いわゆる選択的夫婦別姓制度

私がまだ乙女だった高校生頃、好きだった相手の姓を私の名前の上に乗っけて書いて、頭の中をハートでいっぱいにしていました。姓を変えるのは大好きな相手と結婚するということであり、ゴールイン!(これがそもそもの勘違い)。多くの乙女たちが同じことをしていたと思います。姓を変えることは嫌ではなく、むしろ大歓迎のことでした。

たぶん現代の乙女たちも同様の方は多いと思います。ただ実際に姓を変える作業をしてみると、これが大変。あらゆる証明書やカード類を変更するために、旧姓の自分と新姓の自分は同一人物であるという証明書を結婚後半年くらいは持って歩いたものでした。

そして離婚をして旧姓に戻すときも同様。東京で私の勤めていた所では職場結婚の方が結構いたのですが、旧姓使用をしていた方も少なくなく、よく一緒にする人たちが実は夫婦と知らずにいたという場合も多々ありました。

#変なこと言えないのよ~、やばい、やばい

旧姓使用をするのは離婚の時に気づかれないようにという理由もあると、旧姓使用していた方から聞きました。

私は名前に何のプライドも持っていないので、「明日からお前はへの3番だ」と言われても「はーい♪」と言ってしまえる人間ですので、それほどこの選択的夫婦別姓制度に興味はありません。ただ、氏を変える作業はとても面倒だし、離婚や再婚などの度に周りからあらぬ憶測の噂を流されるのはまっぴら!とは思います。

離婚の際に子どもの姓をどうするか、自分はどうするかで悩む方もいます。大きな子どもは姓を変えるのを嫌がるので、大抵夫の姓をそのまま名乗ることが多いかなと思います。

最近「息子が勝手に姓を相手方の姓にした」「娘が結婚する時に相手方の姓にしたけど、姓と名前をくっつけるととてもいいづらい名前になるので一旦離婚し、再度結婚して娘の氏に変えた」という話を聞いたので、若い人たちの柔軟な考え方に「ほほー」という思いがあります。

昔は相手の氏にするということは、相手の家に入ること。家を守る、墓を守る。相手の親の介護をするといった責任を負わせられるということがもれなく付いてきましたが、ここにきて守るほどの家でもない、墓はどうでもいい、なんなら墓仕舞いをしよう、施設に入るから介護は不要というように親が決めると、氏なんかどうだっていいという話になります。

それなのに上の方では「家族の一体感が無くなる」とか、昭和の思想でわやわやしている。下層ではもうどうでもいいと思っているのにね。