読書ができなくなったらYouTubeで聴読書

めっきり目が悪くなり、読書が億劫になってきました。字を追うということは体力がいることで、特に専門書などは努力が必要です。

夜寝る前はなるべくブルーライトが目に入らないようにしたいので、ネットも見られない。

アマゾンのAudibleを無料期間に試してみましたが、無料期間が終わると月額1,500円と結構お高くて、しかもとても聞きたいと思うようなものがあまりありません。

ふとYouTubeのお勧め動画の中に向田邦子さんの朗読がありました。この本はほとんど持っているので、自分で読めばいいようなものですが、昔の本の活字は小さくて、今の私には少し厳しい。

YouTubeの朗読を聞いてみると、音源がどこから取ったのかわかりませんが、あまり良い音ではないのが惜しいですが、寝る間際の導眠としてはぴったりの落ち着いた感じがいい。

iPadにタイマーをかけて、聞きながら寝るのがこの頃のブームです。

多くの方に見て欲しい映画「あなたを抱きしめる日まで」

このところ家にテレビを置かず、そうなると当然NHKの契約もしない人が増えていますが、BSNHKでは時々掘り出し物の番組や映画を放送してくれるので、私はNHKの受信料を払い続けています。

BSNHKで1月11日に放送された「あなたを抱きしめる日まで」はそんな掘り出し物の逸品でした。

タイトルも聞いたことがないのに録画をしたのは、BSNHKが放送するからにはきっと良い作品なのだろうと思ったからです。

1時間38分という短めの映画だし、ぱぱっと見れるかなと思って先日見ました。1度見て、ネットで解説を読み、2回目を見た時に、1回目ではわからなかった布石や謎があちこちにちりばめられているのがわかり、感動が倍増しました。

この「あなたを抱きしめる日まで」というベタな日本語タイトルの作品は、2013年のアカデミー賞作品賞(他)にノミネートされています。

見るつもりだからネタバレが嫌という方はここでご退場ください。

1952年のアイルランド、18歳で行きずりの相手と関係を持ち妊娠したフィロミナは親から修道院に入れられてしまいます。修道院で出産した後は監禁され重労働をさせられ、生まれた息子とは1日1時間だけしか会わせてもらえない日々。

それでもその1時間の逢瀬をを楽しみに、修道院で一番重労働な洗濯作業をしていました。そんな娘たちが他にも10名ほど、同じように出産と労働をしていました。修道院を出るときには1,000ポンドをお礼に置いていかなければならないきまりだったからです。

その仲間のひとりの子どもがどこかに連れていかれると知り、同情していたフィロミナでしたが、その子と一緒にフィロミナの息子も連れていかれてしまいました。

2階の窓から息子の名を叫ぶフィロミナ。それが息子(アンソニー)との最後でした。

それから50年後。1日も息子のことを忘れたことがなかったフィロミナは、その後に生まれた娘に「あなたには兄がいる」と打ち明けました。

その娘はジャーナリストのマーティンに「ジャーナリストならその子どもを探せるのではないか」と頼みます。

英国の放送局BBCを納得がいかない理由でクビになったマーティンは最初は断りますが、編集部にかけあってこのストーリーを記事にすることを約束し、取材費を取り付け、別れた息子を彼女と一緒に探しをします。

「あの子はどうやって暮らしているのか。ホームレスになっているのでは、ベトナム戦争で手足を失っているのでは」と息子の身の上を心配してたフィロミナでしたが、成長した息子は意外な立場にいて。。

というのがこの映画のあらすじなのですが、これが実話だというのだから驚きです。まさに「事実は小説より奇なり」を地でいくような意外な結末。

https://amzn.to/3vNNbBo

映画のマーティンは実在のジャーナリストで、この話を出版したところベストセラーになりました。ただ、映画はフィロミナとマーティンが息子を探すことに焦点をあてているのに対し、原作は息子(アンソニーがマイケルに変名。実在の人物)が共和党の首席法律顧問まで出世しながらも、ゲイであることに苦しんでいたことが焦点となっています(らしい)

フィロミナとマーティンのふたりが掛け合い漫才のようなセリフを応酬しながら真実をつきとめていき、最後はあり得ない場所にたどりつくというラストはまるでミステリーのようです。

