【下準備】

夫がテレワークになってから、家に私の居場所はなくなった。家事の至らない点を指摘する、ものの言い方が気に入らないとネチネチいびる夫との生活は限界で、まず市の女性相談に行った。

ところが女性相談員は、「あなたが入れるシェルターはない。簡易宿泊所にでも行ってくれ」と門前払い。その日は絶望に押しつぶされそうな気持で家に帰った。

でも私はあきらめなかった。行政書士、地域の見守りセンターなど頼りになりそうなところには片っ端から電話した。 それでも帰ってきた答えは異口同音に「女性相談員に相談を」と。

そこで私は考えた。市の女性相談員があてにならないなら、この女性相談員の手の届かないところに逃げてしまおうと。

私は精神疾患で年金をもらっていて、それ以外の収入はわずかなアルバイト代だけなので、通常の賃貸物件を借りるのは難しい。 でも、マンスリーマンションならば借りられる。そこでマンスリーマンションの会社ふたつに問い合わせをした。

1件めは緊急連絡先に設定した父に連絡が入ってしまうため、計画がばれる可能性が高い。そこで審査のゆるいもう一方の会社の、 一番安い物件を契約した。夫に感づかれないよう、やりとりはすべてLINEとメールで済ませた。

マンスリーマンションならば、家具類はそろっているため、必要最低限の荷物を持ち出せば大丈夫だ。

貴重品類、パソコン、衣類、仕事道具。それだけ持って家を出ることにした。夫がリモート会議に夢中になっている間に、 自分の部屋でまとめられるものはまとめた。 そして、めったに外出しない夫がたまたま飲み会に出かけた日、季節外れの衣類と本数冊を使っていないスーツケースにまとめ、 契約した貸倉庫へと送った。

番外編として、これまでつけていた日記は、 会社のロッカーに隠しておいた。

いよいよ実行

マンスリーマンションの契約開始日に、仕事を休みにしてもらい、貴重品とパソコンを入れたリュックと、当面必要な衣類をいれたボストンバッグを 持ち出した。夫には「ちょっと出かけてくる」とだけ言っておいた。

玄関に近い部屋にあった私専用のクローゼットに荷物をしまっていたので、ばれることはなかった。

悪天候の中無事に搬入は完了した。

翌日は仕事の後、寄る場所があったので、その間の時間でドライヤーや電源タップ、洗濯用品などのすぐに必要になるものを買って、 マンスリーマンションに置いてきた。

その次の日は何食わぬ顔で家にいたが、決行を明日に控えているかと思うと、落ち着かなかった。

そしていよいよ当日、夫が起きる前に仕事道具だけを持って、書置きを残して家を出た。

夫の反応

家を出たその日に、「ゆっくりしてくればいい」と夫からLINE。

当然既読スルー。

そのうちに夫は、「お願いだから帰ってきてくれ」、「今までの幸せにようやく気付いた」、「今まで荒れすぎていて申し訳ない」などの ロミオメールのようなLINEを送ってきたが、私は無視し続けた。

その間に私は、モラハラを扱ってくれそうな弁護士をネットで探し、調停を起こした。

裁判所からの呼び出しが届いた日、「今までありがとう」と夫は送ってきた。

調停の様子

1度目の調停の直前まで、私は不安で仕方なかった。調停の期間と、相手の出方がまるで想像できなかったからだ。

それでも1度目の調停で、婚姻費用がもらえることになった。ここまでスムーズにいくなら、2度目で離婚成立するかと思っていたら、 相手が欠席。

のみならず、「お互いにコンプレックスを刺激し合っていた」、「自分は親と和解したが、妻はまだ和解できていない」などと 意味不明な弁明書をよこしてきた。

私はあきれ果てた。

このままだと長引くかと思いつつ迎えた3回目。夫は「夫婦生活をやり直すための方法」を何ページにもわたって書いてきた。 もちろんこの文書に、私の意思は反映されていない。

相手に離婚に応じる気はないのではと、弁護士とふたりで頭を抱えたが、私は調停委員にきっぱりと拒否する旨を伝えた。 そうすると意外なほどすんなりと、相手は折れた。

調停委員に財産分与が相手の言い値でいいのかと念を押されたが、私はこれ以上もめたくないので、大丈夫だと言い切った。

こうして、私は離婚を勝ち取った。

夫は「友達に戻れたら」とLINEしてきたが、この人は本当に自分のしたことを理解していないと思った。

ちなみに3度目の調停の前に、協力的な不動産店を見つけておいて、マンスリーマンションからは引っ越していた。 そして離婚届を出したその足で転居届を出した。