風に吹かれて〜Blowin' in the wind〜
もう明日は大晦日です。年末年始はモラハラ夫がいる家では高緊張期となりますので、どこの家も厳戒態勢でいると思います。なぜモラ夫は長期休みになるとイライラするかといえば、家にいることがルーティンではないからです。仕事に行って、あれやって、これやって、誰かにこれをいいつけて、次にあれもと、毎日している仕事ならば頭が回りますが、ここにルーティンでない行事が入ると先が読めず、自分の思うように事が回らないので、彼らの頭では対応できなくなるのです。
ならば頼むから何もしなくていいから、機嫌よく休んでいてくれと思いますが、彼らは世の中の人が一斉に大掃除をしたり、お正月の買い出しに行ったりしているものだから、人と同じようにしなければ格好がつかないと、あちこちの押し入れを開けたりするのですが、そこでまた気にいらないものが入っていたり、いつも入っているものなのに急にいらっとして「まだこんなものが入っているのか!」と怒鳴りだし、次々に文句を言い始め、毎年恒例の不機嫌なお正月へと突入するのです。「早く三が日が明けてくれればいいのに」と、時間がすぎるのを祈るような気持ちで過ごしている方も多いと思います。
離婚してからもう14年が過ぎ、自分の好きなように時間を使えるようになり、あの異常なお正月を思い出すこともなくなりました。もしあのまま一緒に暮らしていたら、子どもたちが独立して二人だけの生活になり、会話もまったくなく「早く夫に死んでほしい」と心から願いながら味気ない生活を送っていたと思います。あの時の決断と行動力を褒めてやりたい私。
今年埼玉県のフォーラムでお話をさせていただきましたが、そのときに「離婚はできないので、一緒に暮らすためにはどのようにしたらよいか教えてほしい」というご質問がありました。その時の私は「なるべく言葉を交わさず、できるだけ離れて、ストレスをその都度解消したり、カウンセリングを受けたりなどと、大人であるあなたに言えることはありますが、一緒に暮らすお子さんがこのストレスフルな家庭でどういう気持ちでいたらよいのかという答えを、私は見つけることができません」とお答えしたと思います。
子どもの脳を傷つける親たち という本が出版されました。
歪んでしまった脳のまま大きくなった子どもたちがどのようになったか、モラハラ被害者同盟の掲示板であふれているその情報を知りながら、「夫からのダメージを少なくするにはどうしたらよいか」はないと思う。子どもが健康的に成長できなくなった場合、子どもの一生も母親の老後も、決して幸せにならないことは語るまでもないからです。
今年もあと1日となりました。来年がみなさまにとって良い年でありますように。
このところ昔親しかった方たちと立て続けに会う機会がありました。みんな似たような年齢人たちですが、それぞれ別々に会っているのにみんな同じようになっていることにちょっとびっくり。いえいえ、私もその一人なわけだから、全員が同じになりました。
年齢を重ねてどのようになったかというと、全員揃いも揃って「欲がなくなりました」。
若いころは「あれが食べたい」「あそこに行きたい」「何がしたい」「あれが欲しい」「こうなりたい」などなどの欲求が絶え間なくあったものですが、それが私も含めてみんな無くなってしまったのです。これが年を取るということなのかもしれません。
子どもの頃は、見たかったテレビ番組を見られなかったとき(まだビデオがない時代)は、悶絶して悔しがったものですが、今だったら「あ、見損ねた。ま、いっか」で終わり。
「食べ損ねた。ま、いっか」「これができなかった。ま、いっか、いつかやろう」でほとんどが終わってしまいます。といって仏様のようになったかといえばそれはそうでもない。
腹が立つこと、いらっとすることなどは従来通りにありますので、仏の境地になったわけではない。
ただ、欲がなくなって無気力になる、疲れやすくなって動かなくなる、いや動けなくなってきているのはもう、自分でよくわかります。会った人たちがみなこの状態だったことにちょっと安堵しました。みんな一緒に同じ老け方をするものなのね、ああ、よかった。あの頃、情熱の塊だったよねと、笑いながら話す友だちと一緒に年を取るのはいいものです。
ただ、みんな縁側でお茶を飲んでいるわけではなく、それなりに興味の場所が変わって、新たな道を見つけて前進をしているのはさすがに我が友です。ただ、みんな老獪ですから、目を血走らせて突進するようなことはせず、自分のペースでゆるゆると進んでいます。「もうこの年で骨を折ったらくっつかないもんね」と言いながら自分の幅を広げていく。
だって人生90年の時代ですから、あと30年以上生きなきゃいけないですよ。人生は30年で一区切り。30歳までは人生の基盤を作り、30歳から60歳でその基盤を元に生活し(出産、子育てがこの時期)、60歳からは子育ても終わり仕事もリタイヤ、好きなように時間が使えます。問題は経済力や生活の状態が大きく作用し、
60歳を過ぎても働いて生活を支えなければならない人と自分の好きなように過ごせる人に分かれるということです。モラ夫と共存している方は、さらに共存を続けるか、
新たに道を探すか、ここで区切りをつけた方がいいかもしれません。
何が幸福かはそれぞれです。人生もう1/3が残っていますので、結構どんでん返しが待っていたりして。
それも、ま、いっか。
今トップページに女子スパというネットマガジンからの依頼で取材を受けた「広末涼子もドン引き…モラハラ疑惑の日テレ・辻岡義堂アナは本当にヤバい?」という記事を載せています。普段あまりテレビを見ていないので、「辻岡義堂さんって誰?」とググって、「ああ、あの日曜朝にいつも汗をかいている人だ!」ということがわかりました。名前は知らなかったけれど、汗をかいていつも謝っている人というのが私の中の位置づけです。
さて、日テレの「行列のできる法律相談所」の中で、何でもこの辻岡氏の行動がモラハラではないかとの声が方々であがっているそうで、取材をお受けしてからその録画を見ました。
うん、辻岡さんが相当変わっている方だということはわかりました。夫にできたての温かいおかずを食べさせたいと、タイミングをみて作った料理を前に絶叫し「煮物は冷めたほうが美味しいのに!」と言ってお風呂に行ってしまう。真夜中に「伊勢神宮に行こう!」と無理矢理家族を車に乗せてドライブに行ってしまうといった、あまり常識では考えられないことをする人だったため辻岡モラハラ説が出たようです。
結論から言うと、それはモラハラではないというのが私の考えでしたので、そうお伝えしました。詳しいことは記事を読んでいただければ良いと思いますが、問題はなぜその番組を見ていた人がこれをモラハラと思うのかです。
辻岡さんは確かに家族に対して思いやりのないと行動をとっていたのですが、思いやりがない人=モラハラ夫ではありません。例えば病気で寝ている妻に「俺は弁当買ってきてきたから、寝てていいよ」という夫がいる。彼は妻が病気で寝ているのだから、自分は弁当で食事を済ませたという気遣いのつもりかもしれませんが、病気でも妻も食事をするというところに気が回らない、ちょっと残念な人です。もちろん病気で寝ている妻に「寝てていいよ。で、おれの今日の夕ご飯は」と言う夫よりもいくらかマシですが。
モラハラ夫はまず妻が病気になることを許しません。自分の生活が第一などに加え、自分のライフサイクルを乱すなんてとんでもない女だと思うのはモラハラ夫です。寝込もうものなら罵声、舌打ち、ため息といった、「病気をしてすみません」と
思わずにはおれないような動作をします。
辻岡さんのような、人の状況を思いやれない、気遣いのない人が全部モラハラ夫だったら、世の中のたくさんの方がモラハラ夫になってしまいます。再現ビデオ見ている限りでは、自分が真夜中に伊勢神宮に行きたいのだから相手も同じに違いないと思っている、ポジティブな自己中の方であると思われました。
ただし、私も色々これまでモラハラの取材を受けて、再現ドラマも作っていただいたという経験から、こちらの言っていることがそのまま再現ドラマになるわけではなく、製作者の大いなる勘違いの元、または、最初に結論ありきの恣意的な作り方によって、こちらの話したものと全く違うものができてくるというのは何度もありました。しかも辻岡さんはこのテレビ局の社員ですので、局のためなら誇張されようと、恣意的な取り扱いをされようと、我慢したのかもしれません。
というわけで、このドラマがこの家の本当の姿であるかどうかはわからないのです。また、ここが肝心という部分の取材ができていないので、「この再現ドラマを見る限りでは」という但し書きがいくつも付いてしまいました。今年春に放送されたNHKの番組と違い、この再現ドラマはあくまでもバラエティーで、モラハラを社会的な問題として取り扱う番組ではありませんので、こういったものができたのかなと思います。
残念だったのは弁護士の方がこのドラマを見て「モラハラだ!」と言ってしまったことです。辻岡さんの行動が、普通考えられない極端に非常識だったためそう思われたのかもしれませんが、非常識な人=モラハラ夫ではありません。妻も困っているようには見えましたが、おびえているようには見えませんでした。それを「洗脳」と言ってしまうには、なにぶん材料が足りなすぎるのです。ご本人に会ってひとつひとつこちらの質問に答えていただいて、それからモラハラ状態にあるのかないのかを考えていかねばならないところです。こうやってモラハラが誤解されたまま一般の人に広がっていくのかと思うと、とても残念な気持ちがしました。
DVの被害者ならば、一度はお世話になるであろう女性センター。その名前は「婦人相談所」「男女平等参画センター」「男女共同参画推進センター」「男女共同参画センター」などなど各自治体でマチマチです。大抵は都道府県単位で大きなものがあり、その他に区市町村であるというのが普通です(村はないな)
その女性センターの相談は一般相談の他に特化してDV相談があるもの、一般相談の中でDVを扱うもの、相談員が複数名常駐しているところ、週1、2回非常勤で勤務するもの、相談は無くてカウンセリングがその役をしているところなど、これも様々です。
その相談もその自治体に住民票がある人のみだったり、どこに住んでいる人でもOKなど、これも様々です。どこからでもOKという所は親切そうに見えますが、実際にDV支援をする場合は役所が動かなければなりませんから、その相談は聞きっぱなしでそこで終わり。相談員が聞いた話をその相談者の居住区に伝えて連携するといったサービスは期待できないと思います。あまり自分の住んでいる地区の役所には行きたくない方は、たぶんこの「聞きっぱなしで終わり」の相談ジプシーを繰り返しているのではないでしょうか。
女性センターは無料で相談や支援を受けられる素晴らしい場所ですが、あまりにその存在を大きく評価してしまうと、心のダメージを受けることになります。
女性センターでは相談員やカウンセラーは共感を持って聞き、あなたは悪くないよと励ましてくれるのですが、だからと言ってそれは何のお墨付きにもならないことをちょっと頭の中に入れておいた方がよいと思います。
「○○女性センターでモラハラだと言っていただけました」というBBSの書き込みが時々ありますが、それを裁判所で言ったところで何の証明にもなりません。精神科という専門家が意見書として出してくれるなら別ですが、「女性センターで認めてくれた」と調停で言っても、たぶん調停委員はそれほど気にとめないでしょう。女性センターで認められたことで意気揚々と裁判所に行き、調停委員から「で?」という反応が返ってきたときに、その前が高揚していただけに、落ち込みも大きくなります。女性センターの相談は当事者を励まして力を与えるもの、気づきを与えるもの、いくばくかの情報をくれる所であり、裁判所ではほとんど無力です。
その部分だけ押さえておいて、利用できるものは利用すると割り切った方が、ダメージを避けるためには有効なのではないかと私は思います。
先日掲示板に「電話相談をしようと思います」と書いたところ、早速お問い合わせをいただきましたので、本当に行おうと思います。ただし、継続的に
行うのではなく、単発です。今回電話相談を行って、みなさんがどういう内容の相談を望まれているのかを知るためのテスト版として行います。
限定5名様。平日、休日、日中、夜間など時間を散らして行います。時間は30分です。30分では短いのではと思われる方がいると思いますが
、相談界には「30分の法則」と言って、「人は30分話すと元に戻って同じ話を繰り返す」というものがあります。弁護士相談や行政の相談などは
30分間で終了するものがありますので(長く話すのは自由ですが、その分課金されます)「凝縮して説明し、相談員からアドバイスを受ける」
という練習も兼ねて行いたいと思います。
書き言葉と違って話言葉は1分で相当の内容を話すことができます。私は以前テープ起こしのアルバイトをしていた時がありますが、所詮プロではありませんので、1分の
テープを起こすのに、15分以上かかっていました。つまり、人は1分間にそれだけのことを話しているのです。30分で話したい内容をまとめておく練習、人に
伝える練習を兼ねたいので、この時間設定にしました。また「やっぱ50分は必要だな」と思ったら、次回考えます。次回があるかどうかは今回終わったときに考えます。
さて、そして料金なのですが、最初1千円と考えていたら友人から「1千円だといたずらの人たちが入ってくるよ」と助言がありまして、ではどうしようかと考えていたらここでまた問題が。
それは「人は料金が高い方が満足する」という法則です。1千円の占い師と1万円の占い師、さらに5万円の占い師。
どの占い師の話を一生懸命聞くでしょうか。自分が身銭を切ったものですから、それはもう値段の高い方を一生懸命聞いて信じますよね。雑誌に載っている「今月の占い」
を必死で読んでいる人がどれくらいいるでしょうか。
へんてこりんなカウンセラーに1時間2万円を支払って何も得られなかったと憤る方もたまにいますが、2万円も支払ったのだからきっと自分は何かを得たのだろうと
自分で自分を納得させる方もいます。「選んだ自分が悪かった」と自分を責めるより、「よかったのだ」と思う方が精神的に楽ですからね。お金を沢山支払った
ことで満足する、これも法則です。子どもの塾代は後から後悔しないために惜しみなくつぎ込む。結果が悪かった時に「あれだけ教育費に使ったのだから満足です」と
いうことにするために。お金を使うことで「自分は何かをやったのだ」と自己満足するという方もいます。
ただ、医者にしろ弁護士にしろカウンセラーにしろ、その成果は受けた後でないとわかりません。いわば博打です。博打に2万円は私の経済観念では
高すぎです。ではMaxいくらなら博打につぎ込めるかと言われたら2千円です。だから2千円にしてみました。←すごく安直(笑)
料金が2千円なのは自信がないから、と思われる方もいるでしょう。そう思われるのはちょっと癪なのですが、どのような状態の方が来られるかわからないので、絶対の自信があるとも書けません。
でも、「値段が高い方が人は満足を得られる」という法則もあるし。安くしたことで効果が下がっては困るし。う〜ん、う〜ん。
相談は電話のみ。こちらからおかけしますので、通話料金は必要ありません。ここまでは決まっているのですが、まだ料金設定については悩み中です。
ずっと前から私は政治に疎いんですと言い続けてきましたが、昨年の「親子断絶防止法」法案が国会に出てくるというビックリな出来事以来、少しそちらの世界も気にするようになりました。初めて議員会館というところに足を踏み入れ、院内集会というものに参加し、お土産に「アメノミックス」というキャンディを買ってきて友人にばらまきました。なかなか興味深いところで、社会科見学として一度入ってみても悪くない場所だと思います。
昨年は、いつ法案が出てくるのやらと、ドキドキの日々でしたが、とりあえず今のところは出てきていません。でも、昨年のように、いきなり「出しますけど、何かご不満あります?」的な出し方が今後ないとも限りませんので結構国会ウォッチングをしていたら、今度はモリ・カケで国会大騒ぎ。籠池泰典理事長の証人喚問の時なんか、仕事休んでじっくり見てしまいました。また、共謀罪法案成立があまりにもひどくて、「日本はどこに行くんだ」と、思わず天をあおいでしまいました。
私は森友問題の時に出てきた「忖度(そんたく)」という言葉が気にいって、「モラハラ家庭は忖度家庭だ」と、ただいまあちこちで使用中です。夫はこうしろとは言わない、でもそうしなければ罰せられるという状況に、これ以上ぴったりな言葉があるでしょうか。被害者は常に夫に忖度していなければこの家で生きることができないのです、ということは権力というものがある場所では、忖度はどこにでもある行動様式だということではないでしょうか。
そして、加計学園問題。「総理のお友だちが獣医学部を作りたいと仰っているから、これを推進せよ、これは総理のご意向なのだ」という文書が出てきたアレです。本当に総理がそう言っていたか、それともいつものように周りが忖度していたのかはわかりません。当初怪文書扱いされていた文書ですが、元文科相事務次官の前川さんが「確かにその文書はありました」と証言したことで急展開。なにしろ事務方のトップの方ですから、これ以上信頼のおける証言はなかったでしょう。
興味深かったのは前川元文科相次官が記者会見で語った、文書はあったという内容もさることながら、自分が告発することで元部下たちを苦しめてしまうという思いを語るときでした。残った人たちを思う気持ちが言葉の端々に感じられました。私も長い間組織に所属していますが、こういう方がたまにいます。仕事もでき、部下からも慕われ、職場を去るときにはさぞや多くの方が惜別の思いで見送られたでしょう。前川さんに対しては実際そういう証言もあります。
自分が告発することによって、部下たちを苦しめてしまって申し訳ないという思いとともに、しかしながら、これは今は外にいる自分がやらなければならない、長い間宮仕えをしていた自分の使命なのだという思いもひしひしと感じました。
ところが、その前川さんが出会い系のお店で女の子たちを物色していたと言う記事がほぼ同時に報道されました。これはもう誰が考えても、彼がこのような記者会見をするのに合わせて書かせたので思います。それは総理が以前「熟読するように」と名指しで答弁したその新聞社でした。
前川さんの記者会見は立派でした。しかし出会い系の店に通っていたのは事実であると認めた前川さんの弁明は、「貧困女子の調査」という、いかにも苦し紛れの答弁でした。もうちょっとまともな言い訳はなかったものか、これが「下半身は別人格」というものなのだろうかと、今までの官僚のスキャンダルと同じように思っていました。
ところが、今月初め、「前川さんて、そんな人じゃないよ」というお話を伺い、あちこち探してみると、なるほどこういうことだったのねという内容のものがあるのを次々と見つけました。追記事が出ていたんですね〜。
前川さんは現場主義で、子供食堂にも行く、夜の仕事をしている人たちはどのような人生を送ってきたのか、それは教育の現場で修正できるものなのかと体当たりで行っていた方なのでした。どこからか放り投げた情報に基づいて書いた新聞社も調査すればわかることでしたが、調べなかったか、あるいはわかっていたけれども書かざるを得なかったのか、新聞社の良心をも疑われるようなことだったのだということがわかりました。
また、2005年、自らのブログで「義務教育費国庫負担金を削減するのは間違っている」「クビと引き替えに義務教育を守れるなら本望」と書いていました。公務員が自分の職を明かしてブログを書くというのも、結構な度胸もんだと思いますが、そのブログの中で国の方針批判をするのも、相当肝の据わった方だと思いました。
辞めてから告発するのではなく、中にいるときに言えばよかったではないかという声が多く出ていますが、組織というものに所属していたことがある人ならば、それは大変難しいことである事は誰でもわかることです。言える雰囲気だったらとっくに言っていたでしょう。
組織と言うものを中から変える事はとても難しい。むしろ外圧というプレッシャーをかけてもらった方が中は変えやすい。そして、中になければできないこともたくさんある。法律というものは、読み方によって、運用によって、いろんなことができます。民法766条に「面会交流を行うように」とだけ書かれていたものが、DV事案だろうが、子どもの福祉にかなっていなかろうが、何でもかんでも面会交流させられるようになってしまったように、運用によってはどういうこともできるのだということを私たちは間近に体験しました。だから昨年の親子断絶防止法が出てきたときに一体どのような運用になるかが非常に恐ろしかったのです。
ステータスにしがみついたのではなく、中にいて法の解釈を広げることで、助けることができる、変えることができる、前川さんはそれを模索したかったのだと思います。私は今回のことでそういう方が実際にいるということを知りました。このことを皆様にお知らせしたくてこの文章を書きました。総理はこれから説明すると言っていますので、ちょっと注目して聞いてみることにします。
このことについてはいろんな記事が出ています、よろしければこちらもどうぞ。
ところで、この記事を書くためにインタビュー動画を見てみようとYou-tubeを開いたら、なんだかすごいのがずらずらっと。
沢山の同じような動画が沢山アップされていました。親子断絶防止法推進派の方々と同じような語調で、ちょっと怖かったデス。。。
BBSのパブ板に書きましたが、テレビ朝日が放送しているお昼の連続ドラマを楽しみに見ています。毎日は見ません。録画して、週末まとめて見ます。だいたい連続ドラマというものは次の日も見て欲しいから、いいところでぶちっと切ってくる。そうすると続きが気になるからやっぱり翌日も見ることになり、そしてその翌日も、ということになるくらいなら、週末まとめて見た方がストレスが少ないためです。このドラマは20分間の放送ですが、前回のあらすじとテーマソングとCMを取ると正味13分程度なので、不要な部分をスキップしてまとめて見た方が時間のロスがありません。
さてこの放送の28話目にこういう場面がありました。
主人公菊村(石坂浩二)はテレビ界に功績のあった人が無料で死ぬまで過ごすことができる老人施設「ふれあいの郷」に入居しています。妻の律子(風吹ジュン)が認知症のまま亡くなった後、この施設のオーナーに誘われて入居したのです。ある日そこに往年の大スター秀さん(藤竜也)が入居してきます。このモデルを私は高倉健さんだと思っているので、以後、健さんを思い浮かべて想像してください。
実は律子は昔、絵がプロ級だった秀さんに請われてヌードモデルになることを承知したのですが、結局寸前に気持ちがゆらぎ、モデルにはならなかったという過去がありました。その秀さんが菊村の部屋を訪ねてきて、律子の水着写真をしげしげと眺めているシーンがありました。秀さんはじっと写真をながめているだけで一言も口をききません。しかたがないので菊村は一生懸命秀さんに話しかけます。
「ふれあいの郷にはあの人も、この人もいて・・(うっ、マズイ、秀さんと関係のあった女性ばかり言っちゃった)」などと、ウロウロしながらひとりでしゃべりまくるのです。
「ああ、あの人とよく共演されてましたよね」「ご存じですか?あの人のことですけどね」。
まるで舞台のひとり芝居のようにオロオロしながらしゃべりまくるのですが、秀さんはまったく反応せず写真を見ているだけです。菊村は室内の物をあっちによせたり、頭をかいたり、ふと思いついたようにはしゃいでみたりするのですが、秀さんはまったく何も言いません。この間5分くらいでしょうか。途方にくれた菊村は心の中で思います。
「早くも自己嫌悪が首をもたげていた。この人と対するといつもこのように一方的に私がペラペラと喋ることになる。敵があまりにも無口だから、するとなんというかステイタス的に、わかりやすくいえば位(くらい)的に向こうが上でこっちが下になる。私の方が本当は向こうより少し年上なのに、しかも脚本家と役者なのに、なんとなく向こうが偉い人でこっちが偉くない人になってきて、態度がだんだん卑屈になってくる」
秀さんは無視をしているわけではありません。ただ、黙っているだけです。怒っているわけでもいじけているわけでもありません。秀さんは無口な男なのです。それなのに、一緒の部屋にいる人は瞬間的に相手を上位に置いてしまい、自分は卑屈になって相手の機嫌をとる行動に出ます。
「相手が黙っている=怒っている=自分がなんとかせねば」という思考回路はごく自然に発動されるものだということについて 篠田真貴子 さんが「不機嫌がなぜいけないか」というタイトルで記事を書かれていました。「ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書)」を取り上げ、なぜ不機嫌な人の機嫌をとらずにいられないのかというメカニズムについて抜粋がありましたのでぜひ読んでみてください。
モラ夫の機嫌をとらずにいられないのは、感情をコントロールできる成熟した普通の人だからです。決してそれは悪いことではありません。相手が悪かっただけです。
ところで秀さんは、時にはべらべらとおしゃべりが止まらない人であることがこの後に出てきました。何だか本当にモラ夫みたいですが、秀さんは無口なだけで、モラハラのツールである無視をツールに使っているわけではありません。ここ重要ですよ。無視と無言は切り分けましょう。
某ある方と一緒に旅行をしました。1週間以上の長い旅を終わって彼女が私に「大ママ、あっかるいね〜。いっつもあっかるい」と「あっきれちゃうほど」という形容詞をつけたいくらいの勢いで言いました。そう言われてみれば普段から私は明るいです。ただ、怒る時はあります。喜怒哀楽と言いますが、喜怒楽で生きているようです。ただ喜怒は瞬間なので、そうそうそれだけやるわけにはいきません。やったらバカです。
仕事の時も普段の時も、たぶん同じです。明るい。
普通の人なら落ち込むような不運事があった日、友人に「あ〜、これで済んでよかった。子どもは健やか、私は元気。これで済むならめっけもんだと思える私は絶対うつにはならないわ」と報告したら、苦笑いした彼女は「そーだろうよ。みんなそう思ってるよ」と言いました。健康で、自由で、仕事があって、子どもが健やかとそろっていれば、落ち込む理由がありません。上を見ることもなく、分相応のもので満足できるのでいつも幸せです。私が明るいのは、
ほどほどの幸せがどんなに貴重なものであるか知っているから、そして、理由がもうひとつあることがわかりました。
ちょっとご紹介したい本があります。
この本は日本理化学工業株式会社という、知的障がい者の方を大勢雇用している会社について書かれています。従業員の7割が知的障がいの方だそうです。マスコミに多く
取り上げられていますので、ご存知の方もいるかもしれません。
この会社の社長さんは禅寺で聞いた4つの幸せを大事にしています。
4つの幸せのひとつめは「人から愛されること」
私がいつも明るく楽しくいられるのは、この4つが満たされているからだろうと思います。
このサイトを続けて15年。みなさんから愛され、役にたったと言っていただけ、ありがとうと感謝の言葉をいただけている。だから私は幸せでいられます。
このサイトをご覧いただているみなさま。私を幸せにしてくださって、本当にありがとうございます。
被害者が回復したという印のひとつに「自分で判断することができるようになる」ということがあります。モラハラ夫のいる家での「判断をすること」はとても難しい。なぜなら夫は機嫌の悪いときにはあなたが言ったことをすべて否定し、お前は間違えている、バカだ低脳と言い続けるからです。
赤と言えば「白だろう、それくらいわからないのか。信じられないくらいのバカだ」「いったいいつになればわかるんだ」「こんな女と結婚したのが間違いだった」「こんな女に育てられる子どもがかわいそうだ」という言葉が繰り出されます。これをモラハラ専門用語で(マルCつけちゃおうか)「後出しじゃんけん」と言います。
いつも先に言わせ(決断させ)「それは違うだろう!」と言って責め立てる手段です。そのくせ後からおそるおそる「あれは白だったよね」と言えば「はぁ?何言ってるの?どうすれば白になるわけ?赤に決まってるだろ、バカか?お前」となるエンドレスな後出しじゃんけんになります。つまり相手に決めさせるのは責める材料を作るためです。モラハラ加害者は気が小さいので、自分の失敗が認められません。
だから相手に責任を押しつけて様子見をします。成功した時は「オレが言ったとおりだろう」と鼻高々。
被害者は自分の判断の元はいつも夫にあるので、自分を主軸に考えることができなくなっています。
こういう人が家から避難しようとした時に直面するのは、選ぶことを恐れることです。「まず避難する家を決めましょう」と言われても、どこにどういう家を決めたらよいのかがわからない。
決めることができない。いっそのこと誰かに「これにしましょう」と言って欲しい、私、従うから。
夫と別れた方がいいのかこのまま同居した方がいいのか、誰かに決めて欲しい、私、従うからと泣き出す人もいます。
#これについては、いつか別方向から書きたいな。選ぶことができない社会的環境や歴史的なものもあるので。
悩む苦しみは本当に辛いと思います。なぜならその責任は自分にあるから。自分で決めたことの責任を自分で取るのが怖いから誰かに決めて欲しい。
でも、この決断だけは自分で決めなければならないのです。誰に言われたからではなく、自分が決めたからがんばる。その後の人生を自分で作る。その底力をひっぱり出すためにもやっぱり自分で決めなければならないのです。
モラ夫と同じになってはいけないから。
モラハラ被害に遭ったことのない人は、どんなに研究しようが被害者に沢山会おうが、本当に被害者が受けているモラハラの恐怖を完全に理解はできないと私は思っています。ただ、非常に優れた支援者や研究者は、どんなに研究しても被害者の気持ちを理解するには限度があるということを知っています。知った上で支援します。優秀まで届かない人たちは本を読んだり、被害者から話を聞いたことで「知った気になっています」。知った気になっている人から「あなたはこうなのよね」と決めつけられると、何だかなぁという気持ちになります。
一生懸命支援してくださっている人に申し訳ないので、「やっぱり被害に遭わないとわからないのね」という言葉は口には出さずに飲み込むことにしていますが。よく「想像力があればできる」とはいいますが、実際のところその場になって、その人になってみなければ、やっぱりわからないことは多いと思います。
その立場にならないとわからないことは多くありますが、自分が年をとっていろいろ変わったことがあります。それは「結婚して家を出た娘がDVに遭ったと言って実家に帰ってきた時の親の気持ち」です。結婚した娘が「辛い目に遭っている、家に戻っていいか」と聞かれたら、それは「もちろん、いつでも帰っておいで」とその時は言います。ただ、それは私が被害に遭っているから言えることです。もし被害に遭ったことのない親だったら「少しぐらいのことは我慢しなさい」「テレビの見過ぎなんじゃないの?思いこみなんじゃないの?」という親がいても、それも有りだなぁと思います。
そういう親は決して特別ではない。だって、親も大変なんだもの。
「貧困老人」とか「老後破綻」など、老人に厳しい時代になってきています。年金は目減りしていき、制度だって継続できるかわからないという時に、娘が子どもを連れて転がり込んできたら、「よく帰ってきてきたね。辛かったでしょう」と言えるのはせいぜい1週間。我が母親なら2日と持ちません。今まで居なかった子どもがキレイに片付けた居間を荒らし回り、洗面台は水が飛び散り、それよりなにより甲高い子どもの声に頭がキリキリする。老後のために節約しなければならない食費が3倍かかる。老人世帯なら食べる量も少ないしそれほど凝った物を作らなくてもいいけれど、ここに子どもが紛れ込むとそうも言っていられない。仕方なくハンバーグだ焼き肉だと買ってくるから3倍になる。娘は「モラハラでうつ状態」とやらで、てきぱき動けず、子どももほっぱらかし。
いったいこの状態がいつまで続くのか、いつまで娘一家の面倒をみなければならないのかとお先が真っ暗。私はモラハラ離婚当時は、この親の気持ちが想像できませんでした。親だったら娘がかわいいハズ、そのかわいい娘が助けを求めに帰ってきているのだから温かい心で見守るのが親でしょ、と思っていました。親には親の生活があり、将来設計があるということに気づきませんでした。
離婚の場合は実家を頼るという方には「せいぜい一時の避難場所として、できるだけ早めに住居を決めて実家を出るように」とアドバイスをします。避難するときも「○ヶ月お世話になりたい」と言ってもらえれば、○ヶ月だけならと、こちらも辛抱できます。
その年になったから、両方の気持ちがわかるようになりました。被害者支援をしている身としては、幅が広がるという大きな収穫になりました。
「無視なんて黙っているだけでしょう?何が怖いの?こっちもダンマリを続けていればいいじゃない」ということを言う人が時々います。ひとつ屋根の下で一緒に暮らしていて、ダンマリをする人が一人もいなかった家で育った幸せな人なのでしょう。
子どもは思春期によくダンマリを始めますね。大人の階段の〜ぼる♪
疎ましいほどそばに寄ってきて「今日学校であーだったこーだった」とうるさくしゃべっていた子がいきなり不機嫌な顔をしてダンマリを始める。「どうしたの?」と聞けば「うるさい!」としか言葉が返ってこない。外では友だちと機嫌良く遊んでいる子どもが、家では「メシ、フロ、ネル」しか言わない(普通はそれも言わない)。たまに口を開くのは「カネくれ」の時だけだったりする。そうよ、そうよ、みーんなそんなもんなのよ。これで悩んでいる方は時間が解決しますのでほったらかしましょう。
しかし、モラ夫の無視はこれと違います。黙っているだけではないのです。口をきかずに黙っている夫からは、煮えたぎった怒りのオーラがムラムラと立ち上っているのです。「黙っているだけでしょ?何が怖いの?」と言う方。ただ黙っているんじゃないのですよ。彼はオレをこんなに怒らせたな!と怒っているのですよ!!オレは怒りたくないのに、機嫌良くしたいのに、お前はオレを怒らせた!どうにかしろ!と態度で迫ってきているのですよ。
これが三歳児ならしばらく放っておけば「うぇ〜ん」と言いながら寄ってきますが、モラ夫はそうはいきません。無視には無視をすればいいじゃないと言いますが、これを放っておくと次にくるのは物を投げる、ドアを蹴るといった物へ当たり散らし、そして子どもへの当たり散らし。教科書を破く、捨てる、机をぶん投げるといった威嚇行為の開始。もし被害者が専業主婦の場合は生活費ストップと来ます。だから無視は怖い。それだけで終わらないから怖いのです。「黙っているだけ」ではないのです。
簡単に「無視されたらあなたもそうすれば」と言うお気楽な人は、ぜひご体験くださいませ。
モラハラ被害者の3大鬼門期、お正月が終わりましたが、みなさまはどう過ごされましたでしょうか。なぜ長い休みになるとモラ夫たちはイライラし始めるのか。それはルーティンの日常ではないからです。朝家を出て会社に行って、「あれとこれはできたか」「そうだ、あれもやらなくては」「おっと、部長が外に出る前にこれを説明しとかなきゃ」と頭を忙しく回転させ、その回転はグルグル回りっぱなしのまま昼食、そして帰宅。そして翌日へと続くはずが、ここで正月休みが入ってしまい、家にいなければならない。イライラ。
家にいるとルーティンじゃないからすることがないからと、冷蔵庫などを開けてみる。目についた佃煮の瓶のラベルを見ると、「賞味期限が3日も過ぎてるじゃないか!」
「これ、今朝のおかずに出したよな!」
「オレを殺す気か!」「毎日家にいて、何やってんだよ!」
夢中になって冷蔵庫の中を引っかき回し、中のものを片っ端からゴミ袋に入れる。
頭に来たついでに押し入れをのぞいてみると、
「なんでもかんでも押し込んで!捨てちまえ!こんなもの!」
選別もせず、特に妻が大事にしいている物からゴミ袋の中へ放り込む。
こうなったら黙って見ているしかない、というのが我が家でした。そして後にゴミ収集所から拾ってきてまたこっそり隠すと。
そんなに会社が好きだったら、正月も働いていればいいのに。正月休みなんかいりませんと言えばいいのに。死ぬまで働いていればいいのに。
会社という日常から家という非日常へ強引に連れてこられ、何をしていいかわからないイライラと自分の思い通りになっていない家の中のすべてのことに、モラ夫のストレスは爆発するのです。
話は変わりますが、イクメンの誉れも高かった出版社のエリート社員が妻殺人容疑で逮捕されました。今現在は黙秘しているとのことなので、彼が殺したのかは定かではありません。ただ、妻は「夫から暴力を受けている」と行政に相談していたのは事実のようです。DV夫が全員イクメンではありませんが、DV加害者はイクメンであることをアピールするというのは被害者支援をする人の多くが口にすることです。もちろん私も。私の元夫のイクメンアピールはすさまじいものがありました。家では妻子を虐待して、外では優しい夫、父の仮面を被る。
この事件は「DV夫はイクメンぶりっこをする」という実例になりましたね。
今夜はクリスマスイヴ。ひとりで過ごすクリスマスを「クリぼっち」と言うのだそうです。昔、バブルの頃も、まだバブルの慣習が残っていた頃も、
クリスマスイヴをどう過ごすか、若い男女は頭を悩ましていたものです。とにかく、ひとりきりのクリスマスなんてミジメな事は絶対に避けなければ
ならないと、メリクリではなく無理くり相手を作り、お正月の初詣が終わったら、はい、サヨナラもあった時代でした。今は「クリぼっち」と堂々と言え、
一人用のクリスマスケーキも売っています。
とは言え、できればひとりは避けたいな〜と思う私はここのとこ、イヴは友人とワインバルで過ごすのが
お決まりでした。今年は我が家で「鍋パーティ」を催すことにし、現在用意は万端調っております。鍋は簡単だし、やってくるのは始終会っている
友だちだから「家にあるのは発泡酒と安いワインとハイボール用の安いウィスキーと日本酒」といつものように宣言してある。
彼女たちは自分の飲みたい物を持ってくるだろう。ちなみに来るのは全員家庭持ち。
「子どもが大きくなったらクリスマスパーティなんかしないわよー。適当に家のご馳走作ってからお宅に行くわー」とのことです。
そういう彼女たちとはここのとこ、紅白も一緒に見て一緒に年越しを過ごていたんでした。「家族と一緒にいたってつまんないもん」と言う彼女たちは
「行事は家族で過ごすべし」という価値観はありません。私が東京に来ず、田舎にいたらこうはいかなかったと思います。
子どもたちはそれぞれやっているし、夫と一緒にいてもつまんないけど、家を離れるわけにはいかないという伝統に頭が
しばられている人たちには無理な行動です。
田舎でなくても都会でも、モラ夫が家にいたら500%ありえない状況。彼らは自分が外のクリスマスパーティーに行っても、家では温かい暖房と、
クリスマスらしいデコレーションと手作りのご馳走を望みます。自分はクリスマスプレゼントをもらっても(欲しいと言わなくても寄こせというオーラが
プンプン。やらないとモラハラツール出しまくり)、子どもたちにプレゼントを買っても、妻にプレゼントという発想のない人たちなので、
妻は「家族はいるけど寂しいクリスマス」をおくることになります。クリぼっちよりも寂しい「家族のいるクリスマス」。クリぼっちが嫌なら、
あなたが主催者のクリぼっち同士のパーティをやってしまうという手もありますよー。さて、今日はさぞかし賑やかになるだろうなー。
親子断絶防止法は今回の国会には上程されず、来春の国会上程を目指すそうです。この法案のキモは8条、「面会交流の取り決めをしなければ、子どもと一緒に家を出てはいけない」という部分です。DV夫は当然のこと、働かないヒモ夫などがいる場合も家を出ることが困難になります。子どもが成人するまでモラハラに耐え、ヒモ夫を養えというのでしょうか。あなたの周りにいる議員はこの法案を賛成しているのか反対なのか、市会議員、県会議員、それぞれに聞いてみましょう。結構この法案自体知らない議員が多いのです。
今巷ではアンガーマネジメント講座が注目を浴びているそうです。アンガーマネジメントとは言葉のとおり怒りをコントロールすること。というわけで、話題のアンガーマネジメント講座に参加してみました。無料で受けられる講座は少ないのですが、公民館などでよく講座を行っていますので、検索エンジンで探してみましょう。
アンガーマネジメント協会というのもあるのですが、こちらは全部ファシリテーター養成講座です。独立を目指したい方は、これから注目されると思われる分野なので、アンテナをたてておいても損はないと思います。ファシリテーターのページを見ると、なんだかアナウンサーの人が多いみたい。
おっしゃべりの上手な人が講座を行うのに向いているのと、アナウンサーだけでは先行きが不安という人が資格をとっているのではないかと推測。
さて、講座を受けて印象に残ったのは
◎アンガーマネジメントとは怒らないことではなく、つまらないことで怒らないこと。
◎怒りを4種類に分ける
A重要で変えることが可能
Dの場合の答えは「忘れる」でした。そうだなー、自分の怒っていることを4つに分けて考えるのもいい方法だなーと思いました。モラハラ夫の場合はBですね。これはもう自分でどうにかするしかない。
◎怒っているのは何か原因があって怒っているのか、それとも先に怒っていることがあって「八つ当たり」しているのか、その見極めも重要とのことでした。モラ夫の場合はもちろん「八つ当たり」です。ただ、普通の人でも八つ当たりはあると思うのです。職場で嫌なことがあったとき、贔屓のチームが負けたとき、通勤している途中にこちらが悪いわけではないのに怒鳴られたときなどなど、モラ夫でなくてもありますわな。
モラ夫と普通の人の違いは、その沸点が異常に低いことです。モラ夫は何しろプライドが高いので、ちょっとしたことで傷つきます。堕とされたプライドを修復するために、自分はエライということにせねばなりません。それに利用されるのがターゲットです。よくDVはサイクルがあると言いますが、人は日常生活を過ごしていると、多かれ少なかれストレスはあります。積み重なったストレス(傷ついたハート)を修復するために、怒りを爆発させる必要があるのです。
怒ることについてはアンガーマネジメントファシリテーターのブログこちらをご参照ください。
モラ夫は八つ当たりしてもいい人と悪い人を分けています。つまりコントロール可能な怒りです。いくら嫌なことがあっても、上司にはペコペコする。自分でペコペコしておきながら「なんで偉いオレ様がペコペコしなきゃいけないんだ!」と更に怒りを増幅させる。そしてどんなことをしようが服従する対象に全部の怒りを向けてくるのです。
また、普通の人は怒った後で「しまった、八つ当たりをしてしまった」と後悔するのですが、モラ夫はこれがまったくできません(「しない」のではなく「できない」)。
こういう講座には「どうしたら自分は八つ当たりをしないようになるのか」という反省できる方が参加されます。だから、こういう講座にはモラ夫は来ません。
私の受けた講座では、Bの「変えられない重要なことには、逃げるという選択肢もありますよ」というお話をされました。大切なのは相手から受けた怒りを、他に連鎖させないことだと思います。何十年か前、父が母に向けた怒りの八つ当たりを、母はまともに私に向けたため、私は大人になってから「母を棄ててもいいですか?」という本を書くことになったのですから。
オマケ:子どもを連れて家を出たら「拉致だ、誘拐だ」と言い、置いて出れば「置き去りにした、捨てた」と言う。いったいどないせいというのだろうか、教えて欲しい。
親子断絶防止法の法案の案が出てきて、議論が活発になってきました。
この全国ネットワークサイトの中には多くの方の意見がありますので、どうぞご一読ください。
思えば平成24年民法766条が改正されたとき、「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。」
このたった1行で、裁判所がここまで面会交流を押しつけてくるとは思いませんでした。身体的DVを受け、負傷している被害者にすら「それはあなたと夫との関係で、子どもは面交には差し支えない」と言われ、被害者は
泣く泣く面交を続けています。
月に1度だからいいじゃないかと思われそうですが、その1度の面交をするため、自分に危害を与えた元夫と連絡を取るのがどれほど苦痛か裁判所は何もわかっていません。
面交の日程を決めるメールを出せば、嫌み、罵倒、逐一揚げ足取りの返事が返ってくる。そして始終詫びもないドタキャンで生活リズムが乱される。月に1度でも、終わった後には、翌月の面会交流の連絡のことで
頭がいっぱい。これでは何のために離婚したのかわかりません。モラハラ元夫との支配関係は続いており、未だに元夫の姿形、声に怯えながら生活しなければならない被害者が多く、どうにかしたいと思っていた矢先の
法律案でした。
法律案9条に「配偶者からの暴力がある場合に特別の配慮をする」とありますが、この配慮とはいつ、誰が、どこで、どのように配慮するのかがわかりません。
なにしろ766条ができて、DV被害者へ何の配慮もない強制的な面会交流を押しつけられている現状では、ここをはっきりとしていただかないと、不安でいっぱいです。
共同親権を推進している人たちは「ある日突然妻が子を連れ去った」と言いますが、母子家庭になって貧困や就労といった不安材料がたくさんあるのに、
ある日突然家を出るわけがありません。家を出るにはそれなりの理由と覚悟があるのです。それに気づかないから「ある日突然」になる。ちゃんとそのメッセージは出ていたはずです。
妻や子のメッセージに気づこうともせず、家の中はオレ様の天下と思っているから「ある日突然」がやってくることになる。
現在裁判所ではモラハラはまったく相手にされず、夫婦ケンカの中での言い争い程度にしか認識していません。モラハラだけでの慰謝料などはほとんど
ないと聞いています。モラハラは性格の不一致のオマケ程度の扱いです。確かに「モラハラです」と主張する方の中には「違うんじゃね?」という方もいます。
ですから、裁判所はきちんとDVについて理解している専門家を置き、DVなのか、ただの性格の不一致なのか、きちんとジャッジする仕組みが必要だと思います。
#ただなぁ、専門家が「これは精神的DVです」と言っても「冤罪だ」と逆上する輩はたんといると思う。
『親子断絶防止法』が、9月26日から招集される臨時国会に提出されるとのことです。
この法律が成立した場合、子どもを連れての避難が難しくなるかもしれません。共同親権推進派は子どもを連れての避難を「連れ去り」と表記しています。
共同親権は確かに欧米の多くが取り入れている制度ですが、それには「離婚は裁判所で行い、非監護親の離婚後の生活についての取り決めは裁判所が行う」「養育費の不履行は許されず、国がさまざまな手段で取り立てに協力するほか、不払いの親には刑事罰が科せられる」など、離婚した後、子どもを連れた親子が安定した生活を送ることができるような制度がつくられていますが、日本には何もありません。
モラハラ加害者は養育費を決めても非常に低額だったり(月額5千円とか)、早々に支払いが無くなったり、養育費の減額請求が何度も繰り返されるなど、とても子の福祉を考えているとは思えない状況です。
現在共同親権を取り入れている国の中には「遠方への転居の禁止」「住所を非監護親に必ず伝える」など、監護親の行動を制限するところもあり、監護親にとって負担が大きく、国が考える「離婚してもふたりで仲良く育てて」と、実際に生活する当事者の考えとは大きな隔たりがあり、監護親の不満となっています。他国の人たちはたとえ手厚く保護されていたとしても、決して喜んでこの法律を受け入れているわけではないのです。そして日本はこの保護がまったくありません。現在身体的DV被害者ですら、面会交流を強要されています。精神的DVの被害者は、裁判所でDV被害を訴えてもほとんど考慮されていません。
面会交流の仲介をする公益社団法人家庭問題情報センター(FPIC)の情報誌には次のような記述があります。
「身体的DVは加害者が認めやすいので、援助受け入れに抵抗が少なく、援助者の丁寧な対応があれば実現可能な場合が多いようです。しかし、面会親のジェンダーバイアスが極端な場合や、DV冤罪主張が強すぎる場合は、仮に同居親の柔軟な対応で開始しても面会交流は中断しがちです。」
モラハラ加害者は自分のしていることを「躾けている」「教育している」「注意している」と思っていますので、DV加害者の自覚がありません=冤罪DVと思っています。プロフェッショナルが支援するFPICですら手を焼いている状況が如実に見えます。
今回の法律案は努力義務が多く、マイルドな印象がありますが、法律は最初に通してしまうと改正を続け、より厳重なものになりがちです。最初に書いたとおり、子を連れての避難が難しくなった場合、同居しながらの別れ話をすることから起きる傷害、殺人等の増加、避難できないストレスで起こる病気の増加(国庫の負担増)、また、現法律では子どもの前でのDV(精神的なものを含む)は面前DVとなり、心理的虐待になりますが、避難できない場合はどのように解決するのかまったくカラ。
このような問題がクリアできないままの親子断絶防止法の立法化には賛成できません。まずはマイナンバーもできたことだし(転居、転職しても国が追いかけ可能、収入の把握可能)、非監護親の養育費支払いを義務化することら始めて欲しいところです。
私は先日年金事務所に行き、65歳まで納めたとして、いったいいくらの年金がもらえるのか試算してもらいました。
やってみてびっくり!手取額は東京の単身生活保護者よりぐぐっと低い金額(家賃込み)です。ところでワタクシ、年金って60歳まで納めれば
いいのだと思っていましたが、これが違って、働いていたら65歳までで、「70歳まで納めることができるので、がんばって働いて納めてくださいね。年金額が
増えますよ」とにこやかに年金事務所の方に言われて、どっと力が抜けました。
厚生労働省によると女性の厚生年金の平均月額は10万2千円だそうですので、私がもらえるのはほぼ平均的な受給金額です。これが、昔のように
息子夫婦と同居し、生活費としていくらか息子に渡し、孫に小遣いを握らせ、外食の時には「今日は私が払うから」と財布を出し、
「お風呂を新しくしたいんだけど」と息子から相談されれば「半分出してあげようか」と言えるだけの貯金もあるという、昔ながらの
3世代同居ならば全然ゆとりの金額です。年金ができた頃は、隠居した夫婦は子どもと一緒に暮らすのが当たり前だった時代。
この金額設定はその生活を前提に作られたものなのでしょうか。単身がこの金額で暮らすのは相当厳しいと思います。
よく年金生活の比較表などが新聞やネットに載っていますが、大体夫婦単位の例が多く、単身のものはあまりありません。だいたい10万2千円でどう暮らすかと言われても、ファイナンシャルプランナーは困ってしまいます。問題は家賃。食費や光熱水費、交通費、通信費など、
絶対に必要な金額を引いていき、残ったのが家賃として使える金額です。3万円だったら公営住宅か築50年以上の家を借りるしかないでしょう。
生活保護を受給する人が右肩上がりで増えているそうです。圧倒的に人数の多い団塊の世代の人が65歳を超え、無年金だったの人たちは生保を受給することになりまりますから
当然です。国は年金納付のモチベーションを上げるために「年金を10年納めればもらえるようにする」と言っていますがアマイw。満額受給が10万円なんだから、
10年しか納めなければそれ以下でなければフェアじゃない。月額1万6千円だそうです。これでどうやって暮らせとw。足りない分はやっぱり生活保護頼み。生活保護は医療費無料、税金無し。
介護の話をすると、「昔は70歳で死んだけど、今は90歳まで生きる。今まで経験したことのない社会に突入している」という話になりますが、同様に
年金も生活保護とこんがらがって、未曽有の状態になるとしか思えません。
10年納めるモチベーションを上げるより「必死で納めるより生保の方が得」と考えるモチベーションを上げる人が大勢いてもおかしくないと思います。
幸い私の友人に「オレ納めないよ、生保の方が得だもん」と言っていた人がおりますので、彼がどのように老後を迎えるのか観察しようと思っています。
でも、彼が生保受給したら断然彼の方が収入高いわけだから、「オレの勝ち」って言われそうだけど_| ̄|○
被害者の中には「自分は共依存なのではないか」と悩んでいる方が時々います。共依存とは頼られた相手にとことんつくすことで自分の存在価値を確かめるという
ものです。お互いに依存している。だから”共依存”です。よく例として取り上げられるのは、アル中夫の飲酒を何とか止めさせたいと、かいがいしく世話をする妻という構図です。
自分は共依存ではないかと思う方はおそらく、自分は相手が望むものを常に先読みして行い、相手に心地よい環境を提供しているからと思っているせいではないでしょうか。
ではなぜ先読みをするのでしょう。それをしないと相手が怒るからですよね。
でも、多くの被害者は「はい、リモコン」と夫にリモコンを渡すときの顔は引きつっているか、びくびくしているか、ともかく幸せとはほど遠い顔つきをしています。
被害者はリモコンを渡すとき「今の状況と夫の視線から想像するに、今彼が欲しているのはリモコンであると推察されるが、果たしてこれは正解だろうか」と祈るような気持ちで
手渡しています。オーバーなと思われるかもしれませんが、それは被害者になってみなければわからない感情でしょう。そこまで追い詰められるのです。もし
間違っていたらあの恐ろしいモラハラが始まるきっかけを作るわけですから、それは必死になります。あなたのために尽くしている私を感じるのが幸せなんて、いったいどこの話かですよ。
被害者の多くは夫が仕事に出て行くとき、「今日、事故で死んでくれないか」と思いながら送り出します。これはモラハラ被害者として、とても一般的な感情です。
もし共依存だったら、世話をする相手がいなくなってしまったら、自分の生きる価値が無くなってしまうわけですから、そのように考えることはありません。
私は時々支援者の方から「DVからのサバイバー」という紹介をされます。支援をする方たちの中にはこの「サバイバー」という
言葉を使う方がいますが、実は私としてはあまりしっくりきていません。その理由のひとつは「いえいえ、サバイブなんて私、
そんな大層なことしたわけじゃないっすから」ということがあります。私は自分の家庭が辛かった、それは夫がモラハラ加害者だからだ。
そしてモラハラ加害者と生活をすると、私にも子どもにも悪影響しかないとわかった、だから夫とは離れようと思った、ただそれだけの
ことです。確かに離婚の時は大変でしたが、今振り返ってみれば「まぁまぁ何とかなったよね」という程度のものです。ただ、それも
離婚後13年も経っているので、時が忘れさせてくれているのかもしれません。
13年前、「サバイバー」という言葉の他に「スライバー」といいう言葉もあるのだということを知りました。逆境を乗り越えた後、
人間として大きく成長する人がいる、それを「スライバー」というのだと書いてあるものを読みました。サバイブする、生き残った後、
自分の体験したことを、ただ辛かったなぁ、もうあんな目に遭いたくないなぁと思うだけでなく、なぜ自分は生かされたのか、
今後どのように生きるべきかと思いめぐらせ、その後の人生を変えていく人を「スライバー」というのだそうです。
「ああ、いい言葉だな、私が目指すのはスライバーなのだ」と当時思いました。このことについては以前「陽のあたる場所」として書いています。
現在、ポジティブ心理学の中で「PTG(Post Traumatic Growth)」PTG(心的外傷後成長)として注目されているそうです。スライバーもPTGも、辛い体験を糧にして大きく人間として成長する人です。私はまるで血液交換をしたのかと思うくらい
別の人間になりましたから、たぶん私は成し遂げたと思っています。この状態になって一番良かったのは、とても生きやすくなったことです。誰かと自分を比べることもないし、
失敗してもくよくよしないし、ま〜、楽になりましたね。同じような体験をしても、この場所に来られる人と、来られない人がいるのはなぜでしょうか。
