選択的男女別姓を強烈に嫌がる人

その男性は本当に虫のすかない人なのですが、仕事上つきあわざるを得なく、しかたがないので上っ面だけ仲良くしています。あまり頭の良い方ではないのですが、ご自分は有能なつもり。

当初より私を見下していますが、私の今までの職場体験ノウハウにより、とりあえず表面上は何とか付き合っています。

その方が「夫婦別姓を法律で決めるなんてとんでもない!」と言い出しました。「大体家族が別の姓にしたら家族じゃなくなるじゃないか!一緒の姓だから家族なんだ」と仰います。

「私の友人で子どもと親の姓が違う人はそこそこいますが、特に問題ないようですよ。今は学校でも職場でも戸籍姓と通称姓の使い分けを認めてます」と言ったところ、「そういう使い分けができるんだから、戸籍まで変えることはないだろう」とのこと。

#普段使いは許すが、戸籍はまかりならんということらしい。

「そういうやり方ではあっちで手続き、こっちで手続きして、さらにあっちとこっちの姓が違うので同一人物と見なされず、結婚前に積み上げてきた業績が無くなったりして大変不利益を被っている人たちがいるんです」と言うと、「別姓にしても良いという法律を作ると、それに乗っかったぱっぱらぱーな奴らがケンカをして離婚する。離婚が増えて泣く子どもたちが増える」と言う。

なんかこのセリフ、聞いたことがあるなーと思ったら、以前私が書いたこの記事。

この中で取り上げた

https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/seigan/173/yousi/yo1730602.htm

”このような個人主義的な思想を持つ者を社会や政府が公認したようなことになる。現在、家族や地域社会などの共同体の機能が損なわれ、けじめのないいい加減な結婚・離婚が増え、離婚率が上昇し、それを原因として、悲しい思いをする子供たちが増えている。”

これとまったくおんなじ。

もう女は結婚したら男の姓になり、男の言うことに黙って従い、良き母妻であるべきだと正面切って本音を言ったらいいのに「子どもが泣くから」なんていう言い訳をつけて反対する。

まぁ、いつもはフェミニストぶっているのに実はこういう奴だとわかったので、これは周囲の方たちと共有することにしましょう。評価が高いわけでもないので、特にダメージというわけでもないだろうし。

家族は遠慮しないのか

家族が一緒だとイライラしてしまうことがあります。家族は遠慮がないから感情をぶつけ合うせいではないかという声もありますが、友人と旅に出たりしても同様のことはおきます。

「大丈夫?ふたりで旅行すると大抵喧嘩別れして帰ってくるっていうよ」と言われるほど、これはごくごく普通の出来事のようです。

どんなに親しい友人でも、1日中一緒にくっついていると、何かしら行動や気持ちがすれ違うようになります。旅の疲れも加わって我慢も限界になり、ついトゲのある言葉を出してしまうようになります。複数人で行く旅行で禁句なのは何か間違いがあったときに「だからあの時私が違うんじゃない?って言ったでしょ」と言わないこと。

何か間違いがあったときに「あなたがこっちだって言うから」と言わないこと。

食べ物がマズイ、エアコンがぬるい、暑い、寒いという不満を必要以上に言わないこと(いつまでもグズグズしていないこと)

旅行に行ってケンカして帰って来て、その後口もきかない仲になったというのはたいてい↑のことが原因であることが多いです。最初は気を使って接していても、疲れたり、うまくいかないことが続いてイライラがつのると禁句が次々と出るものです。

これも友だちだと何とかやり過ごせても、家族とはできない理由は「家族」だからです。なんとなく「家族だから遠慮はいらない」という世の中の掟みたいなものがあるので、「家族なのにナニ遠慮するのよ」と言ったりします。

家族でも遠慮は必要だし、秘密も嘘もあります。他人には言えても親には(親だから)言えないことはあります。「家族なんだから遠慮は無用」と言う人は、心が広くてなんでも許容できる人か、実は家族から煙たがられている人かもしれません。

友が去る

先週、実家へ戻る友だちの送別会でした。48年間の東京生活でした。お子さんが二人東京にいて、孫もいるのになぜ実家へ?という問いに彼女は答えました。

「子どもからママ、これからどうするの?」って言われたのよ。

シンママとしてふたりの子をひとりで育てた彼女。高い私立の学校に入れ、好きな道に進ませと、必死で働いてきたのを知っているので、これからと言うときになぜ子どもから離れることにしたのか。

子どもたちの「これからどうするの?」という言葉の中に、「私たちに頼らないでね」「迷惑をかけないでね」というのを感じとったといいます。

彼女は個人事業主ですから厚生年金はありません。満額月額65,000円の国民年金だけです。それも満額もらえるのかどうか。

子どもに頼る気はさらさらないと言っても、東京にいる親族は子どもだけなので、何かあった時は頼らざるを得ない。ちょっとしたことならいいけど、しっかり面倒をみたりするのはできないと彼女は感じとったといいます。

