育児は24時間365日

共同親権を推進したいのは多くは男性ですが、まず育児と言うのは24時間だとわかっていないようです。ミルクとおむつを替えればイクメン面していられますが、当然育児はそれだけではありません(それだけではないことをわかっていないのが辛い)

子どもは片時も目を離せず、月数が上がれば母乳やミルクから離乳食へ切り替え、その準備、後始末、床に置くと嫌がる子どもは抱いて歩き回らないと寝ない。

ミルクを飲めば吐く、吐いたものを片づけや洗い物をしながら着替えをさせ、着替えをしたらその洗い物。1日で山のようにたまる洗い物。

なかなか寝ない子は外に連れていって歩き回る。苦い薬を飲まない子を騙し騙し長時間かけて飲ませる。立って歩けるようになると、目離しできず、重くなった子を背中に括り付けて家事をする。

子どもは朝早いから、昨日寝たのが1時近くでも起きて朝食づくり。保育園の連絡帳も書いて、持っていくものに全部記名。保育園袋にいれて自転車に積んで保育園の送り迎え。

これを全部やって育児です。全部やってから「共同親権」と言ってください。子どもを一緒に育てたいなら、生まれた時からやってください。おむつに付いたウンチの処理をして、べたべたした手でさわったあちこちを拭いて、部屋の中に危ないものはないか、何かを口に入れたら大変なので、全部片づけてください。

ぐずって寝ない時はずっとあやして寝かせてください。当然その間は寝られません。そんな日が半月続いていて、睡眠不足で頭がぼーーっとしてても子どもは生きていますからやってください。山のようにたまった洗い物や翌日の準備は頭にあっても、ふたりでやればなんとかなりますが、片方がいなければ(何もしなければ)処理しないものはそのままの形になっています。

休日にイベントに行くなんてとんでもない。休日こそイクメンが活躍する時です。飲み会になんか行けません。人との付き合いは子どもが大きくなってからです。

自分は行くけど母親は母親だから飲み会なんか行かせないというのはやめてください。あなたが行くなら母も行く。母が出かけている間はあなたが面倒をみる。これ、当然。

それをやった人だけ「共同親権」「共同養育」と言ってください。

子どもが少しは親の言うことを聞くようにさせるまで24時間、365日。ずっと毎日毎日子育てしてきたのは母親。少し大きくなって子どもがこちらの言うことがわかるようになって楽になってから「育児する」などと言わないでください。

「子どもをこう教育したい」「こういう風に子どもと過ごしたい」

そういう前に生まれた時から24時間子どもの世話をしてください。仕事を言い訳にしないで、仕事から帰ったらまず洗い物をしろ。

まずは24時間365日世話してみろ。

養育とはそういうもんだ。

母のお正月の場所

今年の夏はずっと暑すぎたことやコロナ患者の異常発生で、母と会うのは2か月ぶりくらいでしたが、暑さもコロナも和らいだので久しぶりに外で一緒に食事をしました。

さすがに90歳を超えると足元がおぼつかなくなりましたが、消化器は元気。私でも残すランチをぺろりと平らげ、デザートのあんみつもしっかりと完食。

母はいつものように施設の人はみんなボケているので話にならないことなどをひとしきり話すと、「来年のお正月はあんたのところに居させてくれない?」と言い出しました。

弟は長男の責任を感じているので、お正月はいつもは弟が預かってくれ、私も安心していたのですが、母は来年は私の家に来たいと言う。

「ヒデト(弟)んとこじゃないの?」と聞くと、「ヒデトはなんだかイライラしてて、居たくないんだよ」

大晦日の31日から3日まで、いつもはいない母親がいればイライラもしたくなるだろうなとは思うけれど、私のところは子どもたち家族全員がやってきて泊まる予定。

お正月のイライラと言えば、母は昔からいつもイライラしていました。母はキャパの狭い人で、同時進行でいくつもはできません。2つが限度。そして極度の潔癖症と完全主義者。お正月を迎えるにあたり、彼女なりの手順と完成図があり、それに沿った進行をしないとイライラ爆弾がさく裂します。

常に彼女の思うとおりの行動を求められ、時間がずれただけで怒号が飛んでくる。正月に限らず、旅行やいつもの生活の休日の過ごし方も彼女の思うとおりにしないとイライラが爆発します。

