■連れ去りについて 私の場合■ |
裁判にて和解離婚した「こまつな」と申します。
5歳の女の子と0歳の双子(当時)の3人の子どもがおります。
別居中にモラ夫に子どもを連れ去られることを経験し、とてもつらい時期を過ごしました。
今は無事子どもも帰ってきて、親権者はもちろん私で離婚も成立、モラ夫に振り回されないハッピーな暮らしを送っています。
DV、モラハラの加害者は子どもの連れ去りをすることも多いようです。
私も先が全く見えず、もどかしく、とてもつらい思いをしたので、私の場合のやり取りや対応をまとめてみました。
あくまで私の場合で、いろんなケースがあると思いますが、少しでも先の見通しがつくことで安心していただけたり、
参考にしていただければうれしいなと思います。
【脱出後】
私はうつ病になったことをきっかけに、しばらく子ども3人と一緒に実家で静養するという形で、モラ夫も同意の上で平和に脱出しました。
(脱出したときは私自身も離婚までするとは考えていませんでしたが、もう心は限界で、モラ夫がいなくなれば、と毎日考えていました。
とにかく病気のおかげでモラ夫から離れられたことをホッとしたのを覚えています。)
そのため、時々モラ夫は実家にも来ていましたし、子どもたちとの面接もありました。
しかし、こちらの予定もお構いなしに「今週末子どもに会いに行くから」みたいな連絡があったり、帰宅の予定時刻を過ぎても連絡が無かったりと、
ルール違反の面接を繰り返していました。
別居後のモラ夫は、私を攻撃するような言動や行動、メールをたくさんしてきました。そうかと思ったら、
急に「私が全て悪かった」と土下座したり、カウンセリングを受けてみせたりもしました。
(「Q&Aモラルハラスメント」で書かれているモラ夫の行動にぴったり当てはまっています。)
そんな中で、私は離婚を決心し、弁護士さんを見つけ、離婚に向けて準備をすすめました。
弁護士さんに面接交渉は子どもにも私にも負担だし有害だからやめたいと相談しましたが、弁護士さんは
「子どもが父親と会うことは大切。月に一度程度が裁判所の考える平均頻度になっている。(調停の中で、かたくなな奥さんだという印象をもたれないためにも)
会わせたほうが良い。」という意見でした。
【離婚を切り出すと…】
離婚を切り出す(調停を申し立てることにしたという)内容のメールを出した後、もともと約束していた長女だけのお泊りでの面接交渉がありました。
この面接交渉で連れ去りをされました。その面接の後、モラ夫は長女を返してくれなくなりました。
【連れ去り】
後から考えれば、とても計画的な連れ去り事件でした。妙に丁寧なお願いのメールが来たり、一泊の予定なのに保険証だけでなく母子手帳も持たせてください、と言ってきたり。引渡しのときに私の目の前で子どもに「お父さんと一緒に行きます。今日はお泊りです。いいですか?」とやけに確認しているところを
私に見せつけたりといったこともありました。
帰ってくる予定時間の直前に、モラ夫がいかに長女に帰るよう促したかの内容
(何時に何回促したとか)、でも長女が拒否したこと、長女はママに電話をすることも拒否したこと、
だから帰ることができないという内容のメールが届きました。
その後、長女がママと話したがっているから携帯ではなく家電に電話して来いとメールが来たのですが、そのときの電話の様子をモラ夫は録音していました。
(でも、長女が帰りたがっていない様子の会話はありませんでしたし、この録音が何かの証拠になることはありませんでした。)
次の日、何度メールしても電話しても「長女本人の意思ですから」の一点張りで埒が明かないので、モラ夫の実家まで迎えに行きました。しかし、玄関にもあげてもらえない、長女にもまともに話をさせてもらえない状況でした。モラ夫とモラ夫父が2人で玄関で仁王立ちになり、
