母のお正月の場所

今年の夏はずっと暑すぎたことやコロナ患者の異常発生で、母と会うのは2か月ぶりくらいでしたが、暑さもコロナも和らいだので久しぶりに外で一緒に食事をしました。

さすがに90歳を超えると足元がおぼつかなくなりましたが、消化器は元気。私でも残すランチをぺろりと平らげ、デザートのあんみつもしっかりと完食。

母はいつものように施設の人はみんなボケているので話にならないことなどをひとしきり話すと、「来年のお正月はあんたのところに居させてくれない?」と言い出しました。

弟は長男の責任を感じているので、お正月はいつもは弟が預かってくれ、私も安心していたのですが、母は来年は私の家に来たいと言う。

「ヒデト(弟)んとこじゃないの?」と聞くと、「ヒデトはなんだかイライラしてて、居たくないんだよ」

大晦日の31日から3日まで、いつもはいない母親がいればイライラもしたくなるだろうなとは思うけれど、私のところは子どもたち家族全員がやってきて泊まる予定。

お正月のイライラと言えば、母は昔からいつもイライラしていました。母はキャパの狭い人で、同時進行でいくつもはできません。2つが限度。そして極度の潔癖症と完全主義者。お正月を迎えるにあたり、彼女なりの手順と完成図があり、それに沿った進行をしないとイライラ爆弾がさく裂します。

常に彼女の思うとおりの行動を求められ、時間がずれただけで怒号が飛んでくる。正月に限らず、旅行やいつもの生活の休日の過ごし方も彼女の思うとおりにしないとイライラが爆発します。

お正月に弟宅にいたときもたぶん弟が自分の思うとおりに動かなかったり、期待する言葉を言わなかったりすると、あからさまに嫌な顔をしたのでしょう。

母は弟がイライラすると言っているけど、あなたはいつもお正月前はイライラしていたから、人がイライラすると不満を言えた義理ではないと思うけど。

人は自分の思う通りには動かず、自分の期待する優しい言葉を言わないからと、あからさまに不満そうな態度をとるのはもう卒業したらいかがでしょうか。

よもや彼女は自分が施設送りになり、子どもに正月に居させて欲しいと懇願するようになるとは思わなかったでしょう。子どもは親を敬い、大切にするものなのだとしか考えつかなかったのでしょう。

時代は変わるのです。人の考え方も生活様式もみんな変わるのです。あなたには考えられないことかもしれないけれど。

あの頃もう少し優しい母であってくれれば、喜んでこちらからお迎えに行きますけど。自分は聖母マリアのような母だったと思っている人には、なぜあなたに子どもたちは冷たいのか理解できないでしょうね。

体力は衰えるもの

こちらの続きです。ショコラさんの2冊目の本を図書館から借りて読みました。ショコラさんは正社員のストレスから病気になり、56歳で正規の仕事を辞めてパートタイマーとして再就職されました。

ああ、わかる。私も正規で働いていました。確かにお給料は良いし、待遇的にもしっかりしているのですが、その責務の重圧は厳しいものがありました。女性社員は一生コピーとお茶くみを退職までゆったりと仕事をすればよかったのはほんのわずかな時代です。

総合職という言葉が生まれ、男性並みの仕事のスキルを要求され、その重圧も大きなものになっていきました。仕事自体は面白かったのですが、小さなミスにびくびくし、夜も眠れない日々を何度送ったことか。

さらに60歳を過ぎると体力は衰え、9時から5時までという恵まれた労働時間ながらそのたった8時間、机に座っているのが辛くなってきました。15時頃には目がかすむ始末(16時になると元気になる(笑))。

よく60代の方が「まだ働けると思うけど、今までのような働き方は無理。週2~3日くらいのパートならできると思う」と口をそろえていう状態に私もなりました。

ホントですよ。今は老齢基礎年金が65歳からになり、逃げ水のように手を伸ばすときえてしまう。

フルタイム勤務は実際体力的にしんどいので、ショコラさんのように週3くらいで月数万が稼げるパートタイムに移った方がいいと私も思います。

子ども叱るな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ とはよく言ったものです。アラカンから確実に体力も気力も衰えます。だからその前の老後の準備には、それを想定の中にいれて計画する必要があります。

