今までいろいろなことで差別され、不公平な取り扱われ方をしてきました。原因は性だったり、生まれ方だったり(いわゆる親ガチャ)、学歴だったり、見た目だったり、身体的特徴だったり、コネなしだったり、人種だったり、本当に様々です。
親に力のある人なら進学も(裏口入学あったあった)就職先も全部親が露払いをしてくれて、高いハードルもひょいと持ち上げてくれておろしてくれるといったことができます。
私が短大を卒業した時は本当に就職難で、まったく女子学生の就職先がありませんでした。就職課の掲示板には数枚の求人募集がずっとひらひらしているだけで、みんなどうするのかと思っていたら、卒業式に出席した友だちは名だたる官公庁や企業に就職していました。みんな「コネ(コネクション)」でした。
世の中に「コネ」というものがあるとは知らなかった世間知らずの私は、「コネ」というものが強大な力を持っているものだと初めてそこで知りました。女子学生に必要なのはAが並んだ成績表ではなく、親戚筋の「コネ」なのです。
東京の短大へ進学した友人は地元のテレビ局へ就職しました。「親が勝手に決めちゃってたのよ」と口を尖らす友人は、東京で就職したかったと文句たらたらでしたが、親の「コネ」で努力することもなく、自然にショートカットできていたことをどう思っていたのかはわかりません。この友人は病気で早くに亡くなりました。
女は男より20点多く取らなければ合格できないと、高校進学の時にはごく普通に進路指導で言われていた時代です。私もそれをなんとも思わず受け入れていました。
不公平は世の中に数限りなくあります。不公平はどうしても生きていくうえでつきまとう話です。人を羨ましいとか、悔しいとか思う気持ちはとっくにどこかへ行ってしまいました。そうなると不公平感というものもそう大きくはないけれど、世の中って理不尽だなぁと思うことは度々あります。
それに気を取られていると、生活まで嫌になってしまうのと、老年になって本当にどうでも良くなってきているので、これが「枯れる」ということなのかなぁと思ったりします。