風に吹かれて〜Blowin' in the wind〜



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■ 2005.11.12 ■【熟年離婚】

「熟年離婚」というテレビ番組が放送されています。私もタイトルにつられて見始めましたが、いささか拍子抜け の内容でした。夫は確かに企業戦士を地でいく生活だったようで、そのエピソードは松坂慶子さん扮する妻の口から 語られますが、私にとっては「それが何?」といったようなことが大半なのです。

「私に相談もなく家を買った」
「両親が来たときに食事を一緒に行かなかった」
「あなたはいつも自分勝手に物事を 決めてきた」

モラル・ハラスメントを体験してきた人にとっては、そんなこと毛ほどのことでもありません。 モラハラの熟年被害者たちは、家庭の中で夫からいじめ抜かれてきたのです。

今、離婚率が下がっているそうです。もちろんこれは2007年にスタートする年金分割制度によるもので あることは、衆知のことでしょう。団塊の世代は数も多い分、2007年以降離婚件数が増大するであろうことは 火を見るよりも明らかです。 年金が分割支給されたところで、それは左うちわにはほど遠い金額でしかありません。しかしそれでもモラハラ被害者にとっては、 今よりも100万倍幸福な生活になることは間違いありません。表向きはどんなに贅沢で幸せに見えたとしても、家の中では銃弾が飛び交い、 どこに埋めてあるかわからない地雷を踏まないよう、息づかいにすら気を配らなければならなかった人たちに、 この年金分割制度は遅すぎたとも言えます。

離婚してから、あるいは別居してから、「生きることがこんなに楽しいものだと思わなかった」と口々に語り、鬱やノイローゼ、 頭痛、腰痛、肩こり、湿疹、その他身体的な悩みからも解放された人たちの生の声が、BBSには書き込まれています。 熟年離婚は「長い間働いてきた男達に対して酷な宣告」と言う人もいるでしょう。ですがモラハラ被害者を、「自分に正直に生きたい」や「この夫と一緒に暮らしたくない」というようなレベルの人と一緒に しないでいただきたいと思います。学校でシカトされたり、悪口をいいふらされたり、教科書や靴を隠されたりして自殺する生徒を かわいそうと思うなら、家で同じことをされている妻達も理解していただきたい。私たちは生きるか狂うか死ぬかの瀬戸際の 中で、子ども達を夫から守ってきたのです。

モラル・ハラスメントは親子間でもあります。この頃目にする子ども達の血なまぐさい犯罪の陰に、モラハラが 介在している可能性は充分にあります。

私は1年半後離婚件数が増大した時、その理由の第一位になるのはモラハラだと思っています。しかし、それが 本当にモラハラなのか、単なる理由付けでしかないのか、判断するべき司法の場でモラハラに対する正しい認識が なかったら、大混乱になるであろうことは容易に予想されます。一番危惧されるのは、モラハラがなんたるものかも 知らずに、自分の意に添わないことを全部モラハラにしてしまう人が出てくるであろうことです。これでは本当の被害者が 救われません。 その時までに関係機関の方々が、モラハラとはいったい何なのかを研究され、定義されることを切に望みます。
■ 2005.9.25 ■【みんなちがって、おもしろい】

ある日、小学校に通う子どもの授業参観に行きました。
国語の時間で担任の先生が、金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」を朗読しました。 「みんなちがって、みんないい」というアレです。自分の読む声に自分で感動した先生が「ほぉ〜」という 顔をするのを見て、母友たちが目を合わせて「やってらんないわ」という表情をしました。なぜならこの先生は、 みんなと一緒ができない子どもに対して、感情的な言動をする方で有名だったからです。

私は昔、教えられなくても2歳頃には字を覚え、3歳頃にはひとりで本を読んでいたそうです。 幼稚園の頃には小学生用の本を読み、計算もできました(今はできません(泣)) 早期教育もない、「小学校までには自分の名前が書けて読めればいい」という時代です。
#ご多分に漏れず、今はタダの人ですけど(爆)

ところが私の悩みは「左右の認識ができないこと」でした。靴がちゃんと履けるようになったのは小学2年の終わり頃。 どうやっても靴に左右があることが理解できませんでした。「それじゃ、履きづらいでしょう」と言われても、「履きづらい」というのがわからない。
「お箸を持つのが右で、お茶碗を持つ方が左」と言われても、実際にお茶碗と箸を取り上げなければわからない。
「対面している人と、自分の左右は逆になる」のがわからない(今もよくわからない)
だからラジオ体操で「右の手を挙げて〜」と言われると、前にいる先生と逆の手を挙げなければならないというのが、わからない。

困ったのは折り紙や切り紙の時間で、先生のとおりにやるとへんちくりんなものができる。 「みんな〜、できたものを上げましょう」と言われて、作品を上げると、いつも笑い者になりました(泣)
こんな私だから、いつも女の先生に嫌われました。女性の先生の多くは「きちんと人の話を聞いて」「きちんとした身なりをして」 「みんな一緒の行動ができる」「おとなしい」生徒がお好きのようです。私の小学生の頃の通信簿にはいつも「落ちつきがない」と書いてありました。 こんなところが母親からも嫌われる原因になったようです。ところが「おもしれぇやつ」ということで、男の先生には猫かわいがりされました。 それがもとで虐められたこともあります。

私は、字が映像として頭に記憶されます。意味を持った字ではなく、写真のように頭に焼き付きますから、それと違う箇所が一目でわかりますので 「3枚の紙に書かれていることをチェックする仕事」などは非常に早くて正確です。 折り紙ができなくても、字が映像化しても、まともな生活を送ることができると言うことですね。

「ちょっと他の人と考え方が違う」ことが長所として仕事や生き方に生かせれば、それでいいということじゃないでしょうか。 考え方が違うというのは、普通の人が普通に積み木を組んだらこういう順番で組むはずなのに、そうではない人が組むと、 できあがりが一緒でも、組み方が違います。その「組み方の順番が違う」ことを揶揄するのではなく、「人と違う発想ができる」ことに 着目すれば、日本の科学技術も発達するのではないでしょうか。

ちょっと前までは「みんな一緒がいい」というのが推奨されましたが、今は「みんなちがって、みんないい」が *表向きは*認められるようになりました。 でも、現実の学校は「みんなちがって、みんないい」と朗々と朗読しながら、 「組み方の順番が違う」と嫌な顔をされ、矯正されます。 「へぇ〜、君の組み方、面白いね〜」と言ってあげれば伸びる素質を、そこで 摘み取ります。大体、教員採用試験は、四角のものが四角にしか見えないような人でないと合格できないようになっているように思います。厳しい受験戦争を勝ち抜いて 来た人たちに「みんなと違う苦しさ」は理解し難いことでしょう。「みんな一緒が楽でいい」と思っているかもしれません。「みんなと違う子ども」はものすごい未来を持っているのに。

みんな一緒でみんないい、ではなく
みんなと違うから面白い


もっと大人に余裕のある社会になったら、きっと「みんなと違う子どもたち」が、日本を救う大人になる日が来るでしょう。
■ 2005.8.20 ■【杉田かおるはACの鑑】

セレブ結婚で有名になった杉田かおるさんが、あっという間に離婚されました。その騒動は毎日のワイドショーに話題を提供し続けていましたから、 きっと本人よりもよく知っている方が多いのではないでしょうか。

あるワイドショーで芸能レポーターがこんなことを言っていました。
「杉田かおるって人はとっても頭のいい人なんですよ。こっちの言うことを即座に理解し、こっちが欲しい答えをポンと出してくる。 武田鉄矢さんが杉田さんを心配していると聞いたら、『金八先生が心配してくれている』と涙ぐんでいましたよ」
杉田かおるさんは、決して幸福とは言えない家庭に育ったときいています。 私は「杉田かおるってACの鑑のような人だなぁ」と思いました。

「相手の言う意味を即座に理解し」
「相手が欲しい答えをポンと出す」

これは物心ついたときから、そうしなければ生きていくことができなかったACの特技です。
「他人が自分のために心配をしてくれている」
ACはそれだけで涙を流せる感性豊かで、健気でいじらしくて、悲しい人間です。

そろそろ来年卒業される方の就職活動も終盤に差しかかってきましたが、私はACほど営業やサービス業に 向く人はいないのではないかと思っています。 相手が何を欲しているかを読み取り、さっと提供することができる。本来努力家ですから勉強は惜しみません。 「人が喜んでくれる」というのが自分の喜びであり、そのためにはどんな苦労も厭いません。 責任感があり、上司に忠誠を誓ったら、裏切り行為なんか絶対にしません。 とてもじゃないけど昨日今日、付け焼き刃のマニュアルなんかで身につけた人には太刀打ちできないはずです。

私は会社でAO入試ならぬ、AC入社試験をしたらいいと思います。 人事担当者は「生まれた家は父がアル中でよく暴れてましたが、しょうがないと思って諦めてました〜」と言って、 あははと笑う人がいたら、即決してくださってかまいません。きっとあなたの会社のお役にたつ人材のはずです。
ただし、同じACでも私利私欲の権化になっているような、ハラッサータイプになっているヤツもいますから注意して下さいね。 それを見抜くためには、私のサイトを隅から隅まで読んで下さいませ。

