高齢者への虐待は

住民からの通報で多いのは児童虐待と高齢者虐待です。高齢者の虐待というのは「近所に親子が住んでいるが、始終息子(娘)が親を罵倒して、親が泣いている声が聞こえる」というものです。。

これが子どもならば児童虐待になるので、強制的に保護することができるのですが、老人は大人なので、本人の同意なしには保護できません。そして暴力・暴言を受けていても家に残りたいという方が多いそうです。

たまにではなく、それがいつも聞こえてくるということで通報されるのですが、役所の高齢者担当者が行って話を聞くと「自分が子どもの頃に同じように殴られたり罵倒されたりした。同じことをして何が悪い」と言われることが多いそうです。

それは昔のことで、今はやってはいけないと言っても、聞く耳持たずの子どもも少なからずいるようです。

高齢者と同居しているということは面倒をみているということで、何かと苦労が多い介護を担っている子に対してきついことも言えない、むしろ介護者の苦労を気遣わなければならないということになるそうです。

それにしても「子どもの頃に同様のことをされたから、今同じことをして何が悪い」と言われると、「絶対にそれは間違いだ!」と言えない担当者の声もあります。

「昔は叩くのが当たり前だったんだ。みんな叩いていたんだ」と言っても、叩かない親もいたわけで、そこで後年恨みが残るほど叩いたら、因果応報になってもおかしくないかなーと。

「叩かれても親に恨みなど持たず、優しく面倒をみている子もいる」と言うかもしれません。でもきっとそういう親は叩いたとしても、感情にまかせて叩いたわけでなく、子どもが大きくなったら搾取しようとか、自分の介護を引き受けさせようとか、そういう小汚い心は持たずに、子どもを愛していた親なのかもしれません。

子どもを育てたら、その恩返しを求めるような親には福は来ないんです。

パラリンピック見ていますか?

それは2019年秋、翌年から始まるオリパラのため、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで事前研修がありましたが、その中で多くの時間が障がい者理解のために使われました。

一番印象にあったのは、「障がいがあるとはどういうことか」というような映画でした。その映画を見る前に「障がい者に対する意識」を紙に書き、見終わった後にもう一度同じタイトルで紙に書くというものがありました。

前と後でガラリと書いた内容が違ったのは私だけではなかったと思います。

とあるオフィスの昼、若い男性が仕事で外に出ると目の前がくらくら~

気づいたと思うと、そこは見慣れぬ世界でした。越えようとしても越えられない段差、小さすぎて見えない役所の文字、まごつきながら歩いていくと「やぁ、ひとりかい、偉いね~、次は世界旅行かな~?」と笑うのは、こちらの世界では障がい者という部類の人。彼は障がい者になってそちらの世界に行ってしまったのです。

という映画でした。結局彼は元の世界に戻ってくるのですが、彼が生活していた世界は、人によってはとても困ったことが沢山あることに彼は気づきました。でも、それは気遣いさえすれば(今はaccessibilityと言いますね)差はなくなり、みんなが暮らしやすくなります。

見る前は「体の不自由な人はかわいそうだから助けなければならない」だったものが、「体が不自由な方と健常者はまったくかわらない」になりました。「体が不自由なのに頑張っていますね、すごいですね」というのはもうその時点で相手と上下を作ってしまい、「体が不自由=不幸」の刷り込みで相手を憐れむべきものと思ってしまっていました。

かわいそうな人だから助けなければというのは一方的な驕りでした。体のどこかが違っていても、まったく何も関係ないのです。

ただ、不便なことはあるからお手伝いする。それだけです。「体が不自由なのにがんばっている」と思いながらパラリンピックを見るのは違うなと思います。与えらえた環境の中で頑張るのは障がい者だろうが、健常者だろうが同じです。

恵まれた才能でスポーツをする人、努力で同等の技量を持つことができた人。健常者が差があっても競っているように、障がい者もそれぞれの環境でスポーツをしている。それだけなんだなぁと思います。