私の場合は周りの人たちに恵まれたことが大きかったと思います。後は元々持っている性格でしょうか。どこか根本のところで
さっさとスイッチを切り替えられる柔軟さがあったような気がします。これはセラピーやロールプレイをして容易にできるものかどうか。その人がおかれた環境や
運もありますしね。
熊本地震では沢山の方が亡くなり、多くの被害がありました。亡くなられた方には心よりお悔やみ申し上げます。そして未だ家に帰れず避難生活を送っておられる方々には、
手足を伸ばして眠ることができる設備が早急に設置されますように。政府を蹴飛ばしたい気持ちでハラハラしています。
GWを利用して沢山のボランティアの方たちが現地入りしているようです。人の善意による手助けは、PTGとなる大きな要因ですから、たくさんのいろんな形の応援が必要です。
逆境はどこにでも転がっています。目の前に塞がる山に「あー無理だわー」とそこに座り込むか、「登ろうか、穴を掘ろうか、飛ぼうか」と案を巡らせるか。
私は「誰か手伝ってー」と叫んでみることも、悪くないと思います。
先日横浜YWCAでモラハラについてお話させていただきましたが、今までの講座とちょっと違った中身が入りました。「もし夫に発達障害と思われる症状があるならば、”カサンドラ症候群”について調べて見てください」という部分です。
私の掲示板でも何度かこの言葉が出ています。私はカウンセラーや医学関係の人ではないので、講座でこのような専門用語は使わないようにしています。あくまでも元被害者が、自分の体験から考察するといった内容を講座では語ってきました。
そのため講座ではこの言葉について解説はせず、ここで言葉を覚えて帰ってから自分で調べてくださいとお願いしました。
この掲示板の中身を読むと、書いた妻たちの状態が、モラハラ掲示板とまったく同じなのに驚きます。ただ、自分の夫がモラハラなのか、それともASDなのか、見極めるのは難しいのではないでしょうか。ですので発達障害を専門にしている機関に行き、お話をするのが1番良いのではないかと思っています。地方は専門機関というのは難しいと思いますが、教育現場では現在発達障害の児童の教育に力を入れているようですから、そちらの方から紹介してもらうなどしてみてはいかがでしょうか。
ハラッサーとASDの大きな違いは良心の有無です。まったく悪気なく、まるで3歳児のように自分の思うようにならないからと、大声で怒鳴り散らすASDと、相手を貶めるために怒鳴り散らすハラッサーでは中身が違うのです。ただ怒鳴られている方にしたらどう違うかは問題になりません。怒鳴られたら怖いし、心臓がバクバクするしといった、受け手の気持ちに差異はありません。ただ、「もし心当たりがあるならば専門機関で調べてください」とお願いしているのはASDにはトリセツがあるからです。
このごろ「モラ夫がモラハラをしなくなるための対応の仕方」という本やネット記事があるようですが、モラハラ夫にはどんな対応も効果はありません。もしできたとしたら、それはモラ夫ではなかったということです。でもASDならば、説明の仕方や接し方等で、相手を怒らせることが少なくできます。中には医療機関に行き診断を受けて、自分はASDであることを認め、家族とともに困難を超えていこうとする人もいるそうです。ただ、もしASDだったとしても、通常の人とは違うわけですから、一緒に生活することはやはり苦労が伴います。そこから先はモラハラだろうがASDだろうが、夫婦としてやっていけるかどうかという個人の問題になります。私は後々後悔しないために、あらゆる可能性をつぶしておいた方がよいと思っています。自分が納得したから別れを選んだ、その気持ちが別離後の心の回復に大いに役立つと思うからです。
昨年12月21日(月)、モラハラ被害者同盟が総力をあげて協力した「あさイチ」が放送されました。その9ヶ月前、モラハラパブで
「『あさイチ』でモラハラを取り上げてもらおうプロジェクト」が開始され、いろいろな方がどうすれば番組で取り上げてもらえるか、
ああしたら、こうしたらと、ゲストの方たちが意見を出し合っていました。結論から言うとプロジェクトが動いて番組ができたわけではありませんでした。
きっといろいろな方が「あさイチ」でぜひモラハラを!と希望されたんでしょうね。パブにはあさイチへの投書URLを貼ってくださった方がいましたので、
もしかしたらそこから投書してくださった方もいたかもしれません。
最初に「あさイチ」制作の方から連絡をいただき、いろいろお話させていただいたのが11月中旬。放送まで1ヶ月以上もありました。今まで
いろいろなテレビ番組に協力してきましたが、ここまでじっくり作り込みのできる時間があったのは初めてでした。
この間、担当の方は一生懸命モラハラを勉強されたと思います。今回、モラハラ被害者同盟関係者が沢山協力しましたが、みなさん「担当者の方の
熱心さにほだされた!」と語っていました。もちろん私もそのひとりです。モラハラは突き詰めればそう難しくないことなのですが、それを
どういう構成にするか、どう映像にするか、制作する方は非常に悩まれたと思います。50分間という長い時間でしっかり放送されたのも初めて
でしたが、もっともっと詳しいことを知りたかった方は多かったでしょうし、こちらも関わった者としてすべてを伝えきれない歯がゆさはありました。
イノッチさんが「お金もない、体も悪いという方たちはどうしたらいいのか」という、とっても素朴でポイントを突いた質問に
対して、十分な答えがなかったことに不満があるかもしれません。ただ、それに対して私が弁明するとしたら、対象者の年齢、子どもの年齢、モラハラの程度、
当人のパーソナリティ、子どもの状態、働けるか否か、詳しい精神状態、実家は頼れるか、今住んでいる自治体の状況その他もろもろもろもろによってみんな違うのです。
「こうしたらいいですよ」と、数秒一言で言えたらDV被害者支援は苦労しません。おそらくそれを語ろうとしたら、
国の制度から始まって、法学、社会学、精神医学、心理学、地方行政を総動員して説明しなければならなくなります。だから本田先生が「先輩たちが情報を
残していてくれるから、それを探して」と仰ったのです。
さらに、脱出の方法なんかを放送したら、加害者に情報を与えることになります。その類のことは絶対に表に出せません。実は私もサイトに書きたいことは
あっても、加害者に知られたら困ること、被害者に思いこまれたら困ることは書けないので、黙って筆を置いていることも多いのです。
ずっとモラハラを世の中に広めたいと思ってきた私にとって、この放送は記念すべきものになりました。これはひとえに制作に携わったNHKスタッフのみなさまと、
ご自分の危険も顧みず、協力してくださったたくさんの被害者のみなさまにのおかげです。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
ここでホントの裏話:
今年は年明けの1月から芸能人のモラハラ離婚騒動があり、なんだか大忙しな1年でした。よく「あっという間」と言いますが、本当に今年は瞬き1回したら1年が過ぎていたという、ウラシマ状態でした。流行語大賞にもノミネートされたモラハラですが(遅いっちゅーに。私は2006年の第1次モラハラブームの時に流行語大賞になると思ってました)確かに広まった感はあります。ただ本当にモラハラがどういうものなのか、きちんと知っていて使っている人がどれくらいいるのでしょう。「言葉の暴力」「精神的虐待」、中には「積もり積もった不満があふれでること」なんていうトンデモ解説をした、自称モラハラに詳しい弁護士もいました。
ハラッサーの目的は「相手を支配し、自分の思うがままにコントロールすること」です。ここがメインです。暴言や無視や荒々しい態度はオプションです。このオプションにだけとらわれると「夫はこういうことをします、これはモラハラですか?」という的外れな質問が掲示板に書かれることになります。夫がしていることを話しても、モラハラの判断材料にはなりません。問題はそれをされたあなたがどう感じるかです。
「夫は時々怒鳴ります。怒鳴られると怖いのでビクビクして暮らしています。でも、いつ食べるかわからない夫の食事なんかバカバカしくて作ってられないし、夫の世話もしません。夜はいつもジムに行って仲間と遊んでいます。夫も別に何も言わないし。生活費は潤沢ではないけど、まぁ、暮らせる程度にはもらってます」というのはどうでしょう。夫はなぜ怒鳴るのかを考えてみましょう。もし相手を支配し、コントロールするのが目的で怒鳴るのならば、ずいぶんと中途半端です。行動をコントロールするためなら夜中のジム通いなんかできないようにするし、生活費も渡さないこともできるのにそれをしていません。だいたいモラハラ夫は妻が楽しんでいるのを見るとイライラするはずです。ターゲットが楽しんでいるなんて絶対に許せないはずです。でも、この夫はそれについては何も言っていません。
「怒鳴る夫が怖い」というところだけ聞いてしまうと「モラハラだ」と言ってしまいそうですが、たぶんこの夫は仕事か何かでイライラしている時に八つ当たりしているんだろうなと、私は思います。家族は自分が養っているから、八つ当たりの対象にしてもかまわないという甘えと勘違いをしている夫なのではないでしょうか。ではこの方は被害者ではないのかというと、怒鳴られて怖い思いをしているのは間違いないので、精神的DVの被害者の方なのではないかと思います。
私は、これはモラハラかどうかと聞かれた時は、被害者が完全に相手から飲まれていて、相手には絶対に逆わないし何でも言うことを聞く、言われる前に望み通りのことをする、相手に完全服従状態であるということが必要条件だと思っています。そして加害者は猫がネズミを長い時間をかけていたぶるようにもて遊び、ターゲットの苦痛を見るのが大好きな精神の吸血鬼であることがやはり条件だと思います。
パワハラ・セクハラはきちんと整理され、法的にも整備されました。でも、モラハラは定義さえできていない状態です。来年は定義の部分に踏み込んだものができますようにと、モラハラの神様にお願いしたい気分です。
交際していたら子どもができた、というのはよく聞く話です。以前は「できちゃった婚」と言ったものですが、今は
「授かり婚」と言うのだそうです。そうですよね、できちゃった婚なんて、生まれてくる子どもに失礼千万ですよねー。
さて、男性から「結婚する気がない」と言われて逃げ回られた場合とか、やっとモラ男と別れたけど妊娠していることが
判明した場合は、これは悩むでしょう。よくドラマなんかで「私がひとりで育てます!」ってきっぱり仰る女性が
いるけど、ひとりで育てるって、それはそれはそれは大変ですよ。さらにに昨今モラ男と発達障がいの関係がクローズアップされてきて
いますので、これは慎重を期したいところです。
「中絶したら、私は一生後悔する」という方もいます。つまり自分が後悔したくないから産むというわけです。産みたい
わけではなく中絶をしたくないのです。これは子どもが生まれるという結果は同じですが、産むと中絶したくないは
まるで違います。中絶したくないのは自分のためです。産むということはひとりの人間をこの世に送り出すということです。
この子の一生はあなたがどう養育するかにかかっています。子どもが小学校に入るくらいまで、自分の時間はゼロと思ってください。
お茶を飲んだり本を読んだり映画を見たりする時間はゼロです。それどころか寝る時間もトイレも食事もすべての行動が制限されます。
子どもを育てるためにはお金が必要ですので、自分のためのお金はゼロです。
時がたち、好きな相手ができて、「私は母親より
女でいたい」なんていうおそれのある人は、不幸になる子どもを世の中に出さないでください。中絶は一生悔いが
残る出来事になるかもしれません。でも、ひとりの人間に不幸な人生を歩ませるよりも、自分の痛みは自分で背負ってください。
(数年間は)何もかも捨てて子どもにすべてを捧げる自信がある方は、どうぞ小さな命を大事にしてください。
私はこの4月から再放送されている「あまちゃん」に今頃はまっています。めちゃ面白い!ああ、リアルタイムで見ておけばよかった。
2年前は「じぇじぇじぇっ!」ってなんのことかと思ってましたから。実は「あまちゃん」に出演している薬師丸ひろ子さんが、
昔から気になる人ではありました。ファンというわけでもなく、好きというわけでもない。でも、作品は結構見ています。彼女の主演映画を
続々と発表していた角川映画は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。何度もテレビでCMが流れるものだから、なんとなく映画館に足を運ぶことが多かったですね。
その中で「探偵物語」がやっぱり(面白いとか興味深いというわけではなく)何となく気になる映画でした。
ananとかnonnoなどの雑誌には、「街で見かけた今時ファッション」として、よく大学生が登場していました。「今日はママと一緒に自由が丘でお買い物」とか、
「お休みは湘南でサーフィンしてます☆」などのインタビュー記事は、いったいどこの世界の話なんだと思いつつ、ちょっとそれに真似たことをしていたものです。(ママとお買い物
だけはありませんが)
東京に移り住み、東京の生活にすっかりなじんでしまうと、今度は田舎と都会の落差に愕然とします。年に数回田舎に帰りますが、本当に人がいない。
活気というものが感じられない。生気もない。友だちに会っても、楽しい話があまり出てこない。未来が見えない場所に住むということは
人までもネガティブにしてしまうのかと思います。
田舎に帰り、東京に戻ってきてlineを見たら、友人と作っているグループには「今日はおばさまたちとオペラ」「まつ毛エクステしてきたよ〜」の書き込みがありました。
5,500円のまつ毛エクステをする余裕は田舎にはない(少なくとも私の知人には)。
消滅可能性都市に住んでいる人は、どうすればいいのでしょうか。「未出産は女たちの反撃」と以前書いた当人ではありますが、人口減の理由は
それだけではありません。私は、国は消滅自治体への対応シュミレーションをすでにしていると思っています。それがどのようになされるのか、
遠く故郷から離れて住んでいる私は、気がかりでなりません。
私は時々いろいろな団体主催のDV講座に呼んでいただきます。だいたい最後は質問時間をとりますが、結構多いのが「加害者は幸せなのでしょうか」という質問です。もしかしたら「こんなに悪い人は幸せにはなれないのです」という答えを希望されてのことかもしれませんが、ごめんなさい、私はご希望通りのお答えはしません。どこの会場でもたぶん「幸せかどうかは本人が決めることで、他の人から見て幸せそうに見えても、本人は不幸だと思っているかもしれないし、その逆もあります。幸せかどうかは本人でないとわからないのではないでしょうか」とお答えしていると思います。
私は他人が幸せなのかどうかという疑問を持つことは、ほとんどありません。ただ、道をしょぼんと歩いている子どもを見て「この子はちゃんと親から愛されているのだろうか、ちゃんとご飯を食べさせてもらっているだろうか」と心の底から心配することはあります。できることならついて行って、ご飯を食べるのを見届けたくなるくらいです。本当に私は他人に興味がないんだなぁと思います。他人が私をどう思っているかを気にするのは仕事関係くらいでしょうか。仕事をスムーズに運ぶための良好な人間関係は一応築く必要がありますので、そこは猫もかぶるし心にもないことを言うときもあります(長いこと生きてるおばちゃんだからね。うふっ)。誰かが私のことをどう思おうと、それは当人の勝手なので好きなように思ってくださってかまわないし、がんばって好かれようとも思わない。素のままの私が好き!と言ってくださる方がいらっしゃったらそれはありがたいことだし、嫌いと言われたら、すいませんねぇ、こんなんでと言うし。
お題の「モラ夫は幸せなのか」については、上に書いたとおり、本人に聞いてくださいませです。が、幸せな人は不満や愚痴は言わないと思います。「オレは幸せなんだ!」と言いながら不満を言い、怒りをあちこちにぶちまけているのなら、それは幸せなのではではないと思います。だって本当に幸せな人はいつもニコニコしてますもんねぇ。
ワタシは、いつも眉間にシワを寄せてブンブンしている人が幸せだとは思えないんですけど、
モラハラの加害者とは、いろいろな手段を使って相手を支配する人のことを言います。ではその手段を使って支配しようと
したとき、された方はみんな被害者になるのでしょうか。毎日のように罵られたり蔑まれたりしたら、された側はみんな被害者になってしまいそうですが、
ところがそうでもないのです。心の中で「こいつバカだな〜」と思いながらやり過ごしたり、やり返したりする人も中には
いるのです。加害者がモラハラ気質を持って攻撃しても、相手からがっつり反撃されるとシュンとなる加害者もいます。つまり、加害者はいるけれど、
被害者がいないという、モラハラ未完成形もあるのです。
モラハラは被害者になる側が「離婚したくない」「この人に逆らってはいけない」「この人を怒らせないように、私ががんばろう」などという、完全に相手に
飲まれてしまうことで完成します。被害者はまず相手と仲良くしようというところから思考を始めるので、そこが相手に飲まれる最大原因になります。
つまり「仲良くしなくてもいい」「相手とガンガンケンカしてもいい」「離婚結構、やってこい」という人にはいくら攻撃しても
効き目がないので未完成に終わるのです。じゃ、そうすればいいのではと思われそうですが、加害者はちゃーんとそうはならない
人を選んで近づきますから、モラハラが完成してしまいます。
大体結婚するときに、離婚してもいいやと思って結婚する人がいるでしょうか。相手と仲良くしなくてもいい、離婚してもいいなどとと思いながら
結婚をする人はあまりいないでしょう。ですが、「離婚してもいい」とは思わないまでも、「自分を認めない人とは一緒に暮らせない」と最初から
バンと跳ね返す人も確かにいます。世間体なんて怖くない、ひとりになるのもかまわないという人も確かにいるのです。こういう人は
被害者にならないだろうなぁと思います。
モラハラ離婚をした後に、「また同じ目に遭うのではないか」と臆病になってしまう人が多いのですが、このあたりを考えると、道は開けるのでは
ないでしょうか。
思えば1月19日から始まった三船・高橋夫妻の離婚騒動。まさかこちらに火の粉が飛んでくるとは夢にも思っていませんでした。
「モラハラ」で検索をかければ、私のサイトが上位に出ますからアクセス数が急増しました。ただ、2006年から始まった第一次
モラハラブームの時に比べれば、その数はそれほど多いものではありませんでした。ということは、「モラル・ハラスメント」という言葉が
ある程度定着して、調べる人がいなくなったとも考えられます。確かにモラハラは、2003年に比べれば格段に認知度があがっていると
思います。ですが問題は、「本当にモラハラの意味を知っていて使っているか」です。
今回いろいろなメディアから依頼があり、取材を受けました。モラハラはもっと世の中に広める必要がありますから、取材依頼が
あった場合はお断りしないことにしています。一生懸命担当者に話しても、取り上げられるのはその一部分だけです。その切り取られた
部分がモラハラについてきちんと語られていればよいのですが、編集した方がずれていればずれたまま放送されたり、印刷されたりします。
今回特に朝番組でモラハラが取り上げられました。翌日とか翌々日とか、時間のないままにテレビの担当者たちはPCに向かって検索し、
それらしい人たちに片っ端から取材依頼、出演依頼のメールを出します。まだモラハラが何かわかっていないのに、です。
そうして集められたソースをプロデューサーが切ったり貼ったりして作っていくそうなのです。モラハラがどういうものなのか
わかっていれば必要な部分をかき集めて1本が作られますが、何が何だかわからないうちにそれらしきものができあがり、
放送していたと言うのは言い過ぎでしょうか。時間がないせいもあるのか、第1次モラハラブームの頃の番組とは違った、薄っぺらな
ものが多かったと思っています。
それでも、テレビは「モラル・ハラスメント」を世の中に広めるためのとても有効なメディアです。言葉は野に放たれてしまえば、そこで
姿形をかえ、原型では無くなるかもしれない。今回のように「モラル・ハラスメントとはモラルを欠いた嫌がらせのことです」とか
「日頃からコミュニケーションをとればいいってことですよね」とか、「モラハラとは日頃から積み重なった不満があふれることです」
とか、めちゃくちゃハズしたコメントをつけていたコメンテーターや専門家たちがいたとしても、とりあえず言葉を知り、本を読んだり
ネットを調べたりして、本物にたどり着いてくれればいいなと思っています。
私は食べ物屋さんに行くと、結構メニューを熟読します。あれにしようかこれにしようか、これも美味しそうだけど、う〜ん、これも捨てがたいと悶々と悩みます。それが
牛丼の吉野屋でもそうです。ぱっっと席について、「あ、これね」「あ、いつものね」という人は食べ物に興味がないのか、時間がないのか。でも、私は時間が無くても悩むな。
結局私は、あれこれ悩んでアラカルトで注文するのが一番好きなんだと思います。もちろんコース料理はリーズナブルだし、「何が出てくるのかなー」という楽しみもあるし、
その店のイチオシが並んでいるはずなので、当たり外れはないという安心感はありますが、財布に余裕があるんだったら前菜から悩みながら注文したいところ。
選ぶ悩みと言えば特に旅行です。航空会社はどこにしようか、どれが一番お得か、コスパ度がよいか、徹底的に調べつくします。それはたぶんお財布に余裕がないからでしょう。余裕が
あればこんなことしなくても、「いつもの飛行機会社、マイル貯めてるし」で選定終了。楽だろうなぁと思う反面、なんかつまんないとも思います。
「地球の歩き方の歩き方」という本の中で
「自分たちは貧乏旅行をしているんじゃない。お金を節約して何度も旅行をするんだ」という記述がありました。ネットの旅行記を読むと、「シェラトンに泊まって、有名レストランで食事」というのが多く見受けられます。間違いのない有名ホテルとレストラン。でもそれって「みんなと同じ」。
みんなと同じ高級感を味わって、帰ってくる。それが私には物足りない。
びっくりしたのは「団体旅行は1列になって歩く。その列からはみだしてはいけない。添乗員さんが心配する」と書いていた旅行記を読んだ時です。カルガモじゃあるまいし、いい大人がゾロゾロ
1列になって歩くか〜と、団体旅行専門の友人に話したところ、「当たり前じゃん、迷子になったら大騒ぎになるでしょ。添乗員の一番の使命は、事故なく全員帰国させることにあるのよ」と言われ、ボーゼンとなってしまいました。
「んじゃ、パスポートがスタンプだらけの、始終海外旅行に行っているあんたもカルガモかい?」と聞いたら「モチよ。はぐれちゃったら怖くて泣いちゃう」
私はツアーで海外旅行をしても、絶対、絶対「食事付き」のツアーは選びません(朝食は別)。食べたいときに食べたいものを食べたい。食べたくない時に食べたくないものを食べたくない。
これ、当然の欲求だと思うのですが、彼女たちに言わせると「考えなくても勝手に出してもらった方が、選ぶ手間が省けてよい」のだそうです。どうも考え方が私とズレにズレてる。ついでに言うと、送迎付きも嫌。
めちゃくちゃ早く空港に連れて行かれるから、時間が余ってしょうがない。時間のムダ。帰国便に遅れたら自分の責任だから、勝手にさせて(懇願)。
人に選んでもらうより、自分で選びたいよなぁって欲求って、少数派なんでしょうかねぇ。
この小部屋にいらしてくださるみなさま。今年もお世話になりました。なかなか更新できませんが、見捨てないでくださいませ。
長いお休みは苦痛以外にはないでしょう。どうぞお体に気をつけてくださいね。
小渕優子経済産業相が辞任することになったそうです。アベちゃんとしては「野党からこれ以上ぎゃーぎゃー言われない前に早くケリつけたい」というところでしょうが、
私はヘンなところにつっこみを入れてしまいます。小渕さんって要所要所の場所に登用される割にはあまりテレビの画面に出てこなかった気がします。(って、私がニュースの政治をあまり見ていなかったこともあるでしょうが)だから、今回国会で答弁をしていたときの話し方が異様なのでちょっと引いてしまいました。
「これは私の後援会と、オ、関係団体に、イ、確認して欲しい、イ、と言うお願いを、オ、昨日、ウ、したところで、エ、あります」
言葉の最後の母音を強調して再度繰り返すこの話し方は、昔のバスガイドさんみたい。国会議員の男性たちもよくしていますが、女性がそのまま同じにやると、歯切れが良い分、かなり耳障りです。他の女性議員にはあまり見受けないような気がしますが、なんで小渕さんこんな話し方になったんでしょうね。
ところでこの小部屋の更新がなかなかできませんでしたが、その原因のひとつに私の仕事がめちゃめちゃ忙しいということがありました。毎日残業してやっと追っついている状態。昔も0時過ぎまでの残業はありましたが、何しろ年を取ったせいで疲れが半端ない。そして疲れが抜けず次の日まで持ち越し、
翌日の疲れが積み上げられの繰り返し。
昔の55歳で定年は正しかったんじゃないかと思います。なんぼ平均寿命が長くなったと言っても、老化については同じでしょ。
定年が65歳になって長く働けるようになってよかったでしょって、ちっとも良くない!30代と60代が同じように働けるわけないじゃん!30代にとっては、
同じように働けないのに60代の方が収入が多いのはおもしろくないでしょう。それはそのとおりだと思うので、収入が減ってもいい。幸い教育費のためにがんばって貯金しなくてもよくなったから、余分なお金はいらないから、仕事量減らして。もうヘトヘトなの、という毎日でございます。仕事量云々よりも、体力がどんどん落ちているのを実感しています。思えば年金受給が65歳になったのも、年寄りを働かせるための魂胆だったかと思う今日この頃です。
NHK朝の連続ドラマ「花子とアン」を毎朝楽しみに待っています。どれくらい楽しみかというと、この番組は1日に何度も再放送されますが、
その一番最初を見ていますっていうくらいハマっています。朝の連ドラを見るなんて、何十年ぶりです。
ところで中身は読んでいないのですが、週刊誌はこぞって村岡花子さんよりも、彼女の腹心の友「柳原白蓮」の起こした「白蓮事件」の方を書きたてているのは
時を超えても大スキャンダルだからでしょうか。
25才離れた九州の石炭王と政略結婚させられた白蓮が、年下の帝大生と駆け落ちしただけでなく、夫への絶縁状を新聞に載せたという
大胆さ。さて、その真相はいかにと興味をそそられますが、そちらの方はまだ読んでいません(ごめんね)
それにしても腹心を誓った友が、ふたりとも不倫相手と結婚するという題材を朝から放送するなんて、NHKも変わったなぁ。
7月、村岡花子さんが働いていた銀座の「教文館」で開かれていた「村岡花子展」に行ってまいりました。以前から銀座に行くと三越の向かいにある
「教文館」が気になっていました。私の友人に「ナルニア国」が好きな人がおりまして、大きく「ナルニア国」と書かれたビルディングに
ちょっと興味があったのです。ビルの外側は近代的ですが、中は作られたままだそうで、昭和初期の香りがするとても趣のある内装でした。このビルの中に白蓮の駆け落ち相手が働いている弁護士
事務所があったそうです。田舎に生まれ育った私ですが、銀座が好きなんです。銀座と新橋が地続きだっただと知ったのは、5年前東京に
引っ越してからでした。大体、それまで銀座って行ったことなかったし。時々ふらっと銀座と日比谷に行きます。銀座と日比谷も地続きなんですよ(笑)
古い話になりますが、またもや配偶者控除の廃止は見送りに。アベちゃん、これ廃止にしたら票が減るから止められないもんねぇ。「女性の活力は世の中に必要だ」とか
言ってますけど、専業主婦を優遇したら働きに出ないじゃんねぇ。アベちゃん、やることちぐはぐよっすよ。
日経新聞に「家庭にいったん入ったA子さんは事務職を希望しているが、職はない。大学を出てから事務職しかしたことのないA子さんにとって肉体労働は
ハードルが高い。増税分は節約しようと思う」という記事がでていました。ハードルが高いってどういうことなんでしょうかね。プライドが高いという意味
でしょうか。ん〜、節約で乗り切れるような家計なら特に働かなくてもいいのでしょう。がんばって節約してね。
そうそう、自民党公認の議員さんになるには子どもを産んでからじゃないとなれないらしいので、自民党公認の方は当然出産経験ありの方のハズですが、そうじゃ
ない方はどうして公認をとれたのか不思議。アベちゃん、子分の発言もコントロールできなくて、国政できるのかなぁ、大丈夫かなぁ。
あの発言も「特に調査しない」で終わり、よく忘れてくれる国民だからしばらくじっとしていればみんな忘れるべと、絵に書いたような幕引きがなんだかなぁ。
いつもはすぐに忘れてしまう私だけど、「しょぉ〜しこ〜れいかぁ〜」と号泣した議員と一緒に忘れないぞ。
今年のGW、私はテクテク都内を探訪していました。さすが東京。ちょっと歩いただけで名所旧跡、有名建物がいたるところにあって歩きごたえがある。
東京は本当に狭くて、2・3時間歩けばそこそこの東京見物ができます。
ずっと親交のあったまっち〜さんの体験本が出版されました。あの長い長いブログから編集の方が選んだエピソードが一冊の本にまとめられています。おもしろいことにまっち〜さんと言えば「夕鶴」と思いきや、被害者の方が一番推すのは「マヨネーズ事件」なんですね。
マヨラーの夫に「マヨネーズを用意しておくのを忘れるな」と言われ続けていたまっち〜さん。切れかかっていたマヨネーズを今日こそ買っておかなければと思っていたのに、つい忘れてしまった。「お帰りなさい」と出迎えた瞬間、「買うのを忘れた!」と血の気が引く。被害者ならば誰でも一緒に青くなるでしょう。では、こういう体験をしたことがない人はどいういう風に展開するのでしょうか。
ある被害者の方がモラ夫と別れ、再婚して生活を始めていました。夫はいつも帰ってくると、冷蔵庫からビールを取り出してぐいっと一杯飲む習慣がありました。ある日、帰ってきた夫が冷蔵庫を開けて、「あれ?ビールがないよ」と言ったとたん、あの目の前が真っ暗になって血が逆流する衝撃がありました。「買うの忘れた!」と、すぐに夫は「あ、ないならオレ買ってくるわ」と鼻歌交じりに玄関から出て行きました。被害者の方はどっと力が抜けてその場に座りこんでしまったそうです。そう、これが「あ・た・り・ま・え」なのです。なかったらその日は我慢するか、自分で買いに行けばいいのです。
私も同じ経験があります。
離婚後、子どもの試合を見にグランドへたまたま我が家に遊びに来ていた弟と行った時のこと。「子どものスポーツドリンクがないから近くのコンビニで買ってくるわ」と弟に言うと、「あ、じゃついでにガム買ってきて」と頼まれました。「うん」と言ってコンビニに行ったのですが、つい忘れてしまいました。戻ってきて弟から「ガムは?」と聞かれたとき、あの、血がさーっと全部どこかへ行ってしまい、脳内が思考停止になる衝撃があった瞬間、「忘れたんならオレ、買いに行くからいいよ」と、弟はかろやかに去っていきました。そして私はしばらく呆然と立ったままでした。
もし元夫にこんなことをしたら、その日から何日無視をするのか、無視の時間を経て、怒りがパンパンになって爆発し、延々といかに私がダメな人間か怒鳴り続けるその日まで、家の中は黒いオーラに包まれる。
マヨネーズがない、ピールが切れていた、頼まれたものを買い忘れた、なぜこんなことであそこまで怒りが爆発するのか。私も理解できないし、普通の人にはわからない行動です。
モラハラ被害者のチェックリストに「マヨネーズ事件」を読んで「わかる!」という人はチェックが入るとかしたらどうでしょうね。
オリンピックがあるたび、「ああ、前のオリンピックの時はこうだったな」といつも思います。オリンピックはナショナリズムの集大成という人もいますが、
やっぱり世界中のアスリートが集まるオリンピックは見ていて楽しいものです。特に「ジャネットリン」(古!)から見続けているフィギュアスケートは、見逃さすにテレビの前にいました。
私が2009年、イルゴイエンヌ先生にお会いしたとき、先生から「まず、職場のモラハラから始めた方がいい。職場のモラハラは深刻です」と言われました。当時、まだ職場のモラハラ被害に遭ったことのない私はそう伺いながらも「家庭のモラハラも深刻なんだけどなぁ」と思っていました。
結婚は今まで別々に育ってきたふたりが生活を共にするわけですから、価値観にズレがあるのは当たり前です。
いろいろな問題はあるでしょうが、結構大きいのはお金についてではないでしょうか。
モラ夫はケチ夫と言われるとおり、彼らはとても吝嗇です。人はお金を貯めようとするとき、目的があってのことなら
それほどストレスにはなりません。「家を建てよう」「子どもの学費のため1千万円貯めよう」というのでしたら、
がんばってみみっちい生活をしても心の負担になりません。むしろ次第に目的額になることを喜びとし、さらにいっそう
ケチケチ生活をエンジョイするでしょう。
ですが、ケチを性分とする人の多くはお金を貯めることに生きがいを感じている人たちです。彼らが一番怖いのは貯金通帳の残高の数字が
小さくなることです。これはたぶんどこかですり込まれたものではないかと思います。残高が減ることに恐怖を覚え、
「なぜ減ったのか」「誰のせいか」「どうやってまた増やそうか」と、それこそ血眼になって増やすことに精を出すでしょう。
この習性はおおらかな家庭に突然変異的に生まれるものではないと思います。おそらく原家族がそうだったか、
もしくは貧しい家で育ったモラ夫が「貧乏はイヤだ」とケチになったのではないでしょうか。
ところで元夫はケチでしたが、元夫の兄は浪費家でした。宵越しの金は持たないとさらっと使っちゃう人でした。
義姉はいつもお金がないと言い、やりくりに追われていました。このふたりはタイプの違うモラ夫なのです。
どこでもあたりかまわず怒鳴りまくる義兄、外ではいい人の元夫と、同じ家に育っても違うふたり。
ただ、義兄は長男ということで父親から特別扱いをされていたと元夫から聞きました。だから彼は義兄に対して嫉妬のようなものを
持っていました(ヒガミともいう。「エデンの東」そのままですね)
同じ家で育ったモラ夫でも、こうやって違うタイプになるのに、なぜ世の中には似たようなのがゾロゾロいるのか。おもしろいですね。
今年もあとわずかとなりました。年末年始はルーティンからずれる生活になるとイライラするモラ夫たちの血が沸騰します(そんなにルーティンが好きなら休まず働いていればいいのに)。
共存の方たちにとっては嫌な長期休暇ですね。何事もおこりませんように、祈るばかりです。
以前ここで取り上げたことのある「テレフォン人生相談」。この番組の名物パーソナリティは加藤諦三さんです。そう言えば今年
豊島区の講座で私、「タイゾー先生」を連発したような気がしますが、知らない方は杉村太蔵先生と間違えたかしらね。ちゃんと
説明するべきだったかしらと後から悩んでしまいました。
さて、加藤先生は今年「モラル・ハラスメントの心理構造 ~見せかけの愛で他人を苦しめる人」という本を出版されました。加藤先生については好き嫌いが
分かれるところですが、この本はなかなかイイので、まだの方はぜひ読んでみてください。
確かに浮気をした私はいけないけど、いつまでも責め立てる夫はひどいわよね。大体夫は変な趣味があるのよ。私は悪くないわよねと
いうことを相手に説得するように、でも強い口調で言うと「こんな女か」と思われてしまうので、相手に気にいられるように弱々しく
静かに話している相談者。そんな彼女に「あなたはハラッサーですよ」という加藤先生。この相談者は最後にわかったフリをしていまいますが、たぶんわかっていないと思います。それにしてもこんなに特徴のある声と訛りの人が
全国に流れているラジオ番組にこんな相談をしてきましたね。よっぽど「旦那さんはひどい人だね」と言ってほしかったんですかねぇ。
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先週のニュースでなんだかなぁと思ったのが「婚外子の相続差別は違憲」という報道でした。
この問題についての報道を見ると、よく「例として夫が三千万円の遺産を残して死んだとします。妻は1/2、嫡出子はその残りの2/3,非嫡出子は1/3でした」
というような解説をしていましたが、世の中に三千万円の遺産を残して死ぬ人がどれくらいいるでしょうか。今年相続税の基礎控除の縮小が決まり、これで
相続税を払わなければならない人が増えることになっていますが、それも今までは4%くらいだったものが6%くらいになるだけとニュースで見ました。つまり
日本では9割以上が相続税を払う必要がないのです。この例にある「夫が三千万円の遺産を残す」ような家は、あまりいないんじゃないかと思います。一般的なところではせいぜい百万単位の貯金と
古い家というところではないでしょうか。中には貯金はほとんどなく、残ったのは築40年の家だけという場合も多いと思います(貯金三千万の家よりこちらの方が多いと思う)。
そんな家で父親が亡くなったら、実子は相続放棄をして、母親がそのまま家に住むのが普通でしょう。「おふくろ、俺の分の遺産を寄こせ、家を売って現金化しろ。家は無くなるからどっかへいけ」とはなんぼなんでも言わないでしょう。
では非嫡出子はどうでしょう。亡くなったのは父でも、その妻は赤の他人です。しかも自分の母と地位を争った(かもしれない)人です。「私には権利がある。遺産分を渡せ」と言う
かもしれない可能性はとても大です。今も嫡出子の1/2の権利はありますから、もしかしたらどこかで騒動は起きているかもしれません。
こんなことが起きたらどうするか。たぶん子どもたちがなけなしのお金を工面して非嫡出子に渡すか、それができなかったら家を売って妻は賃貸住宅に住むことになります。
おそらくこういうことが起きないよう、夫は事前に遺言書を残すか(それでも遺留分は残るけど)、あらかじめ家の名義を妻に変更するかしているような気はしますけど、
突然亡くなったらそれもできません。
モラハラ離婚をしている方はご存じでしょうが、普通の家ならば財産は離婚時に半分こされます。私の場合、家の名義は100%夫でしたが、離婚時はそれに関係なくフィフティでした。
専業主婦でも3割〜4割を請求できるそうです。財産を作るには妻の協力があったからです。財産分与が半分こなのに、なぜ遺産相続になると「子」が出てくるのでしょうか。
おそらく残された母親、または父親の面倒をみることを前提に「子」に財産を渡すことになったんじゃないかな〜と私は思うのです。昔は親の面倒をみる者が1/2の全額を受け取り、
みない者は放棄するのが普通だったと思うのですが、これも今はしっかり主張するようになってきました。特に結婚して家を出た娘たちは様変わりしています。しっかりと遺産受け取りを主張します。
こうやって家族の形態が多様化している現在、「子」に相続権があること自体に問題があるような気がします。夫婦どちらかが亡くなったら、全額残ったものが
引き継ぐなどして、残された配偶者が困らないような法改正を望みます。
○時発の新幹線に乗るために時間を合わせて家をでました。「さぁ、急いで並ばないと席がとれないよ」。急ぎ足になる私に、夫は
わざとゆっくりと歩調を変えました。イライラしますが、ここは夫に合わせなければなりません。彼はゆっくりゆっくり歩き、
終いには駅の喫茶店に入って飲み物を注文しました。子どもたちは大好きなスイーツで大喜びです。
イライラする私の表情をたっぷり楽しんで、出発時刻をとうに過ぎてから彼は立ち上がり、ホームの方へ向かって歩き出しました。この間、まったく会話はありません。
ホームで待つこと1時間以上、先頭に並んでいましたから座ることができました。「な、座れただろ」夫は得意げに言いました。
「そうね、さすがパパね。ちゃんと座れたわね」と言いながら、ハラワタは煮えくりかえっていました。それならなぜ、「確実に座るには
一本遅らせた方がいい」と話さないのでしょうか。しかも、この時刻では到着は夕刻です。第1日目に行くところも決めていたのに、この時間では行けません
。なぜ、「予定の電車に乗って確実に席を確保するなら早めに出て並ぼう」とプランの時に言わないのでしょうか。
駅に着いて気づいたのなら、「席がとれないかもしれないから1本遅らそうか」と言わないのでしょうか。彼の口はそんなに使うと減るのでしょうか。
夏休み特集です。「湯島の思い出」続きます。
<お知らせ>
「モラルハラスメントのすべて」が発売されて1ヶ月が経ちました。おかげさまで沢山の方に読んでいただき、とても実践的だと
だと言っていただいています。ホントに実践的なんですよ。私の離婚の時にこの本があったらどんなに助かったことだろうと思います。
さて、私は年に3〜4回くらいあちこちからお声をかけていただいて、講座を行います。呼んでくださるのはマチマチですが、
男女参画センター主催のものです。どこかの自治体で企画をたてて、それに呼んでいただくわけです。他にはサポートグループの研修や
今年4月には埼玉弁護士会からも呼んでいただきました。話す内容は主催者の要望にお応えしますが、被害当事者だった私の体験談をからめた
モラハラのメカニズムなどについてお話しさせていただくことが多いです。よく他の方の講座などに参加すると、みなさん90分の
中にきちんと構成されたお話しをされていて、感心しきりです。私は一応それらしき筋はたてるのですが、あっちに脱線し、こっちに脱線するので、
たぶんそっくり同じ出し物はやっていないと思います(できないとも言う)。
講座で楽しいのは、いつもはネットでしかお話しを聞けない方がたとお会いできることです。ただ、時間に限りがあるので、なかなかおひとりおひとりの
ご相談にのることはできません。以前は電話でのご相談も有料で行っていましたが、何しろお申し込みがあったのが2年で2件だけだったので、需要がないと
わかりましたのでやめました。ともあれ、私としては参加された方に楽しんでもらえるような講座にしたいというのが目標です、といったら「DV講座で
楽しんでってヘン」とある方に言われましたけど。私のキャラで深刻なのとか難しいのとかは似合わないので、そうするしかないのです。
もし今後講座がありましたら、来られた方、楽しんでってくださいね!
以前社会学者の方とお話しをしたことがありますが、その方から「人は思考するときに、まず自分の居るところを肯定するところから始める」と伺いました。
そりゃそうだわなと思います。なぜ自分はここにいるかを自分で認められない人は行動に移すはずですから。自分が行動に移せないのは「あれのせい、これのせい」と
理由を連ねて「だから今のままでよいのだ」ということにする。これはモラハラ被害者が自分が受けていたのはモラハラだと気づき、では別居して離婚を
と思いはするが、なかなか先に進めず共存するときに利用される回路です。
3月に4月はいろいろな異動、移動がありますね。私の周りでも今年は結構動きがあります。ほとんどが良いことなので、
春らしく浮き立った気持ちになれます。
私は今、契約とはいえソコソコ安定しているところに勤めていますが、収入は多くはありません。以前勤めていたところの
半分以下です。そこで休みの日には今までアルバイトをすることがありました。勤め先もアルバイトが認められていますので、
特に問題はありません。
以前いくつかの派遣会社に登録していたのがそのままになっていますので、仕事はメールで来ます。気にいったものが
あれば就業メール願いを返して働く意志を示します。時給850円くらいがほとんどですが、8時からの勤務なのに1時間前に
集合させられます。休憩時間も守ってもらえません。「休憩時間が少ない」と言うと「それはどうぞ派遣会社に抗議してください」と
言われてチョンです。文句を言えば次の仕事がないのは目に見えてます。それでも日雇いスポットのアルバイトは収入の少ない
母子家庭にはありがたい臨時収入になるので、就業メールが来るたびに内容と場所と日時を確認していました。
ところが昨年10月、派遣法が改正され、就業内容が書かれたものの下にこういう但し書きがつくようになりました。
これでは学生でもなく、500万円以上の年収なんかあるわけもなく、60歳以上でもない私のような「
ちょっとした臨時収入のため」働く人は応募できません。たぶん低賃金で日雇いをするような
不安定な雇用を辞めさせるためにできたのでしょうが、これで困る人も多くなってしまっただろうなぁ。
2003年1月19日、とある田舎町のとある部屋で「モラル・ハラスメント被害者同盟」は誕生しました。その1週間前、モラハラ夫は
些細なことに腹をたて、家を出て行きました。そのちょうど1年前から夫の無視が始まっていました。無視はよくされていましたが、
さすがに1年間の無視となると、どうしたらいいかわからない状態になっていました。そしてその暮れにおばちゃんはネットで「モラル・ハラスメント」を
発見しました。「これだ!」とわかったとたん、離婚の決心をしたのです。
そしてあちこちネットを探してみると、同じことをされている妻がとても多いことに気づきました。
おばちゃんはおせっかい焼きなので、「この人たちにモラハラを教えたい」と思いました。おばちゃんがモラハラを知ることで
次への階段を上れたように、いろんな人たちに知って欲しいと思いました。
とある田舎町のとある部屋の中で、おばちゃんはノートパソコンのキーボードを叩いてまず掲示板を作りました。そして即席のトップページを作りました。
「モラル・ハラスメント被害者同盟」はおばちゃんのちょっとした思いつきから始められたのです。
10年間、本当にありがとうございました。みなさまの支えのおかげで10年間を過ごすことができました。
それはとっても楽しい時間でした。モラハラを知らなかったらできなかったこと、会えなかった人たち、知り得なかったことが、私の大事な宝物に
なっています。
ものにはいつか終わりが来ます。このサイトもいつか終わることがあるでしょう。私ができなくなったら、誰かに後をお願いすることは
考えていません。このサイトは私ののポリシーが隅々まで血のように巡っています。誰か他の人に変わったならば、モラハラ被害者同盟
ではなくなってしまいます。いつの日か私がサイトの幕引きをするまで、みなさまもう少しおつきあいください。
さて今年もあとわずかですね。2012年はみなさまどんな年だったでしょうか。
同じく11月、大阪枚方市からお招きを受け、モラハラ講座を行いました。中には東京から駆けつけてくださった方もおり、恐縮しごくです。
御礼に少しずつで申し訳ありませんでいたが、面接相談会を行いました。いつもは画面の文字でしかわからないのですが、実際に被害者の方から
いろんな方から、それぞれのご事情などを伺いました。ホント、文字にするよりお会いする方が一気に事情がわかるし、短い時間でも
元気オーラだけは差し上げられたかも。
大阪市から枚方市に向かう電車から景色を見ていたら、ずらっとパナソニックの工場が並んでいました。2年続けて大赤字を出し、人員整理
しているパナソニック。これだけ延々と続いている工場群があるということは、ここで働いている人がとてつもない数だけいるということ。
ここが閉鎖されたら働いている人たちが一気に失業し、その家族が路頭に迷うということ。そしてその工場をがある自治体の収入も、自治体
幹部が寝込んでしまうだけ減るということ。商店街がシャッター街になり、学校は子どもが転校していくからがら空きになり、先生は不要になる
(でも公立は解雇がないから先生は関係ないか)。市が一企業に頼るということは、こういう危険もあるということですね。
久しぶりに実家に帰ったら、本当に人がいません。住んでいた頃から寂しい街だとは思っていたけれど、東京から行くとそのリバウンドが
大きく感じます。いったい人びとはどうやって生活しているのだろうかと思います。今、過疎の村は消えていきつつあります。次に小さな町が
消え、収入源をもたない市が消えていく。東京や大都市圏だけが華やかに潤っている。原発を30年間で廃止するとか言ってるけど、その前に
たぶん日本は大きく変わっていくだろうと思います。だって30年前、こんな世の中になるとは誰も予想していなかったんですから。
2013年1月19日で、「モラル・ハラスメント被害者同盟」は10周年になります。よくここまでもったもんだと皆様に平伏。
さらにトップページ200万アクセスも近づいている、というわけで告知です。
10周年を記念しゲストのみなさまにプレゼント〜☆
何が出るかは告知を待っていてください。
共存している方にはお正月は最もキツイ期間ですが、携帯サイトを見やすくしましたので、時々のぞいてみてください。
ではよいお年を!
1ヶ月くらいさぼったと思っていたら、2ヶ月さぼってました。時が経つって本当に早いですね、といいわけを言いつつ。
モラハラが世の中で認知されるようになるにつれ、予想通りの展開になってきました。我も我もモラハラ被害者と名乗りを
あげるのはいいにしても、「なんでそれがモラハラですか?」というような人まで出てきました。
タイトルの【money,money,money】は「マンマミーア」のメロディで読んでくださると嬉しいです(*^^*)
2、よい病院の見つけ方、見分け方
安くて美味しいレストランは混んでいて長い列ができますね。同じようによい病院は大抵混んでいて予約が取れません。
前に書いたように初診枠が少ないので半年先もザラにあり、「初診はもうとりません」ということもよく出てきます。
以前「モラハラリファレンス」でご紹介した病院は被害者さんが殺到したらしく、最初は3ヶ月待ち、半年待ちでしたが、
その後初診をとらなくなったのでご紹介を停止しました。予約の電話を入れたら「モラハラ同盟さんの紹介ですか?」と
言われたそうで。
1、心療内科とカウンセリングはどう違うのか。
ものすごく簡単にぶっちゃけて言うと精神科医はお薬をくれる人です。初診は1時間程度とってくれますが、その後は
10分診療です。お医者さんがすることは自分が出したお薬がちゃんと効いているか、もしくはちゃんとその人に
合っているか、そのために診察します。時々「話を聞いてくれない」という方がいますが、お医者はあまり話は
ききません。だって、毎回1時間かけたら1日に7〜8人しか診察できないんですよ。人気のある病院は初診枠が
1週間にひとりとかふたりとかですから、「初診の方は1ヶ月待っていただいてます」が普通にあるわけです。
とりあえず眠れればいいという方はその辺の心療内科に行って、安定剤や導入剤だけいただいてきましょう。
私が聞いたことのあるぶっ飛び精神科は「ひとり3分ですからね〜」と言ってストップウォッチみたいな時計を
ぷちっとセットした、という病院でした。話そうにも「チチチチチ」と秒針を刻む音が気になってあせりまくって
何も話せなかったそうです。そりゃそうでしょう。
そしてカウンセリングはあなたの話を1時間程度じっくり聞いてくれ、あなた自身が自分の悩みを解決できるよう
導いてくれる人です。さまざまな手法がありますが、大体は黙って聞いて相づちを打ったり、話がうまくできるよう
にしてくれます。問題は料金で、心療内科は保険が適用されるので安価ですが、カウンセリングは保険がききません
ので結構お高いです。5千円くらいからありますが、相場は8千円〜1万円程度でしょうか。これが心療内科の中に
カウンセリングルームが併設されていて、お医者が「この人はカウンセリングが必要だ」と思った人には保険が適応
されますのでお得です。ただ、併設されている病院そのものが少ない上に、あっても保険適応されませんと言われる
ことも多いので、カウンセリングに保険がきいている人はラッキーだと思ってください。
ただこれは都会の話で、田舎にはカウンセラーという人がいないところが多いです。(いてもスクールカウンセラーとか
だったりする)町の総合病院に精神科医がたったひとりで診察していて、患者の多くは痴呆老人という場合も珍しくない
というよりも、こちらがほとんどかと思います。精神医療については田舎はまだまだ遅れています。
そのシンポジウムの様子はこちらでどうぞ。
「あ〜、あああ、栗きんとんね〜」
そういえば、どなたのブログかは忘れてしまったのですが、こんな記事がありました。
何気なく言ったことが、どこかで誰かの心に残っている。
1,電話が鳴りました。
さて、あなたが一番最初に飛びつくのはどれですか?
この心理テストは、あなたが一番大事にしているものは何かをあぶりだすものだそうです。
「母を棄ててもいいですか?」はおかげさまでみなさまに好意的に読んでいただいているようで、3月1日には3刷予定
となっています。どうもここのところ母娘ブームらしく、類似本が次々と出ますね。アメリカでは昔からこのテーマの心理本がありました。基本的なところはアメリカも日本も変わりなく、困った母親は
いるものです。ただやはり日本人が書いた母娘ものは読みやすいというか、すんなり入っていけますね。背景が
わかりやすいからでしょう。神聖だったはずの「母」というものに、こうやって反旗を翻せるようになったきっかけは
「毒になる親」の出現が大きかったと思います。あの中にある「親を許す必要はない」という言葉が、どれだけのACを
救ったか。「ごめんなさい、許して下さいと言われてないのだから、許すも許さないもない」って、劇的な言葉ですよね。
私も「そうだよな〜」と深く頷きましたもん。そして「許して下さい」と言われても、許すか許さないかを決めるのは自分。
許さないという選択をするのはあなたの自由。
そう正面切って書いてある本は、もしかしたらこれが初めてだったかもしれません。
許さない選択を許されたから、初めてこの問題に取り組めることができたような気がします。
ところで私はミクシィにもfacebookにもツィッターにも一応登録はしてありますが、ほとんど言葉を発していません。
ですが「この世の中、そうも言ってられないだろう」ということになり、暮れに初めてツイッターを使ってみました。
ん〜、そうねぇ、地震の時なんか便利かも。でも、私は自分が今何を食べているかとか、どこにいるかとか、何をしているとか
人に知ってもらおうという野心がてんでない人なので、というかできれば知って欲しくないので、これはあんまり
やらないかもなぁ。だいたい思いついたことをざざっと書いちゃったら、それでなくても失言の多い私のこと。
あちこち頭を下げて回ることになるに決まっている。これは危険なツールだなぁ。人間「今言ったこと聞かなかった
ことにして」は基本できないのです。言っちゃったらアウトなのですよ。だって聞いちゃったんだもん。
できるだけ口数は少なくした方が私はいいと思っているので、ここも昨年並みの更新になりそうかもかもかも。
一方Facebookに登録して、ずっと昔の知り合いを検索してみたら、おっと、いるじゃん。お懐かしい人を発見し、
何だかうれしかった。ネットがなかったら、こういうこともできないわけで、人がやってくださる分には
いいもんだなぁ。
お正月はまったく家におらず、あちこちに出歩いていたのですが(余録でナマ箱根駅伝見ちゃった)
商店街はシャッター街になってました。ご商売といえどもお正月はしっかり休むというのはいいことだと思いますが、
一昨年までバイトで食いつないでいた私としては、休みが多いことを喜んでいる人ばかりではないことを知っています。
時給の仕事をしていると、休みが沢山あるということは収入が減るということであり、3日も4日も休みに
されると涙がでそうになると思う。私もあの年の年末は別のバイトに行ったもん。
昨年末厚労省は契約社員の上限を5年とし、それ以上雇用する場合は無期雇用に転換する労働契約法改正案を
今年の国会に提出するんだそうだけど、え〜、マジでお上はこれで正規雇用が増えると思ってるんだろうか。
そんなの「はい、5年で終わりです〜、お疲れサンでした〜」になるに決まってんじゃんよね〜。
今までだったらやれ雇用期間を1ヶ月あけるのどーのこーので裏道抜け道を作って働けたけど、
継続ができなくなっちゃいますね。これは。
確かに非正規雇用を延々と続けるのはよくないとは思う。でも、これは違うでしょー。一見ご親切なようで、
泣きをみる人が大勢でるだろうなぁ。「止めさせられないようスキルアップを」はきれい事すぎる。
世の中そんなもんじゃない。
何だか年の初めなのに暗くて切ない話になっちゃってすみませんね。今年がみなさまにとって
よい年になりますように!アゲアゲ!
