母のリップサービスは立派

施設にいる母とはできるだけ会わないようにしていますが、片道2時間と、行って行けない距離ではないので、2、3カ月に1度程度は行っています。以前は月イチでしたが、今年のお正月にバトルをしたため期間延長になりました。

いつもは母のお気に入りのサイゼリアで食事をするのですが、ひどい暑さなので私がミニキッチンのある母の部屋に行き、ちゃちゃっと料理をして一緒に食事をしました。

目新しい話題と言えば、弟一家がコロナになったということ。私は一昨年コロナ罹患。母はまだです。弟一家のコロナが心配だというので「普通の風邪と変わりないよ」と言うと「お前の時は熱はでたのかい?」と聞く。

「出たよ、3日くらい」「3日も!そんなに!大変だったねぇ。私がこんなんでなかったら看病しに行けるのにねぇ。。」

# あのーー、私、小さい頃は別にして、中学生以降あなたに看病してもらった経験、ないんですけど。

母は「言うだけタダ」とばかりに「沢山お金をあげたいけどお金がない」「看病してあげたいけど今は無理」と「口だけサービス」の人です。

生まれが商家の娘のせいか、おせじが上手。大きな声で高らかに「まぁ~~~~、どこの女優さんかと思ったら娘さん?!!ま~~~、きれいだこと~~~~!!!」

「〇ちゃんは子どもの時から頭が良かったものね~~。ちょっと他の子とは違うと思ってたのよ~~!」

などということを次から次へと心にもないことが口をついて出ます。そしてその当人と離れた後、「ああ言っとけば親だって面白いだろ。まさか本当のこと言えないじゃないか」とあっち向いてほい。

もちろん言ってはいけない本当のことはありますし、彼女のヨイショはむしろ人間関係を円滑にするよい習性だと思っています。あちこちで毒を吐くおばあさんより100倍優秀。

ただ、この裏表ある習性を小さな頃から見ている私は、人とは二面性を持つものだとしっかりと心に刻んでしまいました。だからそんな母にたまに褒められても「何か魂胆がある」と思ってしまいます。

#だってそういう人だもの

家の跡取りの男が全財産を受け継ぐのは普通

こちらの続きです。

相続のご相談でよくあるのは「兄(弟)が全財産を受け取ると言っている」というものです。ただ、私が受けたご相談では母親はこの兄弟一家と同居しているので、「兄(弟)が財産の多くを受け継ぐのは仕方がないと思う。でも、少しくらいわけてくれてもいいんじゃないか」というものでした。

母も兄(弟)一家の世話になっているので、まったく味方になってくれないとのこと。「その家の財産は長男がすべて受け継ぐ」というのは今から77年前に消滅したはずなのですが、21世紀の今日もまだ生きています。

もちろん「虎に翼」にもあったように「遺留分請求」というのを裁判所に申し立てると、離婚と同じように調停になり、そこで遺留分金額が計算されて親の財産を手にすることができるのですが、これをすると家族は崩壊します。

どこの世界にきょうだいが財産欲しさに裁判所に訴え、それが終ったらニコニコとまたきょうだいに戻れるでしょうか。これをするにはきょうだいはもちろん親戚との決別が必須です。

その財産も億を超えるようなものならば私もやりそうな気がしますが、いただけるものが数百万以下だったら、親子きょうだいの縁を切ってまで申し立てるかは疑問です。

男きょうだいは当然のように「全部オレのもの」と言う。親もそれが当たり前だと言う。これが長男が親の面倒をみておらず、娘が面倒をみている場合はどうでしょう。親の面倒は娘がみているから男兄弟は財産はなしになるか。

ちょっと想像できません。「ちょっと太郎にも少しわけてやらないと」と親が言い出すような気がします。やっぱり法律は法律、感情や慣習は粘り強く残っていくのではないかと思います。

イエというもの、血筋というもの

その昔、従妹の結婚式にお呼ばれしたことがありました。従妹が住むのは父の実家でもある山奥です。披露宴は宴会旅館のようなところで、50畳以上はあろうかという広い畳の部屋いっぱいにお膳が並んでいました。

私の名前が書いたお膳を見つけて座ったのですが、一緒に招かれた母がおろおろと私にやってきて「私の席がないんだけど」と言います。「え?」と不思議に思って一緒に探したのですが、やはりない。