ところで車椅子競技はもうそれだけで独立した競技にしてしまってもいいような気がします。障がいがあってもなくても車いすに乗って競技する。あの車椅子を操ってのドリブルは一見の価値がありますよ!ちなみに車椅子バスケは手袋などははめず(ボールをつかむから)、素手でホイールを回しているそうです。手の皮がどんだけ厚くなるんだか。

周りで若い女子が「ちょーかいさ~ん」と目をキラキラさせて言うので車椅子バスケを見てみたら、なるほどイケメンプレイヤーでした。ぜひぜひテレビでちょーかいさ~んをご注目ください。

【オマケ】ママリンピックピクトグラム

https://news.mynavi.jp/article/20210805-wadai/

キュウリのキューちゃん

キュウリがふんだんに使える今の時期、いろいろな調理法を試みています(笑
今年のヒットはキュウリのキューちゃんかな。

材料:キュウリ5本 生姜30g 醤油150CC、砂糖90g、酢30cc

キュウリを1センチ程度の厚みで輪切りにして塩もみします。10分ほどたったらぎゅっと水気を絞り、さっと水で洗います。

生姜を千切りにします。私は生姜が好きなのでここでは30gと書きましたが、もっと多く入れます。多く入れても大丈夫です。

調味料を鍋に入れて煮立たせます。そこへキュウリと生姜を入れて、煮立ったら火を止めて冷まします。一旦冷えたらキュウリだけ取り出し、煮汁を煮立たせてそこにキュウリをいれて人に立ちさせて火を止めます。

↑というのが正式レシピですが、私は調味料は加減しています。一人暮らしなので、作るのはキュウリ2本ですから、調味料もそれに合わせますし、最後もキュウリを取り出さずに再加熱しています。

煮汁が多いので、食べ切ったらまたキュウリを切って残った煮汁を煮立たせて~を繰り返しています。


#長年継ぎ足した秘伝のタレのようになっている(汗

お味濃いめなのでそのまま食べるよりも刻んで冷奴にかけたり、チャーハン入れたりと調味料として使っています。

男女参画センターと婦人相談所

DVの相談を専門に受けるのは男女参画センターと配偶者暴力相談センター(配暴センター)です。これ以外の場所でも相談はできますが、専門ではないので、ズレたお答えが返ってくることがありますのでご注意ください。

以前人権相談に行ったら「そんなこと、どこでもあるでしょう。我慢しなさい」と言われた方がいました。人権相談は相談員が年配者の場合が多く、更に地方には「女はかわらしく旦那様の言うことをよく聞いて」という、いつの時代やねん!という発言をする人がいまだにいますから、やはりここは専門のところの門をたたくべきだと思います。

よく男女参画センターと婦人相談所(配暴センター)はどう違うのかという質問を受けますが、役割分担が違います。夫から身体的、精神的、性的DVを受けていて、実際に避難を考えている場合は配暴センターです。もちろん男女参画センターでも相談は受けられますが、あくまでも相談だけで、避難などの手配はできない場合が多く(できるところもあります)、実際の行動は配暴センターの担当になります。

つまり、心のケア的なものは男女参画センター、実際に避難する場合は配暴センターです。
まだ迷っているという場合はまず男女参画センターの門を叩いてください。担当者が「これは今すぐ動いた方がいい」と判断したら配暴センターへ連携されます。

ご本人の意思は必ず確認されます。嫌だと言えばそこで終わります。無理やり避難をさせるようなことはありません。ただ、回数制限があって延々と相談だけを続けることができない所もあります。吐き出したい、誰かに話を聞いて欲しいという場合はここだけではなく、<DV相談+(プラス)>0120-279-889との併用を考えてみてください。

あ、私の電話相談もご利用くださいね。


「夜に駆ける」と若者たち

通っているジムではいろいろなダンスを踊っていますが、昨年踊ったものに「夜に駆ける」の曲を使いました。インストラクターがこの曲の背景にほれ込み、その解説を長々と毎回するものだから、踊る時間が短くなる(笑)