「帰らないのは長女本人の意思ですから」と繰り返し、「長女が帰りたくないといったので私に監護の義務が生じました。」
「親権はまだ2人にある。」と法律用語を使って講釈していました。
ようやく玄関にあげてもらうと、長女の好きなおもちゃが大量に買い与えられている様子をみられました。
おもちゃで長女を釣っていることは明らかでした。
モラ夫はメモ紙を見ながら何時に何回促したということを話し始めました。
電話の録音も聞かされました。長女は私のひざにちょこんと座ってきたものの、大事な話を
しているところだからとモラ夫両親に隣の部屋に連れていかれてしまい、長女とは話せませんでした。
モラ夫は長女がママと話すことを拒否しているから、長女に負担をかけたくないからとにかく帰ってくれと繰り返しました。
私が直接長女と話すことを執拗に拒否しました。
「一言だけ話させて。それで帰らないって言うなら私も今日は帰るから」と何度も何度もお願いしてようやく一言話させてもらったが、
長女は「帰らないよ。もうちょっと遊ぼうと思って。」と言いました。すると、長女がいた隣の部屋のふすまをモラ夫両親がスーッと閉めました。
そして私は追い返されました。
結局、長女をおいて帰ってきました。
本当につらくってつらくって悲しい思いをしましたが、おもちゃを買い与えている様子や、メモ紙を見たり録音をしたりと
計画的な連れ去り出会ったことを示す様子がいろいろ見られました。このときに録音をしておけばよかった、と思います。
また、この日は休日で弁護士さんと連絡が取れないまま動いてしまったのですが、弁護士さんと一緒に動くべきだったと思います。
そのためにも緊急の連絡先を事前に教えてもらっておけばよかったなと思います。
警察官の友達にも相談しましたが、離婚が成立していない状況では対応するのは難しい(離婚して親権者が決まっていれば
誘拐事件になるのですが、別居の段階だとなんともできない)との話でした。
【裁判所へ】
弁護士さんと連絡を取り、早速、裁判所に「監護者指定の審判」と「保全処分」を申し立てることになりました。
この手続き自体は弁護士さんが全てやってくださったので、私はよく分かりません。
私が弁護士さんに出した資料は以下のようなものでした。
「連れ去りの経緯」
「長女が私とのつながりが強く、モラ夫とのつながりが疎遠であったことを示す事実」
「モラ夫が親権者としてふさわしくない理由」
「計画的に連れ去ったことを示す事実」
これらの資料を基に、弁護士さんが書類をまとめてくださり、申し立てました。
また、弁護士さんがモラ夫側の弁護士に「あなたの依頼人、騙まし討ちで子どもを連れ去るような酷いことをしているのを
ご存知ですか?」と連絡してくれました。(弁護士もモラ夫と同じ主張を繰り返すだけでしたが…。)
まっとうな弁護士なら、その後の離婚の交渉なども見越して依頼人を諭してくれることもあるようです。
【裁判所では】
裁判所がすぐにでも長女を取り返してくれると期待をしていったのですが、
裁判所としては、モラ夫側からも事情を聞いて任意で引き渡してくれるよう話し合いをするというスタンスでした。
一番デリケートな子の引渡しのときにトラブルになって子どもに被害(怪我とか修羅場を見てしまうとか。また、もしモラ夫が子どもをどこかに隠して
しまったらもう二度と会えなくなるし取り返す手段がなくなってしまうから)が
無いことを一番に考えてとの理由でした。
最初から裁判官が直接話を聞いてくださったり、調査官が入ったりと、
この連れ去りを重く見て対応してくれていました。期日も1〜2週間ごとに1度設けられました。
(普通、調停では1ヶ月に1度の頻度が平均だそうです。)
しかし、そのときの私は何で次回が一週間も先なの?
悪いのはモラ夫で長女がつらい思いをしているのに何で話し合いなの?