叔父に「母の席がないんですけど」と言うと、

「女の席はないよ。披露宴の時は酌婦をやって、それが終わったらちゃんと料理は用意してあるから」と言うではないですか。

さすがに私も母もびっくりしたのですが、母と同じ立場のおばたちは、当たり前のように宴会の用意を手伝っています。同じおばでも父の兄妹は席があり、いわゆる「嫁に来た」女性は酌婦なのだそうです。

「早智子さんは血が繋がっている大事な人だからお膳を用意してあるんだ」

嫁は目上でも他人、子どもでも血が繋がっていれば大事な親族。ここまではっきりした区別をされたのは初めてで、村で暮らしたことのない私と母は口をあんぐりするばかり。

そういえば、まだ元夫と夫婦をしていた頃、あの家はよく親族が集まってくる家でした。ただ、嫌われ者の義父の親戚は見たことがなく、集まるのは義母の方だけ。6人きょうだいの義母ですが、それがとても仲がよく、GW、お盆はいつも大賑わいでした。

よく親族が集まったりするのを嫌う人が多いですが、この親戚の方々はとてもよい人たちだったし、親戚が来ると夫は機嫌がよく外面なので、嫌な思いはしたことがありませんでした。それでも大勢の親戚の中にいるとふと、「この中で血が繋がっていないのは私だけなんだなぁ」と思うことはありました。

子どもは私の子だけど、夫の血も混じっている。だからこの血族の一員。一滴の血も混わらない私だけがこの大勢の中で他人。ヨメという立場は大きなイエという血族の中で、ひとり孤独な立場の人間なんだなぁと毎度思っていました。

それが相続となると、今は法改正によって1/2が配分されるようになりましたが、これとてそのまま適用されているかは疑問です。

私は相談員でしたのでありとあらゆる相談を受けてきましたが、相続に関することも多くはありませんがありました。その中身は概ね兄、弟との遺産配分のもめごとでした。

>>>続く

「虎に翼」に見る遺産相続の変遷

私は今、朝の連ドラを2つ見ています。ひとつは今シーズンの朝ドラ「虎に翼」、そしてもうひとつは再放送の「オードリー」です。「オードリー」は一山超えたところで、「虎に翼」に興味が移ってきました。

「虎に翼」は実在した日本で最初の女性裁判所長三淵嘉子さんがモデルのドラマですが、何週か前から裁判官として調停にも出席しています。

その中で、元法学部の同期、梅子さんの夫が亡くなったのですが「遺産はすべて妾に渡す」という遺言書を残していたため、その財産相続で調停に持ち込まれた事件を寅子が担当することになりました。

その調停の中で「妻が1/3、残りを子どもが人数で割る」というのがありました。

「そうかー、この当時は妻が1/3だったのね」と、ふむふむ。昭和20年代のことです。調べてみると昭和22年まではその家の長男が遺産の全部を受け継いだのですが、法改正で妻が1/3ということになったようです。

なぜそれまで妻に遺産が行かなかったのかというと、それまでの日本は家制度。家族は家を守るための存在で、その最たる責任者は長男の役目だったのです。長男は嫁を取り、子どもを作り、母親のめんどうは全部長男がみるのだから、妻(母)にお金はいらないだろうという考え方だったのです。

ところが戦後に法改正があり、家制度は取っ払われ、妻に財産が渡るようになりました。ですが、ドラマの中で調停委員がため息まじりに「財産は全部長男のものだという訴えがとても多いんです」と寅子に告げます。

法律が改正されたからといって、それまでの風習、慣習がはいそうですかと変わるわけではないのです。

>>>続く

そもそも養育費を払っていない親に親権はない

2年後に共同親権が施行されることにあり、この業界でも不安の声があちこちから聞こえてきます。ただ、あの国会の中で繰り返し述べられていましたが、親権者になるためには養育費の支払いが絶対に必要です。

養育している側は当然養育にお金がかかっていますので、支払い済み。監護していない方が養育費を払わなければなりませんが、現在、養育費を支払っているのは24.3%と言われています。残りの7割強の人には親権者として必要条件が足りません。