「夜に駆ける」は大ヒットしましたし、耳障りのよいアップテンポの曲と、ikuraさんの伸びる高音と早口言葉のような歌詞が面白いのでよく聞いていました。

インストラクターはこの歌詞の意味は深いんだと、かなり入れ込んで解説してくれたのですが、その深い言葉の意味を知ったら、私もこの曲をたらーんと聞くことができなくなりました。

原作はネット小説「タナトスの誘惑」です。ショートストーリーですからすぐに読めます。若者の自殺をテーマにしたものですが、私の気持ちが落ち込んだのは、登場する若者がブラック企業に勤めていて、疲れ果ててたところに死への誘いがあるという部分です。

”もう嫌だって疲れたよなんて 本当は僕も言いたいんだ”
”変わらない日々に泣いていた僕を 君は優しく終わりへと誘う”

この物語の主人公と自分の子どもが同じ世代のせいか、ブラック企業で体をすり減らしながら働く若者が、死を願う女の子と共に夜に駆けるというストーリーに暗くなってしまいます。

私たちの世代は、特に大きな野望もなく、淡々と生きていればそれなりの生活ができていました。毎日同じ作業をする工場に勤めたり、買い物にくるお客さんの対応をしたり、高校を卒業したらほとんどの人は働き始めました。進学率は3割程度でした。

人と同じことを淡々としていけば、生活には困らず、定年後は慎ましい年金をもらって穏やかに過ごすことができました。男性は学校を卒業してから勤めた会社にいれば勝手に昇進し、同時に昇給し、家を建てて車を買うものでした。ほとんどの人は少しの差はあっても同様の暮らしができました。

ところが現代はそうはいかない。まず単純労働が外国に行ってしまい、その類の仕事が激減しました。それなりの才能のある人には無限に開かれた世の中になった代わりに、普通の人は長い労働時間を時給という形で受け取り、身を削らなければ生活できなくなりました。ちょうどこの「夜に駆ける」の主人公のように。

”もう嫌だって疲れたよなんて 本当は僕も言いたいんだ”

自分の子どもたちを見ていて、君たちは本当に大変な世の中を生きて行かなきゃいけないんだね、辛いね、大変だねと、よく思っていました。ソコソコに働けばみんなと同じ生活ができていた私たちの時代は、今の若者から見たら羨ましいほど楽な時代だったかもしれません。

「夜に駆ける」と、先の見えない混とんの中に生なければならない今の若者たちに、何ともいえない切ないものを感じています。

DVは通報して欲しいか

盆、正月、ゴールデンウィークはモラハラ家庭にとって耐えなければならない三大鬼門です。長期の休みでイライラしているモラ夫は本当に些細なことに難癖をつけ、わけのわからない持論を展開し、謝れば怒りが更にヒートアップするし、黙っていてもなぜ黙ったままなんだ、俺をバカにしているのかと激高します。

友人から聞いた話ですが、ある夜、同じマンションの近くの部屋から「ドドン、ガッシャン!」というものが壊れる音と、女の人の叫び声と泣く声が聞こえてきたそうです。

「DVだと思うから通報したかったんだけど、どこの部屋なのかわからなくて」

右隣ではなく、左隣かなと思ったけれど、上階かも下階かもしれず。マンションは上下階の音もよく通るので、通報しようにも部屋番号がわからずできなかったそうです。しばらくして泣き声は止んだのでそれまでだったそうなのですが。

私は被害者の方から「わざと窓を開けて声が近所に届くようにしていたんだけど、誰も通報してくれなかった。通報して欲しかった」という話を聞いたことがあります。それくらいなら自分で通報したらと思うかもしれませんが、自分で通報はなかなかできません。

現在では子どもの泣き声はさすがに敏感になり、通報もためらわずに行いますが、大人のケンカ(虐待)の場合はなかなかできません。近所だから後から面倒くさいことになるのではないか、何か言われるのではないかと思うと、通報すべきかどうか悩みます。

しかも何号室かわからない泣き声では通報しても警察が困るでしょう。通報はピンポイントで「〇号室で女の人の悲鳴が聞こえる」としなければ、何号室かわからなければ行きようがない。

