電話相談受付しています

サイトでご連絡していました通り、9月分の電話相談の受付を開始しました。受付することをもっと早く告知していればよかった。。。ごめんなさい。予約希望の方からのメールがもはや入っています。

私は10年間自治体男女参画センターで相談員をしていました。DV相談がメインですが、さすがに10年やると、ありとあらゆる相談を受けました。相談を受けるために必要な研修も多分100回以上受けているんじゃないかな。そのほか、弁護士会や警察、行政間とのやりとりなども職務としてあり、会合などにも出席していました。SSW(スクールソーシャルワーカー)、SC(スクールカウンセラー)とも密接に連携していました。

その他犯罪被害者等支援員も兼ねていたので、こちらの関係でも警察、支援団体、病院、その他支援団体の構成メンバーとして勉強会にも参加していました。

おかげで増えたのが人脈です。人脈は宝だと本当に思います。

電話相談は主にモラハラがメインですが、私としては力を入れていきたいのは、「自分らしく生きるにはどうしたらよいか」というものです。世の中には自己啓発関連の書籍があふれていますが、見てみると「なんだ、とっくに知ってるわ」と思うものばかりです。

人間アラカンまで生きると、その人生のいろいろな場面で「世の中こうなってる」ということに気づきます。本で知識を得るよりも、何しろ実体験で悟りましたから、自分で体得したものの方が強いに決まっています。

電話相談では、そういった話も雑談を交えながらしていけたらいいなと思います。電話相談に限らず、友人関係でも「あなたと話すと元気が出る」と言っていただけます。私、お笑い系なんで。

みなさまのお申込みをお待ちしております。お申込みはこちら↓

https://morahara.cocoon.jp/form.php

いたらない母

私の母はただいま施設に入っていますが、時々手紙を寄こします。ちなみに私が母に手紙を書くことはなく、2週間に1度程度、1分ほどの電話をします。コロナの前は1~2か月に1度程度面会に行ったりしていたのですが、コロナのため、年配者と会うのは相手を危険に晒すと知事も仰っておりますので、今年の2月に会ったきりです。その代わり、電話の回数を10日に1回ほどに増やしました。

#世の中には毎日離れて暮らしている親に電話をする人がいるらしい。
#うーん、見上げたものだ。きっと大切に育ててもらったんだろうなぁ。

その母から先日手紙が来ました。数行の文章の最後に「”いたらない母”より」と締めくくっていました。

なんて脅迫的な(笑

こうやって人をコントロールするのですよ。本人は自分をいたらない母とは思っていないですから。「そんなこと言わないで。沢山やってもらって感謝しているのよ」と言ってもらいたくて書いている匂いが紙面から立ち昇る。

ちなみに「私、デブでブスだから」と言う人も、「そんなことないよ、かわいいよ」と言ってもらいたくて言ってます。

この手法はミエミエで使い古されているから、もう若い人たちは使わないかな。それとも時代を越えて利用されるのだろうか。

相手からこう言って欲しいから自分を卑下してみせるというやり方は、姑息で見え透いていて、それでいて強引で、その人の人柄が見えます。

”いたらない母”を” ”で括って書くのも、「をいをい」と思う。もう寿命がそれほど残っていないんだから、優しくしてあげたっていいじゃないと思われる方もおられるかもしれませんが、この蟻の一穴から、貞子のように穴から這い出して、グレードを上げてくるのが彼女のいつもの手。

とは言え、うつにでもなられたらめんどくさいので、バーゲンしている「しまむら」から、洋服を2着、お菓子と一緒に送っておきました。この服を着て施設で「娘が送ってきたの」「娘が送ってきたの」と言って回るのだろうな。子どもの頃「子どもが入賞して」「子どもが褒められて」と言いふらしてまわったように。子どもの栄誉を全部自分の手柄にしてしまう人。

