性的DVは拷問だ 1

こちらの続きです

私は沢山の方のモラハラ相談を受けてきましたが、性的DVについての話が出てくることはそうたびたびではありません。電話相談の場合はその割合が大きくなりますが、面談の場合はとても少ないです。ただ、このサイトを通じて行っているモラハラ電話相談の場合はこの相談が多いです。なかなか男性には話しにくいことですから私が女性であり、そして被害経験者であることが大きいと思います。

この性的DVの被害に遭ったことのない支援者の方は、「性的DVは人間としての尊厳を傷つけられる」といったような観念的な話をすることが多いですが、実際受ける側はそういったことよりも、もっと違うことが問題のように思います。

まず、性交渉は大体夜です。子どもたちが寝静まった後です。昼の仕事と家事と育児で疲れ果て、もうくたくたのところにニタニタと笑いながらやってくる夫の相手をするのは苦痛以外の何物でもありません。

疲れているんです。眠いんです。愛情があるとかないとかそういった問題でなく、家事育児の義務の他に性処理の相手をさせられるのは勘弁してほしい。

大体馬鹿な男に限って「満足させてやっている」と言いますが、満足なんかしていません。自分勝手なことをして、満足なんかするわけないでしょ。そういうのに限って相手の気持ちを考えず、AVやエロ本で見たことをやって自分が満足しているだけなのに、相手が満足すると思っている。アホちゃうか。

ついさっきまで長期間無視を決め込んで、人を透明人間扱いして、目も合わさず、声をかけても完全無視をつらぬいておいて、寝る段になったとたん人のふとんに潜り込み、自分の性処理をして、終わったとたんまた無視を始めるモラ夫もいます。

また、人を低能、バカ、使えない、死ねと散々罵倒しておいて、「性行為をしたから仲直り」というパターンも多いです。性処理を仲直りのご奉仕と勘違いしている男性がとても多いですが、悲しいことにぎくしゃぐした家庭は嫌だから、泣く泣くそれを受け入れていることがほとんどです。

もう、嫌で嫌でたまらないのに、家庭内の空気を良くするためには性処理の相手をしなければなりません。苦痛なのは疲れた、眠いといった体のことだけではありません。

タイピーさんのでんちゃん

以前この小部屋に書いた、タイピーさんとこのでんちゃんが急死してしまいました。

私は時々家を留守にするのと、ペットロスに耐えられないだろうと思うので、動物は飼わないことにしています。

時々YouTubeを覗いて心を和ませてくれたでんちゃん。

一番辛いのはタイピーさんだと思います。コメントもたくさん。

この夏はでんちゃんと一緒の夏だったな。

そもそもなぜ離婚裁判が必要か

離婚裁判は離婚調停で離婚が決まらず、でもどうしても離婚したい場合に申し立てるものです。私はモラハラ家庭の場合、必ず離婚しなければならないとは思っていません。ただ、加害者からは離れる必要はあると思っています。

なぜならモラハラ被害を受けていると必ず心身に影響があるからです。私は職場でパワハラに遭っていた時期が半年ほどありましたが、家庭モラハラの時は低血圧と貧血。職場の時は気管支喘息が止まりませんでした。職場の時は相手がハラッサーだとわかっていたし、自分が悪くないともわかっていたのに症状として出ました。どんなに気を確かに持っていても、どんなに攻撃されないよう細心の注意をはらっていても、攻撃は止まらないし、体は正直ですから「元気はつらつ」とはいきません。

しかも家庭の場合子どもたちはつねに黒いオーラが漂う家の中で生存戦略を屈指して生活しなければならず、これが子どもの健全な成長にどういう悪影響があるかはわかりません。すぐに表れることもあるし、10年後、20年後に現れることもあります。

凛とした母であるためにも、心身ともに健康であるためにも、夫には敢然として立ち向かう必要があります。とはいえ、モラハラ加害者とは話し合いができませんので、離れて今後の生活について折衝する必要があります。だから別居。

加害者更正プログラムを行っている「アウェアさん」ともお話ししましたが、とにかく加害者と離れてしばらくすると、「あれ?一緒にいる必要はないじゃない?」となることが多いのです。夫と一緒に暮らしていると「母子家庭は寂しい」「世間からどう思われるか」「何より経済が不安」「子どもをひとりで育てていけるか」などの不安要素だけが心を占めますが、実際に離れてみたら結構なんとかやって行けるし、夫が帰ってくる足音におびえることもなく、好きなものを食べ、好きな時に寝て、好きな本を読んだりテレビを見たりできる。