本の中に高校受験に失敗した時、母親から散々イヤミやら失望の言葉やらを聞くというエピソードが出てきます。ここを書いた時ふと、
東ちづるさんの「なぜ私はカウンセリングを受けたか」を思い出しました。東さんはずっと優等生だったのですが、大学受験に失敗したときに
母親から「18年間の期待を裏切ったわねぇ」と言われます。東さんの母親はネチネチとしたイヤミをいうわけでなく、暴言を吐く人でもなく、
ただ、これだけです。この一言がショックで東さんは記憶を無くします。
受験というものは人を選別するためのもので、不合格ということは「お前はいらないよ」「あんたは頭が悪いね」と指を指して言われることです。
入学したいと希望し、受験した学校から門前払いをくらったショックの他に「あ〜あ、失望したわぁ」と言われたら、PTSDを発症するくらいの
ショックはあるでしょう。実際東さんも解離します。
私の本に登場するキョウコさんは15歳の時に母親が勧めた学校を受験し、不合格なると母親から「あんたのおかげで外も歩けやしない」と
言われます。
モラ母は自分の言った言葉で相手がどれだけ傷つくかわからない。わかろうとする気もないし理解する能力がそもそもない。
どう生きてくればこういう人間になるのかまったくわからないのですが、今回の「母を棄ててもいいですか?」はそういう母たちが妖怪大行進の
ように揃っています。
家庭モラハラの時もそうでしたが、本を出すときは、「こういう体験をしているのは自分だけじゃないんだ」という痛みの共有と、「自分は
そういうことをしていないか」と自分をふりかえるきっかけになればいいなと思って出します。
ずきっと心が痛むお母さまたちもいるかもしれません。でも夫からのモラハラと同じで加害者は自分のこととはちーとも思いませんから、
ずきっとされた方は加害者ではないでしょう。
「なんで○○は靴をちゃんとはけないの?靴の右と左を間違うなんて考えられないよ!」
なんで靴の左右を間違えただけで、ここまで小言を言うですかね。たぶんお母さんはお姉ちゃんが履き間違えたことよりも、何か別のことで
腹をたてていたのではないかと思われます。つまり「八つ当たり」ですね。でもそれをお母さんに言ったら「子どもをちゃんとしつけてるんです!」と
言うんでしょうな。
「しつけ」と称して八つ当たりをするのはモラハラ界では常識です。子どもはこうやって親のストレスの犠牲にされる。
私の新刊「母を棄てていいですか?」は、そういう母親を持った娘の話です。7名の方にお話しを伺いましたが、見事にその母のモラハラ
ぶりがバラバラでした。モラハラのパターンが似通った例がひとつもなかったのです。もしかして20名に伺ったら20通りの
パターンがあったかもしれません。
以前出版した「家庭モラル・ハラスメント」は、こういう生活でも私の離婚はワガママだったのでしょうか?と世の中に問いたかったから
でしたが、今回も「こんな母親でも敬い、産んでもらったことを感謝しなければならないのでしょうか」と世に疑問をぶつけるために
出版するものです。中には「モラ母」とはちょっと違うケースもあります。ただ、こういうパターンで苦しんでいる人はいるなぁと思いましたので、
あえて収録しました。
あの駅のホームで延々と子どもを叱りつけていたお母さん。その子に見捨てられる日が来るかもしれないですよ。世の中の子育て常識は刻々と変わっても、
親は感謝せよという半ば強制的な教えは変わらないものでしたが、私は流れを変えたいと思います。この本は親に対する果たし状でもあります。
先週見た映画:またまたイーストウッドの「ヒアアフター」。津波が怖い方は見ないでね。制作にスピルバーグが
からんでいて、かなり迫力があります。3.11の時にこの映画が上映中止になったのはわかる気がします。
TUTAYA100円レンタルで借りた「ロシュフォールの恋人たち」。着メロにするくらい好きだったのに、DVDが見つけられず、
やっと念願叶って見ることができました。
で、なんでイーストウッドなのかと言いますと、とにかくこの原稿を書いていたときはその種の本を読むことで時間を取られ、まったく映画を
見ることができなったので、この夏、TUTAYAが「旧作100円」のキャンペーンをやっていましたのでさっそくがばっと借りて見まくりました。
「チェンジリング」に手を伸ばしたのはDVDの箱に書いてある解説に「ある日突然ひとり息子が消えた。数ヶ月後帰ってきた息子は別人だった」と
あったので、「おお、これは夏の夜にふさわしいホラーサスペンス」と思ったからです。ちゃっちゃかーと麦酒片手に見始めると、これは
サスペンスではあるけれど、イーストウッドが真摯に真正面から取り組んだ市民運動の映画でした。大体イーストウッドが監督したものだとは
全然気づかずに借りて来てまして、映画の途中にネットで検索をかけて「あらまぁ!」と目を見張った次第です。
本編の中身は検索していただくこととして、2年前、飛行機の中で見た「グラントリノ」を思い出し、イーストウッドが監督した作品をまたまたTUTAYAで
借りまくって見ることにあいなりました。
アカデミー賞を受賞した「許されざる者」(同名のオードリーヘップバーン主演の映画は見たような気がするけど中身はほとんど覚えてない)、「ミスティリバー」
「ミリオンダラーベイビー」と見ていって、「ああ、この人って西部劇の人だったのよね」と思い出したので「続・荒野の用心棒」なんかも
ついでに見ました。
#いつどこで着替えたんだか、荒野でいきなりポンチョを着てきたのにはごめん、笑った。
西部劇はいつも男臭さが表に出ていますが、この人は「グラントリノ」にしろ「許されざる者」にしろ「チェンジリング」にしろ、もちろん「ミリオンダラーベイビー」も、
女性に対するリスペクトを感じます。女性を大切にしているようにみせて、実はバカにしている知識人は結構多いけど、どうも彼はそうでは
なさそう。彼が最初に作った「恐怖のメロディ」はなんじゃこれもんでどうしようもなく、「向いてないなぁ」とおもっていましたが、すごい監督に
なられたんですねぇ。なんと音楽も担当しちゃってる。
ただ、大ヒットした「マディソン郡の橋」は、ごめんなさい。私は乗れませんでした。友人が「ハンカチじゃだめよ。バスタオルを用意して」
と真剣に言うものだから、ちゃんと大判バスタオルを握りしめて見たのですが途中で寝てしまい、立派なよだれ受けと腹掛けになりました。
なんでこんなもんに泣くの?今でも理解不能だ。
イーストウッド以外では「渚にて」が初見。放射能がやってくるのを淡々と待っている街というのは、今見るから迫るものがありますねぇ。「ショーシャンクの空に」
もよかったし。
その姉の可奈もセレブ妻になるために、あの手この手でからめとった相手がうつ病になり、「結局この結婚は最初から、君の見栄とウソで始まった
んだよな!」とイタイことを言われてましたね。原作では「家事と育児の両方では大変だから、家政婦さんを雇ってほしい」と夫に頼んだら、
あっさり却下されてしまうというエピソードがあったのですが、テレビではカットされてしまいました。
前回書きましたが、「生活費はダンナの給料で、私が稼いだものは私のお小遣い」「お小遣い分だけ働いて、普段は友だちと優雅にランチとかしたい」
という女性が東京は非常に多くいます。先日も「無料で5分ハンドマッサージ」の看板が出ていたので若い女性のエステティシャンの方にやってもらいながら
話を聞いていたら、「結婚したら生活費はダンナさんに頼って、私はほどほどに働くか専業主婦になる」といつものお答えが返って来ました。
まぁ、がんばって見そめてもらってください。ただし相手は希少価値な高収入男性ですから選択権は相手にあることをお忘れなく。
NHKの「クローズアップ現代」で放送された内容によると「独身男性の年収は400万円未満が74.9%を占めているのが現実ですが、
東京・文京区の結婚相談所の郷内喜子所長は『リーマンショック以降、安定した生活を求める低リスク婚志向が顕著で、女性の9割は公務員か大企業の正社員が
結婚相手の条件になっている』といいます」。
結局は可奈と同じように「働かないで楽したい結婚」を求める女性たちが大勢いて、それに見合った収入がある男性がほとんどいないもんだから、結婚そのものを
やめちゃうわけだ。なんでこんなに不甲斐ない女たちがゾロゾロ増えてきちゃったんでしょう。
私は「楽したかったから結婚したけど、相手はケチでお金を充分くれない。(ちょうど都合良く就職難だし)働きに行くのは嫌。ぶーたれて
いたら『お前は昼間、いったい何をしてるんだ!』と怒鳴られた。モラハラだ」という方には結構厳しいこと言っちゃうかもしれないです。
モラハラってそんなに甘いもんじゃないですからね。そんなものをモラハラって言ったら、本当のモラハラ被害者に申し訳ないし、モラハラの地位が落ちてしまいますから。
それにしてもこのドラマ、男が善人で女が強欲、見栄っ張りの悪人になってます。高校を中退した翔くんが清人っぽく描かれてますが、
彼はずーっと何年もゲームばかりしてるわけでしょう?リーマンショックがきたり、災害で計画停電になってバイト先が時間短縮になったりしたら、彼はどうやって暮らして
いくつもりなんでしょうか。学校に行かないなら行かないで、自分の生活設計、人生設計を建てるべきだと思いますけど。結局何かあれば
親やおばあちゃんに頼むというのも不甲斐ない。このドラマ、結構原作と違う部分が
あるので、明日の最終回が楽しみです。いや〜、翔くんの姿がよく描かれていた良質なドラマでした。
医師を父に持つ由美子は地方の国立大を出て、早稲田の理工学部を卒業した夫と知り合い結婚。母の教えもあって、自分は常に中流以上である
と信じている普通の母親です。普通の母親なので、一人息子の翔も夫と同じかそれ以上の学歴を望み私立中学に入学させますが、無気力な息子は
高校を中退。母親とケンカをしてマンガ喫茶でバイトを始めます。オンラインゲームで知り合った沖縄離島の出身の玉緒と同棲し、結婚したいと
言い出します。びっくり仰天した由美子と玉緒は口論となり、「アンタみたいな娘は息子に似つかわしくない。ウチの父は医者なんですからね」
と言った言葉に玉緒は「医者がそんなに偉いんですか。じゃ、私、医者になります。医者になったら翔ちゃんと結婚させてくれますね」とタンカをきります。
玉緒は医学部を目指して勉強を始めますが・・・。手元の本がないので記憶で書いていますが、大筋はあっていると思います。
この小説でとても特徴的なのは翔のキャラクターです。家を飛び出したりはしますが、特に反抗的なわけでもなく、高校を中退するのもこれと
いった理由もなく、マンガ喫茶で時給千円のバイトをする。玉緒のバイト代と合わせれば翔にとってものすごい大金が毎月入ってくるから、充分
暮らせるじゃんという甘くて危うい思考。世の中に反抗するわけでもなく、物欲があるわけでもない。心優しくて、バイトしている以外はせっせとゲームをする。
夫亡き後、マルチ商法まがいの補整下着を売りながらふたりの子どもを育てた由美子の母は「これじゃぁ物が売れないわけだわ。車も欲しくない。海外旅行にも行きたくない。
ただ延々とゲームをしているんじゃ」と嘆きます。
昔の若者はいい服を買いたい、外国に行きたい、車を買いたいと、しゃかりきになって勉強したり働いたりしたものですが、その「欲」が
まるでない。そしてちょろっとバイトすれば1日中ゲームできる生活が手に入る。
このごろ「あの時代」と言いながらバブル期に青春時代を過ごした人たちの話がよく登場しますが、この3.11が起きる前の頃、「下流の宴」が
発表された頃を10年後、20年後、「あの時代」と総括することになるような気がします。
この無気力で無物欲で覇気がなく、1日中ゲームをして過ごしていた若者たちが、3.11以後、どういう生き方をしなければならなくなったか。
どう変わっていかざるをえなくなるか。
「下流の宴」はただいま毎週火曜日午後10時からNHKで放送されています。
公式サイトを見て、翔の大学生の姉、可奈役が加藤夏希だったのにビックリ!いくらなんでもミスキャストだろうと思って放送を見たら、
やっぱり思い切りミスキャストでした。特に下からのアングルで撮って欲しくなかった。不気味さが増す(^^;)
私は9年間モラハラサイトをやってきて、いろんな方の相談にのってきました。一番頭の痛いのは専業主婦の方の相談です。
さて、どないしまひょ。42歳でPCができなくて、体を使う仕事はダメで、営業がダメで、20年前にちょろっと事務をやっただけの
人に事務職があるか。
絶対にないとはいいきれません。世の中、本当に運だなと思いますもん。たまたま急にやめた人がいて、頭を抱えてたら「ちょうどいいとこに
来た。キミを雇おう!」ということが絶対にないとは言わない。でも、はっきり言って、こんなこと、ほとんどない。
先日本当に42歳の方から「ハローワークに行ったら、仕事が1件もありませんでした」と言われました。私は「ウソだろ」と思ったので、
「1件もないなんてことあるんですか?」と聞いたら少し間があり、「ちゃんとしたマンションを借りられて、普通の生活が送れるだけの収入を
得られるところで私をやとってくれそうなところは1件もありませんでした」とお答えになりました。
いいか悪いかと言われたら悪いに決まってますが、このご時世、シングルマザーはダブルワーク必須です。下手するとトリプルワークも普通にアリです。
何しろ時給単価が低すぎる。ただ、いいか悪いかわかりませんが、東京はダブルワークができるほど仕事はある。地方は仕事がないから
シングルワークも難しい。ダブルワークできる労働環境をプラスととってまずはがんばるしかないじゃないですか。
専業主婦はハイリスクです。夫がモラ夫に豹変しなくたって、突然リストラされるかもしれない。交通事故で死んじゃうかもしれない。
会社が倒産するかもしれない。そのとき「専業主婦になりたいの〜」と言っていた方たちはどうするんでしょう?
行政に頼りますか?行政は子どものいる人はちょっとはめんどうみてくれますが、子どものいない方は「働けば?」と言われてオワリです。
子どものいる方には少しは手当がありますが、年収130万を超えるとぐぐっと減額されてしまいます。年収130万ということは月収10万を超えると
アウトです。
働きたくないから高収入の相手を探そうと思っている方。夫に財産があっても高収入でも、それは全部あなたのものではありませんし、
大体金持ちほどケチですから、「こんなはずでは」になるのは火をみるより明らか。「ダンナに稼いでもらってのんびり家事育児」と思っているなら、そりゃ甘い。
実はワタクシ、奇妙な経験を2回しています。最近のは2年前、下に書いたプリンスエドワード島へ行ったときのことです。あの時、
新型インフルエンザで死亡する人がポツポツいて、渡航できなかったり、海外から帰った人たちは2週間程度自宅隔離させられたりと、
大混乱していました。空港ではみん2/3くらいの人たちがマスクをしていて、ものものしい雰囲気でした。PEIのあるカナダも死亡者が出ていて、
mixiのプリンスエドワード島のコミュでは、「ずっと行きたかったけど、諦めます」という書き込みがたくさんあり、気の毒だなぁと思って
ました。
あの時はインフルエンザに罹患することが怖いのではなく、ウィルスを持ってきたら他の人に迷惑になるからという理由から渡航を断念
する人が多かったと思います。当時高校生がアメリカから帰ってきたら罹患していて、やれ飛行機のどこに座っていただの、
校長先生は涙の会見をするだの、今思えばなんのこっちゃですが、当時は大まじめでした。
私はその時プータローでしたので、迷惑をかける職場もなければ、隔離されても全然平気な身分でしたので、風評は関係ないわと出かけました。
「あんたみたいのがいるからウィルスが広まったのよ」と言われるかもしれませんが、海外に行く人だけ規制してどうします。海外からやってくる人
を一歩も日本へ入れないようにするんだったら有効かもしれませんが、そっちはフリー。検査を厳格にしても潜伏期間があるし、
症状が出ない人もいるし、日々世界中の人たちが移動する世の中で、ウィルスを止める努力をするよりも、流行した時の対策をたてる方が重要だったと思いますけど。
さて、プリンスエドワード島は農業と観光が大きな収入源です。北極に近く、観光シーズンは6月半ばから9月半ばまでととても短く、
それ以外の時期に行っても観光施設がオープンしていないという場所です。その短いシーズンに豚フルエンザ騒ぎが起こってしまいました。
島で観光に携わっている方たちからは悲鳴があがっていました。「エコノミッククライシスでアメリカからの観光客が激減したのに、この
豚フルエンザ騒ぎでさらに人が来なくなってしまった。特に日本人のキャンセルが多い」
日本人がキャンセルをするのは「職場や周りの人の迷惑になるから」という自粛なのですが、まぁ、あの校長先生の謝罪会見を見れば
もし豚フルエンザを持って帰ったら、何言われるかわからないとビビル気持ちもわからないでもない。ともかくPEIでは日本人は
一番風評に敏感だということになっておりました。
さて、今さかんに言われている原発ですが、ずっと昔、チェルノブイリ原発で爆発事故があった1週間後、私はヨーロッパに
行きました。周りの人からは「放射能がヨーロッパ中に降っている。危ない」と、大反対コールがありましたが、私が1週間や10日間
行って何かあるんだったら、ヨーロッパは全滅じゃね?と、風評被害に関係なく行きました。
GWだったので本来は満席だったでしょうが、キャンセルでガラガラのアエロフロート機でまいりました。乗り継ぎのためモスクワで1泊しております。空港はめっちゃ厳戒態勢でした(当然か)。ドイツに住んでいた友人宅を
訪問して、「日本では大騒ぎになっているけど、こちらはどう?」と聞いたところ「へ?全然騒いでないよ」。
日本では毎日風向きがどーだ、放射能がイタリアではいくらだ、フランスではいくらだと毎日トップニュースになっているのに、
ご当地はまったく関係なく平穏な生活でした。友人は医者ですから一般人よりも知識があるはずなので、深刻だったら深刻と
いうはずですが、「じぇんじぇん気にしてないしぃ」。
う〜ん、自分に近い
ところの事故は気にしないが遠いところは気になるんだろうか。
彼女と別れてから数日経ってたまたまオペラ座のそばに行きました。彼女の言葉を思い出し、チケット売り場の方にいくとアラブ系のようなおじさんが声をかけてきました。「ネエちゃん、チケットあるぜ。買わないかい」
でも、別にダフ屋からなんか買わなくてもチケットぐらいあるでしょと、相手にせずにチケット売り場に行くと「今日の分は売り切れました。明日の分は1時から売ります」と言われました。ね、ね、そうよ、ダフ屋なんかから買わなくたって明日来ればいいんだから。ふふんとダフ屋を横目で見て通り過ぎました。
そして翌日。
1時を少し過ぎた頃チケット売り場に行くとまたあのダフ屋がいました。「チケットは売り切れだよ」「フン!うそばっかり!」
「ほんとさ、売り場で聞いてみなよ」。んなばかなとチケット売り場に行くと「売り切れました」。
オペラ座の石段に座って持っていた食料で腹ごしらえです。パリはお店で食べると結構お高いので、いつもサンドイッチなどを持ち歩いて外で食べることにしています。サンドイッチはスーパーで食材を買って自分で作るのよ、もちろん。
開場時間になって中へ入ります。パリ、オペラ座の内部は絢爛豪華とはこのことかと思うほどの造りです。金色で目がまわる。
でも、ま、いっか。雰囲気だけでも楽しもうと、誰もいないバルコニー席の手すりから下の客席を見渡しました。するとドアが開いて、あのお高いおネエさんが誰かを案内して来ました。入ってきたのは腰が曲がって足下がおぼつかないおばあさん。おばあさんが入ると、おネエさんはバタンとドアを閉めてしまいました。バルコニー席の内部はとても薄暗く、5ワットくらいの明るさしかありません。健常な私ですら床が見えないほどです。ドアが開いていれば明るい廊下の光で見えますが、閉められてしまえば本当に暗くなってしまうのです。せめて席につくまでドアを開けていてくれればいいのに!と思いながら、私は入り口に立っているおばあさんのところに走り寄りました。「大丈夫ですか?(←日本語です。もちろん)」手をとって体を支えて、一番前の席のところまでついていって座るのを手伝いました。コートを受け取って壁のコートかけにかけ、よしよしと自分の席に行こうとすると、おばあさんが来い来いと合図します。「はい?」
おばあさんは手に持ったチケットでポンポンと自分の隣の席を叩いてチケットを私に見せました。チケットは2枚あって1枚は半券がもがれてありますが、もう1枚はそのままです。「って、ことは」
「メルシィ!メルシィマダム!メルシィ(←ここだけフランス語)」
やがて緞帳があがり、村娘のジゼルが現れて、物語は進みました。幕間のロビーではシャンパンやワインがちゃんとグラスに入って売られていました(NYのブロードウェイでは使い捨てのプラスチックだったから、がっくりでした)。でも、そんな贅沢はできないからね。持ってきたミネラルウォーターで乾杯。
青白い照明の中、精霊になったジゼルはフワフワと舞い、物語は終わりました。何度も幕が上がっては降りのカーテンコールも終了し、グズグズと鼻をすすりながらおばあさんにお礼を言おうと横を見ると、席には誰もいませんでした。たぶん終了後の人混みを避けるため、早めに席をたったのでしょう。誰もいない席に向かって「ありがとうございました」と頭を下げ、もう一度オペラ座の客席を見渡しました。
日本に戻ってから、例の彼女にオペラ座で見たバレエがすばらしかったとメールを出しました。
彼女から返事にはあの公演のチケットは旅行社や業者に必死で頼んだが、どうやっても手に入らなかった、あなたはとっても運がいいと書いてありました。そう、私は運がいい。それは今まで何度も思ってきました。でも、言わせていただければ、とっさにダフ屋からチケットを買う決心をつけなければこれは手に入れることができなかった運です。彼女だってオペラ座に行ってダフ屋から買うこともできたはずなのですから。向かってくるチャンスの女神を待つだけでなく、つかみにいく行動力も必要だと思います。
さて、この一件。翻ってみればすんごくみんながハッピーになった一件でした。10ユーロで買って50ユーロで売ったダフ屋は大もうけ。40ユーロで一晩ハッピーに飲めたかしら。
わたしは10ユーロのチケットを50ユーロで買いましたが、67ユーロのバルコニー席でジゼルを堪能できました。
そしておばあさんは私をハッピーにさせることで、大きな得貯金が得られたでしょう。たぶん後からおばあさんには、大きな大きな幸せが舞い込んでくるに違いありません。来られなかった方が一番残念だったけど、パリに住んでいればまた来れるからね。
今様わらしべ長者@Parisのお話しでした。
「Q&Aモラル・ハラスメント」に書いてありますが、「どうしても相手に謝罪して欲しい」「モラハラだと証明して欲しい」
と言う方は多いですねぇ。私はこだわることはないんじゃないかなぁと思っています。実際私は「家庭モラル・ハラスメント」に
書きましたが、弁護士から「心理学を持ち出すと何年、何百万円かかるかわからないですよ」と言われたので、悩みもせずに速攻であきらめ、名より実を取りました。
さらにモラハラ加害者はねちこくて執念深いので、へたに勝ってしまうと逆恨みされてどんな嫌がらせをされるか
わからないというのもあります。絶対に勝てるとわかっていても和解という手段で勝たせてあげることも知恵として必要なんじゃないかなぁ。モラハラの場合離婚が成立した後も、相手がやれ面交だ、やれ養育費減額だと訴訟マニアになるのが多いのが特徴です。それも
弁護士をつけないで自分ひとりでやるからモラ夫は痛くもかゆくもない。こちらは結局弁護士に依頼するしかないから相当な出費になる。
離婚した後も「あ〜、終わった。さっぱりした!」とならないのがモラハラ離婚なのです。 ややこしや〜、ややこしや〜。
ある弁護士さんから伺いましたが、年末って加害者も被害者も来年までいざこざを引きずりたくないので、結構和解で終わらせてしまうことが
多いのだそうです。モラ夫との調停・裁判をしている方はねらい時かもしれないですよ。ただし、訴訟マニアは除く、です。
今年は餅も買ったしそばも買った。
モラハラBBSでは不倫関係の書き込みを禁じています。「熊谷さんってずいぶん堅くて潔癖な人ね」と思われている方のために
少々理由を説明します。
安っぽくと言われると「私は真剣だった!」と立腹されるかもしれませんが、あなたは真剣でも相手はそうではありません。もしくは
最初はそうだったかもしれませんが、あなたに飽きちゃったのでおさらばしたくなったから冷たくなったのです。こんなものはモラハラ
でも何でもない。あなたは「精神的に虐待された」と思うかもしれませんが、それは一般社会では通りません。あなたは悪い男に騙されました。
ひとつお勉強をしたと思ってはい次行きましょう、です。
フランスは結婚は市役所でふたりが出向き、離婚は裁判所で手続きをするそうですが、フランス人は「人の心はうつろうもの」と知っているから
かもしれませんね。何たってアムールの国ですから。「一生添い遂げる」を国是としている国とは違いますが、どちらが
実情と近いんでしょうね。
どちらにしろ父親である責任を放棄している人が8割で(養育費を払っているのは2割程度)、それを「本人も
生活があるのだから仕方がない」と言って放置し、「女手ひとつで」と口先だけで簡単に褒めそやし、そのくせ「母子家庭のくせに贅沢している」と
陰口をたたいている人がウロウロしている国よりも、子どもには結婚している時と同じ程度の生活をさせようと、それにあった法制度を作る国の方が
ずっと人に優しい国であることは確かです。子どもに適切な生活環境や教育を与えることが結局は国力を増すことに繋がるということを
よく知っているんじゃないでしょうか。税金をきちんとたくさん払う人を増やすことが目的であり結果なんでしょうが、
回り道のようでも、それが確かな道だよなぁと思ったりします。
私が好きなOヘンリーの短編集の中に、「善魔女のパン」があります。
太ったオールドミス(死語を通り越して絶滅語)が勤めるパン屋に、いつもドイツなまりがある初老の
男性が古くなったパサパサのパンを買いに来ていました。焼きたての柔らかいパンを勧めても安い売れ残りのそれしか買いません。
彼のズボンに絵の具がついているのを見つけた彼女は、「彼は売れない画家に違いない」と思いこみ、親しげに言葉を交わらせる
彼に恋心を抱き始めます。
ある日、いつものように古いパンを買いに来た彼がよそ見をしている間に、彼女はパンに切れ目をいれ、バターをたっぷりと塗り込みます。
何も知らない男性はパンを持って帰ります。 彼女は想像します。貧しい部屋で彼は水とパンの貧しい食事をするんだわ。今日彼が
買っていったパンにはバターが入っている。パンを口に運んで彼はどんなに驚くかしら。喜ぶかしら。私のことを思ってくれるかしら。
翌日、彼はカンカンになって怒鳴りこみにやってきて彼女を口汚く罵ります。一緒にやってきた若い男はなだめすかして連れて帰りながら
彼女に「この人は建築家でね、市のコンペに出す市庁舎の設計図を書いていたんですよ。ようやく完成してあとは鉛筆の下書きを
消すだけになったんですが、それには古いパンを使うのが一番なんです。それがねぇ、あのバターがねぇ。ともかく彼の仕事が全部
おじゃんになってしまったってわけなんです」。
知人から悪人にしかなれない悪人はもちろん世の中の害だけど、善人にしかなれない善人は迷惑でしかないと聞かされたことがあります。
善人は自分のしていることが善であるとしか思えません。「私はいいことをしてるんだわ〜、人のためになることをしてるんだわ〜」と。
それが相手にとって迷惑この上ないことであっても、です。
いい人はいい人だけど、疲れるなぁと思ったりして。
いまさら書くことでもないですが、私はボランティアでサイト運営をしています。私のサイトは非常にうまくいっている場所で、サーバーレンタル料などの必要経費は全部アマゾン等、アフィリエイトの収益金でまかなえています。これは結構まれなことなんだそうです。
DVサポートは多くのボランティアの方々によって支えられていますが、ある日突然プッツンして辞めてしまう方もいます。プッツンの原因はいろいろあるでしょうが、無償のボランティアに疑問を感じて辞める方もいるようです。最初は喜んで下さる方たちの笑顔だけで充分だったのですが、やってもやっても尽きることのない仕事。報酬がないだけならともかく、
交通費や通信費は持ち出しのことが多く、「なんだかなぁ」という気持ちを抱きながらの活動になってしまいます。
それに加えて少数ですが、心ない被害者の言葉に傷つき、無力感を覚えてプッツンすることもありますし、「あんたらサポートでしょ、早く助けてよ」とふんぞり返る被害者にカッとなってやめてしまった人もいます。
人に物を頼むときは「すみませんが」「申し訳ありませんが」と言いながら頼むのが普通だと思うのですが、なぜかサポーターにはそうではない。「私は被害者なんだから助けてもらってあたりまえ」
と心のどこかで思っているのかもしれません。へりくだる必要はありませんが、感謝の気持ちは持つべきだよねと思います。
DVサポートは民間に頼る部分が多いのですが、どこも資金難で困っているようです。せめてサポートする方たちの持ち出しがないように、できることならば月1万でも2万でも、お給料を出してあげられればと思います。サポートで生活できるのであれば職業にする人も現れ、サポートそのものも充実すると思うのですが。
GWまっただ中の昨日、「プレシャス」という映画を見てきました。ウェッブで席を予約したせいか、ど真ん中の見やすい席が用意されていました。いいですねぇ。このウェッブ予約って。
「プレシャス」NYのハーレムに住む16歳の女の子の話です。16歳とはいえたぶん130キロ以上はあるだろうと思われる巨漢ですので、日本の16歳を思い浮かべると「え。。。。?」となります。
簡単に言ってしまえば児童虐待の映画です。母からは身体的・精神的虐待、父からは性的虐待。プレシャスは父の子どもをふたり産むという何だかものすごい映画なのですが、不思議と「生命力」という言葉がチラチラ頭をよぎりました。父もどうしようもないですが、母親がまた世の中の醜いものを全部寄せ集めて作ったような人間で、この家庭でよくぞ変にならずに育ったねと感嘆の声をあげたくなります。彼女を救ったのは(妊娠がばれて退学になってしまったけれど)ジュニアハイスクールの教員や、フリースクールの先生。そしてソーシャルワーカー(マライヤキャリーがすっぴんで熱演)。
両親が子どもを育てる力がないのなら、社会で見守れば子どもはそれなりに育っていくということを実践していました。
本来なら夫の行為から娘を守るべき母親が、捨てられたくないばかりに夫の行為を見て見ぬふりをする。そればかりかあらゆる負の意識で娘を罵倒し、虐待しつづける母親。「いったい誰が私を愛してくれるっていうのよ!」と叫び続ける肉の塊は、生を作ってはいけない部類の人種なのだと思います。
「愛されたい、愛されたい」と、精神が止まったまま大きくなってしまった人間に、母の役目は無理なんです。父親から性的虐待を受けている3歳の娘に「あたしの男をとった」と泣きわめく母親。
そんな両親から生まれ劣悪な環境で育っても、
プレシャスは子どもの愛し方を知っていました。モラ家で生まれ育っても、見守ってくれる社会があるなら、連鎖も負の学習もせずに普通の大人になれるんだと思います。
子どもを育てるのは親だけじゃないですね。どうしようもない親に「お前が悪い」と百回言ったところで親は変わりませんって。
だったら、みんなで親の代わりをすればいい。そう思うんですけど。
4年に一度の冬季オリンピックが始まりましたが、その開会式の一番最初に歌われたのはカナダの国歌、「Oh ! Canada」でした。歌の最後の方、「Oh ! Canada」をリピートする歌詞とメロディに懐かしさを覚えていました。7月1日はカナダの建国記念日、カナダデーですが、昨年のその日、私はカナダのプリンスエドワード島でツーリストとして建国を祝うお祭りに参加していました。プリンスエドワード島は日本人にとっては「赤毛のアンの島」として有名です。毎年夏になると多くの夢見る乙女や昔乙女だった人たちがやってきて、グリンゲイブルズを見学していきます。2週間どっぷりとのどかな島に滞在している途中、映画「アンを探して」のプロデューサーであるユリ・ヨシムラ・ガニオンさんと偶然知り合いました。ユリさんはカナダで映画の仕事をしている方ですが、現在は日本で「アンを探して」の広報活動をされています。ユリさんとは日本に帰ってきてからもおつきあいさせていただいているのですが、先日お茶をしているときにユリさんからこんな話を伺いました。
イギリスのヒースロー空港にいたとき、そばにいた新婚旅行中の日本人男性が突然妻の頭を平手打ちをしたそうなのです。するとどどどどっと警察官がやってきて、すみやかに夫を連行していったそうです。あっという間のできごとで、びっくりしちゃったわというユリさん。「人前で殴るくらいだから、家の中だったらどんなひどいことをしてるかわからないわよね。連れて行かれたダンナもびっくりしたでしょうけど、でもさ、外国はそれが普通なのよ」
先日宮城県石巻で2人が殺されたDV殺人は12回も警察に相談しながら最悪の結末になってしまった事件でした。何より腹がたったのは「被害届が出ていないのだからどうしようもない。こちらに落ち度はない」という警察発表です。組織というのはどこもそうですが、自分たちのミスではないという落としどころをまず見つけて、責任回避をはかります。何度この類の事件が起こったことか。そのたびごとに「当方に責任はない」と逃げの言葉を並べます。他人からの暴力は被害届がなくても罪になり、家族間は届けを出さなければ警察は動かない。夫(または恋人)を何のためらいもなく警察に引き渡せる人がいるでしょうか。中には警察沙汰になったとたん仕事を失う職業の夫もいるでしょうし、子どもの父親に前科をつけることに躊躇するのは当たり前です。
私の知り合いに夫が猟銃を持っていて、もし逃げたら親族に危害をおよぶかもしれないから逃げられないというDV被害者がいます。捕まって懲役刑になったとしても永久に刑務所にいるわけではない、いつか出てくる。その後の報復が怖い。警察が四六時中守ってくれるわけではない。だから被害届を出さない出せないのですが、それを「愛情があるから」と都合良く勘違いして事件後に「落ち度はなかった」という警察ってなんなのか。でもそれが今の警察の限界なのも事実なのです。
昔よく見た「ER救急救命室」では不審な傷を負って病院にやってくる女性や子どもがいると、職員はソーシャルワーカーや警察に通報していました(息も絶え絶えな病人に「保険は何?!」と聞くのもアメリカらしいな〜と思いましたけど。充分な保険に入っていないと「経済的負担になる」と、検査もしないのです)。
暴力沙汰があったら直ちに連行する、傷害罪を適用する。他人だろうが身内だろうが、同罪にするべきではないでしょうか。するとさらに見えない暴力であるモラハラがどっと増えるであろうことは目に見えているので、司法での理解も同時に深めて欲しいなぁと切に思います。理解とは「なぜ人は身近な相手を支配しようとするのか」というDVのコアな部分を知ることです。とはいえ、以前行ったアンケートにごっそりと裁判官だの警察官だのが加害者として居ましたので、やりたいくないのかもしれませんけどね。それが日本で身内同士の争いは傷害罪にしない(できない・したくない)原因だったりして。
そういえば大手電機メーカーに勤める友人が「自分とこの製品が火をふいたりしたら困るから、自社製品は買わないんだ」と言ってたっけな。
赤毛のアンシリーズの中に「アンの幸福」がありますが、あの本を先日読んでびっくりたまげてしまいました。まるで精神科のサンプル集のような本です。そして、いました〜。モラ夫くん。
そして実娘を小間使いのようにこきつかう老婆というのもいました。1秒も休むことなく小言と命令が繰り出されるのです。しかしその娘は「誰かの役に立ってるって思えるのは素敵なことだわ」とアンに語ります。
そして常に心配ばかりしている老女もいます。 その症状はパーソナリティ障害と名付けてもいいくらいひどいものです。
常に何か心配事を自分で作って悲観的な想像をしては「心配、心配」と人に(私に)語るのです。それでいて、私が結婚していたときの心配事は聞く耳をもちませんでした。常に自分のことだけです。そんなに心配ならば適切な打開策を考えたらよかろうと思うのですが、それはしません。ひたすら心配ばかりしています。
母「生活、大丈夫なの?」
母「じゃ、気をつけてね」
ずいぶん冷たい娘だと思うでしょう。でもこの問答は、繰り返されてきた生活の末に発せられたものなのです。もし気をつけてと言われてそこで「うん」と返事をしてしまうと、絶対に何事も起こせないという母との契約が成立してしまいます。事故はどこでどう起きるかわかりません。実際、長い彼女との何回も繰り返された契約を何度か私は破っています。その時に普通の親だったら「大丈夫だった?怪我はなかった?」というのが最初だと思うのですが、彼女の場合「だから気をつけろといったでしょーーーー!!!!!」という怒号が最初です。または「あんた、大丈夫っていったでしょーーーー!!!」です。これが何度繰り返されたかわかりません。彼女にすれば私は「気をつけろ」と言った自分に反して事故を起こした不埒な娘です。彼女の「気をつけて」というのは私を気遣ったものではなく、自分を安心させて欲しい、安心の契約を結んで欲しいという意味の「気をつけて」なのです。つまり、自分のために相手を縛るのです。
もし私が気弱な娘ならば、完全に彼女のテリトリーにはまり、ふつうに学校へ行き、普通の結婚をして、ふつうに子どもを産んで、という普通の生活しかできなかったでしょう。彼女の怒りを買うようなことは絶対にできなかったと思います。世の中の「親に心配をかけさせたくない」という愁傷な子どもたちに比べ、私はなんて親不孝なんでしょう(笑)
私は親に恩返しをする必要はないと思っているので、これからはスープの冷める距離で、付かず離れて適当につきあってやろうと思っています。母はまるで橋田須賀子が書く姑そのままの人なので、弟の配偶者はもう何年も実家へ来たことがなく、母が弟の家に行くと、彼女は実家へ逃げるので嫁はあてになりません。
この頃高齢になって父の具合も悪く、自分の体も弱ってきたら、「ウチに帰ってこない?」という言葉を恥ずかしげもなく口にするようになりましたが、ごめんね、パス。だってあんた、いつも「お前は結婚して家を出る人。戻る家はないんだから」って言ってたじゃ〜〜ん。
またかよ、と思ったこの事件。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/281341/
当初、ワイドショーのコメンテーターたちは「なんで逃げなかったんでしょうねぇ」と、暗に被害者に対して非難的なコメントをしていましたが、だんだん心理学関係者たちが「恐怖で逃げられなかったんでしょう」と言い出すと
「そうなんだぁ」と一部疑問は残しながらも同情的になりました。そう、彼らは全面的に理解したわけではないのです。なんとなく「でもさ」という疑問が残っているのは表情からわかります。
「でもさ、一声『助けて』とか、言えないんだろうか。一声も出せないんだろうか。それに犯人といっしょにいて笑顔もあったって。恐怖だったら笑えないでしょ」と思っているのでしょう。
彼女は生きたかったのです。死にたくなかったのです。生きるためだったら笑顔だって、大爆笑だってできる。そんなこと、モラハラ被害者ならみんな経験したことです。
夫の機嫌が悪くならないよう、毎日必死で演技をしていました。おかしくもないテレビを見て大笑いし、食べたくもない食事を「美味しいね」と必死で笑顔を作って食べる。いつだって逃げ出せたし、誰かに言いつけることもできたのに、長い間
一緒に暮らしていました。
生きるため、生活をするために自分を殺して相手の機嫌を損ねないように振る舞っていました。
今回も「ストックホルム症候群では?」という「専門家の話」も出ました。以前新潟で長い間監禁されていた少女が逃げない理由にこれがあがっていました。見当外れも甚だしい。加害者と被害者が男女なら、すぐに恋愛感情になると思ってんのか。バカじゃないか。
もっとも、ストックホルム症候群だって、生きるために自分の感情をねじ曲げる心理作用ですけどね。
「なぜ逃げないか」これはDV被害者によくぶつけられる質問です。究極の答えは「生きるため」なんだろうなと思います。生きるため、生活を続けるために表で笑顔を作って陰では泣いている、それが被害者の実情なのに
被害者にしろいい顔しぃの加害者にしろ、表の顔しか見ようとしない。「これが表で笑っている理由です」と言っても、「でもさぁ」と完全なる理解を求めることは難しい。
昨日起こったストーカー殺人を報道していたワイドショーで、ある知識人らしい(タレントでない)年配の男性が「こういうことはよくある話しですから、全部警察に振るのは無理なんです。
普段から自衛しなきゃいけないんですよ。断り方だってやんわりと断るとかしないとね。断り方が悪ければ相手だって腹立つし」と、殺された方に責任があると言いたげなコメントでした。勝手に熱を上げられて、オレが好きになったんだからつきあえとつきまとわれて、怖い思いをしている女性に
どんな責任があるんでしょうか?だーかーらー、ジジィたちはわかってないっつーの!!!なんだか立て続けにストーカー殺人が続いて、暑いのも手伝って熱があがっている管理人でした。。。
先月30日、「アンを探して」という映画の完成試写会にお招きいただき、一足先に鑑賞させていただきました。
そのもようはこちら。
関係者がモラハラ被害者だとかそういうことでは全然なく、私が個人的に「赤毛のアン」好きなのが巡り巡ってこのようなことになりました。
プリンスエドワード島を舞台にいろんな世代の女性たちの生き方が描かれています。場所や、時代や国境を越えて、それぞれの登場人物が生きていました。
個人的に好きなのはロザンナかな。世界で一番美しい島と言われるプリンスエドワード島の景観も、BGMに流れている優しい音楽も、全部ひっくるめて
心にしみる作品でした。公開は10月だそうです。
先日ゲストの方から「勝間さんの本にモラハラ被害者同盟が載っていますよ」と連絡をいただきました。「ええっ!」とびっくり驚いて、本屋に平積みにされている「断る力」85ページを開けてみると「きゃぁ、本当だっ!」と、更にびっくり。
この「断る力」の中で勝間さんは「仕事は選ぼう」「つまらない仕事をしている時間はない」と書かれています。う〜ん、でも私は若い人にはガンガンいろんな仕事をして欲しいなと思います。きっと仕事の種類が違うせいでしょう。新入りさんに仕事をふって「これ、私の事務分掌にないんですけど」なんて言われた日には、「絶対あんたを干してやる!」と堅く心に誓いますから。
思い起こせばガンガン仕事をしていた頃、私は朝から晩までてんてこ舞いで働いていました。「できる、できる」とおだてられ、あの仕事もこの仕事も引き受け、「それ、貸してみて。絶対こっちの方が効率的だから」と、人の仕事にまで口と手を出し、ガンガン仕事しまくっていた30代。いつの間にやら「陰の課長」と言われるようになり、上司は上司で「全部熊谷さんに任せてあるから」と手抜きし放題。そう言われるのもうれしくて、更に仕事を増やしていきました。「この課はあんたでもっているようなものよね」と自尊心をくすぐられるようなことを言われ、ブイブイと肩で風をきって職場内を歩いていました。
「この課は私が動かしている」「私でもっている」
そんなある日、人事異動の辞令が下りました。
心配で心配で異動先へ行っても前の課のことばかり気になっていました。ところが数週間が過ぎても、前の課はめちゃめちゃになるどころか、何事もなかったように回っていました。何度か呼び出されたりはしましたが、実に淡々と仕事は進んでいっていました。そこで私は初めて自分が小さな歯車にすぎなかったことに気がつきました。
私が居ようと居まいと、仕事はできていくもんなんだ。
がっくり肩を落としたと同時に、何だか憑きものが落ちたように軽くなりました。
受験シーズンまっただ中ですね。私は受験と時計は切り離せない思い出があります。子どもが高校入試の前の晩、時計の針が11時を指していた頃、いきなり「時計、どこ?」
センター入試の時は時計が教室にないことは知っていました。知ってはいましたが高校入試まで時計を取り外しているとは思わなんだ。って、なんでそれを今言うか!私の腕時計はもう長いこと使っていないからすでに電池切れ。子どもが中学進学の時に買って
あげた時計は「どこにいったかわからない」
あの出来事を繰り返さないぞと、前もって腕時計の電池を交換し、スタンバイOK。そして前の晩。 なぜか昨日までサクサク動いていた時計が止まっていました。またもや電話を友人宅へ。「あの御利益時計、ある?」
「あれ、安時計だったから、もう壊れちゃったよ。ごめんねぇ」
「ありがとうございました。助かりました」と御礼を言うと、「ウチはいつも7時半からやってますから」とにこやかに
時計を渡してくれました。
一昨日、子どもたちと焼き肉を食べに行った帰り、通りかかった焼き芋屋さんから焼き芋を買いました。
あの、夫が出て行った夜にも焼き芋を買ったよなと、妙に過去を踏襲したくなる今日この頃。
焼き芋を買う自由がなかったあの頃に比べ、今は何万通りもの選択肢があります。
自由を持っている事は私にとってはかけがえのないことですが、(精神的に危うい人は)自由は不安の連続のようです。
自分の選んだことが本当にベストなのか、他に道はなかったのか、過去を後悔し、未来に恐怖を覚える。
カーラジオを聞いていたら、経済評論家の女性がこんなことを言っていました。
「老後の蓄えはいくらあったらいいのかとよく聞かれますが、貯金が1億ある人でも不安なんです。
とりあえず、何も収入がなくても2年(だったか3年だったか)暮らせる程度の貯金があればいいんです」
1億あったって、「家が火事にあったらどうしよう。子どもが事故でも起こしたら賠償金が。重い病気になって
巨額の保険外請求がきたら困るわ」と、心配のネタをひとりで考えていたら何億あっても足りません。
「火事にあって貧乏になっても死んだ人は(あんまり)いない。子どもが事故を起こしたら、精一杯の誠意を
尽くして、それでも足りないと言われたらゴメンナサイと謝ればいい。病気になったらそれも運命と思って
保険診療しか受けなければいい」と私は思います。
ただ、不安の材料を最小限度に押さえるには知識を持つことです。たとえば保険の
かけ方を工夫すればいい。保険っていいですよ〜。私は生命保険には入っていませんが、結構安い保険をあちこちかけて
います。一番最近に使ったのは携帯電話の保険と家財保険ですね。自動車保険のオプションで入っていた掛け金月100円程度の損害賠償保険で
救われたこともあります。 何が起こるかわからない未来をいたずらに不安がってもしょうがない。万事を尽くして天命を待つ。
やるだけやって、それでもどうしようもないアクシデントにあったなら、それもしかたのないことだった自分に
言い聞かせ、必勝アイテムで(私の場合、人脈が助けてくれることが多い)乗り切るしかないんじゃないかなと思います。
2009年がどんな年になるのか。不安よりも期待の方がずっとずっと多い今の私。
あの6年前、同じように「自由の焼き芋」を食べたときから、今日の日が決まっていたような気がします。
みなさまにとっても今年がよりよい年でありますように。
今年の夏はポニョが頭の中でグルグル回り、今は仮面舞踏会がグルグル回っている2008年の年の暮です。
世の中は不景気風が吹きまくり、いい話はほとんどないこの頃ですが、とりあえずお掃除はできたし(去年は体調不良のため
掃除ができなかった)年取りのごちそうは、なぜか子どもの友だちがやってきて(まだいる。もしかしたら、今日はお泊まり?)
わいわいと箸をつつくことになってしまいました。
来年は激動です。激動ですが不思議と不安はなく、あるのは希望と楽しいプラン作りというノー天気さ。
さて、今年はもうおしまいです。
モラハラ被害者同盟は6年目に突入する来年が、みなさまにとってよい年になりますように。
先日、職場での会話。Nちゃんという後輩が、かなり長かった髪をばっさり切ってきました。
Nちゃん「お、おね〜〜〜さま!!\(@;◇;@)/ひぃぃぃぃぃぃ」
ちゃんちゃん☆
下の【マイ・ウェイ】に関しまして、たくさんの方々から励ましのメールをいただきました!ありがとうございました!!
来年に向けて最後の追い込みをしておりますので、このWINDをさぼっても暖かく見守ってくださいませ<(_ _)>
同盟の方からメールをいただきました。↓
いま船出が 近づくこの時に ふとたたずみ 私は振り返る
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
「マイ・ウェイ」という曲は好きではありませんでした。酒に酔ったオヤジたちがカラオケマイクを口にあて、目をつぶって
自分にも酔いながら、さも「自分は特別な人生を歩んでいるんだぞ」といいたげに朗々と歌い上げる、そんなシーンばかり
見ていたからかもしれません。
人はそれぞれみんな生きてきただけの長い時間の中に、それぞれの思いを抱き、愛おしく思うのでしょう。
ただ、それは個々の胸の中にあるもので、「どうだ、すごいだろう」と人にひけらかすものではないと思うのです。
この頃このWINDの更新をさぼっていました。私の人生がひっくり返る出来事に走り回っていたからです。
ひっくり返ったというよりも、私が自分でひっくり返しました。自分でもよくやったと思える1ヶ月でした。
来年から私は今まで歩んできた道を方向転換させ、新しい道を行きます。
モラハラ生活という波乱はありましたが、今まで私は平々凡々な生活を送ってきました。私はそこから降り、
別の道を行くことにしました。すべて順調に行くとは思っていません。今までなかった苦労をするだろうし、
ありえなかったしうちに愕然とすることもあるでしょう。
でも、私は行こうと思います。私の前にある運命の扉を私は自分で開けました。この先にあるものが何であっても、
たぶん私は後悔することなく、選んだマイウェイを歩きます。
来年、このサイトは大きく変わることになるかもしれませんが、どうぞみなさま、今までと変わらず
おつきあいください。
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
今日は「いい夫婦の日」なんだそうです(笑)。何をもって「いい夫婦」というのかは疑問ですが、まぁ、仲のいい夫婦ってとこでしょうか。
ちょっとネットで捜し物をしていて、こんなものを見つけました。「夫婦の格式」(橋田寿賀子 著)。
ああ、私も結婚していたときこの手の本を何冊読んだことか。特にもくじに注目して下さい。
「女が変われば男も変わる」(成長したくない男・互いの役を演じきる)
打っていてイヤになる(笑)
こんな言葉に騙されて、いったい何年もの時間を無駄にしたことだろうと思います。もちろんちょっと偏屈な、ちょっとわがままな夫には有効でしょうが、モラ夫には爪楊枝を武器に
向かっていくようなもの。書かれているのは正論です。正論だから「なるほどな」と「もう一度がんばってみよう」と思う。それにNo!という言葉を直球で投げたのが「モラル・ハラスメント」と
いう言葉でした。モラ夫との時間は経験値を持つことには無駄だったとは思いませんが、無意味な時間を過ごしたという意味では無駄だったと思います。
こんなバカみたいな本を読んで、苦しさに宗教にはまって、無駄な時間を過ごしている人がまだまだ大勢います。
早く気づいてと思いつつ、今年もまた「いい夫婦の日」
先日DV関係の方と話をしていて「岡山ってハラッサーが多いね」という話題になりました。
「モラハラリファレンス」を始めて4年ほどが過ぎましたが、一番相談件数が多いのは人口数からいって当然東京なのですが、次はというと
大阪ではなく東京に近い関東圏です。神奈川、千葉、埼玉が続き、愛知、大阪、京都などになります。群馬は今までで1件のみ。その1件の方がすごかった。
ものすごく詳細でわかりやすいレポートを送って下さり、もし私が事務所を開いたら、絶対秘書をお願いしようと思ったくらい整然としたレポートでした。
残念ながら以後、群馬県からの情報希望者がなく倉庫に眠っていますのでご希望の方はお知らせ下さい。
大阪は人口の割には多くありません。ついでに精神科、心療内科の情報数も少ないです。「そういや鬱ぽい人間って周り見てもおらんもんな〜。躁っぽいのはぎょうさんおるけど」
って言ったのは大阪在住の友人。相談が少ないのも病院の情報が少ないのもそのせいでしょうか。
リファレンスを利用した場合はフィードバックを、利用しなかった場合はその理由をメールで知らせることをお約束して情報を差し上げるのですが、
残念なことにあっさりと約束を破る方が大勢いていつもがっくりきています。たった1本のメールが次に続く方の道しるべになりますから、リファレンスを
利用した方はよろしくお願いしますね。
「家庭モラル・ハラスメント」の中に登場するモラ義兄の配偶者である義姉。あの本の中ではいい人風に書いてありますが、実はもしかしたら
あの家の中で一番腹黒かったのは彼女だったかもしれません。限られた字数もありましたし、活字の本に「名誉毀損」と言われてもナンなので
書きませんでしたが、結構個性的な人でした。
家庭を平和に保つために義兄には「はいはい」と従っているフリをしていましたが、親戚同士の四方山話では独善的な発言も多く、みんなから
一目置かれていました。
甥がまだ小学生の頃、子どもの進学の話をしていました。
ひょぇ〜〜、高偏差値の大学なのにすごいなぁ〜
その県には旧帝大の他に国公立大学も複数ありますから、きっとその辺の大学へ進学するんだろうなぁ
と思っていました。
年月が過ぎ、甥が大学進学することになり、「どこを受けるの?」と聞くと
「○大が第一志望なんだけど、難しいなぁ。△大と×大も一応考えておかないと」
義姉が特別口が悪いわけでもなく、こと進学の話になると平気でバカだの低脳だのと、過激な言葉を
口にする人がかなりいます。私の知り合いに初対面の人に必ず「出身高校はどこですか?」と聞く人が
います。まず出身高校を聞いて、その人の頭のレベルを調べるのです。で、相手が底辺校だとあからさまな
優越感をむき出しにし、口のききかたもぞんざいになります。
#大学ではなく高校というところが田舎でしょ(笑)
まだ子どもが小さくて進学の話が具体的になっていない方は、ゆめゆめ「あのバカ大」などと口に
してはいけません(きっぱり!)
