すぐ死ぬんだから

こちらからの続きです

今BSNHKで「すぐ死ぬんだから」というドラマが放映されていますが、内館牧子さんの原作を読んだこともあり、毎週録画で見ています。

https://www.nhk.jp/p/ts/MKQG8VMRZ3/

この原作を読んだとき、ドキッとしたのが「老人たちが身に着けるのは流行遅れか安い服」「リュクを背負って帽子をかぶり、ウォーキングシューズを履いている」

う。。私、そのままっす。日焼けしたくないから帽子必須。荷物は二つ持つとひとつはどこかに忘れるか落とすかするので、ひとつにしたい。手に持つと重いので自然とリュックになりました。私はなりませんが、50肩の方たちもそうみたいですよ。足元はNBのスニーカーです。これが一番歩きやすい。夏はアシックスのサンダルを履いてます。ウォーキングシューズ並みに歩きやすいので。足元は歩きやすいのが一番です。

私はファッションセンスはあると思う。ただ身に着ける物にお金を使おうと思わないの。お金は有限だから、必要なものにはドンと使うけど、必要ない物には使わない。ファッションは優先順位がずっと下なのです。

いつの頃か忘れましたが、とても体が疲れる日があり、どうしてなのかと考えてみたら、デニムを穿いた日(ジーンズと言ってはいけないらしい)がそうであることに気付き、デニムを止めました。重いのと、体を締め付けるのが良くないらしい。老いは知らず知らずのうちにしっかりと体に入ってきています。

ともあれ、内館さん的老人像としては、私はしっかり老人ですっ。いいですよ、もう老人で。私は年に抗わないことにしたので。

後残り少ない年月を、静かに穏やかに生きていければいいなぁと思っています。何しろ人生のほとんどが苦難や波乱万丈だったりしたので、もう老後くらいおとなしくしていたい。

老人たちは「すぐ死ぬんだから」と言いながらテレビCMに流れてくる健康食品を「今から30分以内なら半額」の声にフリーダイヤルのコールセンターへ電話し、健康体操を欠かさず、テレビの「血圧を下げる食品特集」に食いつく。

私の母は腰も曲がらず、頭もはっきりとし、とても元気です。

ただ、母は生きていることが幸せそうではない。口から出るのは愚痴と不満。どうも不幸そうです。生きているのが辛いのであれば、早めに父のところへ行った方が本人も楽なのではと思います。とは言え、これは本人の意思ではどうにもできないこと。

「すぐ死ぬんだから」「もう長くないんだから」と言いながら我が母、そろそろ90歳を超えようとしています。私は母が長く生きていることに特段何も思っていません。ただ、幸せな気持ちで生きていて欲しい。彼女の幸せとは家族がみんな彼女の生活を心配し、彼女に感謝し、彼女を第一に考え、週末にはこぞって施設にやってきて褒め称えることです。何より私が母と一緒に暮らすことです。それができないのは、それは彼女がそういう生き方をしてこなかったからです。ツケは最後にやってくる。

去年の参議院選で「安楽死制度を考える会」という政党があるのを見た時、心が動きました。そう思ったのは私だけではなかったようで、同僚が「私、入れたわ」と言っていました。死ぬ時を選べたらいいのになぁ。死ぬ前に全部整理して、心おきなく死ねたらいいなぁ。

次回の選挙にこの党が出たら、考えてもいいなぁ。

母の誤算

昨年我が母は老人施設に入りました。実家のあるところではなく首都圏の施設ですから、会いに行こうと思えばそれほどがんばらなくても行けます。

最初に面会に行った時に肩を落として悲しそうに母が言いました。「ここの人たちがみんな言うんだよ。ここは家族から捨てられた人たちが来るところだって」

はい、そうですけど、それが何か。

「捨てられた」は人聞きが悪いから言葉を変えますが、ここは「子どもたちに迷惑をかけるから、ここでひとりで暮らす」または

「嫁姑とか、家族のごたごたは真っ平。ひとりで悠々と暮らしたい」または

「親と一緒に暮らしたいけれど、住居環境や家庭の環境が老人と一緒に住むようにはできていないので、ここで暮らしてね」または

「あなたと暮らすとこちらがストレスフルになるから無理。ここでひとりで自由に暮らしてね」

そういった理由で老人施設に入居した、または入居させられたのです。我が家の場合は一番最後の理由になります。

母は施設に来る前、よく「こんなことになるとは思わなかった」と言って忌々しそうにため息をついていました。母の母、私にとって祖母はお小遣いを沢山くれ、美味しいものを沢山食べさせてくれる、とてもいいおばあちゃんでしたが、嫁いできた叔母は大変苦労したそうです。それは従妹から聞きました。

