離婚番組にすぐに反応する人たち

先日4月15日にNHKあさイチで「どうですか離婚後の暮らし▼仕事・住まい・お金・子育てのリアル」という番組が放送されました。

離婚して清々した、やっほー!というわけではなく、モデルの西山茉希の「後悔してはいないけど、バンザイでもない」というのが一番実態を表していると思いました。

離婚後、特に子どもたちをどう育てていくか。経済はもとより、私の場合はふたりとも思春期でしたので、子どもたちと大いにぶつかりながらの時間が長く、それはそれは苦労しました。ただ、どこの家も同じではないかと思います。

番組の中盤で、視聴者からの声としていくつか読み上げられたのですが、中に男性からと思われる「離婚を勧める番組はやめてほしい」「犠牲になるのは子どもだ」「女性ばかりとりあげず、男性もとりあげてほしい」といった意見が読み上げられました。

「でたーーー」

おそらくこの番組が離婚した人たちの喜びの声が集まると思ってテレビの前で待ち構えていたのでしょう。定型文のコメントに思わず吹き出しました。

こういう番組もそうですが、今行政で離婚講座をしようとすると 必ず 横やりが入るのだそうです。

女ばかり優先するな、女の味方ばかりするな、泣くのはいつも子どもだ、親が離婚する子どものことを考えろ

↑定型句として全部同じ言葉がやってくることになっています。

今回共同親権が選べるようになっていますが、おそらくこの推進派の実働部隊が待ち構えていてファックスやメールを送ることになっているのでしょう。その圧に屈したメディアは離婚やDVを取り上げたものは扱えません。

支援者にも嫌がらせがきます。デマを流す、業務を妨害するといった姑息な手段でしつこくやってきます。

でも今は21世紀のネットの時代。

一昔前なら情報が思うように取れなかったので、テレビや新聞、雑誌が頼りでしたが、今はネットでいくらでも情報が取れます。いくら区役所でDV講座をするのを止めようとしても、ネットは自由に書き込みができます。

そして行政にはこういった圧に弱い人ばかりではありません。やられればやられるほど燃える人も存在します。

時代が進み、3高はもとより男性は育ダン、家事ダンでなければ選ばれない時代になりました。父親が子どもを連れて外出できるというのはある意味ステータスです。

弾かれた人、妻から三下り半をつきつけられて孤独な老後が待っている人たちは、こういう嫌がらせに人生をかけていくのかもしれません。

こういった嫌がらせの投書には、鼻で笑ってあげてもいいと思います。

離婚したら家を出られる?

フィットネスジムにほぼ毎日通っていますが(自宅のお風呂には入らないから)、いろいろな方と知り合いになりました。

以前は仕事場から直行していたので、基本夜のプログラムを受けていたのですが、今はパートのない昼も行けるので、昼に来られる方とも仲良しになりました。

夜と昼の違いは

「夜来る人は体を動かす。昼来る人は口を動かす」

昼に来る方はほとんどが50代~80代の方。健康のためはもちろんですが、顔見知りを作っておしゃべりに精を出すために通う方も大勢います。

昔は井戸端で会議をしたものですが、今はフィットネスクラブで会議がある。

家でくすぶっているよりも、同じような年代の方とおしゃべりをした方が楽しいし、体もついでに動かすのでやっぱり楽しい。クラブ会費はそこそこしますが、いろいろと抜け道があって、安く利用できるところもあります。