社長さん、ACをひとり、いかがですか?
■ 2005.8.12 ■【新盆】

ある被害者が亡くなりました。
正確に言えば、亡くなっていました。長い間、病気で苦しみこの世を去りました。
45歳でした。
私と彼女は20年以上のつきあいがありました。彼女は夫の経営するお店の品を営業で売り歩き、私はそのお客さんでした。
陽気で勝ち気で、その売り込みはちょっと強引とも言えるものはありましたが、営業の端々で語られる彼女の子供達の様子に 自分の子供を重ね合わせては、母親同士としての会話もよくありました。
私がモラハラを知ってすぐの頃、私はモラ夫の様子を友達に聞かせていました。モラ夫をかばう必要はありません。悪いのは夫ですから、人に話して聞かせて何が悪いと思っていました。そばで黙って聞いていた彼女が商品をいじりながらポツリと言いました。

「あたしんちなんか、もっとひどいよ」
「えっ?!」
「あたしんち、生活費、月に5万円しかもらえなかったんだよ」
「それって、食費を合わせて?」
「そうだよ。全部」
「それじゃぁ、やってけないでしょーー!!」
「うん。すごく大変だった。ずっと」
「足りないって言えば?」
「言っても無駄。ないって言われるだけだもん。怒られるし」
初めて聞く話でした。そういえば顔色はいつも青黒く、決して健康的ではない人ではありましたが、その明るさの陰には悲惨な生活があったのです。

「でもね、病気して入院したでしょ?それでね、兄に初めて言ったの。辛いって。そしたら兄が『子供のためにがまんしろ』って、生活費を援助してくれるようになったの。それから楽になったわ」
その時私は彼女がモラハラ被害者であることを確信しました。そして今度会ったら、「あなたはモラハラの被害者よ」と教えてあげようと思っていました。 この頃見ないなと思っていた先日、彼女が去年亡くなったことを知りました。

病気はモラハラがストレスの誘因であるとは立証できません。「そのツラさは、病気です」に登場するモラハラ被害者の方は、夫からのストレスで関節リウマチを発症した可能性があると書かれています。 その闘病生活の辛さは、きっとその病気になった人でなければわからないと思います。本の中には壮絶な生活が綴られています。

私は結婚してすぐ貧血になり、それは毎年の健康診断に数値として現れました。 そして私はいつも氷を欲しました。製氷器にある氷に両手を突っ込み、貪るように氷を食い続けていました。台所いる時には、大きなボールに氷を入れ、口に含みながら、また、早くその冷たい感触を咽頭に這わせたくて、ガリガリと噛み砕いては喉に送り続けました。 外食の時は、子ども達が飲み物を飲み終わるのをジリジリと待ち、終わったとたんに、底に貯まった氷を食べ続けました。世の中にこんなに美味しいものがあるのかと、とろとろと喉を伝う甘露に、うっとりしながら喉を震わせました。 これが「氷食症」という貧血症状のひとつであることを、私はつい最近知りました。
貧血は別居したとたん、ケロリと治りました。

「今の人は何でもストレスのせいにする。甘い」と元義母がよく言っていました。
「我々の世代はそんなこと言ってられなかったんだからね」
確かに戦中戦後に生きた人はそうでしょう。しかし、この物資が有り余る世の中で、自分を生かすために人を貶める人たちが、今も犠牲者の山を築いていることは事実です。お義母さん、実際あなただって、夫からのモラハラで精神を病んだじゃないですか。

彼女のお兄さん。なぜ彼女が「辛い」と言った時に「子どものために我慢しろ」ではなく、「我慢しないで帰ってきていいから」と言ってくれなかったのですか。 ご自身も厳しい生活の中で、妹に援助をする方でしょうからきっと妹思いの方なのでしょう。もし世の中にモラハラの概念がちゃんと浸透していたら、結果は違っていたかもしれません。

Tさん。あなたの初盆が来たよ。今年、こんな形でお盆を迎えるとは思わなかった。
Tさん。あなたの人生って、何だったんだろうね。
もう我慢しなくていいから。耐えなくていいから。
もう、そっちには、あなたの夫はいないんだから。
■ 2005.7.26 ■【絵に描いた餅】

おかげさまで、当サイトのアクセス数がめでたく30万ヒットを越えました。ここを訪れる多くの方が自分が 被害者であることに気づかず、苦しい日々を送っていました。そしてモラル・ハラスメントという言葉で救われてきました。 なぜモラハラの被害者たちは、自分が被害者であることに気づかないのでしょうか。

私がモラハラを知る前、DVの中に精神的暴力があるのを知っていました。ですが自分が被害者であることに気づきませんでした。 それは「これは精神的暴力だよ」と書かれているものの多くが、あまりにも周りによくあることだからです。 「誰のおかげでメシが食えるんだと思っているんだ」いうのが精神的暴力の一つならば、私の専業主婦の友達100%が夫からそう言われています。 私のまわりではDV率100%です。

これでは絵に描いた餅の様相を呈します。男女雇用均等法が出来ても、本当に均等にはなっていないのは衆知の事実です。 「あれは食べることができないお飾りの餅なのだ」と私たち女性は思っています。「とりあえずそう書いておきゃいいだろうと、お上が書いた もの」と、タテマエでしかないのだろうと思います。 確かに「誰のおかげで〜」というのは言い返すことができないのを承知の上で使う、 妻を精神的に責める卑怯な道具であることには間違いありません。ですがこれがあまりにも身近によくあるために、自分が精神的暴力の被害者 であることに気づくのが遅れてしまうというのも皮肉なことです。

DV(ドメスティックバイオレンス)という言葉では大げさすぎて、自分のこととは思えません。 イヤミを言う、口をきかないなどでは、当事者は暴力とは思えないのです。 大体、夫婦げんかの腹立ち紛れで発せられた一言と、執拗に繰り返される言葉の暴力では同じ言葉でもレベルが違います。 それなのに文字化したときには「どこにでもあること」になってしまう。

【レベルMAX】を表すのはイジメという言葉です。
「家庭内イジメ」で初めて気づくことができます。

「私は家庭の中で夫からひどいイジメにあっている」


これが一般の人に一番わかりやすい言葉だと思います。
学校で子どもたちが受けるイジメ。

シカトする。情報を教えない。すれ違いざまに「バイキン!」「死ね!」と言われる。大事なものを捨てられる。 やってもいないことをやったと告げ口される。 先頭で指揮している優等生は、先生の前ではその気配は微塵も見せない。先生は「いじめられる方にも結構問題があるのよね」と言うか、 おざなりに注意するだけ。 イジメを受けている生徒は萎縮し、不登校になり、最悪の場合は自殺にも追い込まれる。

どうです?同じでしょう?

なぜ学校のイジメは大問題となり、家庭内のことは「個人のことだから」「どこでもあること」「我慢するのが当たり前」と放り出されるのでしょうか。

モラル・ハラスメントをする人たちには特徴があり、また受ける人たちにも特徴があります。 イルゴイエンヌさんが「被害者学」を学ばれたということで、この分類を可能にしたのだろうと思います。 例えば、モラル・ハラスメント加害者は平気で嘘をつきますが、それは彼らが良心と いうものを持っていないからです。自分が正しいと人に思わせるためには、どんな謀でも 巡らしますし、過去の事実をねじ曲げ、人に対して心理操作をします。 モラルハラスメントの加害者は、非常に心理操作に長け、頭もいいし、社会的ステータスの高い人が多い。

被害者は一生懸命相手の求めているものを読みとろうと、ビクビクして毎日を送る ようになります。毎日一緒にいる人の不機嫌は、共に暮らしている者に対して刃以上のダメ ージを与えます。妻は夫の目配せひとつ、終いにはその状況で夫が欲するのは 何かを瞬時に考え、提供するという、完全な支配下に置かれます。

モラル・ハラスメントはサイコホラーです。 もしモラハラ加害者が相手を支配下に置き、その威圧感で相手をコントロールしたら、 被害者は何の指図も受けずに殺人をも犯すでしょう。 教唆にすらならない。何も言っていませんから。

家庭の中で子供を叩くようにし向けることもあるでしょう。叩けと言われなくても 叩かなければ報復が待っていると思えば叩いてしまう。

私は自分が蜘蛛の巣にかかった昆虫のようだとわかっていました。 わかっていながら何もできませんでした。それほど巧妙に追い込んでいくのです。 被害者は脱出するしかありません。もし、共存するならば、相手は巨大な権力を持つ 大魔王ではなく、劣等感にまみれた単なる薄汚いおっさんなのだという正体をしっかり見据え、飲み込まれない ように気張って生活することが大事です。ただ、子供が同じように思ってくれるかどうか。そこが不安の材料ではあります。
■ 2005.6.14 ■【お父さんの生きる道】

このサイトとリンクしてくださっている荘司雅彦先生の著書にある戦略が「離婚弁護士U」で、瀬戸朝香さんが扮する弁護士さんのセリフとして使用されました。ご覧になられた方も多かったことと思います。

あのドラマのあらすじはこうでした。
定年間近のサラリーマン。子どもたちも大きくなって家から独立。パートの妻と二人で暮らしていました。しかし、ある時から夫は生活費を渡してくれず、妻が問いつめると「うるさい!」と一喝して暴力。 生活費も渡さない、DVもある。これは離婚事件かと弁護士は策を巡らしますが、ある事実が発見されます。夫はリストラされ、無職となったことを妻に言えず、職探しをしていたのです。
営業職だった夫のエピソードが挿入されてホロリとさせる場面もあり、妻は「私もパートを増やすわ」と人情話のような結末となりました。