特にこの中の「好きな時に寝て」が重要です。夫からの性行為強要から解放されるからです。これはなかなか表に出てきませんが、かなりな苦痛です。拷問と言ってもいい。

離婚裁判を傍聴するには

もし離婚裁判をする予定の方は、一度裁判所に行って実際に裁判を傍聴してみることをお勧めしますが、ただ、「本人尋問」以外は書類の交換や次回の予定の確認という代理人同士のやりとりで、ものの2~3分で終わるので、行っても意味がありません。

また「判決」も裁判官が法廷にやってきて「原告と被告は離婚する」と言うだけなので、これも特に見てどうということもありません。

私は何人かの方の判決文を拝見したことがあるので、その判決文を裁判官が朗々と読み上げるのかと思っていたらそれはないようです。ただ裁判官が「原告と被告は離婚する」とあっさり言ってさっさと法廷から去るだけ。

テレビで見るような原告と被告が法廷で顔を合わせ、それぞれの代理人から質問を受けるという「本人尋問」が一番見たいところだと思いますが、いつその本人尋問があるかは週間スケジュール表があるわけでなし、わからない。

私は今回たまたま裁判所に近くに用事があって、「今日、本人尋問があったらな」とふと思いついて裁判所に入り「今日の日程のノート(開廷表)」のノートを見たら本人尋問があったので偶然に傍聴できました。

この開廷表どこの裁判所でもあると思うのですが、これをマニアのおじさんたちはメモして(写メ不可)あちらの法廷、こちらの法廷とやってくるわけです。

世間を騒がすような刑事事件などには「傍聴希望者が500人」などと報道されますが、この中にはかなりの割合でマスコミが雇ったアルバイトが混じっています。傍聴席の数は限られているので抽選になるため、テレビ局や新聞社などのマスコミがアルバイトを雇って並んでもらい、抽選券を集めるのです。

私もマスコミ関係の知人のお手伝いでアルバイトを集めたりしたことがありますが、一度も当たったことがありません。何しろ衆目を集めるような事件となると百人単位で人が集まりまるのに、席は20とか30とか、その程度の席しかないので、これは大変。そして傍聴しなければ中の様子はわからず、記事が書けない。だからマスコミの方たちは必死。

ともあれ、これは大きな刑事事件の話。私が傍聴したいのは離婚裁判なので、開廷表の中の「人訴」のページを探します。これでたまたま私が行った日に「本人尋問」があったので傍聴できただけの話です。もしなかったら、空戻り。

東京は離婚裁判が多いかもしれませんね。私がまだ地方に住んでいた時に有給をとって裁判所に行ってみたら、例の「代理人による書類のやりとり」のみで、ものの2分で終わってしまいました。はい、空戻り。

以前応援傍聴をした時のように、本人や代理人や支援団体からの情報で「応援傍聴」する以外に、確実にその日に「本人尋問」があるかわかる方法はないのではないでしょうか。

離婚裁判を傍聴してみた

私は離婚裁判を経験した方たちから沢山のお話を伺ってきましたが、さて、実際の離婚裁判の傍聴は、私が東京に来る前に、被害者の方の応援として傍聴席に座ったことがあるだけでしたが、それは本当に「テレビで見る裁判みたい」でした。

妻側の弁護士が(代理人ともいう)、「ここにスーパーのレシートがあります。この時刻は〇月〇日。原告(訴えた側。今回は妻)がこの時間このスーパーの行っていた証拠です!」

高らかにレシートを掲げる弁護士に、「あ、あのスーパー、うちの近く。金曜は2時からタイムセールがあるのよ!だからその時間に行ったんだわ!」とは私の隣に座って、やはり一緒に被害者の方の応援で座っていた友人の小声話。

近所のスーパーだの、タイムセールが証拠になるなんて、なんかとってもお茶の間的。

テレビのドラマで見る裁判は大抵刑事事件で、当事者たちのプライベートな生活がこれでもかとあからさまになりますが、離婚裁判も同じです。そして傍聴人がいるのも同じ。どこの誰だかわからない人の離婚裁判なんて人は興味ないだろうと思っていたら、今回私が傍聴した離婚裁判は満席で、席に座ることができずに帰った方もいました。