息子はすでに亡くなり、残っていたビデオに映っている息子の成長記録に微笑みを浮かべながら見つめるフィロミナの眼差しにはもううるうる。

ともかく1度ではよくわからない部分も2度見ると「ああ、これだったんだ」と気づけるので、ぜひどこかで2度ご覧になってください。

「共同親権」導入、今国会提出へ 民法改正で法制審要綱案

共同親権の導入が今国会に提出されることになったそうです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/fb231e5427583723cb53450bbfa43e28a0e70264

DVケースの場合は

”要綱案は(1)父または母が子の心身に害悪を及ぼす(2)父母の一方が他の一方から暴力・有害な言動を受ける―のいずれかの恐れがあれば、家裁は単独親権を「定めなければならない」とした。”

家庭裁判所が単独親権を言い渡すとのことですが、この場合はひとつひとつ家庭裁判所への申し立てが必要なのでしょうか。その場合はケリがつくまで離婚はできないことになりますよね。

これが調停前置に乗った場合、長々と調停をするものやら、一発審判で決めるものやらがわかりません。

そして誰がどうやってDV認定をするのかがやっぱりわかりません。私はDV加害者は嫌いですが、DV被害者ではないのに被害者を名乗る人はもっと嫌いです。

これからもれた場合は、共同親権にするかしないかを争うのか、原則共同親権なのかがわかりません。この記事のままだとすると、原則共同親権のように読めるのですが。

また”共同親権の場合、子の進学先や居所を決めるために双方の合意が必要となる。ただ、DV・虐待からの避難や、緊急の医療行為など「子の利益のため急迫の事情があるとき」は、一方が単独で親権を行使できると明記した。”とありますが、緊急だったか、子の利益のため緊迫の事情があったかについては、これに適合するかしないか、後から病院などが訴えられる場合があるだろうと思います。実際訴えられて敗訴しています。

https://note.com/arisin/n/nd92b8dddd9df

とにかくわからないことだらけなので、どこかで詳細な解説をしてくれるところが見つかりましたらまたここにあげますね。

アフィリエイトの応援ありがとうございます

今月、アマゾンのバナーが使えなくなったというお知らせをここでいたしました。

そして即席でAmazonへの入り口を作り、サイトに貼ったのですが、時間をかけずにパパっと作ったせいもあり、かなり怪しげ。

本当にこのアイコンを使ってくださるかしらとかなり不安なまま2週間が経ちましたが。

ありがとうございます!お買い物をしてくださった方がたくさんおり、順調にアフィリエイトが続けられています。なんでもアマゾンのアフィリエイトは数カ月間売り上げがないとアカウントが停止されてしまうのだそうです。

その心配があったのですが、今のところ順調に売り上げが動いてくれています。これも皆様の後押しのおかげです。本当にありがとうございます。

楽天とアマゾンでの収益金は被害者同盟のBBS4個、レンタルサーバー等の支払いに利用させていただいています。このアフィリエイトはかなり長い間行っていますが、このたびYahooショッピングも加えて、このブログにも貼り付けようかなと考えています。

なぜならyahooショッピングはいろいろな場面で使えるポイントやクーポンがあり、安い値段で買えたるPaypayが使えたりする場合があり、私も重宝して利用しています(特にポイントがつく日曜日)。

さらに私の場合オークションも利用するので、売り上げ金がPayPayに自動的に入っているのもありがたい。

すでにPayPayは第二の財布になりつつあります。

とにかくYahooに申請をしなければならないので、ここで声明文を出して退路を断ち、重いお尻を上げることにします。

お正月にひっそりと放送されていた「母娘問題再現ドラマ」

今年の1月1日の深夜、正確には1月2日の午前に、とても重い内容の番組が放送されました。

2024年1月1日深夜1時05分より、『日本怪奇ルポルタージュ』(テレビ東京)
この放送の元になったのは『母という呪縛 娘という牢獄』というルポルタージュです。

『母という呪縛 娘という牢獄』

この事件は2018年滋賀県で医学部を9浪した娘が母親を殺し、バラバラにして捨てたというものです。

「娘が母を殺した」

「バラバラにして捨てた」

「娘は医学部を9浪していた」

というワードが非常に興味をそそったのか、このルポルタージュは重版を重ねたベストセラーになっているそうです。私が昨年夏に図書館に予約したこの本の待ち人は現在49人です。