さて、このお話の一番の問題はどこにあるでしょうか。なぜお父さんはリストラされたことを妻に言えなかったのでしょうか。私はお父さんが「俺は男だ」「男は稼いでナンボのもん」と思っていたことが一番の原因だったと思います。もちろん「家族に心配をかけてはいけない」とも思っていたかもしれません。でも、もしそれだったら殴るでしょうか?
「あれはドラマだから」というのは置いといて、「あのお話は現実でも結構あるだろうなぁ」、「お父さん、オトコやめればいいのになぁ」と思いつつ、アイロンかけながらテレビを見ていました。

お父さんが仕事を失って無収入になったら、お母さんが働けばいいし、お母さんの収入が少なかったら、二人で働けばいい。そこでお父さんが10万円、お母さんが15万円稼いだら、お父さんは女よりも収入が少ないなんて卑屈にならず、お母さんも男のくせにアタシより稼げないの!なんて鼻をふくらませず、「今月は25万円あってよかったねー」と顔を見合わせてあっはっはと笑えばいいじゃないか。「今月はヤバイかもしれない」と思ったら、どこをどう節約しようかと巨頭会議を開けばいいじゃないか。(節約術もやり出すと結構楽しいもんです)男だから、女だからとこだわると、不幸になってしまうことが沢山あるような気がします。

お父さん、誰のおかげでメシが食えると思ってるんだと言うのはやめましょうよ。
お母さん、オトコにお茶を淹れてもらって、罪悪感を持つのはやめましょうよ。
誰が淹れてもおいしくお茶が飲めれば、 それでいいじゃないですか。
■ 2005.5.2 ■【離婚】

時々新聞や雑誌に「離婚率何%」という数字がのります。離婚はもうすっかり身近にあるもので 「ててなしご」などという言葉はもはや死語になってしまいました。それでもやはりずっしりと 重たい言葉であることに変わりはありません。

私の離婚が決まったのは、このサイトを作って丁度半年がたった日でした。モラハラを知ってから、 「私は離婚しなければならない」と心に決めたものの、どうしても後一歩の足が出ない。 別居でいいんじゃないか、夫に単身赴任してもらおう。いろんな策が浮かんでは消えました。
それを覆したのは、調停が始まって私が弱気になったと見てとった夫が再び高圧的な態度になり、嫌がらせを 再開した時でした。

「これはもうダメだ」

調停最終日は「久しぶりにまとまった」と浮かれた調停委員に早く早くとせかされ、裁判官から 「これで離婚が成立しました」と申し渡された日でした。離婚するつもりのなかった夫は呆然と、 それでも最後の演技を気丈に優しい夫のままで締めくくりました。 その場に立ち会った人から見れば、最後のどんでん返しが決まった私の笑みとは対照的な光景 だったと思います。

調停が終わった日から数日後、私はまだ離婚届を出していませんでした。
もう終わったことでした。決まったことでした。でもそれはまだ私の手元に残っていました。
その夜、街で偶然夫を見かけました。通りをはさんで向こう側にいる夫は、相変わらずのイイ男でした。
「あの人はもう、私のものじゃないんだな」
ちょっとした感傷に浸っていたとき、ふと彼の恰好がいつもと違うのに気づきました。「あんな恰好を するなんて軽すぎる」と普段から言っていた恰好を彼はしていました。彼の精神状態が普通でない ことは、たぶん私にしかわからなかったでしょう。 彼は失った家族を、もう永遠に手の届かない夢を、心の中で反芻していたのでしょうか。黙々と 動く彼は、ひどく痛々しく私の目に映りました。
通りのこちら側でずっとそれを眺めていた私はその時、彼のための最後の涙を感じました。

間違いなく、それが最後でした。

そして翌日、離婚届を出しに役所へ行きました。私の右隣には出生届の用紙を持った若い父親が そわそわと紙を畳んでは広げ、眺めては畳んでいました。そして左隣では結婚届を手にした カップルが、ひそひそと語らっていました。職員側から見れば、結婚届、離婚届、出生届の順に 並んでいたことになります。それはそこで毎日暮らす者にとっては、何の変哲もない普通の出来事 なのでしょう。奥のタイプ室からは、ひっきりなしに各種届けを読み上げる声と、タイプする大きな音が聞こえてきました。

離婚届を出し終り、一通り職員と話をし、部屋を出ようとしたときに、タイプ室から夫の名前に次いで、 私の名前を読み上げる声がしました。きっとずぅっと前、私たちが結婚したときも、同じように読み上げられた のでしょう。続いてガシャンガシャンという重いタイプの音が、部屋中に鳴り響きました。
その一瞬、ほんの一瞬、時が戻ったような気がしました。

そして私は、振り返ることなく、部屋を後にしました。
私の行く道は前しかない。
未来に続く道は前しかない。

だから私は、今を生きます。
■ 2005.4.14 ■【ロボット音声】

先日仕事で当地のお役所に電話をしました。定期人事異動のため担当者が代わったということで、若い女性が電話口に出ました。 出たとたん「うわぁ、これかぁ」と頭がクラクラしました。私の住んでいる地方だけなのかもしれませんが、お役所、またはそれに 近い団体の若い女性職員の話し方がこのところ妙なのです。低いトーンでぼそぼそとロボットのように全く感情のない話し方をするのです。

以前「ウッソー!」「ヤダー!」というキャピギャルの話し方が話題になったことがあります。「わたし?昨日?駅で?友達と?」と全部疑問文で区切る話し方もメマイがしましたが、このロボット音声に至っては、 いったいどこでどう研修しているのかと思います。個人の問題でない証拠に、他の若い女性に代わっても同じようなロボット音声なのは、「電話はロボット音声で話しましょう」と指導しているとしか考えられません。このロボット音声 での声は、どの人が話しても同一人物のように聞こえるのは薄気味悪いことこの上がありません。

この抑揚のないロボット音声の持ち主と話していると気が滅入ってくるだけでなく、 「この人のためにどうにかしてあげよう」という気持ちが霧散してしていくのが自分でわかります。
「無理なのはわかっていますが、そこを何とかお願いできませんでしょうか?」と感情を込めて言われると、私だって人の子。あの手、この手、裏の手、例外の前例を引っ張り出して理屈をこねくり回し、どうにかして あげようと夢中で走り回りますが、ロボット音声で「やってもらえませんか」と言われたら「できません」と、こちらもロボット音声で返すことになります。

「言葉は鏡。強い言葉で書いたら強い言葉で返ってくる」

ビジネスの場では「どれだけこちらが譲歩せず、こちらの要求を相手方に呑ませるか」という能力を求められますが、言い方ひとつでまとまるものもまとまらなくなります。 ぼそぼそと「おはようございます」と言われても、こちらの心には何にも伝わりません。元気よく、明るく「おはようございます!」と言われたら、それだけでこちらの相好も崩れようというものです。
もっともこのロボット音声がお役所及びその周辺のみで使われ、その根底にあるのが「あたしら、あんたたちよりウエ」という思いこみであるのならば、「逝ってよし!」としかワタクシは申し上げられません。
■ 2005.3.20 ■【我が師の恩】

3月に入って、色々な別れの季節やってきました。今年、子供の担任だった先生が、 定年で退職なさることになりました。この方には本当に色々なことを教えていただきました。子供の行動にホトホト手を焼いた時にいつも助けを求めに行きました。

ある日のこと、到底叶えられないような夢を追っている子供をいったいどうしたらいいものか、 相談に行きました。「こんな夢みたいなことばっかり言って、どうやったら地に足がつくようになるんでしょうね」
先生の答えはこうでした。

「夢は覚めるから夢なんです。いつか夢から覚める時が来ます。そしてまた新しい夢を見るんです。そうやって子供は少しずつ、 夢と現実をすり合わせながら大人になっていくんです」

思春期真っ盛りの子供はまるで手負いの野獣のようです。「メシ、フロ、ネル」しか言いません(^^;)
「ママ、ママ」とうるさいほどまとわりついてエプロンの裾を握って離さなかったエンジェルが、 いつしかわけのわからない生き物になってしまうのはまるでホラー映画です。
「思春期の子供の心には魔物が棲む」とも言うそうです。 頭を抱えて先生のところへ行くと、いつものようににこにこ笑いながら「この年頃の子供を持つ親御さんは大変だねぇ。みんなこの道を通らなければ大人になれないんだからね」 と仰いました。この道とは「子供が大人になる道」と、「親が親として子供の自立を見届ける道」のふたつがあるように思えます。 「子育ては親育て」とはよく言ったものです。沢山の辛抱と、沢山の諦めと、大容量のいいかげんさがなければ この仕事はできません。

そしてもうひと方、心療内科の先生。
私が「子供には20歳を過ぎたら、本当のことを伝えようと思う」と言ったところ「やめた方がいい」と 首を振られました。「子供には悩ませなさい。先に答えをあげてしまったら、それ以上の答えを見つけられなくなる。 自分で悩んだ末に答えを見つけさせなさい」と言われました。
私が離婚するまで、沢山の人たちが手を引き、背中を押し、一緒に涙して応援してくれました。春になるたびに、仰げば尊しを聞くたびに、あの 壮絶な出来事を思い出します。
人の縁(えにし)は絶対にある。私の選んだ運命の扉の向こうには、きっとまた未知なる出会いがあるのでしょう。 私はワクワクしながらその出会いを待っていようと思います。
■ 2005.2.22 ■【ACという名のラビリンス】