そして首尾良く名の通った大学へ入っても、あまり「○大に行ってますのよ(ξ^▽〆オーホッホ)」と言っては
いけません。大学というところは入学しても必ず卒業できるとは限らないので、「息子さん、何年生に
なったの?」と聞かれた時にモジモジしてしまうことになります。
「○井物産に入社したのぉ〜(・:\(*^▽^*)/:・ )」も聞かれない限り言わない。言っても
さりげなく「仕事大変そうで心配なんだけど」とマイナス要因を付け加える。後から「株暴落で大量リストラ!」とか
「談合発覚で逮捕!Σ( ̄ロ ̄lll) 」の時、それみたことかと指を指されずにすみます。
「おごる平家は久しからず」ってね。
大阪の友人が「許せない!公約違反だ!」とミクシィに書き込んでいましたので見に行きました。
彼女が怒り心頭していたのは、橋下知事と私立高校生との懇談会でのやりとりです。
都合のいいように編集したと言われないよう(笑)生の動画でどうぞ。
私立高校への補助金を減らさないで下さいと陳情した高校生へ橋下知事曰く「もう高校生なんだから大人としての対応をした」そうです。
なんだか似たようなのを見たことがあるなぁと頭に浮かんだのは2年前、「スーパーモーニング」で特集して下さった
モラハラ特集でのやりとりです。この日、たまたまコメンテーターとして出演していた橋下(当時は茶髪の弁護士)は、
局が精神科医に依頼して作ったモラハラチェックリストにひっかかりまくり、苦笑いを繰り返していました。
その中で一番印象的だったのは「奥さんが病気の時、食事はどうしますか?」という問いに、「僕は病気だろうが何だろうが、仕事が
あれば行く。主婦はそれが仕事なんだから仕事をまっとうしてもらう」という発言でした。「その場ではあなたにしかできない仕事」と
「病気で起きあがれないから本日はできない家事」が、彼の中ではごっちゃです。たぶん「主婦はプロなんだから、プロとしての
責任を持って欲しい」と言うんでしょう。彼は「生活費を稼ぐための仕事」と「家族のために家事をする仕事」は同列で頭の中に
あるようです。妻に対しても「こちらが何かをしてあげようという思いは一切ないですね。子育ても全部任せきりですし。まあ同級生の感覚で、ということですかね」
私は「家事労働をお金に換算すると」という考え方は好きではありません。もちろん家事というアンペイドワークはこんなに大変な
ものなんですよと知らしめるための目安として語られているのはわかりますが、家事を一般労働として扱いたくないと思う気持ちが、
お金に換算するというやり方に違和感があるんだろうなぁと思います。ただ、橋下知事の中では一緒です。
「同級生から知事と知事夫人へ。その人生はめまぐるしく変わったが、2人の関係は少しも変わっていない。それは子供が7人に増えた現在も一緒である。彼女が必ず帰りを待つ事情について橋下はあっけらかんと、こう話すだけだった。
「だって僕は昔から自分ではカギ開けないですから。夜中でも必ずチャイム鳴らしますからね」
この橋下知事と高校生との懇談会で一番ぎょっとしたのは「そんなに(学費の高い)私立高校へ行かずに公立へ行けば
よかったじゃない」という言葉でした。一部の都会では「荒れた公立より私立」と、裕福な家庭は子どもを私立に行かせるようですが、
田舎ではいまだに公高私低です。私の住む町でも小さな頃からみっちりと教育費をかけられる家ほど公立の進学校へ進みます(でも
まだまだ牧歌的なところが残っているのが田舎のいいところですが)
東大生の多くが恵まれた家庭の子弟であることはすでに周知の事実です。また、入試というのは1回の運で左右され、
特に公立は一発勝負ですから、その時たまたま運が悪くて不合格になってしまう場合も非常に多い。橋下知事は「偏差値では無理」
と言われた進学校を受験し合格していますが、運悪く不合格になっていたら私立の滑り止め高校へ進学していた可能性も大いに
あるのです。しかし彼は、「結果(たまたま)勝者」。
橋下研究という
連載記事の中でよく見かけるのは「弱肉強食だ」「戦いに勝った者がエライ」という言葉です。あの「スパモニ」でもその臭いを隠すこと
もなく振りまいていました。つまり彼は知事としての大儀のために、仕方なく大なたを振るっている
わけではなく、元々そういう思考の人なのです。そういう人を大阪府民は選んだわけです。選挙戦の前だったか後だったか、
子どもたちと校庭を駆け回り、「グランドを芝生にする!」とさわやかに発言した彼にぐっときた府民も多いのではない
でしょうか。あれもパフォーマンスだったのかしらね。
「道路にお金を使わず、教育や福祉に使って下さい」「あんなに道路は必要ないと思います」という高校生には「僕は必要だと
思います」、「アメリカ軍にお金を使わないでこちらにまわしてほしい」には「あなたが議員になればいい」とやり返す。
懇談前、「大人としての対応をする」と言っていた知事ですが、陳情に来た大人にも同じことを言うんでしょうか。
今、私学助成金の削減撤回を求めている高校生に遠い将来の話をして
どうするんだろうね。ふとモラ夫たちがよく言う「悔しかったらオレくらい稼いでみろ」という言葉を彷彿としました。
彼は「頭の悪いやつは切り捨て」と思っているじゃないかしらね。
ついでに彷彿としたのは次のフレーズです。
「モラ夫にはいくつかタイプがありますが、一番わかりやすいのはエリート型とヒモラ型です。エリート型は文字通り小さな頃から優秀で、
苦労を全く知らずに育った場合と、家の事情などで経済的に恵まれず、辛酸をなめながら成功したかに分かれます。前者は人の痛みがわからず、
後者は自分がした努力を他人にも強要します。そしてできなければ罵倒します。 」
あのスパモニ放送後、パブに「橋下弁護士ってモラっぽい」と書いて下さった方、放送直後だったので本人が見る
可能性もあったので削除してしまいました。ごめんなさい。
「大阪の子どもたちは夢がない!」って発言もありますけど、こんな高校生が泣いている画像を見せられて、夢を持てとは私は
とてもじゃないけど言えませんけど。彼の中では「勝ったものだけが夢を持つ権利がある」というところかな。
大阪に住んでなくて、ほっんとうによかったワ。
子どもに躾をする中で、「経済観念」はもっとも重要なものかもしれません。幸か不幸か私は親から「金食い虫」と言われながら
育ちましたので、この「経済観念」はしっかりしています。私はお金は使うために
ある思っていますので「チビチビ貯めてがばっと使う」がモットーです。よく週刊誌などに
節約術のようなものが載っていますが、私の場合ほとんど実行しているものばかりですので、あまり役にたちません。
ただ私は二桁のお金では動きません。100メートル先に10円安いお店があっても、私は時間と労力をかけて100メートル歩こうとは
思いません。同じように「タラタラと水を出すと一ヶ月で200円のお得」という節約術があったとしてもやりません。一ヶ月タラタラ
水を出すよりも、自販機から飲料を買うのを2回やめればいいだけです。そんなみみっちいことに労力と頭を使いたくありません。
さて、子どもによくよく言って聞かせなければならないのは「チョコを買ったらキャンディは買えない」(お金は有限である)ということです。
子どもには散々悩んで選ばせた方がよろしい。これを怠ると、大きくなってから「車も欲しいしパソコンも欲しい」という事態になったときに
大変なことになります。小さな時に「いいからいいから。チョコもキャンディもママが両方買ってあげるから」ということを身につけ
させてしまうと、大きくなって車もパソコンも買ってあげなければならない羽目になります。
実際私の友人に「子どもの浪費癖に困ってしまう」と頭を抱えているのが何人かいます。
「だってあなただって先月宝石と洋服を買ったじゃない」「う〜ん、そうなのよねぇ。欲しいな〜と思うと我慢できないのよ。意志が
弱いんだぁ〜」
この親にしてこの子あり。
そういえば我が家の場合、旅行に行く前日にはいつもスーパーに行き、それぞれにお菓子を300円分買わせました。
買ったお菓子を日数分小分けして持たせます。面白いことに上の子は単価の高い大きな袋のお菓子を買い、下の子は10円単位の駄菓子を
沢山買っていました。当然数が多い方が楽しみが多いわけで、旅先で上の子は手をすりすりさせながら
お菓子を分けてもらっていました。どうして同じ腹から生まれたのに、上の子と下の子って全然違うんだろう。
幸いふたりとも「決められたお金で生活をする」ことは身についたようです。ただし、下の子はお小遣いが乏しくなるとオークションで
稼ぎ始めますが。
#で、結構上手に稼ぐんだ、こいつが。
友人からこんな話を聞きました。
某家にお婿さんとしてやってきたタダシ氏。糠三合あれば(ほんの少しでも財産があるなら)婿にはいくなの
格言通り、「婿殿」として冷たい扱いを受けていました。妻も義母も彼をバカにして「バカタダシ」と呼ぶので
子どもたちも「お父さん」ではなく「バカタダシ」とあざけるようになりました。
幸か不幸か私はDVを仕事にしていません。まったく違う職業についていて一般の人と交わっていますので、
DV関係ではない普通の人たちの考え方にがどういうものか知っています。
この「バカタダシ」のことをDV関係者が聞けばたぶん「一度でも殴ればDV」と言うでしょう。
では一般の人はどう思うでしょうか。「そりゃぁ殴ったダンナが正解」「気の毒に。ひでぇ奥さんだよな」
と言うでしょう。彼は何度も「やめて欲しいとお願い」したにも関わらず、長年に渡って虐げられました。
耐えられないと家を出たならば、新しい住居に移り、養育費を長い間支払わなければなりません。
実は私はそういう人も知っています。「娘の高校の入学式を木陰から見てたんです」という彼の目が潤んでいました。
「妻から罵倒を繰り返され、耐えきれず家を出たんです」(この人もお婿さんでした)
私は男性の被害者からも時々メールをいただきます。私の周りにも根性が腐っているとしか思えない女性が
結構いて、「この女のダンナさんは大変だろうな」と密かに同情していますので、がんばってのメールを返しますが、
男性の被害者は「命の電話」くらいしか相談する場所がありません。これはもう男性も女性も「青信号を渡っていたら
トラックが突っ込んできた」ようなもので、相手が悪かったとしか言いようがありませんのです。
一般人の意識からすると、タダシ氏は「悪くありません」。たとえ殴っていても、です。
あちこちのDVサイトを読むと、このあたりの認識のズレというのをとっても考えさせられます。
だって、タダシ氏、悪いと思います?
私が離婚を決意し、相談した上司がいました。「調停をやります。これから時々お休みをいただくことになります。
ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします」と言うと大あわてで「おい、待てよ。早まるなよ」と離婚を取りやめるよう
説得しにかかりました。しかし私が夫の状態を少し話しかけると
彼岸時。季節の変わり目にひどくなるモラル・ハラスメント。木の芽時には精神病の人たちの症状が悪くなるというのは
聞いたことがありますが(実際そうらしいです)ハラッサーの中にはそういう人もいるようです。
リファレンスを利用して精神科を受診した方で「『季節障害』と言われた」と報告をしてくださった方がいます。
その季節になるとムラムラと怒りがこみあげてくるのがひどくなるからそう言うんだそうですが。
月の満ち欠けが体になんらかの症状を与えたり、低気圧がぜんそく発作を引き起こしたりと、自然現象の中で
人が右往左往しているということもあるのかもしれません。
そろそろお彼岸です。ハラッサーと暮らしている方たちはお気をつけ下さい。
私が離婚をしてから態度ががらりと変わった人の中にAさんがいます。他の人たちは全然変わらないのですが、Aさんは違いました。
以前は「ふん!」と突っ張った接し方だったのに、離婚をしたとたんかいがいしく世話は焼いてくれるわ、優しい言葉をかけてくれるわで、
こちらもいきなりの急変で戸惑ってしまいました。Aさんの夫はリストラ後、何もしなくても入ってくる失業保険のうま味をしっかり身につけてしまい、
就職活動をしないまま、Aさんがスーパーのパートで稼ぐわずかなお金で生活をするようになりました。
彼女が急変したのは私を「私より下のかわいそうな人」と位置づけたからでしょう。以前は夫婦そろって正規の職業につき、経済的にも社会的にも恵まれていた
私が、あっという間に母子家庭という社会的弱者に転落したわけですから、私の離婚はさぞかし彼女の優越感を押し上げるのに貢献したに違いありません。
離婚後、沢山の人たちが善意の手を差し延べてくれるようになりました。「食べ盛りの子がいて大変だろう」と、食べ物をいただいたりすることも多くなりました。
本当にありがたく感謝しています。
「母子家庭は底辺層」という勝手に作り上げられた社会的位置に私が転落したことで、彼女は私に対して優越感を持つことになったと思いますが、
リストラされて働かなかないヒモや、ハラッサーと暮らしているより、私の方がずっと経済的にも精神的にも安定しているんですけどー。
でも、「ま、いっか」とも思います。誰が私に対して優越感を持とうが、「かわいそうな人」と憐憫の情をかけようが、私にとっては「どーでもいいことです」。
むしろ「うち、母子家庭だから大変なのー」と言って逃げられるメリットを取りますけど←すいませんねぇ、すれてて(笑)。悔しいわ!とハップンもしなければ
我が身を憂いてサメザメと泣くこともない、すげーやな女でごめんなさいねぇ。本当にそんなこと、私にとっては「どーでもいいこと」なんで。
さて、Aさんですが、どうがんばっても夫は働かず、その後とうとう離婚しました。年金分割が始まる1ヶ月前です。
ただし離婚の件はわずかな友人にのみ話されたので、私が知ったのは後のことです。前もって相談してくれれば夫の年金を分割して
彼女が受け取るようアドバイスもできたのに。
そのことを言うと「あー、もうそんな状態じゃなかったのよ。もうそんなことやってられなかったよ」とそっけなく答えました。
年金分割の意味を全然理解していません。年金を受け取る年齢になったら歯がみするのでしょう。
そう、彼女は離婚後、また元のようにつっけんどんになりました。私と同位置にたったら、経済的にも社会的にも恵まれている
私が面白くなかったのでしょう。
勝手にひとりで上がったり、下がったり、忙しいやっちゃな(笑)
彼女は夫が働かなかろうが、貧乏だろうが、「結婚している」ということだけで優越感に浸っていたのでしょう。
結婚しているって、そんなにエラクはなかろーが(笑)
ずっと前から読もう読もうと思っていた「だめんずうぉーかー」。このお休みで4巻まで読破しました。
今まで読めなかったのは、私が行くマンガ喫茶になかったというだけですが(^^;)
よく「だめんず」と「モラハラ」はどう違うのかと聞かれてましたが、何しろしっかり読んだことがないので
この際読んでおこうと思いまして、どっさり買い込みました。
「だめんず」はおもしろおかしく書いてますけど、中身は悲惨です。本当に「なんでこんなオトコとくっつくわけ!しかも
次々と同じタイプの八艘飛びをするんだろうか」と、読んだ人たちは思うんだろうなぁ。
でも「だめんず」の方は、完全に「選んで」その道に行っているように感じるのは気のせいでしょうか。
だめんずの多くは「ヒモラタイプ」ですが、ヒモラを囲える人というのは有能で人が多いんです(当然ですね。だからヒモラも寄ってくるわけだから)
ハラッサーはほとんど治りませんが、これも一種のヒト依存なんでしょう。
依存させてくれるヒトがいる限りヒモラは寄生虫のように張り付きますが、「だめんずうぉーかー」ではヒモだめんずと別れた後、
相手は別の女に貢いだいう例もありました。要は組み合わせということか。う〜ん、奥が深い。
「モラハラ」と「だめんず」。相当大きくかぶる部分は確かにあります(変態ストーカーはモラハラと関係ないから別だし)
4巻にある中村うさぎさんの元夫は完全にハラッサーです。おもちろいよ、くらたまさん。
育った家庭と同じ雰囲気を持つ相手とくっついてしまうメカニズムとか、ここら辺でもよく語られるセオリーなんかも
しっかり網羅されていました(というかだめんずの方が先ですから)
くらたまさんが週刊朝日に連載している「フリドラ男」を時々読みますが、「嫌なことを無理にさせられるより、やりたいことを
させてもらえない方が辛い」と書いてあったときは、深くうなづきました。私が離婚して感じた開放感は、したいことができること
だったと思います。何もかも相手に合わせなくてもいい、好きな時に好きなものを食べられる幸せ。疲れたときには休める幸せ。
ハラッサーもだめんずも、人から自由を取り上げるということが支配の証だったんだろうなー。
最初の報道はこうでした。
日本人夫婦が、インド人女性に代理出産を依頼して女児が生まれる前、離婚したため、子供の母親や国籍が不明になっていることが7日わかった。
離婚した元夫は子供を引き取る意向を示しているが、外務省は、出産女性を母とする日本の民法の判例に従い、日本人としての女児の出生届は受理できないという判断を元夫に伝えている。
元夫が、子供を引き取るにはインド、日本国内の養子縁組に関連する法律の手続きを踏む必要があり、子供は現在、インドを出国できない状態だという。
代理出産の是非については、日本学術会議が途上国への「代理出産ツアー」を問題視し、「代理出産は新法で原則禁止とすべき」との報告書を今年4月にまとめたが、その懸念が現実化した形だ。
外電などによると、昨年11月、愛媛県の40代の男性医師と妻だった女性は、インド人女性と代理出産契約を結び、インド人女性は同国西部のクリニックで妊娠、今年7月25日に女児を出産した。夫婦は子供が誕生する前の6月に離婚。元妻と代理母は子供の引き取りを拒否している。
男性医師は子供を引き取る意向を示しているが、現在、ビザが切れて日本に帰国。男性医師の母親が現地で子供の世話をしている。
これを読んだとき、ふたりで決めて代理出産という方法をとり、せっかく赤ちゃんが生まれたのに離婚し、子どもの受け取りを拒否するなんて、
なんて無責任な妻なのだろうと多くの人が思ったことと思います。
ところが今日のニュース。
女児は無国籍児 出生届の母親欄が「不明」に 男性は昨秋、関東の医師仲間の紹介で、インドにいるインド人実業家を通じて現地の病院に「第三者の卵子提供で代理出産をする」ことを依頼。男性は取材に、代理出産を頼んだ理由について「男として子どもが欲しかった」と説明した。その前にはインターネットなどで代理出産について調べ、米国の病院に「独身でも代理出産を頼めないか」と問い合わせたこともあったが、断られたという。
代理出産の費用は一部を既に支払っており、医療費や渡航費を含めた総額は400万〜500万円かかりそうだと述べた。代理母の20代後半のインド人女性には約20万ルピー(約56万円)が支払われたと聞いたという。
インドにいる弁護士からの連絡によると、出生届の父親欄がこの男性になっているため、男性は女児を引き取るための養子縁組ができなかった。また、母親が不明となっているため、インド国籍も取得できない状態になっているという。このため、男性は現地の弁護士に相談するとともに、女児の帰国について日本の法務省に対応を要請している。
元妻「同意していなかった」 インド女児問題
この妻は昨年結婚した40代の方です。
もっと知りたい方は「アクアマリン」「代理出産」で検索をかけてください。アクアマリンはこの離婚した妻のハンドルネームだそうです。
この男性にとって(職業:医師)女性は産む機械でしかなかったんでしょう。これはもう早くすべての代理出産を禁止する法律を作ってくださいとしか言いようがないです。
ハラッサーと離婚する場合は協議よりも調停の方が断然いいといつも言いますが、
先週「調停やっててよかった」と思う出来事がありました。離婚して5年が過ぎても、まだなんやかんやと
引きずっています。調停離婚した場合は調停調書に約束事が書かれます。「○万円を養育費として
高校卒業時まで申立人の口座番号○○へ○万円を毎月振り込む」等、具体的に書かれ、最後にこの調停調書は
強制力を持つと書かれます。つまりそこに書かれたものが履行されなければ強制執行ができるということに
なります。これは今回かなり、かなり心強い紙切れになりました。最後は強制執行だなと腹をくくりましたが、そこまで
行かずにカタがつきました。調停調書をとっていなければ、またウヤムヤにされてしまうところでした。
私は調停の際に「大学卒業までの学費の取り決めをしたい」と調停委員に頼んだところ、オヤジ調停委員からは
「大学なんて入学するかどうかわからないものの取り決めはできない」と、きっぱり断られましたし、頼みの綱の女性調停委員も
「大学は行かなければ行かないで済むもの。どうしても行きたかったら奨学金をもらうとか、自分で働いて
行かせなさい」と言われました。父親に財力があるのがわかっていて、私の希望を伝えることもなく、この言葉を言われました。
ということは、日本で調停をした場合は全員こう言われるわけですね。これが裁判所の考え方ですので、大学までの学費を親に負担してもらうという取り決めは
【日本全国津々浦々まで】できないことになります。まさか担当調停委員によって言うことが違うなんてことないでしょうね<裁判所
「大学に行く頃になったら、また調停をやりゃぁいいいよ」
もしこの伯母が「ハラッサーですか?」と聞かれたら、そうではないと答えます。伯母はひたすら自己チューなだけで意地悪の部分がありません。謀を
張り巡らせることもしません。いつもストレート!ど真ん中のわかりやすい自己チューです。二面性もありません。周りの人は迷惑しますが、
適当にあしらっておけば人のいいところもある、悪気のない童女のような人です。
さて「どっっしぇ〜〜〜!」とひっくり返りそうになった一言。
「だめだよ!お前は仕事で疲れてるだろ?大変だろ?いいんだよ。早智子さんが行くって言ってるんだから」
そしてある日、伯父が運転する車に、伯母や夫と同乗したとき、快調に走っていた車がいきなり急ブレーキをかけました。
「なにやってるの!!危ないじゃない!!!」と伯母。 猫なんか轢いてしまったっていいんだよ!人間が怪我をしたらどうするつもりなのさ!」
ぶつぶつと「人間の方が大事なんだから」「どうせ野良猫なんだから」と言い続ける伯母の言葉に凍りついてしまいました。
「猫なんか轢いてしまえ!」という伯母の言葉もすごいものがありますが、彼女の発する驚き語録はまだまだあるのです。
でもやっぱり「悪い人じゃない」んですよぉ。一緒にいたいとは思わないけど。
【最近読んだ本】
愛は傷つけない―DV・モラハラ・熟年離婚-自立に向けてのガイドブック
ソーシャルワーカー、カウンセラーでもあるノーラさんが徹底的にモラハラについての説明、メンタルトレーニング、脱出法について書いています。
ノーラさんらしく、世界各国の被害者たちの証言を集めているところが目を引きます。
「愛は傷つけない」。そうですね。普通、愛する人は傷つけないようにするものです。私たちはそれを忘れて被害者になったのでした。
モラ夫は親戚が大好きでした。親戚のためなら「ここまでやるか」と思えるほどの奉仕を自分もしたし、私にも「言葉にしない強制」をしていました。
私の家はほどほどの親戚づきあいでしたから、せっせと親戚奉仕に励む彼がある意味新鮮に見えました。
それにしてもモラ家は寄ると触ると親戚懇談会が始まる家でしたが、そのほとんどは義母筋のもので、モラ義父関係はほとんどありませんでした。
義母関係の親戚ですからモラハラチックな人はいないのですが、それでも「この人変」という人はいました。今回は「家庭モラル・ハラスメント」に
登場する「自己チュー度の高い伯母」のエピソードです。
モラハラする人には特徴があり、チェックリストもどきもありますが、モラハラというのは頻度と程度の問題です。特徴がいくつあてはまっていても、
それが許容範囲の程度ならば「個性」になるだろうし、人に迷惑もかかりません。この「自己チュー度の高い伯母」はあまりにおおらかに自己チューなので、
笑い話になるほどです。一番迷惑したのはふたりの子どもでしょうが、彼らは彼らなりにこの母を受け入れ、上手にあしらっているように見えました。
エピソード1
あのですねぇ、と言いたくなるような結末だったラストフレンズ。
映画化が急遽決定されたそうです。
DV加害者が自殺をするのは「あてつけ」「ターゲットへの復讐」です。盗癖のある人が捕まったとき「この手が悪い、この手が悪い」と右手を叩きながら泣いていたそうです。
わかっているけれどどうにもならないと。
「殴ってはいけないことをわかっているけれどどうしようもないんだ」→「変えられないんだ」
→「だからパートナーに耐えて欲しい」→「大体怒らせるようなことをする相手が悪い」
宗佑も同じなのです。決して遺書の額面どおり「キミを愛しているから自殺するんだ」なんてことは
ありません。自殺は究極のナルシズム(ひとりよがり)です。これをDVを知らない人に見せるならば、誰かの
セリフの中に「彼は最後まで自分のことしか考えていなかった」「未知留を本当に愛していたら静かに立ち去る」
というようなことを入れて欲しかったと思います。決して宗佑を賛美してはならない。
宗佑がジャニーズだからかしらねぇ。こういう結末って。
パートナーに自殺された人たちのこと、知ってて書いたんだろうかとふと思ったり。
DV加害者パートナーが自殺してしまった「暁の掲示板」です。
自分のせいで相手が死んでしまったと自らを責めながら、立ち直るまで3年かかると管理人のシエルさんから伺いました。
映画の際はぜひ検討していただきたいですね。この結末では誤解が生じます。
私が「家庭モラル・ハラスメント」の中でキーワードとして使っている「チャンスの女神」。「チャンスの神」の話は以前から
知っていましたが、この神が女神であることを知ったのは家庭板の掲示板ででした。
「チャンスの女神」は髪をボウボウと前になびかせて走っています。女神が走ってくるのを待ちかまえて、さっとその髪を捕まえないと
頭の後ろはつるっぱげですからチャンスをものにすることができません。いつでも女神が走ってくるのを用意して待っていなければ
ならないのです。
私がモラハラを知ってすぐにこのサイトを立ち上げられたのは、HTMLの知識があったのが非常に大きいと思います。当時はまだ
ブログはなく、タグを使ったHTMLを知らなければサイトは作ることができませんでした。
私がHTMLを知っていたのは、メーリングリストの仲間たちがオフ会を開き、その写真をCD-ROMに焼いてくれないかなと誰かが
言い出したのがきっかけでした。まず大体「CD-ROMに焼く」というのがわかりません。
インターネットを最初に見たとき、「これは世界を変える」と思いました。私の職場も女性が50歳を過ぎると、何となく居づらくなる雰囲気がありましたから、
私のスキルとして会得すれば、武器になると思いました。
しかし、何しろわけのわからないことを1から始めるのはどうも腰が重いものです。「え〜い、自分でいっちょ尻を叩こう」と思い、「私がやるわ!」と
手を挙げました。私は参加していないオフ会ですが(モラ夫がいましたからどこにも行けないため)、これを利用して「CD-ROMに焼く」というのを
やってみようと思いました。
初めて職場にあるスキャナーを使い、写真をスキャニングする。どうせ保存するならばきれいにしようと、明度だ彩度だ
なんたらかんたらのバランスをあちこちいじりながら昼休みの度に機械に向かい、やっとのことでフロッピーに保存しました。ここまでで一苦労。
さてCD-ROMに焼こうと思い、ふと思いつきました。
職場で「これからはパソコンを知らないと仕事ができないわよ」と言ったら、「やらなきゃいけなくなったらやるから」とうるさそうに
答えた人は今、難儀をしています。チャンスの神の前髪をつかむにはそれなりの用意が必要です。知識の引き出しは多いほどいい。
若い人には、まず本を読むことをお勧めします。あらゆるジャンルの本を読めば、いつかその知識を使うことがあるかもしれません。
「チャンスの女神」が通り過ぎてから地団駄踏む前に、用意は十分すぎるほどしておきましょう。
【先週の管理人】
先週の回である方から「なぜ未知留は逃げないのか?」という質問のメールをいただきました。
以下は私の感想です。
宗佑のように相手をつけねらい、ついには殺してしまう夫の事件は珍しく
ありません。つい先日も警官の護衛をつけていたにも関わらず襲われた妻子がいました。
相手は半分気が狂ったようになっているので、「何をされるかわからない恐怖」が
あります。知らない人が聞けば「それだけ愛されているのよ」と言われ
そうですが、あれは愛ではなく執着です。それも獲物を逃がさないための執着です。
エイリアンという映画がありました。エイリアンは血をすするために獲物を
繭の中に入れて閉じこめておきます。死んでしまったら血が吸えないから殺しません。
それがあの未知留の状態です。彼女は彼の感情のゴミ捨て場にされ、エネルギーを
補給するための獲物でしかありません。
未知留と母は借金を作った父から脱出しますが、その母親が自堕落で、始終オトコが出入りしています。まじめな未知留は美容院で
働いたお金で家賃を払っています。おそらくその他の部分も未知留の負担になっているのでしょう。つまり未知留はアダルトチルドレンの設定です。
同じように宗佑も家庭に恵まれていないACで、その宗佑に未知留は同情をしています。
ACは健全な家庭を知りませんので、本当の愛情を知りません。ACの子どもが
知っているのは貢ぐことで得られる愛情です。
テストの点がよかったら誉められる
ACの子どもは何かすることでしか愛情をもらえません。
たいていのこどもはそうじゃないかと思われるかもしれませんが、愛情を持って接する親ならば、
テストの点が悪かったら「この次がんばろうね」と励まし、発表会でミスったら「ママだってそういうことあったわ」
と慰めます。でも親が何らかの問題を抱えている人間だったら(親もACであることが
多い)ミスは罵倒し、テストが悪ければシャープペンの芯を頭に突き立てます。
そういう家でふたりとも育っているという設定です。
未知留は自分を二の次にして貢ぐことで愛情を受けられると思っています。
一方宗佑にとって未知留は獲物でしかありません。
未知留は愛情に飢えたかわいそうな宗佑を見捨てることができません。
前回はいったんは逃げ出した未知留が戻ってきてしまったところ
から始まっていました。
DV被害者が逃げられない理由はいろいろあります。
そして未知留のように「かわいそうな相手を見捨てられない」というのも
非常に多くいます。
でも未知留が家にいることは、彼女を感情のゴミ箱にしている宗佑がヒト依存の状態に
なりますから、ちょうどアルコール中毒の人に酒を与えるのと同じことに
なってしまいます。彼を本当に助けたかったら酒を置かないこと。依存させてくれる人が
そばにいないことが自立のための重要な条件です。
未知留にはそれがわかりませんでした。
私が一生懸命怒られないようにすれば彼も変わると根拠のない希望に
すがっていました。未知留の場合は友達がいましたから救われました。
でも、世間も親も一緒に「あんたが変われば相手も変わる」と言い続けられ
家に戻るように強要される被害者の方がずっとずっと多いのです。
未知留のように傷があればまだ理解してもらえる。
私が「家庭モラル・ハラスメント」を出したのは、あそこまでページを割いたら、モラハラの実態を世の中の人は理解してくれるのではないかと思ったからです。
一言ではモラハラは説明できないのです。だから「精神的DV」という言葉は広まらなかったのです。
「家庭モラル・ハラスメント」は明日発売です。
よろしくお願いいたします。
フジテレビ木曜午後10時に放送されている「ラストフレンズ」が学生の間で
人気だと、一昨日の朝日新聞コラムにかいてありました。このドラマでは長澤まさみ扮する未知留が宗佑役の錦戸亮からDVを受けるわけですが、
私としてはちょっと不満があります。暴力シーンは手ぬるいわ(あんなもんじゃないですって!)、何より暴力が怖い未知留の普段のドキドキ感が
あんまり伝わってきません。箸の上げ下ろし、相手の動作を盗み見て、まるで気がふれたように即座に対応する、その緊張感がいまひとつ
ないように思えるからです。暴力そのものよりも、毎日毎時間毎秒気を張っていなければならないことがDVの重要な部分なんです。
ただ、第二話で美容師の未知留は定時に帰らないと暴力を受けるからと、雇い主に「定時に帰りたい」と言って激怒され、「男の客はできない」と
言って仕事から干されました。ああ、よくわかる。私もそうだった。残業すればたちまち無視が始まるから残業できない。
出張もできないから大きな仕事からははずされました。夫からはことあるごとに「子どもが思うよう育たないのは母親が家にいないからだ」と
なじられ、仕事をやめるよう暗に強要されました。やめたらこっちのもんです。私が身体的暴力を受けなかったのは経済力があったから、夫は
「暴力をふるったらコイツは出て行く」とわかっていたからです。経済力を奪ってしまえばすべてのカテゴリーのDVを受けたでしょう。
脚本の浅野妙子さんはよく勉強されていると思いました。
DVを受けても戻ってしまう未知留。たくさんのいい友だちの援護があってもダメなんですね。
このドラマでなぜ彼女たちは戻ってしまうのか、彼らの罠にはまってしまうのか、たくさんの若い人たちがそのメカニズムを知ってくれれば
いいなと思います。
いつぞやDVサポーターの研修会に行った時、講師の方が言った言葉がありました。「身体的、精神的、経済的、社会的、性的DVの中で、
まず最後まで実態がわからないものは性的DVです」。今回アンケートを取ったところ、匿名のせいでしょう。性的DVの被害像がゾロゾロと出てきました。
その中でもっとも痛ましいのは夫が避妊をしないため、次々に懐妊と堕胎を繰り返さなければならない方が少なくないことです。
男性の場合は「できたら堕ろしゃいいんじぇねーか」という意識ですから、どうせ他人の体、自分の体ではありません。女房の体なんかどうなったっていいわけです。
産みたくない子供を産まなくてはならない、産んだら育てなければならない。育てるにはお金がかかりますが、児童手当は夫が握って渡さない。
そんな例はいっくらでもあります。
出産を経験した方ならば産むまでの苦しさ、産んでからの大変さはよくよくご存じだと思います。しかし夫はまったくそれを「理解しない」。「理解できない」。
セックスの要求に応じなければ不機嫌になり、八つ当たりをする、子どもを怒鳴り散らす。「やめてよ」と言えば「お前が拒否したからだろう」「だから子どもを泣かした」
「お前が拒否をするのが悪い」「悪いのはお前だ」「かわいそうな子だ。母親のせいで泣いてしまった」という意味不明なモラ言語を止めどもなく流し続けます。
調停の場で「夫が浮気をしたんです」と言ったら、「あなたが求めに応じなかったからでしょう?」と言ってくれちゃった調停委員の女性もいるそうです(完全実話)。
人権がなんたらと仰る人権の専門家にお聞きします。女性は慰安婦ですか?拒否する権利はないのですか?表だっては「そんなことは許されない」と仰るでしょう。
ならばせめて公衆女子トイレの壁に「パートナーから暴力を受けていませんか?」とステッカーを貼っているのと同時に、男性トイレに「無理な性強要は犯罪です。たとえ夫婦でも」
というシールも一緒に貼って下さい。女性は「家政婦機能が付いた便器」じゃありませんからっ。
【最近の管理人】
香山リカさんの「知らずに他人を傷つける人たち モラル・ハラスメントという『大人のいじめ』」の冒頭部分に書かれた、
渋谷のセレブ妻バラバラ殺人事件の論告求刑で検察側が懲役20年の求刑をしました。検察側の求刑ですから
これで決定まったわけではなく、今月28日の判決公判で決まります。
私はDV被害者のひとりとして、無条件に彼女の行動が「仕方がなかったもの」だとは思いません。「とっさに
旦那を殺す」ことに関しては「アタシもやったかもしれない」と共感を得られますが、その後の「平将門じゃあるまいし、
バラバラにして首塚、足塚作るかよ」とたぶん聞かれた被害者全員が首を捻ることでしょう。
かおりんが元々持っていたパーソナリティなのか、はたまたDVを受けたことにより異常になったのか、突っ込んで調べて
欲しいところではあります。
ただ、バラバラにしないまでも、「常人の判断ができなくなる」ことに関しては、私も大いにうなづけます。
だから「DV被害というのは、なってみなければわからない」と声を大にして言いたい。
そしてこの裁判の裁判長は公判の中で「(DVを受けているのに)なぜ逃げなかったか」という、信じられな〜〜〜い
発言をしています。DV被害者に「なぜ逃げなかったのか」つまり、逃げなかったアンタが悪いと言うことは完全に
二次被害を与えることになります。この裁判長は、DVの世界では常識である「DV被害者は逃げられなくなる」ということも知らないどうしようもない人です。
こんなんでよく裁判長やってますねーーー。信じらんな〜〜い。調停委員が無理解どころの話じゃない、裁判長がこれじゃぁ
DV裁判で泣く人たちが続出するはずだぁ〜。
「夫のボーナスを手に入れようと画策した」って、当たり前じゃないですか。これからひとりになって生きていこうと
する者が、少しでも多くのお金を持ち出したいと思うのは少しもおかしいことではありません。
人ひとりの命を奪ったことは、もちろん断じて許されざることではありません。でも、被害を受けた人は普通の精神状態
ではなくなってしまうということを理解しようともしない人が、裁判長をやっていいのでしょうか。
そういえばモラハラ被害者同盟でアンケートを取りましたが、この中で加害者の職業に「裁判官」と書いた方が2名おられます。
「モラ裁判官」は今日もお裁きをしております。裁判官の採用試験にちゃんと人格欄を設けましょうよ。
【またまた訂正】 待て、しばし!
いきなりの訂正ですみません。先週出版社との打ち合わせで本の発売が1ヶ月遅くなりました。6月発売予定だそうです。
出版社の待合室でチビチビと校正作業をしていたら、「うわぁ、この人にお断りしなきゃいけなかったんだ。忘れてた」という
エピソードがありました。その場で携帯から連絡を入れて、彼女の件を本に挿入する許可をいただきました。何しろ彼女と
関わってから5年の歳月が流れており、いったい今どこで何をしているかもわからないのに、いきなり電話をする私も私だ。
彼女が「無事脱出」の報を掲示板に書いた日、喝采のレスポンスの嵐。
まるで昨日のことのように覚えています。私もまだ離婚してから数日しかたっておらず、まさに「同志」といった関係でした。
その彼女から今日電話があり、ゆっくり話をすることができました。その話の中で、まさに今の私の状況を救ってくれる情報がありました。
結構私落ち込んでたんです、今まで。でもその情報を聞いたらかなり、いや相当明るくなりました。
「縁ですよね、これって」「そうですね、縁ですね」
友遠方より来たる、佳き話を手みやげに
今日、初めて印税なるものを手にしました。ゲストのみなさまに送った本代が差し引かれて1万円に満たない
金額でした。印税ってそんなもんです。う〜ん、これで何か記念になるものでも買おうかな。
時々「私のことを本にすればベストセラーになります。そして私は左うちわ」というメールをいただきますが、
1冊で左うちわは難しいと思いますよ〜。
「何でもない日バンザイ!」というのはディズニー映画「不思議の国のアリス」の中で帽子屋たちが「今日は何の記念日でもない日だ、バンザイ」
とパーティを開く口実に使う日ですが、今日は久しぶりの「何にも用事がない休日」でした。先週は今度出版する本の校正を2日間びっしりとやっていたし、
その前は東北大学法科大学院でのワークショップの準備をしていました。来週は再び本の打ち合わせのために上京しますので、
今日はゆっくりとユーチューブ三昧していました。何を見ていたか。ユーミンですがな〜。懐かしい曲をあれこれ聴いて私は「あの頃へ帰って」ました。
ところでご存じでしたか?ハイファイセットの「スカイレストラン」は最初「あの日に帰りたい」の曲につけられていたこと。
だから歌詞を入れ替えてもぴったり歌えます。カラオケでおためし下さい。
今回出版するのは「モラル・ハラスメント被害者同盟」(仮)という私のドタバタモラハラ離婚体験記です。私はモラハラを知って3週間後にこのサイトを作りましたから、
もちろんサイト立ち上げ秘話も入っています。この本の元になっているのは、私が調停の時に申立書につけたA4版11枚の「我が家のモラル・ハラスメント事情」です。
その後この原稿に大幅加筆し、さる体験話コンクールに出したところしっかり落選。さらに「本を出しませんか?」と声をかけてくださった出版社の企画に乗せるために加筆したものの企画が通らず、
そのまま私のHDの奥底で眠っていました。今回縁あって日の目を見ることになりましたが、最後の「あとがき」は昨年12月に書きました。書いたものの、きれいさっぱり
忘れていて、今回校正で返ってきたのを読んで思わず落涙。「ええ話やんか〜、誰やん、これ書いたんは」って、書いたの私やん!
この本を出そうと思ったのは、いつも掲示板で悩みと困惑のさなかにいる方へ、ここにモラハラ禍から脱出した人がいるよと、
その頃は何も見えず、何も聞こえず、手探りだったけど、今はこうやって幸せになっているよと、応援のオーラを送りたかったからです。
「Q&Aモラル・ハラスメント」は究極のハウツー本でした。おそらくモラハラでこれ以上のものは当分出てこないだろうという逸品です。
私は旅が好きですが、旅に出ようと思う動機は何かその場所について書かれたもの、旅行記を読んで「行こう!」と思うことが非常に多いのです。
「Q&A」は「まずパスポートを手にいれましょう。必要なものは○○です」という実際の手続きのために必要でした。私が今回出版するのは旅行記のようなものです。
参考になるところもあれば、まったくならないところもあります。それでもこの本を読んだ人がわははと笑って元気になってくれればいいなと思いながら書きました。
発売は5月頃の予定だそうですのでもう少しお待ち下さいね。
心理学の教科書などによく出てくる映画に「es」というドイツ映画があります。
たまたまこの映画を見た知り合い(♂)と、この映画について語り合ったことがありますが、「人間ってかくも残酷になれるもんでしょうかね」と言う彼に「私の家庭もそうでしたけど」
と言ってみたくなりました。
この映画は「1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を舞台にして、
普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。模型の刑務所(実験監獄)はスタンフォード大学地下実験室を改造したもので、実験期間は2週間の予定だった。」
ものを元にして作られました。
この実験で囚人に与えられたルールは次のとおりです。
ルール1:囚人はお互いに番号で呼び合わなくてはならない。
ルール1は囚人からアイデンティティを取り去り、尊敬されるべき人間であることを否定します。ルール2では看守に対して
無条件に上位者であることを意味づけます。ルール3では囚人同士の情報交換を禁じられます。ルール4は自分の嗜好や体調を無視されます。
ルール5では看守の奴隷になることを意味します。そしてルール6の罰という恐怖を学習させられます。
看守役を与えられた者はその力が二週間という期限付きで架空のものであると知っていても、次第に自分の持っている権力を強引に行使し始めます。
囚人役はたった数日で精神に異常をきたし、ある者は去り、次第に歯止めのきかない状態になっていう看守たちはついに殺人まで犯します。
実際の実験では殺人こそなかったものの、
それに近い状態になったといいます。
この実験で得られた結論は
結婚と当時に豹変してしまうタイプのモラ夫は、夫=主人=権力者であると思いこんでいるかもしれません。だとしたら、このときに必要なのは
「あなたは権力者ではないですよ」と目を覚まさせてあげる周り人たちです。ですが、実際の世の中では「なぜ夫に従わないのか」と非難されます。
「家庭という名の強制収容所」とはよく言ったものです。夫という名の権力者と、6つのルールで縛られた家族。
この実験は途中で中止されましたが、看守役の者は「話が違う(期限を守って続行しろ)」と言ったそうです。権力を持つということの快感を一度味わうと、
なかなか離し難いものだということでしょう。
我が家に食洗機があると言うと、たいていの男性は「ほぉ〜」とびっくりした後、「そんな贅沢なもん使って」と言います。確かに2005年の普及率は16.6%ですから
2割弱の家庭に我が家が入っていることになります。私が最初に食洗機を見たのは友人宅でした。専業主婦の友だちでしたが、「リフォームしたから思い切って買ったのよ。便利よぉ、グラスなんか
ピカピカになるのよ」とうれしそうに話していました。自動で浴槽を洗い、お湯を張るお風呂というのもありました。その食洗機を見て「私には一生縁のないものだ」と思ったことを覚えています。
夫は私が休んでいると機嫌が悪くなるので、夫が家にいる休日は1日中忙しく家事をすることになります。1日3回食事の後片付けの後は腰がつらくてたまりませんでした。ですので、別居するとすぐ一番に食洗機を買いました。まだ離婚が成立する前のことです。
食洗機は売れ行きが伸びるにつれ改良され、とても使いやすく機能も充実してきました。売れ始めたその理由は、女性が外で働き始め男性も後片付けをするようになると、「これは大変な仕事だ」と
いうことがわかり、開発が進んだからだそうです。つまり、男性が使えば普及し、進化するということです。誰か他の人がやる分には「後片付けなんかちゃっちゃとしろよ」と言っていたくせに、
自分がやってみたら大変だということが初めてわかったということでしょう。
医療を学習する学校では「高齢者体験セット」とか「右半身不随体験セット」など、体の一部が機能しないということはどんなに不自由なことか、その人の身になってみる体験セットが様々あるそうです。もちろん妊婦体験セットもあります。
私は世の中の男性全員がこの妊婦体験セットをつけて10月10日過ごすような法律を作ったらいいんじゃないかと思います。当然一緒に「つわり体験ドリンク」を毎日飲む。仕事の打ち合わせの最中吐き気がしてもがんばって
働いてもらいましょう。「つわり体験ドリンク」に「危険物抑止錠剤」を加えて飲むとお酒が飲めなくなりますし、たばこも吸えなくなります。だって胎児に悪影響を与えますからそんなもの口にしてはいけません。
実際に体験したら「つわりなんか気のせいだ」「わがままだから」「甘え」なんてことは言えなくなるんじゃないでしょうか。もう、アイディア会社の小林製薬さん作ってくれないかしら。
そうしたら、妊娠がどんなに大変なことかわかってもらえ、この方面の技術や設備が充実すると思います。だいたい女性は妊娠していることが一目でわかりますが、男性はわかりません。これはズルイ。
義父はよく妊娠している女性を見るとニヤニヤして「見ろ、見ろ」と言って指を指しました。どうやら妊娠するためのプロセスを想像しているようです。私は「この男、バカじゃないか」と思っていました。
男性が「妊婦体験セット」をつけて町を歩くようになれば、義父はやはり指を指して笑うでしょうか。
その人の身になってみなければ、体験してみなければわからないことが沢山あります。男性が女性と同じような生活をするようになれば、「大変だなぁ」と共感してもらえるようになるでしょうし、きっと便利な世の中になるでしょう。
せめて共感力を磨いて、妊娠できなくてもその大変さをわかって欲しいと思います。
みなさまの応援のおかげで「Q&Aモラル・ハラスメント」の増刷が決定致しました。とにかく初版本を全部売り切らなければ
出版社が赤字を抱えることになりますので、「初版だけはなんとかしたい」と胃をキリキリさせていましたからこれで安眠できます。
お買いあげのみなさま、あちこちのブログ、サイトで取り上げて下さったみなさま、本当にありがとうございました!
先週、ちょっとショックなニュースがありました。草思社の民事再生法申請です。実は今回のモラハラ本の
出版を一番考えていたのがこの草思社でした。草思社が出版した「平気でうそをつく人々」はモラ族の本ですから、「モラハラ本は絶対にこの出版社から」
と思っていましたが、縁あって今回は明石書店から出版させていただきました。自費出版は最初から考えていませんでした。
何しろ本を流通に乗せてやらなければ全国の書店に届きませんし、大体そんなお金はありません。北海道真狩村に住む佐々木トメさん(仮名75歳)や、宮古島の遠藤クマさん(仮名68歳)
にも届くようなルートを持っている出版社でなければ意味がない、そう思いました。
モラハラ本を世に出そうと企画し、いろいろな出会いがありましたが、
今回ふと考えたらたった2年半の間に私が出会った数少ない出版社のうち、3社が倒産や業務縮小をしていました。
みなさんに最初にアンケートをお願いしたときにご紹介した出版社は、私が被害者の取材に行く前日(!)倒産の知らせが来ました(その時は倒産と聞きましたが、
後から業務を大幅に縮小するから新刊は出さないということに訂正)。荘司雅彦先生がお書きになり、私も巻末資料を書かせていただいた「離婚裁判〜モラル・ハラスメントからの脱出」を発行した
アメーバブックスは昨年解散し、そしてあこがれの草思社です。出版業は大変だと聞いていましたが、こうも立て続けに縁があったところが倒れると何だか私は疫病神ですかという気分になります。
元夫が「オレが常連になる飲み屋はつぶれる」と自嘲していましたが、私もその系統だったりして。本当に出版業って今大変なんだなぁ。
一昨年、友人たちと小冊子を作りましたが、B5版で100ページ程のもので11万円かかりました。1冊1100円です。
体裁は中学校の文集程度の見栄えですので、改めて見るととても1100円のものとは思えません。中身も印刷会社はページをふって印刷するだけという
完全原稿で(校正も何もナシ)、お金をかけないようかなり頑張って作ったものなのですが、それでも1100円かかっています。
この作業をしながら「自費出版業やろうかしら」と半ば本気で思いました。ノウハウさえわかれば後は「自分の本を作りたい」という人を見つけるだけ。団塊の世代で、自分史を出したいけれどどうしたらいいかわからない人は大勢いるだろう、
う〜ん、これはイケそうだ、商売しよう(笑)
その後出版社の方に、「一般の人にとって自分の本を出すということは夢なんですよ」と話したところ、「へぇ〜、そうなんですか」と驚かれました。そういう仕事をしていると本を出すことに
特別の感情がないんでしょう。「そういえばかかる費用も墓石と同じくらいの値段ですもんね。まさにこの世に残すものなんだなぁ」
自分史を書いて残すってほとんど自己満足だと思うのですが、残したいのかなぁ。誰が読むんだろう、丸山和夫さん(仮名)の人生。
う〜ん。私はきれいさっぱり消え去りたいけど。と言いつつ残したりして。
母子家庭の続きです。私がこの話題を取り上げようと思ったのはある母子家庭の方の話を伺ったからです。
モラハラで離婚された方はほとんど全員そうでしょうが、離婚後は(離婚前も)夫と接触を持ちたくありません。私もそうです。
養育費の談判を直接するくらいならば、養育費なんかいらないから近づかないでと言います。我が家の場合は調停をしてその場で額を決めましたから
できたようなもので。でも、この養育費も振り込みの日が段々遅くなるわ、勝手に理由をつけて減額するわ
でしたから、ついに「ちゃんと決められた額を払わないと、あなたの勤め先に強制執行の通知が裁判所から行きますよ」とメールしたらやっと
きちんと支払うようになりました。やれやれ、手間のかかる。。。
さて、この知人ですが、お子さんの件でいろいろ手続きしようとすると「保証人であるお父さんの源泉徴収票が必要」と言われたので、できれば絶対近づきたくない
元夫へ連絡を入れました。彼女はとにかく元夫が怖くてたまりませんので「近づかないで、寄らないで」と養育費の請求もせず、
児童扶養手当をもらいながら細々と生活をしていました。手続きも清水からダイビングするつもりでコンタクトを取ったものです。
取った源泉徴収票を見てびっくり!!
月収600万円!
自分の子どもたちが細々と生活しているのを尻目に月収600万円!
「なにこれ、なにこれ」とワナワナと震える手で源泉を持つ彼女。これだけあったならば、養育費もとは思っても、それをもらうためにはモラ夫との「話し合い」が必要。
「お願いだから近づかないで欲しい」と思っている相手に要求するには、もらうまでひと山もふた山も越なければならないでしょう。
これが別居と同時に速やかに自動的に養育費が渡るようにすれば、モラ夫と接触することなくもらえるのに。
ちなみに彼がきちんと養育費を払えば、児童扶養手当は必要ありませんから税金の無駄遣いも防げます。
これは絵空事ではありません。あなたのお住まいになっている場所の議員さんに「そういう制度を作ってもらえませんか」とお願いすれば、良心的な議員さんならば心に留めてもらえるでしょう。幸い選挙も近いですし、同じ望みを持っている人たちが一斉に「お願い」を継続的にすれば、絶対に叶えられない事ではないです。法律や制度を作るのは何と言っても議員さんなんですから。
この「養育費は国からではなく配偶者から」の良い点はもうひとつあります。現在この児童福祉手当等の母子手当欲しさに偽装離婚する人がいます。
世の人たちが言う「母子家庭のくせに昼からファミレス」や「ヤンキーねえちゃんたちが子連れでパチンコ」の中には、手当を不正受給して遊び暮らしているケースがあります。
これが配偶者から税金のように養育費を取り立て、そのお金が母子家庭に渡されるようになればこの不正受給はなくなります。恋人と籍は入れずに同居し、援助を受けている場合もそうですね。
「バレるんじゃないかしら」とドキドキしながら不正受給を続けるよりも、正々堂々と元夫からの養育費をもらったらよろしい。
不正受給している人たちが、あなたの貰っているそのお金は、夜、小さな子どもをひとりきりにして夜昼働いてまじめに税金を納めている、あなたと同じ境遇の人たちのお金であると、
ちっとは思ってくれればいいんでしょうけど。
「不正受給をして遊び暮らしている母子家庭」を見て、はらわたが煮えくりかえる人も多いでしょう。「父から国庫を経て母子家庭に渡る制度」ができたなら、そういう冷たい目も少しは柔らかくなるんじゃないかな。少なくともそれを実行している国はあるわけですから、
議員の方たちも、せっかく外遊に出かけられるならば観光地巡りではなく、そういう制度を勉強してきて欲しいなと思います。
私が調停をしたとき、担当だった調停委員はとんでもない時代錯誤のおっさんでした。私がひとり5万円の養育費を
要求すると「ずいぶんと多いようだが何に使うのか」と紙に列挙するよう指示されました。思いつくまま「学費、衣料費、衣料費、部活代、塾、携帯電話・・」
と書くと、「携帯電話なんか贅沢だ!あんたらは贅沢だ!」といきなり怒鳴りました。どうやらこのおっさんは母子家庭は四畳半一間の薄暗い部屋で、
親子で梅干しをおかずにちゃぶ台を囲んでいなければならないと思っているようです。
「母子家庭のくせに贅沢をするなんて許せない」と心の底で思っているのです。そう思っているのはこのおっさんだけではありません。「母子家庭」は
ちょっとファミレスで食事をすれば「母子家庭のくせに外食をする」、服を新調すれば「母子家庭のくせに贅沢だ」とやたらと「母子家庭のくせに」と後指を
指されます。どうやら母子家庭が補助金を受け取る、つまり施しを受けているくせに自分たちよりもいい生活をするのが面白くなくてこの言葉になるようです。
そして人間って、ほんの少しでも自分より下の人間を作りたがる。自分より下の人間に対して優越感を持ち、肩をそびやかして「お前らオレより下のくせに」と思いたがる。
未熟な人間ほどその傾向が強いように思います。
でもちょっと考えてみて下さい。なぜ母子家庭に補助金が必要なのでしょうか。 「母子家庭は貧乏だから」
ピンポ〜ン、そこのあなた、大正解です。 さて次の質問です。なぜ母子家庭は貧乏なのでしょうか。 男性に比べて女性の給与が低いから。
ピンポ〜ン、またまた正解です。今日本で女性は雇用の調節弁とされ、低い給料で不安定な労働を強いられるようにされています。これは国策でしょう。
その方が国は得だからです。 さて、離婚という方法によって母子家庭になった場合のことを考えてみましょう。この家庭は離婚したわけですが、その前は
ちゃんと普通の生活をしていました。夫は「妻が勝手に家を出て行って離婚になったわけだから、養育費は必要ない」と考え、調停で決められた養育費も
払いません。弁護士に相談すると「う〜ん、青色申告者から養育費をとるのは難しいですよ」と言われましたので、児童扶養手当を申請しました。こういう
家庭は多いことだろうと思います。あれ??変ですね。子どもの養育はその両親が賄うべきことなのに、なぜここで税金が投入されるのでしょうか。なぜ父親に
「養育費を払いなさい」と強制できないのでしょうか。私はずっとこれが不思議でしかたありませんでした。「ない袖は振れないんですよ」と弁護士さんさえ
言いますが、父親は結構ゴージャスな暮らしぶりです。 「払いたくないから払わない」が許されているのが今の日本の現状です。
「母子家庭って言ったってさ〜、あの人たち昼間からファミレスでたむろしてたりパチンコに行ったりしてるんだよ〜」と言われても、そのお金が
元夫からのものだったらそんなことを言われても「そんなの関係ねぇ!」って言えるでしょう?いいじゃないですか。ファミレス
行ったってパチンコ行ったって。そんなに母子家庭が不便な生活をしていないこと、惨めな生活をしていないことがご不満ですか?
「母子家庭は贅沢だから母子手当を減らす」と言う前に、自分の子どもを放棄した親からしっかり養育費を取るような制度を作りませんか?
それとも「いつ何時自分がそうなるかもしれないからや〜んぴ。母親が犠牲になって育てればいいじゃん。日本は昔っから『女手ひとつで子を育て
』っていう伝統があるんだよ。自分を犠牲にして朝から晩まで働いて子どもを育てるって美しいぜ、母の愛」って言うのかな。お役人様。
以前べりんださんが国際板に書き込まれましたが、メキシコでは養育費を払わない親は刑務所に行くことになっているそうです。そのように法律で
決まっているのです。そう、日本という国はとことん男が都合のいいようにできているのです。自分が払わなくても国が面倒をみてくれる。
そのことに税金を使うことを国は何とも思っていない。絶対にヘンだって!!私はこんなことに税金を使われたくないです!!自分の子どもの生活は
その親が担うべきです!