子どもの頃「金食い虫」と言われながら育てられた娘の、ほんのささやかな”親孝行”です。母が境界を守ることができる人ならば別の展開もあるのですが、なにしろ人の領地にズカズカと入ってくる人なので、メキシコの壁のような鉄壁のものを築く必要があるのです。

相談を受けていると、この「境界を守れない方」が時々おられます。この話はまた別の所で。

海を見ていた午後

横浜は東京からとても近くて、私は東京都横浜市と言ってもいいくらいの感じで受け止めています。近くて行きやすい分、いつでも行けるような気がするせいか、行くのはひとりではなくたいてい子どもと一緒の中華街B級グルメ旅です。

そんな横浜に住む友人から「一緒に横浜で遊ぼう」とお声がかかったのは2年ほど前。横浜で女子がふたりで行くとしたら、「どこに行きたい?」と彼女。

私にはずっと行きたかった場所がふたつあります。ひとつは青山のジャズクラブ「ブルーノート」。もうひとつは横浜にありました。

私は温泉だろうが海外だろうが、大抵の場所にはひとりで行くのですが、このふたつはどうしてもひとりでは入りづらいお店でした。

「えーと、えーと、えーと。。。ど、ど、どるふぃんに行きたい。。!」

「ドルフィン?ああ、ユーミンね」

さすが同年代。すぐにわかってくれました。

「海を見ていた午後」は、ユーミンがまだ荒井由実だった頃の曲です。おそらくこの曲にたくさんの「青春のリグレット」が詰まっている方が大勢いると思います。

ユーミンのコンサートには何度も行きました。ユーミンがコンサートの中でこの曲を歌うと、観客はそれぞれの思い出に浸り、その思い出で会場には潮風の香りすらしてきます。

横浜に行って、「山手のドルフィン」でソーダ水を注文することを夢見ている人たちがどれほどいることか。

東京に住み始め、横浜は遠くないから行こうと思い、googlemapでドルフィンを探したこともありましたが、どうにも行けない。だって、その世代のおばちゃんがひとりでドルフィンに行ってソーダ水を頼むなんてあまりにもベタすぎて、もうその場で腹かっきって死んでしまいたいくらい恥ずかしい。

だから女子がふたりで喫茶店に来ました!という感じで行ける今回はまたとないチャンス。やっと巡ってきた山手のドルフィン探訪のチャンスです。

友人が前もって調べてくれたとおり、バスに乗ってドルフィン近くのバス停で降りました。歌詞にあるように、ドルフィンはちょっと急な坂を上っていきます。

ドルフィンは2階建てで、レストランには大きな窓あり、外の景色が一望できます。ただ、港にありがちな煙を吐くコンビナートが立ち並び、曇っていたので三浦岬は見えません。ユーミンが書いた歌詞からもう44年が過ぎて、この辺りの景色も変わってしまったのでしょう。

メニューには「ドルフィンソーダ」と別の名前のソーダ水がありました。一般的にある緑色の「メロンソーダ」はこの店では「ドルフィンソーダ」という名前でした。

「どどどどるふぃん そーだ ください。。!」   言えた!(心の声)

友人は別のソーダ水を注文しました。ああ、恥ずかしい。レスカを注文するより恥ずかしい。このお店ではドルフィンソーダの注文があると、BGMに「海を見ていた午後」を流してくれます。それも恥ずかしい。

ところが落ち着いてよく周りを見た渡すと、4~5組いるグループのテーブルのほとんどにドルフィンソーダのグラスが置いてあります。

そそそそーだよねー!ここに来たらドルフィンソーダよねーーー!