お正月に弟宅にいたときもたぶん弟が自分の思うとおりに動かなかったり、期待する言葉を言わなかったりすると、あからさまに嫌な顔をしたのでしょう。

母は弟がイライラすると言っているけど、あなたはいつもお正月前はイライラしていたから、人がイライラすると不満を言えた義理ではないと思うけど。

人は自分の思う通りには動かず、自分の期待する優しい言葉を言わないからと、あからさまに不満そうな態度をとるのはもう卒業したらいかがでしょうか。

よもや彼女は自分が施設送りになり、子どもに正月に居させて欲しいと懇願するようになるとは思わなかったでしょう。子どもは親を敬い、大切にするものなのだとしか考えつかなかったのでしょう。

時代は変わるのです。人の考え方も生活様式もみんな変わるのです。あなたには考えられないことかもしれないけれど。

あの頃もう少し優しい母であってくれれば、喜んでこちらからお迎えに行きますけど。自分は聖母マリアのような母だったと思っている人には、なぜあなたに子どもたちは冷たいのか理解できないでしょうね。

やってもやらなくても後悔

90歳を過ぎた母はとても不幸そうです。常に愚痴ばかりの会話です。首都圏の施設に来てはどうかの話になった時、私は一切口をはさみませんでした。「こうしたら?」などと言ったら、どうせ後から「あんたがあの時にああいうから」と必ず責任転嫁されること間違いなしだからです。

だから自分で決めてもらいました。年寄りは動かしてはいけない、環境の変化についていけない、体が不調になったり、最悪死が早くなるというのは知っていました。でも彼女がそうしたいというのなら好きなようにさせました。これを言って「やめた方がいい」と言ったら、「あんたがあの時にああいう~(以下同文)」

来てみたら、毎週施設に子や孫がやってきて、母を囲んでわいわいと賑やかになる予定(母の勝手な想像)だったのに、誰も来ない。まもなく起こったコロナ騒動で、自由に出歩くこともできなくなった。

出歩くのもいちいち出先と帰る時間を書くのが面倒。年金だけでは足りないので、貯金から2~3万円ずつ下ろしているのですが、数字が減るのが「恐怖」。

「来るんじゃなかった、来なければよかった。コロナがなければ帰っていた」と会えば必ずいう愚痴愚痴。

最近いいことがありました。売りに出していた実家が売れたのです。町ではない集落というような不便なところにある家でしたから、売れるのは難しいだろうと思っていましたが、家の見栄えに気をかける母の丹精込めた見た目の良さのせいでしょうか。無事に売れました。

売れるまでは「早く売れてほしいと、毎日神様にお願いしているだよ。思い残すのはこれだけだ」と言っていましたが、売れてみると「売らなければよかった」「住んでいた家を手放すということは身を切られるようだ」と愚痴愚痴愚痴。

あら?私が家を売った時は「売れてよかったじゃない~♪」と言ってたのはだ~れ?身を切られるような私の思いにはまったく気づかなかったのはだ~れ?

転居するときに「捨てるのはしのびないものを預かってほしい」とお願いしたら、「さっさと捨ててしまえ」と言ったけど、自分が同じことになった時「あれを預かって、これは捨てたくない」と言ってきたのはだ~れ?

自分も同じ思いをしなければ気がつかない、想像力のない人です。

やってもやらなくても後悔する。後悔しかない人生です。

小さな頃の養育の大切さー映画「Lion」から

こちらの続きです。
この映画はいろいろと考えさせられる問題が随所にあります。そのひとつに5歳の頃に迷子になってしまったサルーと、その後同じようにインドから引き取られた子ども(推定8~9歳)と一緒に、オーストラリアの家で育てられます。

ただ、サルーは貧しくても愛情たっぷりの母やきょうだいがいたのに対して、後から引き取られた子どもはそうではなかったようです。

何かあると火がついたように興奮し泣き叫び、自傷します。それはこの家に来て安心と愛情にあふれる生活になっても変わりませんでした。この子がこうなるまでにどれくらいのできごとがあったのか、どんな生活をしていたのか。

インド系独特の射るような眼差しが恐怖と怒りに変わり、自分を殴打し続ける。自傷するだけでなく、自分の人生も破壊し続け、養父母を悲しませます。映画の最後になってもそれは変わりませんでした。

幼いころの養育によってふたつに分かれた子どもの人生。それほど幼育期の環境が子どもに及ぼす影響が大きいということです。

インドは子どもが多いから、ひとりくらい居なくなってもそれほど大騒ぎにならないという話もあります。実際にこの映画の最後に「インドでは毎年8,000人の子どもが行方不明になる」というクレジットが流れます。