大声や鳴き声がずっと続いていれば警察が来て特定もできるでしょうが、警察や消防は結構時間がかかって、到着までへたをすると30分くらいかかったりします。

「誰かに通報して欲しい」よりも、自分で警察や役所に行って相談した方が確実かなと思います。その時にレコーダーに録音しておけば「これはひどい」とわかってもらえます。私も何度か録音を聞かせていただいたことがありますが、やはり臨場感のある録音の方がこちらも身を乗り出してご相談を伺う体制になります。

できれば録音を、そしてそれを持って役所のDV相談担当へ行って下さい。

コロナ禍での長期休み

今年のお盆が終わりました。毎年盆、正月、GWはモラハラ家庭の3大緊張期ですが、今年のお盆はコロナの緊急事態宣言もあり、実家へ行くなどの外出もなく、ただひたすら家にいる時間が長かったと思います。本当にお疲れさまでした。

相談を仕事にしていると、予約なく緊急に来られるのは月曜日と金曜日、そして長期のお休み明けです。金曜日は午後、時には仕事が終了する直前の17時前、月曜は午前に集中します。これは私だけでなく、多くの相談担当者が言っているので、どこの家もお休みの間に何か発生するようです。

金曜に飛び込んで来られる方は「土日に何か起こるかもしれない」という不安で来られる方が多く、月曜は実際に何かあって来られます。多くは「出ていけ、離婚だ」と言われたというものです。

本当に男性は簡単に「離婚だ、出ていけ」と言います。息を吐くようにこの言葉を言います。それがどれくらい妻に不安や衝撃を与えるかまったくわかっていません。「では離婚しましょう」と置手紙を置いて出ていくと「勝手に出て行った」と、これも判で押したようにみんな同じことを言います。

#出て行けと言ったから出て行けば、勝手に出て行ったになるという不思議現象

冗談だったのに、本気にする方がおかしいと、これもまた判で押したように言います。子どもを連れて出て行けば「連れ去り、誘拐」と言い、置いていけば「子どもを置き去りにした」「捨てた」と言う。こんな人たちにかまっている時間はありません。

こんな人たちに振り回されるのはもうご免です。あなたが生まれたのは、こんな人生を送るためにではありません。あなたはもっと生き生きと楽しく暮らす権利があります。

不安を抱えて日を過ごすよりも、相手に振り回されない気持ちでいること(すごく難しいですが)相手に頼らず、自分で生活するにはどうすればいいかという情報を集めること、そして実行に繋げることが大事だと毎度思います。

男女参画センターでは無料のご相談を受けています。またDV相談+(プラス)
0120-279-889でも、あなたの気持ちに沿った相談を受けています。苦しくなったら電話をしてください。

とてもわかりやすい文章で書かれた共同親権

共同親権に関してとてもわかりやすい文章で書かれたものがありましたのでご紹介します。

”面会交流要求で過激化する人たち された側の立場への思いやりが全くない 離婚後の共同親権の危険性を示す”

http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-5031.html

このブログの筆者猪野弁護士は取材を受けた北海道新聞が、言ったことの真反対の記事を書いたとして北海道新聞に照会文を送付しています。真反対の記事とは物騒です。記者が聞く力がなくてそうなったか、最初から思っている記事を書くために「弁護士」という肩書を持つ人に取材をし、専門家の意見として歪曲して記事してしまうとしたら、これはもうジャーナリズムではなく、新聞を利用した自己作文発表です。

この猪野弁護士が書いているとおり、過激になればなるほど一般はドン引きし、裁判所は怒るんだけどなぁ。

オリンピックボランティアのつぶやき

こちらの続きです。

ボランティアが観戦していたというニュースがあり、「ボラばっかりずるい」という声がありますが、誰もいない閑散とした会場よりも、ボラ入れて賑やかにした方がいいじゃないかと私は思います。開会式、閉会式はボラ入れろって思ってましたもの。