育てた恩を返せとは言わないけれど、頼りにしないでと言われたら、本当にこれからどうしようと考えたそうです。

結果、実家へ帰って家業の手伝いをすることにしたという彼女はサバサバとした表情でした。「子どもと離れることになるのは寂しくない?」と聞くと「もう、いい」と少し怒った表情で答えました。

苦労して子どもを育てても、子どもから「頼らないで」と突き放されたらやっぱり寂しいものがあります。

老後、やっぱり頼りになるのはお金と近くの友人ということですね。

初見「カーネーション」の周防さん

「あまちゃん」の再放送から「まんぷく」と見続けて、今は「カーネーション」です。この作品は朝の連ドラの最高傑作と言われているそうで、確かに第1話から引き込まれて見ています。

毎日録画した「カーネーション」を見て、見終わってもう一回見て、さらに消していない録画の前の週を見てと、たぶん1日1時間くらい「カーネーション」を見ています。

筋書きは知らないままに見ていたのですが、世間様では再放送にも関わらず「周防さん」が検索ワードのトレンド入りとか。私も綾野剛なんかまったく見向きもしていなかったのに、周防さんには目がハート。この役に綾野剛を抜擢したのはどなたさんなのか、感謝状をあげたい。

周防さんは3週間だけの出演なのだそうだけど、当時は視聴者から「もう一度出して」の声がNHKに殺到したのだとか。

周防さんを狙うカメラが横顔アップが多かったのは、どこか影のある雰囲気を出したかったのか、私はドアップできる端正な横顔に毎度見入っていました。いつもシャツを腕まくりしているのもセクシー。

朝の連ドラで主人公が不倫をするというのは当時は大冒険だったと思いますが、その後「花子とアン」も史実として不倫しています。「カーネーション」の不倫も実話に沿うとそういうことにならざるを得ない。

土曜の周防さん最後の日の場面。尾野糸子がよかれと思って周防さんに「お家の方の分もあるから」と手土産の団子を渡したり、金に物を言わせて彼に店を買い与えようとしたり、彼のプライドを踏みにじっていく様は見ていて悲しくもじれったい。

店で出されたおやつを食べずに子どものために持ち帰っていたのがバレていたと気づいた彼の気持ちを慮ることもなく「今のウチは団子を100個でも200個でも買える」「儲かってるから店の人らも(不倫していることを)文句言えない」と、鼻をふくらませて美容院で八重子さんに語るあたりも、「糸子さん、それやっちゃダメだよなぁ」と視聴者に思わせてくれる脚本がうまい。

ともかく、周防さんの出番はこの後ないそうなので、周防ロスになったこちらとしては、録画しておいたものを繰り返し見ることになりそうです。

ネットで「お芋」と伝説になっているのは長崎弁の「おいも、好いとった」だったのね。

小さな支出を見逃さないーカード明細のチェックはしっかり

先日友人が「やられちゃった」とこぼしました。なんでも毎月200円程度のお金が引き落とされていたのですが、何しろ200円程度なのでなんとなく放っていたら、使ってもいない何かに課金されていたとのことでした。

「う~ん、私の場合、それはないな」と胸を張る。支払いは現金決済のみ以外のところではカードかペイペイ、またはSuicaを使います。どれもポイントなど何かしらのバックがあるので、使わないわけがない。

世の中にはカード払いや電子決済にすると自分が何に使ったかわからなくなり、収入以上のお金を使ってしまう人がいるようですが、小さな頃からチマチマと自分の持ち金はいくらであり、月にいくらまでの支出なら許すということをしてきているので、リボ払いで頭を抱えるなんてことはあり得ません。

「つい買っちゃったのよ」という衝動買いもないわけではないけれど、小さな雑貨程度のものですから来月からの生活を切り詰めるなんてこともありません。ボーナスを待って買うということもありません。必要なものは必要な時に買えるような私の中でのポートフォリオは組んであります。

カード払いのものは全部明細をダウンロードし、レシートをチェックしますので、「わけのわからないもが延々と引き落とされていた」ということはあり得ません。

家計を見直す時に大事なのはいかにランニングコストを削るかです。数年に1度しか買わない家電製品などは買ってもいいのです。私が必要でないものを買うわけがない。月々に出ていく光熱水費やスマホ代などが特に注意が必要です。