私はここでフェミだ、ジェンダーと声高に言ったことはありません。私はそのようなムツカシイことはわかりません。でもどう考えてもこの国は「男にとって都合のいい国」であることに間違いはありません。
それは違う!と反論なさるならば、どうか自分の子どもが人並みの生活を送れるよう、無理解な人たちに「母子家庭のくせに」と冷たい罵声を浴びせられないように、
養育費くらい払ったらどうですか。あなたがきちんと養育費を払えば、妻子は手当をもらわなくても済むんですよ。どうか「月に1万円」なんて家電のローンみたいな
額でなく、ど〜んと家のローン程度の額を渡して上げて下さいな。それが男の甲斐性というものです。
さて、多分今年最後の「つぶやきマシ〜ン」でした。みなさま今年1年も大変お世話になりました。実は疲れがどっと出て昨日から
寝込んでおります。掃除、お節作りは腹を括って放棄しました。子どもはバイトに出てるし、年越しも友だちと一緒のようですから、
私は年明けまで寝て暮らす決心をしました。こんなこと、モラ夫がいたら到底実現しませんでした。今日は「モラル・ハラスメント」を
知ってから丁度5年の佳き日でございます。今年は念願だった「Q&Aモラル・ハラスメント」を出版することができました。幸い評判も
上々のようですのでほっと一安心しているところです。さて、来年は、もう一発どっか〜んと花火を上げたいですね。上げる準備はできていますので
どうぞお楽しみに。
ではみなさま、どうぞよいお年をお迎え下さい。
私の職場にとっても仕事ができるのに、なぜか話し下手な女性がいます。無口なわけではなく、一生懸命話すのですが、
どうやら言いたいことの順番が頭の中で組み立てられないらしく、こちらから「誰が?いつ?どこで?」と整理してあげないと何を言いたいのかがさっぱりわからないのです。
本人は焦って色々いうのですが、同じ事を繰り返し言うばかりでこちらは思考の糸口が掴めません。いつも「申し訳ないけどまったく
意味がわからないのでもう一度お願いできますか?」と記者のように「それはいつですか〜?誰がですか〜?で、いったいどうしたいと
思ってるんですか〜?」と聞き返さなくてはなりません。本人はじれてイライラしているのですが、この取材が終わってやっと
「ああ、そういうことだったの〜、やっとわかったわ〜」となります。
反対にまったく仕事はできないのに妙に説得力のある人もいます。彼の話し方は淡々と、しっかり、ゆっくりかんで含めるように
相手と話をします。何しろ仕事はできませんので、その内容もよく間違いがあったり、辻褄を適当に合わせるのでいいかげんな
ことが多いのですが、そうと知らない人はきっと彼の話術にはまってしまうでしょう。彼がもし営業マンだったらどんなに素晴らしい成績を
あげられることか。天は二物を与えないものだなぁとふたりを見ているとつくづく思います。
荘司雅彦先生の書かれた論理と心理で攻める 人を動かす交渉術
の中に「言葉で伝えることができるのは伝達する全情報の7%にすぎない。言葉よりも相手が受け取る情報としては『声の威力』の方が大きい」と
書いてあります。コミュニケーションは「メール」<「電話」<「会って話しをする」順に話がまとまりやすいと私は思っています。ですので今回出版が決まったときも
編集担当者も含め、全員と私はお会いしました。これにより全部本が売れたとしても旅費ですべてふっとぶ計算です。
「取材は電話でいいでしょう?」と言う私に「会ってお話しを伺いたいんです。こういうことはお会いしないとわからないものですから」と言って
わざわざ私に会いに来られた記者の方は取材後、「会えてよかったです。全然サイトと印象が違うので」と仰って、記事を書かれました。
サイトを読んだ時は、「すんげー怖そうなおばさん」だと思われたようです。え〜、私ってこんなにナヨナヨしてるのに(ウソ)。
「夫は口がうまくて私は話し下手」「調停でうまく話せる自信がない」方は、前述した彼のように、相手の目を見てゆっくりと、かんで含めるように
話すときっと調停委員のツボにすっぽりはまりますよ〜。後は雰囲気です。間違ってもブランド物は持って行かないこと。
化粧は厚くしないこと。でも「あなたに敬意を払うために身繕いしてきました」と思わせるような服装はして下さいね。
絶対にクマちゃんがついたトレーナーなどは着ていかないこと。常識を疑われます。調停を乗り越えるためにも、93%を整えて
下さいね!
前に「テレビを見ることが少ない」と書いた割にテレビネタです。すみません。あまり見ないテレビの中でもまずドラマと
いうものを見ることはないのですが、昨日終わった「働きマン」だけは欠かさず見ていました。菅野美穂が演じる週刊誌記者のお話でしたが、タイトルの「働きマン」に
あるように働く働く、24時間を犠牲にして働きすぎて彼氏から別れを告げられてしまいました。豪胆社って講談社?
「週刊jidai」って「週刊現代」?と易々とモデルがばれそうな設定でしたが、何回目だったか、連載小説が単行本化されることになり、
その印刷部数を何部にするか会議の席で決められるという場面がありました。丁度今回の出版も印刷部数であれやこれやが
ありましたので、ちょっと真剣になって見ていました。
現在出版業界は1万部売れれば大ヒットだそうで、無名の、売れるか売れないか賭のような本ではぐぐっと印刷部数が
押さえられたことはいたしかたないことではあります。在庫の山なんか出来てしまったら、穴を掘って隠れてしまおうと
思っています。単価を落とそうと色々やったんですよ。どうしたって一般主婦の方たちに2千円以上の本は辛いので。
ただ、ページ数を削っても大して単価は落ちないということなので、最初に計画したもの全部を入れました。
売れると目算がつけば沢山刷りますから単価は落ちます。どれくらい売れるのか、それを占うのは先行発売での予約数
でした。残念ながらそれほど数字は伸びませんでしたので、この部数、この価格に設定されてしまいました。
今回は編集担当者の方の活躍などもありまして、当初の1,500部よりはほんのちょっと増えた部数が今回出回っています。ああ、在庫の山が崩れませんように。
本の単価は当然著者が設定するものではなく、出版社が「願いましては印刷費、用紙代、製本費、輸送費
広告費、それに関わる方たちの人件費、本屋さんの儲け、出版社の儲け、著者の印税etc」と積算してはじき出されるものです。
最初から1万冊売れるとわかっていれば単価は落ちたんですけどね〜。う〜ん、つくづく難しいものだと思いました。
ところでアマゾンが発売を初めて2週間以上たちますが、マーケットプレイス(中古品売り)にまだ1冊も出てきていません。
読み捨てにせず、大切に読んで下さっているのだなぁととってもありがたく、嬉しく思います。苦労したけど出した甲斐がありました。
この本はモラハラを気づくところから、色々な迷いや脱出のための情報がてんこ盛りに盛り込まれています。
脱出したからもういらないわ、という本ではありません。脱出後のメンタルケアにもぐぐっと力を入れています。
どうぞみなさま、一家に一冊「Q&Aモラル・ハラスメント」をよろしく!
「今日も〜働く働く働く、家族の〜ために〜、荒な〜みこ〜えて山超えて、行くぞ〜働きマ〜ン!」
何しろテレビを見ることが少ないので世の中のトレンドから大きくずれてしまうことが多い私ですが、先日たまたまついていた
テレビで「ホームレス中学生」というのをやっていました。「麒麟」という漫才コンビの片割れである田村裕さんは母親が亡くなり、中学生だったある日突然家も差し押さえられ、父親は子ども3人に「みんな解散!」と告げて去って行ってしまいました。
兄と姉と別れ、一人で公園で寝泊まりしていたところを同級生が見つけ、家に連れて来ました。 その後兄と姉が見つかり、同級生の親たちと相談した結果「ひとりずつ引き取ってもいいけど、もう大学生
だから自立させた方がいい」と3人でアパートに住まわせるよう手配をしてくれました。普通だったら施設に引き取られるところを
「子どもが4人だから5人でも同じ」と言ったお父さんもすごい。
「ええ話やんか」とテレビの前で鼻をズルズルさせて見ていました。こんなに胸が熱くなったのは「一杯のかけそば」以来かも。
ところが番組の企画で蒸発したお父さんと再会する場面になって、ぶっとんでしまいました。そのお父さん、子どもたちと再会すると
「こんなんになったんはお母さんが死んでしまったからや」と繰り返します。死んだお母さんに罪をなすりつけてどうする、父。
大体子どもを残して蒸発する無責任さは言語道断。たむやんが「お父さんが見つかったからこれで親孝行ができる」と喜んで
いましたが、う〜ん、この無責任父にはもったいない子どもや。でも捨てた子どもが金持ちになったら「親は私です」と出る親よりも
マシか。
なんにせよ、まだこの日本で捨てられた子どもたちを引き取って面倒をみようとする家が何軒もあったということが
私はとってもほっこりしました。他人の子どもなんか知らねーよどころか、自分の子どもも殺してしまう事件が相次ぎますが、
まだまだそういう気質が残っていることに、かなり安堵した夜でした
本日「Q&A モラル・ハラスメント〜弁護士とカウンセラーが答える 見えないDVとの決別〜」が発行されます。私もどういう仕組みになっているのか
わからないのですが、発行日は今日ですが店頭に並ぶのが12月中旬だそうですので、今すぐお読みになりたい方はサイトトップから申し込んで下さい。
今年2月に明石書店からモラハラ本を発行して下さることが決まり、それから10ヶ月。本を出すというのが
こんなに大変なものなのかと、冷や汗脂汗をかきながらやっと今日を迎えることができました。執筆陣全員がほっとしていることと思います。
読んで下さる方にひとつだけお断りしておきたいことがあります。この本は「これを読めば絶対に調停に勝てる」とか「あっという間にうつが治る」
本ではありません。もしかしたら意に沿わない内容だと思われるかもしれません。でも私たち執筆陣は、今この時点で現実的と思われる対処法を
考え、書いたつもりです。大体「絶対に調停に勝てる」なんてことが世の中にあるはずありません。しかも
相手はモラ夫です。モラ夫相手に調停をする、しかもケースは様々です。100%調停に勝てる方法があったら有り金はたくから教えて欲しい。
世の中にはそんな「釣り」の言葉を並べる本が沢山ありますが、私はそうはしたくありませんでした。どうすれば人間としての心を持たない相手と
法的にも精神的にも決別できるか、そのヒントや選択肢が書いてあります。こんな程度かと怒って本を放り投げられる方もいるかもしれませんし、がっかりされる方もいるかもしれません。でも前述したとおり、現在の、不備が満載の法律の中でできること
だけを弁護士の橋本智子先生は書かれました。
精神的な脱出については、これはもう千差万別ですからこれを読んだらすっきりできる方もいれば、落ち込んでしまう方も
いるかもしれません。でも「枕に相手の名前を書いてバンと叩く」とか「自分に手紙を出す」なんてことで
気持ちがすっきりする人っているんでしょうか。すっきりできたらそれはそれで結構ですが、もっと根本的な
ものがあるんじゃないかなぁと私はいつも思っていました。
「自分が悪いのではなく、相手がおかしい」というこの単純な答えを見つけるまで、私たち被害者は堂々巡りの迷路にはまりこんでいました。「あなたが変われば相手も変わる」、
この言葉にどんなに惑わされてきたことか。「あなたは悪くない」、でも今までのあなたを変えなければモラハラ禍を
脱することはできない。この「変える」ということはもちろん相手に合わせるということではありません。さなぎが
脱皮するように、新しい自分に生まれ変わったその時、初めて「見えないDVとの決別」ができるはずです。
本書は家庭内モラハラについて書かれていますが、職場でも他の人間関係にも通じるところは沢山ありますので、
ぜひ多くの方に手にとって読んでいただきたいと執筆陣全員願っています。
この本を書いて下さったみなさま、発行まで長い間沢山力を貸して下さったみなさま、そして今日の日を待っていて
下さったみなさま。 心からありがとう。
先日婦人科検診を受けました。このところ乳ガンを公表する芸能人が多いですが、やはり早期発見早期治療。
私は欠かさず受けています。今回もいつものように集団検診車で受けました。検診前の問診での会話です。
「結婚はしていますか?」
「いいえ」
問診は続きます。
こどもはふたりが健全と言い切る厚労相が仕切ると、末端まで「25歳で寿退社、27歳で第一子、29歳で第二子」
でなければならないという思想がみっちりとついてしまうのでしょうか。それとも「この頃の女は乱れている」と
相手がいなければできないのに、すべてを女性のせいにしてしまう気でしょうか。養育費を払うのが2割に満たないという
人間としての責任倫理の方はどうなっちゃっているんでしょうか。
「モラハラ加害者っていうのは、無意識にモラハラをしているのでしょうか、それとも
ちゃんとわかってやっているのでしょうか」
わかってはいるのだが自分ではどうしようもないのだから、受け入れて我慢しろと加害者は平然と言います。世の中も「あなたが
我慢して」「あなたが大人になって」と加害行為を被害者に容認するよう勧めます。
逆にまったくわからずにモラハラをしている人もいます。
自分がしているのは教育であり、妻らしくさせるためのしつけであると胸を張る加害者もいます。
自分のしていることが相手にどんなに苦痛を与えているのか気づくこともない場合と、
気づいているのだけれどこらえることが出来ない場合。わかっているのはまだマシではないかと言われるかもしれ
ませんが、結局同じ行為をしているのならば私は同義語だと思います。悪いとわかっているのにやる方がタチが悪い。
離婚をすると言うと、カウンセリングを受けると神妙になる夫たちも少なくありません。
大体その後は「俺は努力しているんだからそれを評価しろ」と怒鳴りつけ、モラハラを続けます。
被害者はお人好しですから、たかがカウンセリングを受けているだけで「ああ、この人はがんばっているんだから
見守らなくては」と更なる我慢をします。被害者面をするのが得意な加害者の思うツボです。
加害者は自分が悪いことをしたと自覚したならば、相手に対して悪いことをしたと思ったならば、まず相手から離れること、
そしてカウンセリングでも何でもやって、まともな人間になってから出直してこい。
それが誠意というものでしょう。
9月21(金)に放送されたイブニングファイブ「優しいカレが結婚で豹変・・・逆ギレ・恫喝・・・モラハラに耐えた妻」と9月20日発売ビックコミックオリジナル
に載った「弁護士のくず」。このふたつがほぼ同時に世の中に出たのは単なる偶然でしょうか。 「弁護士のくず」は「モラハラ」とは書いてありませんが、夫の歪んだ
コミュニケーションに悩む妻が弁護士に「夫が宇宙人のように感じる、まったく言葉のやりとりができない」と離婚の相談に来るところから始まります。
妻が「返事をして」と言っただけなのに夫は「人の返事をどうこう言う前にお前の言葉遣いを直せ」「お前の言葉を子どもが真似をする」
「母親としての自覚が足りない」「子どもの食事を手抜きした」「掃除も手抜きだ」「だから子どもが落ちていたものを拾って食べた」
と、延々と妻を責め始めます。
「ああ、これをして欲しかったんだ!」
「彼らとの会話は成り立たない」。これはモラハラ被害にあっている人たちが共通して訴えることです。
離婚になる前にこのことが解決していれば離婚をすることがなかったと思う被害者は多いでしょう。
「弁護士のくず」はこの歪んだコミュニケーションを逆手にとって、この夫婦を離婚させることに成功します。
「イブニングファイブ」と、「弁護士のくず」に共通しているのは、この夫たちの怒りが沸点を超えると暴力になるということでした。
テレビに登場した被害者は手の骨を折られ、「弁護士のくず」では弁護士が同席をしているのにもかかわらず妻に殴りかかります。
これを「女は口が達者だから殴って教えるんだ」と言ってのける男たちはものすごく多いし、それに同調する女性もいます。
「返事をして」「戸は静かに閉めて」。たったこれだけのお願いですら延々と罵倒される材料になり、人格をを引きずり降ろされる言葉を
聞かなければなりません。だから被害者は夫との会話を恐れ、ついには事務連絡の言葉しか言えなくなります。
事件解決後、「弁護士のくず」が語る言葉です。
それがなぜなのか、このサイトの常連さんたちはよくご存じでしょう。
でも一般の人たちは「男ってそういうもんよ」と言います。そして「あなたが大人になりなさい」と言います。
■ この放送をしてくださったTBSイブニングファイブ関係者のみなさま、協力して下さった被害者の方、高野先生、東海大学の保坂先生、
そして「弁護士のくず」をつくって下さったみなさま。
心より御礼申し上げます。
9月15日、ゲストのみなさんのおかげで100万アクセスを突破しました。本当にありがとうございました。
サイトを始めた4年8ヶ月前と同じ場所で、私は同じパソコンのキーボードを打っています。使いすぎのため、
キーの文字が一部消えてしまっていますが、まだまだ新しいマシンを持つ余裕はありませんから、もう一がんばり
してもらおうと思っています。 サイトを始めたとき、私はまだ離婚していませんでしたし、モラハラを知って
まだ3週間しか経っていませんでした。何にも知らなかったおばさんが、汗をかきながらモラハラと取り組んで
来ました。掲示板も最初の頃は夢中で書き込んでいましたが、私よりモラハラに詳しい方は沢山いるし、私より
上手に励まして下さる方も沢山いるので、今はお知らせ係に徹しています。
「脱出しました」の嬉しい書き込みが続々と届いていますが、モラハラを知ったばかりの方、まだ迷っている方は
焦らずに、どうすることが自分にとってベストなのか、よく考えて下さい。人と人とのコミュニケーションって、
相手を理解しようとするところから始まるはずです。でもハラッサーは相手を屈服させようとするところから始まりますから
コミュニケーションは無理です。相手のためにと思う心は美しいし尊いけれど、それを餌にハラッサーは肥えていきます。
誰かのためにつくそうと思う気持ちは、ハラッサーではなく、別のものに与えましょうよ。
4年8ヶ月前のあの時とまったく違っているのは、時空の流れと共に沢山の方たちが生き直したという事実です。
いろんなことがありました。いろんな方たちとの交流がありました。 そのすべてに今、もう一度、ありがとう。
以前結婚していた頃、夏休みと言えば旅行に出るのが頭痛の種でした。夫は希望だけを言って、その手配のほとんど
すべてを私に任せるからです。私はそれに従わなければなりませんでした。夫の希望とは
「泊まるところはリーズナブルな値段であること」「うまいメシが腹一杯食えること」
「温泉地ならば広い浴槽の温泉場があること」
リーズナブルな値段とは大体一人一泊二食付き1万円以下を指します。そうなると「かんぽの宿」や「国民宿舎」の類に
決まってしまいますが、これが夏はいつも予約でいっぱい。あちこちの公共施設に電話をかけ続けることになります。
ある年のこと、私はひとつの提案をしました。「ペンションに泊まってみない?」
よく女性雑誌ではペンションの紹介をしていて、テレビの情報番組でもオシャレな建物に美味しそうな料理を
並べ、それでいて値段はそこそこの家族経営のペンションが紹介されていました。
「あんなステキなペンションに泊まってみたいな」。よもや夫がOKするとは思えませんでしたが、私が提案した
ペンションのサイトを見せ、「10%の割引券が付いている」ことに心を動かされたか、あっさり承諾しました。
「やったぁ!初めてのペンションだ!!」
木立に囲まれた、ヨーロピアンスタイルの外観。元CAだという女性主人が心を込めて作るという料理。
シンプルで上品な部屋。「ゲストへお得意のケーキをサービス」の写真をうっとり眺め、初めて泊まるペンションに
心を馳せました。
写真と同じ外観のペンションに足を踏み入れ、10%の割引券を出すと女性主人は「この割引券を使えるのは
特定の部屋だけです」とのたまう。「でもサイトにそんなこと書いてありませんでしたが」と言うと、「では
部屋を変更します」と二階の部屋へ案内されました。子どもたちは初めてのロフト付きルームに大はしゃぎ。
「お風呂はどこでしょう?」と聞くと、「あるにはありますが、みなさん他の温泉に入りに行かれますよ」と言う。
試しに覗いたお風呂は小さな浴槽。
「こりゃ温泉に入りに行った方がいいな」と夫も言うので、銭湯よろしくタオルを持って近くのホテルの温泉に入りに
行きました。
そして待ちに待った「おっされ〜なフランス料理」。
女性主人が「ちりんちりん」と鳴らすベルが合図。「牛みたいだね」と言いながら、各部屋の住人はゾロゾロと
食堂に向かいます。
まずはスープ。目が点。塩辛い。旨みも何もなく、ただひたすらに強烈に濃い塩の味しかしない。
思わず怒っていないかと夫を見ました。夫は「薄めるお湯が欲しいな」と言いつつ、どういうわけか機嫌は悪くありません。
テーブルにはすでにパン皿ほどの大きさの皿にうっすらとご飯が盛りつけられていましたが、ずいぶん前に
盛りつけられたらしく、表面は固くなっていました。大食いの夫ならば3口で食べてしまう量です。
「大抵ご飯はおかわり自由よね」と目を上げると「ご飯のおかわりは100円です」と書いた紙が貼ってありました。
とにかく私は夫の機嫌が気になってしかたがありません。「こんなもん食えるか!」と席を立ちやしないかと
ハラハラドキドキ。
次にサラダ、そしてメインの「子羊のなんちゃら」は、骨付きの小さな肉が二きれ。付け合わせの野菜。以上。
食後にハーブティが振る舞われ「おっされ〜なディナー」は終了しました。「奥様ご自慢の手作りケーキ」は
とうとう最後まで出てくることはありませんでした。
寝室に戻って本を読もうとすれば部屋はムーディな暗い白熱灯。枕元のスタンドはおそらく20ワット以下の電球だったでしょう。
「なんだか昔のおばあちゃんちを思い出すよ」。夫の機嫌が悪くないのだけが救いでした。
朝食のパンは今まで食べた中で一番薄く、子供用にお願いしたセットはその薄い食パンの白い部分をハートやスペード型に
切り取った小さな小さな切れ端が二枚。「パンのおかわりは1枚100円」。目の前に貼ってある紙が恨めしい。
スーパーの安売りなら、100円あれば一袋買える。
「こんなペラペラなパンをいくら食べてもお腹はふくらまないから、チェックアウトして外に出てからコンビニで
おにぎりでも買おう」と相談し、私の分のパンを子ども達に食べさせました。
何よりすごかったのは、この女性主人とその夫のぶっきらぼうさでした。笑顔ひとつ出しません。
「もうペンションはコリゴリ!」
そういう私を嬉しそうに夫はながめていましたっけ。そう、この最悪ペンションでは夫の雷は落ちることは
ありませんでした。落ちたのは翌日泊まった国民宿舎でありました。
私はよく職場でPCのサポーターをやります。私は別にこれが仕事ではないのですが、聞かれたら
教えてあげるくらいの親切はします。当然教えてあげている時間、バラバラになってしまったワークシートに手を
加えて元に戻してあげている間は自分の仕事はできません。「教えて」「直して」と言う方は気軽に言いますが、
その間、私の仕事のじゃまをしているという気持ちはないようです。
カウンセラーや弁護士さんという方々は人の話を聞いてあげたり、その仲介に立つことで収入を得ています。
「だってウンウンと話を聞いているだけじゃない」と思われるかもしれませんが、ただウンウンと聞いている
だけではありません。その話の中で当事者とその相手がどのような心理対決をしているのか、話のひとこと
ひとことを聞き漏らさず、頭の中のコンピューターをフル作動させ探っているのです。フル作動させるために
は知識が必要です。信じられない量の本を読み、勉強し、そのために多くのお金を使ってきているのです。
おなじように「教えてよ」と言う人が煎餅をかじりながらテレビドラマを見ている時間、
私はマニュアルと首っ引きでPCに向かい合ってきました。それで得た知識をタダで、しかも私の時間を搾取して
いるということも気づかずに得ようと寄ってきます。「こうだからね。覚えてね」と言えば「わかんなくなったらまた来るから」とメモも取らずに
去っていき、大抵また、「この間のところもう一度教えて」とやってきます。
「私は被害者なんです。お金はありません。でも困っているから助けて下さい」と救いを求める方たちが沢山います。
ブログに担当弁護士とのやりとりを書いたら「紹介して下さい」というメールが山のように来る。
「この弁護士とは元々知り合いで、クライアントの性格を知っているからできた仕事」ですから、
長年つきあいのある人と初めて会う人では、チョモランマとその辺の丘くらい仕事に差が
生じるのは当然で、自分にも同じように仕事をしてくれるわけではありません。
私も元々あった縁を頼りに弁護士、司法書士、心理学者、税理士等、あらゆるコネを総動員して離婚を
成立させました。それで彼らは
生活を維持していますから、報酬を払った人もいます。たとえ長年のつきあいでも、
報酬は当然払うべきと最初から思っていました。
「私は被害者なのよ。あなたは仕事でしょ。だったら時間を私にあわせてよ」と言えるのは、それで収入を
得ているお役所関係くらいかなと思います。それでも限度というものはあります。
被害者が力を持つとブレーキがかかりません。私が学生の時、工場でアルバイトをしていましたが、そこに耳の不自由な
若い女性が同じようにアルバイトに来ました。遠慮がちな彼女を中年の女性たちは大層気の毒がって
かわいがり、社員食堂では列があっても一番前に割り込ませました。最初は「いいです、いいです」と手を振りながら
断っていた彼女でしたが、しだいに横柄になり、ついにはいつも当然のように一番前に割り込むようになりました。
場所を空けない人には睨み付けるようにもなりました。
障がいを持った人、被害を受けた人が「私は被害者なのよ!
だから助けなさいよ!」と世の中のシステムに割り込んで当然という意識を持つことはとっても怖いことだと
思います。事実DVサポーターをしていた人が、被害者のあまりのわがままさに呆れてサポートをやめてしまった例も
あります。相手が仕事中にいきなり電話をかけて相談を始めるなどというのは論外。追いつめられて正しい思考が
できなくなっているかもしれませんが、「相手はそれでご飯を食べている」「今日のスケジュールは決まっている」
ことぐらいは守って欲しいなと思います。ただし、私はこれでご飯を食べているわけではありませんので、この範疇では
ありません。ですがたいてい「今日のスケジュール」は決まっています。
昔、私のネット友だちがMLに書いたことがあります。
「他人(ひと)にいい顔をして何になる」というのは岩月謙司さんの本です。これは人に嫌われないよう自分を殺してしまう
人たちへの提言本でしたが、これはこれで真意だと思います。自分の境界線を越境してくる人、嫌な思いをさせ
られる人たちにまで媚びる必要はありません。かと言って、誰にでもバリバリ自分の思っていることを言えば
いいというものでもありません。
私の職場の男性が、ある日私に聞かせたのは、それまでお気に入りだった部下の女性の悪口でした。
実はそれより前に彼女から「彼は全然仕事をしないので困る。何から何まで私に押し付けてくる」
「私のやった仕事をホイホイ上層部へ持って行き、自分がやったことにしてくる」
「あんまり頭に来たから、押し付けようとしてきた仕事を断った」
と聞かされていたので、「ああ、腹がたったのでこうやって悪口を言いふらしているわけね」と思いながら
聞いていました。
彼女は「たまには自分でやってくださいよ!」と怒鳴ったそうなのです。
私は事情を知っていましたから表面だけ合わせて「ふんふん」と聞いていましたが、彼が話して聞かせた彼女の
プライバシーは、「彼女ってそんなにひどい人なんだ」と思わせるに充分な内容でした。その話が事実なの
かどうかはわかりません。もしかしたら彼が大げさにしたか、もしくはまったくない話をでっちあげた
可能性もあります。
人はこうやって復讐をしてきます。媚びを売る必要はないけれど、感情をむき出しにして言葉を出せば、
手痛いしっぺ返しもありうることも心のどこかに止めておいた方がいいかもしれません。
彼女を見ていると、昔の私のようです。私も彼女の年には同じようにあちこちでのろしを上げていました。
今は「無益な戦争はしないに限る」と枯れた老人になり果てましたもの。
河合隼雄さんが7月19日、79歳で亡くなりました。心理学を勉強する人たちが必ず出会うビッグネームです。
私はモラハラを知る2年前に、河合隼雄さんの講演を聞きに行ったことがあります。
私が先生の名前に興味を持ったのは、毎朝カーラジオで聞く武田鉄矢さんの番組からでした。武田さんは相当河合先生に
傾倒しているらしく、何度も先生の名前を出して心理学の話をしていました。
私はその頃心理学とは無縁の生活でしたが、毎朝武田さんの口から出る有名な先生の、めったに地元では開催されない講演会
でしたから、千円の入場料を支払って聞きに行きました。
その道の大家ですから、どんなに立派で威厳のある方だと思っていたら、飄々とした関西弁でお話になる内容は
とてもわかりやすく、学者の方というよりは、その辺の気のいいおっさんが喋っているという感じでした。
先生が亡くなられた翌日、読売新聞に中沢新一さんが書かれた追悼記事が出ました。軽率な言動で周りの人たちから
そっぽを向かれた中沢先生に、ある日河合先生から一本の電話があったそうです。
「君のように、なんでも正直に思うたことを口にしていたら、そのうち十字架にかけられてしまいまっせ。わしは本心なんかそうそう
簡単に口にしません。黙っといて、相手の本陣に入り込んで準備を進めて、ここぞと思うときまでじっと待つんですわ。
それまでは、人からどんな誤解されたってかまわんのです。そういう人たちはじつはものが見えとらんのですから」
河合先生、素晴らしい!と私から喝采を送られてもバカバカしいでしょうが、そうなんだよなぁ。
モラ夫たちも自分の本心を出さないけれど、その隠蔽とこの格納は意味が全然違います。このやり方だと
諍いを起こさずに穏便に平和に、こちらの計画は通ります。
もしその計画が正しいことならば、たくさんの偶然や奇蹟が起こって事は実現するでしょうし、間違っている、または
時期尚早だったら実現しない。だからいつも先生は「大丈夫だろうか」と心配しなくても泰然とかまえていられたんじゃ
ないかしら。
5月あたりから、東京の大学を中心にハシカが流行していました。
なぜ今ハシカなのか。私は思い当たるフシがあったのでどっきりしました。
我が家の子どもが予防注射をするとき、巷に流れていたのは予防注射の副作用で
死んでしまう子どもたちのニュースでした。果たして予防注射すべきかどうか、私は
医療関係に勤める友人数名に電話をして聞いてみたところ、明解な答えが返ってきました。
ハシカの流行の元を作っているのは我が家世代の大学生たちということを考えると、
符号がぴったり合います。あの頃、予防注射危険説が大いに世間に出回ったため、受けないまま
成長してしまった子どもたちが今、右往左往していることになります。「日本はハシカを
輸出するのか」と海外からも揶揄されているとか。
ハシカもおたふく風邪も大人の方が症状がひどいと聞きます。うまく子どもの頃に罹患
してくれればいいのですが、全く免疫を持たずに成長してしまっているこの世代の人たちは
この騒動で汗を流しているでしょう。
20年前、「注射の副作用の方が怖いんだから」と言った人に責任はないでしょう。
私がその意見に惑わされずちゃんと予防注射を受けさせればよかったわけですから、
すべての責任は私にあるのでしょう。ですが、複数の専門家から「副作用の方が怖いんだから」と
言われて、「でもやっぱり私は受けさせるわ」ときっぱり態度を決められる人がどれくらいいるでしょうか。
先頃、代理母を容認するかしないか、厚生労働省が実施した国民の意識調査では、5割以上の人が「いいんじゃない?」と
いう答えをしました。この「いいんじゃない?」の前には「私にはどうせ関係ないんだから」という枕詞が
付きます。なのに審議会では「ほらほら、国民は賛成しているんだよ。個人が決定権を持っているのに、他人が
とやかく言うことはないよ」という「専門家たち」が大合唱しているそうです。こういうアンケートをする場合は
「代理母とはその人間が妊娠しやすいように毎日ホルモン注射をして身体を作り、出産時には死ぬ可能性もある。
感染症もある。閉経した母親が代理母になった場合は、出産後も長期間体が不調になり、一生治らないかもしれないんだよ」という事実を
提示してから行うべきなのに、漫然と「賛成ですか?反対ですか?」とやったそうです。嘘を並べたドラマを
見せられた人たちが「かわいそうな向井亜紀さん」に同情して賛成票を投じたのでしょう。
代理母が認められたら、10年後、20年後、ごちゃごちゃの血縁や戸籍、たくさんの犯罪。おそらく多くの悲劇が起こるでしょう。
その時にこの法律を作った専門家たちはどう責任をとるのでしょうか。
市井の人間が、ご飯のおかずを選ぶ権利すらなく生きていることも知らず、知ろうとせず、中学生の社会科のように
「何をしようと個人の自由、権利は守られるのだ」と教科書を棒読みするならば、「その時は予想できなかったんだもん」と開き
直れないように、賛成票を投じた「専門家」たちの名前はきちんとどこかに明記しておいて欲しいですね。
誰もそれをしなかったら私がここに石碑のように彫って、未来永劫消しません。
つねづねあちこちのブログや掲示板への書き込みを見て、本当にモラハラ被害者というのは人が
良くて一途で真っ正直な人が多いなぁとじみじみ感じ入ります。「加害者は口が達者」「嘘もバリバリ」
「社会的ステータスが高くて」「人をまるめこむのが上手」という人に、ガチンコ対決で勝つのは
無理です。「なんで江戸のかたきを江戸で取ろうとするかなぁ」と私はいつも思います。
江戸のかたきを江戸で取る必要はありません。長崎や北海道で取ったって、腹の虫が治まるのならば
それでいいんじゃないかなぁ。
私の腹の虫がぎゃーぎゃー騒ぎ立てた事がありました。よくこのコラムに書きますが、私の職場にいる
平気で嘘をつくA子さんはいつも好き勝手に話を作り上げては人をおとしいれる。大体そのやり方は「○○さんが
あなたのことこう言ってたわよ」「こんな噂があるわよ」と、本当は自分が作った作り話を○○さんが言ったことにして広める。あの頭の中をかち割って、どうすればそういう
でっちあげが作れるのか、観察したいもんです。
ある日のこと、私は図書館で1冊の本を見つけました。「間違いだらけのクルマ選び」。徳大寺有恒さんが
毎年書かれる車の評価本です。それを読むと私の車はまぁまぁのランクに位置していたのでよしよしと
別の車を見たところ、くそみそにけなされている車があります。○社が何度もモデルチェンジを
して作っているロングセラーカーです。
「デザインに走ってしまい、構造上危険だ」
それはA子さんが乗っている車でした。私は翌日その本を職場に持っていきました。
断っておきますが、私はただ家で読む時間がないので、お昼休みにでも読もうと思って持っていっただけです。
何気なくポンとその本を机の上に置いて仕事をしていたところ、A子さんはめざとくそれを見つけました。
車の評価本を書く人が、自分の価値基準以外の何で書くんでしょう(笑)
私は本をまた元の机の上に戻すと、通路をやってくる人たちが次々と本を見つけて「あ、これ見せて」と手に取ります。
「どうぞ、どうぞ」私はにこやかにうなずきます。A子さんは下をむいてせっせと仕事をしていますが、
「面白くないオーラ」は辺り一面にただよっていました。
何度もお断りしますが、私はただ昼休みに読もうと本を持っていき、何気なく机の上に置いただけです。
A子さんが読みたいと言ったから本を渡し、みんなも読みたいと言ったから「いいわよ」と承諾しただけです。
その後すぐにA子さんは車を買い換えました。買ったばかりの新車だったのに、きっと散財しただろうなぁ。
A子さんは今も嘘をつき続けています。でも復讐するのは神様ですから、それはおまかせすることにしています。
恨みを持っているのは私だけではなく、同じ思いの人は山のようにいますから、必ずや長崎でもイスラマバードでも
パプアニューギニアでも、どこかで晴らされる時が来ると私は期待しています。
がんばってね、神様。頼んだわよ。
「復讐するは我にあり」というのは聖書の中の言葉で、「復讐するのは神様の役目だから、あんたはしちゃいかんよ(許しなさいよ)」
という意味だそうです。モラハラを知って自分は精神的暴力を受けていたと知った人たちは、混乱期、絶望期を通り過ぎると
次に「私をこんな目に遭わせて許せない!」と、沸々と煮える激怒期に入ります。
私は復讐を考えたことはありません。ただただ元夫が哀れでならないからです。あんなに「あったかい家庭」にあこがれて
いたのに、自らそれを手放してしまった。自分でも気づかずに崩壊させてしまった。
私が最初に精神科へ行ったとき、医師と長い時間話をしました。父と息子は殺し合うかもしれないと言われた後、尋ねました。
「私は子どもたちのことが心配です。子どもたちはこの後どうなりますか?」
夫と同居しながら復讐心を燃やす妻たちのなんと多いことでしょうか。病気で動けなくなったある夫が「水を」と所望すると、
コップに入れた水をお盆に乗せて枕元に置いた妻がいたそうです。夫が手を伸ばすとツーっとお盆をずらす。
そちらに手を伸ばすとまたツーっとずらす。一生懸命コップと追いかけっこをして手に触れそうになると、妻はひょいとコップを
持ち上げて、無言で窓から水を捨てたそうです。
なんてひどいことをするんだと思いますか?でも彼は何十年も同じ事をしていたのですから、それくらいどってことないと
私も思いますけれど。野たれ死にするのがいいか、生きながらいたぶられるのがいいか。さて、どっちにしますか?
復讐は神様がやってくれるのかもしれませんが、一番の復讐は夫を捨ててあなたが幸せになっているところを見せつけてやること
じゃないでしょうか。「幸せはあなたへの復讐」って、ユーミンの曲にもありますしね。
先日夜更けに友人が電話をかけてきました。いつも明るい彼女の口調がいつになく重く、言葉を選びながら
話をしています。話は小学3年生の息子のクラスで起こっている事件についてでした。
いつも意地悪をしたり、物を隠したりする男児がある日担任から叱られました。担任はベテランの女性教諭で、子供が話す学校での
日々の内容は、子どもたちに対して適切な指導をきちんとしているという印象があったそうです。つまり叱るべき時は叱り、
褒めるときはスキンシップを交えてうんと褒めてあげる。「この先生なら大丈夫と思ったわよ。」そう彼女は言いました。
ある日、またいたずらをしていた男児を先生は叱ったそうなのですが、その子供は家に帰って「先生に土下座させられた」と
親に言ったそうです。そして「先生はママの悪口を言った」とも。怒った親は校長へ抗議をするために学校へ乗り込んできました。
そして同時に保護者の間に「○○ちゃんはA先生から土下座させられたんだって」という噂が瞬く間に広がっていきました。
「『こんな担任には子供は預けられない』と、親が学校へ子供を別の学級へ異動させるようにと言ったんだって」
ふんふんと聞いていた私ですが、なんだか同じ話を聞いたことがあるなぁと思い出したのがリリアン・ヘルマンの戯曲「子どもたちの時間」。
オードリーヘップバーンとシャーリーマックレーンが主演して「噂の二人」という映画にもなりました。元はイギリスで本当にあった実話だそうです。
寄宿舎のある名門女子小学校に勤めるふたりの若い女性教諭。
片方には結婚寸前の恋人がいます。しつけの厳しいその学校に、嘘つきで意地悪な女の子がいましたが、ふたりはいつもその子に
手を焼いていました。ある日叱責された腹いせに、その子は家に帰って「あのふたりは同性愛なのよ」というニュアンスの
告げ口をします。びっくりした母親は子供を連れ戻し、その噂を保護者中にばらまきます。次々に子供を連れ帰る母親たち。
彼女たちの弁明はまったく聞き届けられることなく、学校は閉鎖に追い込まれます。恋人と結婚するはずだったシャーリーは
同性愛のレッテルを背に負い、首を吊って自殺します。
たったひとりの幼女の嘘は、沢山の人たちを不幸にしていきました。嘘は誠よりも何倍もの力を持って人の口を伝わります。
「子供は純粋だ」「子供は嘘をつかない」と言うのは誰が言い出したことでしょう。子供は自分を守るためならばどんな嘘でも
つきます。ただし、彼らの幼い頭で考えた嘘ですから、爆笑したくなるほどいいかげんで突拍子もない嘘であることが多い。
我が家でも子供が幼稚園の頃、間違えて他の子のお弁当箱を持って帰ったことがありました。「あら、○ちゃん、タルルートの絵が
描いてある。これ他の子のじゃない?」
と言ったら、「違うもん。お弁当を開けたらゴクウがぱっとタルルートに変わったんだもん」。
顔を真っ赤にして間違えたことを認めません。ほどなくタルルートの持ち主から電話があり、取り違えられたことが判明しました。
小さな頃に大人を欺く術を身につけた子供は大きくなってからも嘘をつき続けます。私の周りで盗癖のある人がいました。
彼女は小さな頃から優等生で華麗な経歴もあり、いつもきちんとした言動をしていましたので、盗難が続いた時も誰も彼女を疑う人は
いませんでした。ところがスーパーで万引きしていたところを捕まり、しかも初犯ではなく常習犯だったということで警察に突き出されてしまいました。
彼女は誰も自分を疑うことはないことを良く知っていたのです。そして素知らぬ顔で人の財布から現金を抜き取り、「お金が
盗まれたんだって。誰がやったんでしょうね」と眉をひそめていたのです。優等生の彼女は心の中で、「優等生ならば
誰も疑わない」「世間なんて、そんなもんよ」とあっかんべーをしてせせら笑っていたのでしょう。
そして「ゴメンナサイ」と言えば許さざるをえない大人の事情に熟知している子供もいます。
「ほら、あんなに謝っているじゃない」「素直に謝ったんだから許してやらないと」。そういう大人たちにぺこりと
頭を下げ、背を向けて舌を出します。
教育書には「親が子供を信じてないで、誰が信じるんですか」「親は最後まで子供をのことを信じてください」
とよく書いてあります。私の子供が小さかった時はそれは素晴らしい母親連合がありました。電話でお互いの子供の言い分を
つきあわせ、「あんた、嘘をついたね!」と子供の頭をゴリゴリとやります。そこで子どもたちは「この親たちには嘘は
通じない」ことが身にしみますから本当のことを言わざるをえません。私たちの間では「子供は嘘をつくものだ」と
いうのが定説でした。もちろん身を守るために嘘をつくこともあるでしょう。嘘をつかせる方にも責任があると言える
かもしれません。だからと言って子供の嘘を丸飲みしたら、大きくなって知恵や権力を持ち、
嘘を重ねて自分を守ったり、金儲けをしたりするようになってしまいます。地位も名誉もある立場で万引きが見つかって新聞に載ってからでは遅い。
昔、長屋のおかみさんたちの子供にそう悪い子がいなかったのは、大人ってお見通しなんだぞ、大人って怖いもんなんだぞと
性根を叩き込むおかみさん連合があったからじゃないでしょうか。普段から「あんたんちの子はこういうところがいい、○ちゃんは
こういう子だ」というコミュニケーションもとれていました。当然お互いの子供も呼び捨てで、同じようにゴリゴリやります。
子育てって、頭や理屈で考えるもんじゃないと思います。
「先生から土下座させられた」と親に訴えた子供は「ふぅん、大人って簡単に騙せるんだ」ということを学習しました。
おそらく次々に彼は嘘をつき続けるでしょう。親が気づくのは、大きな事件になってから。モラ夫の別名は「平気で
うそをつく人々」です。
私はリンクして下さっている谷本惠美さんの
「カウンセラーママの日々つれづれ」をいつも拝読していますが、
先日、
うんうんと頷きたくなる文章がありました。
「ちょこっと綴り」にある、
「回復の最終段階で迷ってしまう人がいる」という部分です。 夫との生活で何だかわからない
けど力が無くなっていった、自分の明日がわからなくなっていった、そしてモラル・ハラスメントを知った。
その次に起こるのは「私はこんな人と一緒に暮らしていたんだ」という絶望感や「どうして私をこんな目に
合わせたんだ」という怒り、そして「なぜ私はこんなことがわからなかったんだ」という自分へのいらだちです。
そしてその次の段階。ブログに自分の気持ちを書き綴って整理し、モラハラのサイトやブログを
読み漁り、少しずつ気持ちを固めていく。そして調停や裁判を起こすという次の行動に移る人もとても多く存在します。
よく「どうしたらモラハラで傷ついた心を回復できるか」という質問をされる人がいます。
一番いいのは「沢山の善意」に触れることだと思います。ほんのちょっと見る角度を変えれば、世の中は沢山の善意に
あふれている、真綿のようにふわふわした善意にくるまれている。モラハラで苦しんでいる人が、早くそれに気づければいいなぁと思います。
そりゃぁ世の中ですから、道を聞いたのに知らんふりをする人もいるだろうし、イヤミをいう上司もいるでしょう。
でもやっぱり善意というのはそこいら中に転がっているものだと思うんです。そして小さなひとつの善意はもう一つの善意を連れてきます。
モラハラを知った被害者が必ずやり出す事があります。モラハラとは何かを探求しようとして心理学にはまり、一部の人はどっぷり浸かって出られなく
なってしまいます。
沢山の学術書を読み、専門用語を羅列し、加害者分析に励む。カウンセラーを
気取って「あなたはね」とやり出す。自分ひとりで生きていくことすらできないのに。
あなたが欲しいものは何だろう。あなたが生きたい場所はどこだろう。ぬくぬくとあったかい日だまりをあったかいと感じられる
ようになることではないでしょうか。他人の微笑みが裏表なくあなたにむけられていると実感できることでは
ないでしょうか。そこへ行けずに「人格障害がなんたら」と、得体の知れないものを追っかけるこで、回復できるとは
私は到底思えません。ある程度「モラハラとはなんぞや」がわかったら、それでさっと引き上げた方がいい。
なぜ彼らはこういうことをするのか、それを徹底追求してどうするんでしょう。もちろんこれで学術論文の
1編でも書いて学会へセンセーショナルを起こそうというのであれば別です。むやみやたらに
心理学用語を振り回し、「あの人はあれだからこういうことをするのよ」と素人に解説して回らなくてもいいって。
自分だけが「あの人危ないから近寄らないでおこう」と思っていればいいんだって。
蜃気楼を追っても、そこには甘い水なんかない。あるのは底なしの泥だけです。それに早く気づいた人が、
回復への近道を見つけるんじゃないかなと思います。
昔一時期、山本文緒さんに凝ったことがありました。一番最初に読んだのが「恋愛中毒」。
何の気なしに図書館から借りてきて読んだものですが、これが絶品に面白い。
薬師丸ひろ子主演でテレビドラマ化もされたようです。
世の中を斜に見る女性主人公の冷静さはぐいぐいと読者を引っ張り、それは
クライマックスのどんでん返しまで続きます。モラハラも何も知らなかった頃に読んだので、その時はわかりま
せんでしたが、今になって考えると彼女の人格が手に取るように見えてきて、たぶん山本文緒さんは
ボーダーを意識して書いたなと思います。というかボーダーが主人公の小説を書こうとして、
これができたのではないかとも思われます。
山本文緒さんは心理学に興味があるようで、それを題材にした短編もいくつかありますが、その中にあったのが「後出しじゃんけん」の挿話です。
沢山読んだので、どの本にこの言葉が出てくるのかすっかり忘れてしまったのですが
、私が「モラハラについて」を書いたとき使いたかったのが、本の中にあった「絶対に勝てない永遠の後出しじゃんけん」
という言葉でした。ああいえばこういうモラ夫をズバリ表現したかったので、このフレーズを使い
たかったのですが、著作権があるだろうと諦め、「後出しじゃんけん」だけ使いました。今でも使いたいですね。
この「絶対に勝てない永遠の後出しじゃんけん」。
沢山の本の中でいろいろな心理学のストーリーが書かれるのですが、楽しかったのが「二人兄妹が絶対にけんかをしない
でケーキを二等分する方法」です。兄妹って、どう二等分しても必ず食べ物でけんかするのが悩みの種。
じゃんけんさせて「勝った方が先に取」っても必ずしこりが残る、と思っていたら「伊東家の食卓」並の
こんな意外なやり方がありました。
まずじゃんけんをします。 これは山本さんの本ではありませんが、
思わずうなった話がありました。 大学生が4人でスキーに行きましたが、楽しく遊んで試験があることを
すっかり忘れていました。あわてて学校へ戻る途中、4人は「車がパンクして時間に間に合わなかったこと
にしよう」と口裏を合わせました。学校へ着くと打合せ通り、教授にパンクのため遅刻したと口々に
言ったところ、先生も了解し追試験をしてくれることになりました。「やったぁ!」と喜んだ4人を
先生はひとりひとり別々の部屋に連れて行って隔離し、追試験の問題を与えました。 問題はたったひとつ。
「パンクしたタイヤは、前から見てどの位置についていたか」
さあ、どうする。諸君。
いよいよ夫婦の年金分割が開始されました。これを待って、離婚調停の申し立てをしている方もきっと沢山いることでしょう。
年金分割をするためには夫の承諾が必要です。自分の年金が少なくなるのがわかっていて、応じる人はいないと思いますので、
夫の年金をもらうためには必然的に調停をすることになるでしょうから、各地の家裁で年金をめぐっての攻防戦が
始まるでしょう。 先日テレビで経済評論家の萩原博子さんが、「生き別れよりも死に別れ、別れて年金分割するよりも、遺族年金をもらった方がずっと
お得です」とコメントしていました。確かにお得ですが、夫はいつ死ぬんでしょうか。モラ夫だったら、先にこっちが
ストレスで死んでしまいます。どちらが「お得」かではなく、どちらが「お楽」なのかを考えましょう。よく「体が弱いので働けない」と
いう方もいますが、モラ夫と離れたとたん元気になってすっかり病気が治ったという人も少なくありません。モラ夫と一緒にいては
体は悪くなる一方です。 今回あまり表に出てきませんが、共働きの場合は、どちらか多い方から少ない方へお金に移動が
あります。大抵の場合男性の方が収入が多いので、やっとこれで男女が均等になります。
この手の事を起こすときには悪魔が謀をするときのように密やかに、そしてそのときが来たら天使のように大胆に事を運ぶのがベストです。
苦しかった日はもうさようなら。辛かった日にさようなら。
悪魔のように密やかに、天使のように大胆に。
飛んでいけ。天使たち。
今月23日、向井亜紀さんの最高裁判決がありました。今の民法では「分娩した者を母とする」ので、DNAをもって実子とすべきだという彼女の訴えは退けられました。この件について法整備が必要だとも付け加えられました。私は向井亜紀さんという人はとても純粋で真っ直ぐな人だと思っていました。お腹にこどもがいるのに、ガンと一緒に子宮も取り出さなければならなかった。それはこの世で最高の悲しみでしょう。同じ女性として痛ましいと思う気持ちに変化はありませんが、この件について色々調べてきて、私は「彼女は純粋」という印象をかなり変えました。
3月2日、向井さんは自分を主人公にしたドラマを放映しましたが、ドラマは法曹関係者の神経を逆なでするのに充分な内容でした。夫はあったかい家庭を知らないの、だから私はこどもがいる優しい家庭を作りたいだけなの。私はただこどもが欲しいだけなのに、みんなはよってたかって私を虐めるの。体だって手術を何回もしているからボロボロ。だから私に同情してみんなの声で救ってね、という内容でした。
おそらく3月中に最高裁判決が出るだろうと見込んでの直前放映です。 マイナスな部分はすべてカットし、誇張し、事実をも歪めました。ドラマの中で代理母は「あなたに見て欲しいから帝王切開をして」と言いましたが、代理母が帝王切開したのは自分のこどもと区別するためであり、テレビクルーが撮影していたからだと本人が語っています。代理母が「体がきついから」と減数を望んでも「中絶はだめよ」と言ったことなどはきれいさっぱり取り除かれました。最後に「これはフィクションです」と出ましたが、実際の人物を演じるドラマがなぜフィクションなのか。後からクレームがつくのを恐れたからでしょう。
ブログはこの放送中バッシングの書き込みができないよう、2月後半からメンテナンスと称して書き込みを禁止しました。それを「皆さんからも、ドラマをご覧になった感想を伺いたいと思うのですが、なんと今、このサイトが工事中で、メッセージボードが機能しておりません」。放送日はとうの昔に決まっていたはずなのに、マイナスの意見が沢山出ることを予想し、わざと書き込めないようにして、「あら、メンテナンスが入っちゃった。ごめんなさいね」という。ちなみに今もそのまんまです。
高裁判決では、「代理母はボランティア精神から引き受けた」となっていますが、実は夫が自己破産したためインターネットで「代理母やります」の広告を出していました。200万円以上の報酬をもらっています。一番クサイのは、代理母が「私はあなたにこどもをギフトしたいの」とにっこり微笑む場面です。もし私が報酬目的で代理母をやっても、同じことを言うに違いありません。普通の女性ならば「金のために他人のこどもを腹に入れる」なんて口が裂けても言えません。
今回の代理母のように、書いた手紙のスペルが間違いだらけの人間でも、それだけは言えません。
「私はあなたの役に立ちたいの」と言います。
「あなたのお役にたちたい」と思わなければ自尊心が保てません。そう自分で思い込むことで、口に出すことで、自分の自尊心を守るのです。もちろんこれは私の想像でしかありません。ただ、女性だったらきっと納得してもらえると思います。もし、本当にボランティア精神からだったとしたら200万円はあまりにも多すぎます。報酬が発生することはむしろプライドを傷つけられますので「とんでもない」と断るでしょう。
「自分はこうしたいと思う。相手は納得している。だから何をやってもいいではないか」と、自己決定権を声高に叫ぶ人々は、人権なんか持てない人がいることに気づかないのでしょうか。「人様のお役に立てる」と自分に言い訳して、貧しい家族のために自分を犠牲にする女性たちがこの世の中には山のようにいることを知らないのでしょうか。「お前、腹貸せよ。冷たい女だな。やってやれよ」と、金めあての夫から強制されて足を開く女性がいることを想像もできないのでしょうか。
代理出産は「コーディネーター」と呼ばれる業者が仲介して、依頼する人、される人が引き合わされます。当然業者にも多額の礼金が支払われ、出産までの総額では1000万単位のお金が動くそうです。お金が動くところには、当然犯罪もあります。
「親族ならば報酬は発生しない。あるのは愛情だけだ」と言う人もいます。「お姉ちゃん、私のダーリンの子を産んでくれてありがとう」「私はこどもと孫を産んだのよ」という姉妹、親子で代理出産した例はすでに日本であります。「おふくろ、オレの子を産んでくれよ」というのも、もちろんあり得ます。「あそこの家の奥さん大変ねぇ。上の子が生まれつき子宮がなくて、下の子は病気で子宮を取ったから、60歳までに4人生まなきゃいけないんだって。毎年お腹を大きくしてるわよ」ということも当然あり得ます。
こうなると私はもう「勘弁して下さい」です。どんなに医学上問題がないと言われても、保守的だと言われても、科学的じゃないと言われても、まだお金を出して他人に生んでもらった方がいい。家族で臓器を分け合うのと、子宮に種を植え付けてこどもを産むのでは意味が全然違う。いやしくもひとりの人間を作るんですよ。生まれてきたこども達には、ひとりの人間としての長い長い人生が待っているんですよ。
世の中には「なしくずし」「拡大解釈」という言葉があります。姉妹親子ならOKならば、従姉だっていいんじゃないか。従姉がいいならば、ハトコだっていいんじゃないか。ハトコがいいならば、お向かいのおばさんだっていいんじゃないか、なんてことになりかねません。
今回は「代理母はもう100組も例がある。他の人たちはこっそりやって実子として届けているんだから、もう認めてやれよ」という声もありました。「スピード違反している人は沢山いるんだから、もう制限するのはやめようよ」と同じ考えです。それを「なしくずし」と言います。
向井さんは日本では自分は母として取り扱われないというのを十分承知で、養子縁組しなければ戸籍は作れないというのもちゃんと知っていて渡米し、こどもができてから「こどもの福祉のために」とこどもを突き出して「認めろ」と裁判しました。
とても姑息で卑しいやり方でした。タレントであることを利用し、「代理母が死んだらどうするんですか?」という意見を「誹謗中傷の嵐」とドラマの中で取り上げ、あえて母親の欄を空けたままにして「こどもたちには戸籍がない」と世の中に訴えました。
裁判が終わり、たぶんこども達は特別養子縁組され、戸籍が作られるでしょう。では「こどもの福祉」はどうなるのでしょうか。養子縁組されたこどもは実子と同じ権利がありますし、こども達にはもう「代理母に生んでもらったんだよ」と告げてあるそうですので、「出生の秘密」に脅えることはありません。裁判して得られなかったものは「戸籍上実母」であるという、本人のこだわりだけです。「こどもの福祉」は守られています。
つまり、彼女は「こどもの福祉」ではなく、自分のこだわりのために今回の裁判を行い、その戦略としてこどもを使ったということになります。
立法化はこれからですが、「こどもを使えばなしくずし」という今回のやり方はとても卑怯でした。
「かわいそう」という感情だけで認められてしまったら、たくさんの人たちが犠牲になり、事故も事件も起きる。外国ではあまりにも
問題があるので禁止の方向へ進んでいます。お隣韓国でも禁止になりました。「業者」は日本へその商売を移そうとしているという話もあります。
うたい文句は「こどもをもてないかわいそうな人たちを救え」です。
願わくば、代理母という犠牲者の出ない方法で、何か方策がとられるよう願いたいたいものです。
では彼は無視をしていて平気なのでしょうか。いえ、彼は本来はとてもおしゃべりですから、仕事から帰ると
自分がいかに職場で活躍したか、上役がどんなにバカなやつか話したくてたまりません。
ところが彼はただいま家の中では無視をしなければならないので、私に話しかけることができません。
すると彼はとてもイライラしてきます。
「オレは今日職場であったことを話したくてしかたがないのに、この間の不始末をこの女にわからせる
ために無視をしなければならない。この女のせいでオレは話をすることができない。この女は本当に
ダメなヤツだ。何でこんな女と結婚してしまったんだ。とことん腹がたつ」。
彼の頭の中には話をしたいのにできない、私に対する恨みの黒雲がムラムラと湧き上がっているのです。
彼は自分で勝手に無視を選んでいながら、あたかも私のせいで話ができないと脳内変換されているのです。
彼は無視という手段がとても私に有効であることを知っているから無視という戦法を選んだのです。
元夫はよく私に言いました。「お前だって言われるのはいやだろう。だから言わないようにしてやっているんだ」。
私は、どんな失敗をしたのか怒鳴ったりせず、何も言わずにいることを彼の優しさだと思っていました。
でも、いまモラハラを知り、考え直すと、元夫がいかにむちゃくちゃな男だったかがよくわかります。
もし同じように夫の失敗を言葉で表さず、無視という方法を私がとったら彼はどう思うでしょうか。きっと
「言わなきゃわかんねぇだろーが!無視してわかるわけねーだろうが!」と怒鳴るでしょう。
とことん「自分はいい」んです。 彼は家以外の職場でも無視戦法を使っていたようです。「上役のヤツってさ〜、
オレが口きかねーとご機嫌とりに来るんだよ」と嬉しそうに言っていたことがありましたから。
たぶんこのおっさんは今頃「ああ、いつも思っていることをつい口にしてしまった。失敗失敗」と
ホゾを噛んでいるのでしょう。そして「なぜこんなことが大騒ぎになるのかわからない」と首をひねっているのでしょう。
「いい年になったら結婚するのが当たり前じゃないか」
少なくとも厚生労働大臣という役職になったら、「なぜ結婚しないのだろう?」「なぜ子供を産まないのだろう?」、ここから
政策というものは作られるはずですから、「健全な考え方をしない方が悪い」ではお話になりません。頭の基本はそこいらの
じっちゃんと同じです。
普段から料亭で他のおっさん仲間と酒飲んでツバ飛ばしながら言ってるんでしょうね〜
でも、「女は子を産む機械」と思っているのはこのおっさんたちだけではありません。当の女性たちの一部も同じように思ってるんですよ。
それは下に書いた「代理母」を依頼する人たちです。一番私がこの人たちに違和感を覚えるのは何なんだろう?と向井亜紀さんの
サイトにあるBBSをのぞいてみると、そこにばっちり答えがありました。 「(体内で育てた子供の引き渡しは)契約書があるんだから問題ないですよ」
十月十日自分の体内に宿した赤子を手放せなくなった代理母に、「ほうら、アンタはサインをしたじゃん。金も払ったじゃん。
契約なんだから早く渡しなさいよ」と言ってのけるその神経は、この厚生労働大臣の「機械」という言葉となんら代わりは
ありません。私は自分のDNAを残すために、こんな非人道的な言葉を発するような歪んだ思考を持つ人を作ってしまったことに恐怖を覚えます。
出産というのは命がけでするものです。この医療技術が進歩した現代においても、出産時に亡くなる方は
大勢います。もし代理母が亡くなった場合、残された子供や夫にどう償うのか。「そのリスクも約款にあるから問題ない」というのでしょうか。
アナウンサーの大杉君枝さんは出産後重い病気になり、先日自殺しました。私も出産後体質が変わり、今もその後遺症に悩まされています。
それも「金を払って契約したんだからかまわない」と言ってのけるのでしょうか。胎児がダウン症だと知ると、依頼人は「中絶するように」と代理母に指示を
出したそうです。他人の体なんかどうだっていいのでしょう。
さもアメリカ全州が代理母を認めているような報道を
されていますが、認めているのはごくごく一部です。刑罰を与えている州すらあります。
向井亜紀さんのBBSにあるスレッド[970-1] は去年10月から様々な国内外の事例が書き込まれていますので、一度のぞいて見てください。慄然としますよ。
厚労相は、代理懐胎を認める答申を出すようにとさる団体に申し入れています。
表向きは「自分の子をもてない人たちへの救済」ですが、実際は「人口を増やすため」です。人口さえ増えれば代理母の体への影響や将来の子供の問題はどうだっていい。
だから「女は子を産む機械」と平気で発言できるんです。この発言は女性蔑視と叩かれましたが、人口を増やすためには
なりふりかまっていられない政府の本音、人を人とは全然思っていない心の底が日向に出ただけです。
神の領域に不法侵入して行った者を許すよりも、なぜ子供を産まなくなったのか。産めなくなったのか。それを考えるべきでしょう。
ただ、「子供は2人以上が健全」がなぜ問題発言なのか理解できない人には、このお仕事は無理でしょう。他のおっさんらも同じ。
この種の発言で一番マトモだったのは、「子供を産む女性たちには、過保護とも思えるほど手厚くしなければ出生率は上がらない」と発言した女性議員だったなぁ。
ある日裁判所から夫の元へ、別居していても子どもはあなたの子に間違いないので、養育費を子どもが20歳になるまで支払うよう養育費請求の通知が届けられます。
夫はびっくりしましたが、裁判所命令には従わざるをえません。さっさと離婚すればいいだろうと離婚し、普通の生活を送っていたところ、更に仰天な知らせが
届きます。元妻が二人目の出産をしたので、もうひとり分の養育費を支払わなければならなくなったのです。
同意書のサインを偽造、離婚もしている。でもDNA鑑定で実の子どもであると認められたら、自分がまったく知らなくても、20年間毎月養育費を支払わなければならない。アメリカという国は、「子どもの権利」が最優先される国なのだそうです。
もしかしたら日本でも同じようなことになるかもしれません。
向井亜紀さんが代理母出産を行い、双子の子どもを得ました。妊娠中ガンが見つかり、子宮を摘出たため二度と出産できなくなった向井さんは、
残した卵巣から卵子を取り出し人工授精させ、アメリカ人の女性の体内に移して細胞増殖させ、出産させたのです。
でもこれって、何か間違っていませんか?
