「しくじり先生」でモラハラ

7日放送『しくじり先生 俺みたいになるな!』(テレビ朝日系)で家庭内のモラハラをとりあげていたそうで、いろいろな方からお知らせをいただきました。

#あらー、残念でしたー。見たかったなぁ。

番組はこのような感じだったそうです。

https://twitter.com/oubaitouri111/status/1368575153177645056
https://twitter.com/oubaitouri111/status/1368578249815588868

また、この中で取り上げられていたパンサー尾形さんについての記事はこちら

反省できたのなら、それはモラハラじゃないです。反省したふりをしたのなら、モラハラかもしれませんね。

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いつもセールの時にまとめて買いますが、今回はマスク、ナッツ、タオルを購入。本当に外に出る機会が無くなったので、衣服を買う機会が無くなりましたね。化粧品も基礎化粧品しか使わない。ファンデ、リップはまったく使わない。私の人生史上、これだけメイクをしなかった期間は無かったと思います。

資生堂がシャンプーなどのパーソナルケア部門を売却したとのこと。きっと私と同じように「上半分化粧しても大して変わんないや」と、メイクを全放棄した人もいるんじゃないかな。

そして目しかない顔だと、個人特定がなかなか難しいという新たな発見がありました。マスクと目だけだと、知り合いによく似た人が沢山いて、人の顔の区別って顔下半分なのだとわかりました。下半分が隠れていると、年齢もよくわからない←これはいいことだ(嬉

ZOOMで人と話す機会が増えましたが、何しろそのためにメイクをするのが面倒なものだから、ビデオフィルターのスタジオエフェクト機能を使って、バーチャル眉にしています。使ったことのない方のために説明すると、モニターに映る自分に眉やリップを描くことができるという機能です。ちゃんと本人と一緒に動くし、表情と一緒に眉も動くスグレもの。良くできてるわぁ。

#こうやって人間は怠惰になっていく。。

コロナ禍が終わったら、元のようにメイクをするようになるんだろうか。いや、ならないような気がする。若い女性たちはするかもしれないけど、私らおばさんはこの手抜き放題の生活様式に慣れたら、もう戻れないような気がするなぁ。。

福原愛さんのモラハラ問題

福原愛さんが家庭内でモラハラを受けていたという話と、不倫問題が同時に週刊誌に出てきました。なぜ同時なんだろう??

記事を読んでいないのでどういうものなのかはわかりませんが、この話とは全然別に、モラハラを受けていた方が不倫をしていたということはたまに聞きます。大抵は「夫のモラハラを相談しているうちにそういう関係になった」というものです。

もしこれを私に相談されたら「そういう気持になってしまうのはわかります」と言うでしょうが、司法の場でこれは通りません。そして司法の場と言うのは男性の不倫よりも女性の不倫の方が何倍も重要視され、嫌悪されます。これは男女差別だよなぁと思いますが、ともかく現状はそうです。

さらに行政が不倫している方を「夫に見つかって怖いからシェルターに入りたい」と言われたら、どうするだろう。支援できるか。さて、そこが分かれるところでしょうね。

言うまでもないですが、たとえモラハラがあったとしても不倫は圧倒的に不利になります。下手をすると子どもとも会えないということにもなります。心が弱っている時に男性に相談するのはお止めになった方が。。。と老婆心ながら思います。

「モラル・ハラスメントのすべて」は台湾の文字で読めますので、モラハラってなんだろうと思われたらご一読ください。

人生は思い通りにいかないもの

こちらの続きです。

私がいたところは、会社の名前を言うと「わぁ、いいところに勤めていますね」と言われるような大きな組織で、福利厚生も退職金制度もしっかりとしていました。定年退職まで勤めたら、充分な退職金と年金で、趣味三昧の悠々自適な生活ができると思っていました。なぜなら先輩たちがそうだったから。

ところがいきなりやってきた社会変化に翻弄され、働き方も、収入も、大きく変わっていきました。それについていけない人は自ら辞めるか、辞めさせられる方に持って行かれました。いつもいつも誰かが辞めていく。

青春時代、花の〇期女子と仲よく遊んだ友人たちが、青白い顔をして、「この先、どうしようか」とため息をつく。

とはいえ、女性は生活をどうしようかという危機感は男性に比べてなかったと思います。なにしろPCを覚えるよりも退職を選ぶような安定した収入が夫にあるのでしょうから、それほどせっぱつまったものではなかったのでしょう。