私がこのサイトを立ちあげて、最初にリンクのお願いをしたひとつに「いなばのしろうさぎ」さん のサイトがあります。 いなばさんは私のサイト紹介にこのような言葉を書いて下さいました。

「アダルトチルドレンという言葉がたくさんのアダルトチルドレンたちを救ったように、モラル・ハラスメントという 言葉もたくさんの被害者たちを救うかもしれません」

言葉があるというのはすばらしいことです。私も夫との関係を悩んでいる最中に「モラル・ハラスメント」という言葉を発見し、 それはそれは心が晴れる思いがしました。言葉があるということは同じ思いをしている人が他にもいるということであり、 自分だけの苦痛ではないということです。そしてACもモラハラも、生きにくいのは自分のせいではないという 責任転嫁ではない開放感をもたらしてくれました。もっともACに関しては言葉を知る前に脱しましたので、ACを知った時は 「ふぅ〜ん、そうだったんだぁ」という感慨しかありませんでしたが。

私のACは夫がなぜモラ夫になったのかを調べていく うちに見つけたものです。モラ夫の過去を調べることは、結果的に「自分探しの旅」になりました。そして行き着いた先に 連綿と続くACの系譜がありました。 父は酒乱、母は酒乱の父(祖父)を持ち、母(祖母)から愛されたいと身もだえているAC。これで私が普通の人として 育ったら、それは奇跡というものです。私のACはなるべくしてなったものです。

モラハラパブではよくAC談義が行われて います。
母が憎いと、自分をACにした父が憎いと、綿々と書き連ねる方もいます。私は「親は捨てなさい」とよく書きます。 それでも「憎い、憎い」と言いながら愛が欲しいと泣き叫んでいる方を見ると、私はたまらない思いがします。ACと言う言葉は 救われるために存在しているはずです。「ああ、自分はACだったんだ。だから辛かったんだ」と納得して解放されるためにある はずのものです。なのにACを知ってから更に奥深く迷宮に入ってしまう人がいる。 モラル・ハラスメントという言葉で多くの人が救われたのと対照的です。

それは「血」というものの残酷さなのかもしれません。
■ 2004.12.4 ■【忠臣蔵】

ウチのモラ夫は忠臣蔵が大好きでした。この季節になると毎夜延々と同じストーリーの映画が我が家の テレビに映し出されたものです。ビデオラックには「里見浩太朗篇」「片岡千恵蔵篇」「長谷川一夫篇」だの主演別に テープが並んでいる有様(笑)おかげをもちまして私も忠臣蔵のストーリーはよくよく知ってしまう ハメになりました。
「赤垣源蔵徳利の別れ」だの「堀部安兵衛高田馬場の仇討ち」だの、生きていくのに必要ない 知識がインプットされたわけです。しかしモラ夫の失敗は私に大石内蔵助の存在を知らしめたことです。

主君浅野内匠頭の仇を討とうと内蔵助は夜な夜なお茶屋遊びをしては昼行灯と呼ばれて世間の目をくらまし、四十七士を統括して、 時は元禄十五年十二月十四日吉良邸を奇襲攻撃します。もうここまで書くと私のアタマにには「さぁ〜く、さぁ〜く、さくさくさくさく」と いう三波春男大先生の張りつめた声が鳴り響きます。毎年聞いたもんなぁ。。。(しみじみ)

もっともこの内蔵助作戦は初めてではありません。昔、同好会レベルではないスポーツをしていた私は、よくこの手を 使いました。試合前の練習では弱いフリをして本番で力を出す、体力も力もない私が考えた方法です。出典は孫子の兵法。 「能なるも之に不能を示せ」

私は去年から掲示板に「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」(夫の弱点を知り尽くし、自分を知っている妻ならば必ず勝てます)と「大石内蔵助のように知らんぷりして奇襲攻撃をしましょう」 を何度か書いてきました。「知らんぷりをして」というのは知られたら命が危険というのももちろんありますが、こと攻撃に関しては 奇襲に勝るものはありません。なにしろ不意打ちをくらわせるわけですから敵は考える隙も準備する暇もありませんので まともな対抗はできなくなります。私は7並べの6と8を隠すように、モラ夫の行動先をすべて止めてから事を起こしました。 調停で「別居でいい。やり直してもいい」と一時弱気になったと思わせ、調停員の前で「離婚する」とモラ夫言わせました。 モラ夫は巻き返しのために「離婚」という言葉を使ったのです。「離婚する」と言えばいつものようにヘナヘナと言う通りになる と思ったのでしょう。私は調停員に「それで結構です」と言いました。離婚を言い出したのは夫です。私は同意しただけです。 私は夫から離婚を言い渡されたわけですから罪悪感からも解放されることになりました。「パパが離婚したいって言うんだもんねぇ、 しょうがないねぇ」と後でモラ夫に言いました。

討ち取ったりぃ〜〜〜〜でございます。

もっとも真珠湾のように敵は全部知っていて逆手に取られる場合もありますからご用心です。 その際は更にその裏をかくという手もありますわよ。おのおの方。
■ 2004.11.21 ■【メディアと真実】

映画を制作するとき、とても重要な役割の一つに「編集」があります。編集マンは監督と共に撮影したフィルムを切ったり貼ったりして1本の作品に仕上げます。 時には公開日ぎりぎりまでこの作業をすることもあるそうです。「サイン」という映画は、まるでこの映画が宇宙物であるような予告編を 作ったばかりに肩すかしをくらった観客から「金返せ!」のブーイングを浴びせられた 映画です。あの映画は「この世に偶然はない。すべて必然の出来事だ」いうことを監督は言いたかったのだと私は思っています。 ただ、面白そうな場面をつなぎ合わせて予告編を作ったばかりに観客にそっぽを向かれたしまったわけです。
今年7月、向井亜紀さんを取材したテレビ局が撮影したビデオを切り貼りし、発言の意図を曲げて放送したことにより、傷ついた向井さんがオフィシャルサイトを休止するという事件がありました。 サイトは現在も休止のままです。

昔、「新聞記者は出て行ってくれ。テレビだけに話しをする」と言った総理大臣がいました。「新聞記者は自分の言ったことをねじ曲げて書く。テレビは真実を伝えてくれる」と言いながらカメラに 向かって退陣表明をしていたのを私も見ていました。あれは生放送だったからノーカットだったのでしょうが、普通のインタビューは編集する人が欲しいところだけを切り貼りします。欲しいところとは 作り手の意図することを言ったところです。話し手の意図するところではありません。もしかすると「最初に結論ありき」といった制作者側が欲しい言葉が出るように誘導し、言わせることもあるのではないかと思います。

以前、私もよく知っている事件が新聞記事になったことがありました。読んでみると確かに事実が書かれていました。しかし何か引っかかるのです。間違いではないけれど納得できないのです。なぜだろうと考えているうちに、 ハタと気づきました。そこに書かれてあるのは「事実」ではあっても「真実」ではないのです。その事件が起こるまでには沢山の人が関わり、「起こるべくして起こった」とも言えるプロセスがありました。新聞に書かれていたのは その上っ面の部分だけです。もちろん字数に制限のある新聞というものの性質上、事実であればそれで良しとしなければならないこともあるでしょう。でも私はそこに新聞が人に伝えるということの限界を見たような気がしました。

それでは何が一番真実を伝えるのかと言えば、ネットに載せたり本を書くなど、できるだけ他人の手を経ずに公表するしか方法はないでしょう。そして読み手は何が本当で何が嘘かを見分ける力をつけ、心をニュートラルな状態にして おくことが大切なのだと思います。
■ 2004.09.23 ■【ひとり旅のススメ】

私は旅が好きです。私が敬愛するおそどまさこさん(地球は狭いわよ)の著書の中に 「トラブルとトラベルは1字違い」というのがあります。昔は旅をするのが一苦労で「旅」とは難行苦行を意味するようなものだったそうなのです。
家から一歩出ればそこは未知の世界。自分の思うとおりにはいかない、まさに魑魅魍魎のバッコするトラブル続きの時間が待っています。

旅する人には二通りあるそうです。 家から出たとたん「家に帰りたくなる人」と「もう家に帰りたくない人」。私は後者でした。このままずっと根無し草のように漂っていたい。 振り子のように毎日同じ生活を送る現実に戻りたくない。 帰る前夜は柱にしがみついて「帰りたくな〜〜〜い!!」と叫んだものでした。

私は旅ならどんな形態でもOKです。大勢で行く団体旅行ならキチンと集合時間を守り、宴会の時には一発芸も披露しますヘ(^^ヘ)(ヘ^^)ヘ
数人の旅ならば大体ツアコンとなり旗を持ってご案内します。

#ただし私に切符とお金は預けないようにお願いします。失くします(きっぱり!)