でも、サルーの母はいつ行方不明になったサルーが帰ってきてもいいようにと、決して住んでいた場所から離れませんでした。サルーは貧しくとも愛情にあふれた家庭に育ち、子どものいない家の養子として手厚い養護が受けられた、八千分の1の幸運な子どもでした。

映画の最後にインドに住むサルーの実母にオーストラリアの養母が会いにいく実写フィルムが流れます。

サルーは現在インドで孤児院を営み、インドの孤児をオーストラリアに養子縁組する活動をしているそうです。

自分のことしか考えない人

パブにいつもお助けのラッパ水仙さんの素敵な書き込みがありましたので転記します。

もし、彼が本当にモラハラ夫ならば、彼が愛して大切にしているのは自分だけです。
同時に、彼らの行動のすべてが【わざと】【嫌がらせで】やっているとは限らず、
単に【自分のことしか考えていない】結果であることも多いです。

そうなのです。うちのモラ夫は相手にダメージを与えるため、自分の機嫌をそこねたらこうなるんだぞという見せしめ、罰、威嚇のためにモラハラのツールを繰り出すことが多かったのですが、母の場合はまさにこれ。

自分のことしか考えていない

本人はよく「私は人のために尽くす。人に愛されている」と公言していますが、他人のためにはするけれど、なぜか家族のためにはそれができない。これはおそらく甘えと「そうあるべき」という思い込みがあるからでしょう。

子は母に尽くすもの、母を敬愛するもの、感謝するもの、金銭援助するもの、すぐに助けるもの、愚痴をきくものと思い込んでいるから思ったとおりにことが運ばないと爆発が起こる。

#思い込みって怖い

自分のことしか考えない(考えられない)人は他人のことを考える能力がありません。能力のない人にないものねだりをしても無駄。

モラハラという嫌がらせとしての行為なのか、ただ単に人のことを考えるという能力がない人なのかは割と重要な視点だと思います。当然前者の方が一緒に暮らすのは辛くておぞましい。

後者の方は「無理なのね」と悟ってしまえば期待もしないしあきらめもつきます。母は後者でした。家族関係のこういった行為は家族に対する甘え、当然そうであろうという思い込み(期待)から来るものがほとんどです。

人は変えられないけど自分は変えられる。自分は思い込みをしていないか、振り返ることも必要だと思います。

GWには実家へ

まだモラ家で暮らしていた頃、GWには夫の親戚が泊りがけで訪ねてくるのが常でした。夫は親戚をもてなすのが大好きなので、その期間はとても機嫌が良く、親戚の方々もみんな良い方で、GWはそれほど気を使わなくても良く、助かったものでした。

ただ、それを快く思わない人物がいました。プーチンスカヤ(母)です。

よその家では続々と子どもが帰ってくるのになぜ自分の家の子は来ないのか。ちょっとは孫の顔でも見せに来るものだと小言も度々でした。でも元モラ夫は車の運転ができないので、私がいないと親戚をもてなす買い出しや、親戚が行きたいという観光地に連れて行くことができないので、私は身動きがとれません。

「ったく毎度毎度帰ってくる人たちだこと!ちっとは遠慮したらどうなんだ!」と電話口で怒鳴り散らし、「1日だけでも帰ってこないか?」と言うけれど、「それは無理」と言うと、「じゃ、がんばってや!!!!」と怒鳴ると電話をガチャ切りしました。

母にはモラ夫に逆らうと機嫌が悪くなり、その後、何週間も無視をするのだと言ってあったのですが、その「何週間も無視」ということが理解できないようなのです。母は近所の手前、子どもが誰も来ないことは世間体が悪い、世間話のタネがないから「実家に来い」という理由です。

元モラ家のGWはひたすら親戚のもてなしの日々ではありましたが、何しろモラ元夫は外面大将なので、その時は機嫌がいい。

そしてそのストレスはGW明けにやっているのでした。

奇妙な「家族団らん写生会」

私が小学4年の頃。父親は月に数回酒を飲んでわめき散らす、母親はそのストレスをまともに子どもにぶつける。家は貧乏、学校へ行けばお金持ち大好きの教員から嫌われるという生活でした。

ある日曜日の朝、突然母が「家族団らんをしよう!」と言い出しました。

今思うと笑えてしまうのですが、家族団らんとは取り立てて始めるイベントではなく、日々が楽しく暮らせていればそれが家族団らんというものではないでしょうか。母が「家族団らんをしよう!」言った瞬間に私は「けっ!」と思いました。小学4年生です。