今すぐ強い決定を出してくれればいいのに…と、とてももどかしい思いをしていました。
モラ夫側と両方の言い分を聞きながら、調停が始まりました。
モラ夫は「連れ去りではない。帰りたくないといっているからとめおいているだけ。
帰りたいといったらすぐにでも帰す」「離婚もしたくない。」と主張しました。
最初に私側は「審判前の保全処分」(審判が出るまで子どもがモラ夫側にいたら
危険なので、とりあえず仮に母親の元へ返すように決定を出して欲しい)を裁判所に求めていましたが、モラ夫実家での衣食住が足りていることなどから、
保全処分まではいかないでしょうと裁判所に言われました。
【調停中】
裁判所が間に入ったことで、私は何度か長女と面接交渉をしました。モラ夫の主張は「連れ去りではない。帰りたくないといっているから
とめおいているだけ。」とのことで、私の育児に対する批判(虐待しているから母親の元に返さないなど)は無かった
(離婚したくないとの主張だったので批判もできなかったのか?)ので、
私の面接を断る理由が無かったのだと思います。
顔も合わせたくなかったし恐怖でしたが、モラ夫の実家に何度か足を運びました。
下の双子も含めて裁判所のプレイルームで調査官などの見守る中、5人で面接をしたこともありました。
双子を連れてモラ夫実家に来いとも言われましたが、そんな恐ろしいことはできないので、
小さい双子を連れて行くのは負担が大きいからと理由をつけて断りました。
面接交渉の中で長女が帰りたいといったらすぐに連れて帰ってもいいかを
弁護士さんに聞いたら、後からトラブルになるので、
モラ夫も引渡しに同意したことを、きちんと裁判所などの第三者を介して確認してから
の引渡しが良いとのことでした。
これも私にはもどかしかったです。
子どもの負担になるので、「どっちで暮らしたいの?」とか聞いたり、感情的になって涙ながらに面接したりもやめたほうがよいと言われました。
(これは調査官にも言われました)
もしモラ夫が子どもをどこかに隠してしまったらそれこそ大変なので、モラ夫が子どもを隠しそうな親戚や知人の住所を洗い出しておくよう、
弁護士さんに言われました。(これは私の場合は使わずに済みました。)
【運命の面接交渉】
何度目かのモラ夫実家での面接交渉のときに、私が帰ろうとすると
「私も今日一緒に帰る」と長女が言い出したのです。長女はモラ夫にも自分の気持ちをきちんと話し、
モラ夫も長女の気持ちは分かったと言いました。でも、今日は連れて帰らないで欲しいといいました。
私は、何とか連れて帰ろうと必死にモラ夫を説得しましたが、モラ夫は弁護士と連絡を取った上で、「今日連れて帰るのは連れ去りだ」の一点張り。
そうこうしているうちに長女は泣き出してしまいました。私は連れて帰るのが無理ならと思い、長女に
「今度のときにお荷物まとめて一緒に帰ろうよ」などと言って落ち着かせようとしましたが、
長女は「いや」と言い、激しく泣くいっぽうでした。
最後には、私の足にしがみつき「ママと帰る」と泣き叫ぶ長女を、モラ夫家族が数人がかりで引き剥がし、私は追い返されました。
私はその様子を録音していました。
【引渡し】
弁護士さんが運命の面接交渉のことをすぐに裁判所に連絡してくれました。
私は録音した物をダビングし、また、紙に様子を細かく書きました。
大事な部分はきちんと台詞を聞き取って台本のように書きました。
その資料を弁護士さんはそのまま裁判所に取り急ぎFAXで提出してくれました。
調停期日にはダビングした物ももって行き、実際に聞いてもらおうとしましたが、裁判所では「資料でよく分かりましたから。」と聞いてもらうことはできませんでした。
(きちんと資料を作ってよかったと思いました。
聞いてもらえば分かってもらえるからと資料作りを適当にやるよりも、
大変でもきちんと文章にすることが裁判所では大切なのかなと思いました。)
この資料を(録音したということが分かる部分だけ削って)モラ夫側にも