でも、私が一番好きなのは「ひとり旅」です。どこに行こうが何を食べようが誰にも相談せず勝手に決めて、今日一日を 過ごします。私はぼーと車窓からひとり外を眺めているのが大好きです。間違えて別の電車に乗ったなら「それも一興」と そのまま乗ってしまいます。「今日はあそこに泊まるつもりだったけど、やーんぴ」と予定を変えるのも自由自在。 「あそこの美術館を見るつもりだったけど、ま、いっかぁ」と割とさっぱりサバサバする時もあれば、「石にしがみついても行ってやる」と 野越え山越え行くときもあります。何のことはない。「行きたかったら行く。行きたくなかったら行かない」だけです。

店をミスチョイスしてしまったら、「食べられるだけハッピー」と思いますし、変な宿に泊まってしまったら「以後気を つけよう」とガイドブックにチェックを入れます。こうして旅を続けていくと、こういうものに対する感覚が鋭くなって いきます。店構えを見ただけて「うまそうだ」と何となくぴ〜〜んと来るようになります。

お断りしておきますと、ただぼーっとしているように思えるかもしれませんが、出かける前はかなり入念に下準備はします。サイトチェックは 怠りなく、必要事項はプリントアウトしマーカーをつけておく。それをノート形式にし、付箋を貼ってメモしておく。バッグに入れるものをリス トアップしてチェックを入れる。「もしアクシデントが起こった場合」に備えての二重、三重の装備もしておきます。 かなり準備万端整えての「ぼーっ」なのです。

私の周りにいる主婦の方の多くは「ひとりで旅なんかとてもできないワ」と いいます。「ひとりで電車に乗ったこともない」「ひとりで洋服を買いにいけない」「ひとりで映画を見にいけない」
「だって怖いじゃない。それに女ひとりなんてなんだかミジメだし」

ひとりで何かをすることを「ミジメ」と言う。ひとりは孤独だと言う。周りに誰もいないのは心細いと言う。
これはもう見解の相違ですから何も言いませんが、私は大勢も好きだけど、ひとりはもっと好きです。 あえて「ひとりにしてくれ〜〜」と叫びます。

ひとり旅に出かけてみませんか?牛丼屋で「ひとりメシ」が食べられるようになったら合格です。 誰にも指図されない、ただしすべて自分が責任を取らなければならないひとり旅に出かけられます。

私は結婚前は「旅に出たら帰ってきたくない人」でした。今は「赤毛のアン」と同じ気持ちです。
アンが友人たちと一緒に旅行に行き、帰ってきてからマリラにいう言葉。

「旅行はそりゃぁ素晴らしかったわ!でも一番素晴らしいのは帰る家があるってことよ。家に帰ってくる 時が一番嬉しかったわ!」
■ 2004.08.14 ■【スピリチュアル】

先日、書店の「お薦めコーナー」にある本にふと目が止まりました。江原啓之さんの 書かれた「幸運を引き寄せるスピリチュアルブック」

「スピリチュアル」

少し前に駆け込み寺のみちこさんが掲示板に 書かれていた言葉です。その時に「スピリチュアル」って何だろうと検索してみました。「霊的な」とか「精神世界」というような意味らしいのですが、そのままになっていました。本を手に 取ってめくってみると、最初にページに「あなたがこの本を手にとったのは偶然ではありません」とありました。 あら、どこかで聞いたことのあるフレーズ(笑)しかし「幸運を引き寄せる」等のタイトルが ついているものは眉唾も多い。 とりあえず「ハンコも壺も買わないぞ」と心に決めて(笑)購入しました。

読んでみて「なるほど」と思うところが沢山ありました。 「部屋の中には観葉植物など根ある植物をおいておきましょう」「植物が部屋の邪気を吸い取ると枯れてしまう」と書いて ありました。モラ夫と生活していた時、何度も観葉植物を買ってきたのですが、いつも枯れてしまいました。「お前の 世話の仕方が悪いのだ」と言われていましたが、モラ夫がいなくなってからはよく育ち、株分けをしてあちこちの部屋に おいてあります。モラ夫と生活していて植物の世話まで気が回らなかったせいなのか、それともモラ夫の邪気を吸い取った からなのかはわかりません。

そして「守護霊」の存在。「守護霊は魔法使いではありません。その人にとって良いこと ならばあえて苦労をさせることもある」

わたしもこの法則を知ってから、悪いことがあっても腹を立てたり いたずらに嘆いたりすることがあまりなくなりました。うまくいかないことがあってもそれは神様(江原さんのいう守護霊)が 決めたことならば意味があるのだと思うようになりました。ですからスポーツの試合を見ていてもあまり「勝ち負け」にこだわる ことがありません。オリンピックも楽しく観戦しています。

私は運命とは一本の道だと思っています。そして要所要所に 枝道がある。どの道を行くかは自分が決めることです。自分が決めたその道の向こうには会うべくして会う人が待っている。 そして別の道を選んだら、そこにも別の人が待っている。選ぶのは自分です。どの道を行ってもその結果は自分で受け入れなければ ならないのです。間違ったらそこからやり直せばいい。人間、どこからでもいつからでもやり直しはできるのですから。
■ 2004.08.06 ■【夏の夜とヒッチコック】

暑い夏の夜には怖い話がつきものです。
さて、サスペンス映画を作らせたらこの人の右に出る人はいないと言われる人に アルフレッド・ヒッチコックがいます。 まだ「ホラー」という言葉がなかった時代に、沢山のドキドキ映画を作りました。私のイチオシは「サイコ」でしょうか。 あの「キンキンキン」の音と共に襲われるヒロインの恐怖はきっと今見てもハラハラドキドキすると思います。

先日ラジオで「なぜヒッチコックはハラハラ映画を作ったのか」というのを放送していました。
ヒッチコックの父親は それは厳しい人で、息子が自分の気にいらないことをするとすかさず皮のベルトで殴ったそうなのです。ヒッチコックが その時に考えたのは「殴られている時よりも『いつ殴られるか』とハラハラしている時の方が数段緊張する」というセオリー だったそうです。

ホラーやサスペンスはこれが基本になっています。手法としてよく使われるのは音楽や効果音に よって予期不安を煽る方法です。日本映画だったらあの「ヒュードロドロ〜」の音がすれば次は幽霊が現れる決まりになって います。これは以前「ヒュードロドロ」の後に、気味の悪い幽霊を見たことがあるからできる連想で、もし見たことのない人 にあの音楽を聞かせても「奇妙な音」としかとらえられないでしょう。
モラハラを経験したことのある人ならばこれはよぉ〜くわかることではないでしょうか。モラハラ被害にあっているときは 非常に音に敏感になりませんか?モラ夫の足音、戸を閉める音、「ちっ」と舌打ちをする音、ばさっと物を置く音、大きなため息、 etc。モラハラにおいては五感のうち、この「音の部分」に神経を逆なでされる気がします。 そして、怒られる・怒鳴られる時よりもむしろ「今日の機嫌は大丈夫だろうか」とか「夫の機嫌が悪くなるから面白い放送をして!」とテレビに懇願している時の 方が、数段緊張度が高いはずです。

今年、私が職場で受けた健康診断ではすべて異常なしでした。モラ夫と結婚した年から別居するまで、私は毎年赤血球が「要精検」または「経過観察」でした。「好き嫌いせず何でも食べるように」と医師から言われていましたが、私は 好き嫌いを言えるような家庭では育っていませんので、目の前に並んだものは全部胃に納めるという特技があります。ですから食事は関係ありません。

去年、20年ぶりに「異常なし」のお墨付きをいただくまで貧血と低血圧は続いていました。健康診断を受けた頃はまだ離婚が成立していなかったにもかかわらず数値はぐんと伸び、今年は更にその上を行きました。 「メニエル症候群」は「滅私奉公型の人になりやすい」との新聞記事がありました。ビクビクハラハラの生活をしている人は 戦場で最前線にいる人と同じくらいのストレスを感じているそうです。
「自分が受けているのがモラハラかどうかわからない」方で頭痛や肩こり、湿疹、めまいなどといった症状が出ている方は、モラハラを受けている可能性が非常に高いということを 知っておいてください。 ストレスは必ず体のどこかに来ます。

ヒッチコックの作品には妻殺しのものもいくつかあります。モラハラを題材の映画も作って欲しかったですねぇ。
■ 2004.06.20 ■【1.29ショック】

ついに一人の女性が一生で産む子供の数が1.3を割り込み、1.29になりました。政府や各市町村はこれでもかと次々に色々なアイディアを出してきますが どうしてもこの数字を上げることができません。私の子供が小さいときも同じでした。「医療費を○歳まで無料にする」「保育料を第三子から無料にする」 「3人目を産んだ人には報奨金を出す」
私は腹が立ってしかたがありませんでした。どうしてこの国のお役人たちの発想はこうも貧しいのでしょうか。カネ、カネ、カネ。カネさえやれば女は子供を 産むとでも思っているのでしょうか。 日本という国は産むまではやんやと声援が飛び交いますが、いったん産んでしまえば子連れに対してもの凄いバッシングをする国です。

子供を連れてどこかに行こうとすれば世間の冷たい目が待っています。ベビーカーを押して電車にのれば、「狭い車内にベビーカーで乗り込む とは何事だ」「子供が騒いでうるさい」子供が虫歯になれば「虫歯は母親の責任」怪我をすれば「母親は何をしていたんだ」

枚挙のいとまがありません。

私の子供がまだ小さかった頃、子供プラスモラ夫ですからそれはそれは大変でした。周囲の人に「大変だ」と愚痴れば「ちょっとの間よ」 「すぐ大きくなるよ」と慰めてくれました。でも、私が欲しかったのはそんな慰めではありませんでした。私が欲しかったのは 「30分子供を見ていてあげるから、洗濯物を干していらっしゃい」という一言でした。何しろ左手で授乳し、右手で洗濯物をたたみ、 足の指で新聞をめくるという生活をしていたのですから、育児書に書いてある「両手で子供を抱き、目を見つめて微笑みながら授乳する」ことなどはできる はずがありません。

