「かふくはあざなえるなわのごとし」は、あまり幸福ではない時にぽっと頭のなかに浮かびます。今は幸せと思えない時でも、いつかは糾える縄のように幸福がやってくるかもしれない。
幸福という縄と不幸とい縄がよられて一本の太い縄になります。これが幸福だけの縄だったら幸福は幸福でなく当たり前。
不幸があるから幸福を感じられる。
不幸の度合いが大きければ、小さな幸せがものすごく大きな幸福に感じます。不幸だったからこそ幸せが感じられるものです。
「えーーー、そーゆーのやだしー。幸せだけの方がいいーーー」とZ世代からは言われるかもしれませんね。
でも60年以上生きてくると、やっぱり「禍福は糾える縄の如し」だと思うのですよ。いい時もあればそうでない時もある。そうでない時におろおろせずに達観できるような人が大人だなぁと思います。
60年以上生きていますが、まだ大人になれていないのがお恥ずかしい。
今年もお世話になりました。
まだモラ夫と生活している方たちは辛い時期になりますが、来年こそ人生がひらける出来事がありますよう、願っています。