ロッカー室と大浴場はおしゃべりのたまり場。いろんな話が聞こえてきます。

「帰るのが憂鬱」とため息をつきながら着替えているのはA子さん。

「大変ねぇ、毎日だもんねぇ」と同情するB子さん。

なんでもA子さんの夫は痴呆が出てきて、徘徊してどこにいったかわからなくなることもたびたびなのだそうです。

「もう離婚したいなぁ。どうやったら離婚できるんだろう」と切実な話になっています。でも私は心の中でつぶやきます。

「離婚したから離れられるんじゃない。離れたから離婚できるのよ」

A子さんが離婚するためには家から出なければなりません。なぜなら同居できるなら離婚しなくてもいいと ”少なくとも裁判所では” 考えるからです。

A子さんが夫の残して家を出られるなら離婚はできます。でも徘徊してまわる夫を残して家から出られますか?夫の世話は残された家族がすることになります。

その家族に「もう私は疲れたからおまかせしたい」と宣言できるなら離婚はできると思います。それができないからため息をつきながら痴呆の夫の世話をし続けなければならないのです。

自分を大切にしたいけど周りに波風をたてたくない、無責任で非情な人と思われたくないならばこの現状は続くでしょう。

「後どのくらい続くかわからないのが一番つらい」とA子さんは言います。

そうだね、辛いねと慰めてくれるジム友の声に癒されながら、今日もA子さんは走って帰りました。

下駄を10足履かせて欲しい

同じ年代の男性たちを見ていると、今までの生き方や収入にダンチの差があることに愕然とします。もちろんその人たちの才能や努力が今の状態を作ってきたことは承知ですが、それだけではないと思います。

そもそも高校入試の時に「男子の合格点、女子の合格点」というものがありました。女子は男子よりも高い点数を取らないと合格できないのです。

これは特に隠語でもなんでもなく、ごく普通に進学の面談でも言われていました。「お前が男子だったらこの高校に合格できるが、女子なので危ない。ランクを下げよう」という話も当然でてきて、話をされるこちらも不思議でもなんでもなく受け入れていました。

税金は男性の税率と女性の税率高低差はありません。ここはなぜか平等。「映画やイベントではレディースデーがあって得しているじゃないか」と言われそうですが、一生の問題である入試の合格点を嵩上げされるのと、レディースデーで数百円得するのを一緒に語られては困ります。

そして私たちの世代は会社に入ると「お茶くみとコピー取りと単純作業」しかやらせてもらえず、25歳を過ぎると「まだ結婚しないのか」とプレッシャーをかけられ、結婚すると寿退社と言われて就業規則にはない退職をさせられました。

それでも頑張って働いていても子どもができると「出産休暇はあるけれど、絵に描いた餅は食べられないんだよ」とほぼ強制的に退職させられました。

「子どもは3歳までは母親が育てるものだ」と言われ、実際保育園などはなく、実家で子どもを預かってもらえる以外に働くことはできませんでしたし、遠方への転勤を言われた同僚もいました。

そうやって65歳になり年金をもらえるようになると、これまた男性の年金額と女性の年金額に差があるという現実が待っていました。もらっていた給料に差があるので、当然年金額も低いのです。

ここまで虐げられてきたのだから、年金受給には下駄の10足くらい履かせてくれ。だけど税金と同じくそこは平等。

どこまで国に都合よくできているんだろう。

つきあいたくない親との決別サービス

3月9日付朝日新聞デジタルに「『毒親の介護したくない』40~50代の依頼殺到 葬式や納骨も代行」という記事がありました。

https://digital.asahi.com/articles/AST352Q3RT35ULLI002M.html

余談ですがこの「殺到」という言葉。特に「殺到」していなくても、ちょっと増えただけ、今だけ多いという場合も「殺到」と書いたりします。モラハラの場合も「モラハラが急増中」と何度書かれたことか。

# いまだに急増中と書かれている

別に急増しているわけではなく、昔からあったけど「亭主関白」などという言葉にひとくくりされてしまい、精神的DVではわけがわからず、結局「モラハラ」という言葉で自分が受けているのはDVだと思い当たる人たちがそれこそ「急増」したからに他なりません。

まぁ書く人たちの定型句なのでしょうね。

”代表理事の遠藤英樹さん(57)によると、相談件数は月60〜100件。多くが団塊世代の親を持つ40〜50代からで、以前は女性が約8割を占めていたが、この半年で男性からの依頼が「急増し」、最近は半々になった。依頼してくる人の事情はさまざまだ。親から電話やメールが来ても返さず、住所も伝えていないという人も少なくない。原因で一番多いのが、「教育虐待を受けていた」という訴えだという。”