混んでいる電車でベビーカーがじゃまなら、にっこり笑って「たたむの手伝いましょうか?」と言って子供をだっこさせてベビーカーを たたんであげればいいのです。子供をだっこしている人は座らせてあげる。ベビーカーで階段を上り下りするのが大変そうだったら 手伝ってあげる。
「おんぶ紐でおんぶすればいいじゃない」と言われそうですが、夏のおんぶはもの凄く大変ですし、荷物があると 背中に子供、両手に荷物という身動きのとれない状態になってしまうのです。

電車で騒いでいる2・3歳の子供を見たら、私は一緒に遊ぶことにしています。ハンカチ1枚、紐1本あれば、それを使って 10分、15分ならば子供は機嫌良く遊んでいます。6人が10分ずつ面倒を見れば、1時間お母さんはゆっくりして いられます。

先日私の職場で50歳代の男性が言いました。「オレ、『子供が車に乗っています』っていうシールを後ろに貼っている車を見ると ハラが立つんだよな。自分を特別扱いしろって言ってるようでさ」それに答えて50歳代の女性二人が言いました。 「子供が小さいうちは外に連れて歩かなきゃいいのよ」「子供を持ったら行動が制限されるのは覚悟の上で産まなきゃね」
お二方とも未婚です。この方たちの年金は誰が払うのでしょうか
母と食事に行きました。突然他の席の赤ん坊が泣き始めました。母は舌打ちして「いつまでも泣かせていて、親は何をやってるんだろうね!」 と首を伸ばしました。自分が子育てをしていた頃のことは忘れてしまったようです。

私は『みんなに優しい社会』にならなければ 、出生率は限りなく0に近づくと断言します。
■ 2004.05.30 ■【誰も知らない】

「誰も知らない」という映画に出演した柳楽優弥君がカンヌ映画祭で主演男優賞を獲得しました。受賞された柳楽君の演技は相当素晴らしかったのでしょう。でも、私はこの映画を見ることはないでしょう。 たぶん私の記憶に間違いがなければ、この原作は一度テレビ化されています。「火曜サスペンス」のような2時間枠で放送され、お母さん役をされたのは大竹しのぶさんだったはずです。私は超多忙なモラ夫との生活のため、テレビを見る時間は ほとんどありませんでした。ですからこのドラマを見たのはシンクロのようなものです。

母親は4人の子供を捨て、男の元へ走ります。長男を筆頭に残された4人の子供たちは、肩を寄せ合って生きていきます。お金が底をついてガスが止められ、 オーブントースターで牛乳を温めるシーンが印象的でした。見てからもう10年以上になると思いますが強烈な印象を持ってまだ私の記憶に残っています。 結末はサイトに書かれていませんので、私がここで書いてしまうとネタバレになってしまうでしょうから書きませんが、見終わってから、ただ空しさだけが残る作品でした。

私はこの手の話が苦手です。真実から目を背けるのかと言われようが何を言われようがダメなものはダメです。「火垂るの墓」は 未だに見たことがありません。あらすじを聞かされただけで尻込みしました。ある時友達と買い物をしていて「あ、サクマドロップだ。火垂るの墓の女の子は これを食べられなかったんだよね。かわいそうだったね」と言った瞬間から、私はサクマドロップスの缶を見ただけでそそくさと売り場を離れるようになってしまいました(^^;)

今年起こった中学生虐待事件は同じ世代の子供を持つ私にとってかなりの衝撃でした。新聞の第一報を読んだ日は眠れず、以後数日間恐る恐る新聞を開ける日々が続きました。 最近ふと目にした記事に「男の子は体重が6キロ増え、母親の呼びかけに反応するようになった」あり、何とか生き延びて欲しいとの思いが募ります。(どなたかこの件に関する 募金が行われていたらお知らせ下さい)

ただ、思い起こせば似たような生活をしていた子供が周辺にいました。子供の同級生の女の子は同じように育児を放棄した母親に代わって、3人の弟妹の面倒を みていました。いつもお腹をすかせていて、友達の家にあがってはお菓子を食べていたそうです。結局「誰も知らない」と同じように母親は愛人の元へ走り、 仕事の都合で時々しか家に帰れない父と離れ、子供たちは施設で暮らしています。聞けばどこの学校でもひとりふたりそういう家庭の子供が いるそうです。今私が思うのは「なぜあの時、児童相談所なりに通報しなかったのだろうか」ということです。「他人の家の事情に入ってはいけない」という のが当時の一般的な考え方でした。人間の人格や行動に対して他人が口を出すことはできません。ですが被害者だけでは何もできず、他人に入ってもらわなければ 解決できないこともあります。

私は結婚末期、夫の親族に夫の行状を訴えました。みな一様に驚きはしたものの、何もしてくれませんでした。たったひとりだけを除いては「あのお父さんに似ちゃったんだね〜」と いうだけです。(この人に関する話は別にのせます)モラハラというのはカビのようなもので、日に干せば胞子は残っても 干からびます。モラ夫はとても対面を気にしますから「誰かに知られる」というだけでもプレッシャーになるはずです。ただ本格的な人格異常になると 身体的暴力に発展する可能性がありますから見極めが大切です。

どこかで「これはもしかしたらモラハラ?」という話を聞いたら、教えてあげて下さい。そして手助けが必要だったら力になってあげて下さい。 不幸な子供たちを不幸なままで終わらせないためにも。
■ 2004.05.29 ■【DV法改正】

2004年5月27日、精神的暴力をDV法の定義に加えたDV防止法改正案が衆院本会議で可決、成立しました。『モラル・ハラスメント被害者同盟』では昨年末より 体験談を募集し、賛同して下さった方々の文書をまとめて参議院共生社会調査会へ提出しました。今回DVの定義に精神的暴力を 加えていただけたのは、被害者の意を汲み、奔走してくださった多くの関係者の皆様のおかげと心から感謝しております。

これから社会が「精神的暴力」に対する考え方を認知させていくためにはまだ多くの問題が残っています。 21世紀になりどんなに科学技術が発達しても、モラハラはなくなりません。私たちにできることは被害者にならないこと。そして被害者になってしまったら、 速やかに我は被害者と訴えることができる世の中になって欲しいと思います。

新DV法は6ヶ月の周知期間を置き、12月から施行されます。このサイトには調停中の方、別居中の方、そして裁判をしている方、まだまだ 先の長い戦いをしている方が大勢います。これから行動を起こそうと思っている方は沢山情報を集めて下さい。このサイトもできるだけ多くの 情報を発信するようつとめます。 そして被害者の方々が穏やかに暮らせる日が一日も早く来ますようお祈りいたします。
■ 2004.05.05 ■【GWの憂鬱】

GWなどの長い休みはモラ夫がいる家にとっては魔の週間のようです。1日、2日ならばなんとかなりますが、3日、4日と日が経つにつれて、夫の眉間に深い縦皺が 入ってきます。これはGWに限らず、ともかく彼にとって家にいることが苦痛でならないようなのです。ならばとっととどこかへ行って欲しいのですが、趣味なし友達なし の人ですから行くところはパチンコ屋しかありません。パチンコ屋も商売ですから、そうそう毎度打ち止めさせてもらえるわけではありません。よって彼は家にずっと いることになります。

しかし我が家の場合、長期休暇には夫の親戚一同が集まるという風習がありました。1週間びったり夫の実家へ集まるわけですから、さぞかし大変だろうと 思われるかもしれませんが、これは私にとって大変ありがたいことでした。なぜなら親戚がいる間中、夫は上機嫌なのです。

夫は親戚一同に「温泉へ行こう」「買い物に連れていこう」と大サービスです。夫の親戚はとてもいい人ばかりで私は大好きでした。別れてしまった今も夫に未練はありませんが、この親戚の方々と会うことができなくなってしまったのは返す返すも残念でなりません。 ですから、傍目から見て「大変だろう」と思われる終日のお仕事もそれほど苦痛ではありませんでした。何しろ親戚がご機嫌ならば、その日のおかずに夫は文句をつけないのですから。

盆、正月、GW。私は20年間一度も実家へ帰ったことがありませんでした。近所に出ることもできませんでした。誰かが所望すれば、すぐに私がそのご希望を叶えなければならないからです。まだ携帯のない時代の話です。 義母は気を使って「たまには実家へ帰ったら?」と言ってくれましたが、そんなことをしたら夫の不機嫌が何ヶ月続くかわかりません。去年心療内科の医師に「あなたは利用されただけじゃない」と言われた 時に「いいえ、違います」と言えなかった沢山の出来事のひとつにこのことがありました。

問題なのは一同が帰った後です。

「さようなら〜〜」と手を振って見送り、くるりとこちらを向く夫の顔が「例の顔つき」に早変わりしているのです。

「きたぁぁぁ〜〜〜」

その日から家は「悪魔(吸血鬼)の棲む館」になります。ほんの数ミリ顔を縦に振ったり、横に向けたりする合図の他はまったく コミュニケーションがとれません。そして夫の気の済むまで無言が続き、ある日大爆発をして終わります。無視の理由は 私の言葉や態度。新婚旅行で言った言葉まで出てきます。

モラハラを知った今思うのは、親戚一同にサービスをして夫はストレスが貯まってたんだろうなぁということです。 夫は誰の前でもいい人でいなければならない人でしたが、とくに親戚の前ではそれが顕著でした。