私は生命を誕生させるのは、神様の仕事だと思っています。どんなに科学技術が進歩しても、人間が踏み込んではならない場所がある。
それは命を生み出すという尊い場所です。不思議だと思いませんか?生命体の多くは雄と雌という二つの性がありますが、数はほぼ同数です。
地域によってどちらかがやや多かったり、少なかったりしたとしても、見事にほとんど変わらない数です。
これは種を存続させるためにはそうでなければならない自然界の決まりだからです。自然に逆らって、他人の腹に自分の細胞を植え付けていいわけがない。
病気になったら治療する、自然淘汰に逆らっているではないかと言う人もいますが、生命の創造と命の維持はまったく次元の違う問題です。
別のケースで、10ヶ月間体内に入れて育てた子どもを渡せなくなった代理母と争った依頼人は、裁判で争って権利を勝ち取りましたが、
判決を読み上げる際裁判官は、「文明社会では、お金で買えないものもある」と述べたそうです。たぶん裁判官の精一杯の抵抗だったのでしょう。
10ヶ月間、お金のために自分の身を差し出す貧しい女性たちに裕福な女性が札束を積む。臓器売買と同じです。犯罪も招くでしょうし、この先どんな事故があるかまだ証明されていません。
お金さえ出せば何でもできる、幸せになれるというのはとても大きな幻想です。子どもがいないことから始まる夫婦もいるでしょうし、人生観も変わるでしょう。
私はモラ夫と20年間暮らし、大切な時間を失いました。子ども達への影響もこれから出てくるかもしれません。でも、この20年間は、今の私という人間を作るのに
必要な時間だったと今心から思います。モラ夫でなかったら普通の家庭生活が営めたでしょう。でも、「今の私」にはなれなかった。
一度絶たれた命は繋いではいけない。
そこは唯一、神だけが許された場所だから。
「ボクの家内はね、こういう集まりに出たときには8時には席を立って家に帰るよ。家で子どもや旦那さんが待ってるんだから、
その気持ちを察してあげるもんだよ」
「大体ね」と彼女。「以前こういう集まりがあったとき、あの人なんて言ったと思う?『あんたたち、なんで
働いてるんだ。旦那の稼ぎだけじゃ不満なのか。さっさと家庭に入って家のことをしなさい』って怒鳴ったのよ」
昨年度ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏もまた経済学者です。NHKで放送された彼に関する
番組を見ましたが、貧しい身なりの女性が銀行に「バナナを売って収入を得たいんです」と融資を頼んでいるところが映されていました。
同じ経済学者で、片や女は家にいてメシを作れ、掃除をして旦那を出迎えろと言う人と、女性に力を貸し、その自立を援助する人。同じように経済を
専門にしていてもこれだけ差があると圧巻ですね。
ちなみにこの「地方経済学者」は大学教員として保護者会へ出向くと、保護者へタダ酒をねだっては夜の街に足を向かわせるそうです。
母親たちへもネチネチとからむので辟易するが、子どもを人質にとられているので、作り笑いをして相手をしているんだそうで。
そりゃ、自分がこういうことをしてるんじゃ、奥さんは早く家に帰ってきて欲しいよね。どんな男に言い寄られてるか不安でしょうから。
「ムハマド・ユヌス自伝」は、
2年前「週刊朝日」にモラル・ハラスメントを初めてマスメディアに載せて下さった猪熊弘子さんが翻訳されています。
少年犯罪を15件取り上げて分析した本があるそうですが(タイトルは忘れました!)その分析では少年犯罪を犯した子どもを4つに分類しているそうです。
1)小さな頃から悪いことをしている子。事件を起こしたときも「ああ、あの子ならやると思っていた」と周囲も納得。
この中の4)は、人生の栄光があまりにも早かったため本人も天狗になり、「この子は勉強ができるんだから」と
周りも甘く見逃す傾向がある。結局は自分は凡人なんだと多くは気づくのだが、ごく一部は「こんなはずはない。自分はもっと
すごいはずだ」と自分を見失ってしまい、思わぬ犯罪を犯すことになるんだそうです。10代でアイドルスターになった人は
精神的に非常に危うい状態になり、
その多くは挫折し、中には人を殺めたり、犯罪に走る人も少なくないようです。
卓球の福原愛ちゃんが登場した時には、私は「この子は絶対に将来グレる」と確信しましたが、するっと大きく成長しましたね〜。
誰か精神面でサポートしてくれるカウンセラーさんでもついているんでしょうか。
私は人生の栄光のピークが早すぎていいことなんか、ひとつもないと思います。まだ世の中の右も左も善も悪も知らない時に、
たまたま持って生まれた才能が、たまたま早めに出て、「あなたは天才!」と
もてはやされ、本人も「ボクってすごいんだ」と浮かれているうちに、それが井の中の蛙の勘違いであることに気づかなければならない
ことほど子どもにとって大きなショックはないのでしょう。
洋七さんのおばあちゃんの金言は他にも沢山あるそうですが、それは長い間世の中を見てきて、多くの「偶然早く出た才能」や、「たまたま
運が良くてつかんだ栄光」がどんなにもろく、儚いものかを知っているから言えるのでしょう。
それがわからないおじいちゃんおばあちゃんは、老人会で延々と「ウチの孫自慢」をしています。子どもの将来なんてわからないもの。
明日は栄光から滑り落ちるかも知れない。その時に「人生は総合点」「あなたががいて幸せだ」と言える
おばあちゃんがいれば、子どももまた一段、階段を上れるでしょう。祖父母と孫の間には、親には入り込めない、何か特別な同盟意識が
あるようです。
「人生は総合点」
その点数は死ぬときに初めてはじき出されることで、人からつけられるものではなく、自己採点です。
どんなに栄耀栄華を極め、人もうらやむ生活をしていても、自分でやりきったと満足できる人生を送らなければ、評価は低くなるでしょうし、
場末の四畳半で誰にも看取られずにひとりで死んでも、微笑みながら最後の息を吐き出す時に、「ああ、面白かった。私、やりたいこと全部やった」
と自分に花マルつけて死ぬのが幸福だと私は思います。 どうせこの世で暮らすなら、何もかも全部やってから死にたい。
#この結晶になった塩は鶏の脂に溶け込んで、唸るほどのおいしさでした。
我が家のクリスマスツリーは160センチあるかなり大きなものですので、クリスマスが終わるまでは、結構おじゃまです(苦笑)
もう子どもも「クリスマスだぁ!」と騒ぐ年頃ではないので、小さなものに切り替えてもいいのですが、
私は「ツリーは子どもが背伸びをして飾りをする高さ」というこだわりがあるので、この大きなおじゃまツリーを
飾り続けることになるでしょう。でも本当は「くるみ割り人形」に出てくるような、天井まで届くツリーが私の夢です。
今年はツリーに飾る赤いリボンが事情によりよそへ供出されてしまいましたので、リボンなしのツリーです。
緑の色に赤いリボンはとても映えるので、木からリボンを取ってしまった後はなんだかぼやけてしまってイマイチ。
そこで昔飾っていた木のオーナメントを探し出してきて飾ってみました。何だか外国の古い童話に出てくるようなツリーに
なり、とっても重厚でステキです。来年も赤いリボンはやめようかしらん。
そして毎年ツリーに飾る色とりどりのボールは、元夫が少年だった頃に買ったものです。かなり良いもののようで、
一個一個きちんと区分けされた箱に入っています。モラ義父は「西洋の祭りなんぞやる必要はない」と決して
クリスマスを祝おうとしなかったので、元夫は自分でツリーを買い、飾りを買って部屋に飾ったそうです。
夫が置いていったその飾りを1年に1度、私はツリーの枝に乗せます。「なんだ、まだ未練があるのか」と
思われるかもしれませんが、私はそのボールには少年だった夫の夢が込められているようで、その夢だけは叶えて
あげたいのです。夫が夢見たのはクリスマスイヴの日、家族が集まる食卓でパパが肉を切り分け、ママが焼いたケーキを食べる、
そんなあったかい家庭でした。
でも、彼の夢のクリスマスディナーを作ったその日も、私はいつも夫の機嫌を伺っていました。
私が渡すクリスマスプレゼントは包装から出されることもなく、何ヶ月も放っておかれ、うっすらと埃が積もった
頃、私のため息とともに包装紙から出されます。「プレゼントなんかいらんと言っただろ!」と言う言葉を
真に受けて渡さないと機嫌が悪くなる。渡しても放っておかれる。
夫をそんな風にしたのはモラ義父です。夫の夢はある日突然終わってしまいました。
私は少年の夢が詰まったクリスマスボールを聖なる夜にだけ、手向けてあげたいのです。
今宵、モラ夫が放つ黒いオーラに震えている方たちへ届けます。
みなさまの元に神の大きな力が宿らんことを
まっち〜さんの記事に触発され、先日友人宅でごちそうになったお鍋のレシピをご紹介します。
鍋は体が温まるし、材料を切るだけのことが多いので手間もかからず、沢山野菜を食べられてヘルシーで、そしてその辺にある
ハンパな材料をじゃんじゃん入れてもわからないという、年末の冷蔵庫内一掃大処分にはもってこいのお料理です。
た〜らこ〜♪、た〜らこ〜♪
みなさまこんにちは。本日のお鍋は「しゃぶしゃぶラーメンです」
余談ですが、我が家の子どもたちはお寿司は回っているもの、しゃぶしゃぶの肉は豚肉と思っています。
そういう私もお寿司をカウンターで食べたのは人生で1度きり。きっぷのいいおじさまに奢って頂いた、あれは
遠い21歳の時でした。。。。おじさまの顔は忘れたけど、食べたお寿司の味は忘れません。
出し昆布・・・・適当
まず、お鍋に出し昆布でだし汁を作ります。水から入れて、煮立つ前にぽいっとお皿に移して下さい。
できた出し汁にシメジで水面が見えなくなるだけ放り込みます。本来はシメジだけらしいのですが、
私は野菜も食べたいので白菜とか水菜とか豆腐なんかも入れます。お好みでどうぞ。
薄切り豚肉をしゃぶしゃぶと煮立った出し汁にくぐらせ(牛肉と違い豚肉はよ〜く火を通して下さいね!)そばつゆでいただきます。薬味は大盛りの刻んだ万能ネギ、そして欠かせないのが「柚こしょう」。
私は欠かせないと思ってますが、「いらん」と一緒に食べた友人Aは使っていませんでした。
そして、1/5ほど肉が残ったところで水面に浮かんだアクをきれいに取り、ラーメンを箸でひとすくいずつ入れて下さい。間違っても一玉全部入れては
いけません。麺は堅いくらいが美味しいので、全部入れてしまうと後の方がのびてしまいます。
肉と同じように、自分のペースに合わせて麺を入れて下さい。ご飯でお腹がいっぱいになったはずなのに、なぜかラーメンも一玉食べてしまうお子様が多いのが
不思議です。そしてお酒を飲んだ後、ラーメンを食べたくなる飲んべえには珠玉の一品です。残った豚肉はチャーシュー代わりに
時々しゃぶしゃぶしながら麺と一緒にお召し上がり下さい。タレはこの時もそばつゆですが、麺を食べる前に
一度全部捨てて新しいタレでいただくと一層美味しくなります。しかし私は手抜きの女王様なので、めんどくさいから替えません。
惜しいのは麺を入れなければ残ったスープに味付けして翌日雑炊にできるのですが、麺の粉で
ドロドロになってしまいますので雑炊ができないこと。ラーメンか、雑炊か。2者択一を迫られるレシピでもあります。
1分クッキングでした〜♪♪♪た〜らこ〜たらこ〜♪♪♪
もしできることならば、その時に時間を戻して、Mさんに教えてあげたい。
「カウンセラーママの日々つれづれ」を書かれている谷本恵美さんより転載許可をいただき、「Mさんからの手紙」へリンクを貼ります。
谷本さんが書かれている記事はこちらです。
ところが、彼は仕事場で自分より弱い立場の女性には豹変します。
相手が犯した小さなミスも、彼にかかると世界中がひっくる返るような大騒ぎになります。しかし、彼は
証拠が残るような自分が犯した開き直りようのないミスは仕方なく認めますが、それ以外のことについては完全シカトを決め込みます。
話をしていて「え、でもさっきあなたはこう言ったはずだけど。。。」と言おうものなら、こめかみに青筋をたてて「話をすり替えないで!!」と怒鳴り始めます。
まさに「気が狂ったように」。
彼と意見交換はできません。黙って従うしかないのです。ただし、彼は「自分の仕事に影響力を持つ男性と強気の女性」には、穏やかな笑顔を向けます。
私は彼を見ていて、「彼の頭の中には彼のワールドがあるんだなぁ」としみじみ思います。
彼の頭の中では、自分は仕事も家事も育児もすべてパーフェクトにこなす理想の人間になっているのでしょう。
「でもなぁ。。。」「彼は生活を楽しんでいるんだろうか」とも思うのです。
私自身そうでしたからよくわかりますが、確かに子どもが小さいときは生活を楽しんだりする余裕はありません。
でも、もし彼に時間的余裕を与えても、彼は自分で自分に枷をはめて、余裕のない生活に変えてしまうような気がします。どこまで行っても
どんなことをしても、ぎゅうぎゅうに自分を追いつめることしかできないんじゃないか、そんな気がします。
彼の元上司はやはり同じように、相手の小さなミスを大きく宣伝し、弱い立場の人間を追いつめるタイプの人でした。
得意技は「後出しじゃんけん」。心の病を発症した人は何人もいます。同じような家庭で育っても、連鎖する人としない人がいるように、職場の中でも心身にダメージが
来る人、連鎖する人などが出てくるのかもしれません。そしてもし彼が昇進して権力を持つようになったら、「3秒遅れた」と電車でマンションに突っ込む部下を作るようになる可能性はとても高いと思います。
時々掲示板で「私は加害者ではないだろうか」という書き込みが見られますが、人間誰だって時にはイライラして誰かに
八つ当たりすることはあると思うのです。ただ、加害者か否かを判別するのに、「他人のちょっとしたミスを見つけるとどう責めてやろうかとわくわくする」
人は超要注意だなと思います。彼は悪いことをしているつもりはありません。仕事に忠実に相手のミスを指摘しているだけです。
もし彼に「相手のミスを見つけたらわくわくする?」と
聞いたら、こめかみに血管を浮かべてにこやかに、「そんなこと思うはずがないじゃないですか」と答えるでしょう。 彼は正義感で言っているだけなんですから。
スカーレットはメラニーを苦しめようとしてアシュレーに言い寄ったわけではなく、他の男たちのように
彼女の魅力の虜にならないアシュレーにこちらに向かせようと、あの手この手で迫っただけです。結構いますね、このタイプ。目的はアシュレーの心を自分のものにすることです。ですから
相手に精神的ダメージを与えるのが目的のモラハラ加害者とは違います。
モラハラ加害者は、自分の行動で相手が悲しんだり苦しんだり、右往左往するのを見るのが大好きな人種です。
被害者がモラハラをされないよう、慎重に言葉を選んだり、オドオドして自分を見るとき、
彼らは征服感を感じます。そして「もっと虐めてやろう。どうやって虐めてやろう」と胸を躍らせます。
彼らに罪の意識はありません。
しかし、彼らはスカーレットと同じように罰は怖い。
良心のないモラハラ加害者にモラハラをやめさせようとするならば、彼らに罰を与えればいいのです。
彼らが一番怖いのは、自分へ向けられる社会の目が冷たくなったとき、賞賛がなくなったとき、ひとりぼっち
になった時です。こうやって誰かを虐めていると、あなたはひとりぼっちになって誰もいないところで
死ぬんだよとわかれば、ほんの少しは考えるかもしれませんし、C級ならばモラハラをできなく
なるかもしれません。
セクハラが世に出たとき「なぜこんなことが罪になるのかわからない」と首を傾げた男たちも、今は
「宴会の席で、隣に座った部下の手を取ってなで回すことが(別に減るもんじゃなし)なぜいけないことなのか、いまだに理解できないが、罰を受けるから取りあえずやめる」とシフト
してきています。 モラハラもそれでいいと思います。彼らに良心がない以上、共感する能力がない以上、
それを求めるのは無理なのです。理解できなくても「取りあえずはやめる」
それでいいんじゃないでしょうか。
この頃ふと思うのですが、私がサイトを始めた3年10ヶ月前は、こんなに調停や裁判の話が掲示板に載ることはなかったように思います。
昔は「離婚裁判した」という書き込みをみると、おおっとなったものですが、この頃は珍しくもなくなりました。
離婚裁判も一般的になったんだなぁと、ちょっと感慨深くなります。
私が調停までに面談をした弁護士の方は男性2名、女性1名の合計3名です。結局は誰にもお願いせずに
ひとりで調停し、離婚しました。女性の弁護士だから気持ちをわかってくれるだろうと思ったら大間違い。女性の
方が一番理解がありませんでした。ただ、リファレンスに寄せられる弁護士情報は、ほとんどが女性弁護士さんですので、
やはりモラハラ離婚調停、裁判に関しては女性弁護士さんの方が相談しやすく、女性の立場にたって力を貸してくれるようです。
「弁護士をお願いしたいのは山々だけど、お金が高すぎて頼めない」という方も
大勢居ます。「妻が得する熟年離婚」には、あの「離婚裁判〜モラル・ハラスメントからの脱出」で被害者として登場した鮎川加奈子
が颯爽とした弁護士として再登場します。「離婚裁判」の時の加奈子は朝霧弁護士から「ひとりで戦うことで、モラハラから脱出しなさい」と言われ、
ヨタヨタと法律書のページを繰り、調べ、作戦を練り、ひとりで裁判を乗り切りました。
この場面を読んだとき、私は共時性を感じました。私はPTSDもフラッシュバックもありません。
その理由を精神科医に尋ねると、あははと笑って「あんたはひとりでシナリオを書いて、自分が思うとおりに調停をして離婚し、
旦那に勝ったと思っているでしょ。だからないんだよ」と言われました。そのとおり、私はあの調停は私の圧勝だったと
思っています。私は弁護士に相談はしましたが、ほとんどはネットで調べに調べてほんの小さな相手のミスも見逃さず、
家中をかき回して証拠を見つけ、利用しました。もちろん調停は裁判ではありませんから証拠は必要ないの
ですが、誠意が服を着たようなモラ夫の化けの皮を引っぱがすには証拠をばーんと提示するに限ります。
お金がなくて弁護士を頼めなくても、長い間一緒に暮らした妻ならば、相手の弱点はどこなのか、どういう
動きをするかなど、手のうちがわかるはずですから、その経験をフルに使いましょう。
法律関係、離婚関係のサイトには戦術に使えそうな具体例が山ほどあります。
相手の小さなほころびも、使いようによっては大きな穴に変えることができます。頭を使って、知恵をしぼって、調停、裁判を乗り切りましょう。
きっと何年たっても こうして きっと 変わらぬ思いを 持っていられるのも
モラといた日々は、今日の予想が立てられませんでした。
最初の子どもを出産した日、事故が重なって死にそうになって産まれた子と一緒に分娩室を出たその時、
夫が耳元でささやきました。「もうひとり産むんだからね。そうしたら許してやる」
精も根も尽き果てて、手をあげることもできない私にむかって、そう言いました。
ハラッサーは人の痛みがまったくわからない人種です。自分のことしか考えない。自分の感情のゴミ捨て場にする
ためにゴミ箱を見つけ、そばに置き、ポイポイと捨てていく。自分がゴミ箱だったことを「モラル・ハラスメント」と
いう言葉で知りました。
私には未来をデザインする権利がありませんでした。服を買うときも、「私が着たいもの」ではなく、夫が怒らないものを
選んで身につけました。ほんの小さな自由を与えられると、「いい人だ」と心底思って感謝しました。
あの日々はいったい何だったんだろう。夫と離れたその日、子どもと焼き芋を買いました。色、形、大きさ。どれを買っても
いいのだと気がついたその瞬間、めくるめくような大きな開放感がありました。未来への不安よりも、その開放感は何倍も大きかったことを
覚えています。モラ夫と暮らしていて一番大きな不安は、10年後、自分が何をしているかわからないということでした。
私の未来を決めるのは夫でした。今は私。私の未来予想図は、私が描く。それがどんなに貴重であるかということは、
無くした経験のある人でなければわからないのだろうと思います。
「ほら、思った通りにかなえられてく」
モラといた日々は「思う」ことさえ許されなかった日々
「ほら、思った通りにかなえられてく」
モラのいない日々は、自分が創る未来予想図
「ほら、思った通りにかなえられてく」
「あ〜あ、最初は誰でもそういうのよね。最初のうちはね」
ところで、私はこのWINDにも掲示板にも何度も書いて来ましたが、私は結婚している当時はDV被害者ではないと思っていました。
もちろん現在は「私はモラハラ被害者、当然精神的DVの被害者でした」と公言しています。ところが先日、妙な話を聞きました。モラハラ被害者たちは「自分はモラハラの被害者であって、精神的DVの被害者ではないと言い張ってきかない」というものです。
ネット上にはモラハラ被害者たちのブログが沢山ありますが、私はそんなことを書いているブログは見たことがありません。調停の時は、調停委員の理解が得られるように
みなさん「精神的DV」という言葉を使っています。もちろんブログは山のようにありますから、どこかで誰かがそう書いている可能性はありますので
100%とは言い切れませんが、主流は「私はモラハラ被害者、つまり精神的DVの被害者」です。「私はモラハラの被害者。DVの被害者ではないと、ガンとして認めない」なんてことを
誰が流しているんでしょう??
モラハラ被害者たちは「精神的DV」という言葉では自分が虐待を受けていることに
気づけなかったのです。モラル・ハラスメントという言葉で初めて気づいた。なぜそのことに着目してもらえないのでしょうか。被害者の言うことに耳を傾けてもらえないのでしょうか。
被害者たちは言葉なんてどうでもいいのです。モラル・ハラスメントという言葉で気づいた。それで救われた。人生が変わった。それがすべてです。
最初に気づいた言葉が「モラル・ハラスメント」だったから、「私はモラハラ被害者」と言っているだけなのに、なぜ「言い張る」とか「精神的DVの被害者だと認めない」になっちゃうんでしょうね。ふ・し・ぎ。
商品を作ったけれど売れず、ネーミングを変えたり、パッケージの色を
変えたら飛ぶように売れるようになった、そんな話はどこにでもあります。
製作者が「前の方がいい名前だった」と文句を言っても、売れないものは売れない、売れるものは売れるんだからしょうがない。
中身は同じなのに名前を変えたら被害者だと気づいたんだって、あ〜、そりゃぁよかったねと、どうして言えないんでしょう。DVを広める目的は
何でしょう。その渦中にいる人を救うためではないですか?その人がモラハラで気づいたんだったら、一緒によかったねと
喜んではもらえないのですか?
モラハラが世の中に受け入れられる原因は、それが身近にあるものだったから、ということが挙げられます。
新聞紙上にはかなり頻繁にDVの記事が載るようになりました。でも、それを自分のことのように真剣に読んでいる人がどれくらいいるでしょうか。
少なくとも私が結婚生活をしていた時は、DVはよその世界の出来事でした。
ところがモラハラはいろんな人間関係にリンクしていきます。私のサイトは夫婦間のモラハラに限定しているのにも関わらず、
掲示板では「親から受けた。上司から受けた。先生から受けた。隣の奥さんから受けた」と様々な実例が書き込まれます。
夫婦間の話を読んで、職場のことに思いを馳せ、「こんなにひどいことを家庭でされているというのは大変な苦労だね」と共感してもらえるようになります。現に職場のモラハラ
被害者だった内館牧子さんも「こんなにひどい思いをしたことは一度もない」「逃げるという手段もあり得ると思う」と言い切っています。
「あなたにも悪いところがあるんじゃないの?」の代わりに、「ひどい旦那さんね。それはモラハラじゃないの?」と言ってもらえるようになります。これがモラハラの
利点です。私がいくら「夫は魚が冷めるまでテーブルにつかない」とみんなに訴えても、「それは精神的DVじゃないの?」なんて言った人はひとりもいませんでした。
世の中の人たちはほとんどみんな知らなかったのです。それが今「モラル・ハラスメント」という言葉で気づき始めたのです。
以前パブに「女性センターへ行って話をしたら『あなたはモラル・ハラスメントと言っているけれど、それは精神的DVのことなのよ』
と言われた」という書き込みがありました。私はそれでいいと思う。モラル・ハラスメントという言葉で気づき、精神的DVと教えられた。それが正しいと思う。
少なくとも「ウチでは精神的DVです!」と音を立てて電話を切るより、100万倍いいと思う。
被害者がモラハラという言葉で気づいたというのに、なぜそれが許せないのでしょう。ジュリエットだって言ってるじゃないですか。
「薔薇は薔薇という名前がなくても、芳しいにおいを放ちますものを」って。
◎お互いの両親に対して、義務を果たしましたか?
◎浮気などはしませんでしたか?
◎経済的なことについて話し合って決めましたか?
◎妻がひとりの人間であること理解していましたか?
定年になったらさ、オレ、絶対に好きなことして毎日暮らそうと思ってたんだ。これだけ働いたんだもん。それぐらいの
ご褒美はもらっていいよね。まずカミさんと一緒にハワイに行こうと思ってさ。旅行社にも手配頼んであるの。
帰ったらテーブルにパンフレットを広げてさ、カミさんからビールかなんかついでもらって「ご苦労様でした」って言ってもらってさ。
下の子も結婚が決まってるし、盆暮れには上と下、両方が帰ってきて、孫に小遣いやって、「ありがとう、おじいちゃん」
とかなんとか言われてさ。この世で残り、あと20年。カミさんと仲良く暮らすのがオレの夢!ってか!
【夫婦生活成績表】 自己採点 B
「男性にとって妻から離婚を言い渡されるということは、死にも等しいことなんです」とは多くの離婚を見てきた方の弁ですが、
「それはホワイトカラーの思想。ブルーカラーは何人妻を持ったか、数で勝負の世界なのよね」と建設業界で働く友人は言います。
私は時々男性の方から相談メールを受けるのですが、そのほとんどが「自分はどうやら妻にモラハラをしていたようだ。どうやったら自分を変えられるか」と
いうものですが、「調停中だが妻に帰ってきてもらうのはどうしたらいいか」が次に続きます。妻から三行半を叩きつけられという
土壇場になって、やっとその気になった夫たちが途方にくれてのメールのようです。
「自分はどうやらモラハラをしていたようだ。カウンセリングでも何でもするからなんとかして妻に帰ってきて欲しい」と
言われても、私はふつーのおばさんですから、何もできません。
妻からの離婚を言い渡されてその時になっておろおろする前に、何かできることはなかったのかしらん。
先日「日刊ゲンダイ」に「モラハラ離婚が急増中!」という記事が出ました。チェックリストとしていくつかあげられて
いましたが、「誰のおかげで生活できると思っているんだは即アウト」と、セクハラの時と同じような感じの記事でした。
どうやら男性諸氏は「何を言えばモラハラ離婚になってしまうのだろうか」ということをお知りになりたいらしいのですが、
それが大きな勘違いであることに全然気づいておられません。
以前パブに「ラクダが大きな荷物を必死で運んでいた。そこへ藁を1本のせたら倒れてしまった。それが今のわたしたち。」という書き込みが
されました。妻が離婚を決意するきっかけになる言葉というのは、その1本の藁のようなもので、その前に重い重い荷物を
背負っていることが重要なのです。
熟年離婚は夫婦生活の成績表のようなものです。よーいドンで結婚を始めたときから、積み重ねられた荷物の量と内容を
妻はエンマ帳に書き綴っています。
◎妻が妊娠中、身動きできない妻の代わりに主だった家事をしましたか?(手伝いましたか?ではありません)
◎女性は妊娠するとナーバスになりますが、それをちゃんとやわらかく受け止めましたか?
◎子供が産まれるときは、ふたりで出産を体験しましたか?(絶対に避けることができない事情がある場合を除く)
◎子供が産まれてから、妻の代わりに家事全般をこなしましたか?
◎子供が乳幼児の時は率先して子供の面倒を見ましたか?
◎保育園の送り迎えを共同でしましたか?
◎子供の教育やしつけについて、妻とよく相談しましたか?
◎妻が仕事をすることに協力しましたか?
結婚適齢期という時期が昔に比べて拡散化してきていますが、女性はともかく男性が、35歳を過ぎてまだ独身というのは社会的にも少々奇異な目で見られることになります。
もちろん「仕事に忙しくて相手を見つける暇がなかった」「絶対に親との同居を条件にしたら、誰も来る人がいなかった」
などという理由がちゃんとしている人はいいのですが、35過ぎで3高でイケメンでマンションを持っていて親との同居義務なしという条件なのに
まだ独身。暗いヲタクでもなく趣味も豊富、なのになぜ。。。という人から求婚されたら、「よ〜く考えよ〜」と袖を引っ張りたくなります。
よくコミックに、頭もよくてスポーツマンで家がお金持ちでハンサムという上級生からコクられるお話しがありますが、
(ハーレクインロマンなんかもそうですよね、読んだことないけど)あれはコミックというおとぎ話の中だから
あり得ること。普通はない(きっぱり!)
「結婚できない男」というドラマが人気ですので見てみたら、阿部寛扮する40歳3高独身建築家が、何やらウンチクをたれながら、
料理をしたり音楽を聴いたりしながら瀟洒なマンションでひとり暮らしをしているというシチュエーションでのお話しでした。
釣書と写真だけで「ぜひ私と結婚して下さい!」と言ってしまいそうな相手ですが、しかし、この阿部ちゃん、どっから見てもおかしい。ヘン。
「絶対私だったらこんなのお断りするわ!」と言いながらドラマを見ている人も多いのではないでしょうか。
デモ、デモ、実際の世の中では「3高でやり手建築家」を「ウンチクがウザイ!」とサラリとお引き取り願える方は決して
多くないと思います。私の周りの男性を見渡すと「なぜこの人と結婚したのか奥さんに突撃インタビューかましたい」と
思える男性が多々います。(同じように旦那さんに聞いてみたいと思う奥さんも同数います)。特に学歴が高い男性には「奥さん、
学歴以外のどこがよかったの?」と思えるような方も少なからずいます。
阿部ちゃんのような、周りの空気が読めない、相手かまわずウンチクを大放流する3高男を「これも個性」と目をつぶって
結婚し、被害者同盟に辿り着いた方もきっといるだろうなと思います。それを「釣書に目がくらんだアンタが悪い」と指を指すのも
どんなもんかと思いますが、少なくとも「ここまで揃った人が、この年まで独身はナニかある」と思った方が、絶対に
間違いないと管理人は思っております。
#大体そんな相手を世の中が放っておくわけがないじゃないですか。
「でも鍵をかけられたわけでも、縛られたわけでもないでしょう」と言われるかも知れませんが、実は同じように外から
鍵をかけられ、首輪で繋がっているのがモラハラ被害者なのです。見えない鍵は「社会一般にはびこる昔からの結婚観」で
あり、「妻はこうあるべき、母ならばこうするべき」という男性にとって都合のいい固定観念です。
そして「女性はこうあるべき」という首輪は生まれたときから女性の首につけられていますので、それをはずすのは容易なことではありません。それにプラス
してドアの鍵を結婚と同時にかけられてしまったのです。
モラ夫の支配、マインドコントロールは日々の生活に言葉や態度の暴力として散りばめられ、私のような生活力がないダメな
人間はこの家を出られない、出ても私は暮らしていけない、子どもをその道連れにするわけにはいかない、一生この家で耐えて生きるしかないと
悟った妻は次第に無気力になります。唯一生きるために残された道は感情を持たないことです。おかしいと思うと葛藤がありますから苦しい。だから何も
考えないことにして流れに身を任すという方法をとります。自分の身を守るため、自分でその思考に入っていくのです。
だから「ご主人様」と呼ぶことに何の抵抗もなくなりますし、自分の意志によって動いていると思うようになります。
茨木監禁事件も小林王子事件も、自己のない劣等感にまみれた犯人が、他人をスケープゴートにして
崩壊しそうな自我を守っていたのでしょう。ただ、そのやり方がマンガチックでお粗末だったというだけです。
モラ夫は社会規範を守り、どこから見ても普通かそれ以上の人間のように振る舞って世の中の人を欺き、家では監禁した
家族を罵り、虐待し続けているのです。 モラル・ハラスメントという言葉は、見えない鍵を開ける魔法の呪文なのです。
私がまだ夫と一緒に暮らしていたとき、帰りが1分遅れるということは、私にとってはまるでこの世の終わりのような恐怖でした。
1分遅れてしまうならば、その場で地球が爆発して欲しいと心底願ました。車を運転していて、違反切符を切られたときも
2回あります。切符を切られればむしろ嬉しかった。ほっとした。私は交通違反をするほどにちゃんと急いでいた、約束を遂行しようとしていたという証明が
できるからです。何も知らない人から見れば異常な心理状態でしょう。たかが夫との決まり事、それも夫が勝手に作った
スケジュールにあわせるために、髪を振り乱して家路を急ぐのは信じられない光景のように見えるでしょう。私は普通ではなかった。夫のコントロール下で
異常だった。だからこの高校生の気持ちがよくわかります。
子供に「勉強をしろ」という親は当たり前だし、それは親心でもあると普通の人ならば思うでしょう。しかし、そのレベルが
MAXだったら、それはモラハラと同様です。言葉にすればどこにでもあることが、モラハラ家庭ではレベルを超える責め苦なのです。
モラハラは「教育」「しつけ」の元に行われることがほとんどです。オレはお前を虐めているなんて言いながらモラハラしている
夫なんかいません。みんな「お前のためを思って」「妻を教育している」と言いながらモラハラをしているのです。
私が最初に精神科医のところへ行って、我が家の事情を話したとき、医師は言いました。
「父と息子は殺し合うことになるかもしれない」
それは私にとって離婚の意思を決定的にさせた言葉でした。既にモラ義兄宅では息子が父親に暴力行為を行い、政権交代を終え
ていました。高校生の息子に殴りかかられたモラ義兄は簡単に白旗を揚げ、その日から息子にヘコヘコと媚びへつらうようになったのです。
「私が請われて患者宅に行った時にね、奥で寝かされていた父親を30過ぎた息子が竹の棒で殴っているんだよ。
卒中で動けなくなった父親をこれでもか、これでもかと殴り続けててね、打たれて全身腫れ上がった父親は、声も出せずにただ泣いているだけなんだよ」
「このまま父と子を一緒にしていたら危険だから、早く離しなさい」
そして私は離婚し、父と息子を離しました。離さなければ、もしかしたらわが子も奈良の高校生と同じことをして
いたかもしれません。どこの家でも父から息子への政権交代は行われます。それは粛々と静かに行われる家もあれば、
血をもって遂行される場合もあります。政権にしがみつく、自己のない父親からは物理的距離をおかなければ
非常に危うい。そしてこの頃、その類の事件が頻発するのは子どもが異常なのではなく、大人になりきれていない
父親が増えているということなのではないでしょうか。
精神的DVとモラル・ハラスメントの違いは何ですか?と、よく聞かれます。モラル・ハラスメントが家庭内(ドメスティック)で起こったら、それは精神的DVになるでしょう。では、職場で起きたらパワーハラスメントになるかというと、それは違うと思います。パワハラは権力を持った者が
それを行使して行うハラスメントであると私は認識しておりますので、部下から上司、新入社員からお局様へのハラスメントもあり得るモラハラとは違いがあります。
昔、「家庭内暴力」という言葉は家庭内における子から親への暴力というものが主で、配偶者間の暴力を表す特別な言葉がありませんでした。
そこで夫婦間で起こる暴力を「ドメスティックバイオレンス(DV)」という言葉で表しましたが、これはとても画期的なことでした。というのは、夫が妻を殴ることは「どこの家でもよくあることで」
「夫婦間のことだから他人は口を出すことではない」とされていたものが、たとえ夫婦間のことでも、これは明らかな暴力であり、虐待であり、暴力を受けた者は被害者であると、言葉によって意義づけられたからです。
しかし、このDVという言葉が浸透するとき、表だって取り上げられたのは身体的なものだったため、精神的なものはオプションのような取り扱いしかされませんでした。確かに明日殺されるかもしれない身体的暴力が優先的になることは、
ある程度いたしかたのないことではあります。しかし、精神的DVが続くと次に物に当たるようになり、最後には身体的DVに発展する場合があるということは、掲示板に来られる方々もよくご存じだと思います。
夫婦間の虐待を浸透させたのは、それまでなかった「ドメスティックバイオレンス(DV)」という言葉でした。なのになぜ「モラル・ハラスメント」という言葉を毛嫌いされるのか。相談者に対して「ウチでは精神的DVです!」と言って電話を切られるのか。
気づかなければ一生ロボットの生活を強いられたいた人たちが、この言葉によって命を救われるのですから、言葉にこだわって相談者を追い払うよりも、この言葉を知ることによって得られるメリットを取るべきではないかと*私は*思います。
「男性は生まれる時に、掃除や洗濯をインプットされているわけではないですからね〜」
「男性は」と断って話しているところを見ると、どうやらそのようです。よく公の電波でこんなこと言えますね(呆)。
多分リアルの場で彼に「じゃ、男性は生まれながらに大工仕事や電気修理をインプットされて生まれてくるんですか?」と聞いたなら、
「どうしてそんな風に短絡的に物を考えるんだろう」「これだから女は」と言われること間違いなしです(大体この手のオトコはそう答えます(笑))
「アホか!」
おい!○○ ○○!!
妻たちの報復は始まってるんじゃ!み〜んなあんたらが「女は掃除洗濯をするために生まれてくる」「男の命令をきくために存在する」と
いう勝手な思いこみで女たちを追い込んできた結末じゃないか!
「奴隷のようにこき使われる」とわかっているから結婚しないし、「子供を産んでもひとりでてんてこ舞いしなきゃいけないから」産まない選択をする、
未婚のあなたの選択は本当に正しい。
少子化対策大臣 殿
何しろ立ち読みの拾い読みですので、詳しいことはわからないのですが、どうも母親はあざみさんに対してライバル意識を持っていたような気が
します。夫を取られてたまるかという気持ちが、母親のどこかにあったのではないかと思います。
私の母もそうでした。どう考えても他の兄弟に対する態度と、私に対するそれとは、全く違うものがありました。
私が夫との関係について精神科へ訪ねて行った時、離婚の件は、私が言うよりも先生から父へ説明していただいた方が
親も納得がいくだろうと思い、お願いしました。母は娘の幸福よりも世間体の方が百倍大切な人ですので、そう簡単に
離婚に賛成してもらえるとは思えず、そればかりか、夫とタッグを組んで離婚阻止行動に回る危険性がありました。
母を抑えれるのは父だけです。父が「こうだ」と言えば、母は逆らえない。ですから、私はまず父を味方につけようと思いました。
診察室で、医師と私と父との会話が始まりました。
父はうつむいて、じっとしていました。
「いじめてました」
どっひゃ〜〜と私は父を見ました。ああ、この人は私が母に虐められているのを知っていたんだ。知っていながら黙っていたんだ。
ずっと一緒に暮らしてきて、父と呼んできて、初めて知ったことでした。
母はよく私を叱るときに父を使いました。父の後ろに隠れて顔だけこちらを向け、叱られる私をニヤニヤ笑って見ていました。
私は母が大嫌いですが、自分の親が嫌いなどと言う人は、私の周りには誰もいませんでしたから、ずっと母を嫌っていること
に罪悪感がありました。「親に孝行しろ」「親に恩を返せ」と当の母親に言われながら育ってきた私にとって、親を恨むと
いうことは人後に劣ることでした。ネットの世界に入り込み、一番驚き嬉しかったのは、世の中には親を恨んでいる子ども
たちが沢山いるということを知ったことです。
高名な精神科医がある新聞に「この頃、子が親を恨む風潮があるが、親だって色々あって大変だったのだから、そういう考え方は
遺憾に思う」という趣旨のことを書かれていましたが、私はそういう考え方こそが遺憾に思います。あざみさんのように、産みっ
ぱなしにされて、親らしいことはしてもらえず、虐待された子どもたちが親を恨んで当然でしょう。
ある新聞に、「確かに私は子供をあまりかわいがらず、時には暴力をふるって来た。しかし私も老いてきて、寂しくなったので、
娘に同居を求めたが、断れた。確かにしつけは厳しかったが、色々高価な物も買い与えた。どうすれば娘にわかってもらえるだろうか」
という人生相談の質問がありましたが、私は「ずいぶんムシのいいことを言う親だ」と思いました。自分が心細くなったから「ほらぁ、
いろいろアンタにはしてあげたじゃない。あれも買ってあげたし、こういうことだってしてあげた。子供が親の面倒を見るのは義務だよ」
とすり寄ってきたところで、突き放して何が悪いと思います。
しかもこういう親に限って「あれもしてやった、これもしてやった」と恩に着せるのを忘れず、「子供にこんな仕打ちをされるとは
思わなかった」と泣き落としにかかります。
#まるでモラ夫ですね
本当に子供を思う親だったら、子供が生き生きと幸せに過ごしているというだけで幸福なんじゃないでしょうか。痛いと泣く子供から
手を離した親が、本当の親なんだという大岡裁きは正しい。そして、子供の悲鳴を聞いてもなお引っ張り続ける親を捨てても、何の罪もないと思います。
心当たりがあるものだから、手に取るようにその状況がわかります(笑)
これも心当たりがあるものだから、力が入ります(笑)
きゃ〜、事実なものだから、筆が進む進む(笑)
もし「誰がそんなこと言ったんだ!」と本人の耳に入って、噂元としてかぎつけられたとしても、「あれ〜?
私、誰かから聞いたのよ。え〜と、誰だったかなぁ」とすっとぼければいいだけです。
昔「平気でうそをつく人々」を読んだのは、「なぜあの人はあそこまで嘘がつけるのか」と不思議に思った人がいて、
その謎を知りたくて読んだものです。
人間誰しも「ちょっとオーバー気味に話し」たり「ちょっと脚色したり」することはあります。
でも、この人は、まったく存在しない話をでっち上げる名人でした。何もないところからひとつの話を作りあげるのです。
今思い出しても、あの人の精神構造というのはいったいどうなっているのか、脳を開いて見てみたい。
ずっと下に書きました。私が結婚していた末期には、元夫の親戚に「夫はこういう人だ」と訴えて
歩きましたが、みんな「あのお父さんに似ちゃったんだね〜」と言うだけで、何もしてくれませんでした。
たったひとりを除いては。
夫はぷぅ〜っと頬をふくらませて不満そうに立っていました。私はこの後の報復が怖くて「マズイな」と
思いつつも、すっと胸のつかえが降りていくのを感じました。
思ったとおりこの一件の復讐は、叔父の存在がなくなった1ヶ月後、1年間の完全無視という形で私につきつけられました。
しかしそのことが、結局離婚へと繋がる大きなきっかけとなりました。
夫に初めて正面きって怒鳴りつけた人の存在。初めて夫から私を守ってくれた人。それは実の親ではなく、初めて会った彼の親戚でした。
それまで大勢いた周りの人間は、誰ひとりとして彼に意見する人はいませんでした。
内館さんがお書になりたかったは、きっとこういうことなのだと思います。
「ちゃんと叱ってください」
「そんなこと、やめろよと言ってください」
たったひとりの小さな人間に大勢が振り回されるなんて、おかしいじゃないですか。
その偶然のひとつがこのエッセイの中に書かれていたので、
とてもびっくりしました。それは「1998年に出版した『切ないOLに捧ぐ』という本の中で、モラハラ体験を少しだけ書いている」という部分でした。私は読んだ本が気にいるとその作家さんの本を片っ端から
読んでいくという癖があります。その頃ハマっていたのが内館牧子さんであり、その中にこの「切ないOLに捧ぐ」がありました。そしてエピソードの「モラハラ体験」(もちろんその頃、言葉はありませんでした)を読み、いたくうなった部分が
ありました。それは「相手が口をきかないといって、自分もきかないという大人げないことはしなかった」というくだりです。当時、何かあれば長期間の無視をする夫に混乱していた私は、「そうか、相手が無視を
するからといって、こちらもするというのは大人げないことなのか」と反省し、いつも家庭では明るくふるまうように気をつけました。これがまったく逆効果であったことは、その当時知るよしもありません。
モラ夫に対しては、シカトしてきたらシカト仕返す、怒鳴ってきたら怒鳴り返えしてやれば、C級のモラ夫はそれで押さえつけることができます。間違っても相手のご機嫌を取ったり、泣いたりはしてはいけないのです。
もちろん内館さんがエッセイに書かれたように「相手にしない」というのは自分がしっかりとさえしていれば効果はあります。ただ、子どものいる家庭では、子どもの心を傷つけてしまいますからあまりお勧めできま
せんし、そんな家庭で楽しかろうはずはありません。職場でしたら他の同僚もいるでしょうから発散はできるでしょうが、家庭ではとても難しいと思います。
エッセイの中で、「モラハラを目撃している対する周囲の様子は例外なく二つに分かれる。見て見ぬふりをする人と、モラハラする人の機嫌を取る人だ」とありました。正にそのとおりでしょう。職場の中では、
誰がハラッサーなのかが大体周囲の人はわかっていることが多い。その人がいるところには病人が出たり、退職する人が出るというのは公然の秘密になっているはずです。
内館さんはご存じないと思いますが、エッセイを書かれた週刊朝日で1年前にモラハラの文字載り、このサイトも4年目を迎えています。思いを抱いていた内館さんが書かれた「モラハラ」というタイトルのエッセイを読めるなんて、1年前は思いもしませんでした。
このエッセイは短い文章の中にぎっしりとモラハラのエッセンスが詰まっていますので、ぜひ読んでみて下さい。
昨年暮れ、ある空港でのことです。仕事で初めて行った雪国は、その雪のため目的地に着陸できず、別の空港に変更になってしまいました。
飛行機を降りると、ターンテーブルのそばには地上職員の方がテーブルに3・4名立って、乗客を待ちかまえていました。
私は前方の座席に座っていましたので、さっそくそのテーブルの一番前に立って職員の説明を聞いていました。
ふと気づくと、私の横に数列出来ています。職員は3名。つまり、私の後に来た人は私の後ろにつかずに横につき、その後ろに人が並び、
私は一番最初に来たにもかかわらず、なぜかひとり列からはみ出している形になってしまいました。
「あらら、どうしよう」と思ったその時、後ろから声がかかりました。
ハラワタは煮えくりかえっていました。なぜこの人は私が先だと言うことを知っていて大きな声で嘘を言うのだろう。
いったいこの人は何なんだろう。ここのところ人の温かい心に触れることが多く、こういう類の体験はしていなかったため、かなり気持ちがぐらつきました。
払い戻しのお金を受け取り、二台並んだリムジンバスの自動販売機に行くと、嘘つき男が券売機にお金を入れるところでした。
とその時、彼は私に「すみません」と小さく頭を下げました。「ああ、この人はわかって嘘をついていたんだ」と納得しました。
ひとり分でも早くお金が欲しかったのでしょう。私が気の弱そうなおばちゃんに見えたから「これはやれる」と踏んだのでしょう。
そして大声で「ずるいぞ!」と叫んだのでしょう。
ずっと家の中でされていたことを、大勢の前でされました(苦笑)
「すみません」と言ったその一言は、彼のわずかに残った良心の呵責だったのかもしれません。
リムジンバスの中でこの男性は大音量の着メロを流し続け、「あ〜、飛行機がそっちに降りなくてさ〜」と大声で携帯電話を
かけ続けました。
モラ夫は自分が嘘をついているということにすら気づかない人間です。そんな人と毎日こういう生活をしていて、私はよく生き延びた
ものだと思った年の暮れでした。
2018〜はこちら
2003〜2005はこちら
■ 2017.12.30【傷ついた脳】
■ 2017.12.9【店じまい】
■ 2017.11.1【この人はモラハラ夫ですか?】
■ 2017.9.24【女性センターの功罪】
■ 2017.8.27【相談料で悩み中】
■ 2017.7.22【外から変えること】
■ 2017.6.12【無視と無口】
■ 2017.6.3【究極の幸せ】
人の前ではいつも明るいと思いますが、別に作っているわけでもがんばっているわけでもありません。これ、ホントに地です。
ふたつめは「人から褒められること」
みっつめは「人の役に立つこと」
よっつめは「人に必要とされること」
■ 2017.5.1【自分で決める】
■ 2017.4.2【年を取ってわかったこと】
■ 2017.2.26【無視の恐怖】
■ 2017.1.30【DV夫はイクメンの仮面を被る】
■ 2016.12.24【クリスマスは鍋パで】
■ 2016.12.8【アンガーマネジメント】
B重要だが変えることが不可能
C重要ではないが変えることが可能
D重要ではないが変えることが不可能
■ 2016.10.29【親子断絶防止法2】
■ 2016.9.18【親子断絶防止法】
■ 2016.8.4【年金について考える】
■ 2016.6.17【被害者は共依存か】
怒鳴るか、黙るか(無視するか)、物を投げるか、ドアを大きな音をたてて閉めるか、子どもたちに八つ当たりするか、嫌みを言うか、
生活費を入れないかなどなど、そのツールは山ほどあります。先読みして、「はい、新聞」、「はい、リモコン」「はい、お箸」と手渡すあなたは
幸せでしょうか。共依存ならばそうすることで、自分はこの人に無くてはならない人なんだと感じることができるのだから、それは喜びのはずです。
だからモラハラ被害者は共依存ではないのです。
■ 2016.5.1【目指せ!PTG】
■ 2016.3.12【モラハラとASD】
■ 2016.1.14【「あさイチ」秘話】
企画を伺ってから、周りの人に「あさイチって知ってる?」と聞くとみんな声をそろえて「ああ、イノッチの」と言うんですね。
実はワタクシ、「あさイチ」を見たことがないのです。さらにジャニーズは名前と顔とグループ名が一致するのはSMAPまでというテイタラクでございましたので、
「イノッチって何?」という状態でございました。ここにイノッチさんと有働さん(ごめんなさい、有働さんも
存じ上げませんでした)にふかーくふかーくお詫び申し上げます。
■ 2015.12.10【モラハラの定義】
■ 2015.9.5【中絶と出産の間】
さて、めでたく結婚できればよいのですが、中には「え〜、オレ、結婚する気ねーしー」とか、「それ、本当に
オレの子?証拠みせろよ」と逃げ回る輩もいます。よくDNA鑑定の話を聞くのでこの間ちらっと検索してみてびっくり!