ショコラさんと離れた子育て

〔写真はイメージです〕

人気シニアブロガーのショコラさんの本を読みました。そういえば以前ブログをちょっと拝見したら面白そうな本を推薦されていて、その本を図書館から借りて読んだような気がします。

結構前の話なので、そこから先は知らなかったのですが、ショコラさんは今や人気シニアブロガーとなり、出版もされています。支払いが終わった小さなマンションの一室は大好きなものだけを置き、あとは清々しい心地よさそうな空間の中で、60代のショコラさんはパート勤めをしながらとっぷりとお好きな読書やネットサーフィンを楽しまれています。

ため息が出そうなこの素敵な空間で暮らしているショコラさんですが、40代で離婚され、息子さんふたりは元の家に住んだまま、ご自分だけ別の家に住み、息子さんたちの食事や洗濯のために毎日通われるといった、「離れた子育て」をされていました。

ショコラさんがなぜ家を出られたのかはわかりませんが、実はモラハラ被害者の方でこういう形態の生活をされる方が時々います。多くは「子どもと一緒に家を出ようと思ったけれど、子どもが付いてきてくれなかった」というものです。

子どもがいる方の別居でこれが一番の難所です。一生懸命長い間避難の準備をして、さて決行と思ったら子どもが家に残ると言い出す場合があります。

子どもの首に縄をつけて引っ張ってくるわけにもいかず、でも夫との生活は限界となると、近くに住んで、子どもの世話をしに家に戻るということになります。

特に食事は「ちゃんとしたものを食べているか」ととても気になりますから、こういった半別居のような生活になってしまっても仕方がないかもしれません。

ショコラさんのお宅は子どもが高校生になると、今度は子どもがショコラさんの家に来るようになり(でも本拠地は夫の家ということか)、面会交流調停のようなことはまったくしていなかったようです。

ショコラさんとお子さんとの間でどういう協議が行われたのかはわかりませんが、母と子の絆は切れることなく、現在30代後半になった息子さんたちは、ショコラさんの部屋に月2回やってきては親子で自転車の小さな旅に出たり、ちょっとリッチな食事に行ったりと、足りなかった親子の生活を補うように暮らしています。

ショコラさんが子どもを置いて自分だけ出た経緯はわかりませんが、もし子どもを連れて家を出たい場合は、子どもが小学校中学年くらいまでに決行しないと、子どもが「自分は行きたくない」と言い出す可能性が出てきます。

まだ低学年の場合は泣く泣くにはなるかもしれませんが、母と一緒に行動してくれますが、自分の世界を持ち始める年代になると、それが難しくなります。

離婚、別居に関しては、こういった形態もあるだろうし、岩崎宏美さんのように長く離れていても成長した子どもたちと仲睦まじく交流することもある。

親子が一緒に過ごしていても、子が家を出てぷっつり音信不通になることもあるし、親子でいがみ合うこともある。一緒に暮らしているから良いというものでもないのかもしれません。

ショコラさんは同じ60代の女性たちのあこがれの人となり、身の丈にあった暮らしを楽しんでいらっしゃるようです。

荘司雅彦先生の新刊が発売されました!

3年前に最愛の配偶者を亡くされ、ずっと失意の状態だった荘司先生の新刊が発売されました。亡くなった配偶者の方には私も1度お会いしたことがあり、本当にお美しくきさくな方で、先生もお嬢様同様、心から愛された方でした。

その方が突然病気で亡くなり、なかなか立ち直ることができなかった先生。私もどうお慰めしたらよいのかわからず、気の利いた言葉もおかけすることができないままでした。

「すぐに結果を出せるすごい集中力」はそんな先生が3年ぶりに世の中に出された本です。

やらなければいけない仕事をホワイトボードに書いておき、アレクサにリマインドさせることで結構自分のお尻をたたくようにはなってきましたが、

自由な時間がいっぱいある方が、集中力に欠けるような気がします。今しかない、あと1時間で仕上げなければならないとなるとフル活動する脳も、時間が沢山あると結構緩む。

いいじゃないかー、今まで沢山仕事したんだもんー、ちょっと休もうやーを合言葉に、ダラダラと時間を食っていた今日この頃。

でも、強迫神経症の母親から刷り込まれた「やることをやってから休め!」は、本人の意識とは別に号令をかけるので、もうやってしまえーーです。

この本には「集中力を高めるちょっとしたコツ」が沢山ありますが、目から鱗だったのは、「目標を作って仕事をするのはいい。ただし、早くできたからと言って追加するのはやめよう」という項目です。