試合や式そのものでは感染はしないというデータが出ていたと思います。危ないのはその後飲食に行ったりという密になる流れになるから今回は無観客にしたはずです。でも、ボラだったら一般よりはしっかりと統率が取れていますので、その心配はない。でもそれをやったら「不公平だ」というブーイングが来るだろうから実現しなかったろうなぁ。

試合観戦については場所によって仕事以外の時間は見ていいよというところもあったようです。私の当初の持ち場は会場でしたから、そのままだと試合も見られました。「ずるい」と言うならばボラに応募すればよかったのではないでしょうか。

ボランティアは募集8万人に対して20万人の応募者があり、ボラになるのもかなり大変でした。やりがい詐欺とか「あんな暑い所でタダ働きなんてよくやるよね」と半ば呆れている人もいました。暑さを理由に申し込まなかった人も多いはず。

今相当気温が上がっていますよね。今日は35度を超える見込み。ボラはセレモニーとか要人アテンドとかメディア対応などの職種は希望が出せますが、どこに配置されるかはわかりません。35度の気温でカンカン照りの場所への配置も当然覚悟の上です。もはや必勝ハチマキを巻いた特攻隊の気分。

実際私が配属されたのはそういう場所でした。どの日焼け止めが一番いいか、YouTubeを見て研究したし、5月頃から日向に出るようにして体を慣らしました。今日のようなカンカン照りのところに立ちっぱの覚悟があっての応募です。

ボラが観戦できたのは7月中旬、無観客の決定があったからです。それまでは当然観客がいますので、観戦できるような状態ではありませんでした。試合を観戦できたのは本当に偶然。たまたまです。

ボラはあんな暑い所でタダ働きしてがんばってるんです。だったら、試合くらい見たっていいじゃないですか。交通費なんか完全赤字でやってるんです。ボラは日本中から集まっていますから、交通費、ホテル代を自腹を切ってボラをしている人も多いのです。無観客になって客席ガラガラだから、仕事のないときに選手に応援してあげましょうというくらいいいじゃないですか。「暑いのにがんばってくれてありがとう」の気持はないのでしょうか。

無観客になったんだから、ボラの数を減らせばいいという意見には唖然としました。イベントでボラを募集したけど雨で中止になるなんてザラにある、だから今回もそうすればいいという意見でしたが、そもそもそこいらの市民マラソンとオリンピックはまったくの別物です。市民マラソンのボラを3年前から募集して、審査や面接やグループワークなんかやりますか?何度も自腹きらせて研修会場に出向かせ研修を受けさせたりしますか?ものすごい時間のかかるE-Learnigを受講させたりしますか?

普通のスポーツボラとオリンピックボラは全くの別物なのですよ。

そして無観客になり、最後まで完全放置になったままの数多くのボランティアたち。せめて「パラで優先的に活動していただけますか?」のメールくらい出したらどうなんでしょうって、結構憤っている管理人です。

オリンピックは参加することに意義がある

もしかしたら気にしてくださっている方のためにご報告いたしますね。

無事にオリンピックのボランティアをすることができました!たった2日間だけの体験でしたが、ほんとーーーーーーーに楽しかったです♪もっともっとずーーーっとやっていたかったです。こうなると、コロナが無かったら、どんなに華やかで楽しいイベントになっただろうと、残念で悔しくてたまりません。私の一生の思い出です。

世の中コロナで大変なのに、なんてノーテンキなと思われる方もいらっしゃるでしょうが、この場はご容赦ください。

ボランティアはふと思いつきでさらっとエントリーして、簡単に採用通知をもらったわけではありません。若い人は若いというだけで何もなくても採用されますが、年配者は年寄りというだけで落とされます。そういうものです。それをどう採用してもらうか。

自分に付加価値をつけて、シニアだけど何とか使えるかもと思っていただくために、あらゆる努力をしました←ちょっと盛った(笑)でもやれることはやった

そして採用通知をいただき、しかも観客の中に入って行ける役割になり、世界中の方におもてなしをしたかったのですが、それはできませんでした。その代わり、選手や関係者の方たちと楽しく交わることができました。本当に楽しかったです。

