イエの財産は家のもの

こちらの続きです。

相続についてのご相談を受けている中で、考えさせられるものがありました。今回、この話題を長々と続けてきましたが、究極に私がお伝えしたかったのはこれです。

あるご相談で夫が長い闘病生活の後亡くなったが、夫の名義だった土地が夫のきょうだいの名前に変わっていたというのがありました。夫が亡くなるのを知って、きょうだいたちが「この土地は元々は〇〇家のもの。嫁には渡したくない」と名義を変えたようです。

確かにその土地は夫の親が亡くなって相続したものでした。ご相談者が住んでいるというわけではなく、遠く離れた場所にある土地だったのはまだ救いがあります。

この「〇〇家の土地を血の繋がらない嫁に渡したくない」という夫の実家一族の熱量は並々ならぬものがあったと言います。

ここで昭和22年に「妻にも財産分与を」という法律ができ、さらに世の中の変化により昭和55年に1/3から1/2に法改正されました。今、これを更に進めてもっと多くの財産を妻が受け取れるようにするという考え方があるそうです。

その考え方とは「夫婦の財産とは妻と夫で半分ずつ。1/2は元々ある妻の取り分にすぎない。財産分与をするのなら、残った1/2を子どもと妻で分けるべき」というものだそうです。

これを聞いたときに私は「ほほーーー、なるほどーー。確かにー、賢い人ってすごいなー」と思いました。

ところがこの案は世の中のコンセンサスが得られず、現在のところ実現ができていないそうです。この「世の中のコンセンサス」とは、イエの一員である私と嫁である私で立場が違い、イエの一員であるこっち側の私として考えると理解できます。

離婚の時に「同居してから別居するまでの間に築いた財産は1/2にする」というのが当然ですが、その財産を築くことができたのは、元々育った家のおかげでもあります。

例えば両親が苦労して息子の教育費を作り、医学部に進学して医者になり、大金を得るようになった。そして結婚したとします。医者になれたのは実家と本人の努力です。

ある日突然現れた女と結婚して子どもができたが、事故で亡くなった。その時に「半分は私のもの。残りの半分の半分も私のもの」と言われたら、なんだか疑問が残ります。なぜならその財産を築くことができたのは、実家の努力もあったからです。

子どもはどうかと言えばここで書いた通り

血が繋がった子どもはこの家の血筋がある、この一族の一員。だからいいけれど、ヨメはよそから来たよそ者。

ここで妻と夫の実家がとっても仲良しで、まるで本当の親子のように日々一緒に生活しているような関係だったらこの「半分の半分も私のもの」と言っても、「〇子さんのこれからの生活があるからどーぞどーぞ。これからも仲良くしましょうね」というかもしれません。

ただ、今の世の中でそれほど夫の実家と妻が濃い関係を築くとは考えにくいです。夫が死亡し、その後次第に、もしくは亡くなるとすぐに夫の実家とは疎遠になっていくのが普通ではないかと思います。せいぜい孫がたまに会いに来るとか。

その後妻は亡き夫とその実家が作った財産を持って再婚するかもしれません。もちろんこの逆もあります。妻とその実家の努力によってつくられた財産が、妻の死亡によって夫とその子が分ける。夫が「半分の半分も僕のもの」と言ったとする。

そして夫は再婚して別の家庭を作り、妻の実家とは縁が切れる。妻の実家はなんだか釈然としないのではないでしょうか。新しい妻は「私と結婚したのに亡くなった奥さんの実家にいりびたる夫」なんて嫌でしょう。←あんまり考えられないシチュエーション。

イエ制度は無くなりましたが、その人を育てたのがイエであり、そのイエの関係者が生存している以上、「世の中のコンセンサス」は得られないだろうねと友人と話した結論でした。

大人の仲良し

職場の友人たちと一緒にファミレスに行き、デキャンタの白ワインなどを飲みながらひとしきりおしゃべりをした時、A子さんが「あたしね、高校生みたいにべたべたしたつきあいをするのは嫌なのよ」と言い出しました。

「B絵さんて、とっても一生懸命みんなの間をとりもとうとしているけど、ああいうのは嫌なの。職場の人とは表面的に仲良しでいいのよ」

長い間専業主婦だったB絵さんは、60代で社会復帰して始めた仕事が楽しいらしく、まだ「職場の友だち」という関係が物珍しく、いろいろと世話を焼いたりイベントを企画したりしていました。

