■ 調停から裁判へ ■

投稿者:みな 投稿日:2004/11/27(Sat)
モラ夫と、調停もしくは裁判離婚なさった方にお伺いしたいのですが・・・
私は二人の子どもを連れて別居を開始して8ヶ月になるものです。 実は次回が2回目の調停となるのですが 夫が離婚はしないの一点張りなので、不調に終わりそうです。

私はもちろん全く復縁の意思はなく、離婚の意思が固いのですが 夫も離婚の意思はなく、復縁の意思マンマンです。 いずれにしても長期戦になると弁護士に言われています。 協議離婚がしたくて夫と何度も話し合いましたが、 「自殺する」「お前を殺して俺も死ぬ」「一家心中する」と言われたので 調停から弁護士を入れて戦う決意をしました。

そこで、モラ夫と離婚なさった方、もちろんケースバイケースだと思うのですが 裁判離婚に到った方はどうしてそう決断なさったのか、と 調停もしくは和解離婚なさった方は夫がどのように折れて来たのか 参考までにお聞かせ願えませんか? (ここで他に調停で戦っている同志にもとっても参考になると思うので!)

次回(来月半ば)の調停で不調になった場合、 私もやむをえず裁判に持ち込むつもりです。 それは、相手が主張を変えず平行線でいる以上、 これ以上平行線な調停を続けたとして、また聞きたくないことを聞かされて傷つき もっとも貴重な人生の上での「時間」を失うのは自分だと思うからです。

同時に生活費の支払いの調停も申し立てて、 夫が裁判所の命令に応じなければ、 夫の給料差し押さえの手続きもしてもらおうと思います。 同居中は愛するが故、何でも何もかもずぶずぶ許してきた私ですが、 容赦なくガンガンやりたいと思っています。 ただ経済的には裁判をするとキツいんですよね・・・




いもちゃん - 2004/11/27(Sat)
去年の2月にモラ夫と調停離婚しました。 私の元夫も、1回目の調停のときは「離婚をしない」と言って、調停委員の前で泣き、調停委員からも「こんなにご主人が言っているんだから、もう一度、やり直したら?」と言われました。でも、私は復縁する気はなかったので「離婚したい」を通したので、これは、不調に終わりそうだなと思ってました。 ところが、2回目か3回目か忘れましたが、今度は離婚する、と主張を変えてきました。というのも、私の弁護士の方が、べらぼうに高い養育費と慰謝料を要求していた(私は養育費も慰謝料もいらないから、とにかく離婚と子供の親権だけは確保してほしいと、お願いしてました)ので、金銭にうるさい元夫は、そのあたりをものすごく攻撃してしてきて、「低い金額にするなら、離婚してもいい。ただし、子供にはあわせろ」と条件が変わりました。

でも、私は子供には会わせる気は全くなかったので(子供が父親を怖がったために決心した離婚だったので)また、平行線をたどりそうでしたが、相手方の弁護士が「二人とも離婚だけは合意しているから、とりあえず、離婚はしましょう。こちらから、面会については再度調停をおこします」ということで、調停離婚は成立しました。

あと、別居するときに保険証を持ち出したのですが、元夫はこの保険証を返してほしかったみたいです。でも、離婚が成立するまで返す気はなかったので、その点もうまく作用してくれたかな、と思います。 その後、面会について調停をおこされましたが、こちらは不調におわり、裁判官より、年2回は会わせるように、というお達しがありましたが、無視してます。無視したとたんに養育費が振り込まれなくなりましたが、もともと、養育費はあてにしてなかったので(あてに出来るような金額ではなかった)金の切れ目が縁の切れ目と解釈し、とうとう、モラ夫とすっぱりと別れる事が出来ました。

別れてよかったことは、しょっちゅう怒られて泣いてたのですが、今現在、涙とは無縁の生活を送ってます。 調停をしている間は、こんなに平和な暮らしが待っているとは、想像もしていませんでした。 調停で戦っている「みなさん」に参考になるかはわかりませんが、 私の経験が少しでもモラ夫で苦しんでいる方に役立てば、と思い、レスさせて頂きました。

シスター - 2004/11/27(Sat)
うちの場合、プライドが高すぎる人で、離婚したくない、とは口が裂けても言わないから、養育費の合意だけでした。 参考になりません。 すみません。