のこのこと「3年前に離婚したが、共同親権になりたい」と裁判所に来ても、「支払っている証拠を見せてください」と言われ、支払いがなければ門前払いです。

もし「生活に余裕がなくて払えなかった」というなら、その生活に余裕がない証拠が必要です。

「別れた夫が共同親権を申し立てたらどうしよう」と思っている方で養育費をもらっていない方は、夫が資格がありませんので安心しましょう。

ただ、養育費をもらっているが、共同親権は避けたいという場合は、DVの証明が必要になるかもしれません。

国会では簡単に「DVは別、DVは別」と大安売りしていましたが、どうやってDVの証明をするのかが問題です。

「言ったもん勝ち」であれば、これは男性からも「妻から精神的DVを受けた」という申告がやってきそうです。証拠がないモラハラはどうするのか。

「証拠がないからといって認定しないというわけではない」と言うならば、たくさんのDV被害者が誕生しそうです。私は電話相談を受けていて、「これはモラハラじゃないなぁ」というケースもたくさん伺ってきました。

でもご本人はモラハラだ思って私に相談しているわけです。DVというより「話し合いができそうにもない夫婦は単独親権」というようにした方がいいのではないかと思ったりします。

お正月にひっそりと放送されていた「母娘問題再現ドラマ」

今年の1月1日の深夜、正確には1月2日の午前に、とても重い内容の番組が放送されました。

2024年1月1日深夜1時05分より、『日本怪奇ルポルタージュ』(テレビ東京)
この放送の元になったのは『母という呪縛 娘という牢獄』というルポルタージュです。

『母という呪縛 娘という牢獄』

この事件は2018年滋賀県で医学部を9浪した娘が母親を殺し、バラバラにして捨てたというものです。

「娘が母を殺した」

「バラバラにして捨てた」

「娘は医学部を9浪していた」

というワードが非常に興味をそそったのか、このルポルタージュは重版を重ねたベストセラーになっているそうです。私が昨年夏に図書館に予約したこの本の待ち人は現在49人です。

私も事件当時はネットニュースなどを見ていたと思いますが、それほど重要な追記事がなかったのか、そのうちに忘れ去っていました。

とある母娘関係の研修でこの本が取り上げられ、事件の真相を知ることになりました。

医学部進学は母の望みであり、その期待に応えるべく娘は努力をしましたが合格することができず、その結果として9年間浪人をしていました。

番組の中ではこの母娘の奇妙な生活が再現ドラマとして放送されました。特に壮絶なのは娘の成績が思うようなものでなかったときに、金属の棒で娘の体を叩いていた、しかもその数は合格偏差値と実際の偏差値の差の数分だけた殴打していたというものです。

偏差値72が合格点で実際が65だったら7回殴打する。60だったら12回殴打する。

最初は掃除機のパイプで叩いていたのですが叩きすぎて割れてしまい、金属の棒に変わったというなんとも壮絶な話です。娘は必死に母の期待に応えようと勉強もしたし、家から逃げたこともありましたが、結局連れ戻されてしまいました。

番組にはこのルポルタージュの著者も出演し、解説を加えていました。この事件の内容につきましてはこちらに詳しく書かれています。

https://gendai.media/articles/-/122081?imp=0

講談社ホームページ

私はまだこの本を読んでいないのですが、なぜこれほどまでに母親は娘の医学部進学に狂気のように固執したのか。

殺された母親の実母はどういう事情なのか、いつ頃の話なのかわからないのですが、母親の実母はアメリカに渡り、歯科医師と結婚しています。つまり母親は実の母から育てられていせん。

ただ、絶縁したわけではなく、歯科医師という高額所得者と結婚したので裕福だったとみえ、娘の家を建てたり、生活の援助も、孫娘の進学にかかわる教育費も出していました。

「アメばあちゃん」と呼ぶ祖母に孫娘は電話をしたりしていますので、密接につながりがありました。

娘を置いてアメリカに渡った母。置いて行かれた娘。

どのような事情でそうなったのかはわかりませんが、母に認めてもらいたいという気持ちが人一倍大きかったのではないかと思うのです。

孫娘が医学部に入学し医者になれば、母を喜ばせることができる。自分を認めてもらうことができる。

それは母に対する狂おしいほどの思慕だったのではないかと思うのです。

祖母が殺された娘に対してどのように接していたのかは出てこないのでわからないのですが、もしかしたら娘が思うほど孫娘の進学に強い熱望はなかったのかもしれません。

置いてきてしまった娘の願いをかなえたいと、置いてきてしまった罪悪感の埋め合わせのように援助を続けていたのではないか。娘はただひとりで空回りをしていただけなのではないか。