「若い頃の同僚ならいざしらず、それぞれに家庭があるわけでしょ?その時間だけ職場にいる人と濃いつきあい方はしたくないのよね」

「その家庭事情も様々だから、そこに入ってこられるのも嫌。なんで私の家の事情を話さなければいけないわけ?私の交友関係のことを話さなければいけないわけ?私は職場の同僚にそういうことは求めてないのよ」

それは私も同感。私やA子さんやその他の人たちとファミレスに行ったのは、職場での情報交換をしたいからです。その場では話せないことを共有しあい、仕事に役立てたかったからです。

お互いの生い立ちから家族までしっかりと知っていて何かの時には助けてくれたり、愚痴をきいてくれたり聞いてあげたりする人はいますが、それは還暦を過ぎてぽっと入った職場で見つけるものではないと思うのです。

還暦を過ぎてから勤めるところでは、薄い繋がりで結構。それまでに培ってきた経験を生かしての仕事だし、それを求められての採用だから自分に与えられたことを全うすればよい。ただ、何分仕事をするうえで、いろいろな知っておいた方がいい情報というものはあります。

だから「ちょっとお茶でも」と言って職場から離れたところで情報交換会をしましょうということです。そこで「お子さんは?」「お孫さんは?」と突っ込んで話すものでもないし、聞く必要もないことです。

高校生のような「あたしたち、なんでも知ってる友だちだから!」というのを求めている方は相手も同じなのかを確かめてから身上調査をしないとかえって嫌われる元です。

週末の台風、お気をつけください

台風10号が九州に上陸して大きな災害になっています。台風が発生した時は週末には日本から離れると思っていたのですが、ノロノロ台風のようで週を明けてもまだ日本に居座る予報です。

九州にいるのに、東京のこちらまで大雨になっていて、それも今日は午後からずっとふりつづいています。

以前地方に暮らしていた時は屋根がトタンだったので、トタン屋根に打ち付ける雨音で「あ、雨が降っているんだな」とわかったものですが、今は鉄筋の集合住宅なので、外を走る車が水しぶきをあげている音で雨と気づきます。

この鉄筋の建物は外の温度を遮断するので、外に出るまで外が暑いのか寒いのか、雨が降っているのかいないのかがわかりません。ドアを開けて「あ、寒い」と上着を取りに帰ったりします。

これが今は2階だからいいのですが、30階などという高層マンションの場合は、またエレベーターに乗って部屋まで戻って、ということになります。タワーマンションは見晴らしはいいのですが、夏は暑いし、外に出るまでに時間がかかるということで、あまり勝手のいいものではないようです。

トタンに落ちる雨音に郷愁は覚えますが、やはり台風や地震の時は戸建ては厳しい。頑丈な鉄筋の家だと揺れもしません。

この週末、万全の準備をして台風に備えましょう。でも、この後何度こういう災害が来るのか。それも年々段々ひどくなる。どうしたもんでしょうかねぇ。

謄本取り寄せが電子化になる理由

こちらの続きです。日経新聞で謄本が各自治体で取れるようにする理由が「相続のため」と書かれてありました。

2024年4月1日から、相続登記が義務化されています。

https://www.moj.go.jp/MINJI/minji05_00565.html

親が亡くなるなどで、不動産を取得した時に今までは特に相続登記をしなくてもよかったものを、自分が相続すると知ってから3年以内に登記しなければならなくなったのです。

これは全国に空き家や空き地が山ほどあるのに、相続をしていないために手が付けられない空き家や空き地がこれまた山のようにできてしまっている。さっさと登記すればいいじゃないかと思われるかもしれませんが、実は我が家も父が亡くなった時にほったらかしました。なぜなら登記するには税金や司法書士に依頼するための大金がかかるからです。