どう見ても関係者や親戚ではない、裁判傍聴マニアがいるのだそうです(汗

大抵定年退職後で暇しているおじさんたちです。

そういえば以前犯罪被害者の支援のため裁判傍聴に行ったことがありましたが、私の隣に座ったのがどうやらこの「マニアのおじさん」で、手に持ったメモ帳には「〇時〇分 〇号室」「△時△分 △号室」という、どうやらおじさんが聞きたいと思っている本日の裁判の日程がぎっしり。

おじさんだけでなく、私の同僚にも女性ですがマニアがいました。有休休暇をとって裁判傍聴に行くという熱の入れよう。彼女の場合「ラストで主人公が不幸になる映画が好き」という趣味の持ち主でしたので、心に何か屈折したものを抱えていたのかもしれません。

猟奇的な殺人事件の記事を読むのも好きで、よく事件のことを知っていました。

たぶん、人の不幸が好きな人だったんだろうと思います。周りからは「底抜けに明るい人」という評価でしたが、何か闇の部分があったのかもしれません。

ともかく、離婚という、究極にプライベートな部分を裁判の担当者だけでなく、傍聴人にもつまびらかにしなければならないという部分で、やはり裁判を起こすとなると気が重くなります。

コキアの季節

我が家のベランダに植えたコキア(ほうきぐさ)が赤く色づいています。夏に二株買って別々のプランターに植えたものですが、片方はぐんぐんと育って大きな株になりましたが、もう片方は育ちがいまいち。

同じ時に同じ店から買って、同じように育てたのに、ずいぶんと違う。

子どもみたいだな。

ただ、子どもは本人の周りという社会的要因が大きく育ちに影響しますが、コキアはその社会的要因がない、のに差があるのはそれぞれの持っているもののせいかしら、とか思いながらの水やりです。

心からの感謝

こちらからの続きです。ほとんどの自己啓発本には「感謝をしよう」と書いてあります。「あなた生きていられるのはすべて何かからいただいたものなのだから、それに感謝しよう」というものです。

幸せになるための黄金律というものもあります。わかりやすく書いたものがあるのでリンクしますね。私がモラハラに気づいてから離婚し、このサイトを開き、沢山の方と交流をするようになってから、もう血液を全交換したように変わりました。

昔は科学ですべてを説明できると思っていましたし、成功しない人は努力しないからで、すべて効率第一主義でした。これが全部ひっくり返りました。ひっくり返してくれたのは、私の周りにいる方たちの沢山の愛でした。

2003年に私が「モラハラとは」に書きました。

”沢山の人が私の手を握り、肩を抱き、一緒に涙を流し、がんばってねと励ましてくれました。そしてある日、私の中に変化が起こりました。 「世の中のすべてのものを愛したい」「すべてのものを慈しみたい」「すべてのものに感謝したい」そんな感情が湧き上がったと同時に、明るい太陽がさんさんと降り注いできたのです。 「罪を憎んで人を憎まず」を私は今まで理解できませんでした。でも今はできます。前の私は「罪と犯した人」はイコールでしたが、 今は「罪と人」は別々です。夫に対しても憎しみはまったくありません。”

2003年の、なんてピュアな私(笑)

今はちょっと濁ってるな(笑)

2003年ははつらつとしていますね。たぶん血液も勢いよく流れて循環し、すごく健康だったと思う。血液がきれいに循環すると肌もつやつやだし、やる気十分だし、どんなにハードな仕事をして疲れても翌日はばしっと起きられる。

この中で「すべてのものに感謝したい」と書いています。私は自己啓発本の類は読みませんので、自然に沸き上がった感情です。沢山の方の善意に触れると、感謝の心というのは自然に沸き上がるものです。もしそうならなければ、この後の幸せはない。

「成功は俺様の実力(←モラ夫が言いそう)」という方向に行くと、幸せを掴めない生き方をしていると思います。

ただ、前に書いた

「私はちょっと気になることがあります」ですが、ネットを見渡すと、「感謝します」「感謝しかありません」というフレーズが沢山出回っていますが、この方たちは黄金律に「感謝しよう」と書いてあるからそう言っているのか、本当に自身の心からそう思っているのか、リターン狙いの「感謝しかありません」なのか、どっちなのだろうと思われるものがあります。

大抵自己啓発本を読んでいそうな方がそう言っているので、特にそう思うのかもしれません。

でも、感謝の心というのは、その気持ちになれば自然に湧いてくるもので、方程式ではありません。「感謝しかありません」という言葉が方程式がそうなっているからと口にしたのであれば、なんだか気持ちがよくない。何か違うなぁと思います。