特に子どもに「今日はこれをしましょう」と課題を出し、それが意外と早く済んでしまうと、「あら、時間が余ったからついでにこれもやって」はダメだそうです。なぜなら仕上げれば好きなことができると思うから一生懸命やったのに、追加をされるともうやる気がなくなる。

早く仕上げると追加があるなら、がんばらない方がいいとなってしまうから。

うん、そりゃそーだね。「お、早くできたなら、これもこれも追加でやってね」と仕事を積まれてやる気が出るわけがない。

自分で追加するならともかく、人に仕事を与えるときはやってはいけないことのひとつだそうです。

そして荘司先生お得意の科学的根拠の基づく人間行動。「人はふたつ一緒の仕事はできない」「音楽を聴きながら、テレビを見ながら仕事はできない」。

私はもうずいぶん前からこのブログを書く時など、仕事の時は無音です。音楽もじゃまです。昔、ラジオの深夜放送を聞きながら勉強したものですが、あれは間違ってたなー。

ディスクジョッキーの(おー、懐かしい言葉)リスナーからのお手紙を聞きながら勉強はできないのです。できると思っていましたが、できないものなのでした。

そのほか「イジイジとする」はまったく共感で、このブログに書こうと思っていたことのひとつです。イジイジ仕事するとはどういうことか。

ぜひ本書をお読みください。

取りたい資格

常々離婚を考えている方には離婚するまでに何か仕事を見つける、資格を取ることをお勧めしていますが、ご相談の方で人気なのは「医療事務」です。

なぜこの資格を取ろうと思ったのかを伺うと、「自分でもできそうな気がするから」「日中の仕事なのできちんと終わるから」「カレンダー通りの仕事だから」というお答えが返ってきます。

後はたぶん座ったままで楽そうだからというのもあるかもしれません。

私の知人も医療事務をしていますが、彼女は資格は持っていません。病院の事務は資格がなくてもできるのです。知り合いから紹介されて、同僚から教えてもらいながら仕事をして覚えていったそうです。

医療事務で検索すると、「覚えなければならない専門用語がたくさん」「人間関係で苦労する」「給料が安い、上がらない」など、あまりよくないことが書いてあります。

ただ、「仕事を覚えなければならない」や「人間関係で苦労する」はどこに行っても同じこととです。医療事務だから特別大変ということはないでしょう。

それよりも、こんなにたくさん医療事務を希望する方がいるのに、働き口があるのかと心配になります。都会はそれなりに小さなクリニックが沢山ありますが、地方は限られています。

私が地方に住んでいた時は、小さな病院の受付の方はずーーっとそのままで、たぶん10年、20年と勤めている方が多かったと思います。つまり定着している。

仕事口の数よりも仕事を探している人の方が断然多い。医療事務はそんな印象があります。資格はとったけど働く場がないということになるのではないかと、医療事務を目指す人を沢山見ていて思います。

これがもし簿記2級だったら、経理知識を必要としているところならどこでも働けます。FP(ファイナンシャルプランナー)だったら、これも幅広く勤め先があります。

私は役所で働いていましたが、社会福祉士の資格を持っている人がすごく多くいました。また、役所がいろいろな職種を募集するときも「社会福祉士」は有利な資格でした。

実習があったりして大変そうですが、医療事務よりは需要がありそうなので、いい資格なのではないかと思います。

平気でうそをつく人たち

「平気でうそをつく人たち」がベストセラーになったのは1990年代最後の方だったと思います。当時はモラハラを知りませんでしたが、あるなぁと思いながら読みました。

世の中には平気で嘘をつく人たちが実存します。それはモラハラの被害者にとっては最も身近な人でしょう。平気でないことをあることにしてしまう、自分がやったことを他人がやったことにしてしまう。まるでプーチンが小分けになってそこいらじゅうに存在しているようです。