私も事件当時はネットニュースなどを見ていたと思いますが、それほど重要な追記事がなかったのか、そのうちに忘れ去っていました。

とある母娘関係の研修でこの本が取り上げられ、事件の真相を知ることになりました。

医学部進学は母の望みであり、その期待に応えるべく娘は努力をしましたが合格することができず、その結果として9年間浪人をしていました。

番組の中ではこの母娘の奇妙な生活が再現ドラマとして放送されました。特に壮絶なのは娘の成績が思うようなものでなかったときに、金属の棒で娘の体を叩いていた、しかもその数は合格偏差値と実際の偏差値の差の数分だけた殴打していたというものです。

偏差値72が合格点で実際が65だったら7回殴打する。60だったら12回殴打する。

最初は掃除機のパイプで叩いていたのですが叩きすぎて割れてしまい、金属の棒に変わったというなんとも壮絶な話です。娘は必死に母の期待に応えようと勉強もしたし、家から逃げたこともありましたが、結局連れ戻されてしまいました。

番組にはこのルポルタージュの著者も出演し、解説を加えていました。この事件の内容につきましてはこちらに詳しく書かれています。

https://gendai.media/articles/-/122081?imp=0

講談社ホームページ

私はまだこの本を読んでいないのですが、なぜこれほどまでに母親は娘の医学部進学に狂気のように固執したのか。

殺された母親の実母はどういう事情なのか、いつ頃の話なのかわからないのですが、母親の実母はアメリカに渡り、歯科医師と結婚しています。つまり母親は実の母から育てられていせん。

ただ、絶縁したわけではなく、歯科医師という高額所得者と結婚したので裕福だったとみえ、娘の家を建てたり、生活の援助も、孫娘の進学にかかわる教育費も出していました。

「アメばあちゃん」と呼ぶ祖母に孫娘は電話をしたりしていますので、密接につながりがありました。

娘を置いてアメリカに渡った母。置いて行かれた娘。

どのような事情でそうなったのかはわかりませんが、母に認めてもらいたいという気持ちが人一倍大きかったのではないかと思うのです。

孫娘が医学部に入学し医者になれば、母を喜ばせることができる。自分を認めてもらうことができる。

それは母に対する狂おしいほどの思慕だったのではないかと思うのです。

祖母が殺された娘に対してどのように接していたのかは出てこないのでわからないのですが、もしかしたら娘が思うほど孫娘の進学に強い熱望はなかったのかもしれません。

置いてきてしまった娘の願いをかなえたいと、置いてきてしまった罪悪感の埋め合わせのように援助を続けていたのではないか。娘はただひとりで空回りをしていただけなのではないか。

そんな気もするのです。

教育虐待は主に父親から息子へあるものですが、この事件は母から娘へでした。ただ、父親から息子へのものが果しえなかった自分の夢を叶えたいとか、息子が将来学歴でこまらぬようにというようなものとは違い、ただ、母に愛して欲しい、認めて欲しいと恋焦がれた末のものだったのではないでしょうか。

祖母、母、娘という3人の女性の様々な思いが引き起こしたこの事件。

お正月の深夜に放送されるにはあまりにも重い事件でした。

モラハラあるある ー「あ、お箸がなかったのね」

こちらの続きです。

さて、そのようにしてフジテレビでの「こたえてちょーだい」再現ビデオは回を重ねていきました。私が関わったのは最初の3回だけで、後は視聴者の方が続々と送ってくる体験談を元にして番組は作り続けられました。

フジテレビ側はその後「モラハラの番組を放送しますよ」と連絡をして来なくなりましたので全部の回を見ていないのですが、たまたま録画することができた回で「おおー」と思った回がありました。