そんな気もするのです。

教育虐待は主に父親から息子へあるものですが、この事件は母から娘へでした。ただ、父親から息子へのものが果しえなかった自分の夢を叶えたいとか、息子が将来学歴でこまらぬようにというようなものとは違い、ただ、母に愛して欲しい、認めて欲しいと恋焦がれた末のものだったのではないでしょうか。

祖母、母、娘という3人の女性の様々な思いが引き起こしたこの事件。

お正月の深夜に放送されるにはあまりにも重い事件でした。

この頃お気に入りの言葉

最近お気に入りになった言葉があります。

「たいていのことは 後になればみんな笑い話」

モラ夫からモラモラされても、後になればお茶を飲みながら笑い話にできます。

モラ夫にされたことはもう乗り越えているけれど、母から言われたことはまだ未消化のまま残っています。夫とは別れて勝利しているけれど、母はまだ生きていて、母はその言葉を覚えていないし、言っても反省はしないだろう。

母が死んだら、言われたいろんなことは笑い話にできるんだろうか。

親が衰えると子どもが優しくなる

同年代の友人と話していたら、「うちの下の子は、以前は絶対に一緒に暮らすなんて不可能なくらいキツイ子だったんだけど、40歳近くなるとなんだか急に優しくなったのよね。他の人に『親も年だからさぁ』なんて言ってるのよ」と語っていました。

そうか、親が年をとると子は優しくなるのかとは思いましたが、私は年を取っても母に優しくはないです。ただ、離れて暮らしているので、たまに会った時は優しくなります。

2時間のガマンと思うと、「これ、好きだったでしょ」と好物を買っていくこともできるし、母親の自分勝手な話にも(嫌々)つきあってあげることもできる。

これが一緒に住んでいたら、まー、無理ですね。そしてこれは私が冷血だからというわけでもなさそう。

友人が母親と旅行したというので、「日本一周のクルーズなんかどう?」と聞いてみたら、「母とは2泊3日まで、それ以上は無理」と全員が答えました。

どこの家でも母親と離れて暮らしている場合はせいぜい2、3日ならもつけれど、それ以上は無理というのが全員のお答えでした。

離れている子は優しいのです。そして親が子を思うほど、子は親のことなんか思っていません。だから親が年を取ったから子が優しくなったわけではなく、離れて暮らしているからそういう気持ちになるだけ。

親は子に捨てられてなんぼのもの。捨ててもらわないと、一人で生きてもらわないと困るのです。

ああ、それなのにうちの親はいつも親のことを気にかけてほしいと望んでいるようです。もし私が借金苦で困っていたら、すたこら逃げて電話にも出ないくせに。

もし親がすがりついてきて困っている方は、「借金があって困っている。助けて」と言えばさっさと向こうから離れてくれますよ。

共同親権と養子縁組のこと

今の単独親権から共同親権に舵を切ることになった法制審の話し合いは続いているものと思われます。

今回共同親権の意見書を出すときに知ったのですが、養子縁組についても議論になっているとのこと。子どもと一緒にいる(監護親)もそうでない親も共同親権になれば親権を持つわけで、親権者が自分の子が誰かの養子になるのを知らないままではいけないだろうという話です。

DVではない場合はそうだなぁとは思います。自分の子が誰かよその人の子になるのにまったく何も知らされないのはちょっとどうかなぁとは思います。

ただ実際問題として、一旦離婚した相手と密に連絡をとっている元夫婦はどれくらいいるものなのでしょうか。養育費の支払いが2割程度なので、8割はまったく音信不通かそれに近い状態なのだとすると、その音信不通の親にどう伝えるのかという話になります。住所を知らない相手に「あなたの子はどこかの第三者の子として育てられます」をどう伝えるのか。

「え!!嫌がらせをされるのでは」と思うかもしれませんが、養育費を支払っている場合は養子になると養父が第一義務者になりますので、第二義務者の実親は養育費を支払う義務がありません。もちろん自分の子どものことですから、払いたいと思う人もいて実際払っている方もいると聞いていますが、法律上は払わなくてもOKです。

実親には違いがないから、やっぱりそれは払って欲しいなぁと思う場合は養子縁組をしなければいいだけです。または子どもが誰かの養子になったことを教えなければいいだけなのですが、もしバレてしまった場合は相当反感を買うだろうなとは思います。