教育虐待は親が「子どものために」と思っている分、面倒くさい。「子を思えばこそ」「心を鬼にして」子どもに勉強を強いる。私もそうだったことがありますから、何も言えないかもしれません。

地方では入る高校の名前で一生が決まるというのはあながち大げさではないからです。履歴書に書く高校名で振り分けられる。まぁ、都会も大学名で第一次は振り分けますから同じようなものですが。

ともかく記事によると

”この半年で男性からの依頼が急増し、最近は半々になった”

”原因で一番多いのが、「教育虐待を受けていた」という訴えだという”

”「団塊世代の多くが、バリバリ働く父親と専業主婦の組み合わせ。父親はほとんど家に帰らず、母親が子どもの教育やしつけを引き受けてきた。こうした親から『女の子でもキャリアをつけないと駄目』などと厳しく教育されたケースが多い」”

昔は「早くいいところにお嫁に行って、いい肩書の男を見つけて結婚して、人に自慢のできる孫を産んで」でよかったのに、さらに『女の子でもキャリアをつけないと駄目』という重圧を受けてきた人たちが親との断絶を望んで業者に依頼しているとのことです。

退職サービスが話題を呼んでいますが、親との関係のサービスとはどういうものかというと、

”サービスは、介護や買い物代行、掃除といった日常生活の支援に加え、病院からの緊急呼び出しへの対応、亡くなった後の葬儀や納骨の執り行いまで含まれる。 契約年数は平均2~3年で、総額100万円前後の支払いになることが多いという。”

決して少なくない金額を払ってでも親と断絶したいという人たちと、当然年を取ったら至れり尽くせりしてきた子どもたちから(と本人は思っている)ぴったりと寄り添って介護してもらえると思っていた親たちは、当てがはずれて他人に遠慮しながら身の回りの世話をしてもらううのか。

でも、とりあえず親の面倒は見なければならないと思っているのでお金を払うというのはまだマシだと思います。何もしないで放っておかれて、自分で役所にお願いにいくよりもずっとずっとマシです。

そこは教育を受けさせたことによって、総額100万円を払える職業につけたというのは、がんばったかいがあったというものではないでしょうか。

朝日新聞「be on Saturday」にモラハラ記事

昨日朝日新聞の土曜日版「be on Saturday」にモラハラの記事が出ました。私のコメントも載せていただき、記者さんとはZOOMでお話しました。

記者さんからいただいたのはサザエさんの4コママンガを取り上げて、これはモラハラかどうかというお話でした。

本来モラハラはひとつのエピソードを取り上げて「モラハラだ」とか「モラハラではない」と判断するものではありません。なぜならモラハラは関係性の問題だからです。

たとえば「このごろ太ったねと言う」「不用意に体に接触する」といったことはセクハラにあたるかとか、「くどくどと文句を言う」「人のいる前で怒鳴りつける」はパワハラかという個別の事由に対して「それはセクハラにあたる」「パワハラにあたる」ということは可能だと思います。

しかし、モラハラの場合は個別の事由ではなく「この関係はモラハラか」という大きな枠組みでの見方が必要です。


しかし、この4コママンガにはモラハラではないという決定的な場面があったので、フネさんはモラハラの被害者ではないと言いました。

場面とは、結婚式に招待された波平さんとフネさんでしたが、間際に電話がかかってきたり、美容院が混んでいたりしたため遅れそうになりました。

会場に向かうタクシーの中で波平さんはフネさんを「お前がグズグズするから間に合わないじゃないか!」と怒鳴りつけ、いいわけするフネさんに「つべこべ言うな!」とさらに怒鳴りつけます。フネさんはぷんとむくれてあっちを向きます。