 はればれ - 2004/11/28(Sun)
「みな」さん、今が一番大変でしょうが、必ず努力は明るい将来をつれてきてくれます!がんばってください!  そういう私は、元夫(手続き上はまだ届け出ていないので現夫ですが)とは離婚調停を2回行い、2回目に取り下げ、そしてその1週間後(今日)に離婚届を書かせました。私の超モラ夫の場合も「みな」さんと同じく、絶対に復縁する気でいましたが、それ以上に私は完璧に離婚する気でいました。

私たちの場合は子供がいないので、その分だいぶ楽だったとは思いますが、それでも精神的には申し立てた私の方が大変だったと思います。  

私の場合は1回目の調停の時には30分程しか話を聞いてもらえる時間がないことを事前にいろいろなHPで知っていましたので、資料ということで結婚前の付き合っていた段階から今日に至るまでを時間の経過にそって箇条書きにしたもの(7ページ)を調停委員に提出しました。1回目の時はそれを調停委員が読みながら私がさらに説明をする状態でした。2回目の調停ではその資料を読んでおいてもらえたので、始まるや否や 「あんたがどれだけ一生懸命彼に尽くしてきたかはよくわかった。」といってもらえました。これは結構効いたなと実感しました。ただ、モラ夫はそれでも愛しているから別れたくないを繰り返すだけだったそうです。 しかも1回目の時になぜか義母までもが調停に参加して委員に話をしていたそうです。 (うちの子がこのままではかわいそうだと言うばかりだったとか。)

そんなこともあってか、2回目の調停の時は、さっきの言葉の後で調停委員が「あんたはもう我慢できんと言っているが、彼の方はまだあんたが好きだと言っている。もう別居にもなっていることだし、一旦取り下げて冷却期間をおいたらどうかね。」と言われました。

どこをどうつなげてそういう解釈になるのか理解ができませんが、私も精神的に疲れきっていたのでそうしてしまいました。(というよりも、調停委員のそのやる気のなさにあきれたというのが本音です。)

 その結果にとてつもないショックを自分で受け、その日の夜には遺書まで書いた程でした。こんなに苦しんでるのにあんなにあっさり見捨てられるんだと思うとただ悔しくて・・・。でもそれであきらめてしまったらこれまで苦しんだ自分が報われないと思い、もう一度よく思い出してみました。

 実は2回目の調停の直前にこのままでは埒があかないと思い、夫の実家に電話をし、義母と直接電話で話し、モラ夫のおかしい部分をぶつけていました。すると義母は週末にでも夫の一人暮らし先に行き、夫と話をしてくるといっていました。その後、夫から「離婚をしたら、昔のように友だちとしては相手をしてくれるか。」 というメールがきました。当然する訳はないのですが、そう言っていたらせっかく夫が揺れているチャンスをつぶすような気がして、「約束はできないが、そうするかもしれない。」と返事をしておきました。そういうことが2回目の調停前にあったので、夫自身が揺れていることは何となくわかっていました。その証拠に2回目の終わった数時間後に「裁判にするつもりなのか。」というメールが来ました。あえて返事はしませんでした。

ショックでする気にならなかったのですが、それが夫には考え中だと思われたようです。実際に検討しようかと考え中ではあったのですが、裁判となるとお金と更なる時間と精神力が必要だと思い躊躇していました。しかし、その間に最初から整理して思い出すことにしたので、夫に質問状(メールですが)を出しました。考えているうちにだんだん増えていき、20項目になりました。具体的には「結婚するにあたって自分が私に約束したことは何か」、 「結婚するにあたって私に約束させたことは何か」、「私にしてもらったことは何か」、「夫として家庭に果たす責任とは何だと考えているか」などでした。

私の感情がうせていたことが、夫にとってみれば弁護士に聞かれているような客観的な質問だと思えたようです。それに対しての答えは明らかに夫がモラ夫だということを証明できる内容でした。私は最初はわかっていたのですがショックでしたが、直後に夫から「それは弁護士に言われたのか。」とか「誰の入れ知恵だ」などのメールが来たので、この勘違いを利用しようと思いました。

 そこで「必要だから聞いただけ。」と勘違いできる返事をしておきました。また「離婚届けはここに用意してあるからあきらめがついたらいつでも連絡ください。」、「裁判になった場合は慰謝料も当然請求します。それが嫌なら早いうちに離婚を決意してください。」などのメールも送っておきました。すると案の定ひっかかってきました。