調停中に見てもらったようです。台詞が台本のように書かれていたので、録音したものがあるに
違いないとモラ夫も分かったのではないかと思います。
この証拠が決め手となり、モラ夫も次回期日での引渡しに同意したようです。(しかし、このことは私側には伝えられず、この日私はがっかりして帰りました。
裁判所が、もし次回期日までにモラ夫の気が変わったら、私が落胆すると思って、私側には内緒にしていたようです。)
すぐに次回期日が設けられ、その日に裁判所内で調査官や調停委員も見守る中、平和に引渡しとなりました。
連れ去りから2ヶ月かかりました。
裁判所はわりと初期から私寄りな感じ(私側に子どもを返すようにモラ夫側を説得していた)でしたが、
モラ夫とモラ夫側弁護士はなかなか応じてくれませんでした。たぶん、この証拠が無ければごまかし続けていたのかもしれないと思います。
【その後のトラブル】
引渡しのときにモラ夫から条件が出されました。週一回の面接交渉と育児日記の提出です。
長女が帰ってくれば…と思い、その条件をのみました。毎週モラ夫と顔を合わせることも日記から暮らしぶりを探られるのも
苦痛だろうとは思いましたが、まずは長女を取り返すことを優先しました。
毎週末にモラ夫はやってきて、自宅内(もちろん外出はさせませんでした)で子どもたちと面接しました。私は育児日記もまじめに提出しました。
何度目かの面接交渉の日、モラ夫がもうすぐ来るという時間に、長女が「私、(モラ夫に)会いたくない」と言って家を飛び出してしまい、
あわてて公園まで追いかけるということがありました。私は長女の様子から今日は面接は無理だと判断し、
モラ夫にメールで伝えました。自宅の近くまで来ていたモラ夫は、子どもを探し歩きました。
私が提出していた育児日記からよく遊ぶ公園がばれてしまい、見つけられてしまいました。
そして公園で他の親子のいる前で「調停で面接交渉については決まっていることなのに、その通りにしないのはどういうことか」
「遅く始まったのだから、○時まで面接交渉だ」などと怒鳴り散らしました。長女はモラ夫の剣幕におびえて小さくなっていました。
家までついてきて玄関まで無理やり入ってきそうになったのを、何とかドアを閉めて追い返しました。
モラ夫が公園まで来たことで、待ち伏せとかもあるかもしれないと思うと怖くて怖くてたまらなくなりました。
また、公園で他の親子のいる前でのあのぶちキレた態度は、まともな人のすることではないです。
警察にも相談し(以前からDV相談はしていました)パトロールを強化してもらいました。
(このとき、保護命令についても警察の方から提案していただきました。しかし、うちのモラ夫の場合は身体的暴力が無かったこと、
命を脅かすような脅迫まではいってないということで申請はしませんでした。)
子どものことを考えているなら、まずはメールから子どもの気持ちを察して欲しいし、
公園で子どもの前であんなぶちキレた態度は取らないと思います。モラ夫は子どものことを考えて面接交渉をしていたのではないことが
明らかになった事件でした。
私はそのときの様子を文書にまとめました。もちろん、すぐに弁護士さんが裁判所に報告してくれました。
モラ夫側からも裁判所に事情を報告し、弁護士さんあてに連絡もきました。「調停で決められた面接交渉権を侵害する不当な行為。
(引渡しに同意したモラ夫の)信頼を裏切る背信行為。直接の謝罪を求める」という内容でした。まともな対応は一切しないで自分の権利だけを声高に主張してきました。何も分かっていないのだな…モラはどこまで行ってもモラだと思いました。
【面接中止へ】 公園で暴言事件の後の調停で、改めて事情を話しました。
本当に怖い思いをしたこと、今までまじめに面接交渉を実施してきたのに、小さな行き違いで突然キレて何をするか分からないし、いろいろ攻撃・非難してきた。
