お盆には怖い話

お盆期間に出稿するつもりでしたが、台風がはいってしまい、遅ればせながらお盆ネタです。

私自身には霊感じみたものはまるでないのですが(妙にくじ運がいいとかはある)、私の周りにはこの方面の方が結構います。

「亡くなった方が見える」という人も数人います。その方と話をしていて、「死んだ人が見えても得になることなんてひとつもない。普通の人に見えないものが見える分、疲れてしょうがない」「これで未来がわかるとかなら、馬券のひとつでも買うんだけど、そういう役立つものはない」とのことでした。

確かに。亡くなった方が見えても何の得にもならないし、「自分が見えているものは普通の人には見えない」というのを理解するまでかなり時間がかかったそうです。

それは今から10数年前。モラハラ被害者同盟のちょっとしたオフ会というか、顔合わせをしたことがありました。集まったのは私も入れて4人で、全員初対面です。

集合場所のホテルロビーに集まり、自己紹介の後、四方山話をしようと思ったら、ふたりが同じ方向を向いています。すると、そのふたりが顔を見合わせて「見える?」「うん、いるよね」と言ってうなづきあっていました。

何もわからない、私ともうおひとりが「はてな?」という顔をすると、「あのね、あの隅に亡くなった方が座ってるの」「こういう人だよね」その人の特徴を話すともうひとりが「そうそう」とうなづく。

偶然集まった4人のうちの半分が「見える方」でした。

おふたりは見えるのが当たり前なので、なんとも思っていないようですが、こちら見えないふたりは薄気味悪いことこの上ない。

「何にもしないから。ただ座っているだけだから」と説明されても、何もいない隅の方をどんなに凝視しても見えないものは見えない。

全員が初対面ですから、ふたりが示し合わせてということはありません。集まった4人のうち2人が偶然そういう方だったというだけです。

ママ友の夫さんも「見える方」でした。地元に炭鉱のテーマパークがあるのですが、決して中に入ろうとせず、「お前ら、よくあんなところにはいるな」と薄気味悪い表情をするのだそうです。

その炭鉱は何度もの落盤で亡くなった方が大勢いるところ。夫さんには中にたくさんの方がいるのが見えるのだそうです。夫さんとは子どもを介した仲間で、一緒に遊んだり飲み会をしたことも何度もありますが、ごくごく普通の人だし、「見える」なんていうセンシティブな感じは全然しない熊さんです。

世の中には「見える」方が結構大勢いるようです。青森のイタコは後継者不足だとか。でも、見える方の世界と見えない世界ではどうも何かが違うのではないかと思ったりします。