友人と2時間ほど粘って(もちろんジェラートを追加オーダーしましたー!)いる間、何度「海を見ていた午後」が流れたことか。

ドルフィンソーダは緑色のシロップをソーダで薄めただけでなく、ちゃんとメロンのピューレが入っているそうで、メロンの甘い味がしました。800円もするんだからね。

建物の1階にはドルフィンのオブジェや絵画の他に、ユーミンのサインが書かれたお皿などが展示されていて、ユーミンファンにはいつまでも居たくなる場所でした。

友人のおかげでやっと叶った「山手のドルフィン探訪」。駅から離れているのでわざわざ目指して行かないといけない場所にありますが、ドルフィンはある時代に青春した、元乙女たちの聖地であることは間違いありません。

さよならの夏

子どもが小学生だった頃。少子化がどんどん進み、上の子が入学した時はまだ10人以上いた子ども会が、最終的には我が家のふたりだけになってしまいました。そこに実家に帰ってきた方の子が入り3人に。うちの子ふたりだけだったら夏休み恒例の子ども会ラジオ体操もやらなくて済んだのですが、3人になってしまったからにはやらざるを得ず。しかたなく我が家の隣の空き地でラジカセ持ってラジオ体操をしていました。

そこへもうひとり、お父さんの転勤で引っ越してきたユリエちゃんという1年生の女の子が入ってきました。これで4人。ユリエちゃんの家は子どもの足だと10分以上はかかる場所にあり、弟さんがまだ小さいのでお母さんではなくお父さんがついてきて、イクメンぶりっ子の元夫も入り、結構にぎやかな朝になりました。

夏休みには子ども会でイベントをするのが決まりで、親同志が和気あいあいならば海に連れて行ったりバーベキューしたりするのですが、まったく交流のない親たちなので、私が車で映画に連れて行くことになりました。

4人を連れ「千と千尋の神隠し」を上映中の映画館へ。「夏休みドラえもん祭り」などはよく連れていきましたが、ジブリはいつもレンタルビデオばかりだったような気がする。

子どもたちはお菓子を食べながら、食い入るようにスクリーンを見ています。「千と千尋の神隠し」は、私もジブリ作品の中では好きな映画です。台湾の九份が油屋のモデルになったと聞き、行ってみたりもしました。

映画が終わり、最初はよそよそしかった子どもたちも少し慣れてきたところで、お昼ご飯はマクドナルドにしました。そこのマックは子どもが遊ぶ場所があるので、よく連れて行きました。

それぞれ注文したバーガーをたべ終えると、子どもたちは遊び場で汗びっしょりになって遊び始めました。朝何も口をきかなかったユリエちゃんも、きゃっきゃと笑い声をあげながら遊んでいます。「ユリエ!こっち来いよーー!」というお兄ちゃんの声に「うん!」と言いながら走っていきます。

これだからここのマックはいいのよね。親が楽できる。

たんまり遊んだ後、車でユリエちゃんを家まで送り、みんなでバイバイしました。

そして夏休みの間中毎日ラジオ体操をして、体操が終わるとユリエちゃんはお父さんと一緒に「お兄ちゃん、またねー!」と言って帰っていきました。

ユリエちゃんのお母さんが我が家に来たのはもう夏休みが残り少なくなった日。
「急に転勤が決まったんです。仲良くしてくださってありがとうございました」と言ってあいさつに来られました。

お父さんは転勤が多い職業だから仕方がないとは言え、ひと夏だけとは短かすぎる。

「ユリエちゃん、引っ越したんだって」

子どもに言うと「え?」と言ったまま何が起こったかわからない様子のお兄ちゃん。

翌日、ユリエちゃんがいないラジオ体操が終わった後、ユリエちゃんの家の方をずっと見ていました。

先日「コクリコ坂」を初めてみました。映画は見たことがありませんでしたが、テーマ曲の「さよならの夏」が好きでよく聞いています。

たったひと夏しかいなかったユリエちゃん。お父さんが転勤するたびにたくさんのさよならがあったでしょう。でも、1年生の夏休みに4人しか子どもがいないラジオ体操があったこと、「千と千尋の神隠し」をお兄ちゃんたちと一緒に見たこと、覚えていてくれるかな。