こんな様子なら今後まともな面接交渉はできないこと、育児日記の提出も怖くなったことなどを話しました。
弁護士さんは、こちらから当人同士の面接交渉をするつもりは無いこと、
面接交渉を望むのであればモラ夫側から改めて面接交渉を求める調停を申し立ててくださいと、
はっきり言ってくださいました。
調停委員さんや調査官さんも事情を汲んでくれました。もちろん、謝罪をするようにも言われませんでしたし、
怖くて面接なんてできないという気持ちを「そうだね」と分かってくれました。
そもそも、引渡しのときの条件はあくまでお互いの合意であって、裁判所の決定ではなかったので、法的な拘束力は無いものでしたし、
私側はまっとうに条件を遂行していたのにもかかわらず、こんな事件をモラ夫側がおこしたので、面接中止も仕方ないね、
という感じでした。(もちろんこの面接中止も裁判所の決定では無かったです。しばらくは無理ね…みたいな感じでした。)
その後、モラ夫側から弁護士さんあてに「面接交渉はやらないのか」
「子の福祉に鑑みて面接交渉が長期間中止されているこの状況をどう考えるのか」
などといったFAXはよく来ていたみたいですが、調停を申し立ててくることはありませんでした。
モラ夫との直接接触が全く無くなり、平和な日々を送っていました。私のうつ病もめきめき回復しました。
そして、私の離婚は裁判で争われることになりました。
調停中は相手の言い分を直接聞くことは無かったのですが、裁判になると相手の言い分が文書として出てきます。
あること無いこといろいろ書かれ、それを見るたび、具合が悪くなりました。
ひどいことばかりしてきて、私を攻撃し、全面対決姿勢でした。それなのに婚姻は破綻していないと…。
今思うと、やっぱりモラはモラ。笑っちゃうくらい教科書どおりの反応、やっぱり離れてよかった〜と客観的に見られますが、
その渦中にいるときはつらかったです。
【離婚成立】
いつまで続くか…と思った裁判でしたが、ある期日に突然モラ夫側が「和解したい」といってきました。
離婚に応じる、親権は私(妻)側、面接交渉を確保して欲しい、ということでした。
もちろん弁護士さんは「こちらとしては当人同士での面接交渉はできない」とはっきり言ってくださいました。
すると裁判官からFPICを利用してみてはどうかと提案がされました。
FPICとは「家庭問題情報センター」といい、面接交渉のフォローもしてくれる第三者機関です。
私も、もし面接再開になったら利用したいと考えていました。弁護士さんから、今の裁判所の現状だと、このまま裁判を続けても、
父親が麻薬中毒者だとかひどい虐待をしていたとか、よっぽどでない限り
面接交渉中止という判決が出ることはないと言われていました。なので、あれだけのトラブルを何度も起こし、子どもたちも私も怖い思いを
何度もしているので、面接はもちろん一切なしにしたいのは山々だけど、それが無理ならFPICを利用したいと思って調べていました。
そのFPICを裁判官から提案してくださったのです。私は判決が出るまで頑張ることよりも早く離婚することを優先しました。
裁判官が提案してくれたこともあって、モラ夫側はFPICの利用にすんなり合意しました。(裁判官からの提案でなく、私からの条件だったら
合意しなかったかも…と思います。)そして、他の条件も刷り合わせて離婚成立となりました。
【面接再開】
そして、FPICを利用しての面接交渉が再開されました。
FPICでは希望にあわせていろいろフォローしてくださいます。私の場合はモラ夫との連絡も全てスタッフに間に入ってもらっていますし、
子どもの引渡しのときも私は全くモラ夫に会わないように配慮してもらっています。
とはいえ、面接交渉はストレスです。スタッフがいるから大丈夫だよと言って、子どもをやくざに会わせている気分です。
いろんなDV関係の本を読んでも、面接交渉は被害者(妻や子ども)への支配の継続だから、やめるべきだと書いてあります。
