私は女の味方ではありません

NHKの朝ドラ「虎に翼」の中で、寅子は女性初の裁判官としてラジオのレギュラーも持つようになり、とても有名になります。特に女性の間では「女性の味方」として絶大な人気を誇るようになりました。

そんな時、浮気をした妻と離婚しようとした夫が調停を申し立て、寅子の担当になります。妻は「ちょっとくらいいいじゃない、女は寂しくなる時だってあるのよ」「あなたは女の味方でしょ」と言います。

寅子は「不貞行為に男らしいも女らしいもありません」と夫に謝るようにいいますが、逆切れした妻が調停室を出ていきます。

私もモラハラに女だから男だからはないと思っています。加害者が男だろうが女だろうが許せないものは許したくありません。ただ、やっぱり女性は社会的に弱者の立場であることが多いので、そのあたりはそれを含んで考えていきたいとは思っています。

世の中には妻が浮気をした場合、夫から出ていけと言われたら、子どもを連れて出ていくでしょう。離婚になったらそれまで築いた財産は半分になります。もらえるかどうかわからない退職金さえその時にいくらもらえるかで換算し、半分妻に渡さなければなりません。

財産は半分になり、子どもとは引き離されるという苦難の道がありますから、離婚を言い出さない(言い出せない)夫は沢山います。妻が精神的に不安定な場合も、妻が連れて出た後の子どものことを考えると離婚をしない(できない)夫はたくさんいます。

妻が精神的に不安定なのは夫のモラハラのせいということも多いでしょうが、妻が元々持っていた気質によるものも少なくありません。

実際私の母が偏った思想や被害者意識満々でいまだに生きているのは不幸な生き方でしかないと思っています。私が女である母の味方をしないのは共感できないからです。

母はとても狭い領域の考え方しかできなかった。「昔の人はみんなそうだった」といいますが、「みんな」「そう」でしょうか?そうではない人も沢山いるではありませんか。

味方をするとかしないとか性別で区別するのではなく、寅子も言っているように「弱い人、困っている人の味方」でありたいと私も思っています。

ただ、ドラマに時々登場しますが、嘘をついて同情をかったり、女を売りにする人たちとは距離を置きたいと思います。

夫はATMだと思うことにします

先日「自分はATMにされている」というネット記事を見つけました。これは妻に去られた夫たちも「元妻からの連絡は全部金の要求。子どもの様子を知らせるとか、そういうことは何もなく、ただ金寄こせだけだ」と言います。

夫をATMとしか思っていない妻たちはたぶん日本の家庭ではかなりの数を占めると思います。ATM以外に使えるのは運転手や家電の設置、大工仕事でしょうか。

若い世代では抱っこひもで子どもを抱え、両手にスーパーのレジ袋を持っている人もたまにいます。ただ、それも「そのようになってきている流れ」といった状態で、地方では車で移動するので、こういう光景はないでしょう。

地方では女性もほとんど免許を持っていますから特に男性の力は必要ない(いればそれなりに労働力になりますが)。最後に残るのはATM機能ということになります。

ただ、男性たちが「毎日必死で働いている夫をATMとしか思っていないなんて、嘆かわしいことだ」と言っているのを見ると、それはちょっと違うのかなと思います。

妻だって夫と愛し愛され、慈しみあいたいと思って結婚したのに、ワンオペ育児と家事でへとへとになり、会話もない夫の存在価値はもはやATM機能しかないのだからそう言っているだけだろうと思います。堂々と威張って「ATMだと思ってるのよ」というわけではなく、「ATMだと思うしかないじゃない」と諦めと悲しみの吐露なんだと思います。

もっとも夫も妻は家政婦機能の存在だけだと思っているかもしれませんが。

思っても言わないのは思っていないと同じ

わが母は思ったことを全部口に出す人です。

そもそも僻みっぽく、被害者意識が強く、勝ち気で負けず嫌いの母ですから、言いたいことが言える相手には容赦はありません。

それなりに社会性はあるので、出してはいけない相手には出しませんが、身内のものには思ったことを全部口にします。

ふと今年のお正月に「あの時こういうことを言われた」と言ったところ、「そんなことは言っていない!」と断固否定。

昔言われたその言葉は今も私の心にぐさぐさと刺さったままなので、母の顔を見ると出てくるのですが、93歳の彼女は認知症でもとぼけているわけでもなく、完全に自分が言ったことを忘れ去っています。