2回目の約1週間後にとうとう夫から「離婚に応じる。離婚届けをもってこい。」とメールが入りました。もう天にも昇る気持ちとはこのことですね。あまりのうれしさに今までこらえていた分まで涙があふれました。喜びついでにケーキを家族分買っちゃいました。夫の気持ちが変わっては困るので、その最初の週末である今日、早速夫のところへ行き、すぐ横で書かせました。

その後で夫が「ゆっくりしていけよ。」と言って首を絞めてきたり押し倒され身動きの取れないようにされたりしましたが、そうなるだろうと覚悟していたので腹の底からの大声で「助けてください。警察を呼んでください。殺されます。」と繰り返し叫びました。

口を押さえられ窒息するかと思いましたが、指に思い切り噛み付き、さらに指を手の甲に向かって全力で曲げ、なんとか振り切りました。その後は夫があきらめたのか開放してくれ、 急いで大切な書類を持って去りました。その間も殴られたり蹴られたりしましたが、まずはテリトリーから出ることが先でした。部屋を出るときには追いかけてはきていなかったので思い切りドアを蹴ってやりました。  ずいぶんな修羅場ではあったのですが、これまでの苦労とこれで他人に戻れるという喜びがあるので、せいせいしました。もちろんこんな修羅場にならない為に弁護士さんに要所では必ず立ち会ってもらうといいと思いますし、そうならないことを願います。最終的に、私はモラ夫を精神的に揺さぶりをかけ、それでなんとか離婚届までGETできました。今は本当に「はればれ」です。「みな」さん、今は本当につらいでしょうが、明るい未来のためにぜひがんばってくださいね!応援しています!

北風 - 2004/11/28(Sun)
うちも「離婚には応じない」派でした。 調停では、親権が前夫に行けば離婚してもよいという話でした。 「離婚したくない」と「離婚には応じない」では意味が違うような気もします。 裁判では、「離婚には応じない」とヤツは主張していましたが、ヤツの提出した書類には、私の批判ばかり書き連ねていました。 裁判官に「元のさやに収まる気はないのですね?」と聞かれて、ないと返事をしたそうなので、まったく矛盾していて意味不明です。(^^;

>もっとも貴重な人生の上での「時間」を失うのは自分だと思うからです。
まさにおっしゃるとおりです。(・_・) 私はお金より時間を取りました。 時間も失って、お金も失うのではたまらないと思いました。

>ただ経済的には裁判をするとキツいんですよね・・・
慰謝料請求をすると、結構費用がかかると思います。(弁護士費用が) だから、私は慰謝料請求もしませんでした。 こじらせて余計に時間を失いたくないというのもありました。 人それぞれですから、自分が納得のいくような決着が着けられればそれでよいと思っています。(^-^)

ペンギン太 - 2004/11/28(Sun)
私は、調停・訴訟と3年半掛かり、離婚が成立。 最後は和解となり、形としては協議離婚しました。 結果には大変満足している一人です。 そんな私の経験からお伝えします。

>裁判離婚に到った方はどうしてそう決断なさったのか、と
1)調停が不成立になったからです。 不成立になった理由は「互いの主張に差が有り、全くの平行線だったから」です。私は離婚したい、モラはしたくないetc。 私も自分が当初主張した条件を最後まで一歩も譲りませんでした。←これ重要だと思います。 最初主張した条件は絶対曲げない事。モラに対し妥協は厳禁です。離婚が決定し、最後の最後の最後で譲歩すれば良いのです。早い段階で、こちらの主張を曲げるのは絶対お勧めできません。モラはこちらの人の良さに必ず付け入りますから。
でも、調停不成立まで1年半かかりました。

  2)不成立のまま終わったら、私が得るものは何もなく、モラの思う壺だったからです。(私は元夫の考え方を熟知してましたから・・・)
まず、離婚を決める。それに関わる親権・養育費・財産分与・慰謝料を法的効力の元で決定される! のと、そのままうやむやにしておくのとでは、今の生活に雲泥の差が出るのは明らかでした。

>調停もしくは和解離婚なさった方は夫がどのように折れて来たのか参考までにお聞かせ願えませんか?
最後までモラのままで、折れると言う事は全くありませんでした。モラは一生治らないと確信します。 それでも協議離婚になったのは担当の裁判官が彼の人格的特長を察し説得してくれた事が大きく貢献しています。 「僕が説得します」と言ってくださったのです。