死ぬまで女帝として家に君臨し、嫁をあごで使っていた祖母が亡くなった時、従妹は「死んだときには遠くにいたけど、死に目に会いたいとも思わなかった。泣くこともなかったし、葬式には一応出てやったという気持ち」だったそうです。

女帝として一家を仕切り、嫁を労働力として使っていた祖母を見て、自分もそうなると思っていた単純な母は、よもや子どもたちがそっぽを向き、施設に入ることになるとは夢にも思っていなかったでしょう。子どもが自分を捨てる(捨ててませんよ!)なんて、太陽が西から昇るようなことと同様に、あり得ないと思っていたでしょう。

今、「常識」と思っていることが、20年後、30年後も常識と思っていたら、思わぬことになる可能性が高いです。20年前、30年前を考えてみたらわかるはず。それを「こんなことになるとは思わなかった」と畳をかきむしるよりも、世の中に適応し、柔軟な生き方を選んだ方が後から後悔することは少ないだろうなと思います。

いたらない母

私の母はただいま施設に入っていますが、時々手紙を寄こします。ちなみに私が母に手紙を書くことはなく、2週間に1度程度、1分ほどの電話をします。コロナの前は1~2か月に1度程度面会に行ったりしていたのですが、コロナのため、年配者と会うのは相手を危険に晒すと知事も仰っておりますので、今年の2月に会ったきりです。その代わり、電話の回数を10日に1回ほどに増やしました。

#世の中には毎日離れて暮らしている親に電話をする人がいるらしい。
#うーん、見上げたものだ。きっと大切に育ててもらったんだろうなぁ。

その母から先日手紙が来ました。数行の文章の最後に「”いたらない母”より」と締めくくっていました。

なんて脅迫的な(笑

こうやって人をコントロールするのですよ。本人は自分をいたらない母とは思っていないですから。「そんなこと言わないで。沢山やってもらって感謝しているのよ」と言ってもらいたくて書いている匂いが紙面から立ち昇る。

ちなみに「私、デブでブスだから」と言う人も、「そんなことないよ、かわいいよ」と言ってもらいたくて言ってます。

この手法はミエミエで使い古されているから、もう若い人たちは使わないかな。それとも時代を越えて利用されるのだろうか。

相手からこう言って欲しいから自分を卑下してみせるというやり方は、姑息で見え透いていて、それでいて強引で、その人の人柄が見えます。

”いたらない母”を” ”で括って書くのも、「をいをい」と思う。もう寿命がそれほど残っていないんだから、優しくしてあげたっていいじゃないと思われる方もおられるかもしれませんが、この蟻の一穴から、貞子のように穴から這い出して、グレードを上げてくるのが彼女のいつもの手。

とは言え、うつにでもなられたらめんどくさいので、バーゲンしている「しまむら」から、洋服を2着、お菓子と一緒に送っておきました。この服を着て施設で「娘が送ってきたの」「娘が送ってきたの」と言って回るのだろうな。子どもの頃「子どもが入賞して」「子どもが褒められて」と言いふらしてまわったように。子どもの栄誉を全部自分の手柄にしてしまう人。

子どもの頃「金食い虫」と言われながら育てられた娘の、ほんのささやかな”親孝行”です。母が境界を守ることができる人ならば別の展開もあるのですが、なにしろ人の領地にズカズカと入ってくる人なので、メキシコの壁のような鉄壁のものを築く必要があるのです。

相談を受けていると、この「境界を守れない方」が時々おられます。この話はまた別の所で。