10歳でもこんな大人の幼稚な取り繕いに気づき、「けっ!」と思う頭は持っています。今10歳以上のお子さんをお持ちの方は子どもは幼いからわからないだろう、気づかないだろう、子どもなんだからと思っていても、子どもは大人が思っているより頭のつくりは大人です。

毎度毎度酒を飲んでわめきちらし、母は子どもに決して言ってはいけないことを叫びちらし、ナニが家族団らんじゃい、笑わせるんじゃねぇと思っていました。

母が思いついた「家族団らんイベント」は写生会でした。こたつの上に花を挿した花瓶を置き、それを4人で写生するというものでした。

母は必死で家族仲良い風景を作りたいと思っていたでしょう。がんばって家族らしいことを「お金をかけずに」やりたいと思っていたでしょう。そのがんばりがミエミエな分、私の頭の中には「浅はか」という文字が浮かびました。

#そんなわざとらしいことをするよりも、子どもたちに毒吐きするな

モラハラ被害者の方の中には「子どもが自分の辛さをわかってくれない」「私の味方をして、一緒に夫の悪口を言って」という方はいますが、これはやめた方がいいでしょう。結婚は夫婦で決めたことで、子どもには関係ないことです。子どもには楽しくのびのびと暮らす権利があります。その権利を守るのは親の役目です。

さて、写生会は終わり、ご丁寧にそれぞれの作品を見せ合いながらの寸評になりました。「お母さんのここがいい」「早智子は色がきれい」などと家族団らんごっこをしてお開きになりました。ありがたいことにこの家族団らん写生会はこれ一度だけで、二度と開かれることはありませんでした。

プーチンスカヤの祈り

タイトルの「プーチンスカヤ」とは母の新しいニックネームです。まさにぴったりなので私が命名しました。もっともうちのプーチンスカヤの全盛期は過ぎ、もはや力は無くなりました。息子や娘に攻撃をしかければ、向こうから縁切りを言われそうなので、彼女の攻撃方法はひたすら哀れな年寄りを訴えることです。

たまたまニュースを見ていたら、家族がウクライナにいる方たちが日本の教会で祈りを捧げているシーンがありました。「お父さん、みんな祈ってるよ」と電話で伝えると、ウクライナからは「祈りはいいから金を送ってくれ」と返事が。

緊迫の中で祈りを捧げるシーンに「祈りよりも金」という、何とも現実的なセリフで思ったのは、母はいつも「私はいつもお前たちのことを祈っているよ。朝昼晩と神様、仏様、死んだお父さんにどうか頼むとお願いしているんだよ」という言葉です。

「あ、そ。祈るのはタダだからね。どうぞ祈って祈って」とある日言ったら、ふて腐ることふて腐ること。

「お父さんの遺産は全部私のものだから」と全額自分の口座に移すように指示した彼女。お金に関わることは気が狂ったようになる人です。

昔仕事場で寄付集めをした時、同僚たちは実家に頼みに行くというので、そうかと私も行ってみました。「これこれで寄付を集めてるんだけど」と父に言うと「千円でいいのか?」と言って父がズボンのポケットから財布を出そうとすると母が飛び込んできて、「お前は年金生活者に金をせびる気か!」「お父さん、いいから、出さなくていいから」と言って押しとどめました。

確かに年金生活者ですが、「うちは他の家よりずっと年金が多いから、額を言えないんだよ」と自慢そうにしていた母。あちこち旅行に行き、お取り寄せグルメを買っていました。その人が娘が千円の寄付を頼むと「金をせびる気か!」と怒鳴りつける。その剣幕のものすごさに、すごすごと財布をまたポケットに戻した父。

母の観念としては子どもが大きくなったら親に仕送りをするもの、親へ小遣いを渡すものということになっています。それなのにまったくお金を渡そうとしない子どもが、さらに金をせびりに来るとは何事か!ということなのでしょう。

今はめっきり大人しくはなりましたが、お金に関することになるときりっとします。

そうなんだと思う。ウクライナも「祈るよりも金をくれ」なんだと思う。うちのプーチンスカヤは今日もウクライナに平和をと祈っているのでしょう。支援金は。。出さないだろうな。

受験は親も子も狂います

以前この記事を書きました。

この時期恒例の受験ネタです。

昨年秋、道で元同僚にばったり会いました。なんとなく立ち話をしていたら、「娘が中学受験。成績が低迷し、思春期も重なって大荒れで手がつけられない」と心底困っているよう。彼女、子どもが生まれたときは「うちは公立一本だから。私立なんか考えてないから」と言い切っていたので、「子どもが希望する場合もあるわよ」と言ったのですが、「うちみたいに低収入(本当は高収入)な家は無理。絶対に受けさせない」。