モラハラなる道理は家庭と言う密室の中だからまかり通るだけで、法廷の場では当然ながら全く通じないのです。 裁判官・双方の弁護士・私は同じ見解で、モラオ一人が勘違いのまま。滑稽な程で同情さえしました。 法廷で相手のモラ振りを発揮させた私の弁護士の方針も大きく貢献しました。

でも、調停を申し立てた時小学生だった子供が、全て終わった時は高校生でした。  確かに弁護士費用も掛かりました。 それらを全て含め、どうするかは自分で決めるしかないのだと思います。

折角の一生を後悔の無い生き方をしたい、自分らしく生きたいと言う思いが、私の中で強いエネルギーとなっていたと思います。 みなさん、時間は掛かるかも知れませんが、「必ず正義は勝ちます!」最後まで諦めないで是非健闘される事を応援しています。

返信@ みな - 2004/11/29(Mon)
皆さん、たくさんのレスありがとうございます。 一気に読んで、溢れる涙を抑えることができません。 文章にすれば、数行のことだけれど 幸せの絶頂からそこへ到るまでの、長い長い時間を思うと その間の生活や、妻として頑張ってきた皆さんの気持ちを思うと 切なくて悔しくて涙が出ますし、 それらすべての思いや時間を灰に変えたモラ夫達の残酷さと自己中具合に 激しい憤りを覚えます。 スレが長くなりますが、どうしても、返信させていただきたいと思います。

いもちゃんさん
>私の元夫も、1回目の調停のときは「離婚をしない」と言って、調停委員の前で泣き、調停委員からも「こんなにご主人が言っているんだから、もう一度、やり直したら?」と言われました。でも、私は復縁する気はなかったので「離婚したい」を通したので、これは、不調に終わりそうだなと思ってました。 ・・・ここ恐ろしいほど同じです。 「俺的ストーリー」に酔っている彼らは、初対面の他人の前で泣くことなど平気なのでしょうね? そして騙される調停委員も・・・

>私の弁護士の方が、べらぼうに高い養育費と慰謝料を要求していた(私は養育費も慰謝料もいらないから、とにかく離婚と子供の親権だけは確保してほしいと、お願いしてました)ので、金銭にうるさい元夫は、そのあたりをものすごく攻撃してしてきて、「低い金額にするなら、離婚してもいい。ただし、子供にはあわせろ」と条件が変わりました。 でも、私は子供には会わせる気は全くなかったので(子供が父親を怖がったために決心した離婚だったので)また、平行線をたどりそうでしたが、相手方の弁護士が「二人とも離婚だけは合意しているから、とりあえず、離婚はしましょう。こちらから、面会については再度調停をおこします」ということで、調停離婚は成立しました。あと、別居するときに保険証を持ち出したのですが、元夫はこの保険証を返してほしかったみたいです。でも、離婚が成立するまで返す気はなかったので、その点もうまく作用してくれたかな、と思います。 その後、面会について調停をおこされましたが、こちらは不調におわり、裁判官より、年2回は会わせるように、というお達しがありましたが、無視してます。無視したとたんに養育費が振り込まれなくなりましたが、もともと、養育費はあてにしてなかったので(あてに出来るような金額ではなかった)金の切れ目が縁の切れ目と解釈し、とうとう、モラ夫とすっぱりと別れる事が出来ました。

ここ、大いに参考にさせていただきたいと思いました。 最初から良心的なラインで設定してはダメですね。

>別れてよかったことは、しょっちゅう怒られて泣いてたのですが、今現在、涙とは無縁の生活を送ってます。
そこを目指して頑張りたいと思います☆ 組み合わせは違えど、モラ夫が似ている以上、対応も似ているのではと思い立ち上げたスレなので 大変参考になります。貴重なお話、ありがとうございました!