この場面があったので記者さんには「本当にモラハラ夫だったら怖くて言い返しなんかできません。フネさんは言えばわかってくれるという成功体験があったので説明しようとしたのです」と言いました。

モラ夫はすべての説明を「オレに対する反抗」ととらえてさらに攻撃が増すとわかっていますので、どんな場面でも説明などはできません。ひたすら謝ることしかしません。それをフネさんはしていない。

だから波平さんはモラ夫ではないのです。怒鳴りつけたのはそれだけ怒っていただろうし、イライラもしていたからでしょう。

人間、どんな場面でもイライラせず、相手に不快感を与えないような言い方ができれば100点ですが、そんなにできた人ばかりではありません。

これがモラハラなら、波平さんがカツオくんを怒鳴ったら児童虐待と言われてしまいます。

モラハラは1つのエピソードだけを取り上げて「これはモラハラだ」「これはモラハラじゃない」と判断するものではありません。本人が相手を恐れていたらそれはモラハラです。怒鳴らなくても静かに話していても、相手を恐れている場合はあります。

行政の相談現場にいて、怒鳴られたからモラハラという方が時々いたのですが、そもそもどういう場面でそうなったのかと深く伺っていくと単なる夫婦喧嘩ということもありました。

「どこどこでモラハラと言われた」という方に、私は違うなと思ったら「私が思っているモラハラとは違っていると思います」と言います。そして「モラハラならば離れた方がいいですよ」と言うと黙ってしまう。

そこから先はその方の生き方の問題なので、それは本人が考えることです。

朝日新聞という大きな媒体に載せていただいたことで、自分はどうなんだろうと考えるきっかけになってくれればいいなと思います。

旅する力ー沢木耕太郎

以前このブログで沢木耕太郎の深夜特急について書いたことがありました。

「深夜特急」は出たばかりの頃に読んでいたのですが、たまたま新たに「旅する力」という本が出ていることを知りました。

「旅する力」をさっそく図書館にリクエストを入れて読んだところ、なぜ「深夜特急」は多くの人たちに支持されたのか、そしてその後の深夜特急の影響などについて書かれていました。

深夜特急が出た後、映像化の話は何度もあったのですが、彼はなかなかYESを言うことができませんでした。それが大沢たかお主演で映画化することになりロケをしていた時、なんとテレビで猿岩石というコンビが、沢木耕太郎と同じようにアジアから旅立ってヨーロッパで到着するという旅をテレビ番組で行い、大反響になりました。

そうか、やっぱりあの猿岩石の「突撃!電波少年」は深夜特急をモチーフにしたのですね。ちなみに諸外国でも若い男性が貧乏旅行をするという番組がいくつも作られているようです。これも深夜特急が元になっているものなのかもしれません。

さて「旅する力」の中で私がとても共感できたのは、その旅をするためにはその年齢であることが必要だという部分です。

沢木耕太郎が深夜特急の旅をしたのは26歳の時でした。26歳の感性は40歳では得られないものです。40歳には40歳の感性があります。そして同じ26歳でもとっさの時にとる行動や得られる感動は26歳になるまでの生き方によって違います。

特に旅はその時の瞬間の思い付きによって大きく左右されます。お金の苦労を知らず、誰かがいつも助けてくれるという人生を送ってきた人には、おそらくそうでない人に比べて経験則が非常に足りないだろうと思われます。

旅をするといろいろなところで判断決断をしなければならないことが多々出てきます。一人旅ならなおさらです。誰かに責任を押し付けることはできません。全部ひとりで決断しなければなりません。

その決断に至るまでに必要なものは、それまで自分で蓄えた知識や情報収集能力だったりします。

それまで多くの経験をしてきた人と、そうではない人の結果は歴然とします。だから私は多くのことにチャレンジし、自分の引き出しにしたいのです。

面倒くさいからとか、お金がないからとか、体力がないとか、時間がないとか、理由は色々あるかもしれませんが、できない理由を考えるより、どうしたらできるかを考えた方が自分のためになると思いうのです。