特に罰則もないので母が亡くなった時にまとめてやることにして、ほったらかしました。こういう家は多いのではないでしょうか。

ところが母が首都圏の施設に入ることになり、家をどうするかを家族で話し合った結果、空っぽにして売ることにしました。

我が母は困ったちゃんですが、弟が「もうこの家に戻ることはないのだから早いうちに売却しよう」という言葉で決心してくれたことはもう「ありがたい」の一言です。

誰しも家にはそれぞれの思い入れがあり、母はその思い入れがものすごく強い人なので、「自分が生きている間は売らない」と言い張るのではないかと思ったのですが、これからの人生を託す(と母が勝手に思っていた)弟から言われると、不承不承ながら承諾しました。

紆余曲折あってその家も買い手がついたのはよかったのですが、相続登記をまだしていなかったので急いで相続登記をすることになりましたが、不動産業者から見せられた必要経費の中の「司法書士代金20万円~」の文字がやけに突出しています。

さらに税金はやってみないと金額がわからないという。

「私がやる」と言ったのは、好奇心からもあります。もしやって、どうしてもだめだったらその時に司法書士に頼めばいい。とにかくやるだけやってみようと思いました。

ネットをググったり、市の「無料登記相談」を利用したりして法務局へ必要書類をそろえて提出完了!一番大変だったのが「父親が生まれてから死ぬまでの戸籍を全部用意する」ことでした。父の本籍地は遠いところにありますので、全部郵送で取り寄せました。その時に使ったのが大量の定額小為替です。

司法書士などは職権で取り寄せが可能なので、さっさか早くできるのでしょうが、遠隔地に住んでいる一般人が謄本を取り寄せようとするとものすごく時間がかかります。「取り寄せの依頼がありましたが」の確認電話が来てから実際に取り寄せ手続きにかかるまで1週間かかりました。その間に状況を確認する電話が1週間で3度ありました。それも最初の電話で全部言ってくれればいいのにということばかりです。

#1度で済む電話を1週間かけて3度電話してくるお役所の非効率的な能力不足の仕事ぶり

#役所は沢山の仕事を抱えているから一人の人に多く時間をさけないというならば、1度で済む電話を3度もしてくるな

#さらに「もし父が〇〇市に住んでいたという記録があるならばそれも欲しい」と書いたものを見落とし、こちら側が大混乱になる事態に

#再度確認すると役所からは「すみませーん、見落としましたー」という若い女性職員の「えへへ」という不遜な態度

相続登記に必要な「父が生まれてから死ぬまでの戸籍のすべて」と、家を買った人と今登記をする家の持ち主が同一人物である証拠が揃わないと相続できないのです。そのために父が家を買った時の住民票があればよかったのですが、当時の住民票の保存期間は5年(令和元年から150年に延長されました。デジタル化の恩恵ですね)住民票の記録がありません。だから本籍のあるところに記録はないかを確かめたのです。

「相続登記はプロに任せた方が」というのは当然プロはこういう事態を良く知っていますから、さっさか処理をするのでしょうが、こっちは初めてやる仕事。あっちでゴツン、こっちでゴツンと頭を打ちながらの作業でした。

ですから書類をすべてそろえて法務局から「登記識別情報」が届いたときは感無量でありました。

司法書士が20万円とる仕事を自分でやった!

ただこれは、わが実家が普通の宅地に建てた普通の建物で、何の問題もなかったからできたこと。中には土地が公道に面しているだの、隣の家の一部がこちらに入ってきているだの、納屋の一部が別人のものだのというややこしい物件がある場合はやっぱりプロにお任せした方がよいようです。

実家を売ったお金は全額母のものになりました。家を出るときに「全部私のものだから」と言ったからです。私の報酬はありませんでしたが、これで「戸籍とはなんぞや」ということがかなり理解できたので、それで良しと思っています。

変じゃないのか、定額小為替

私は本籍を東京にしていないので、何かの時に戸籍謄本が必要になった場合は本籍のある自治体の戸籍係に定額小為替を入れて請求します。

なので定額小為替は時々購入していたので存在も買い方も知っていました。父の相続で沢山戸籍を取り寄せる必要があった時、いちいち郵便局へ行くのが面倒で、まとめて買った時がありました。