これは個々の家の事情や考え方なので、どれが良いということはできないのですが、だから法制審でももめているだろうなとは推測できます。

「小説8050」から思い出すエピソード

林真理子さんの「小説8050」は、50歳のひきこもりの子どもを80歳の親が養うという、8050問題にフォーカスした小説でした。

外からみたら幸せに見える4人家族には秘密があった。それは医学部を目指していた息子が7年間部屋に引きこもっているということである、というのがこの小説のプロローグでした。

あああ、と思い出したのは遠い昔のこと。

義母がとても仲良くしていた隣家に住むご一家は家を建てて同じ市内に転居しました。遠時はまださほど手がつけられていなかった郊外に広い土地を買い、その土地が値上がりし、銅板きの大きな家に住んでいました。

妻の方は体も豪快でしたが、こういった投資的なことも豪快で、裕福な生活をしていました。ふたりの子どものうち、上の子は大層勉強のできる子で、「将来は弁護士」の期待をかけていました。

豪邸に転居してからも、義母は時々この家に招かれましたが、義母の家から少し離れた郊外にあったので、家族の中で唯一車の運転ができる私が送り迎えをしていたりしていました。

そんなある日の朝突然に「XさんとこのAちゃんが縊死(この言葉ではないですが、結構ショッキングな単語なので言葉を変えました)したって!!」と義母から電話がありました。

「え??!!」と驚いたのは、その「XさんとこのAちゃん」とは何者ぞやが??を沢山つけて頭の中を駆け巡ったからです。

仲良く行き来をさせていただいていましたが、Aちゃんという名前が出たことはほとんどないので、いったい誰が縊死したのかが一瞬わからなかったのです。

ともかく職場に半日休暇の電話を入れて、義母を車で迎えに行きXさん宅へ向かいました。いったいAちゃんはどこにいたのか、なぜXさん宅で亡くなったのかという私の疑問に義母は「たぶんあの家のどこかにいたんだろうねぇ、私は見たことはなかったけれど、来客が来ている時は出てくるなって言ってたのかもしれない」と答えました。

Aちゃんは有名私立大学を卒業後、弁護士を目指していたけれど願いはなかなか叶わず、県庁や地元マスコミなど有名企業を受験するも、

「一次は受かるんだけど、どこも面接で落ちるんだって」

「よっぽど暗かったんだろうねぇ」

司法試験を受け続けていると聞いていたけど、こんなことになるなんてと義母も顔を曇らせました。

Xさん宅に着くと子どもが縊死したとは思えないほど明るく迎えて下さり、「さぁさぁ奥へ」と案内され、「早智子さん、Aの顔を見て行ってくれる?」と言ってくださったのですが、ごめんなさい、「ひぇーーーー」と心の中で叫び、生きている時に一度も会ったことのない人の縊死顔はとても見られないと(当然口には出さず)お断りしました。

Aさんは司法試験を受け続け、疲れ果てて亡くなったのかもしれません。

「あのお宅が隣に住んでいた頃、よく『そんなことでどうするのよーーー!』というXさんの怒鳴り声が聞こえてたわ」

親の期待というプレッシャーの中、彼が選んだのは縊死でした。

Aさんのお葬式の読経で、「○○大学法科を出て」と卒業した大学名が入っていました。「お経に出身大学の名前が入ってたのは初めて聞いたわ」と友だちに言うと、「きっとお母さんが頼んだんだよ」と。

Xさん、子どもが縊死した後も、子どもの大学名を参列者に知らせたいと思ったのか。

現在受験期で、受験生がいるお宅は大変だと思います。子どもの受験に親がウロウロしてどうするとか、子どものことは子どもにやらせろとか、様々なことを言う人はいますが、私も同じ道を歩んできましたので、受験生の親がどうにかなるというのはよくわかります。私もどうにかなっていました。

私は自分の受験の時に母からひどい言葉を投げつけられたのを今も忘れません。受験生は外からどう見えようと、神経をすり減らして精一杯やっています。志望校に落ちたからといって人生が終わるわけではない(わかっていても終わりそうな気がするというのもわかります)、ここは少し冷静に、少なくとも子どもに「この言葉は墓場まで持っていく」と思うような言葉は使わないようにしたいものです。