「思ってもいないことを口にしてしまった」とは言いますが、思っていないことは口には出ないでしょう。思っているから口にでる。

正確に言えば「マナーとして口にしてはいけなかったことだが、つい口がすべってしまった」ということかもしれません。

思っていてもそれに相手が気づかなければ思っていないのと同じです。普通に生きている人たちが思っていることを全部口にしたら、もはやこの世はおしまいです。コミュニケーションも何もあったものじゃない。

思っていても口に出さなければ思っていないのと同じ。

世の中は平和に過ごせます。

離婚理由は「夫の介護をしたくないから」

50代以降の方のお話を伺うと、多く出てくるのが「モラ夫の介護はしたくない」です。モラハラでなくても介護をしたくないから離婚するという方もいます。

今まで散々家の中で帝王のような暮らしをしてきた人たちは、介護が必要になったら当然妻がするものと思っています。

ただ、私の周りではこの頃妻が介護が必要になった方が続いています。アルツハイマーになった、病気がきっかけで寝たきりになったなど、風邪の介護レベルではないものがあります。

夫たちは夫婦の介護と言えば自分が介護されるとばかり思っているようですが、実際はそうでもありません。ですが、モラ夫を介護するのも嫌だけど、されるのはもっと嫌という方も多いでしょう。

本当に介護が必要な状態になったら、お金がなくても行政が面倒を見てくれます。遠慮しながらモラ夫から介護されるよりも、頭を下げて他人から面倒をみてもらった方がいいと私も思います。

アスペルガーアラウンドのSORAさんがご夫婦で登場

「うちの夫はモラハラで」と仰る方の中で、夫がASDの場合が非常に多いと感じています。

ASDと一緒の空間で暮らすとモラハラ被害者と同じような症状になります。ASDは人の気持ちを汲み取るということができませんので、見える部分では「人の話を聞かない」「自分の意見を押し付ける」「相手を尊重しない」「自己中」、経済観念がありませんので「自分の好きなものにはお金を使うが、家族のためにお金を使わない」といったモラ夫現象がでてきます。

とてもこういった人と一緒に暮らすのは困難です。そして周りが被害者の言うことを信じてくれないということから、ギリシャ神話の予言者「カッサンドラー」から名前をとって「カサンドラ症候群」と呼ばれるようになりました。

外面のいいモラ夫に周りがみんな騙され、妻の言うことを信じてくれないのと同じです。

そのASDの夫とご夫婦のSORAさんは、カサンドラから脱出するためにはどうしたらよいかというサイトを立ち上げたのが「アスペルガー・アラウンド」です。

今はご夫婦とも中年期を過ぎてらぶらぶのお二人ですが、そうなるまでには壮絶な戦いがあったとのこと。

おふたりのトークイベントなどにも参加させていただいておりましたので、事情の方は大体知っていましたが、心が通じ合わなくても生活することはできるというお手本のようなおふたりです。

特に興味をひいたのは、SORAさんが相手に何も求めていないこと、幸也さんの愛はないけど好きですという感覚。

記事はこちらです

ASD夫との特別な関係が書かれています。ご一読くださいませ。

経済観念は本当にひとそれぞれ

相談員をしていた時、とても気を使ったのは相手の経済観念と私のそれがとても違っている時に私の感じ方を押し付けないようにすることでした。

経済観念はその人の生きてきた結果なので否定はできません。でも「お金がなくてとても困っている」状態を伺って、口あんぐりの時が時々あります。

新聞に貧困女子の話が載っていたことがありました。

「収入が少なくて貧困にあえいで、食べるものがない」「水もドラッグストアで買う」というのを見てびっくり。

「食べるものがないのに水はペットボトルを買うのか?」「水って水道をひねると出るのではないか?」

どうも今の方たちは、水はペットボトルやウォーターサーバーから出るものと思っているようです。海外では水が硬水だったり上水施設が貧弱だったりして水を買って飲んでいますが、日本は軟水だし上水設備もよいのでこれを飲んでも体に影響しません。

と言っても生まれた時からペットボトルの水しか飲んだことがなければ、蛇口から出る水は飲めないということになる。そして「水をドラッグストアで買うくらい貧乏なんです」と言われると困ってしまいます。

お金の価値や使い道は本当に人それぞれでなので、一概にあなたが間違っているとは言えないのですが、これを役所で言うと「冷たい」と言われるのでぐっと飲みこみます。

ただ、生活保護を扱っているようなところではしっかりと「指導」されます。税金を払っている人が水道水を飲んでいるのに、生活保護家庭がウォーターサーバーでは理解が得られないからです。

私はずっと倹約をしてきているので、どうも一般の方と価値観がずれているなぁと思っていますが、60代以上の年金生活の方々の中にはもっとすごい生活をしている方もいるので、こっちはこっちでなかなか合わせづらかったしします。