その定額小為替に有効期限があるのを知りませんでした。有効期限6カ月だそうです。切れていた場合は5年間は再換金できますが、それを過ぎると紙切れになるそうです。

紙切れになる前に気づいてよかったよかったと郵便局へ持っていきました。

窓口の若い女性:「身分を証明できるものはありますか?」

はいはい、いつも財布に入っています

「ハンコはお持ちですか?」

「は?はんこ?」

「換金するにはハンコが必要です」

ハンコは持ち歩かない。ふつー。

「そのハンコって、シャチハタでもいいですか?」

「シャチハタはダメです。これは小切手と同じで銀行と同じ取り扱いをすると考えてください」

「実印を持ってきましょうか?」

なんなら印鑑証明も(怒)

なんで300円の小為替を換金するのに身分証明やらシャチハタでないハンコが必要なんじゃ

結局その場では換金できませんでした。

そもそも戸籍を取り寄せるのに今の時代に小為替を同封せよというのがおかしい。さらに小為替を買うときの手数料は1枚200円もする。50円の小為替を買うときも200円かかる。

この時代、おかしくないか?

メルカリだってyahooオークションだってQRコードが発行されて、ピッとスマホで読み取るとコンビニで送り状がぴーっと出てきて貼り付けてれば送れる時代、1枚ごとに200円の手数料がかかるっておかしいんじゃないか。

そもそも大騒ぎをしてマイナンバーを導入したのに、戸籍を取り寄せるのに郵便で、1枚200円の手数料を払って定額小為替を平日にしか開いていない郵便局から買って(しかも貯金窓口だから4時まで)郵送するっておかしくないか?何のためのマイナンバーなんだ?

暑いせいもあってさらにヒートアップした1日でした。

↑という記事を書いて今日送信しようとしたら、おっとびっくり!

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA231FR0T20C24A6000000/

“戸籍謄本を電子交付、相続手続きの負担減へ 政府検討”

私のこのつぶやきが聞こえたのか、8月21日付の日経新聞に謄本を電子化して全国に自治体で交付できるようにするそうです。

この小為替について各自治体も困っていたらしく、申請者に返すおつり用の小為替を買おうとすると、自治体でも手数料を払わなければならず、自治体の予算を圧迫するとして、おつりは切手で返すという自治体もあるそうです。

このAIの時代に手数料を払って小為替を買うのも変だし、おつりの小為替を買うときも手数料がかかるなんてアホみたいなことをいまだににしているのがおかしいとやっと気づいたのか。

ただ、新聞では「相続のため」とあるので、使い道が相続に限られているとしたら「なんでやねん!」と言いたい。パスポートを取る時だって謄本がいるし、相続以外でも必要な場面はあるでしょう。

とにかく小為替を買わなければ戸籍の取り寄せができないということが早く昔話になればいいと、暑い夏にむかっ腹をたてた私は思います、

お盆には怖い話

お盆期間に出稿するつもりでしたが、台風がはいってしまい、遅ればせながらお盆ネタです。

私自身には霊感じみたものはまるでないのですが(妙にくじ運がいいとかはある)、私の周りにはこの方面の方が結構います。

「亡くなった方が見える」という人も数人います。その方と話をしていて、「死んだ人が見えても得になることなんてひとつもない。普通の人に見えないものが見える分、疲れてしょうがない」「これで未来がわかるとかなら、馬券のひとつでも買うんだけど、そういう役立つものはない」とのことでした。

確かに。亡くなった方が見えても何の得にもならないし、「自分が見えているものは普通の人には見えない」というのを理解するまでかなり時間がかかったそうです。

それは今から10数年前。モラハラ被害者同盟のちょっとしたオフ会というか、顔合わせをしたことがありました。集まったのは私も入れて4人で、全員初対面です。

集合場所のホテルロビーに集まり、自己紹介の後、四方山話をしようと思ったら、ふたりが同じ方向を向いています。すると、そのふたりが顔を見合わせて「見える?」「うん、いるよね」と言ってうなづきあっていました。

何もわからない、私ともうおひとりが「はてな?」という顔をすると、「あのね、あの隅に亡くなった方が座ってるの」「こういう人だよね」その人の特徴を話すともうひとりが「そうそう」とうなづく。