ウクライナ侵攻は市民が自分たちで撮影したものを世界中に広げることで、プーチンの嘘は世世に知れ渡り指差しで非難されていますが、モラハラ家庭の場合は説明してもしてもなかなか相手には伝わりません。これはウクライナ戦争と同じように動画で証明するのが一番いいのですが、それはとても難しいことです。

考えてみたら、被害者が自分に起きていることをwebで公開したのがモラハラが大きく広がっていった理由のひとつです。今までは親や友だちに愚痴っては「あなたにも悪いところがあるのでは」「どこも同じ」と言われて終わっていたのが、ネットのあちこちで披露され「うちも」「うちも」という大きな賛同の波がこのモラハラの広がりに繋がりました。

さて、私の身近で平気で嘘つく人がたまに出現しました。ただ、その人たちは人を陥れようとか、だまして金品を持ち去ろうとかそういった大事ではなく、どうも虚言癖があるというか、とっさにウソをついてしまうようなのです。

一番思い出深いのは、勤めて間もない頃一緒に働いていた同僚です。美人でプロポーション良し、頭脳も良し、着るものも持っているものもセンスも良し、仕事もなんでも器用にきれいに片付けるといった人ですが、何分口が悪い。人のうわさを嬉しそうに垂れ流す、自分より下と見るや口調がぞんざいになる。男性にはニコニコと近づき、かいがいしく世話をする。灰皿にタバコが数本入るとさっと持っていき、捨ててくる。お茶もコーヒーも上手に淹れる。飲み会の席ではビール瓶を持ってぴったりとおじさんの横につく。

その男性たちに「あの人はこう、この人はこう」と嘘を混ぜたことを告げ口していると知ったのは、知り合ってからそう時間がたたない頃です。

男性は何しろ仕事の中枢にいますから、私たちの評価がどうつけられるのか非常に興味があるところです。そしてそれは仕事の後の飲み会の席で決定されるのは、たぶん今も昔も大して変わらないでしょう。

私の職場は男性が極端に少人数で、結婚適齢期の女性たちの間ではもう争奪戦(笑)

彼女はその中で一番モテた人を狙ってあの手この手(笑)

しかしその彼を同期に持っていかれ、次に狙ったのが中途採用の男性。あまり筋の良くない人でしたが、どうしても結婚したかったようで、見事撃墜。

その夫になった相手はDV男でした。ある日送別会で遅くなってしまったので、同僚男性が彼女を家に送って行ったところ、玄関先で彼女の顔を一発。その後、彼女は忘年会も歓迎会も一切来ることはありませんでした。このモラハラ家庭にいる私でさえ歓送迎会と忘年会には行けたのに(20時までには帰るけど)


あの人はどうしてるかな~と時々思うことがあります。きれいな顔で矢継ぎ早に繰り出す悪口雑、人の悪口と噂。どこまで本当なのかわからない話。あの人は今も平気で嘘をついているのかな。

立ち止まる脳

とある友人から子どものことで相談にのって欲しいと頼まれました。大学生の娘さんが留学をすることになり、その宿が決まらないとのこと。留学は9月から。その1週間前には行くのですが、部屋が見つからない。

学校でも不動産屋を紹介してくれて、ご本人もとりあえずはがんばって見つけようとはしていたようなのですが、何分ほとんどが夏休みのため返事が来ない。そうしているうちに時間だけが過ぎる。