専業主婦で落ち着いて子育てをして、ママ友とおしゃべりして終わるのも、働きながら子どもを育てるのとどちらが多くの経験を積むことができるか。子育てだって立派な経験だと言われるかもしれませんが、やはり社会の中で働くということは並大抵のことではありません。

専業主婦の方たちは「働くのが嫌なのではない。働くのが怖いのだ」と言ってモラハラ夫から逃れることをためらっていたのではないでしょうか。できるだけ経験を積んで自分の肥やしとして次に活かす。そうやって人間は大きくなれるのだと思います。

支援をしすぎないのが正しい支援

以前相談員をしていた頃、先輩の方からの助言がありました。

「支援はしすぎないのが正しい支援」というものです。魚をあげるか魚の釣り方を教えるのか、どちらが正しいやりかたかということです。

被害者の方は初めてのことでわからないことだらけなので、最初はこちらから「これいりますよね」とそろえてあげますが、一通りのことが終ると、後は自分で探したり調べたりできるようにします。

自分でできそうなことに手を出すと、その方の自立を妨げることになります。「みんな被害に遭って力を削がれてしまい、本当はちゃんと力があるのにぺしゃんこになってしまっている。支援員がすべきなのは、そのぺしゃんこになった力を、元通りにする手助けをすること」なのだそうです。

何もかも手を出してやってしまうと、自分でやらなければならないのだという気持ちが失せてしまいますし、やってもらって当然、やってもらえないと「助けてくれない」と不平を言うようになります。

ただ、相手によりけりなので、「この人は力がある」と思ったら、「自分で調べてみて」「やってみてわからなかったら聞いてね」と言います。

以前PTG(Post Traumatic Growth 被害に遭った後、以前よりも人間として成長すること)」について書いたことがありましたが、ぺちゃんこになった人が「あれは自分の成長に必要なできごとだった」と思うことができるようになるまで、そばでお手伝いすることが”必要な支援”なのだと思います。

一寸先にある不幸

このところどうしたことか無くしものが多くて、そのたびにあちこちに連絡したり、探しに行ったりすることが続き、いいかげん嫌になってきていました。

なんなんだろう、痴呆なのか年なのかとも思ったりしていましたが、この失くしものについては今始まったことではないので、きっとこれはたぶんそういう運気の乱れなのかと思っていました。

そんな時にいきなり舞い込んだ大情報。知人宅に大きな出来事があり、今その家はクリスマスどころではなく、降ってわいた不幸に、どうしたらよいのかわからない状況になっていると思います。

世の中は不幸と隣り合わせになっていて、薄紙一枚のところに不幸はあるのかもしれない。たまたま今まですり抜けていただけで、明日は我が身かもしれないとつくづく思いました。

人と自分の不幸を比べて「私はまだ恵まれている」と思うのは人を貶めることになるのではと思っていましたが、今の自分の幸運を再確認することになるので、悪いことではないような気がします。

本当に人生は何が起こるかわからない。でもそれを考えてくよくよしても始まらないので、とにかく”今日何事のなく過ごせた”幸運に感謝しようと思います。

この家族も、その日の朝まで普通に過ごしていたはずだから。

浦島太郎とAC

信田さよ子さんが書かれた初期の本の中にAC(アダルトチルドレン)について書かれたものが数点あります。その中の記述に「ACの人は若く見える」というのがあったと思います。ACの人はそうでない人と違った時間の過ごし方をする(時間が経つのが遅いという意味だったかも)、だから若く見えるのだという内容だった気がします。

今それを確認することはできないので申し訳ないのですが、「アダルトチルドレン」「若く見える」で検索すると様々な解釈でいろいろと書かれています。

私が信田さんの本を読んで「あっ」と思ったのは、昔から私も若く見られたからです。小柄で丸顔のせいだと思っていたのですが、ACだからという説がなんとなく納得できました。いまだに若く見られます。