パートで働くたぶん40代の方だと思いますが、まさにモラハラの典型で、そのエピソードのひとつがこれでした。

結婚した直後、妻は朝食を作ります。「今お味噌汁をよそうから先に食べててね」と夫に背を向けて味噌汁をよそう妻。夫は「お、美味しそうだな」とテーブルにつきますが、食べ始めようとしません。

気配に気づいてふと振り返る妻。

夫は目をテーブルに向けたまま無表情でみじろぎもしません。

あーーー、わかるーーー。この俳優さん、うまいーーー。

うちもこうでした。テーブルに突っ立ったままずーーとおかずを見つめている。おんなじーー。

「どうしたの?」と妻は聞くけれど何も言わない。何も言わず、ずーーっと無表情でテーブルに目を落としている。

「あ、」と妻が「お箸がなかったのね」とあわてて箸を置くと無言で箸を取り食べだす夫。

わかるーーー。そーなのよーーー。これがモラハラなのよーーー。

怒鳴るわけでも殴るわけでもなく、無表情で無言で「お前の落ち度を気づけよ」と全身で表現する。

箸がなかったらないと言えばいいし、箸ぐらい自分で取りに行けばいいのに、このじーっと身じろぎもせずに黙ってテーブルを見ているというのが嫌がらせ。これがモラハラ生活の最初だったそうです。

以後、このような嫌がらせ生活が始まったのですが、この家の最大の不幸は最初は母と一緒に父の嫌がらせに怯えていたふたりの息子たちがそろって父親と同じになったことです。

母をバカにする、命令口調で話すといったモラ度満開の大人に成長していきました。妻は家でひとりぼっちです。

「今は子どもの方が怖いです」と語る方は「この先が真っ暗で何も見えません」とご自身の声で語っておられました。

これは2007年頃のものなので、当時18歳、20歳くらいだった息子たちはそれぞれ36歳、34歳になっていて、どこかでモラハラ家庭を作っているか家にいて、妻は3人のモラハラ男たちからの嫌がらせにあっているかもしれません。

この回は「こたえてちょーだい」の神回だと思っています。

モラハラが世の中に広まったのは「こたえてちょーだい」から

モラハラが世の中に一気に広まったのはフジテレビの「こたえてちょーだい」というフジテレビの番組です。「こたえてちょーだい」では視聴者からのいろいろな話を元に再現ドラマを作って放映していました。

最初にこの番組のディレクターさんから「モラハラを取り上げたいので協力して欲しい」というオファーががあり、掲示板に書き込んでおられた中からおひとりをお願いし、取材をしていただきました。

これだけ月日が流れるとなぜその方お願いしたのか今となっては覚えていないですが、その頃掲示板だけでなく、たまたまDM等でもやりとりをさせていただいていた方ではなかろうかと思います。

身バレがしないようには特に気を使いましたし、ディレクターさんにもしっかりとお願いしました。

放送当日は何度も録画タイマーがちゃんとできているか確認して仕事場に行きましたが、もう気はそぞろ。

仕事場のテレビのある部屋に行ってはちゃんと映っているか、どうなっているかちらちらと見ながら、戻りながらを繰り返しました。

番組が終わった頃、担当ディレクターさんが「すごい反響です!オペレーターの電話が鳴りやみません!すぐに来週第二弾を放送しますからまた協力してください!」とガラケーの向こうから息せき切った声で叫ばれました。

そうだろー、そうだろー、午前中の奥様向けの番組なんだからターゲットとしてはばっちり。私はもう早く家に帰って録画を見たいばかり。

後からディレクターさんに伺ったら、番組への電話の本数は歴代1位だったそうです。

それまで新聞、雑誌とメディアでは多く取り上げていただきましたが、テレビはその情景を生々しくダイレクトに見せてくれたため、この反響はしごく当然のことなのでありました。

そしてこれがモラハラが世の中に広まっていった大きなきっかけとなりました。

その後、当時モラハラ被害者同盟常連のみなさまにご協力いただき、第二回、第三回とモラハラ特集は続いたのでありました。

士業の話は複数人に聞いてみましょう

士業とは〇〇士、と最後に士がつく職業の方を指します。

モラハラでお世話になるのは弁護士、司法書士、行政書士、社労士(社会保険労務士)などかと思います。私はこの中の行政書士、社労士で痛い思いをしたことがありますので、ご紹介したいと思います。