シスターさん
>うちの場合、プライドが高すぎる人で、離婚したくない、とは口が裂けても言わないから、養育費の合意だけでした。 うちもプライドが高すぎる人だと思っていましたが、 全然高くなかったようで、心底驚きました。 養育費はすんなり、って感じだったのでしょうか? うちはあんなに子供をかわいがっていたのに、以前から養育費は支払わないとゴネてます・・・ (生活費もとめられたままです)

はればれさん
まずはおめでとうございます!
臨場感溢れるレポートに、思いが募って感涙してしまいました。
>私の場合は1回目の調停の時には30分程しか話を聞いてもらえる時間がないことを事前にいろいろなHPで知っていましたので、資料ということで結婚前の付き合っていた段階から今日に至るまでを時間の経過にそって箇条書きにしたもの(7ページ)を調停委員に提出しました。

1回目の時はそれを調停委員が読みながら私がさらに説明をする状態でした。2回目の調停ではその資料を読んでおいてもらえたので、始まるや否や「あんたがどれだけ一生懸命彼に尽くしてきたかはよくわかった。」といってもらえました。これは結構効いたなと実感しました。ただ、モラ夫はそれでも愛しているから別れたくないを繰り返すだけだったそうです。しかも1回目の時になぜか義母までもが調停に参加して委員に話をしていたそうです。(うちの子がこのままではかわいそうだと言うばかりだったとか。)そんなこともあってか、2回目の調停の時は、さっきの言葉の後で調停委員が「あんたはもう我慢できんと言っているが、彼の方はまだあんたが好きだと言っている。もう別居にもなっていることだし、一旦取り下げて冷却期間をおいたらどうかね。」と言われました。どこをどうつなげてそういう解釈になるのか理解ができませんが、私も精神的に疲れきっていたのでそうしてしまいました。(というよりも、調停委員のそのやる気のなさにあきれたというのが本音です。)  その結果にとてつもないショックを自分で受け、その日の夜には遺書まで書いた程でした。

すごくわかる気がします。何をやってもダメなのかと自暴自棄になりますよね・・・ 私も「冷却期間」って言われましたよ。どこでも言うのかもしれないですよね。 冷め切って凍っているものを「冷却」する必要がどこにあるのかと思います。 しかし息子の離婚調停についてくる義母・・・こわいですね。

>それでなんとか離婚届までGETできました。今は本当に「はればれ」です。「みな」さん、今は本当につらいでしょうが、明るい未来のためにぜひがんばってくださいね!応援しています!
お義母さんが動いてくれたことが、キーになったようですね? 私も義母とはかなり親しかったので、何度も考えましたが、行動には移していません・・・ 殴られたり押し倒されたり、ほんと修羅場でしたね・・・離婚の喜びが上回るからとはいえ、 最後の最後まで相手より上でいたいと願うモラ夫の性根の醜さには、 呆れを通り越して肌寒いものを感じます。

いずれにしても、そんな酷いヤツと離婚できて何よりでしたね。 心から、おめでとうございます。 熱いエール受け取りました、はればれさんに続いて私も離婚できたらと思います!

北風さん
レスありがとうございます、実は私は北風さんの日記何度読んだかわかりません。 言う事があまりに夫と似ているので、たどる線も同じかなとずっと危惧してたので・・・ ただ、北風さんには私にはない凛とした強さをいつも感じていました。 私は今もグラグラ揺れながらなんとか立ってる感じです。 言っていることは威勢がいいのですが・・・

>うちも「離婚には応じない」派でした。
調停では、親権が前夫に行けば離婚してもよいという話でした。 「離婚したくない」と「離婚には応じない」では意味が違うような気もします。

夫の場合、「妻と子供を愛している、離婚は考えられない」というスタンスです。 「愛している」のはかわいそうな自分ダケだろうと思うのですが。

>裁判では、「離婚には応じない」とヤツは主張していましたが、ヤツの提出した書類には、私の批判ばかり書き連ねていました。
うちも弁護士に「愛している」と言いながら、ヤツの非を一つ一つ挙げ連ねられると 「それはあいつの受け止め方が悪い。「普通」の人間が俺と生活していたらこうはなってない。」 「あいつは言葉を悪いほうに悪いほうに取りたがる後ろ向きな性格だったから」 などと、もっともらしく私をモラしてたらしいです。 裁判ではとんでもない悪口合戦になりそうです・・・

>>もっとも貴重な人生の上での「時間」を失うのは自分だと思うからです。
まさにおっしゃるとおりです。(・_・) 私はお金より時間を取りました。 時間も失って、お金も失うのではたまらないと思いました。