と言って光熱水費をケチって風邪をひいたりQOLの低い生活をすると心が荒むので、それは見逃す。

友人宅ではWi-Fiを契約しておらず、少ない容量で契約しているスマホのみなのですが、一緒に出歩くと「私、ギガがないからあなたが検索して」、「退屈だからお互いの家でオンライン麻雀しよ!」と言うと「ギガがないからできない」「アレクサって便利だね、でもあれってギガ使うんでしょ、うちは無理」と、家にWi-Fiがないので、外出先でもWi-Fiを探しながらと不便な生活をしています(彼女は独身)。

確かにWi-Fiはそこそこ金額で毎月かかるものですが、そこを削って「ギガがギガが」と不自由な生活をするなら、別を削って便利な生活をした方が私はいいと思います。

本当に優先順位って人それぞれですね。

今年は巳年ー少女たちは夜とママが怖かった

去年も沢山の方たちが亡くなりました。享年が私と近い方が多いので、同年代の友だちと話すのは「段々近づいてくるね」

亡くなった方の中に漫画家の楳図 かずおさんがいました。メディアでは亡くなった時に主な作品として「まことちゃん」「漂流教室」などがでましたが、いえいえ、同年代の元少女たちは楳図さんといえば少女フレンドに連載された「へび女」です。

楳図さんは「へび女」を皮切りに、「あかんぼ少女」「ママがこわい」「まだらの少女」と少女たちを恐怖の世界へと叩きこんだのでありました。たぶん「少女フレンド」の人気トップ漫画家さんだったと思います。

優しいママが夜になると口が耳まで裂け、目が飛び出し、足を蛇のように引きずって天井裏などから顔を出すという描写。カエルを見ると「カ、カエル」と言ってミイラのような指でカエルを鷲掴みしてカエルを口に入れる様はこ、怖すぎる。

今、この漫画は有料レンタルしないと見られないので、どういう筋書きだったのかはわからないのですが、このへび女を始めとして「紅グモ少女」(これは怖かった~)、「赤んぼ少女」、「ねこ目の少女」、「うろこの顔」などなど、昔夢中になって読んだものです。楳図かずおは天才だったと思う。

「少女フレンド」に書いている漫画家さんは「マーガレット」には書けないというのは何となくわかっていました。楳図さんの人気が爆発してもマーガレット(集英社)では載せられないので、絵がそっくりで恐怖漫画カテゴリとして古賀新一先生の『のろいの顔がチチチとまた呼ぶ』が連載されました。たぶん楳図先生が人気なので同じジャンルの漫画を載せようと、会社側が図ったのだろうと子どもにもわかりました。

ここに書いたものはネット上でも読めるので今すぐにでも読み返したいのですが、読み放題ではなく、1冊おいくらというそこそこのお値段なので、たぶん10分で読み終えてしまうものを買うにはちょっと出せないなぁ。

紅グモ少女が継母から無理やり蜘蛛を口に入れられるシーンはもはやトラウマ級。。(だからそれは覚えている)

インフルA型でした

お正月明けから体調が悪く、病院は混んでいるだろうから嫌だなぁとは思いましたが、仕事が始まる前に早めに直しておきたいのでかかりつけの耳鼻科に行きました。なぜ耳鼻科に行くのかというと、かかりつけの総合病院は発熱のある場合、予約してからでないと診察を受けられないのです。

その予約も時間が決まっていて、その時間に電話をすると「熱のある方は東京都発熱相談センターに電話をしてください」というアナウンスが流れます。

#結局予約できないんじゃん!

#大体東京都発熱相談センターなんてもうやってないじゃん!

しょうがないので、花粉症の時にだけお世話になる耳鼻科に連絡したら「市販のコロナキットでコロナ陰性だったら来てください」とのことで、買い置きしてあったコロナキットを使って陰性を確認してから行きました。

思った通り、病院は激混みで、これは1時間以上はかかるだろうと思い、いったん預けた診察券と保険証を返していただき、帰りました。受付の方が「待っていただいたのにすみません」と丁寧に頭を下げられました。

しばらくして「そろそろ空いたかな」という頃に再度行くと、やっぱり激混みは変わらず、「しかたがない、1時間待つか」と待合室で待っていましたが、次第に症状は悪くなり、黙って座っていることもできなくなって、ソファーに横になってうなっていました。

そばにいた方に迷惑だろうとは思いましたが、本人それどころではなく。

するといきなり私の名前が呼ばれて。

「え?この両脇の方たちは私より先に来ていたよね??」と思いながら、診察室にはいり、「インフルの検査をしますね」と言われて綿棒を鼻の穴にぐりぐり。

「結果がでるまで15分かかりますので待合室にいてください」と言われてまた横になって唸る。結果インフルA型でなんと初めてインフルの告知を受けました。家中がインフルになっても私だけはかかったことがなかったのです。

長い間生きてきたからすべての免疫を持っているのかもなぁとお気楽に考えていましたが、この症状がインフルならば、私は以前にもかかったことがある。遠く結婚していた頃だと思い出しました。そのお話はまた次回へ書きます。