子どもはこう育てるんだ、こうするんだとかなり理想の子育てをしていましたが、どうやら思いと実際は違ったようで。

#育児書どおりに育ったら、こんなに育児書が流行るわけない。みんな思った通りにできないから本に飛びつく

一応アドバイスをして、「受験は親も子も狂うのよ」と言ったら、道の真ん中で身もだえし、「狂いますよねーーー、狂いますよねーーー、そうなんだーーー、みんな狂うんだーーーー!!」と大絶叫しました。

#相当まいっていたみたい

私も通った道だから本当によくわかる。あの時期は自分はどうかしていたと思うほど、試験に落ちたらどうしようかと、そればかり考えていました。地方は高校名で一生が決まるというほど高校が大事。高校名を告げたら就職は門前払い、交際していた相手から結婚をお断りされ、結婚するとあからさまに相手の家から蔑まされ話の中にも入れてもらえない。「お正月は私だけキッチンで料理の上げ下げしてるのよ」と聞いたことがあります。高校名を偽って結婚した人もいます。

この差別をまともに受けるのは女性よりも男性の方が大きく、それゆえ受験に熱心なのは母よりも父の方が強かったりします。社会の中で高校名で差別されるのがどれほど辛いことか、身をもって知っているからです。

これくらいのあからさまな差別のある高校名。高校受験は一発勝負。地方は公高私低。公立高校受験に落ちたら辛い人生が待っていると思うと、正気の状態ではいられません。そのため、中学浪人をする人がとても多いという現実があります。この話を東京でしたら「中学浪人なんて考えられない」とびっくりされました。私の頃は裕福な家は公立高校に落ちたら、他県の私立高校に進学する人もいました。

埼玉でこの話をしたら、「埼玉もそうですよー。あからさまですよー」と言われました。首都圏の埼玉でもそうなのか。うちの子と同期の子の母親で精神科に入院した人がふたりいました。

高校で一生が決まるわけではないというのは事情を知らない人の言うこと。一生が決まることもあります。

「後からなぜあの時あんなに思いつめたんだろうって思うんだけどね」と彼女に言うと、泣きながらうんうんと頷いて、「やっぱり同じ経験をした人の話は説得力がありますー。同じ思いをしないとこの気持ちはわかってもらえませんもん」

「子どもの力を信じて」「これで一生が決まるわけじゃない」と聞いたようなことを言われても、狂った親や子には届かないのです。

父と娘の関係

思春期の娘が父親を毛嫌いするという話をしていた時、ある男性が「それは近親相姦を防ぐための自然行動である」と言いました。彼はだいぶ人間の行動について研究をしたのだそうです。

「自然っていうのはそういう風になっているんですよ」「そして男性が若い女性を好むのは、繁殖のためには若い方が有利だからです」とも。

なんだか男が若い女に群がるのを肯定するための屁理屈じゃありません?だったら女性も若い男性を好むはず。

「女性が妊娠できる期間は限られていますが、男性はそうではありません。80歳になっても繁殖能力はある。だから子どもが生まれた後に育てるための資産を男が持っているかを女性は気にするでしょ?女性は一生に産む数は限られていますが、男は作ろうと思えば何万人でも作れますからね」

そして最初に書いたとおり、思春期の娘が父親を毛嫌いするのは当然なのだと言う。

「でも、私は父を毛嫌いしたことはないですよ。思春期の頃も臭いなんて思いませんでした。大好きというわけではないですが、嫌いではなかったです」

「そういう例もあります。私の研究ではね、父と仲の良い娘は仕事ができるんです」

あれ?誉められちゃったのかな。

確かに大人になってからはまったく社会の常識がわからず、ピント外れの母親よりも、社会経験の豊富な父の方が話が通じるので、父親の方とじっくり話し込むことが多かったように思います。

「子どもが自分の味方をしてくれない」「もっと父親を避けて嫌ってほしい」という被害者の方は多いです。ですが、社会に出て働くようになると、父の気持ちもわかるようになり、むしろまったくピンぼけなことしか言わない母親には何を言っても無理、ということになるという話は成長した被害者の方からも聞きました。

父を嫌ってほしい、私の味方になって労わってほしいと思わず、娘の話をじっくり聞くことも必要かもしれません。