行政書士には以前持ち家のことなどを相談したかったので、「行政書士がご相談を受けます」という市報につられて、いそいそと行きました。

広いホールに3つの島が作られ、行政書士が3人テーブルについていました。その中で異様な島が。

相当年配と思われる男性行政書士さんが大きな声で受け答えしている。

#プライバシーも何もあったもんじゃない

ただし、相談者もご年配の女性で、こちらも要領の得ない相談をしているらしい。

おふたりとも80代とお見受けいたしました。他の2つの島は50代、40代の男性の方でした。

数名の待ち人がいて、空いた順から割り当てられていく形で、あのじーさんの行政書士にはあたりたくないなぁとひそかに願っていたのですが、残念ながらじーさんの島へ誘導されてしまいました。

仕方がないので相談を始めたのですが、予想通り要領を得ないどころか

#耳が遠い

うぇ!?うぇ!?と何度も聞き返す。

当然こちらも大きな声で怒鳴ることになります。

私の質問はすでに法務局で調べてあったので、大体のところはわかっていて、ただ、もう少し込み入ったことを聞きたいと思っていたのですが、おそらくこのじーさんでは無理だ。

無理だとは思いましたが、とりあえず聞いてみたら予想通り途方に暮れた顔をしました。でも、「わからない」とは言いたくないらしく、でたらめな答えが返ってきました。

聞いた私がバカでしたが、この時に必要書類を持っていたところに彼は目をつけて、「それ、見せて」と言われたので渡すと、彼は指にたっぷりと唾をつけてめくりましたーーーーー。

ぎゃーーーーーーー

今もその光景を思い出すたびに背筋がぞーーーっとして、なぜあの時にストップをかけなかったのか、今でも後悔しています。

これはこの催しを主催した行政書士協会〇〇支部へ苦情を入れた方がよかろうと翌日電話をしたら、「もしもしぃ~~~?」と電話に出たのはこれまた相当高齢のじーさんで。

こりゃダメだ。話をしたところでじーさん同士はかばいあって「変な女が電話をしてきた」で済まされてしまうだろうと思いましたので、「失礼しました」と電話を切りました。

行政書士協会は引退したような高齢者の集まりなんだろうか。

そして以前郵便局が「社労士が年金のご相談を受けます」という催しをしていたのでこれまたいそいそと行ったら、こちらは70代と思われる女性の社労士さん。郵便局の方は「先生、先生」と奉っておりました。

いろいろと伺いたいことを聞いたのですが、後から調べると

#全部違っていた

ひとつだけならともかく、全部違っていたというのもすごい。さらにすごかったのは後からその社労士さんから手紙が来て、「〇〇について間違っていたので訂正します」とのこと。

げっ、私の住所はどうやって知ったのかって、申し込みの時に住所を書いたので郵便局から聞いたのでしょう。郵便局の個人情報保護はどうなっているのでしょう。しかも相談を受けた相手に手紙を出したらどう思われるか、郵便局も社労士も気づかなかったのでしょうか。

また、再就職の際、知りたいことがあったので、社労士の電話相談を利用したところ、2か所にかけて2か所とも言うことが違う。結局3か所目、ハローワークにいた社労士さんが正解でした。2か所の電話相談に出た社労士の言うことは間違っていました。

無料の相談なんてこんなものなのかもしれませんが、士業だからと言うことを鵜吞みにせずに、何か所かに相談した方がよろしいかと思います。

人は義務では動かない。感情で動く

このタイトルのようなことは生活しているとあちこちであります。子どもは勉強しなくてはならないと思ってはいるけれど、しない。子どもを動かすには義務ではなく感情を動かさなければならない。

ただ、子どものちょっとしたプライドをくすぐる「おだてあげ作戦」は、きくのはせいぜい小学生まで。中学生になると「おだててものらないよ」と鼻の先で笑われます。

ともかく、この「人が義務では動かないが感情を揺さぶられると動く」というのは、たとえば「能登半島地震の被災者のために寄付を!」と言われたら、毎日流れる悲惨なニュースを見れば誰しも寄付をしたいという気持ちになります。