裁判所も早くまともな判断をするようになって欲しいです。
ちなみに、FPICを利用して面接交渉をしているのは
ほとんどがDV、モラハラのケースだそうです。
《今、連れ去りをされている方へ》
とてもつらい日々を送られていることでしょう。
精神的にも参ってしまっていると思います。周りに助けてくれる人がいるなら、この時期は
いっぱいいっぱい甘えてください。
裁判所のやり方(任意での引渡しを求める)にもどかしさを感じている方もいるかもしれません。
時間もかかります。
私もそうでした。でも、今となっては、そのやり方でよかったのかなと思います。裁判所はあなたの元に安全にお子さんを返す方法をちゃんと考えてくださっていると思います。
裁判所もモラのおかしさは分かっていますよ。期日を重ねるごとに化けの皮がどんどん剥がれていきます。
ちゃんと帰ってきますよ。大丈夫です。
今はつらい思いをされていると思いますが、モラ夫はどんどん自分の首を絞めているところです。うちの場合は、モラ夫は今となっては決められた頻度でFPICスタッフが見守る中での面接しかできません。
あんな連れ去り事件や公園で暴言事件が無ければ、また、その後、変な主張、攻撃を繰り返したりせずに、
反省して謝っていれば、裁判中も子どもに会えただろうに…と思います。(せめてモラ夫側弁護士がもっとモラ夫を諭していれば、
こちらとしても面接を中止まではできなかったのかなと思います)
面接交渉が無く、モラ夫との直接接触がなくなると、快適です。今の連れ去りは、今後こちら側が面接交渉中止や面接交渉のやり方を狭めるための
大義名分を与えてくれていると思って大丈夫です。だまし討ちの連れ去りも、泣き叫ぶ子どもを母親から引き離すのも、
公園で暴言を吐くのも、親権者としてふさわしくないし、まともな面接交渉ができない人間だと裁判所で判断されるための
格好の材料となりました。
そのときはつらくてつらくて怖くて怖くてたまらないのですが、きっと最後にはそれを乗り越えただけのご褒美がありますよ。
変な屁理屈をつけて好き勝手ずるいことばかりやっている
モラ夫側、モラ夫弁護士とは対照的に、私側、特に私側の弁護士さんは常にまっとうな対応をしていました。
私の弁護士さんは、常に真面目な対応をする方で、私にもまっとうな対応をするように諭してくださいました。
もどかしく感じることもありましたが、それで私側がどんどん有利になり、モラ夫側はどんどん自分で自分の首を絞めていくのがよく分かりました。
最初(依頼した当時)、面接交渉をしたくないと言った私を諭していた弁護士さんも、
モラ夫からのいろんなトラブルが繰り返される中で、しっかりと私を守ってくださいました。
「私もだまし討ちをしてでも子どもを取り返したい」とか考えたり、真面目な対応を勧める裁判所や弁護士さんを
もどかしく感じることもあるかもしれませんが、「正直者が最後に勝つ」です。
正直者であること、まっとうな対応をすることが、回り道のようで
実は最後には一番いい結果になるのかな、と実感しています。
《最後に》
私の弁護士さんは、「Q&Aモラルハラスメント」の本をお貸しすると、
自分でも購入してくださるような真面目な方でした。本や私の話に加えて、モラ夫との実際のやり取りの中で、
さらにモラハラを実感していただいたようです。最後には「相手(モラハラ加害者)も含めてとても勉強になりました。」と言ってくださいました。
こんな真面目で勉強家の弁護士さんでもモラハラのことは私のケースで初めて知ったそうです。
私たち被害者が離婚に向けて行動していく中で、弁護士さんや裁判所にもモラハラを理解し実感していただけるのかなと思います。
今つらい思いをされている方のためにも、私も含め、被害者が声を上げ、行動していくことが大切なのかなと思います。
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