確か留学が決まったのは春過ぎのはず。

今までナニしてたの?と母に問うと

「とりあえずどうなってるの?とは聞いていたけれど、あまりはかばかしい答えが返って来ず、返って来ないので放置していた」とのこと。

子は子でどうしたらよいかわからず、「お手上げ状態で放置していた」とのこと。

あ・・・

あ・・・

「わかった!お宅の家は同じ脳体系をしてるんじゃないの!」

わからなくなったら、不安になったら、考えないようにする脳。立ち止まる脳です。

何とかしなきゃいけないけど、どうしたらわからないのと、やるのはすごく大変でやりたくないのとがごっちゃになって、「取りあえず今は放置する脳体系」

私もめんどくさいものは後回ししてしまったりするので人のことは言えませんが、とりあえず娘さんには

「不安なことは全部書いてみて。何が不安か見える化して」とアドバイスしました。漠然とした不安は、不安だけが頭の中でぐるぐるするだけで、糸口が見つかりません。

例えば「申請書がきちんと書けているか不安」だったら、書いたもの、集めたものをとりあえず大使館に持っていく。そこで「これとこれが違います」「これが足りません」と言われたら、修正、つけたしすればいいだけです。

一度でできなかったら、二度すればいいだけです。なーんにも恥ずかしいことはない。

それから子どもにも責任感を持たせて自立させるはいいのだけれど、それで何かミスがあったらその尻拭いは親がすることになります。

ライオンが子どもを谷に突き落とすとばかり、難しいことに挑戦させるのはいいけれど、その前に簡単なことを何度も自分でやらせて、それから突き落とさないと、失敗が後から心の大きな傷になってしまいます。しかも今回は留学という大きな出費を伴うものです。

今回は間に合わなかったら飛行機がキャンセル、または変更になるので、その代金は親です。厳しい親ならいったん貸して、後から返したもらうことにするかもしれません。でも、キャンセルするより、まずはお金で解決して、留学という経験を積ませた方がいいと私は思います。

失敗して、親に借金を作って、留学もできず、友だちにも顔向けができないことになるより、「次回からはこうする」という反省材料にした方がいい。

親も何もひっついて手取り足取りする必要はないけど、尻拭いをしたくなかったら「どこまで進んだ?」くらいのお声かけはした方がよろしいのではないでしょうか。

結局平均値に落ち着く

たまたまある友人から「Aさんちが大変なことになっている」と聞いたのはつい最近のことでした。Aさんは事業や投資で成功し、50歳を前にして仕事を引退。今は趣味の世界で悠々自適の毎日でした。

子どもは有名私立大学の医学部を卒業して医師になり、幸福を絵に描いたような一家でした。そのAさんの家が「大変なことになっている」とは。

医師になった息子の配偶者が「かなり変な人で、実家との交流を切らせてしまった」とのこと。実家だけでなく友人関係など仕事以外の繋がりを絶たせてしまったそうなのです。

「生まれた子の性別も名前も教えてもらえない。今どこに住んでいるかもわからない」と本人の口からききました。私が彼と知り合ってから10年以上。順風満帆だったAさんに降ってわいた突然の不幸話。

うんうんと話を聞きましたが、もうこの状態は2年以上続いていて腹も座ったせいか、「本人が気づくしかない。遺産は息子にはやらない。法的処置をとる」とのこと。つまり、カンカンに怒っているということです。

人の一生は様々で、いろいろな幸不幸はあるけれど、結局一生を平均してみたらみんな同じなのかもしれない。誰かがダントツに幸福で、ダントツに不幸ということはないのかもしれない。

たまたま今は不幸でも、昔や未来は幸福なのかもしれない。私は子どもの頃も大人になってからも割と不運や不幸が多かったけれど、今はそれを取り返すように幸運がやってきます。

人はどこかに不運の重荷を持っているのかもしれませんが、みんなそれは隠して生きています。相談員だった頃、相談をされる方が決まって言うのは

「みんな幸せそうですね。こんな不幸なのは私だけでしょうね」でした。

みんな判で押したように同じことを言っていました。人は幸福そうに見えても、意外と爆弾を抱えていたりします。そして一生のうちに幸せと不幸せが平均して終わるのでしょう。みんなと同じように。

できればアベレージを上げたいので、徳貯金を積むことにします。小さな徳貯金の積み重ねが平均値をあげると信じてます。

世の中の不公平をどう考える

今までいろいろなことで差別され、不公平な取り扱われ方をしてきました。原因は性だったり、生まれ方だったり(いわゆる親ガチャ)、学歴だったり、見た目だったり、身体的特徴だったり、コネなしだったり、人種だったり、本当に様々です。