それが「人なら寄付をするのが当たり前だよ」と言われると、なんだか押し付けられているような気がして動きたくない気持ちになったりするものです。

離婚した後、養育費は子どもと暮らしていない方が暮らしている方へ払うものですが、これをきちんともらっている方は3割弱だそうです(令和3年厚労省調べ)

残りの7割強はもらっていない、つまり元夫は支払っていないということです。

支払わない理由はいろいろあるでしょう。

〇新しい家庭ができた

〇経済的に余裕がない

〇妻に対して怒りがある

こんなところでしょう。モラハラ離婚の場合は「勝手に妻が子どもを連れて家を出て子どもから強引に引き離されたのに金を寄こせとは泥棒に追い銭」という感情があるのだと思います。

もちろん元妻が子自分の子を養育しているわけですから、養育費を支払うのは義務であり当然なのですが、ここで出てくるのが「人は義務では動かない。感情で動く」なのです。

怒りの感情があるままでは人は動きません。

だから、裁判所で決めましょうという話になります。少なくともどこかの会社に勤めている場合は裁判所が金額や支払い方法を決めてくれますし、強制執行もできますので支払いは続きやすいです。ただ、裁判所、調停という場を通さないとこれはできません。

「子から強引に引き離された」という怒りの感情がある人から養育費を取り立てるのは容易ではありません。だから、養育費は個人から個人へ支払うものではなく、行政から個人へ支払うシステムにしなければならないのです。

法務省・厚生労働省不払い養育費の確保のための支援に関するタスクフォース

ここに書かれているものを読むと、それを可能にするにはたくさんの法整備が必要になるということがわかります。Aという法律とBという法律は矛盾しないか。いろいろな立場、状態の人たちがいる中で不公平にならないかなど、超えていかなければならない壁がたくさんあって、それは大変だろうなとは思います。

ただ、海外ではやられていることだから日本でやれないことはないとは思いますので、なんとか法整備を進めて欲しいものです。

事件後の記念日反応が怖い

記念日反応とは、何か大きな事故や事件に遭った時、その1週間後、1か月後、1年後と「その日」が来るたびに「アニバーサリー反応(記念日反応)」という症状が現れることを言います。

「昨日の今頃は何事もなかった」「先月の今日は幸せだった」「1年前の今日はみんな一緒におせちを食べていた」

〇〇の今頃はと思うたびに、失った方や体に異常のあった場合は「体は何事もなく元気だった」と思い出すのです。

私が支援した方は家族が殺された日が近づくと毎年入院されていました。もうその日から何十年と経っているのに、心のダメージは続いているのです。

その季節特有の天候や、季節行事の街の姿や、流れるテレビCM、匂い、音、食べるもの、すべてが引き金になって、どうしてもその時の心理状況に戻ってしまうのでした。

当初は一緒に悲しみを共有していてくれた人も、月日が過ぎると「いつまでも悲しんでいては亡くなった方も悲しむよ」などと言って慰めようとしますが、これは何の慰めにもなりませんし、むしろ立ち直らないあなたが悪いというように責める言葉になってしまます。

本人も立ち直ろう、忘れようと努力はしているのですが、体がそのように反応するので、どうしようもないのです。

カウンセリングを続けて何とか「その日」をやりすごしている方も多いと思います。この方面の療法として「暴露療法(エクスポージャー療法)」というのがあるのですが、受けている方はまるで傷口にゴリゴリと塩を塗り込まれているようだとお話してくださいました。

エクスポージャー療法とは忘れさせるのではなく、何度も何度もその状況を思いださせて、思い出すことを慣れさせる療法です。これは専門者がやることで決して素人が見よう見まねでやってはいけないものです。

とても辛いので、この療法を受けていても途中でやめる方もいらっしゃいますが、受けた方のお話ですと、受けた場合と受けない場合ではまるで違うそうです。辛くても頑張って続けてほしいと仰っていました。

今回の地震で沢山の方が亡くなったり、財産を失ったりした方がいらっしゃいます。おそらくこの記念日反応がある方が多いと思います。1月1日が忌まわしい日になってしまった方へは、記念日反応があるのだということに気をつけ、接することが大切になります。