビリッビリッと人の財布を開けさせる!」と般若の顔で怒鳴りつけられるのが常でしたから、とにかく額の多少、内容にかかわらず母からお金をもらうのが本当に苦痛でした。

そんな家でしたから、服も買ってもらえない。人間不思議なもので、買ってもらえないとわかっていると欲しいという気持も無くなるものです。

「この子はあんまり欲しがらない子で」と母は自慢げに人に語っていましたが、いや、それ、欲しがらないんじゃなく、この状態では欲求すら無くなるという、人間の心理上あまりよろしくない結果なんですが。

ある日ある時、父がふと「お前、なんでいつも同じ服を着ているんだ?」と聞いてきたことがありました。

「ないから」

「ないって?」

「他に着るものがないから」

と私が言うと、父は「なにーーーー!」といきなり立ち上がり、二階へ疾走しました。二階の私の部屋にある箪笥の引き出しを次々と開けますが、下着しかない。

#当たり前だ。買ってもらえないんだもの。夏冬休みにするバイト代は1年間の私の学用品や本や大好きだった映画代に消えるから、服を買うお金はない。

血相を変えて二階に上がった父を追いかけて、母もやってくると

「なんで服を買ってやらないんだ!女の子には借金しても服を買ってやるものだ!!」と怒鳴りつけました。

翌日、プリプリと怒った母は私を連れて服を買いに行きました。

「本当にお父さんったら、自分は好き勝手にお金を使うくせに」と父を罵りながら歩く母の後についていきながら、この原因を作ってしまった私はひたすら小さくなる。

お店について「ほら、好きなのを選びなさい」と言われても、そんなことをした経験もなく、とにかく母をこれ以上怒らせないために、服ではなく値段を見ながら一番安いものを選んでいると「値段なんか見ないの!」とまた怒られる。

買ったのは毛100%のセーターでした。袖にこげ茶とベージュの縞が入っていて、ちょっと肩にふくらみがあってかわいらしかったのを覚えています。

ところが毛100%の洗い方がよくわからず、すぐに縮んでぱっつんぱっつんになってしまいました。それでも外出の時にはそれを着て行きました。何しろ他に着るものがなかったので。

母は「赤毛のアン」のマリラと同じように「教育上子どもには華美な服を着せてはいけない」とでも思っていたのでしょうか。いやいや、母は外出の時は制服があるから十分と思っていたと思います。普段着もジャージがあるから十分。とにかく子どもにはお金を使いたくない。

その制服も、下に白のワイシャツを着るのですが、それも母がどこからかもらってきたワイシャツで、なぜか袖にボタンがありませんでした。後からあれはカフスボタンで留めるタイプのものだったんだなぁとわかりましたが、ともかく当時は冬でも袖をまくって着ていました。夏になると堂々と袖をまくれるのが嬉しかったものでした。

それにしても娘が奇妙な格好をしていることに気づいたのは、一番身近な同性であるマリラや母ではなく、おしゃれにまったく縁のないマシュウや父であったことが象徴的です。娘が他の子とは違う格好をしている、みすぼらしい格好をしていることに鈍感だった同性の親。

母は「欲しがらないから買わなかった」と言うかもしれませんが、欲しがったら怒鳴りつけられて、そのあげく買ってはもらえないのはわかっていますから言えるはずがない。アンは何度も「ふくらんだ袖の服が欲しい」と訴えましたが、「質素が一番」と思っているマリラには通じませんでした。

クリスマスの朝、アンが欲しかった「ふくらんだ袖」のドレスを見た時、どんなに嬉しかったことか!

私もアンと同じように「ふくらんだ袖」や「レースがついている服」を着てみたいと思っていました。だからアンと同じ気持ちになれる「マシュウとふくらんだ袖」の章が、愛おしいほどに好きなのです。

そして今、母から「白い七分袖のカーディガンを送って欲しい」と言われています。

送りますよ、しまむらで買って。はいはい。