配偶者が看護師や美容師などの資格を持っている男性は、他の男性陣から「いいなぁ」と言われていました。

女性たちは「嫌になったら辞める」「どっかでパートでもする」というのがランチでこの話題が出た時のいつもの締めくくりの言葉でした。

それもなんだか深窓の奥様方の、世間を知らない言葉のように思えました。私のママ友はみんな必死で夜昼働いています。夜9時過ぎにどこかの事務所の掃除に行く人。コンビニのお弁当を流れ作業で作っている人。ホテルのベッドメイキングをしている人はいつも腰痛に悩まされている。この職場がいかに恵まれているか、わかっているのかなと思いました。

何より私は子どもを育てていかなければならない。主生計者として生活費を稼ぎ、子どもの学費を何としても稼がなければならない。年齢も高くなり、東京と違って働くところがない地方で、今と同じ条件の職場があるとは到底思えませんでした。

意外だったのは、遠くに飛ばされた人たちで、男性は当然のように単身赴任をしていましたが、女性も同様に現地に部屋を借りて単身で暮らした人が多かったことです。あんなに簡単に辞めるわと言った人たちが単身赴任をしたのは、子どもが成人だったこと(いかに就業年齢が高かったかわかりますよね。辞めさせたくなるわけだ)があります。

しかしそれも長く続く人はおらず、結局キレて辞めていきました。

あの80年代、きゃぴきゃぴと楽しく働き、将来の不安なんかなかった時代。そのころに思い描いていた人生の終末期を送っている人は誰もいません。誰ひとりとしてこの未来を予測できた人はいません。もちろん私も。

思い通りの人生なんかありません。10年後も20年後もわかりません。だから不安と不安と唱えるよりも、その不安に対してどうするかを考えた方が、ストレスが減ります。それが生きるかどうかはわからない。でも、大抵やったことが全部無駄にはならないことは、今までの経験でわかっています。

そして避けきれないものは受け止めるしかないこともわかっています。

そういうもんなんだなぁとわかっただけでも、年をとったかいがありました。

先のことは考えない

こちらの続きです。

この中にあるように、私にはいつリストラ対象になるかもしれないという不安がいつもありました。上層部に「コネ」のある人はその不安はないでしょうが、元々そんなものはない、その他大勢のひとり。とても不安でした。

ところが同僚たちにその不安の話をしても、あまりピンと来ていません。「辞めさせるときに遠方に転勤させるのは常套手段なんだよ」と言っても、「まっさかぁ」とまったく現実感がない。

新聞やネットには絶対に通勤不可能な場所に転勤をさせられたという話はごまんとあるのに、「そんなひどいことするわけがない」と言う。あったとしてもそれはオトコにやることで、オンナにやるわけがないと思っている。

なぜそう楽観的に「あり得ない」と言うのか、本当に不思議でした。私が心配性すぎるのかもしれないけれど、とにかくその時のための準備はしておこうと思っていました。

そして月日は流れ、職場も昔のようなのんびりしたものではなく、効率優先、成果至上主義があっという間に入ってきました。その間10年ほど。10年間で職場の雰囲気はまるで変ってしまいました。

日中ゆったりと仕事をして、残業代を稼ぐというようなことはできなくなりました。私は元々18時30分にはテーブルにごちそうを並べておかなければならない生活でしたから、残業はありません。前任者が「繁忙期には24時を回らなければ帰れない」という内容の仕事も、PCをフル活動させて定時に帰っていました。

職場にはPCを使わなければならない仕事がものすごい勢いで増えていきました。「PCを覚えないと後で困るよ」と言い続けていた私に「その時になったらやるから」と嫌な顔をしていた人たちはPCを使いこなすことができず、結局次々と辞めていきました。

PCを覚えるより辞める方を選ぶという、配偶者にも自分にも余裕のある奥様たちが多かったということです。私にはそんな選択肢はない。とにかく働き続けること、何としてもこの職を追われないようにすること、そして追われた時のために資格を取ろうかと考えていました。

そして私の心配通り、上層部は辞めさせたい人たちを遠方に飛ばし始めました。小さな子どもがいる女性も対象になりました。予想は当たり、「夫が大きな会社や公務員で生活が安定している人」が優先的に選ばれて飛ばされました。優秀であろうがなかろうが、ともかく人員整理をしたかったようです。

ところが幸か不幸か、その時私はすでに離婚をしていたので、この優先順位からははずれることになりました。さすがにシングルマザーを遠方に飛ばして辞めさせるのは人道的ではないと思ったのかもしれません。