ACは苦労ばかりしますが、若く見えるというのは唯一の利点かもしれません。

私が最初に「AC 若く見える」で検索したその昔、浦島太郎AC説というのがずらずらずらーと出てきました。浦島太郎は実はACで、だから年を取らず、玉手箱の中に年齢が入っていたのだと。開けてしまったから一気に年を取ってしまったということのようです。

ただ、私が今一番「これかな」と思っているのは、「トラウマを受けた人は若く見える」という説です。犯罪被害のような大きなショックを受けると、実年齢よりとても若く見えると言います。感情が動かないせいでしょうか、肌が透き通るように白くて皺もない。

ところがトラウマ治療をして回復していくとだんだん実年齢に近づいて、年相応の顔になるそうで、若くは見られたいけれど、心の傷は癒したいという両方を叶えるのは難しいようです。でも、大きなショックを受けたら一晩で髪が真っ白になったとか、一気に老けたという話も聞きます。これはどういうことでしょうか。

私は両方あるだと思っています。老け込む人と、まったく変わらない人。そして若く見えるようになる人に分かれるのだと思います。

注意しておきたいのは、「若くなるのではなく、若く見えるようになる」ということ。健康的な若さではなく、被害ゆえの若見えですから、決して体が良い状態ではないのだろうとは思います。

ショックによって老け込むというのはなんとなく医学的なものと理解できるのですが、若く見えるというのは精神医学的なものがからむのかなと思います。

私の知識ではこれが限界。ともかくACの中には実年齢より若く見える人がいるというのは多くのACをカウンセリングしてきた信田さよ子さんならではの見識であり、私も含めた沢山のACが納得していることなのは確かです。

私は女の味方ではありません

NHKの朝ドラ「虎に翼」の中で、寅子は女性初の裁判官としてラジオのレギュラーも持つようになり、とても有名になります。特に女性の間では「女性の味方」として絶大な人気を誇るようになりました。

そんな時、浮気をした妻と離婚しようとした夫が調停を申し立て、寅子の担当になります。妻は「ちょっとくらいいいじゃない、女は寂しくなる時だってあるのよ」「あなたは女の味方でしょ」と言います。

寅子は「不貞行為に男らしいも女らしいもありません」と夫に謝るようにいいますが、逆切れした妻が調停室を出ていきます。

私もモラハラに女だから男だからはないと思っています。加害者が男だろうが女だろうが許せないものは許したくありません。ただ、やっぱり女性は社会的に弱者の立場であることが多いので、そのあたりはそれを含んで考えていきたいとは思っています。

世の中には妻が浮気をした場合、夫から出ていけと言われたら、子どもを連れて出ていくでしょう。離婚になったらそれまで築いた財産は半分になります。もらえるかどうかわからない退職金さえその時にいくらもらえるかで換算し、半分妻に渡さなければなりません。

財産は半分になり、子どもとは引き離されるという苦難の道がありますから、離婚を言い出さない(言い出せない)夫は沢山います。妻が精神的に不安定な場合も、妻が連れて出た後の子どものことを考えると離婚をしない(できない)夫はたくさんいます。

妻が精神的に不安定なのは夫のモラハラのせいということも多いでしょうが、妻が元々持っていた気質によるものも少なくありません。

実際私の母が偏った思想や被害者意識満々でいまだに生きているのは不幸な生き方でしかないと思っています。私が女である母の味方をしないのは共感できないからです。

母はとても狭い領域の考え方しかできなかった。「昔の人はみんなそうだった」といいますが、「みんな」「そう」でしょうか?そうではない人も沢山いるではありませんか。

味方をするとかしないとか性別で区別するのではなく、寅子も言っているように「弱い人、困っている人の味方」でありたいと私も思っています。

ただ、ドラマに時々登場しますが、嘘をついて同情をかったり、女を売りにする人たちとは距離を置きたいと思います。