映画「LION/ライオン 〜25年目のただいま〜」とGooglemap

先日BSNHKの「LION/ライオン 〜25年目のただいま〜」を何気なく録画をしました。そういえばこのタイトル、旅行した時に飛行機の中のエンタメであったのですが、「ライオンと人間との交流の映画かしらん」という無知も甚だしい思い込みで見ることはありませんでした。

もし飛行機の中で見ていたらウルウル号泣したかも。

また見たことのない方にお知らせしますが、この映画にライオンは出てきません。動物の映画ではありません。確かに最後に「そうだったんだ!」とわかるタイトルではありますが、興行的にはあまりこのタイトル、よくなかったじゃないかしらん。知らない人が聞いたら絶対に動物物だと勘違いする。

5歳の時に迷子になって親と離れてしまったインドの少年が、オーストラリアに養子として引き取られ、そこで手厚く育てられたけれど、自分はいったいどこに住んでいたんだろうというアイデンティクライシスになってしまい。あの時迷子になって、母や兄はきっと自分を探していると思いつめ、Googlemapを使って母を探すという、今様「母を訪ねて三千里」のお話でした。

そして今回はこのGooglemapのお話です。

私はもうGooglemapは手放せません。どこに行くにもmapを起動させてそこで示す場所をめがけてうろうろします。

でもどうしてああ「現在地を示す赤い点」がふわ~~っとあっちに行ったかと思うとまたふわ~~~とこっちに来たり、落ち着かないんでしょうね。

そして困るのは「北東に進みます」という音声。

私は鳥ではない。

磁石は持っていない。

北東ってどっち?

なので進路を誘導する画面ではなく、行く方向へポイントが動く画面で目的地を探します。たぶんそれほど街が大きくない地方ならばこれでよいと思いますが、何しろ東京は建物が多い。目的地の前に立っていても気がつかないことがあります。

#看板は上を見ないとわからなかったりするんだもの

海外に行く時は必ず前もって目的地にピンを打っておきます。特に私が泊まるところは大きなホテルではなくゲストハウスや民家だったりして看板がないか、あっても小さくて目立たなかったりするので、これは必須の作業。

そしてストリートビューに切り替え、画面であたりをうろうろして駅からの道順やスーパーを探したりします。実際に行くと写真で工事中だったところがまだ工事をしていたりして、「何年工事をしてるんだろう」と呆れたり、このお店に行ってみようと旅の前の楽しみをふくらませます。

一番しんみりするのは、以前住んでいた場所をストリートビューで見ること。自分の住んでいた家の周辺をぐるっと散歩したりします。

2、3年前までは私が住んでいた時の写真だったのですが、今は新しい住人の方の風景に替わってしまいました。もう私が子どもを育てていた家ではなく、植木も変わってしまっています。家を手放すとはこういうことなんだなとしみじみ寂しく思います。

こうやって自分が行かなくてもその場所に行けるGooglemap。

5歳だったインドの貧しい少年が25年後、Googlemapで自分の記憶を呼び戻しながら母ときょうだいの元に帰るという、21世紀の奇跡の実話が「Lion」だったのです。