母からはいろいろと辛い目に遭わされてきました。本人に自覚はまったくありません。自分は聖母マリアのように慈悲深く優しい人間だと”心の底から”思っていて、実際「私は施設に人みんなから愛されている。慕われている」と言います。
この「施設の人から」の部分は以前は「地域の人から」でした。どこへ行っても頼りにされ、愛されていると自慢します。
私や弟は「あれだけ外面が良ければ周りの人も騙されるだろうよ」とため息まじりに言っていました。外面がいいぶん、母のストレスは家の人たちにぶつかってきます。母は家族には何を言ってもいいのだ、だって「家族なんだから」何を言っても許されるだろうとタカをくくっていたのだろうと思います。そもそも自分は世の人たち全員から愛されているのだからよもや家族から嫌われているとは夢にも思わなかったようで。
自分の方が上だから下の者は常に自分に従うのが当然。何を言ってもしてもいい。それは家庭の中で彼女にお願いしなければ何も叶わなかった時の話。今は地位が完全に逆転しました。
私はついに昔、母からされたある出来事について責め立てたました。それは本当にひどいことでしたが、今まで彼女に言ったことはありませんでした。でも、彼女とこの世で話をする機会はいつ終わるかわかりません。なのでついに言いました。
すると母は「悪かったとは思っていたんだけど・・・」
悪かったとは思っていたけど、「ごめんなさい」は言わなかった、なぜなら彼女は母で私は子どもだから。
この人は心の中では悪いと思っていたけれど、謝ることはできない。親が子に謝るなんて、彼女の辞書にはないのです。きっと「悪いと思っているだけで充分じゃないか」と思っているのでしょう。
子どもには「悪いことをしたら謝りなさい」と教えながら、自分は謝らなくても良い。なぜなら親だから。
軽いことなら謝ります。「やってもらってごめんね」くらいならば彼女も言う時もある(少ないけれど)軽い謝罪はするけれど、重い心からの謝罪は口が裂けても言えない。
これは親と子だけでなく、夫婦間でも夫は妻には謝れない。なぜなら夫はエライから。
この「口が裂けてもごめんなさいが言えない人たち」は人間関係を甘く見ていて、いつかそのしっぺ返しがくるとは夢にも思っていないでしょう。
どこかの女性総理のように、下に見ていた相手から三下り半を叩きつけらてから後悔することを経験してもらってもいいと思っています。