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「堕ろしてこい!!」

  結婚するとすぐ客人がやってくるようになった。せっせともてなしをすれば夫は上機嫌になる。来なければ機嫌を取ることができないので私は客が来るのが嬉しかった。私はもう、夫の顔色を伺う癖がすでについていた。夫は部屋を一歩出れば私が結婚前に知っていた、温厚で優しいよく気のつく朗らかな人に変身するが、私とふたりでいるときはそうではなかった。もちろん夫婦なんてそんなもの、家にいるとき位は素の自分に戻りたいという気持ちはよくわかる。しかし、私たちは結婚してまだ1ヶ月なのに、もう10年も連れ添った夫婦のように夫の機嫌を伺っては一喜一憂する疲れた妻になっていた。

  夫の職場は徒歩で10分のところにあり、私はバスで通った。私の仕事が終わるのが5時。帰ってくるのは6時すぎになる。夫もその頃に帰ってきた。そして夕飯の準備を私がやり、夫が洗うはずだった食器を洗った。ある日、夫が「会議があるので遅くなる」と言うので帰りに大きなスーパーに寄った。家に帰ってきたのは6時10分を過ぎていた。 玄関に入ると、夫がこれ以上ない不機嫌な顔で夕食を作っていた。「あれ?会議は?」返事はない。大きな音をたてて食事をつくり、一人分の夕食をつくるとガツガツと食べ始めた。「会議があるっていうから別のスーパーで買い物をしてたのよ。いろんなものがあって・・・」全部言う前に夫はドンとテーブルを叩いた。「オマエは俺が遅くなるとメシも作らないのか!!」

 私は必ず6時前には帰ってきて、夕食の支度をするようになった。終業時間になると靴を半分突っかけ、大急ぎで職場を後にした。幸いその時は時間通りに終わる課だったので問題はなかったが、その後人事異動で代わったのは残業の多い課だった。5時を回っても片付かない仕事を抱え、ペンを握る手が震え、青ざめていくのが自分でもわかった。半年後、降格に近い形でまた異動があった時は正直ほっとした。

  ある日曜日、夫は友達と遊ぶため外出をしていたので、私も友達と外で会っていた。午後になって雨が降り出したが、夫の友達は車だろうから送ってもらえるなと安心して友達とおしゃべりをした。夕食の準備をしなければならないからと友達と別れ、家に帰ってくるとびしょびしょになった夫が憮然として部屋に突っ立ていた。私に電話をかけて迎えに来てもらうからと友達を返し、何度も電話をかけたが私がいないので歩いて帰ってきたという。
「どこにフラフラ出歩いているんだ!!」

私は日曜日に出かけることを諦めた。夫とだけ外出することにした。

  そんな生活が3ヶ月続いた頃、友達から「ダンナの言うなりになっちゃダメよ!最初が肝心なんだから。どーんと実家へ帰ちゃいなさい」と言われた。怒鳴るだけならばともかく、ちょっとしたことで口をきかなくなる性格には私も我慢できなくなっていたから、「実家へ帰ります」と置手紙をして実家へ帰った。もちろん別れる気などサラサラなく、ちょっとした脅しのつもりだった。実家に一晩泊まって家に帰ってくると、きちんと掃除されたテーブルの上に離婚届が置いてあった。私はぞーーーと総毛立ち思わず紙を破いた。確かに夫は結婚前とまるで変わってしまった。しかしまだ3ヶ月だ。たった3ヶ月で離婚などということになったら、私の職場でのメンツは丸つぶれだし、実家の母がヒステリックに叫ぶのも目に見えていた。やがて夫が帰ってきた。「ここにあった紙は?」「破いた」「俺は別にいいよ。別れても」「嫌だ」白旗を揚げるのは私でしかなかった。

そして子供ができた。

 子供ができれば変わるんじゃないかと思っていた。もともとは優しい人なんだし、テレビによくあるように妻のお腹をなでで「パパでちゅよー」なんて言うんじゃないかと思っていた。 やがて悪阻が始まり、倦怠感、微熱、吐き気で私は動けなくなった。ある日夕飯を作らなければならないのにどうしても体が動かない。あと5分、あと3分、と冬の朝のように1分伸ばしにしていると、夫が立ち上がった。やがてじゅうじゅうと音がし、いい匂いがしてきた。 よかった、夫が作ってくれるんだ、と思って横になっていると、一人分の皿を持って夫がキッチンから出てきた。「あれ?私の分は?」
 悪阻を経験したことのある人ならばわかってもらえると思うが、悪阻でもお腹は減るのである。お腹は減るが、作る気力がなくなってしまう。ワガママと言われてしまうかもしれないが、実際そうなのである。
「食いたかったら自分で作れ!」ガツガツとかっ込むと大きな音を立てて皿を台所に置いた。どうやら夫の中では妊娠して苦しんでいる私と、自分の女中である私は同一ではないようなのである。悪阻で苦しんでいるのは同情もし、心配もするが、だからといって家事を手抜きするいいわけにはならないというのが夫の考えのようであった。しかし、実際は悪阻で苦しむことと家事ができないことは同系列で考えてもらわなければならないことなのに、夫にはこれができなかった。

 これは夫とつきあっていく上で大きなポイントだった。私が病気になるとそれなりに心配はしてくれる。しかし家事を手抜きすると、その罰は下された。病気になったら寝ていてもいいが、家事の手抜きは許さないのが夫の姿勢だった。熱の出る病気になると私は病院から座薬を処方してもらって痛みと熱を取り、無痛の間にしゃかりきになって家事をやり、知らんふりして寝た。病気をしたというだけで口をきかなくなる時もあった。私は病気になることが許されなかった。

 がんばってもがんばってもお腹の子は私を許してはくれなかった。それでも掃除、洗濯と家事は休まなかったが、どうしても食事作りが前のようにはいかなかった。味見すらすることができない。辛くて辛くてキッチンにいると夫の声が飛んだ。「メシも作れないなら堕ろしてしまえ!堕ろしてこい!!」

  夫は「実家に帰ってるのか?帰ってこいよ」と声をかけてくれることもあった。ではと、実家へ行ってくると機嫌が悪い。これが2・3回続くと、いくらカンの悪い私でも気がついた。夫の言っていることはリップサービスなのである。 そして外では「できるだけ実家へ帰れって言ってるんですけどね」と微笑みながら話をしていた。そうしたら隣で私も「でも忙しいし」と同じように微笑むしかなかった。この答え方は満点だったようで夫の機嫌はすごぶるよかった。同じように一生懸命働いていると「疲れたろ、少し休めよ」と言ってくれることもあった。では、と休むと次第に機嫌が悪くなる 。 「ここが片付いていない!ここが汚い!」と怒号が飛び出す。「休むんならやることをやってからにしろ!」と怒鳴られる。結局私は休んではいけないのだと気づいた。私は夫がいる間は鬼のように働き、一歩外に出るとぐったりと体を休めた。 子供たちは「お母さんはお父さんのいる時しか働かない」と笑うが、私にとっては生活の知恵なのである。 そして趣味も友達のない夫は始終家にいた。

夫は出口を全部ふさいでから事を起こす。行き場のなくなった私が右往左往するのを見て楽しんだ後、ひとつだけ出口をあける。そしてその出口から出たと言ってまたいたぶり始めるのである。


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