そうですね、ずしりと重く響く言葉です・・・ まだ一回調停を控えていますので、もし裁判になったら色々伺ってもいいですか? 宜しくお願い致します。

返信A みな - 2004/11/29(Mon)
上にも書きましたが、被モラ妻は色々な方がおられるのですが、 モラ夫はタイプや程度に差があっても、本当に言うことや行動パターンが似ていると思うのです。 それに離婚サイトやBBSは数多くあっても、これだけ調停何回目、私は何回目、 裁判突入と日常茶飯事的に見受けられる掲示板は珍しいと思い、 調停・裁判に至る=話が通じないモラ夫相手という共通点の先には 同じ落としどころがあるのではと、今回このようなスレを立てて呼びかけさせていただきました。

このような「成功例」がどれだけ戦っている私達を勇気付けるか計り知れないと思います。 今後とも宜しくお願い申し上げます。

ペンギン太さん
ありがとうございます!わかりやすく、ポイントまで示して頂いていて とても参考になります!

>1)調停が不成立になったからです。
不成立になった理由は「互いの主張に差が有り、全くの平行線だったから」です。私は離婚したい、モラはしたくないetc。 ここは、私の場合は来月に不成立は取れそうです。

>私も自分が当初主張した条件を最後まで一歩も譲りませんでした。
↑これ重要だと思います。 最初主張した条件は絶対曲げない事。モラに対し妥協は厳禁です。離婚が決定し、最後の最後の最後で譲歩すれば良いのです。早い段階で、こちらの主張を曲げるのは絶対お勧めできません。モラはこちらの人の良さに必ず付け入りますから。

ここ、本当に肝に命じます。 先日も、ついつい「譲り癖」がついているので、モラ夫の理不尽な交換条件に危うく乗るところでした。 何があっても一歩も譲らない姿勢が大切ですね。

>2)不成立のまま終わったら、私が得るものは何もなく、モラの思う壺だったからです。(私は元夫の考え方を熟知してましたから・・・)

激しく同感です。私もモラ夫の思う壺だけは許せない。
>まず、離婚を決める。それに関わる親権・養育費・財産分与・慰謝料を法的効力の元で決定される! のと、そのままうやむやにしておくのとでは、今の生活に雲泥の差が出るのは明らかでした。
離婚ももちろん、その他も法的効力の元で確定すると、後々とっても安心ですよね。 ヤツの口約束が全く信憑性がない、という理由で、私も裁判しかないかなと思っています。

>それでも協議離婚になったのは担当の裁判官が彼の人格的特長を察し説得してくれた事が大きく貢献しています。
「僕が説得します」と言ってくださったのです。 モラハラなる道理は家庭と言う密室の中だからまかり通るだけで、法廷の場では当然ながら全く通じないのです。 裁判官・双方の弁護士・私は同じ見解で、モラオ一人が勘違いのまま。滑稽な程で同情さえしました。 法廷で相手のモラ振りを発揮させた私の弁護士の方針も大きく貢献しました。

「モラハラなる道理は家庭という密室の中だから・・・」本当にその通りですね。 それを家庭裁判所でも展開しようとしたと聞いて呆れました。 「勘違い」夫が、それでも判決まで行かずに協議離婚で落ち着いたのは素晴らしいですね。

>それらを全て含め、どうするかは自分で決めるしかないのだと思います。
折角の一生を後悔の無い生き方をしたい、自分らしく生きたいと言う思いが、私の中で強いエネルギーとなっていたと思います。 みなさん、時間は掛かるかも知れませんが、「必ず正義は勝ちます!」最後まで諦めないで是非健闘される事を応援しています。

ありがとうございます。 諦めないで頑張りたいと思います。 「折角の一生」について、別居してから本当によく考えます。 夫と居るときは毎日がサバイバルで、先のことや総体的な人生観なんて考える余裕がなかったので・・・

自分らしい生き方をしたいと、言い切るまでにまず時間がかかりましたね。 もともと持ち合わせていた自己否定感をモラ夫に極限まで引き出されていたので 生きる気力や考える能力まで苛まれていたように思います。 私はエネルギーが沸いては燃え尽き、沸いては燃え尽きして、なんとか這うようにして頑張ってます。

ですが「調停」に入ってからはかなり心理的に楽で、この先「裁判」になったら も一つ楽になるのではと思っています。 漠然と明かりに近づいている・・・感があるからかな。 有難い体験談と熱い応援メッセージ本当にありがとうございました!