ひとりでばったりの時はどうするかをふと考えてみた

先日同じ年のジム友がクモ膜下出血で倒れたと聞きました。もう大驚き!つい3日前、元気で動き回っていたのにまったくその兆候はなく、クモ膜下でICUだとは。

今日の状態では幸い順調に回復はしていて、ICUも出たとのことで一安心しました。ただ、クモ膜下出血の場合は、1/3は亡くなり、1/3は後遺症が残り、1/3は元通りになるのだとか。

一番問題なのは真ん中の「後遺症が残った場合」です。そして彼女は夫との二人暮らしなので夜中の急変も夫が救急車を呼んでくれたので大丈夫でしたが、私の場合は誰もいません。

友人はいるけど徒歩5分ほどだし、困ったなぁ。

さらに「頭が痛い」となって誰かに電話ができる状態ならいいのだけれど、いきなりばったりだったら困る。

同じ困りごとを母が言ったときは「それって寿命っていうんじゃないの?」と言い切った私。

今同じ状況になっていますが、母が心配なのは自分の命で、私が心配なのは死んだ後に体がとろけてしまった後処理のことです。

きっと子どもたちに迷惑がかかるだろうなと思うと、死んでもいいけど迷惑はかけたくありません。この話を友人にしたら「臭ってくるからわかるよ」って。。

私が異臭を放つまでとろけてしまうのもなんだかなぁ。

ネットをぐぐってみると、無料のアプリはいくつかありますが、一番現実的なのは電力会社と契約をして、電力消費がいつもと違う場合は電力会社から登録してある身内のところに連絡がいくというもの。

自治体にも無料や安価で登録できるものもあるようです。

子どもに「友人がクモ膜下で倒れて」の話をしたらきっぱり「ペットカメラをつけろ!俺が見る!」と言われましたが、気持ちはうれしいけれど、私にもプライバシーというものがありまして。。

という話を家族のある友人にしたら「うちだってダンナは単身赴任、子どもたちは彼氏の家、私も一人住まいみたいなもんよ」と言われました。

そうだなー。ばったり倒れた時うまく家人がいればいいけど、誰もいなかったら家族がいても頭に輪っかを乗せて天に上ることになるのよね。だったら緊急時、家族の有無は関係ないのかも。

とろける問題だけ残りますが。

赤松良子さんを追悼する

毎年今頃の季節になると、赤松良子さんの名前を確定申告の用紙に書きます。30年近く前から始めているユニセフへの募金を確定申告するためです。

クレジットカードの引き落としなので、毎月寄付をしているという意識はありませんが、子どもの進学や転居、転職で家の経済状態が切迫した時もやめようとは思いませんでした。

始めたきっかけはとある記事に「海外では障害を持っている子どもは他の子の災いを引き受けてくれていると言われている。だから海外では障害のある子どもを大切にしている」とあったからです。

同時に「不幸な子どもは他の子の不幸も背負っている」とありました。

自分の子が元気でいられるのはそういった子どもが災いを引き受けているから。だからそういう子たちへ感謝の気持ちとして私ができる範囲でしようと思ったのがきっかけです。

寄付額はわずか月額千円です。この千円がなくてもうちはご飯も食べられるし困ることはないからと思って始めました。

確定申告をするときにユニセフの住所と代表者の名前を書きますから、赤松さんのお名前は知っていました。90歳を過ぎても現役でお仕事をされており、男女雇用機会均等法の成立に尽力されたと略歴にあります。

以前調べた時は確か、男女雇用機会均等法は決して納得のいくものではなかったけれど、まず第一歩を踏み出すのが大事と妥協しての成立だったのだと記憶しています。

そうしてできた男女雇用機会均等法ですが、「入社時に総合職を選ぶか一般職を選ぶか」という選択肢を出され、総合職を選んだら残業も転勤も受け入れなければならないという大きな壁がありました。

当時は結婚、出産で家事や育児をほとんど担い、保育園も少なく、総合職を選んでも退職せざるを得ない状況でした。

男性は仕事と家庭の両立ができるけれど、女性は必然的にどちらか一方を選ばなければならない。これは今も続いています。

やれイクメンだ、カジダンだと言っても、妻と同等に家事・育児を行う男性はいまだに圧倒的に少数です。

#モラハラ男は論外

さらに現代、夫の収入が少ないので妻も働かなければならないようになりました。「あなたらしく」だの「女性にも活躍して欲しい」というのは労働力が不足しているから。労働力不足、少子化のツケが「女性も生き生きと社会で輝いて」ということになっています。