感謝は感謝したいと思うようなことに出会うと自然に湧いてくるものです。特別大きなことでなくてもいい。私は探し物が見つかった時に「ああ、あった!神様ありがとう!!」ともう声に出していいます。

こんなものでいいんじゃないかな。感謝は次の感謝を連れてくるものだもの。

ロジハラとモラハラ

あまりSNSを見ることがないので、世の中に「ロジハラ」という言葉が出回っているのを今日「モーニングショー」を見て知りました。世の中の動きに気付くのが遅くてすみません。

ロジハラとは「Logic Harassment」のことで「正論を並べて相手を言い負かす」ことです。

なんだ、これってモラハラの極意じゃんと思ったな。東大話法とも一緒でしょ。

マスク警察や自粛警察も同じ。正論を振りかざして相手を攻撃し、自分優位を築き、相手に詫びさせて優越感に浸るやり方です。

「モーニングショー」では家庭内を例にとって説明していました。

夫:この料理、まずい。ちゃんと分量とか計ったの?

妻:計ってない。。

夫:なんで計らないで作るの?もう、マズいから外で食べてくる。この料理全部お前が食べろよ、自分で作ったんだから、自己責任だろ。

↑ これはもう、モラハラの王道です。毎日作る家庭料理を大さじ小さじで計る人はあんまりいないと思う。計ったら計ったで「何年主婦やってるんだ。計らないと料理も作れないのか」って言うくせに。

ロジハラとモラハラの違いは、ひとえにこれを言う人が気づくか気づかないかの差です。「モーニングショー」でもコメンテーターの二人が自分もやっていたと言いました。そして私もやったことがあります。ただ、コメンテーターも私も同じなのは「私は何のために相手にこのようなことを言っているのだろうか」とある時に気づいたことです。

相手に何かを言うのは問題を解決するためで、相手を責めるためではありません。モラハラ加害者はひたすら相手を攻撃する材料としてロジカルな話をしていきますが、「なんのための言葉なのか」に気づいた人は、相手にこれをわかってもらうためにはどう言うべきかを考えます。

これ、特に子どもに対する小言の時に特に気をつけました。相手を委縮させてはならず、責めてもならず、でも理解力に乏しい子どもに対しては、順々に時間をかけて言わなければならない。そして子どもには逃げ道を作っておくことです。

「これはうっかりしたんだよね。人はうっかりすることは誰にでもあること。だから誰でもすることをあなたはしたので、うっかり屋が悪いわけではない」

「でも、これで困った人、傷ついた人はいるので、それはごめんねって言おうね」

「そして『もうしません。気をつけます』って言おうね」

「これをしないと、ずっとこのまま引きづってしまってお友だちを無くすよ。そしたら嫌でしょ」

うっかり屋が悪いわけではないという逃げ道で、大人だって救われるんだから、子どもは救われます。そしてまた同じうっかりをしちゃうのよね(笑、  人間だから(笑

それでもいいんじゃないかなと思います。一歩ずつでも前に進めたらいいんじゃないかな。

これができないのがモラハラ加害者。「自分は悪くない」という自分に甘い思考癖を覚えてしまった人が加害者になります。

ロジハラねぇ。モラハラが世に出た時「何でもハラハラと言うな」と言われたものだけど、ロジハラも広辞苑に載るようになるのかな。そしたら用語解説で「マスク警察など」と入ったりして。その頃には毎日マスクをしなくてもいい生活になっていればいいな。

ヤクルトレディの働き方 2

この記事の元になったニュースはこちらでした。

「ヤクルトレディ」3000人を正社員に 宅配増、人手不足で待遇改善
https://news.yahoo.co.jp/articles/c8efc8932ec31d6aba6e2f5bf55c17225d8bfbae

ヤクルトさんはずっと前から事務所内に託児場所を作り、すぐに働ける状態にしている会社です。子どもを連れて出勤し、働いて、仕事が終われば保育園に子どもを迎えに行くことなく、子どもを一緒に連れて帰ってくることができます。

そしてヤクルトレディはパートではなく個人事業主なので、税金面で優遇されます。実際私はこの記事を書くにあたって、たまたま出先でばったり会ったヤクルトレディさんに突撃インタビューをしました。