さて、診察が終わり会計に行くと受付の方がこっそり「心持ち早めにご案内させていただきました」と仰る。あ、やっぱり早く呼んでくれたんだと地獄で仏というか天女様のようでした。

以前離婚を見据えて取りたい資格の希望トップが医療事務だと書いたことがありました。

私は遠くない将来医療事務というのは無くなるだろうと思っています。医師がキーボードをポンポンと叩くと自動的に計算されて会計まで自動というようになるでしょう。

実際私が通っている大きな総合病院はこのシステムで、診察から会計まで人を介さず、機械で処理します。でも、今回のように「1回来てしばらく待ったのだけど、帰ってまた来た人が具合が悪そう」というのはAIでは処理できません。

点数計算は機械がしても、来院者の様子を観察して的確に言葉かけをしたりするのはどうしても人間でないとできません。医療事務は無くなるかもしれませんが、受付的な人は病院には必ずいていただかないと相手は病人ですから、そこはきめ細かくやっていただきたいものです。

ちなみにどんなにAIが発達してもできない仕事は

1 看護師
2 保育士
3 カウンセラー

だそうです。 

今年もお世話になりました

2024年が終ろうとしています。みなさまは良い年でしたか?

大晦日は「たぶんほとんど知らない人ばかりなんだろうな」と思いながら見ていましたが、今年は見ごたえがありました。知らない人は知らない人なりに、初めて聞く曲ばかりだったのにそれでも楽しめました。

「1年前の今日、能登の方たちはいつもと同じ大晦日を過ごしていたはず。人間1日後は何が起こるかわからないを思い知った1年でした。自然災害はどんどんひどくなっていく。来年も生きていたら、それは幸運ということなのでしょう。

年明けには電話相談を行います。暮れの忙しい時に突然の告知で申し訳ありませんでしたが、さっそくお問い合わせをいただきありがたいばかりです。

今年度最後の避難応援プロジェクトは1月25日に行います。残席が残りわずかになっておりますので、お考え中の方はお早めにご連絡ください。この小部屋は1月4日より再開します。

来年がみなさまにとって良い年になりますように。

アマプラで見た「あんのこと」

「あんのこと」というタイトルは知っていました。若い女性が主人公だというのも知っていましたが、それ以上は知りませんでした。

アマゾンがマゾンプライム会員を1カ月無料にしてくれるというので早速ご提案に乗り、アマプラでどんな映画があるのかなとずらずらと探して、特に見たかったわけではないけれど、なんとなくポチして見始めました。

最初はすぐに収まると思っていたコロナ禍が、まさが3年も続くとは思いませんでした。コロナウィルスで亡くなった方は大勢いますが、ウィルスによるものではなく、関連死としてコロナが蔓延したことで起こった生活苦や、家族崩壊、社会不安などによって亡くなった方も大勢いました。

「あん」はそのひとりです。

子どもならば児童虐待防止法により児相の介入などがありますが、20歳を過ぎてしまうとそういった救いの手が届かなくなってしまいます。「あん」は運よく支援の手につながることができましたが、その手を再び切ったのはコロナ禍でした。

見終わってとても切なくなるお話でした。

家庭に居場所がなく、誰かと話をしたい人にBONDプロジェクトは相談の他、具体的な支援体制を整えて困った若い女性の味方になってくれる団体です。親との確執や友だち関係などで困ったら連絡をしてみてください。そいういう女の子を見たら、頼る場所はあるよと教えてあげてください。

一寸先にある不幸

このところどうしたことか無くしものが多くて、そのたびにあちこちに連絡したり、探しに行ったりすることが続き、いいかげん嫌になってきていました。

なんなんだろう、痴呆なのか年なのかとも思ったりしていましたが、この失くしものについては今始まったことではないので、きっとこれはたぶんそういう運気の乱れなのかと思っていました。

そんな時にいきなり舞い込んだ大情報。知人宅に大きな出来事があり、今その家はクリスマスどころではなく、降ってわいた不幸に、どうしたらよいのかわからない状況になっていると思います。

世の中は不幸と隣り合わせになっていて、薄紙一枚のところに不幸はあるのかもしれない。たまたま今まですり抜けていただけで、明日は我が身かもしれないとつくづく思いました。

人と自分の不幸を比べて「私はまだ恵まれている」と思うのは人を貶めることになるのではと思っていましたが、今の自分の幸運を再確認することになるので、悪いことではないような気がします。

本当に人生は何が起こるかわからない。でもそれを考えてくよくよしても始まらないので、とにかく”今日何事のなく過ごせた”幸運に感謝しようと思います。

この家族も、その日の朝まで普通に過ごしていたはずだから。