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「オレがこの家のルールブック」

  私は夫が怖かった。怖くて怖くてたまらならかった。ある日突然口をきかなくなる。話しかけても無視をする。そんな日が何日も続く。事務的な話には「する?しない?」と聞く。 Yesはアゴを上にしゃくる。Noはかすかに横を向く。それが合図だった。無言の日々が続いたあと、いきなり怒鳴られる。「オマエ、何とも思わないか!!」何について言っているのかわからない。ドキドキして気が遠くなってくる。一体何を怒っているのだろうか。その答えは、大抵何日か前に私が言ったかしたことが原因だった。それほど不快だったらその場で言えば済む話ではないだろうか。なぜ何日も不快を体中で発散させ、私を混乱させるのだろうか。

 夫が家にいると体も心も休めなかった。夫がその大きな目でギロリと睨んだ先には夫を不快にさせるものがあるのだ。ある時はタオルの掛け方であり、ある時は新聞の置き方であり、そしてある時は水道の蛇口の閉め方であった。きっちりと閉めると「パッキンが傷む」と言って怒鳴られた。ではと、緩めに締めると緩すぎると怒られた。水道の蛇口は無意識に閉めるので、私は何度も何度も体で覚えるよう、蛇口の閉め方を練習した。まるで会計検査院の査察を受けている銀行マンのように、夫の目先にあるのがいったい何なのか、はらはらしながら彼の目線を追った。

 一番のやり玉にあがったのは食事と冷蔵庫だった。夫は一日のエネルギーは朝食にあるのだからと一番よく食べた。そのおかずを作るため、前夜から仕込みをした。まるでホテルの朝食バイキングのようにテーブルに収まらない程のおかずを作る。その中から気に入ったものだけを夫は選んで食べる。残りは私と子供たちのおかずになった。それでも夫の気に入らない日があった。毎朝私はキッチンに立ち、夫が着席するのを待つ。すぐに座れば良し、そうでない時は心臓が早鐘を打った。夫はじっと立ったままおかずを睨みつける。それは不機嫌の証であり私の手が震えてくる。夫は身じろぎもせずおかずを睨み続ける。「もう、だめだ」と気が遠くなる。ずーーっと、ずーーっと、何分も夫はテーブルの上のおかずを睨み続け、やがて乱暴に戸棚の中からカップラーメンを取り出してお湯を注ぐ。食べ終わると私を睨みつけ「俺に何でメシを食えというんだ!」と怒鳴りつける。この順番は後先が変わることもあるが、いつもその後何週間か無言の日になった。

 突然冷蔵庫のものを捨て始める時もあった。「腐ったものを冷蔵庫に入れておくな!」が夫の言い分だった。しかし、昨日買ってまだイボイボのついているキュウリも、包装を解いていないソーセージも一緒に捨てられた。「俺が腐っているといったら腐っているんだ!」が夫の答えだった。一番攻撃の的になったのは冷凍庫だった。冷凍庫とは氷をつくり、アイスクリームを入れておくところで食品を凍らせるところではない、というのが夫の考え方だった。しかし、いつも勤めの帰りに買い物に行けるわけではない。6時30分にはいつも夫は帰ってくる。私はどんなに急いでも6時にしか帰ることはできない。ほんの10分遅く職場を出てしまうと、もう準備時間は20分しかない。 そのために冷凍庫に食材を入れておくことがどうしても必要になるのである。働いている主婦ならば、誰でも知っていることだ。

 急いで魚を焼いていたりすると、そういう時に限っていつもより早めに帰ってくる。「あと5分待ってちょうだい」私は夫に懇願する。しかし夫は無言で身支度を済ませると、まだおかずの並んでいない食卓の椅子に座って、自分の分のご飯を盛る。当然前には何もない。何もないのを百も承知で夫はご飯を盛っているのだ。そして何も並んでいないテーブルをじーーーーっと睨みつける。「ちょっと待ってね」。私はできたおかずだけ急いで食卓に運ぼうとするが、夫は大きな音を立てて立ちあがり、盛ったご飯にお湯をかけ、乱暴に乱暴にかっこみ始める。「オマエは何をやってるんだ!!」

そしてこれをきっかけに、また何週間も無言、無視が始まる。もちろんそうならないように、朝早く起きて朝食を作った後、夕食の下ごしらえをする。でも、やはり10分で夕食の準備はできないし、夫はその場で作ったものしか食べない。口では「買ってきたものでいいから早く出せ」と言う。そうかと言ってお惣菜などを出そうものなら「俺にこんなものを食わせる気か!」と怒鳴り出すのは目に見えていた。夫は冷蔵庫に物を入れるのは大嫌いだから、夫が冷蔵庫を開けたときは、必要最低限のものしか入れられない。といって帰りがてらの買い物は時間的に無理。だからいつも私は買い物を夕食を済ませた後にほとんど毎日行っていた。夕食作り、夕食、後片付け、買い物、翌日の準備と毎日食事作りに追われた。

 夫は美食家だった。米は一番上等なものしか食べない。肉は国産牛の赤身だけ。刺身は天然鯛か鮪、貝類。「俺は豚肉なんか食わない!」結婚して最初に作った煮物の感想はこれだった。食費は全部私の出費となる。私の手取り給料から子供を預けている義母へのお礼、食費、ガソリン代を引くと手元に残るのは2万円なかった。新聞の集金が来ると泣きそうになった。話し合ったわけではないが、集金はそのときにいた人が払うことになっていたので、新聞や町内会費を払うともういくらも残らない。子供のオムツ、ミルク代をどうひねくり出すかが私の頭痛の種だった。確かに夫は何度か「オマエ、足りてるのか?」と聞くことがあったが「足りない」と言うと、「無駄遣いするからだ!!」と怒鳴られた。だから「足りてるのか?」と尋ねられたら「足りてる」と答えなくてはならない。何かあったら夫はきっと言うだろう。「足りてるか?」って聞いても『足りている』っていうから何もやらなかったんですよ」

夫は特別扱いをされるのが大好きだ。行き付けの飲み屋でどんなに自分だけが特別扱いされているか、嬉々として話す。また、職場の上層部にどれだけ信頼され、ホットラインでものが言えるか得意げに話す。そのくせ、誰か他の人が特別待遇されると機嫌が悪くなった。私と結婚した理由のひとつに、私の職業があるかもしれない。私の職業はあまり一般にあるものでない。私にとっては普通の単語なのだが、夫には珍しく、その言葉を身近で聞いていることが、自分の虚栄心を満足させるものらしい。名のしれた人に会ったりすることもあるが、私が話してきかせるとまったく興味を示さず無視するくせに、他人には「ウチの女房が○○と会って」と得意げに話していたりした。夫は実に見栄っ張りなのだ。だから見栄が張れない上の子は憎悪の元になり、そうでない下の子は猫かわいがりした。下の子供が生まれた時のことを、夫は忘れてしまったのだろうか。


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