一番の戦犯は誰だ

延々と母について書いてきましたが、では母は最初からこのような人だったかというと、そうではありませんでした。母が変わったのは父の転勤で別の土地に移ってからです。

それまでの記憶として母にいじめられたとか、ひどい言葉を投げつけられたとか、そういう記憶はありません。8歳までは両親から本当に愛されて育てられてきたと思います。

1年生の時に母が作ってくれたハモニカ袋には、母が得意だった刺繍でピンクの花がステッチされていました。その花模様は今も覚えています。

新しい土地に行き、父は仕事でパワハラに遭い、さらに「自分は秀才」というプライドと学歴がない劣等感でそのストレスを酒で紛らわすようになりました。

元々酒は強くない人で、いわゆる酒乱。飲んで帰ってきては泣きながら吠える吠える吠える。

ふとんの中で耳を塞いでいても、父の吠える声と、なだめる母の声は聞こえてきます。

夜7時を回っても父が帰って来なければ飲んでくるということ。母は小学生の私に会社に電話をかけるように言います。父が会社にまだいれば、家族がほっと胸をなでおろし、いなければまた飲んでくるのだと家中が暗くなり、厳戒態勢になります。父は会社で「7時の男」と言われていたそうです。

何度も夜親戚や電車で2時間の祖母の家の家に避難し、近所の旅館に泊まったこともありました。飲んでくるにはお金がいる。父が生活費を飲み代に使ってしまうせいで、いつも母からは「金食い虫」と言われ、母の機嫌が悪くなるのが怖くて「お金、ください」が言えない。

さらに住んでいたところが社宅で、近所は全部会社の人たち。学歴がないので一向に出世しない父。近所の奥様方とのヒエラルキーに、負けず嫌いの母が反応しないわけがない。

とにかく家を建ててここを出たい。家を建てるお金を作るため、子どもの学用品や着る物や食べるものには全部事業仕分けで避けられました。

一番の戦犯は父です。これはもう間違いない。会社でパワハラに遭っても、秀才なのに学歴がないために出世できなくても、そのストレスを家に持ち込んだのは父の甘さです。家族への甘えです。

#パワハラに遭っていたら、外で酒を飲んで家族にあたってうさを晴らしてもいいのかと思う。私もパワハラに遭ったけど自分でなんとかしたぞ。子どもに当たり散らすなんてしなかったぞ。

ひたすら父のプライドの高さが母を壊し、子どもたちは機能不全の家庭で育ったACとなりました。

ところが父が50歳を過ぎた頃、父曰く「なんだかつきものが落ちたようにすっきりした」のだそうです。もしかしたらパワハラの原因が無くなったのかもしれません。

それからは酒は宴会などでたしなむ程度。酒さえ飲まなければ良い父親ですし、単身赴任で週末しか帰って来なくなったこともあり、家には平和が戻ってきました。

でも、壊れた母は変わらない。「自分は世界で一番不幸」という被害者意識だけを大量に抱え込み、家族の中でいつ爆発するかわからない困ったちゃんになりました。