私は卒業してからずっとフルタイムで働いてきましたので、働くことは当然だと思っています。働きたくないけれど、嫌々働いている方も多いようですが、私は本当に働き続けてきてよかったと思っています。

赤松良子さんのご努力で、法律はできました。保育所も整備されています。ただ、大手の会社はそれなりに理解がありますが、中小企業はまだまだ。そして人の意識もまだまだです。それは男性も女性も両方です。

赤松さんが望まれていた社会になるまで、あとどれくらいかかるのでしょうね。

お正月の難はまだ終わっていない

1月4日から仕事始めの方もいらしたと思います。モラ夫と長い間過ごさなければならない年中行事のひとつがお正月ですが、12月28日頃か1月4日頃までの約1週間はいつ始まるかわからないモラ夫の怒号や、イライラなどに振り回された方もいらしゃるでしょう。

これをきっかけに無視が始まる場合もあります。ご相談を受けていて「無視が始まると胸がきゅーっと苦しくなってくる」「一生懸命ご機嫌をとってもまったくおさまらず、子どもたちもびくびくして小さくなっている」というお話を伺うと、私がモラ夫と同居していた頃を思い出します。

辛かったな~。本当に辛かった。

離婚のご報告を女性の上司にした時、「辛かった、辛かった、それしかないです」と言ったら、彼女は涙ぐんで「そっか、辛かったんだね」と自分の目元をぬぐいました。

なかなか難しい厳しい人でしたが、私の辛さをわかってくれました。こんなことがあったとエピソードを語ったわけでもなく、ただ「辛かったです」と言っただけで理解してくれました。

「辛かった」と言っただけで理解してくれる人は少なくありませんでした。いつもは明るくて頑張り屋の私が辛いと言うのだから、本当に辛かったんだろうとわかってくれたのかもしれません。

お正月が明けると女性センターの相談室が忙しくなります。ただ、4日、5日ではなく、その後に成人の日の連休が控えていますので、おそらく混雑するのは9日になると思います。

9日の午前9時には電話が鳴り、相談室に直接来られる方もいます。

「正月にケンカになったら出て行けと言われました」と肩を落としてこられる方がほとんどです。言われた後は判で押したように無視され、ずっと今まで口をきいていませんというのもみなさま同じです。

「出て行けと言われても出ていく必要はありません。あなたの家は夫だけのものではなく、あなたのものでもあるんです。あなたには家に住む権利があります。離れたいのなら夫に出て行ってもらえばいいんです」

多くは「そうですよね!」と仰るのですが、ムンムンと黒いオーラをまき散らしている家に戻るのは本当に気が重いだろうなと思います。

そしてその方たちは継続して相談室に来られることはほぼありません。なんとなくぎぐしゃぐしたまま、なんとなくまた元の生活に戻ったのでしょう。

これをいつも繰り返す。お正月、GW、お盆と年3回あります。

そして60歳を過ぎて「私の人生はいったいなんだったんだろう」「離れられるチャンスは何度もあった」「この年になったらもう無理」と、心の内を吐き出しに来られます。

離れた方で離れなかった方がよかったとおっしゃる方はまずいません。離れずに後悔している方のお話は山ほど伺いました。離れたら離れたでいろいろな苦労はありますが、みなさん、何とかやっておられます←その中に私もいます。

離婚しなくても離れるだけでかなり違います。今年はちょっとそれについて考えてみませんか。

今年もお世話になりましたー禍福は糾える縄の如し

「かふくはあざなえるなわのごとし」は、あまり幸福ではない時にぽっと頭のなかに浮かびます。今は幸せと思えない時でも、いつかは糾える縄のように幸福がやってくるかもしれない。

幸福という縄と不幸とい縄がよられて一本の太い縄になります。これが幸福だけの縄だったら幸福は幸福でなく当たり前。

不幸があるから幸福を感じられる。

不幸の度合いが大きければ、小さな幸せがものすごく大きな幸福に感じます。不幸だったからこそ幸せが感じられるものです。

「えーーー、そーゆーのやだしー。幸せだけの方がいいーーー」とZ世代からは言われるかもしれませんね。

でも60年以上生きてくると、やっぱり「禍福は糾える縄の如し」だと思うのですよ。いい時もあればそうでない時もある。そうでない時におろおろせずに達観できるような人が大人だなぁと思います。

60年以上生きていますが、まだ大人になれていないのがお恥ずかしい。

今年もお世話になりました。

まだモラ夫と生活している方たちは辛い時期になりますが、来年こそ人生がひらける出来事がありますよう、願っています。