熊:ヤクルトレディさんが正社員になるんですってね。よかったですね。

ヤ:う~ん、あれは私たちじゃなくて、事務所で働いている人たちなんですよね。

熊:え、そうなんですか。。。

ヤ:でも、私たちは個人事業主なんで、こちらの方が得なんです。だからこのままでいいです。

ということでした。扶養の範囲で働けて、保育所に苦労しなくてもいい職場だそうです。以前ヤクルトさんに取材に行った時に伺った話ですが、あのヤクルトレディさんたちが乗っている自転車やバイクは有料貸与で、制服も有料貸与です(個人事業主なので)。だから、お給料から、保育料・制服代・バイク代を差し引くと、あれ??っという感じの金額だったりします。

しかも、あの暑さの中、雨の中、バイクならともかく、自転車は大変だろうなと思いますが、彼女たち、それほどの悲壮感は感じられません。なんだか楽しそう。大体コロナの今は無理ですが、仕事が沢山ある中であえて選んでいるのだから、楽しい職場なのかもしれません。

私が知っているヤクルトさんは、職場に来て「今日はいかがですか?」と声をかけてきますが、定期的に頼んでいる人もいるし、顧客との会話も必要最低限。お店だと嫌な客にいちゃもんつけられることが多いかもしれませんが、こちらならそれほど難しい接客はなさそうです。

とはいえ、収入を多くするにはにこやかな営業は必要不可欠だし、それができる人はそれなりの売り上げがあるのでしょう。私の職場に来られていた方は、結局チーフになって活躍していました。

先日お話を伺わせていただいたヤクルトレディさんにはお礼として「ミルミル」を買いました。私、ミルミルファンなんですよー。30年以上前からのファン。人参味で、これを飲むと腸の調子がすっごく良い!

ということで、職場で飲み続けていたのですが、いつの頃からか人参味がヨーグルト味に変わってしまい、効き目が違ってしまって何となくやめてしまいました。

その話をヤクルトさんにしたら「あ、ありますよ。人参味」と言って出したのは、あの懐かしい初代ミルミルのパッケージ。「それから、こちらは私たちヤクルトレディだけが販売している『ミルミルS』です」との営業に乗り、両方いただきました。

両方試してみたら、効能はきっと後発の方がよいのでしょうが、やっぱり先代の人参味の方が私は好き。今度会ったらまとめ買いしましょう。

ヤクルトさんは保育所があってすぐ働ける他、就労証明が出ますから、保活や就活もできるんですよね。あ、これはヤクルトさんにとってはマズイ情報だったかも。

ヤクルトレディの働き方 1

暗いニュースばかりの中での明るいニュース。いろいろな会社に自転車やバイクでヤクルト商品を配達するヤクルトレディは、レディというだけあって全員女性です。実は私が初めてやったアルバイトはこれでした。

まだ中学を卒業したばかりの春休みにやりました。ヤクルトではなく同種の乳酸飲料販売でしたが、大きなバッグに商品を詰め、社員さんが運転する車で県庁に行き、あちこちの部署で販売します。

小さな中学生が、乳酸飲料をバッグを肩から担いでヨロヨロと各部署を渡り歩きながら販売するということで、ちょっとしたアイドルになりまして(笑)、おじさんやお姉さんがこぞって買ってくれました。売り上げ上々。

このバイトはこの会社が「アルバイト募集」の張り紙をしていたのを見て、恐る恐る事務所の引き戸を開け、「中学生でもいいですか?」と言って応募したものです。母が「お金がない、お金がない」「あんたたちにお金がかかる」と始終言っていて、高校進学にお金がかかるのが本当に申し訳なくて、せめて自分の学用品くらい自分で稼ごうと思ってのことでした。健気だなぁ。

この話を母は親戚に自慢話として披露していたということが、最近従妹から聞いて知りました。親戚で話すということは、母のことだからおそらく辺り一面に触れ回っていたでしょう。なぜこれが自慢話になるのかがわからない。中学を卒業したばかりの娘がアルバイトをしなければならない状態にあるというのは、親として申し訳ないと思わないのだろうか。

ともあれ、「石にかじりついても誰にも頼らず稼いでやる」という生命力はこの頃からあったようです。

そうだ。テーマは「ヤクルトレディ」でした。ヤクルトが一番ありがたい職場なのは、保育所が併設されていることです。働こうと思っても、小さな子どもがいるとまず保育所を探さなければなりません。その保育所が希望者多数で待機になっているのは社会の問題として報道され続けています。