偶然集まった4人のうちの半分が「見える方」でした。

おふたりは見えるのが当たり前なので、なんとも思っていないようですが、こちら見えないふたりは薄気味悪いことこの上ない。

「何にもしないから。ただ座っているだけだから」と説明されても、何もいない隅の方をどんなに凝視しても見えないものは見えない。

全員が初対面ですから、ふたりが示し合わせてということはありません。集まった4人のうち2人が偶然そういう方だったというだけです。

ママ友の夫さんも「見える方」でした。地元に炭鉱のテーマパークがあるのですが、決して中に入ろうとせず、「お前ら、よくあんなところにはいるな」と薄気味悪い表情をするのだそうです。

その炭鉱は何度もの落盤で亡くなった方が大勢いるところ。夫さんには中にたくさんの方がいるのが見えるのだそうです。夫さんとは子どもを介した仲間で、一緒に遊んだり飲み会をしたことも何度もありますが、ごくごく普通の人だし、「見える」なんていうセンシティブな感じは全然しない熊さんです。

世の中には「見える」方が結構大勢いるようです。青森のイタコは後継者不足だとか。でも、見える方の世界と見えない世界ではどうも何かが違うのではないかと思ったりします。

台風と地震のダブルパンチ

今晩から台風7号の影響で雨風がひどくなるとのニュースが流れています。とにかく台風に備えて飛びそうなものを片付けておくとか、低電になってエアコンが使えなくなった時のための応急冷却物の作り方などが流れていました。

エアコンやもはや朝から晩までつけっぱなしなので、これが無くなると暑さに慣れていない分、辛さが身にしみそうです。

ペットボトルに水を入れて冷凍庫に入れておくと、エアコンが使えなくなった時に体にあてて冷やすのだそうです。

毎度思うのですが、こうやって「来るぞ来るぞ」と準備をしておくと結構空振りだったり軽傷で、ノーマークの時に大きな災害がどかんと来るような気がするのは私の気のせいでしょうか。

さて、ペットボトルに水をいれようとしたら、空のペットボトルがない。子どもからお古のソーダストリームをもらってからペットボトルの炭酸水を買うことがなくなり、もともとペットボトル飲料を買う習慣がないので、あったのは外に出るときに持っていく小さなペットボトルがふたつだけ。

これでもいっかとふたつに水を入れて冷凍庫へ。ベランダの植物は夏枯れをするのでもう夏の間に咲く花は植えておらず、背の高いローズマリーは倒れそうなので室内にいれました。

ミニトマトはプランターが大きすぎて移動は無理。重いので倒れることもなかろうと放置。

バッテリーは充電しておきましたが、東京に来て15年、いまだにあの東日本大地震の時の計画停電を除いて停電になったことがありません。東京ってすごいな。地方に住んでいた時は大きな災害になると停電したものですが、まったくその気配がない。

私が住んでいるところは海も川も山もないので、水害やがけ崩れの心配がありません。その代わり5センチ雪が降っただけで大混乱になりますが。

この頃の会社はこういった災害の時は「遅く来てもよい。休んでもよい」帰りも「早めに帰って」ということをしてくれるそうで、いい時代になったものだなぁと思います。昔は「這ってでも来い」と言われたものですが。

明日の朝、起きた時には暴風雨か。これからは本格的な台風のシーズン。空振りになってもいいので、準備だけはしておきます(備蓄は普段からしているのでなし)

運動はひとり孤独にやるべし

オリンピックも明日で終了ですが、実はワタクシ、この春肩を痛めてしまい、整形外科に行きました。整形外科の治療では治らないのはわかっていたのですが、とりあえず変な病気ではないことを確認したかったのです。

初老の男性医師の診察では「肩こりでしょ」ということになり(たぶん加齢によるものと思われる。以前もやったのでわかっています)、体操で改善しましょうということになったのですが、その時に私が「ジムに通っているんですけどね」と言うと、医師はきっとなって、「ジムはやめてください」と言います。

もう10数年続いているジム通い。友だちも沢山いて日々は仕事とジム通いで完結しているような状態なので、ジムを辞めたら生活リズムも狂うし、友だちとも疎遠になってしまいます。

「あのー、私は特に必死になって重いものを持つとかウエイトトレーニングするとかじゃなくて、軽いヨガとかゆるいダンス系なんですが」と言っても「ともかくジムはダメ。やめなさい」と言うので、「どうしてですか?」と聞いてみました。すると医師は