DNA鑑定って15,000円でできるのって、知ってました?業者もたくさんあって、お手軽にできちゃいます。う〜ん、
これはいいことなんだろうか。あちこちで混乱が起こっているような気がする。なんだかオレと似てないし、でも
鑑定する勇気もないって男性、多いんじゃないかしら。
■ 2015.7.4【東京ライフ】
「探偵物語」はお金持ちのお嬢様(薬師丸ひろ子)が殺人事件に
巻き込まれる物語ですが、この中に登場する彼女の大学生活が、田舎で暮らしていた自分にとっては遠い世界の話でした。おそらく青学か上智
あたりの大学を設定していると思われ(と思って検索したら、立教大学でロケでした)、裕福そうな大学生がキャンパスライフを楽しんで
いました。東京の大学生はみんなあんな風なんだろうと、うらやましく思っていました。
まるで西部劇に出てくるようなゴーストタウンとなったシャッター街の風景と、大勢の人が行き交う大都会の風景。あまりにも差がありすぎる。
■ 2015.5.6【モラ夫の幸せ】
■ 2015.4.5【モラハラの完成】
■ 2015.2.12【マスメディアに思うこと】
■ 2014.12.31【アラカルトが好き】
Σ(°Д°; ぽかーん
ではよいお年を。
■ 2014.10.19【老いるということ】
■ 2014.8.3【花子とアンと専業主婦】
■ 2014.5.25【健全なる職場】
で、ふと目に付いたのが「パワーアップ改装中」の張り紙。もう、ニュースであちこち騒がれているから実名出しますが、牛丼チェーンの
「すき家」のあちこちで改装していました。「すき家」と言えば強盗が入るので有名。吉野屋も松屋には入らないのに、「すき家」ばかりが
ねらわれるのは、従業員がひとりなこと、そして券売機ではなくレジスターにお金が入っているから強盗しやすいのだと報道されていました。
では自販機を入れればよいのにと私なんかは思うけど、設備にお金をかけないからさらに被害に遭う。
「すき家」はアルバイトの命より、利益優先の店なんですね。私は子どもが「すき家」でバイトをしたいといったら絶対に反対する!
と思っていました。
そしてここに来て、ふたたびニュースによると、「すき家の『パワーアップ改装中』は、人使いが荒い店に嫌気をさしたアルバイトが次々に
逃げ出していて、人手がなくなったから」であるとのこと。
ちょっと前、ブラック起業で有名な「ワタミ」も同じように働く人が激減したため、60店舗を閉鎖したとのこと。ああ、私の住んでいる駅前にあった
ワタミが無くなっちゃったのはそのせいだったのね。
最近まで「おめ〜ら、働くところがないんだろ。働かせてやっから、死ぬまで働け」とえばりくさっていたブラック企業があわてふためいて
労働環境改善に着手したそうです。
下に書いたように、私はパワハラを受けていましたが、上層部にかけあう時に一番最初にしたのは「辞める決心をすること」でした。
なに、そんな決心、1秒でしましたけど。離婚を決意した時に比べればちゃんちゃら簡単な決心でした。それも「話し合える相手ではない」、「私が
悪いわけではない」という心理要因と、「守らなければならない家族がいない」「生活はなんとかなる」という現実要因があったからです。
幸運なことに上層部は「パワハラのある環境は仕事能率、効率を著しく下げる」ということをよく知っていたので、私の訴えは認められたのだと
思います。
「バイトは使い捨て」「嫌なら辞めれば?」「代わりはいくらでもいるし」というブラック企業は、罰がなければ変わらないってことですね。
時給が50円安くても働きやすい職場を選ぶって、健全な考え方に世の中が動くというのはいいことだと思います、はい。
■ 2014.4.29【マヨネーズ事件】
■ 2014.2.23【4年後】
4年前、「100人のイナバウアー」を書いた時はまだ定職も決まらず、派遣で働いていました。その仕事は3月末までと決まっており、その先はまったくわかりませんでした。
派遣先のお昼休み、真央ちゃんとキムヨナの演技が見たくて、いつもは行かない休憩室に行ってテレビを見せてもらったりしました。
浅田真央ちゃんが絶好調だった15才の時には月齢が足りなくてオリンピックに出られず、ジュニアの頃からライバルだったキムヨナをそのあたりまで断然リードしていたのに、
次第にキムヨナが肉薄。バンクーバーの時にはキムヨナが完璧の演技で圧勝でした。その後、真央ちゃんはスケートを基礎からやり直したため、大会では
低迷が続きました。そして一卵性母子のようだったお母さんが亡くなり、テレビの画面には悲しそうな顔ばかりが映っていました。
羽生結弦クンは本当に強運の持ち主だと思います。オリンピックに合わせるようにスルスルと昇ってきて、金メダルをとってしまった。
本来ならばバンクーバー後、ずっと圧倒的な強さを誇っていたパトリック・チャンが順当に一番高い表彰台に乗るはずだったのに、ユヅル君が
かっさらってしまった。パトリックとカナダ国民の無念やいかに。ユヅル君は東日本大地震の被災者で、練習する場所もなく、アイスショーが練習の場だった時もあり、超がつく努力家だったから
金がとれたと言う人もいるかもしれません。でも、それは真央ちゃんも同じです。彼女はもちろん才能にあふれているけれど、決して天才ではない。努力の人だと
いう記事をいくつも読みました。
同じように努力をしていたふたりが、明と暗に分かれる・・・・ハズでした。
神は全世界がを泣かせる結末を用意していたんですね。いろんな番組で真央ちゃんが自己ベストを出すシーンを流すたびに、真央ちゃんと一緒にズルズルしてしまう。
この感動はいったい何なんでしょう。ショートで大ミスをして、そのままの気持ちを引きずって、フリーは転倒につぐ転倒と思っていたのは私だけでは
なかったと思います。真央ちゃんの惨めな姿を見たくなくて、録画もよそうかと思いました。
テレビでは「以前他の大会で大逆転をしたことがある」と盛んに放送していましたが、それは他の選手がアウトだったから。オリンピックに出る人たちは
4年に1度の大会のために焦点を合わせて調整してきています。キムヨナなんか去年オリンピック出場の3枠をとるために世界選手権に出たくらいで、ほとんど
大会には出ていないんだから。(あ、これはプルシェンコも似たようなもの。オリンピックでしか見られない)一生懸命いろんな大会に出ている選手と比べて
ズルくないか?と思っていました。
「会心の演技というのは一生に1度あるかないかというもの。それをオリンピックでやった浅田選手はスゴイです」と荒川静香さんが解説していました。
私は特に真央ちゃんが大好き!というわけでもなく、大体今回は1位リプニツカヤ、2位キムヨナ、3位コストナーと思っていました。でも、真央ちゃんには
ゴールドより上のプラチナメダルが用意されていたんですねぇ。ううっ、年をとると涙腺が緩くなっていかんですよ。
娘ふたりにお金のかかるフィギュアスケートを
させている浅田家はたぶんお金持ちなのでしょう。その娘たちにべったりくっついて、送り迎えするママを持ち、いつも天真爛漫に笑顔をふりまいていた真央ちゃんには、
それなりに苦労はしたでしょうが、良い家庭でするっと育ったお嬢さんに見えました。それがショートの失敗後、世界中から激励の書き込みがあり、フリーの後は
後は世界中が涙するといった愛されキャラになったのだと思います。
メダルは取れなかったけれど、思い通りの演技ができて満足の真央ちゃんと、金は取れたけど不満足のユヅル君。アスリートやなぁ。ユズルクンのコメントは
優等生すぎて面白みに欠けると思うけど(町田なんとかしてくれ〜)、あの大地震を乗り越えたからこその発言だし、19才とは思えないほどの精神が円熟している。
19ですよ、19。高校卒業したばっかりですよ!普通なら大学で合コンに励んでいる年ですよ!
フィギュアスケートは海外では不人気だそうで、オリンピックも空席が目立ってましたが、こんなドラマみたいな結末を見せてもらって、本当にありがとう!
演技終了後の信夫先生の表情はまるで映画のようでした。
たぶんアイスショーで真央ちゃんを見に行く人たちは、ずっとこの大会のことを胸に刻んで見に行くと思う。付加価値ついたね(いやねぇ、おばさんって)。
エキシビションの「スマイル」。オリンピックでどういう結果が出てこの曲で演技するのかな〜と思っていましたが、最高の「スマイル」でしたね。ううっ。さらに涙腺崩壊。
さて4年後、私はどこで何をしているのか。4年前、真央ちゃんから涙腺ズタズタにされたっけなと思いながら平昌オリンピックを見るんだろうな。
そして「パワハラで辛かったな」と、パワハラを過去にしてしまるようになっていればいいな。
■ 2014.2.9【職場のハラスメント】
現在私は職場でパワハラに遭っているので、なるほど、確かに大変なものだなぁとしみじみ思っています。家庭のモラハラは問題のある加害者によって、故意、または無自覚によって家族を痛めつけますが、職場の場合はもうちょっと複雑かもしれません。加害者に問題がある場合は、相手が代わろうと加害者の性根は変わりませんので、同じようにハラスメントを行います。これは職場も変わりません。「あの人がここに異動」となったとたん、その課は厳戒態勢をとります。人格に問題のあるパワハラ加害者の場合、大勢を敵に回さず、ひとりをターゲットにして徹底的につぶしにかかるのが特徴です。
職場の場合、確かに同僚たちは同情もしてくれるし、なぐさめてもくれる。これを私は今まで書き物、講座などで「家庭モラハラと違って理解してくれる人がいるから職場の場合は楽」と言ってきましたが、今回訂正しなければならないと思っています。なぐさめや同情は根本的な解決策にはなりません。同僚たちは遠巻きに気の毒そうに見てはくれますが、明日もビクビクとハラッサーの顔色を伺いながら仕事しなければならないことに変わりはないのです。
ただ私の場合、私がハラッサーの習性を知っていること(行動の理由を知っているから自分を責めることはない)、究極の対応策を知っていること(離れるしかないこと)、守らなければならない家族がいないことが大いに役だっています。もし、私がこの職場にしがみつかなければならないと思っていたら、こうはのんびりと構えてはいられなかったと思います。「知識は力」ですね!
ローンを抱えていたり、子どもの学費にお金のかかったり、母子家庭で母親だけが収入源の人は本当に大変ですね。大きな職場だったら異動願いという手段もありますが、少人数だったり、家族経営だったりする場合は,叱責されても大いに恐縮したフリをしてあっかんべーをするか、心が壊れる前に辞めるしかないかもしれません。
東京に転居して5年。また転機かなぁと思っている今日この頃です。
■ 2013.12.29【モラ夫はケチ夫】
ケチな人と一緒に暮らすとどんなモラハラよりも大きなストレスを感じるように思います。電気の使い方、水の出し方に始まり、食材の使い方や
物の買い方と何から何まですべて我慢し、緊張し、せせこましい生活を強いられます。自分から進んでするわけではなく強要されるわけですから、
体調が悪くならないわけがない。なぜにあそこまでポイントカードに執着するのか、ポイントカードなんて世の中から無くなって
しまえばいいと思っていました。
■ 2013.11.24【モラルハラスメント】
そしてついにテレフォン人生相談にモラルハラスメントが登場。この番組が放送している時間帯は仕事をしているので聞くことができないのですが、親切な方がYou-Tubeにアップしてくださっています。余談ですが、
ニコニコ動画はいつの間にかプレミアム会員でないとほとんどのものが見られなくなっているのにこちらはオールフリーです。ありがとう!You-Tube。
さて、モラハラの回はこちらです
今期私のイチオシ。
ユリア・リプニツカヤの「シンドラーのリスト」
■ 2013.9.13【遺産相続を考える】
お断りしておきますが、私も出自がどうあろうが、生まれた子どもはすべて平等だと思っています。このことはまったく意義あるものではありません。
ただ、今回問題になったのは遺産相続です。そのことについては「は?」という思いがあります。
父親が亡くなったときには配偶者に1/2、残りの1/2部分を
嫡出子だろうが非嫡出子だろうが子どもたちが均等に分けなさいよ、というのが今回の判決でした。今までは非嫡出子は嫡出子の1/2しか権利がありませんでした。
これは法の下に平等ではないから違憲だという判決がでたのです。確かに子は生まれる場所を選べません。同じ親を持つ子なのに生まれた場所で差があるのは
おかしいと思います。ただ、首を傾げたくなるのはこれが遺産を扱った裁判だったことです。
■ 2013.8.24【湯島の思い出 2】
夕刻ホテルに着くと、フロントで観光名所が書かれた地図を渡されました。それを見ると近くに「交通博物館」があります。
夫に地図を見せ、「ほら、近くに交通博物館があるわよ、ここならこれから行っても1時間は見られる。子どもが喜ぶわよ、きっと」と
夫に言うと、夫はじっと地図を見て、ポイと投げ出すとシャワーを浴び出しました。
「ダメか」と荷物の整理を始めていると、浴室から出た夫は
外に出る支度を始めました。「どこか行くの?」。
夫は無言で支度を続けます。「行くぞ」と声がかかるとわさわさと夫の後をついて行かざるをえません。
いったい夫はどこに行くのか?
聞いても無駄なことを知っていますから、何も言わずについていきます。途中の坂道で大きなゴキブリがいるのを見つけ
子どもたちとキャーキャー言いながらもついていきました。というか盛り上げねば夫の機嫌が悪くなるので、楽しいとアピールしなければなりません。
黙々と歩く夫の後を歩いて20分。到着したのは湯島天神でした。あの、入学試験の頃には受験生がわんさか押しかける神社です。お参りには年配の観光客が多いとみえ、
周辺には団体さん専用のような飲食店もあります。夫はスタスタと神社の中に入っていくと、感慨深げに梅の木を見上げています。
夫の目的はこの「湯島の白梅」を見ることだったのだと気づきました。寛一お宮です。古いものが好きな夫は観光地図に湯島天神を見つけ、湯島の白梅を見てみたかったのでしょう。
でも、湯島の白梅は、小さな子どもを連れて行くところでしょうか。もし自分が見たかったら「俺は湯島の白梅を見たいからこっちへいくけど、お前たちは交通博物館に行ったら?」でも
いいし、日が落ちるのが遅い夏ですから、交通博物館に行ってからひとりで来てもいい。明日の朝早く来てもいい。こうやって夫はいつの旅行でも自分の趣味に家族を巻き込みます。
何より到着するまでどこへ行くかわからない、言ってもらえない、黙ってついていくしかないこの家族の形は、今考えると異常だったなぁとつくづく思います。
■ 2013.7.15【湯島の思い出 1】
あれはまだ上の子が小学校に入ったばかりのことだったと思います。夏休みに家族旅行で東京に行きました。いつも京都旅行
ばかりで、子どもたちにとっては初めての東京でした。宿泊はお茶の水。私の会社の指定ホテルだったので安く泊まれると
いうのが理由です。とにかく旅行はできるだけ安くあげなければなりません。新幹線も指定券はとらずに自由席に乗ります。
「ダメだ、乗れない」。私は諦めました。彼が何をしようとしているのかはさっぱりわかりませんが、
聞くこともできません。聞いてご機嫌を損じたら「帰る!!」と言い出しかねないからです。
篤志家の方のご寄付により、IPADを手に入れました。よって夜起動したとたんスキャンや更新プログラムが始まり、1時間以上まったく仕事が
できないということは無くなりましたし、出先でも掲示板チェックができるようになりました。違反書き込みもサクサク削除できますv(´∀`*v)
ご寄付くださった方に、心より御礼申し上げます。
また、アマゾンや楽天のリンクからお買い物をしてくださるみなさま。本当にありがとうございます。
活動資金として大切に使わせていただきます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
■ 2013.7.8【新刊と講座】
■ 2013.5.4【自分の居るところ】
私はモラ夫とは離婚はしなくてもいいけど別居はした方がいいと思っています。特にお子さんのいる方はそうした方がいいと思います。なぜなら「あの時に
きちんと別れていたら」という方が大勢いるからです。
離れられない理由を正当化させるために「私が夫を怒らせないようにすればいい」「私がダメだから(夫は無視をする)」と手っ取り早く
自己責任にして完結させてしまう人がいます。そうすることで何もかも片付くならそれでいいと思ってしまう。本当にこの習性はよろしくないなぁと思います(私もそうでした)。
そして「○○さんち、離婚したら子どもが不良になったんですって」「子どもが泣いてたんですって」と、自分にとって都合のいい話に飛びつきます。
「だから離婚したらダメなのよ」と自らを肯定します。ダイエットできない人が「少し太っていた方が長生きなんですってよ」と、太っていることは好ましいという話題に
飛びつくのと一緒です。
自分にとって好ましくない情報から目を背けたくなる気持ちは私もよ〜くわかります。ただ、それによって先延ばしされたことが、大きく自分と子どもの運命を変える
ことになるかもしれないことだけは覚えておいた方がいいと思います。自分にとって好ましい言葉をちりばめた本を読むよりも、未来を変えてくれる本を読む勇気をどうぞ
持ってください。
■ 2013.3.24【それぞれの春】
春だ桜だと東京は騒がしくなっていますが、北の方ではまだ雪や寒さと戦っておられるのでしょう。東京の植物は12月に葉を落とし、
3月には咲いてしまうから睡眠時間が少ない。北では10月にはもう紅葉で花が咲くのは4月ですから、ある意味ゆったりと
寝ていられる。
先日、渋谷駅が大きく変化したと、朝からお昼から夕方から夜からずっとそのニュースでした。確かに乗降客が多い駅ですが、それって
東京だけの話でしょ。ここまで大騒ぎする必要があるのかしらん。何だか東京だけが一人歩きしていて、東京からしか情報が発信されなくて、
地方は置き去りなのは、どうもしっくりこない。
DV支援も大都市圏はそこそこ支援を受けられるし、民間グループも自助グループもある。でも、地方はまだまだそこまで行かない。
被害者自身も狭いコミュニティに縛られているから、相談に行っても知り合いに会うかもしれない、相談員が知り合いの知り合いかもしれない、
ということで、なかなか相談にも行けない。相談される側も非常勤や嘱託といった不安定な身分の人が多く、慣れる前に
期限切れだったりします。男女参画関係はこの不安定な身分の人が多く、「雇い止め」という言葉が普通に飛び交っています。
本当に心から被害者と向き合っていて、それなりに成果をあげていても「来期は来なくてもいいです」と言われます。
正規職員は2〜3年で異動してしまうし、この分野は嫌われていてここに異動が決まったらすぐに異動願いを出すという人もいるそうです。
国は「各自治体にまかせています」と言うし、都道府県は「各市町村にまかせています」と言う。で、まかされた市町村は少ない人員、
予算で何をしましょという感じ。雇い止め、何とかなんないかなぁ。
■ 2013.2.9【卵が先かニワトリが先か】
■重要■
派遣法改正により、下記に該当されている方のみ応募可能となります。
A 学生の方
B 世帯収入 年間500万以上の方
C 年間収入 500万以上の方
D 60歳以上の方
該当される方は、A〜Dを記載の上ご応募下さい。
もちろん継続的に安定した雇用があるのが一番ですから、そうしろよというお上の言い分はもっともで
本当はありがたいものなのかもしれませんが、だって、1日だけのスポットですよ。継続するような
内容の仕事じゃないですよ。
これ、派遣会社はどうやっていくんだろう?たぶん裏道があるような気はするけど。
どっちにしろ、これをされると臨時収入を絶たれたウチみたいな人たちは、本当に困るんですけど。
■ 2013.1.19【モラハラ被害者同盟10周年】
そして10年後。おばちゃんは田舎から都会に引越していました。そこで10年前と同じように、こたつテーブルの上に乗せたノートパソコンの
キーボードを叩いています。ただ大きく違うのは、そこはひとりではなく、大勢のモラハラ被害者の方や、卒業していった方がいることです。
■ 2012.12.31■【今年のしめくくり】
私は11月、快晴の青山・表参道を「DV・暴力被害者の参加するパレード・むらさきロード」のみなさんと行進してみました。50人くらいの人が
紫の何かを身につけて行進する、毎年行われるフェスティバルです。何か紫のものと言われてタンスをかき回しましたが、それらしき
ものがなく(ああ、若かりし頃紫に凝っていた時期があったからいろんなものがあったのに)、オレンジでも可ということで
オレンジのポロシャツで参加。私はよく誤解されるのですがあまり目立つことが好きではないのです。誰からも振り向いてもらえない
野に咲くひなげしのようでありたいと思っているのに、いつも気がつくと先頭で旗を振っているのはなぜでしょう???
というわけで、今回も「あ、これ持ってください」
「はいはい」と大段幕を持ち、「これ身につけてください」「はいは」といろんな紫のものを身にぶらさげ、おまけに風船まで持って
私、一番目立ってるじゃん、もしかして。でも青空の下、堂々と青山通りを歩くのはいい気持ちでしたよ。仮面つけたから(あの仮面舞踏会で
つけるようなやつ)こちらからはあちらがカメラを向けているのはわかるけど、私の身元はわからないし。楽しかったです♪
交通や宿泊にかかる費用を出してくださった枚方市さんには本当に感謝です。何しろお声がかからないとお話しすることもできないので。
■ 2012.10.28■【孕む性と孕ませる性】
さて、私がいたく感動、感心したのが標題にあります「孕む性と孕ませる性」です。お書きになったのは一橋大学の宮地尚子先生。
これを読んで「そうよ、そうよ、そーなのよ!」と,誰もいない部屋でひとりスタンディングオーベーションをしました。あまりに感激したので
周りの人に「すごいのよ〜、いいのよ〜、読んでみて、読んでみて」とむりくりお勧めしましたが、反応が良くない。理由は
「あまりに過激だ」とのことです。え?これのどこが過激なんだろうか。私の理想そのものなんだけど。
昔々、「暮らしの手帖」で食器洗浄機のテストをしたところ、ひどい結果が出たんだそうです。
その記事はこちら。
その頃「暮らしの手帖」は絶大な信頼を得ていて、「食器洗浄機はトンデモ商品」というレッテルが貼られてしまったそうです。
これに懲りたメーカーはその後、食洗機の開発に手をつけられなくなってしまったという新聞記事を読んだことがあります。
ところが年月が経つにつれ「食洗機が欲しい〜」という人が続々出てきた。それは夫婦で働く家が増えるにしたがい、家事を分担する男性
が出てきたことだそうです。需要があれば供給がある。研究が進み今のような食洗機ができたということなんだそうです。
つまり「女がすなる食器洗いといふものを男もしてみむとてすなり(渋々)」ということになって気づいたことは「料理はやってみるとソコソコ面白いけど、後始末は苦役」ということになったのでしょう。ワカル、私も
苦役以外の何者でもないと思うもの。この世で食事の後片付けぐらい「苦役」という言葉があてはまるものはないと思います。
つまりこの世の中、「男が女の仕事をしてみれば、科学は進むのだ」ということ。
出産という仕事を男もしてみれば、医学は進むのだ。だけど残念ながら男にはその能力がありません。ならば、その苦役の気持ちだけでも男性に
してもらえば、「ああ、妊娠・出産ということはこんなに厳しいものなのか」とわかってもらえるのではないかと私は思うのです。
と言うと、必ず「あら、妊娠はステキなことよ。楽しいわ」という人が必ず出てくるもの。楽しいか?ゲーゲーつわりのどこが楽しい?
水も飲めなくなって入院する人もいるのに自分がそうじゃなかったからと言って知ったふりをしないで欲しい。「こうやって苦労して
子どもを産んだと思うと喜びが増す」という人はエライ!私はマゾじゃないので苦しいのも痛いのもイヤですときっぱりと言う。
食事が制限されるのもイヤだ、行動が制限されるのもイヤだ、毎日船酔いのような悪阻もイヤだ、着る服が制限されるのもイヤだ、
好きなお酒が飲めなくなるのもイヤだ、何かアクシデントがあるたびに「はっ、お腹の子は大丈夫だったか」とハラハラするのもイヤだ、
出産の痛さがイヤだ、その後遺症に一生苦しむのもイヤだ(痔は出産の後遺症でなる人が多い。男性より女性の方が多い。足の静脈が浮き出ている
お年寄りは多いですよ)とにかく何もかもイヤなのだ。それを男性はまったく意に介さず、まるでキャベツ畑でひょいと拾ってきたかのように
「できたんだよ」と言っているのが許せない。
せめてこの論文にあるようなことを男性に科したら、少しはすこ〜しは世の中が変わると思うんだけど、いかがなものか。
「絶対に無理」ではありません。「孕ませた証明をする」なんて簡単なこと。昔は女性は投票権がなかった。「女に投票させるなんて
考えられない」と言われていた時代もあったんだから、「孕ませ証明」なんてやろうと思えばできると思うのだけど。
「孕む性と孕ませる性」全文はこちら
■ 2012.8.26■【結婚したら片目を閉じて】
「怒鳴られたんです」
「それで?」
「頭にきたから怒鳴り返しました。怒鳴られたからモラハラですよね」
怒鳴るのがモラハラなら、怒鳴り返したあなたもモラハラ加害者でしょ。
夫婦生活をやっていれば、ケンカはするでしょ。その中で怒鳴ることだってあるでしょ。無視することだってあるでしょ。
それを「怒鳴ったから加害者」と言ったんじゃ、本物の被害者の方に申し訳がたちませんじゃないですか。
どうも夫婦ゲンカの腹立ち紛れに掲示板に書き込んでいるんじゃないかしらと思えるような方もいますね、時々。
モラハラの認知が広がっているのに理解が進まないのはどうも「あれもモラハラ、これもモラハラ。世の中モラハラばかりと
いうことは、取り立ててさわぐことでもない」ということになってしまっているんじゃないですか?ちょうどうつ病の認知が広まったら
新うつ病がまん延してきたのとすごく似ていると思ってます。
「夫婦・カップル板」を作ったのは、今の世の中、届けをしていなくても一緒に住んでいる人、事実婚の人などいろいろいるから夫婦だけでなく「カップル」も
入れました。ところが不倫関係の書き込みが相次ぎ、この関係の書き込みはご遠慮するよう禁止令を出しました。こちらは真剣におつきあいして
いたつもりでも、相手は遊びであることがこの関係はよくあることだからです。
そして今回は結婚していない関係で「相手が冷たくなった」「離れていった」方に関してもこれを適用しようと思っています。
理由は不倫関係と同じです。恋愛関係において「相手の言うことを聞くようにマインドコントロールされていた、モラハラだ」はないと思う。
恋愛におけるマインドコントロールとモラハラのそれはまったく違います。気にいられたいから何でも相手のいうことを聞く、いいなりになる。この時点では内容によってはモラハラも
あるかもしれません。ですが、急に相手が冷たくなってから「私はマインドコントロールされていた、モラハラを受けていた」はないと思う。
人は心変わりする動物なのですよ。最初は真剣でも後からイヤになることもあるでしょうし、最初から遊び目当てでつきあったのかもしれない。
それを相手が冷たくなったからモラハラを受けていたと言われたら、「それはちょっと違うぜよ」と私は思っちゃう。
もし相手に多額の金品を巻き上げられていたり、体に傷をつけられていたら警察に行ってください。立派な犯罪です。
もし結婚の約束をしていたなら、「婚姻不履行」ですので裁判所に訴えましょう。
傷もなく多額でもないお金や時間(20年とかだったら本当にお気の毒だなぁ、いるからなぁ)だったら、諦めましょう。
これで解決するしかないと思うのです。騙されたと気づくことは怒りと悲しみでパンパンでしょうが、モラハラ加害者と結婚して
その先何十年もつらい思いをすることを思えば、早く別れられてよかったと思った方が精神衛生上よろしいと私は思うのです。
そして高い勉強代を払ったからには、次に生かすことを考えましょう。
マインドコントロールが結婚してから解けて、「はっ、なんで結婚したんだろう」って思う人はたぶんものすごく多いと思います。
だから「結婚前は両目を開けて、結婚したら片目を閉じて」といわれるんでしょうね。
とりあえずググったら出てきた掲示板
■ 2012.8.12■【money,money,money】
さて、生きていくにはお金が大事。これ、常識。お金がなくて脱出できない人が山ほどいますので、ここは
気合いを入れて書きましょう。
さて、夫婦の絆に一番大切なのは愛(えっと、スレたおばさんには遠く彼方から聞こえる)、そしてギリギリよりも
少し多いお金、です。世の中にはお金がなくてもドーンとかまえていられる人がいますが、私はダメですね。
ギリギリでもダメ。1年くらい働かなくても生きていける貯金がないとダメ。もし、貯金がその額を下回ったら、速攻で
焦ります。そういう性格です。たぶん1年間で必要と思われる額はそれぞれバラバラ。1月109万円必要な
人もいれば5万円で生きられる人もいる。私は後者ね。
でも世の中には1週間生きられるお金があれば悠々としていられる人もいます。これは性分ですからいいとか悪いとかの
問題ではありません。
このふたりが結婚したらどうなるか。1年分の余裕金がないと夜も眠れない人と、とりあえず1週間分あればいい人が
生活費を巡って大騒動になるのは目に見えてます。
我が家はモラハラ生活ではありましたが、こと経済に関する意識はぴったりでした。ただ、夫は自分が必要と思わない
お金は絶対に使いたくない人、たとえば私が着る服は必要ないので「買う必要のないものは買わなくていい」という人です。
世の中の本当にケチな人はどんなときでもお金を使うのがイヤなのです。使わないで貯めるという人もいますが、
使うことに罪悪感がある人もいます。人とのつきあいがあるからお金は出すし、一緒に旅行に行ったりはする、でも
本当はお金を使いたくないから行きたくない。これはたぶん生育歴から来るんだろうなと思います。
私は本当に必要と思われるときにはガンガン使います。ここまで使うかというくらい使います。使うからには貯めます。
お金の使い方で最もいけないのは「何に使ったかわからないけど、なくなった」というものです。「冷蔵庫を買った
から今月は苦しい」はヨロシイ。冷蔵庫は必要だったから買ったわけですから、ヨロシイ。でも、ちょっと買い物に行って
買う予定じゃなかったけど、なんだか気にいったからついでに買ったはイケナイ。お金はこうやって逃げていくんです。
自販機で飲み物を買ってはいけません。お昼は必ずお弁当持参。外食は敵だ。服はリサイクルショップのみ。電車は2駅歩く、極力自転車を
利用する。半額シールのついていないものは買わない。20%オフのシールはギリギリOk。10%オフだったら買わない。
出て行くお金をできるだけセーブするには日頃から無駄な出費を抑える癖をつけておくことです。
でもこれをやりすぎると、前述のようにお金を出すことが苦痛になりますから、何のために貯金するかの目標を作ること。
子どもの教育資金を毎年20万円ずつ貯めるでもいいし、50万貯まったら脱出しようでもいい。
子どもと外出して言いなりになってマックに入ったり、自販機で飲み物を買ったりしているうちは、いつまでたっても
フトコロはは厳しいままですよ〜。
■ 2012.6.20■【病院について-その2-】
さて、よい病院の見分け方ですが、精神科には検査器具もなければ医療器具もありません。椅子がふたつあれば開業できる
のが精神科。お話しだけ聞いても「点数」にはなりにくい。ならばどうやって医者は儲けるかと言えば「薬をだす」です。
5分診察して山のように薬を出せば儲かります。私の「家庭モラル・ハラスメント」を読んでくださった方はおわかりでしょうが、
私には薬は出ませんでした。必要がなければ薬は出ないのです。同じように「モラル・ハラスメントブログ」
そして、リファレンスに報告してくださった方の中には「大変だったけど、人生これで終わりじゃないからね」と励ましの
言葉をかけてくれたという方もいました。病は気からといいますが、精神科も医師の言葉が何よりの薬になります。「DVもモラハラも
よく知らないけど」と言いながら的確な言葉を書けてくれる方は仁術をご存じなんだろうなぁと思います。
■ 2012.5.27■【病院について-その1-】
丁度パブに心療内科で二次被害に逢った方の書き込みがあったので、ちょっとここに書いておきます。
私は「モラハラリファレンス」で病院の紹介をしています。いままで長い間紹介をしてきたので、沢山の
精神科、心療内科の実態を知ることになりました。その蓄積の一部をご紹介します。
■ 2012.4.3■【Hope-希望-】
3月18日(日)、東京渋谷のウェスレーセンターで「届け!当事者たちの声 自らのストーリーが生みだす力」と題したシンポジウム
がありました。これはDVや性暴力被害を受けた被害者が、自らの体験を語って支援の輪を広げたり、シングルマザーを支援する
団体を作ったりするなど、社会に向かって声を届けている人たちがパネラーとなったシンポジウムでした。
私にもお声がかかり、パネラーとして出席させていただきました。他のパネラーの方たちはこの道では大きな実績をあげている
方たちの中に、なぜか私がポツリと入っているので「何で私が呼ばれたのでしょうか?」と伺ってみたら、「ネットというメディアを使って
被害者の声を伝えているから」というお答えでした。なるほど、そうですか。ありがたい。呼んで下さってありがとうございました。
さて、その会場で私にお声をかけて下さった方がいらっしゃいました。小さなお子さんを連れたその方は、今モラハラ裁判をしているそうです。
そして「私も栗きんとんです、栗きんとん」と仰ったので、「は?」と聞き返したところ、「WINDに書いていた栗きんとんのことです」。
「そうです。あれを読んで私もがんばろうと思って。いつも栗きんとん栗きんとんって思ってるんです」
人間、何が幸いになるかわからないもんですねぇ。何気なく書いた「栗きんとん」が人を励ますことになるなんて。
「脱出まで毎日モラハラ被害者同盟の【Hope-希望】を見ていた」
栗きんとんも誰かの希望になっている。
サイト、続けてきてよかったっす(涙)
■ 2012.2.24■【心理チェック】
いつだったかテレビを見ていて、こんな心理テストがありました。
家にあなたはひとりでいます。
一斉に次のことが同時に起こりました。あなたは一番最初に対処するのはどれですか?
2,インターフォンが鳴りました、誰か来たようです。
3,お風呂の水があふれたようです。
4,赤ちゃんが泣き出しました。
5,トイレが我慢できない
私は電話です。私は電話が延々と鳴っているのががまんできません。
とにかくどんなことをしていても、電話が鳴ると走っていきます。だって、赤ちゃんが泣くなんてよくあることで、
おむつ換えが何分遅くなっても命に別状があるわけでなし、トイレも破裂しそうな時だって1分くらいはがまんできるし、
お風呂の水があふれても、「ま、いっか」だし、私に用事のある来客なら前もって電話があるはずで、いきなり来る
なんてセールスに決まってるし、友だちだったとしても、何回かならすだろうし、その間に電話に出て、誰からの
電話か確かめられるから、だから電話。
赤ちゃんは「恋人」
お風呂の水は「お金」
インターフォンは「友人」
トイレは「自分」
そして、「電話は親」だそうです。
え〜、私は親が一番大事だったんだ〜〜、って、ないけど(^^;)
親が大事というよりも、親の重圧を受けているとは思います。こうやって心理チェックをすると
それがどんなに重圧かがわかりますね。
■ 2012.1.3■【年の初めの日々雑感】
みなさま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
年末からアクシデントがあり、まったくお正月ではない時間を過ごしていました。お雑煮も食べてません。きっと
2012年のお正月は後々まで我が家の語りぐさになるでしょう。
■ 2011.12.7■【モラ母】
ご無沙汰している間に新刊「母を棄ててもいいですか?支配する母親、縛られる娘」が発売されました。
2年もかけて書いた割にはあっさりしているような気もしますが、私が書ける母娘物といえばこういう書き方しかできなかったので、違う物を
期待されていた方はゴメンナサイ。
いろんなモラ母が出てきて、本当にそんなことがあるのか!というものや、「あるあるある〜、ウチとおんなじ〜」というものも
きっとあると思います。とにかく読んでいただいて、痛みをわかちあってもらえればと思います。
■ 2011.10.18■【おかあさん、怒らないで】
この間、駅で電車を待っていたときのこと。かなりきれいめの背の高いお母さんがベビーカーの隣に立って、4歳くらいの女の子を
叱りつけていました。ベビーカーに乗っていたのは1歳半くらいの女の子でどうやら姉妹のようです。
ふたりともしゃれた服を着て、髪もきれいに結ってあります。
”あ、お母さん、お母さん、靴の左右の履きわけはめっちゃ難しいっすよ。私だってちゃんと履けるようになったの、小学校2年くらい
でしたもん”(心の声)
「何回間違えたら気が済むの!?△だって(どうやら下の子の名前のよう)ちゃんと履けるのに恥ずかしくないの?!」
女の子はうつむいて足をもぞもぞ動かしています。お母さんの小言は延々と続き、電車に乗ってからも止まりません。
「なんで間違うの?!信じられない!?」「何度教えたらわかるの!?」
たぶん私がこの親子と会って電車に乗って15分は経っているでしょうが、ずっとお母さんは叱りっぱなしです。ついに女の子は下を向いて
泣き出しました。それでもお母さんの小言は止みません。
というわけで読んでね♪
これ、好きだなぁ〜。チャッキリスの踊りがまるでジャニーズみたいで。
ジャニーズっても、嵐でもカトゥーンでもTOKIOでもなく、初代ジャニーズっすよ。あおい輝彦とかのいる(いつの時代かよと自分で突っ込んでみる)
■ 2011.9.4■【イーストウッドに夢中!】
11月に母親からのモラハラを中心に書いた新しい本を出すことになりました。このテーマで書きたい書きたいと思っていたら
企画を拾ってくださるありがたい出版社がありまして、日の目を見ることになりました。その企画をあげたのがなんと2年前の秋。ここまで
引っ張ったのはひとえに私の筆がなかなか進まなかったからであります。「家庭モラル・ハラスメント」はちゃらららったらーと書き上げ
たのに、今回は苦労しました。苦労したんだから満足感があるかといえばそうでもなく、ただただオノレの文才のなさをひたすら恥じる
ばかりです。でも努力賞ということで出版されたら読んでくださいね。
#同時期マカロニウエスタンに出ていたジュリアーノ・ジェンマって、今何しているんだろ。
いやぁ、映画ってほっんとうにいいもんですね。
■ 2011.7.18■【下流の宴と専業主婦】
毎週火曜日にNHKで放送している「下流の宴」は明日が最終回です。ドラマはほとんど見ることがないのに、この番組だけは
欠かさず見てました。先々週の翔くん、かわいそうでかわいそうで。母の由美子が翔の姉の結婚相手に「翔は医学部目指して浪人中」とウソを言ったために、それに
合わせさせられて、それでも責めるでもなくじっと耐えていて。え〜、かわいそう。
■ 2011.6.7■【下流の宴】
去年この本を読んだのは偶然でした。図書館から「リクエストの本が入りました」の連絡があり、「あれ?リクエスト
なんかしたっけな?」と思いながら図書館に行き、手渡されたのが林真理子の「下流の宴」。こんなタイトル、聞いたこともない。
私は「ルンルンを買っておうちへ帰ろう」の頃から林真理子のエッセイは好きで読んでます。さすが元コピーライター、何気ない一行に
ぐさっとくるセリフがある。でも、小説はほとんど読んだことがありません。だいたい去年は大仕事をしていて、小説なんか読んでいる
時間はありませんでしたから、リクエストなんかするわけがない。わけはないがなぜか借りなきゃいけないみたいだから借りよう、借りた
からには読もうと読んでみました。
■ 2011.5.22■【想定内】
この頃の未婚の女性は専業主婦志望なのだそうです。ちょっと前までは「仕事も家庭も」という人が多かったので
「あれれ?意識の後退?なんで?」と思いますよね。
新聞や雑誌によると「結局オトコは家事はやらないか、やってもお手伝い程度。結局女が家事と仕事できりきり舞いしなきゃいけない
んだからソン!だから専業主婦」とか、「仕事つらいしぃー、やめたいしぃー、専業主婦すりゃいいんじゃね?」ということらしい。
典型例:「42歳。夫のモラハラで離婚したいです。でも経済力がありません。結婚前にちょっと働いていましたが、何の資格も技術もありません。
子どもがいるので仕事をしないと生活できません。パソコンはネットを見られる程度。体が弱いので立ち仕事は無理です。
人とうまく話せないので営業とかも無理。これからパソコン教室に通って事務の仕事をしたいです。」
何より「働きたくないから専業主婦」という、その根性が気に入らないのだ、ワタシは。
私は実の親から散々「誰に食わせてもらっていると思ってるんだ」と言われて育ったので、養ってもらうことの惨めさは嫌と
いうほど知っています。
夫が失業することもある。モラ夫に豹変することもある。
これだけ情報が売るだけあって、知らなかったとは言わせない。リスクは充分想定できるはずです。「事故なんかあるはずない」とリスクを
見ないふりするのはどこかの誰かと同じ。
専業主婦になってもいいけど、何かあったとき世の中に責任転嫁しないでねと、ぶつくさため息をつきながらオバサンは思うのであります。
■ 2011.4.10■【風評被害】
今回の地震と原発事故で日本から脱出する外国人がとても多いそうです。そしてやってくるはずの外国人観光客が8割から9割減っているそうです。
実は我が家では、今月子どもと一緒に格安ツアーで温泉に行く予定でしたがどうにも行く気にならずキャンセルしたかったのですが、
これでキャンセルしてしまったら観光地の方たちが困るだろうなぁ、でもなぁと、思いは行きつ戻りつしていたら、旅行会社
の方から「中止になりました」の連絡が。何だかほっとして「また申し込みますからがんばってください」と、電話にペコペコ頭を下げました。
世の中桜が満開で、計画停電もなくなり、私たちは普通の暮らしをしているのですが、海外のメディアは津波と原発のニュースを
かなりセンセーショナルに流しているようです。それで津波に関しては多くの励ましや祈りが寄せられているわけですから、しかたの
ない部分もありますが。
それとも逃げようがないから気にしないようにするしかないんだろうか。
■ 2011.1.29■【オペラ座の奇蹟】
一昨年パリに行ったときのこと。たまたま知り合った日本人女性の方から「熊谷さん、オペラ座でオペラかバレエを見ない?」と言われました。今回の旅行ではその計画はなかったので「う〜ん、特に考えていないなぁ」と返すと、「オペラ座って中がすごいんですって。中を見るだけで10ユーロくらいするのよ。私はバレエを見ようと思ってるんだ。言葉がわからなくても大丈夫だし。パリに住んでいる人から『チケットは一番安いやつを買って入って、始まる直前に空いている席に移動すればいいんだよ』って聞いたの。そうしようかな〜」
「何のチケット?」「ジゼルさ」
知らなかったのか?とでも言いたげに大きく手を広げてチケットを見せびらかしました。
え?ジゼル??オペラ座でジゼル?!これは見ねば!
え?なんで〜、まだそんなに時間が経っていないのになんで〜?!
トボトボと出口からでるとダフ屋がいました。目が合いました。
「いくらよ」「50ユーロ」ほぉ〜らとにこやかに言うおっさんが憎たらしい。「いい席だよ。ホント」と言いますが、ダフ屋が売る席がいいはずがない。とは思ったもののともかく中に入るには方法はそれしかない。なけなしの50ユーロとチケットを交換し「メルシィ〜マダァム」という彼を蹴ってやろうかと思いつつ、表門に向かいました。開場までにはまだ時間があります。チケットに書かれている金額は10ユーロ。おっさん、アコギな商売するやんけ。
さて、私の席はどこだろうと探して階段を昇りましたが、わけがわからず席案内のツンとすました金髪のおネエさんにチケットを見せると、さらにツンとして「ついてこい」と合図します。ホント、フランス人ってお高いんだから。ズンズンと歩いてドアがずらっと並んでいるところに行きました。おネエさんはそのドアのひとつを開けるとアゴをしゃくって入れと合図します。そこは「バルコニー席」でした。え?え?なんで10ユーロ(当時のレートで1350円)でバルコニー席なわけ??
バルコニー席とは壁から突き出たところにある貴賓席のようなところです。よく天皇家なんかはそこから観劇されてたりしますよね、あれです。中は6畳くらいの広さのところに椅子が2列に3席、合計6席並べてありました。ぼーっとしているとお高いおネエさんはその一番後ろの席をチケットでぽんぽんと叩いて「フフン」という表情をして出て行きました。一番後ろの席に座ると、舞台は上の方だけ、それも1/10くらいしか見えないのです。立って壁にへばりつけばなんとか舞台の1/3は見えるかなという感じです。なるほど、それが10ユーロの席なわけね。しっかり納得しました。
「あの〜、これ、私にくださるんですか(←もちろん日本語です)」ボディラングリッジで聞くと「ウンウン」と頷きます。「え〜〜〜〜!!!」心は昇天。
荷物を一番前の席に持ってきて座ります。なんと見晴らしのいいこと。舞台は丸見えです(当たり前だけど)。チケットは67ユーロでした。オペラ座でジゼルだ〜。なんて素敵な組み合わせ。「白鳥の湖」より「ジゼル」の方が絶対にイイ!
下の席はぎっしりと埋まっていて1席も空いていません。あの彼女の言った「10ユーロで入って席を換える」は絶対に無理でした。
■ 2010.12.31■【肉を切らせて】
お金はかなり出たが少し正月らしくなった。
そして、少しずつではあるが自分自身も進歩した。
いつまでも、この状態でいるつもりはない。
来年は田作り・数の子辺りもイケるように。
少しずつでも前進だ!!
■ 2010.11.28■【不倫が書き込みできないわけ】
人間ですから妻子ある人と恋愛関係になったり、夫がいるのにふらっと別の人に心を移したりすることはありえないことでは
ないと思います、というかよくあることだしあって当然だと思います。
私がそういう関係にある人たちの書き込みを禁じているのは、「家庭のある人と恋愛関係になりましたが、相手がこの頃冷たい態度を
とります。これはモラハラでしょうか」というお問い合わせについては、「それは遊び人がよく使う手です。なんだかんだと言い寄って
散々遊んでぽいっと捨てる。冷たい態度をとれは相手も諦めると思っているのです」という以外にお答えはありません。
こういう類のものをモラハラと呼んで欲しくないのです。モラハラを安っぽく扱って欲しくないのです。
■ 2010.8.6■【困った善人】
彼女の恋はやぶれ、新調したブラウスを脱ぎ、古い上着に着替えて店に戻りました。
この物語のように、はっきり迷惑千万だと言えるものならばいいのですが、本人が善人心満々でやっているだけに「迷惑です」と言えないことも
あるわけで。
■ 2010.6.12■【ボランティア】
■ 2010.5.2■【プレシャス】
■ 2010.2.15■【Oh ! Canada】
■ 2009.09.11■【アンの幸福】
その家の食卓はいつもビクビクしています。モラ夫がいつへそをまげて、家族全員無視を始めるかわからないからです。無視の方法も同じです。何を話しかけても聞こえないふり、見えないふりを延々と続けるのです。も〜、この部分を読んだらいたいたいた〜とうれしくなっちゃいました。100年も前に遠いカナダの島で書かれたものなのに、そっくりそのままのモラ夫くんがいました〜。娘は「おとうさんのご機嫌は今日はどうかしら」と常にそればかりを心配しています。このカナダモラはアンには優しいのですが、とにかくこの家はモラ夫の機嫌に振り回されている典型なのでした。
#共依存までいた。
「○さんの畑が荒れ放題で心配なのよ。×さんの子どもの行く末が心配。△さんの病気が心配。□さんの牛が心配。(手元に本がないので適当です。だいたいこんな具合)」と延々と心配事を語り続けるので、語られた方はぐったり疲れてしまいます。彼女は心配事語ることで気を晴らしているだけなのですが、「自分のことよりも他人の心配をしている私は聖女」と思っているので手がつけられません。実は私の母がこのタイプです。
転居して、ついに反旗を翻しました(笑)
私「大丈夫なわけないじゃない。失業して新しい土地で不況で仕事もなくて、大丈夫なわけないでしょ?」
母「・・・・・・」
私「お金がなくて困っちゃって」
母「・・・・・・」
心配はするけど、援助はしないようです(爆)実家はふつうのサラリーマンの平均年収程度の年金をもらっていて、お取り寄せグルメがごろごろころがっているんですけど。
私「気はいつもつけているけれど、事故は気をつけてても起きるものなのよ。明日車にぶつかって死なない保障はないもの」
母「でも、気をつけて」
私「だーかーらー、そんな約束できないって」
■ 2009.08.04■【生きる】
千葉市花見川区の団地で住民の洋服店店員、豊田愛子さん(61)が殺害され、次女の智美さん(22)が連れ去られた事件で、千葉県警が殺人と逮捕監禁容疑で指名手配していた住所不定、職業不詳、仲田敬行容疑者(28)とみられる男が23日、沖縄県内にいるのがみつかり、沖縄県警が身柄を確保した。智美さんは無事で、沖縄県警は男を仲田容疑者と確認、同容疑で逮捕した。身柄は23日中に千葉県警に移送される。
記事本文の続き 県警千葉北署捜査本部の調べによると、仲田容疑者は、7月18日午前9時20〜30分ごろ、同区花見川の団地で、豊田さんの首を刃物で数回切りつけ殺害し、智美さんを車で連れ去った疑いが持たれている。仲田容疑者が智美さんを車に押し込んだ現場近くの駐車場からは凶器とみられる刃物(刃渡り21センチ)が見つかっている。
仲田容疑者が犯行に使用した車は18日午後、栃木県の東北自動車道佐野藤岡インターチェンジ付近を走行していたことが確認されていた。
捜査本部などによると、仲田容疑者と智美さんは、今年1月に知り合い、交際を開始。一時期は同棲(どうせい)をしながら神奈川県内など各地を転々としていたが、仲田容疑者の暴力などが原因で智美さんは6月、豊田さん宅に戻っていたという。
しかし、仲田容疑者は執拗(しつよう)に復縁を迫って豊田さん宅を訪れるなどし、今月4日には、豊田さん宅から智美さんを連れ出し、車で1週間にわたって連れ回していた。智美さんは10日に愛知県内でコンビニエンスストアに駆け込み、愛知県警豊田署に保護された。
智美さんはその後、姉とともに千葉北署を訪れ、仲田容疑者のストーカー行為について相談したが、仲田容疑者は智美さんの居所を探し出そうとするなど、ストーカー行為は続いていたという。
■ 2009.4.23 ■【断る力】
勝間さんが女性のためのコミュニティサイト「ムギ畑」の中で私のサイトを勧めてくださっているのを見たのはもう2年以上前になると思います。その後勝間さんはまたたく間に超著名人となり、大活躍を続けていらっしゃいます。
ああ、今思い出してもはずらかしい。
「そんなぁ〜、私がいなかったらこの課はどうなるの!?」
私一人がする仕事なんかたかがしれている。
私の代替人なんていくらでもいる。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、「私の代わりなんていくらでもいる」というのは決して自分を卑下しているわけではなく、私はそんなにがんばらなくてもいいんだという、がんじがらめからの解放だったように思います。もちろんそれは「仕事をいいかげんにする」ということではありません。ただ、「己を知る」大きなきっかけになったことは確かです。あれもこれもそれも私の仕事ではなく、私でなくてもできる仕事ならあえてしなくてもいいやと、仕事を選ぶきっかけにもなりました。
もちろん断るにはそれができるだけの実力を持ち、その立場にいなければなりません。その権利を手に入れるには若い時にはガンガンとなんでもいろんな仕事にチャレンジして欲しいのです。
もちろん家庭ではモラ夫のいいつけを断るなんてできませんから。これはまた別の話で。
■ 2009.2.28 ■【受験と時計】
「は?なんで?時計なら教室にかかってるでしょう?」「ないと思う。だって、(滑り止めに受けた)私立の時、時計なかったもん」
「ええええ!!!ぇっ」
我が家に時計はないぞ!
もう夜11時を回り、翌日入試を控えた子どもの友だち宅は全員寝静まっているはず。ピンポンなんか鳴らせない。
「え〜い!○○宅へ聞いてみよう!」
上の子の友人宅へ電話をしてみました。
「あのさ、腕時計、ない?」電話の向こうでにやりと笑う気配がして「あるよん!取りにおいで!」
このお宅、私が「家庭モラハラ」に書いた、「気配がしたらすぐに逃げなさいよ!子どもを走らせなさいよ!」と言ってくれた人です。
「悪いねぇ。夜遅く」
駆けつけた私に、「これ、ウチの上の子がセンター試験で大成功をしたときのだから御利益あるよ」と私の手に腕時計を握らせてくれました。
その御利益時計のおかげか、子どもは無事に合格。その3年後、再び悪夢が。
「時計、動かないんだけど」
「またか!」
「どーしよーーー!」
翌日。10時過ぎの試験でしたから、コンビニに安い時計は売っていないかなと思いつつ、8時になるのを待ってご近所にある商店街の時計屋さんに電話をしてみました。
「お店、何時からですか?受験で時計を使うんですぅぅ」
「すぐに来てください」
時計を持っていくと「この○○○社の時計は太陽電池で動くんですが、あまり性能のよくない太陽電池で止まったりするんです。試験には持っていかない方がいいですよ」
「なんですと!」
もしかしてと予備に持っていった20年も使っていない私の時計の電池を交換してもらい、試験場に持たせることに。
「この時計はいい時計ですねぇ。今、売っている時計よりもずっといいものですよ。手入れさえすれば一生使えますよ」
さすがプロの時計屋さん。20数年前、清水からダイビングして買ったSEIKOの時計を誉めてくれました。それにしても子どもの中学進学のお祝いに買ってあげた時計が
「止まる時計」だったとは!