親に力のある人なら進学も(裏口入学あったあった)就職先も全部親が露払いをしてくれて、高いハードルもひょいと持ち上げてくれておろしてくれるといったことができます。

私が短大を卒業した時は本当に就職難で、まったく女子学生の就職先がありませんでした。就職課の掲示板には数枚の求人募集がずっとひらひらしているだけで、みんなどうするのかと思っていたら、卒業式に出席した友だちは名だたる官公庁や企業に就職していました。みんな「コネ(コネクション)」でした。

世の中に「コネ」というものがあるとは知らなかった世間知らずの私は、「コネ」というものが強大な力を持っているものだと初めてそこで知りました。女子学生に必要なのはAが並んだ成績表ではなく、親戚筋の「コネ」なのです。

東京の短大へ進学した友人は地元のテレビ局へ就職しました。「親が勝手に決めちゃってたのよ」と口を尖らす友人は、東京で就職したかったと文句たらたらでしたが、親の「コネ」で努力することもなく、自然にショートカットできていたことをどう思っていたのかはわかりません。この友人は病気で早くに亡くなりました。

女は男より20点多く取らなければ合格できないと、高校進学の時にはごく普通に進路指導で言われていた時代です。私もそれをなんとも思わず受け入れていました。

不公平は世の中に数限りなくあります。不公平はどうしても生きていくうえでつきまとう話です。人を羨ましいとか、悔しいとか思う気持ちはとっくにどこかへ行ってしまいました。そうなると不公平感というものもそう大きくはないけれど、世の中って理不尽だなぁと思うことは度々あります。

それに気を取られていると、生活まで嫌になってしまうのと、老年になって本当にどうでも良くなってきているので、これが「枯れる」ということなのかなぁと思ったりします。

やってもやらなくても後悔

90歳を過ぎた母はとても不幸そうです。常に愚痴ばかりの会話です。首都圏の施設に来てはどうかの話になった時、私は一切口をはさみませんでした。「こうしたら?」などと言ったら、どうせ後から「あんたがあの時にああいうから」と必ず責任転嫁されること間違いなしだからです。

だから自分で決めてもらいました。年寄りは動かしてはいけない、環境の変化についていけない、体が不調になったり、最悪死が早くなるというのは知っていました。でも彼女がそうしたいというのなら好きなようにさせました。これを言って「やめた方がいい」と言ったら、「あんたがあの時にああいう~(以下同文)」

来てみたら、毎週施設に子や孫がやってきて、母を囲んでわいわいと賑やかになる予定(母の勝手な想像)だったのに、誰も来ない。まもなく起こったコロナ騒動で、自由に出歩くこともできなくなった。

出歩くのもいちいち出先と帰る時間を書くのが面倒。年金だけでは足りないので、貯金から2~3万円ずつ下ろしているのですが、数字が減るのが「恐怖」。

「来るんじゃなかった、来なければよかった。コロナがなければ帰っていた」と会えば必ずいう愚痴愚痴。

最近いいことがありました。売りに出していた実家が売れたのです。町ではない集落というような不便なところにある家でしたから、売れるのは難しいだろうと思っていましたが、家の見栄えに気をかける母の丹精込めた見た目の良さのせいでしょうか。無事に売れました。

売れるまでは「早く売れてほしいと、毎日神様にお願いしているだよ。思い残すのはこれだけだ」と言っていましたが、売れてみると「売らなければよかった」「住んでいた家を手放すということは身を切られるようだ」と愚痴愚痴愚痴。

あら?私が家を売った時は「売れてよかったじゃない~♪」と言ってたのはだ~れ?身を切られるような私の思いにはまったく気づかなかったのはだ~れ?

転居するときに「捨てるのはしのびないものを預かってほしい」とお願いしたら、「さっさと捨ててしまえ」と言ったけど、自分が同じことになった時「あれを預かって、これは捨てたくない」と言ってきたのはだ~れ?

自分も同じ思いをしなければ気がつかない、想像力のない人です。

やってもやらなくても後悔する。後悔しかない人生です。