「競うからです。人と一緒にやるとがんばってしまうからです」「大体年寄りになるとみんなジムに行きだす、そして体を壊す」と言う。

ひとりでは続かない運動も、人と一緒にやるからがんばれるのだけれど、そのがんばりがいけないのだと言います。

「ひとりで黙々と体操をするのならいいです」って、そんなーつまんない。ジム友ときゃっきゃしながら体を動かすからいいのに。

「どうしても行くならこれ以上言いませんけど。ジムは宗教みたいなもので、どんなに止めても行く人は行きますから」

と言われた通り、今もジム通いは続いているのですが、確かにジムに来ている人たちは「あっちが痛い、こっちが痛い」と言いながら通ってきます。休めば治るものを休まずについ動かしてしまうので、治りも遅くなります。

オリンピック選手じゃないんだから痛ければ休めばいいのですが、そこまでの痛みじゃないものだから、痛いところをさすりながら続けてしまう。きっと整形外科の医師たちの間では「ジムが良くない」というのが通説になっているのでしょう。

私は医師に言った通り、競うようなプログラムは受けていないし、無理してがんばってヨガのポーズを作ったりもしませんし、私の体に負担になるポーズはしません。

オリンピックを見ていると、体中テーピングをしたり痛み止めを打ってようやく動いている選手もよくいます。オリンピックに出るほどの人たちはみんなどこかしら体を壊し、だましだまし競技を続けているのでしょう。

「運動は体にいい」とは言いますが、あそこまで上り詰めるには、並大抵の練習量ではできないはずです。大体オリンピックに出るような人たちは小さな頃から英才教育的なことをして、親元を離れて合宿所にいることも多い。

競う競技をすると、体はガタガタになり、時には怪我で不自由な暮らしをしなければならなくなったりまします。何事も過ぎたるは及ばざるがごとし。ジムに行っても適当にタラタラ体を動かす分には平和だと思うんですが、やっぱり人がいるとつい、ですね。

どっちがいいか

昨日は日本株が歴史的大暴落をした日でした。過去最高と言いますが、そもそも4万円以上値がついたことが過去にないので、暴落の幅も2万円の時と違うと思うのですが。

4万円が半分になったら2万円安ですが、2万円が半分だったら1万円安ですからね。4万円になったことがないのだから、単純に金額の多少では比較できないと思うのですよ。

昨日は友人がハワイについたと、グループLINEにハワイの写真と共に投稿がありました。円安で食料があり得ない金額なので(赤いきつねが700円!)たっぷりの食料品を持って行った写真と共に、ステキな海や街角様子が。

「ドルが141円だよ!運がいいね!」と返事を書いたら、「株がダダ下がりー(´;ω;`)ウゥゥ、こんなんだったら円安の方がいいーーーー」

そうかー、投資に熱心だったものね。。株高と円高は共存しないのか。。。

友人にとって待ちに待った楽しいハワイ旅行は、半分楽しくて、半分辛い旅行になったみたいです。

ベランダにシェードを設置してみました

アマゾンプライムセールの時にシェードを買おうと思っていたのですが、レビューの中に「100均よりいい」とあるのを見て、「100均にあるならそれでいいか」と思い、ダイソーに行きました。

さすがに100円ではありませんでしたが、アマゾンにあるものと大して変わりないものが300円だったので、ダメもとでもいいやと買ってきました。

取り付けるのが難しそうと思ったのですが、一辺に取付用の穴が開いているので、家の物干しとその穴を数か所S字フックでつないだらもう完成。

この茶色ではなく、リゾートにあるようなストライプ柄の方がおしゃれだったなと思いつつ、とりあえず30秒で完成しました。物干しざおは2本あるので、普段はこれで良し、シーツなど大物を干すときは物干しからシェードを抜いていったんたたみます。めんどくさそうですが、そう毎日大物を洗濯するわけでもないので。

結果、300円とは思えないほどしっかりと陽射しを遮ってくれます。ただ、気温は毎日35度なので、植物はへたるし、枯れてしまったものもやっぱりあります。

この気温はきっともうこれから下がることはなく、毎年9月末まで真夏なのが普通になるのでしょう。今年はお試しのシェードでしたが、来年は工夫してもうちょっとおしゃれなベランダにするかなと思っています。