商店街っていいもんだなぁ。7時半からもうお店を開けてるんだ。
ほのぼのしながら子どもに時計を渡して受験場に送っていきました。みんなの後押しのおかげで試験は大成功。
でも、頼むから試験前のどさくさはもうこれっきりにしてよねと言いつつ、どさくさは続いたのでした。やっぱりあなたは私の子。
■ 2009.1.11 ■【年の始めの焼き芋】
#これを「おばさんの開き直り」と言う(笑)
■ 2008.12.31 ■【よいお年を】
いい。だって
お日様はかならず東からあがるもん。どう間違ったって西から出ること、ないもん。
予告になりますが、春過ぎには国外へ出ますのでリファレンスやサイトの更新は一時お休みとなります。リファレンスをご利用予定の方はお早めにどうぞ。
■ 2008.12.23 ■【クリスマス小話〜賢者の贈り物〜】
私(お局A)「Nちゃん!どうしたの?!失恋したの?!」
Nちゃん「いえ、クリスマスのプレゼントに旦那に時計の鎖を買ってあげようと思って切ったんです(´ー`) 」
お局B「でもさー、ダンナさん、あなたに髪留めをプレゼントしようとして時計を売ったかもよ( ̄ー ̄)ニヤリ」
お局A「結局、会話のない夫婦だったってことよね(* ̄m ̄) ププッ」
お局B「意志の疎通ができてないもんね。大体一緒に暮らしていれば相手が何を考えているかわかりそうなもんなんだけどね(。-∀-)ニヒ♪」
クリスマスのBGMはこれで
■ 2008.12.21 ■【マイ・ウェイ】
遠く旅して 歩いた若い日よ すべて心の決めたままに
愛と涙と ほほえみに溢れ いま思えば 楽しい思い出を
君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
すべては心の決めたままに
君に告げよう 迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
私には愛する歌があるから 信じたこの道を 私は行くだけ
すべては心の決めたままに
[詞:中島淳]
ある日、たまたま車の中においてあったCDケースから特段理由もないままにケイコ・リーのCDを選びました。一時ケミストリーの
アルバムをよく聞いていた時期があり、そのアルバムにケイコ・リーがゲスト出演している曲が収録されていて、それが好きだったから
たまたま買ったCDでした。でも、なんとなくケイコ・リーが好きになれず、CDケースに入ったままになっていたものでした。
そのアルバムの1曲目が「マイ・ウェイ」。
オヤジたちが歌うマイウェイと違い、ワンフレーズずつかみしめるように淡々と流れるマイウェイ。
すべては心の決めたままに
■ 2008.11.22 ■【いい夫婦の日】
ウチのモラ夫は外では「愛妻家」と呼ばれていました。「いつも奥さんの話をするんですよ」とは職場の後輩の言。そうだよね〜、しょっちゅう職場からうれしげに電話
をかけてきてたもんね〜。「プリンターが動かないんだ、教えて!」とか、「これ、英語でなんて言うんだ?」とか、他の人に聞こえるように話すんですよね。
あのアカデミー賞ものの演技を聞いたら、家に入ったとたん仏頂面で無視を繰り返すなんて誰にも想像できないでしょう。職場から機嫌良く電話をかけてくるから
「お、今日は大丈夫かな」と思えば、家に入ったとたんむっつり。どうしてこうコロコロ態度を変えられるんだと今も不思議でしかたありません。
「子育てのあとは夫育て」(老いを力合わせて・嫌なら育て直せばいい)
「内助の功は女の誉れ」(夫婦は対等でありえない・主婦費に内助の功あり)
■ 2008.11.19 ■【岡山の不思議】
「そうそう!」
「なぜか岡山からの相談が多いのよね」と私。どういうわけか以前から岡山からの相談が多いのが気になっていました。
岡山と言えば白桃だ、なのになぜハラッサーが多いのか。なぜ島根、鳥取は全然なく、人口の多い広島でもなく、岡山なんだろうと
思いつつ、話を続けていて
「岡山にハラッサーが多いというよりも、自分がハラスメントを受けていることに気づく女性が多いと言った方がいいのではないか」
という結論に達しました。
モラハラを受けている多くの人たちは、いまだにそれが暴力であることに気づかず、あまつさえ「それは自分が至らないから」とか
「男は女よりエライのだから当然」と思っています。そういう人は相談なんかしません。ですからそれが普通ではないと気づき、相談してくる
岡山の女性の方たちは人権意識が高い証なのではないでしょうか。
■ 2008.11.3 ■【義姉の目論見】
「お義姉さんの県って沢山大学があっていいよね」
「まぁね、うち、お金がないから仕送りも無理だし、ここいら辺の大学しか行かせられないからよかったわ」
「○大なんかいいんじゃない?」
その地方ではダントツの私大の名前を言うと、「とんでもない!!」と目を剥き、
「あんなバカの行く大学!」
えっ?えっ?えっ?えええええええええ?????????え?
「あそこ、すごくいい大学だから倍率も高いし、入れたらいいんだけどねぇ」
首を傾げる義姉に心の中で(バカの行く大学って言ってたじゃん!)と叫びつつ、開きっぱなしに
なりそうな口を必死で閉じました。たぶんまだ大学進学が具体的な話になっていない子どもが
小さな頃、主婦同士の四方山話では国公立エライ、私立バカの極端な話になっていたのでしょう。
ちゃんと調べれば国公立よりも偏差値の高い私大は山のようにあります。国立に合格し、私立に不合格に
なることなんてザラにあります。
「家庭モラハラ」に出てくる悪友の「みどり」はこころ厳しいヤツ(笑)で、「知り合いの
人でさー、子どもが高三の時『国立▲大なんかダメよ!やーっぱり旧帝大の☆大じゃなきゃ』って
言ってたくせにさ、入ったの私立の2流大よ」と言いながらうれしそうに高笑いしていました。下手な事をいうと
こうやって茶飲み話の種にされちゃいますのよね。
■ 2008.10.29 ■【疑惑の回答】
■ 2008.10.23 ■【チョコとキャンディ】
経済観念は一生ものですから、ひらがな覚えさせるよりこっちの方が絶対に将来役立ちます。
■ 2008.10.5 ■【バカタダシ】
彼が何度も「ちゃんとお父さんと呼びなさい」「ちゃんと名前で呼んで欲しい」とお願いしても、鼻で笑って
「バカをバカと言って何が悪い」と取り合おうとはしませんでした。
ある日ある時、たまりかねた彼はついに妻をパーで殴ってしまいました。びっくり驚いた妻と義母はその後
彼を「バカタダシ」と呼ぶこともなくなり、子どもたちも「お父さん」と言うようになりました。
さて、彼はDV夫になってしまうのでしょうか。
■ 2008.9.16 ■【彼岸時】
「あれか?メシ食わねぇとか、どうでもいいことで大騒ぎをして謝らせるとか、
そういうことか?」
「あれ?!何で知ってるんですか?」
「オレのオヤジがそうだもん」
「へっ!!!??」
それから延々と「オレのオヤジ」について語り始めました。
「人が聞いたら腰抜かしそうにどうでもいいことで怒り始めるんだよ。そんでな、親戚中に電話をかけて
ウチに集めて、その前でお袋に土下座させるんだよ」
「おかあさん、大変でしたね」
「でした、じゃなくて今もそうなんだよ。もう夫婦して80歳をとっくに過ぎてんのにまだやってんだよ」
「お気の毒に」
「さすがにオレたちの前ではしなくなったけどな。オレらがにらみをきかせてるから。陰ではしっかりやってんだ。
ありゃ、死ぬまでやるな」
「私はそうはなりたくないです。だから今、別れるんです」
「うん。それがいいかもしれんな。ありゃひでぇわ」
こんなに近くに「被害者」がいるのはびっくりでしたが、ちゃんちゃんと離婚については同意を取り付けることができました。
「人前ではすげぇいい人ぶってるから他の人はわかんねぇんだよなぁ」
「そうなんですよねぇ」
それから「この人たち」談義が始まったのですが、その中で彼がもらした言葉があります。
「まぁ、年中あるにはあるけど、特にひどいのが彼岸時なんだよ。春と秋の彼岸が来る頃になるとお袋が
『彼岸が来るからみんな気をつけなよ』って言うんだ」
■ 2008.9.1 ■【どうでもいいこと】
■ 2008.8.18 ■【だめんずうぉーかー】
活字のものはどんな本も(雑誌でも)捨てられないので、できるだけ買わない主義(^^;)
でも、西原理恵子の「まーじゃん放浪記」はしっかり本棚に入ってますけど(^^;)
コミックの割に活字が多いので、読破するまですんごく時間がかかりました。くらたまさん、字ぃ、小さすぎです。
もうちょい大きく書いてください。おばさんには見えません。
■ 2008.8.10 ■【インド人もびっくり!〜起きてしまった悲劇】
印で代理出産の赤ちゃん、出生届不受理…日本人夫婦は離婚
卵子が元妻のものなのか、インド人女性のものなのかは明らかになっていない。男性医師は読売新聞の取材に子供がインドを出国できない状態にあることは認め、「今はどこまで話していいかわからない。子供を引き取れるよう弁護士に依頼している」と話している。
インドでは代理出産に関する法律はなく、近年、商業的な代理出産が広まっているという。代理母には貧しい女性がなるケースが多く、65万〜162万円の金を手に入れることができるという。
(2008年8月7日14時33分 読売新聞)
今年7月にインド人女性の代理出産で生まれた女児が日本に帰国できなくなっている問題で、代理出産を依頼した愛媛県内の40代の男性医師が毎日新聞の取材に応じ、出生届の母親欄が「Unknown(不明)」と記載され、女児が日本とインドのどちらにも属さない無国籍児となっていることを明らかにした。男性は「このままでは『孤児』のような状態になってしまう。一刻も早く帰国させたい」と話した。
女児は健康状態があまり良くなく、一時は集中治療室にいたが、現在は男性の実母がインドに渡って病院で女児の世話をしている。
男性は交際していた女性がおり、代理出産についても伝えた上で結婚。しかし、女性はインド人女性が産む子どもを受け入れることについて悩み、2人は女児が生まれる前の今年7月に離婚した。
8月10日3時21分配信 毎日新聞
日本人の男性医師がインドで代理出産を依頼し生まれた女児が日本に帰国できなくなっている問題で、男性医師の元妻が毎日新聞の取材に応じ「代理出産に同意していなかった」などと話した。
元妻によると、インドで代理出産の書類に署名させられたが、読む時間を与えられないまま署名を迫られ、後で同意書と知らされた。その後、子供が医師と自分との子であるよう装う出生証明書の偽装のため再渡航を求められたが断ったという。
元妻は離婚の際「代理出産は私の意思とは無関係」と男性医師に書面で誓約させたと話している。
■ 2008.8. 4 ■【裁判所と奨学金】
とふんぞり返った親父調停委員の姿が忘れられません。調停を起こすのは精神的に本当に厳しいものがあります。
「どうせやってこない」とタカをくくって言ったのでしょう。もしやったとしても、「奨学金をもらって」「自分で働いて」と
言われていますので、夫と学費を折半する調停は難しいということになります。
奨学金というのは、言葉は美しいですが借金です。大学を卒業すると同時に、子どもは延々と長い期間借金を返していくことになります。
色々と考え方はあるでしょうが、私はできれば子どもに借金を背負わせたくないクチです。本当に財力がないのならばともかく、
充分な資金を持つ親がいて、援助しないのはどうにも納得がいきません。ただ、それが日本の裁判所の考え方ですので、どうしようも
ないんでしょうねぇ。
■ 2008.7. 21 ■【家庭モラル・ハラスメント外伝〜モラ家の人びと 自己チュー伯母 2】
「あのー、おばさん、私も仕事で疲れてるんですけどー。お宅の息子は帰って奥さんが作ったご飯を食べて寝るだけですけど、
私は家事育児がてんこもりにあるんですけどー。だいたい職場が遠いから、早退しなきゃいけないんですけどー」
という心の叫びは口に出せるわけもなく。
こんな売れない脚本家が書いた昼メロのセリフを現実に聞くことになるとは思いませんでした。
あまりにマンガチックな発言に、目が点になって呆然としていたら義母が呆れて助け船を出してくれました。
「何言ってるの!早智子さんだって疲れてるわよ。いいから。一恵はリムジンで行けばいいんだから」
そこへ息子が「いいよ。大丈夫だよ」と明るく受け流してくれ、口を尖らせた伯母がブツブツ言っている中、この一件は落着したのでした。
「猫が飛び出してきたんだよ」と伯父。
バイリンガル教育で有名なノーラコーリさんの本を読みました。
■ 2008.7. 13 ■【家庭モラル・ハラスメント外伝〜モラ家の人びと 自己チュー伯母 1】
「家庭モラハラ」にも登場する「遠方の叔母」が飛行機でやってきたときのことです。帰りの飛行機は夕刻の出発時間でした。
その叔母も交えて親戚懇談をしていると伯母、「一恵、空港まで荷物を持っていくのは大変だろ?誰か送って行ってあげられないかな」
その時在席していて自動車免許を持っていたのは私と彼女の息子の2名しかいませんから、私に対する打診でしかありません。
ですが、その時刻は仕事が終わってからでは遅すぎるので、1時間程度早退しなければなりません。
私はモラ夫の「暗に発せられる強制」のためなら、仕事を休むことも、必ず出席しなければならない研修を辞退することも、ずっと前から
決まっていた友だちとの約束を反故にすることも何でもやりましたから、早退はごく普通の選択でした。
「そう?そうしてくれる?助かるわ〜」と伯母。
「疲れるからやめた方がいいよ、一恵はリムジンバスで行けばいいんだから」と義母。
その時、伯母の長男が「いいよ、その時間ならおれ、もう仕事終わってるし、俺が送るよ」と救いの手をあげてくれました。
が、伯母の次の発言で、私は「どっしぇ〜〜〜!」とひっくり返そうになりました。
■ 2008.6.23 ■【ラストフレンズ 3】
宗佑の自殺という結末で幕を下ろしましたが、DVを知らない人たちはあの遺書のとおり「僕は未知留を
自由にするために死を選ぶ」ということを鵜呑みにしてしまうでしょう。
「宗佑も苦しかったのね。本当は優しい人だったね」と。
これが典型的なDV加害者の思考回路です。
■ 2008.6.1 ■【チャンスの女神】
「これってアルバムみたいにならないかしら」
職場にコンピュータに詳しい人がいましたので相談したら「インターネットのホームページみたいに作れば?」と言われました。
初心者向けの本を借り、わからないところは彼に聞き、半年かけて最初の私の作品を作りました。
その後、予想通りHTMLの技術は私の武器になりました。職場でも利用して重宝がられ、知人の保育所のサイトも作って
あげて喜ばれました。ですからモラハラを知ってすぐ、パソコンに向かってサイトを作ることができたのです。
5月27日に発売された「週刊朝日」に「星野知子が結婚!」の記事が出ていました。何でも「プリザーブドフラワー」の
バラをプロポーズとして贈られたそうな。あらら、私も先週プリザーブドフラワーのバラをいただいたんですけどーー。
出版のお祝いでいただいたものですわ、ええ!プロポーズじゃなくっ!
■ 2008.5.19 ■【ラストフレンズ 2】
上手にピアノが弾けたら頭をなでてくれる
優勝したらよくやったぞと親の機嫌がよくなる
仕返しが怖い人もいれば、新しい生活に自信がない人もいる。
子どもが反対している人もいれば世間体が怖い人もいる。
では傷の見えないモラハラ被害者はどうしたらいいのでしょう。
どう訴えたらわかってもらえるのでしょう。
■ 2008.5.14 ■【ラストフレンズ】
■ 2008.4.27 ■【性被害】
今回出版する本の契約を交わしました。契約書とか約款って神経を集中させなければわけわかんないものが多い中で、
今回のものはとってもシンプルな契約書でありました。立派な社判と並んでシャチハタの判をペタリと押すのもなんだかなーと
思ったので新たに買いましたけど、あんまり変わり映えなく。
最近読んだものの中で一番面白かったのは「『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会報告書」。
下手なルポルタージュより百倍面白い読み物でした。この事件はその人の立場によって見る角度ががらっと違い、その点でも
面白いですよ。私はマスコミ取材を受けるとき「書かないでくださいね」とお願いしていろんな方の情報を
話すときが多いので、どうしても鑑定人の立場になってしまいます。一生懸命よかれと思ってしたことなのに裏切られ、
罪まで被ってしまった鑑定人。ただただお気の毒でなりませんでした。
■ 2008.4.12 ■【裁判官】
私のドタバタモラハラ離婚体験記「家庭モラル・ハラスメント」が講談社+α新書
から5月20日に発売されることになりました。定価は「パートで稼ぐ1時間の時給」を目指しております。安くなるのはよかったのですが、ひょうたん村の
高橋キヨノさん(仮名72歳)の老眼でも読めるような大きな字でなくなるのが残念。天眼鏡をお使いくださいね。
たぶんもう変更はないと思います。あと1ヶ月と10日。
■ 2008.3.31 ■【友、遠方より来たる】
いやぁ、本当にこのサイトをやっててよかったと今日改めてしみじみ。5年の月日は彼女も、私の生活も大きく変化させていました。
「私たちは足腰が立つうちに脱出できて、本当にラッキーだったよね」「そりゃぁ楽しいことばかりじゃないけど、
少なくとも生活をエンジョイしてる」と今の生活をお互い喜びあいました。
「モラハラって言葉も忘れてたんですよ」
そっかぁ、忘れてもいいよね。うん、忘れた方がいい。
■ 2008.3.16 ■【何にもない日バンザイ!】
ひとりつっこみ入れてどうする(笑)
■ 2008.2.12 ■【es】
ルール2:囚人は看守に対して敬語を使わなくてはならない。
ルール3:囚人は消灯後、会話を一切交わしてはならない。
ルール4:囚人は食事を残してはならない。
ルール5:囚人は看守の全ての指示に従わなくてはならない。
ルール6:ルール違反を犯した場合、囚人には罰が与えられる。
権力への服従
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。
非個人化
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。
■ 2008.2.4 ■【共感力】
■ 2008.1.14 ■【増刷決定に思うこと】
■ 2008.1.6 ■【母子家庭-2-】
■ 2007.12.30 ■【母子家庭-1-】
■ 2007.12.22 ■【話し方教室】
■ 2007.12.20 ■【働きマン】
■ 2007.12.10 ■【ホームレス中学生】
「おかあちゃん、たむやんにご飯食べ
させたって」と言われてその家のお母さんはご飯をご馳走し、食べ終わると「たむやん家がないんや、泊めたって」と言われ、
仰天して同級生の家に電話をかけると事実と判明しました。どうしようかと夫に聞くと「ウチは子どもが4人いるけど、5人だったと
思えばええやんか」と言われ、家に引き取ることにしました。「たむやんはご飯のおかわりをしないから、いつもてんこ盛りにしてやってん」
というお母さん。
■ 2007.11.30 ■【モラハラ本刊行に寄せて】
この本が新しい人生を開くきっかけになったならば、それは私たちにとって何よりの喜びです。
■ 2007.11.20 ■【夜の生活】
この設問で以前友人と話したことがあります。
「結婚してるかしてないかというのは、ヤッてるかヤッてないかってことでしょう?結婚してても
ヤッてない人もいるし、独身でもヤッてる人はヤッてるよね。無意味じゃん、あの設問」
だよねー、だよねー。何年たっても設問は変わってないし。
「婦人科系で大きな病気をしたことはありますか?」
「え〜っと、上の子を産んだ時に。。。。」
「は?????未婚ですよね」考え込む保健婦さん。それってそんなに深く考えなきゃ解けない
謎だろうか。
「あのですねぇ」
毎度言わせないでよ、このセリフ。去年も一昨年も言ったんだからさ。
「あのですね、シングルマザーもいれば離婚する人もいます。世の中動いていますから
そろそろこの設問変えたらどうでしょう」
「あ。。。ああああ、そ、そうですね。ええ、はい」
絶対に変えませんって。3年も同じこと言ってますから、わたし。
■ 2007.10.16 ■【加害者の更正】
時々そう聞かれる時がありますが、無意識の場合とそうでない場合があるようですと私は答えます。
私の夫は素直に自分が悪かったと言い、離婚をしました。その点については
最後まで悪いのはお前だと言い続ける加害者が多い中では潔いと言えるかもしれません。ただし、彼は悪かったと言いながら、嫌がらせを
続けたのですが。
■ 2007.09.23 ■【イブニングファイブと弁護士のくず】
「イブニングファイブ」では、妻が「子どもが寝ているから大きな音をたててドアを閉めるのをやめて」と
言った一言に、「子どもは起きなかった」「だから大きな音ではなかった」「大きな音と思ったのはお前だ」「お前は結局俺が戸を開けるのがいやなんだろう」「お前は自己中だ」
と話がねじ曲がっていく様子を、録音したテープに沿って局が順序立てて解説を入れてくれています。
私はTBS番組担当者に最大限の謝辞を送ります。
「要するに、夫の言っていることは本当の望みじゃないんだ」
「話をごまかすために、ただ相手がゆずれないことを押し付けているだけ」
「だから、いくら話し合っても、ゆずっても、絶対に解決しない」
「自分の小さなまちがいも絶対に直さない。ゆずらない」
「ただひたすら、ごまかし続ける」
大人の姿になったら、大人の会話を求めるのは当然でしょう。
男は子どもなんだと言ってごまかすのは、もうそろそろ勘弁してもらえませんか。
■ 2007.09.17 ■【100万アクセス突破に寄せて】
そして、これからもよろしく。
■ 2007.08.25 ■【夏の思い出】
■ 2007.08.05 ■【被害者が力を持つとき】
■ 2007.07.30 ■【人に嫌われて何になる】
「子どもが産まれて、子どもがいつ、誰にお世話になるかわからないから、これからは
人に好かれないまでも嫌われないようにしようと思った」。
と言う割にはバリバリ意見を言うので彼女を少々煙たがる人もいましたが、私はなるほどなぁと思って読みました。
■ 2007.07.22 ■【追悼 河合隼雄さん】
■ 2007.07.7 ■【なぜ麻疹(はしか)は広がったか】
「おたふくやハシカなんか、さっさと罹って免疫作っちゃえばいいのよ」
「予防注射なんか必要ないわよ、医療関係の人で子どもに予防注射をする人はすっごく
少ないわよ。注射の副作用の方がよっぽど怖いんだから」
というわけで、我が家の子らは予防注射をほどんどしていません。ああ、どうしよう。
■ 2007.06.13 ■【江戸のかたき】
「○社は何でこんな車を作ったのか」
「ユーザーが気の毒だ」
「○社はすぐにモデルチェンジをしないと、事故が起こってからでは遅い」
「ねぇ、その本貸してくれる?」
「いいわよ。どうぞ」
私は本をA子さんに渡しました。断っておきますが、私は何気なく本を机の上に
置いただけです。人はその手の本を見るときは、最初の1ページから読むでしょうか。なわけないですよね。
占いの本を読むときに自分の星座から読むように、車の評価本を読むときは、当然自分の車からです。
A子さんはすぐに憮然とした表情で本を返しに来ました。「この人って自分の価値基準だけでものを見る人ね」
「へぇ〜、そうなんだぁ」私はA子さんの的を得た感想に感心して相づちを打ちました。
■ 2007.06.03 ■【復讐するは我にあり】
「成長した子どもたちは父を捨てます。それが一番の復讐でしょう?」
「それからどうなりますか?」
「捨てられた男は野たれ死にするんです。そういう人、沢山いますよ」
先日ネットニュースで「1人住まいの高齢男性の焼死が多くなっている」という記事を見つけました。
どういう理由で1人暮らしになったのかはわかりませんが、ともかく1人で暮らす男性は生活が乱れ、酒量も増える。
そして酔って寝てしまい火事になることが多いのだそうです。私の家の近所でも68歳で一人暮らしの男性が焼死しました。
妻をひとりの人間として敬意を持たない男は、野たれ死にしても焼け死んでも、それはしかたのないことではないでしょうか。
もう先の見えてきた50代になってから、「これはまずい」とあわててもそれは「It's too late」。
世の中は大抵のことはやり直しがきくけれど、復讐してやると心に誓った相手の決心を翻すのはそれは大変です。
■ 2007.05.29 ■【子どもたちの時間】
「この間の保護者会なんかいつもは来ない人たちが来ててさ、殺気だっててそりゃぁ大変」
「先生は『こういう事態になってしまって申し訳ありません』って頭を下げるんだけど、なんだか疲れ切ってたわ」
■ 2007.05.05 ■【回復への近道】
■ 2007.04.18 ■【永遠の後出しじゃんけん】
勝った方がケーキを切り、負けた方が先に取る。
たったこれだけです。
切る方は選ぶことができませんので、できるだけ正確に二等分しなければなりません。
大きい方を取られたら、それは切った自分の責任です。なんだか一休さんみたいですが、
私の家ではすでに実行しています。じゃんけんに負けた方は歓声を上げ、必死に真剣にケーキを切る兄妹を
ニヤニヤ笑いながら見物します。家庭の平和はこれで保てますので一度試しにどうぞ。
■ 2007.04.03 ■【天使のように大胆に】
■ 2007.03.26 ■【物乞いの法則】
貧しい国では物乞いをするときに、こどもを連れていくそうです。こどもが居ないときは、よそからこどもを借りてきてするそうです。「ほら、この子が飢えてるの、かわいそうでしょう?だからお金をちょうだい」と言って手を出す。ひとりでやるのとでは「売り上げ」が全然違うそうです。
■ 2007.02.25 ■【沈黙の理由】
元夫から受けた一番ひどいモラハラはなんですか?とよく聞かれます。魚が焼けてもテーブルにつかないのは
もちろんですが(笑)、やはり一番応えたのは無視でした。無視というのはただ黙っていることをいうのでは
ありません。私の存在をこの世から消しますので、目を合わすこともなく、私の前を通り過ぎます。
用事があって話しかけようとしてもす〜っと前を行きすぎますので、話をすることもできません。
彼は私がまったく目にはいらないかのように何ヶ月でも無視を続けることができるのです。当然電話も取りつがないので、
留守中に私の友人から電話があった場合は、「お宅の旦那さんに伝言したのに聞いてないの?」と不思議がられることはたびたび
ありました。
さて、そんな彼の部署にモーレツオレ様上司が赴任してきました。その顛末は。。。。爆笑ですわ。
■ 2007.02.07 ■【おっさんの勘違い】
厚労相の「女性は産む機械発言」が物議をかもしだしていたら、今度は「子供は2人以上が健全」発言ですか(苦笑)。
私は小学校の社会科で「日本は(団塊の世代出現のため)人口が増えすぎているので2人までに止めましょう」と教わりましたので、
教えはきっちり守ります。
「結婚したら子供を作るのが当たり前じゃないか」
「子供は2人以上が健全な考え方だろー?な〜みんな〜。変だな〜どこがおかしいんだろう??」
「女なんか子供さえ産んでればいいのに」
「この頃の女は口が達者でいかん」
「教育なんかするから口うるさくなったんぢゃ」
「そうそう!美しい国日本!昔の日本は美しかった。昔みたいに女はせっせと家で
家事をする国にせにゃならんよ。男は外で働き、女は家を守る、これが原点ぢゃ」
「子供が荒れるのは母親が家にいないせいぢゃ」
「そうよのう、昔の母親は教養なんかなかったが、そらぁりっぱな
もんぢゃった。子を思い、夫を立てて二歩も三歩も下がってたもんぢゃ。それがどうぢゃ、この頃の女たちときたらうんぬんかんぬん」
#あ、なんか「日本昔ばなし」みたくなってきた、ごめん。
■ 2007.01.14 ■【命の創造】
去年、世界仰天ニュースという、海外で起こった信じられないような事件を再現ドラマで見せる番組を見ていたら、本当にびっくりたまげたケースを放送していました。
不妊治療をしていた夫婦が、人工授精のために夫の精子を冷凍保存します。ところが、時がたつにれ次第に不仲になり、
ついに夫は家を出ていきます。しかし妻は「子どもが欲しい」という気持ちが捨てられず、冷凍保存した精子で人工授精を続けます。この処置に必要な夫のサインは
自分で偽造し、ついに妊娠に成功、出産します。
もちろん代理母やコーディネートした会社には、多額の謝礼が支払われています。
妊娠中に子宮ガンが発見されるという不幸があった後、選んだのはお金を積んで他人の腹の中で自分の子どもを育てるという方法でした。
昔、「ペットセメタリー」というアメリカ映画がありました。
かわいい盛りの小さな息子がある日突然死んでしまいます。嘆き悲しんだ父親は、そこに埋めると生き返るという伝説の場所に子どもの死体を埋めます。
子どもは外見は同じ姿で生き返りますが、中身は凶暴なゾンビでした。父親はもう一度彼を殺さなければならなくなります。
生まれてくるはずのない命は創ってはいけない。
■ 2007.01.05 ■【ムハマド・ユヌスと経済学】
去年の暮れ、友達がプリプリして電話をくれました。ある大きな団体の忘年会でのこと。
18時半から始まったホテルでの忘年会も、宴もたけなわの20時を過ぎた頃。久しぶりに顔を合わせた女性の仲間たちと和やかに
会談していたところ、ずいっと老年の男性が入り込んできたそうです。彼は経済学者として取りあえず
その地方では名前が知られた人物。その彼が「みなさんね」と女性たちを眺め回し演説を始めたそうです。
友達はムッとしながらもシカトを決め、知らんぷりして料理を口に運ぶと、それを見た彼は「ダメだ、こりゃ」と首を振って
離れて行ったそうです。
言い終わった後も彼女の話はその後延々と1時間続くのでした。
そう。バナナを売ればお金になる。そのお金でまた別のものが買える。そしてお金を貯めれば子どもは学校へ
通えるようになる。字を覚えれば仕事ができるようになる。なんてシンプルな経済流動なんだろう。
ひもじそうに手を出して物乞いをするのでは一時の餓えしのぎしかならない。
ましてや性を売り物にするのは病気の蔓延や犯罪を招く。
女性が経済力を身につければ、自分を売らなくてもいい。
その身を投げ出して食べ物を乞わなくてもいい。
■ 2007.01.03 ■【人生は総合点】
昨年「いつ見ても波瀾万丈」という番組に、B&Bの島田洋七さんがゲスト出演していました。あの80年代漫才ブームの
中でもひときわ大きな存在として毎日テレビに映っていましたが、ブームも去り、どこへ行ったかと思っていたら、出版した
本がベストセラーの売れ行きで、映画にもなったそうです(知らなかった!)。
番組で子どもの頃の話をしていましたが、小学生の頃は通信簿が「1と2」ばかり。
「こんな点数ばかりとって、ごめん」と一緒に暮らしていたおばあちゃんに言うと、おばあちゃんは「大丈夫。人生は総合点じゃ」と、にこっと笑ったそうです。
2)おとなしく、中学生までは人の言うことはちゃんと聞いていた子。「まさか、あの子が」と周囲が驚くタイプ。
3)精神病の子
4)小学生まではよく勉強やスポーツができたが、中学生以降ぱっとしなくなった子
その元を取って、初めて生まれてきた意味があるんじゃんないかしらん。
■ 2006.12.25 ■【クリスマス夜話】
今日はクリスマス。お子さんのいるお宅では、そろそろサンタさんが煙突にもぐりこんでいる
頃でしょうか。毎年我が家では丸鶏を一羽分買ってきて、ローストチキンを作ります。離婚した年のクリスマスは、
いろいろお金がかかってしまい、1羽を買うのがどうも厳しい経済状態でした。ところが22日の晩、たまたま夜にスーパーへ
行ったところ、売れ残りの丸鶏一羽に半額のシールが貼られていました。喜び勇んで買ってきて、
塩、醤油、ニンニクを擦り込んで冷蔵庫に2晩寝かせ、当日オーブンでローストチキンを作りました。
冷たくなったご飯でピラフを作り、果物をヨーグルトであえ、サラダといただきもののケーキで結構にぎやかなクリスマス
ディナーになりました。今年は知人のフランス土産の結晶になった塩と本場のハーブを擦り込み、売れ残りがなかったので、
定価の、それもいつもの年の2倍の大きさのチキンを買いました(小さな鶏では身が少ないから。残ったら
冷凍してお正月に登場させる予定)
#でも毎度のことながら、丸鶏って生々しくて正視に耐えない姿だわ。今年は長い首までついていたので
食卓へ出すときはギロチンで落としました。きゃ〜
■ 2006.12.17 ■【しゃぶしゃぶラーメン】
このコラムは「モラル・ハラスメントブログ☆お料理レシピ」へのトラックバックです。
材料:しゃぶしゃぶ用薄切り豚肉・・・・人数分
おじさまの名前、なんだっけ。。。??
生ラーメン・・・・食べたいだけ
そばつゆ・・・・適量
万能ネギ・・・・山盛り
シメジ・・・・たくさん
柚こしょう・・・・お好みで
そしてもっと欠かせないのは冷たいビール!!
お子様は麦茶でも飲んでてね。飲んべえはビールと肉でいいのですが、お子様はやはりご飯が必要のようですので、熱々のご飯と一緒にどうぞ。
一番最初に出しをとった昆布は千切りにして、塩で一揉みした野菜(キュウリ、キャベツ、にんじん、大根、白菜、カブ、青梗菜etc)と一緒に
シール袋に入れて醤油をひとたらし。ぴたっと空気を抜いて冷蔵庫へ。翌日は美味しい一夜漬けになっています。
■ 2006.12.12 ■【Mさんからの手紙】
今年もあとわずかになりました。去年の暮れはまさに狂想曲。こんなに忙しい年の瀬を過ごしたのは初めて
というくらい大忙しでした。今年沢山のメディアでモラハラを取り上げていただきましたが、去年の暮れの
バタバタは、その下準備のための時間になりました。終わりよければすべてよし。今年は沢山の方たちが「モラル・ハラスメント」と
いう言葉に出会い、人生の転機になったことと思います。
そのひとつ、今年1月に発売された「女性自身」の記事がきっかけで、ある事件と関わることになりました。
人と人の巡り合わせくらい必然で感動に満ちたものはありません。これがなかったらあれはなかった。あれが
なかったら、それもなかった。たった一瞬の誤差で、会える人、すれ違ってしまった人、そして道を間違えた人。
「あなたはモラハラの被害者なのよ」と。
その一言を伝えることができたなら、事件は起こらなかったはずなのに。
この記事は特別許可を得たもので、引用、転載は一切不可となっております。
記事へリンクを貼る場合は、必ず許可を得てください。
このWINDへのリンクも同様です。
■ 2006.11.26 ■【あるハラッサー】
私の職場にいるある青年について書いてみようと思います。彼はバリバリと仕事をこなし、家庭人としての役割もものの見事に果たす正に理想的な夫であり、
父であり、職業人です。彼は終業時間になるときっちり仕事を終え、彼を待つ妻と子ども達の世話をするため脇目もふらず帰宅します。
妻が出産の時は半年前から仕事は入れず、1ヶ月の産休を取り、子どもと妻の面倒を一手に引き受けます。
上の子どもが運動会の時には生まれたての赤ん坊を背中に括り、ビデオを片手に大忙し。妻は専業主婦ですが、子どもが病気の時にはもちろん自ら病院に連れて行く。
彼はまさに新聞の生活欄に出てくるような理想的な夫です。
■ 2006.11.21 ■【罪と罰】
昔々、高校生の頃に読んだので、果たしてその場面があったかどうかはさだかではないのですが、
「風と共に去りぬ」の中で、アシュレーを誘惑しようとしたスカーレットにレットバトラーが、「君は罪は怖くないけど
罰は怖いんだ」という場面があったと思います。
スカーレットは自分がしでかしたことで、相手がどんなに悲しんでも苦しんでもまったく気にとめません。
「だって欲しかったんだもん」とツンと鼻を上に向けるだけです。さて、スカーレットはモラハラの加害者でしょうか。
■ 2006.11.04 ■【妻が得する熟年離婚】
弁護士の荘司先生が書かれた「妻が得する熟年離婚」が先月発売されました。本の中ではいろいろなケースを取り上げ、物語形式で離婚のノウハウが
説明してあります。熟年というからには、少なくない年月を一緒に過ごした夫婦が別れるのに「得する」と書くと、何だか
夫婦生活の精算を銭勘定でするのかとちょっと嫌な気持ちになりますが、別れた後の生活を考えると、そうも言っていられない
のかもしれません。
■ 2006.09.10 ■【「モラといた日々」と「モラのいない日々」】
ドリカムのナンバーに「未来予想図」という曲があります。同じ学校に通っていた彼と、一生ずっと一緒にいるんだよね、という未来を語る爽やかな歌詞です。
持っていられるのも
あなたとだから
ずっと心に描く 未来予想図は ほら思った 通りに かなえられてく
作詞 作曲 吉田美和
明日、この場所にいるかどうかもわかりませんでした。
今晩、「今日、この家から出る」と言われれば、私に拒否する権利はありませんでした。
「NOと言えない日々」を20年過ごしてきました。
未来をスケッチすることを、結婚したその日から取り上げられたのです。
そう、男性にはわからないでしょう。
どんなに妊娠から出産までが過酷なことか。体内に別の生命を宿した女性が、
食べるものや生活のあらゆることを制限され、この世の終わりのような痛みに耐えて新しい命をこの世に送り出すか。
気が遠くなるほどの経験を、ほんの数十分前に終えたばかりの妻に、「さあ、もう一度同じことをするんだぞ」と、
NOと言えない相手に言い渡したのです。
想像してください。戦争からやっと這うようにして帰ってきて、玄関で迎える妻からニコニコしながら「あなたは
もう一回行かなきゃいけないのよ」と言われたらどういう気持ちがするか。愕然としないでしょうか。
このコラムは「モラル・ハラスメントブログ」の管理人さんが企画された、モラブロ共同企画への参加です。
■ 2006.09.03 ■【薔薇の名前】
シェークスピアの作品で、一番ポピュラーなのはおそらく「ロミオとジュリエット」でしょう。あのフランコ・ゼフィレッリ
が監督を務めた映画は、世界中の少女たちを「ハンカチ王女」にしてしまいました。そしてあの作品中、一番有名な
セリフは、ジュリエット宅の庭に忍び込んだロミオに気づかず、ジュリエットがひとりバルコニーから星に向かって独り言をいうあの言葉です。
「ロミオ、ロミオ、なぜあなたはロミオなの?」
出会ってから心中するまで、ほんの数日間という超スピードで駆け抜ける物語の中で、一番うっとりと静かにみとれるシーンです。
「なぜあなたはロミオなの?」という言葉を聞いたロミオは、思わず葉陰から飛び出します。「名など捨てましょう!」
毎日毎日モラ夫の生態取材に明け暮れるおばさんとしては、夢が見られなくなったことが、モラ夫との生活によるフラッシュバックもPTSDもない私にとって、一番の後遺症かもしれません。
「お父さんがお母さんを殴るなんてひどいね。お母さんはかわいそうね」以上、です。
または「あんなに殴られても一緒に暮らしているなんて、やっぱり愛情があるのかしらね」以上、です。
■ 2006.08.25 ■【エンマ帳の行方〜その2〜】
◎子どもの問題を夫婦で共同して解決しましたか?
上の子が学校でいじめられた時のこと?カミさんが学校へ行ってなにやらやってたよ。オレに何かしろったって、オレに何が
できるんだよ。オレだって会社で中間管理職になってるんだから、毎日問題の山積みでさ、それどこじゃないよ。子どものことは母親が
みるもんでしょ?子どもだってオレが家に帰るとばーーーっと2階に上がっちゃって、顔も合わせねぇの。
そんなやつと話し合いなんて、できっこないじゃん?どういうしつけしてたんだかさー、うちのカミさん。
・・・・・・評価:(D)
オレの親父が倒れたときはいろいろやってくれてさ、そりゃ感謝してるよ。でもさ、どうもおふくろとウマが合わない
んだね、アイツ。「おかあさんが、おかあさんが」っていちいちうるせーの。そりゃ人間だもん、そりが合わないことも
あるだろうけどさ、そこをうまくやるのが嫁のつとめっしょ。一歩も二歩も下がるってこと、知った方が
いいよ。オレはあっちのウチ、どうも苦手でさ、あっちだってオレが行くと気を使わせるみたいだから、なるたけ
行かないようにしてたよ。でもさ、どうして女って、ああ、実家に帰りたがるんだろうね。オレんちに嫁に来たんだから
こっちの家のもんになったってこと、自覚できないもんかね。・・・・・評価:(D)
そりゃ男だもん、外で働いていればいろいろあるよ。でもさ、1回だけ取引先の女の子とあったじゃん?
1回だけだよ。ホント、1回だけ。バレたときは泣くわわめくわで大変でさ、オレ、土下座して謝ったんだよ。
「もう二度としません」って。それなのにオレの携帯盗み見たり、手帳を見たりしてさ、オレ、腹立ったから
一発ばしっとかましてやったの。もちろんグーじゃないよ、パーよ、パー。そしたらやっとおとなしくなってやんの。
それにしてもアレだね、殴られる方にも悪いところがあるってホントだね。亭主の言うことが信じられないかっつーの!
・・・・・・・・・評価:(D)
生活費はフィフティにしてるから、後はオレの小遣い。カミさんだって、亭主が外でみみっちい男って言われたく
ないでしょ?貯金は生活費の中から何とかしてるんじゃないのー?子どもが大きくなれば教育費にかかるって
わかってるんだから、さ。
・・・・・・・・評価:(D)
そんなこと言われなくったってわかってるよ。オレ、カミさんのこと愛してるもん。カミさんだってそうだと
思うよ。愛する人につくすのが女の幸せってよくいうじゃん。オレの幸せはカミさんの幸せだよ。ウチは
ばっちり。そりゃ不満なところはあるけどさ、ま、こんなとこじゃないの?
・・・・・・・・評価:(D)
■ 2006.08.23 ■【エンマ帳の行方〜その1〜】
ただいま熟年離婚バブル前夜だそうで、退職を前にした50代の男性諸氏にとっては胸騒ぎの日々なのだそうです。
それは熟年夫婦の場合、多くが妻からの申し出であり、固い意志をもっての離婚請求のため、不調になったとしても
それは長期間の別居となるか、裁判にもつれ込むかのどちらかになるためだからだそうです。
女は子供を産むようにできているんだから、特に気をつかう必要はないでしょ。大体昔の女は産まれる前まで畑仕事を
してたっていうじゃない。オレは仕事で疲れているんだからそんなことまでできないよ。つわりで苦しいったって、アレって気の持ちよう
だっておふくろが言ってたよ。仕事だってちゃんと行ってるしさ。仕事ができるくらいだったら、家事だって
できるはずじゃん?・・・・・・評価:(D)
オレだって、会社ですんげーストレス溜まりまくってるよ。なんで家に帰ってきてまで女房の機嫌取らなきゃいけない
わけ?・・・・・評価:(D)
立ち会ったって別にオレが産むわけでなし。別にいいんでない?・・・・・・・・・・・・・・・・評価:(D)
だーかーらー、オレ、会社で疲れてるっつーのっ!仕事がなくても友だちとのつきあいは重要だし、休日は次の週の
ために休養が必要なのは当然でしょ?メシの手抜きは許さないよ。オレ、グルメだし。子供ができたからって、オレの面倒は前と同じしてもらわないと困るよ。子供をさぼる
理由に使うなんて妻としてはサイテー。オレが稼いでるんだから、当たり前っしょ?・・・・・・・・評価:(D)
オレ、子供って苦手なんだよね〜、どうしていいかわからないじゃん?泣いたらカミさんがあやすのが
当然でしょ?母親なんだから。とにかく夜に泣かれると困るわけよ。泣いたらどっか連れて行って欲しいな。
オレのおふくろだってそうしたっていうよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・評価:(D)
仕事がいつ終わるかわかんないのにできるわけないじゃん。カミさんも働いてるって、所詮女の仕事だから
大して重要なことしてないだろうから、時間の都合なんかどうだってつけれるんでないの?ウチの課の女性
たちもよく仕事おっぽらかして帰るよ。これだから女って困るよね。仕事に責任感がなくてさ。
・・・・・・・評価:(D)
子供のことはカミさんに全部任せてあるよ。夫は外でばっちり稼いで、妻は家で子供をしっかり育てる。
理想の家族だよ。ウチは。話さなくたって夫婦だもん。オレの考えていることはわかってるはずだよ。以心伝心ってやつ?
ま、子供はとにかく会社で自慢できるような学校に行って欲しいってのが今の望みかな。同期のAんちの子がB大附属
だから、それ以上のレベルの学校に入れって、子どもにもカミさんにも言ってあるの。本人のためだしね。これも親心ってやつよ。・・・・・・・評価:(D)
本人がやりたいっていうからやらせてやったよ。オレ、話がわかる亭主だからさ。人に自慢できるような
仕事をみっけてきたから許してやった。弁当屋のパートなんか、恥ずかしくて人に言えないから許さなかったんだ。
仕事してるから家事を手抜きしてもいいって理屈なんか通るわけないでしょ?主婦は家族に気持ちよく過ごさせる
のが役目だもん。仕事もきっちり、家庭もばっちり。それが社会人ってもんよ。
カミさんだってちゃんと納得して働いてるよ。約束させたから。でなきゃやらせないよ。
家計は当然折半。男女平等だよ。ほらジェンダーってやつ?フィフティにしなきゃ平等にならないじゃん。
オレも外でつきあいがあるから、そういう時のために貯金はちゃんと
しておいて欲しいな。ほら、山内一豊の妻っているじゃん。賢い妻ってああじゃなきゃな。困ったときはちゃーんと
蓄えてあるって、妻の鑑だよね・・・・・・・評価:(D)
■ 2006.08.17 ■【残り物にはナニかある】
モラハラ被害者になる方の話を伺っていると、結婚時期が29〜30歳といった年齢が多いように感じられます。
やはり30を前にするといくら晩婚の世の中とはいえ、歩道用信号機がパカパカ点滅するような気分になるのでしょう。
そして夫の二度目、三度目の結婚相手として選ばれる人も少なくありません。
#そう言えば「離婚裁判」の椿英一郎もそうだったよなぁ。
■ 2006.08.03 ■【見えない鍵】
昨日のニュースで茨木市の監禁事件が報じられました。去年の「小林王子監禁事件」の時とまったく同じ
状況のようです。甘やかされて育った男が、最初は優しげに女性にふるまい、家の中に連れ込んだとたん豹変する、これは
モラ夫の手口と一緒です。
■ 2006.06.29 ■【現代オイディプス】
奈良県で起きた家族焼死事件は、私にとってひやりとして、そしてほっとした出来事でした。
家に火をつけて継母と弟妹を殺した高校生は学校で成績に関する面談があり、成績のおもわしくない彼は
追いつめられての放火であったと現時点では伝えられています。
■ 2006.06.15 ■【精神的DV】
ある被害者の方からメールをいただきました。某相談所に「夫からモラル・ハラスメントを受けているのですが」と言ったところ、「ウチでは精神的DVです!」と言って、がちゃんと電話を切られてしまったそうです。
ところで、この「ウチでは精神的DVです!」と言って一方的に電話を切った相談所のような話を時々聞きます。「精神的DVをなぜモラル・ハラスメントと言う名前で置き換えなければならないのか」というものです。
どうしてDVに関わる方達が、こんなにこのモラハラと言う言葉を毛嫌いするんだろうと考えました。私はモラハラの被害者ですが、前にも書いたとおり私は精神的DVの被害者ではないと思っていました。DVという言葉では納得がいきませんでした。
「こういうことが精神的DVと言うのですよ」と書いたものを知っていても、です。
■ 2006.05.21 ■【昼下がりの放言】
心地よい日曜のお昼時、私は花の苗を買いに車で出かけました。DIYショップからサフィニア・ベゴニアなどの苗を買い、るんるんと
車に戻ってカーラジオをつけると、落ち着いた男性のトークが聞こえました。彼は70年代人気のあったフォークグループのリーダーでした。聴視者の投稿を読んだ後のようで、彼に対してのコメントを語っていました。
どうやら妻に逃げられた夫からの投稿らしく、「家事は大変ですね〜」と慰めていましたが、その次の言葉に私は唖然としました。
「はぁ〜〜〜???この人は女性が掃除や洗濯をインプットされて生まれてきていると思ってるんだ!!」
話の締めくくりは「世の中の奥さん達も、年取って旦那さんを捨てるなんて仕返しはしないでくださいよ(意訳)」。
年を取るまで耐えてきた妻たち、やっと開放されると離別した妻達に「別れることは仕返しだ」と。
どんだけ辛い思いをしてきたと思ってるんじゃぁぁ!!どんだけ涙を流して来たと思っとるんじゃぁぁぁ!!
きっとこの人は水戸黄門が印籠を出したら「黄門さん、ずるいですよ後出しは。悪いことをする前に出さないと犯罪抑止にならないじゃないですか」
なんてことを言うんだろうな。
補助金出すのもいいですが、根本対策は別のところにあるんじゃないですかね〜。
■ 2006.04.16 ■【まっすぐに。】
先日たまたま立ち寄った本屋さんで一冊の本を見つけました。我が家の娘と同じくらいの年頃の、若い茶髪の女性が赤ちゃんを抱いている表紙には「大家族青木家の長女・波瀾万丈の半生」
というコピーがついていました。ぱらぱらと立ち読みをしてみたら、テレビで放映された子沢山家族の、長女の方が書いた本であることがわかりました。
時々テレビでは5男6女とか7男2女といった大家族の姿が放映されることがあります。山ほどの洗濯物や大量の食材を毎日さばいているのは、
たいていガラッパチのようなおっかさんと、大きくなった子どもたちです。しかし、この本は「陽気な大家族」とは一風違った趣がありました。
作者の青木あざみさんは、生まれるとすぐ、住むところがないままに離れて暮らす父母から養護施設に預けられ、ずっとそこで育っていました。
この夫婦は子供を施設に置き、離ればなれに住んでいるのに、なぜか子供だけはポコポコと生まれるという不思議な夫婦なのですが、
ともかくあざみさんは小学校に入るまでひとりだけ施設で育ち、その後引き取られ、大家族の母親的仕事を強いられることになります。
優しかった父とは正反対に、母は彼女を身体的にも精神的にも虐待し続けました。その虐待はいつも父の見ていないところで行われ、
父が家にいると態度をガラリと変えて優しくなったといいます。
「娘さんが離婚したいということについて、原因は何だと思われますか?」
「。。。愛情がなくなったということじゃないですかね」
「ん〜、そうではないと思いますよ。娘さんの話を伺うとね、旦那さんって男らしくない人ですよね。何でも人のせいにして、ものすごく卑怯な男ですよね」
「娘も気が強いものですからね」
「気が強いから、今まで持ったんだと思いますね。めそめそ泣くような人だったらきっと持たなかっただろうと思いますよ」
「お父さんもね、酔っぱらって暴れて妻子に迷惑をかけてきたわけでしょう?そういう中で娘さんは育ってきているわけですから、気が強くもなるんじゃないですか?
そうしないと生きて来られなかったわけだから」
「。。。。。」
「あなたの奥さんは、お嬢さんに対してどういう風にしていましたか?」
先生がどういう答えを期待してこの質問をしたのかはわかりませんが、この問いに、考えることもなく、何のためらいもなく、父は言いました。
■ 2006.02.17 ■【叱ってください】
さて、前回の続きです。
内館さんはあのエッセイの中で、「イヤというほど身にしみたのは、周りで見ていた男子職員の態度である。
例外なく見て見ぬ振りをするか、ハラッサーのご機嫌を取る。こんなその場しのぎの助け方はして欲しくないなぁと思った」と書かれています。
なぜ男子社員は彼女に「そんなことやめろよ」の一言が言えないのでしょうか。男子社員は知っているのです。もし
その一言を発したら、どんな報復が待っているのかを知っているから言えないのです。
この手の人物というのは、下にも書いたように平気で嘘をつき、奸計を企てるのが非常にうまい。
そんなに難しいことではありません。社員食堂で4〜5人集まって昼食を取っているときにふと「○○さんったら、
またミスってるのよねぇ。あの人いつもそうなのよ。この間だってね・・・」と一回の誰でも犯すミスをさも
いつもしているようにヒソヒソ声で話す。ミスがなかったら作ればいいだけです。普通こういう話は本人には
伝わらないようになっていますから、誰もそれが本当かどうかなんてわかりません。
また、不思議なことに「××さんて、いつも人の悪口を言う」とわかっていても、人の悪口というものは聞いていて面白い。
その人がどういう人なのかを「いったん棚に上げて」聞き入ってしまうものです。
そうやってあたり一面に、それこそあることないことの話をばらまけば、いつかは上役の耳に入ることに
なっています。伝言ゲームで広がった噂はそれこそオヒレもハヒレもついて、原型がとどめないほどに
なっています。
ともあれ、男子社員は小さな風評で自分の将来が閉ざされたり、曲げられたりすることを知っているのです。
だから誰も、何も言えない。
それは初めて会う夫の叔父でした。いつものように私をこき使っていた夫が、更に使おうとしたとき、
叔父が「おい、お前はこの後もこの人を使う気か」と言いました。
「ああ、こいつはいいんだ、使っても。平気なんだ」と返すと、いきなり「ばかもん!!!」と怒鳴りつけ
たのです。「お前はどうしてこの人をそうやってこき使うんだ!どうして、『この後はいいから休んでなさい』
と言えないんだ!こんなこと、俺たちだけでやればいいだけの話だろう!少しは人の身になって考えろ!」
■ 2006.01.25 ■【「暖簾にひじ鉄」〜内館牧子さん〜】
先週発売された週刊朝日(1月27日号)に内館牧子さんが「モラハラ」というタイトルでエッセイを書かれていました。ご自身もモラハラの被害を体験され、朝日新聞に書かれていた被害者の談話を「大げさでも作り話でもない」ときっぱり書かれています。
内館牧子さんは実は今まで、何かの度に時々出会ってきたお名前です。ただし内舘さんは何もご存じなく、勝手に私がほのかな思慕を寄せて「何かある」と思っているだけです。
■ 2006.01.03 ■【平気で嘘をつく人々】
「ちょっと!ちゃんと並びなよ!横入りするなよ!」
大学教授のような知的な雰囲気の
立派な身なりの中年男性でした。彼は私の後から来ていますから、私が一番前に立っていたのを知っているはずです。「えぇ?!」という私の顔を見て
更に、「ずるいことするなよ!」と怒鳴りました。その剣幕で声も出せないでいると、彼の後ろに立っていた男性が「ボクの前に来るといいよ」と言って
間を開けてくれました。「すみません」と頭を下げて入ると、その男性が「結局は同じでしょ?」と前の男性に言いました。
「そりゃそうですけどね」そういって彼は前を向きました。
私はその時かなり体調が悪く、言い返す元気もありませんでした。体調が万全だったらそこでK-1のひとつも披露できましたものを。残念です。