話題のお弁当ですが(笑)、あれは会場の近くにお昼を食べるところがない場所があるから。ボランティアのユニフォームを着た人たちが一斉に食事に行くわけにもいかないでしょ。

昼食を持ってきてもそれを置く場所がないところもあります。私は「配布されたポーチにすべていれるように、荷物を置く場所はありません」と言われました。そんなところで仕事をしていますから、お弁当の配布は当然なんですよね。。。足りないと大変なので、イベントの時は多めに注文するもんですよね、普通。。。。余ったらふたつ食べる人もいるし、家に持って帰ったりしますよね。。。普通。

ただ、何千食となると話が別で、お弁当が配布されないところに持って行くとかできなかったのかなーと思います。私が配置されたのもお弁当の配布がないところで、代わりにファミレスのチケットをいただきました。が、そばにそのファミレスはないし、ユニフォームで行くわけにいかないから、結局自弁でしたが。再配置されたところは荷物を置く場があるので、自分で作っていきました。

同じボランティア同士でも普段は知り合えないような方たちばかりで、Line交換して写真を共有したりしています。もう、コロナが無かったら、オリンピック終了後は盛大に打ち上げパーティーでもするのに、本当に残念です。

ただ、私は何とか2日間のお仕事をいただけましたが、まったくオファーのなかった方も大勢いるようです。方や人手が足りなくて増員要請をしてもまったく増員がなく、ひーひーで仕事をしていたところがあるのに、仕事も全部休んで待機しているのにまったくオファーがなく、一度もユニフォームに袖を通すこともなく終わった、オリンピックは失望の日々だった人もいます。

これはひとえに組織委員会の迷走によるものです。これはもうはっきり言う。直前無観客になり、大量に余ったボランティアをどうするかのシュミレーションができていなかった。これはコロナと同じ。上層部が迷走しているから、現場が常に慌てふためいている。

7年間あったんだよね。延期になってから1年間あったんだよね。何をしていたんだろう。

ボランティアになったものの、1日も活動のなかった方の中には閉会式で帰った国の国旗の旗手になった方もいたそうで、これは称賛できるできごとでした。ということは一度も活動できなかった方は誰なのか押さえてあるということですから、オファーのなかった方にはせめて事情説明のメールくらい送って欲しい。連絡すらないそうです。

オリンピック車両の事故が多いようですが、当然です。研修の時、私の隣に座った高齢男性は「ドライバーで申し込んでいるんだ、暑いから涼しいところじゃないとさ」と言っていました。東京の道を走ったこともない、地方からボランティアでやってきた人がハンドルを握っているんだから事故は起こるべくして起る。高齢者が走ったこともない東京の道でナビ見ながら走っているんだから、そりゃ事故るわな。

私も運転しますが、地方ならできますが東京は無理。平気である五差路六差路の信号はどこを見るのだ?見たこともない意味不明の標識はどうするのだ?

面接の時に「運転お願いできませんか?」と言われたから数が不足していたのでしょう。サンデードライバーだけど、何とかボランティアしたい人が手を挙げて、ハンドルを握るケースもあったでしょう。

さらに選手を送迎するバスも全国あちこちから集められているから(ナンバープレートが九州だの東北だの)、東京の道を知らない。目的地の場所を知らない。そんな状態だから、時間に間に合わないが続出。

PCR検査は活動が終わってから郵送で届くなんてこともある。

ともあれ、Twitterには長期間のボランティアを行って満足した方たちのtweetが並びます。私も2日間だけだったけど、何度も言いますがとーーーっても楽しかったです。オリンピックのボランティアをはしごする方たちの気持ちがよーーくわかります。

ともかく一生に一度のイベントはいったん終了でパラリンピックに続きます。

さて、パラはどうなるのだろうか。配布のお弁当は食べられるのか。また無観客の可能性があるので、再度の浪人生活になる見込みが高い模様。とにかく一度もユニフォームを着る機会のなかった方に優先的に仕事を回して欲しいと切に願います。