自分がいい人でいるために、誰かを犠牲にする。

そこまでしていい人でなければならなかった夫の心の奥のヘドロは、今は誰に向けられているのでしょうか。
■ 2004.04.15 ■【シンクロニシティ】

先日40年来の友人と話をしました。彼女は昨年死を覚悟しなければならない病に冒され、それを克服した人です。彼女が言いました。

「この世に偶然というものはないと思うのよ。私が病気になったのも、そこからはい上がることができたのも、すべて最初から決まっていた必然の出来事だったのよ」
「世の中は良いことばかりじゃないし、悪いことばかりでもない。ちょうど同じくらいの分量で人生に散りばめられているものなのよね。ただそれを幸福と思うか、不幸と思うかはその人次第でしょうけど」

のけぞるほどに驚きました。私が考えていたこととぴったり同じことだったからです。こんなに近くに同じ事を考えている人がいたんだと、ふたりして手を取り合いました。

昨年から私の生活でシンクロニシティ(偶然の不思議)が毎日のように起こっていました。下にも書きましたが(2003.12.30)モラハラを知ることができた大元は、 ある人との出会いでした。その人と出会うことになったのも、偶然でした。シンクロニシティは、よい方向に向かうと次々と現れる傾向があるのだそうです。私の場合も驚くほどの発生率だったため、困ったときは「必ずここで救いの手がさしのべられるはず」と余裕で待っていられるほどでした。そして同じ体験を彼女もしていたそうなのです。
「何かに困るとね、必ず誰かが助けてくれるのよ」

そして私たちふたりが出した答えは、私たちが体験したことは必然だったのだ、ということでした。その必然は神によってもたらされたものに違いありません。神は何かをさせるために彼女を生かし、私に何かをさせるためにモラハラを教えたのでしょう。ここで言う神とはキリストでも釈迦でもアラーでもありません。神という以外、適当な言葉を私は思い当たらないのです。

彼女は言いました。「一生懸命生きていればね、きっと神様はご褒美をくれると思うのよ」
私は「モラハラについて」の中で、「私たちは自分の意志で動いているように見えるけれど、本当は神様が操り人形のように操っているのではないのかと。でも操っているのが神様である以上、そこに待っているのはきっと幸せのはずだ」と書いています。人生を左右するような大きな出来事に出会った後、たどり着いたのは同じ場所でした。 彼女は闘病の中で「自分が生かされた理由」を見つけ、実現に向けて歩き出しているそうです。 神は私にこのサイトを作らせるためにモラハラを教えたのでしょう。そして「偶然」このサイトを見つけた方も、「見つけなければならなかった理由」が、きっとあると思うのです。
■ 2004.02.22 ■【テレフォン人生相談】

テレフォン人生相談というラジオ番組をご存じでしょうか。今日初めて知ったのですが、この番組は全国のラジオ放送で常にトップの聴取率を誇っているのだそうです。
今日、たまたまこの時間帯に車で移動してましたので、久しぶりに聞きました。本日のご相談者はDV夫からでした。パーソナリティは加藤諦三さん。
テープにとっていたわけではないので詳細の部分まで正確ではないのですが、DV夫の言い分はこうです。数年前確かに妻に対して暴力をふるってしまった。そのとき10ヶ月の別居をし、カウンセリングにも通って努力した。しかし再び 一緒に暮らしはじめた妻は言葉の暴力で責めるのでいたたまれなくなって家を出た。そしてただいま調停中だとのこと。相談したいのは「離婚となれば娘たちは 妻にとられてしまうのでしょうか」
加藤氏:「あなたの聞きたいのは本当にそのことですか?」
DV夫:「。。。。いえ。。」
加藤氏:「本当に聞きたいことを言って下さいよ」
言葉を選びながら一生懸命話をするDV夫。知らない人が聞いたら「口べたで奥さんにやりこめられるから暴力をふるったんじゃないか。 やりこめる奥さんも悪いのではないだろうか」と思わせる雰囲気ぷんぷん。しかし?なのは加藤氏が「今は暴力はふるってないんですか」 と聞くと「私はふるってないと思うのですが、家内はどう思っているのか聞いてみないとわからない。私が手を押さえただけでも怖いって言うんです」と言う。何か隠しているような口調。

回答者の女性弁護士が入って3人の会話になり、弁護士が 「一度暴力をふるわれると恐怖感があるのは当然。あなたと奥さんとふたりで乗り越えなければ」と言うと「でもですね、私は仕事の関係で 朝早く起きなければいけないんです。でも家内は起きて来ないんです。だからひとりで起きて朝食を作っていると、二階から降りてきて、 それがものすごい勢いで降りてきて『なによ!あんたは私が起きないからって嫌みったらしく一人でご飯作ったりして!』って怒鳴るんです!大体 家内は朝起きないんです!」
今まで訥々と話していたDV夫が、ここだけは感情いっぱいに雄弁である。そして加藤氏と弁護士が意見を言うと 「それはわかってます。周りの人からも言われてます(超不満げ)でも、娘たちだってどっちもどっちだって言ってるんです」

ははぁ、自分が暴力をふるったのは妻が朝起きないせいってことね。自分が悪いわけじゃない。暴力をふるわせる妻が悪いって言いたいわけね。
私はこのDV夫がなんのために電話をかけてきたのかがわかりました。

加藤氏:あなたは自分がいい人だと思われたいでしょう
DV夫:はい
加藤氏:あなたは(DV夫に対して意見をする)私や弁護士の○○さんが嫌いでしょう
DV夫:。。。。
加藤氏:あなたは自己主張すると罪悪感があるでしょう
DV夫:はい
加藤氏:あなたは人の意見であっちへいったりこっちへいったりするでしょう
DV夫:はい
加藤氏:あなたは私たちが意見をしたり、奥さんから何かを言われたりするのが不満なんですよ。 あなたみたいな人は離婚するならして、カウンセリングでもなんでも通って自分を作り変えなさい!

ガッチャ〜〜ン!!

と音はしないがかなりの勢いで相談は終わりました。 加藤氏最後の言葉は

「自己主張すると罪悪感がある。人から何かを言われると不満が出る。こういう人は自分がないひとです」

ひゃ〜〜〜!!!パチパチパチ!!(^^)// 私は思わずハンドルから手を離してスタンディングオーベーションをしそうになりました。う〜ん、加藤諦三氏。すばらしい! たった数分話しただけで、この相談者の本質をお見抜きあそばした。今まで「何だか説教くさいオジサン」と 思っていたが、心理学をよくご存じだ!と思って検索をしたら

た、た、た、たたいへん失礼しました〜〜〜〜〜!!!! 心理学の先生でした〜〜〜〜〜〜!!!
ずっと作家さんか何かだと思ってました。とほほ。すみません。。。。平にご容赦ください。。。

ところでDV夫がカウンセリングに通って自己改革できる率というのはかなり低いそうです。私は2カ所でこの更正プログラム を受け、半分ぐらい治ったという程度の加害者の話を聞いたというお話を伺ったことがあります。2例とも「頭が痛くなるほど 自己弁護を並べ立てていた」とのことです。まだ半分だからとみるか、もう半分終わったのにとみるかによるでしょうが、 自己改革というのはかくも難しいということでしょうねぇ。
■ 2004.02.01 ■【ネットの危険性】

インターネットオークションの被害が相次いで報告されています。実は私も愛好者です(笑)
衣類、装飾品、雑貨、食品と売り買いしてきました。 買う方では、何しろ市価の何分の1程度のお金で物が買え、外に出てあれこれ選ばなくても自宅のPCに打ち込むだけで品物が送られてくるわけ ですから出無精の私にとっては「待ってました」の制度です。また、「あのときン万円で買ったけど、既にウェストが入らず、この先も絶対に この細さにはならないであろう」スカートなどは悲しくて捨てるに捨てられない。と言って「あなたにあげる」というのは「usedを人にあげるのか」 と、贅沢な世の中になった昨今はできません。そういうものを少なくない金額で引き取ってくれるというのだから、力も入ります。品物だってこの世に生まれてきたからには穴があくまで 着てもらった方が本望というものです。

ところで以前からあった詐欺がこの頃肥大しているようです。詐欺の多くは代金を払っても品物が送られてこないというものですが、 その金額が一件数万から数十万の高額商品だというので私はちょっとびっくりなのです。ニュース番組でこの件についてキャスターが 「インターネットというのはカオスの世界ですからね」とコメントしていました。

「カオス」−混沌ということを私なりに解釈すれば「中で何が起こるかわからない世界」という点では 以前から私が持っている考えと一致します。
んじゃ、なんでアンタはそんな危険なことをしているの?と聞かれたら、私は「あ、やられちゃった」と 諦められる金額以上のものは出しません。ニュースでは、「評価」を自分でつける操作をするなど、手口も も複雑になってきていると報道していました。

私は何度か掲示板等で私が最初に入ったMLのことを書いてきました。そこでは沢山のことを教えてもらいましたが、 そのひとつは「ネットは非常に危険なものである」ということでした。あるニュースサーバーで某会社から発信された 思想的な発言が流れた5分後には人事課の電話が鳴ったそうです。「お宅の社員が就業時間内にこういう メールを流しているのは監督不行届ではないか」ということです。会社のドメインをつけたままメールを流すと いうものおとぼけな話ですが、こういう基本的なことを知らずにネットに参加することは非常に危険だと 思います。