のんびり屋さん
>私も一度不調に終わったものをもう一度1年後に調停を起こしてやはり不調に終わり裁判に持ち込みました。
そうですか・・・夫が強硬なら、最初から裁判で行った方がいいのかもしれませんね。

ダイヤグラムさんへの返信の
>私は2回不調に終わり、裁判に持ち込みました。
この部分は賭け。 裁判で絶対離婚できるかは判らなかったのですが 別居期間が当時3年目、という実績のみを 自信にして、弁護士さんに相談しました。 この時でさえ、弁護士さんは 長丁場になるタイプの相手、と言ってました。 でも「十中八九」親権は大丈夫、と言ってくださいました。 ひなさんの書かれたように 100%とは、言えないという感じだと思います。

この大部分、私の弁護士さんもそのように言っています。 絶対かどうかはわからない。が、(うちの場合)DVを前面に出して行く、と。 長丁場になる、との予言も同じです。 親権は別居後相手がうつ病になったので、大丈夫かと思います。(わかりませんが) 結局別居〜離婚までは4年ぐらい掛かったのでしょうか? 裁判では和解が成立されたのでしょうか?差し支えなければ教えて下さい。 ありがとうございました!

のんびり屋 - 2004/11/29(Mon)
別居当時、小1、小2だった子ども達は 離婚成立時は小5、小6。 そうですね。丸4年かかっています。 裁判でも「和解」を前提に調停をさせられました。 (裁判官の意向なのかな?) 結局、法廷に3回出廷です。 (しかし、裁判官は寝ておりました)

ある意味 貴重な体験させていただき、ありがとう ってとこですかね? ヤツが夫でなければ そういう場に出る事はなかったかもしれないし。

dolly - 2004/12/02(Thu)
完全保存版になる、ということで参考までに書かせていただきます。 先週の金曜日、調停離婚が成立しました。 成立までの流れとしては「弁護士を立てて夫へ示談の申し入れ(決裂)」→「自分で調停の申し立て」→「夫側も弁護士を立てる」→「弁護士同士で示談」→「調停で内容確認・成立」となります。子供を連れて転居してからの期間は約9ヶ月、調停は半年で5回でした。

ポイント1:担保をとる
私の場合は、たまたま私名義で夫の資産(動産)を預っていたので、これを差し押さえました。弁護士には「差し押さえた資産を処分しなければ訴えられることはない」と言われました。当初は夫名義の不動産に居座るように言われました(これは他の弁護士に相談しても同じでした)が、相手がモラ夫の場合はこちらの方が精神的に先にまいってしまうので無理だと思います。不動産以外で夫名義かつ夫婦の共有資産とみなされるもの(預金等)があれば、弁護士に確認したうえで差し押さえるとよいと思います。

ポイント2:弱みを攻撃する
モラである夫にとって名誉が傷つくことと資産が減ることは非常な損失なので、内心「そうなったら困るな」と思いつつ「こちらの請求が通らないなら裁判にする」と脅しをかけました。私の場合は夫に不貞の事実があったので「相手の女を証人として出廷させる」と調停委員に告げました。そのまま夫に伝わったどうかは不明ですが、少なくとも離婚の強固な意志は伝わったと思います。

ポイント3:要求は高めに
調停はあくまで双方の歩み寄りを目指しているので、相手がどんなに極悪非道でも多少の譲歩を求められます。譲歩してもよいと思うことを最初から盛り込んでおくと、最終的には希望に近い線で決着できる可能性が高くなります。私の場合は弁護士と相談して、本当に欲しいと思う金額(財産分与・慰謝料・養育費)の約2倍をふっかけました。ただ、その金額にある程度合理的な根拠がなくてはいけないので、自分名義の資産は(1)旧姓名義の通帳に移す(2)子供に贈与する(3)実家に預けるという形で隠しました。最終的には法的に本来そうあるべき金額に落ち着くので、決してずるくはないでし、相手に「安く済んだ」と思わせたほうが後々楽です。

ポイント4:相手に弁護士をつけさせる
こちらに弁護士をつけることが前提になるのですが、たとえ向こうについた弁護士が悪徳でも、次の食い扶持探しのためにはそうメチャクチャなことはできないので、弁護士同士で妥当な線でまとめてくれる可能性が高いです。私の場合は上記1.〜3.によって、結果として弁護士を立てざるを得ない状況に追い込まれたようでした。 今のところ思いつくのはこのくらいです。 納得のいく人生を歩まれることをお祈りしています。
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