今年芥川賞を受賞した綿矢りささんが高校生の時に書かれた「インストール」は、おませな小学生が 若い女性になりきって出会い系チャットをするお話でしたが、ネットをしている人にとっては驚くべき ことではないはずです。年齢詐称などはかわいいもんで、ネカマあり、嘘八百のプロフィールを使い分ける ネットナンパ師と呼ばれる一族(?)もいます。

時間がかかりましたが、MLに新登録する際に、参加審査をすることにしました。掲示板は今まで通りオープンにします。 掲示板もパスワード制にして外から見えないようにする案もありましたが、被害者の方々に「私と同じ 境遇の人がいるんだ」と気づいていただきたいためにこのままオープンにします。もし知り合いの人にバレ たらどうしよう」と思っている方がいらしゃいましたらMLへご登録下さい。ただし、審査をすると言っても 100%安全と思わず、掲示板よりはマシという程度に考えておいて下さい。掲示板で発言するときで、 人に知られたくない場合は、プロフィールの部分を本当は子供が二人だけど三人にするなどの創作をして下さい。 私は掲示板にしろMLにしろ、ネットに流れてしまったらもう自分の手の届かないところに行ってしまうのだと いう認識をもってやらないと怪我のもとになると思っています。パス付き掲示板だって、誰かがファイルごと コピーしてどこかで貼り付ける可能性もあるのです。パス付きだから安心というわけではありません。 むしろパス付きだから何を書いても大丈夫と微にいり細にいり書いてしまう方が危険です。
誰かが「ネットの中は性悪説」と言ってましたが、そのくらいの用心は必要だと思います。

とは言え、オフラインでのおつきあいがかなり多い私の発言は、説得力に欠けるでしょうが(爆)
■ 2003.12.30 ■【モラハラ記念日】

ウチのダンナがしていていることは精神的DVだってわかったから、今日は私のモラハラ記念日

と言うわけで私がモラル・ハラスメントを知ってから、今日でめでたく1年が過ぎました。去年の今日、 某掲示板で見つけた一行の言葉。「あなたのしていることはモラル・ハラスメントではありませんか」を見つけてから、20年間の 生活がうねりをあげてひっくり返ったのです。
私がその一行を見つけたのは、まるで映画によくある張り巡らされた伏線をのようです。大体私がその掲示板の存在を知ったのは、 4年前ある人との出会いがあったからです。そして、ほとんど人生相談サイトを見ることもない私が、去年偶然その一行を見つけたのも、 相談内容がとてもその人の境遇とよく似ていたからです。「もし〜たら、れば」のひとつでも欠けていれば、私はこの場に こうしていなかったわけですから、世の中の不思議を感じずにはいられません。
ある意味、どんなにもがいても 逃げることができないのが運命なのかもしれない。だからもがかずに身を任せることもひとつの方法かも しれません。でも、もがくこともその人に与えられた運命かもしれないのです。自分の力を信じ、自分がこの世に生を受けた意味を考え、今、 この時モラハラで苦しんでいる方が来年の今日、モラハラ記念日を迎えることができたら、私にとって こんなに嬉しいことはありません。
■ 2003.11.30 ■【モラハラについて】

遅くなりましたが「モラハラとは」をアップロードしました。今までモラハラのことを説明するのに他のサイトを紹介していましたが、自分のサイトに載せるべきだ とはずっと思っていました。今までできなかったのは、時間がなかったというのが一番ですが、どういう風に作ったらいいのかがわからなかったからです。 書いては消しを繰り返してきました。

その答えを見つけたのは一冊の本でした。専門書なのですが、それを渡された時、 専門家の方から「この本はものすごく難しく書いてあるんですよ。ものすごく簡単なことなのに難しく書いてある。なんでこんなに 難しく書くんでしょうね」と言われました。
家に持って帰りページを繰ってからその言葉の意味が わかりました。一度だけでは意図が全くわかりません。行に指を添えて何度も何度も同じところを読み返さない 意味がわからないのです。そして「あ、そういうことか」と納得すればなんてことない意味なのです。簡単なことをどうしてここまでと思われるほど難しく書く。

ある日、ひとりの方が書かれた説明文を見ました。 20行程のものなのですが、意味がわかりません。必死で読解すれば気抜けのするほど簡単なことでした。 なぜこんな風にしか書けないのかと考えました。前者のものは専門家が書かれたものですから、そのレベルでの表記に なるのでしょうが、後者のものは明らかに言葉とは人に伝えるためにあるということを忘れて書かれたものなのでした。 難しい言葉を多用して回りくどく書けば、何となく自分が偉そうに見えるという自分の威厳のみを重視した結果、 言葉が相手にまったく伝わらなくなってしまったのです。

言葉って、伝わってなんぼの物だと思う

できるだけ、誰にでもわかるように書いてみようと思いました。第一私自身ムツカシイ言葉は苦手です。ムツカシイ言葉で 書かれたものは、一度は読んでも二度は読もうと思いません。何度も読み返してもらえるものを作ろうと思いました。
そしてできたのが これです。実はほとんど資料は見ていません。ざっと書いてから確認の意味で資料を繰ったりはしましたが、後は記憶をたどりながらの作業でした。 まだこれから手を入れたいところが何カ所かありますので完全ではありませんが、わかりやすいと言っていただけて とても嬉しく思っています。
私は心理学者でも精神科医でもない一人のおばさんです。今、私にできる精一杯の仕事でした。
間違いがあればどんどん直しますのでよろしくお願いいたします。
■ 2003.11.24 ■【カルフォルニアとツンドラ】

このサイトを見て、モラル・ハラスメントのことを初めて知ったと言う方が大勢いらっしゃいます。同じ被害者の 方なら共感していただけるのですが、そうでない方はわかっていただけないようです。「どこの家も同じ」「話し合いなさい」「あなたも悪いところがあるんじゃない?」 モラ夫の全てがそうではありませんが、「自己愛性人格障害者」であることが少なくありません。この障害者(自己愛性変質者とも言う)のことを 知らない人に話しても、なかなかわかっていただけません。

心理学の世界では「精神の吸血鬼」とも 呼ばれています。まさか自分の夫が人格障害だなんて、誰が信じられるでしょうか。でも本当なのです。人格障害と精神障害は違います。 鬱病やノイローゼといったものは治療で治りますが、専門家でも人格障害を治すことは相当難しいといいます。

モラハラされている人とそうでない人の会話は、ツンドラ地帯に住んでいる人とカルフォルニアの温暖な地域に住んでいる 人が電話でやりとりしているようなものです。
ツ「食べるものがないのよ」
カ「だったら種を蒔かなきゃだめよ。人間働かないで 食べ物を手にするなんてできないのよ」
ツンドラは「そうか」と思いました。種を蒔けばいいんだわ。ツンドラは一生懸命凍った大地を掘り起こし、種を蒔きました。 でも一向に芽は生えません。
ツ「種を蒔いたけど芽が出ないのよ」
カ「種だけ蒔いてもだめよ。水をあげなきゃ」
ツンドラは 一生懸命水をかけました。水はたちまち氷になってわずかしかない地面を覆いました。
ツ「水をまいたら凍ってしまったわ」
カ「そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないの、嘘ばっかり!」

ツンドラもカルフォルニアも嘘は言っていません。 でもお互いの住んでいるところが違うので状況がわからないのです。カルフォルニアにツンドラの状態をわかってもらうには、ツンドラ地帯に連れてくるのが 一番なのですが、それができなければ写真をみせて「これがツンドラの住んでいる場所よ」と教えてあげれば、心ある人ならばわかって もらえると思います。心のない人、自分の世界しか信じられない人は。。。相手にしないことです。
■ 2003.11.22 ■【WIND OPEN】

このサイトを開いてから早10ヵ月が経ち、私の生活にもこのサイトにも色々なことがありました。
先日、一通のメールを頂戴しました。「こんな目にあっていてかわいそうだ。今はどうしているのか」 という内容で、私のtaleを読んでいただいた方からの励ましのメールでした
ここに載せなければならない ことは山のようにあるのに、忙しさにかまけてなかなかコンテンツに入れることができないままになり、私の現在もお知らせできずご心配を おかけしました。

現在私は離婚し、子供たちと穏やかな日々を過ごしています。フラッシュバックも全くなく、 後遺症と言えば結婚していた生活のかなりの部分が記憶に残っていないことです。霧に包まれたようというより、最初から なかったようです。夫に対しては恨みもつらみもありません。ただ、哀れだなという感情のみがあるだけです。
掲示板には書いていたのですが、日がたつと消えてしまうので、何となく日々の雑感を書き残しておこうと思います。
カラフルなレンタル日記も見てみたのですが、今ひとつピンとこないのでここに置いておきます。
時々のぞいていただければとても嬉しく思います。

今日言いたいこと。
私がこのサイトを開いたのは、決して夫への復讐心からではありません。それがあるのならば私は裁判をして夫の人格障害を白日の下に 曝したでしょう。それをしなかったのは、夫も間違いなく義父から受けた心の傷を癒しきれない被害者だからです。もちろん裁判にかかる費用やその間の私や子供たちの 状態などを総合して出した結論ではありますけどね。
私にフラッシュバックがないのは、きっと 明日楽しく生きようとするノー天気な性格だったからでしょう。
そして助けてくれた大勢の友達がいたからでしょう。せめてこのサイトが、自分を大好きになれるお手伝い ができればいいなと思います。

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