胸キュン♪レスカ

「レスカ」と聞いて、ちゃんと現物が目に浮かぶ方がどれくらいいるでしょう。
大体「胸キュン♪」も死語だと思うけど、それ以前の世代の話ですから。

「レスカ」はレモンスカッシュの短縮形。古代、喫茶店でよく若い女性が注文しました。若くない男性は「レイコー」と言って、アイスコーヒーを注文しました。「そんなに略したらわかんないじゃん」っていうけど、君ら若い人の言葉はおばちゃん、全然わかんないんだよ。

レモンスカッシュから連想するのは>>>「ちいこい(小さな恋のものがたり)」>>>チッチとサリー>>>さくらんぼ  かな。ああ、爽やかな風が吹いてくるようだ。

この頃外から帰ってくるとまず冷蔵庫を開けて、春に漬けておいた「レモンのはちみつ漬け」の瓶からレモン3枚と漬け液のはちみつをグラスに注ぎ、100均で買った大きな氷を入れて炭酸を注いで作る「レスカ」を一気飲みします。

( ̄▽ ̄)=3 プハァー    生きかえるーーーー!!

レスカってまだ市中で通用するのだろうかと思ったのは私だけではないようで、レポしたサイトがありました。

https://dailyportalz.jp/kiji/111024149137

なんだかこの蝋細工のレスカもオムライスも、ラベンダーの香り(「時をかける少女」だ)と共に時を戻してくれるようです。

高校生の夏休みは部活と昼夜のバイト(当然学校には無許可)で明け暮れていました。親からは長い小言無しにお小遣いはもらえないので、それを聞きたくないからバイトのお金は1年間のお小遣いにしていました。そんな私にレスカは高根の花。それは今も変わりなく、600円でレスカを飲むならランチを食べる。

レスカはおしゃれな時を過ごすためのアイテムなのだな、昔も今も。そして喫茶店のレスカもスタバのフラペチーノも、私には無縁のものなのよ。悲しくもなんともないけど。

土下座はポーズ

こちらの続きです。

オトシマエって何か特別なものではなく、もう離婚すると宣言し、成立させたときにもうついているのです。夫は一生自分の奴隷だと思っていた女に反旗を翻され、「お願いです。離婚はしたくありません」と言った時、大いなる敗北感を感じたでしょう。

ただ、気をつけていただきたいのはこの時にたとえ土下座をしたとしても、それはポーズ。手を下にして、頭を下げたというポーズです。謝ったという意識はありません。こうすれば妻がまた奴隷になるというのなら、どんなポーズもするし「反省する」と言います。「は ん せ い」という言葉を並べただけで、意味はありません。

「反省すると言ったのに変わらない」という方は多いですが、最初から反省の意味がお互いで違うのです。反省→悪かったと思い、今後しないという意味に勝手にとらえたと相手は思っています。自分はそんな意味で言ったんじゃない、もしくはそんなことは言っていないとさえ言うでしょう。彼の頭の中の自動忘却システムにより削除されているか、自動改変装置によって塗り替わっている可能性があります。

こんなのをまともに相手にしては、時間の無駄です。早くこの自動忘却システムや自動改変装置が作動できない第三者がいるところで決着をつけるに限ります。

第三者がいるところで正体がばれ、離婚は避けられないと分かった時、オトシマエをつけさせたことになります。立派な二重丸です。さらに財産分与や養育費や婚姻費用、さらに慰謝料がついたら花マルです!

これで充分オトシマエはつけさせました。あなたは勝ちました。自分の力を振り絞って自分の人生を自分で切り開きました。これからもこの力を使って生きていけます。

いろんな意味で、あなたは勝って相手に一泡吹かせたのです。それを誇りにしましょう。

死ぬほど簡単なお惣菜3品

暑いですねー。暑いから死ぬほど簡単な料理を3つ作ります。

1【無限キュウリ】これは竹脇まりなさんのYouTubeで紹介されていたものです。
 キュウリを少し厚めの輪切りにする→タッパーに入れる→塩昆布を1本につき10g入れる(普通100円程度で売っている塩昆布は30gなので1/3くらい。計らなくても誰も死なない)→ごま油をひとまわし→七味唐辛子をぱぱっと好きなだけ→タッパーにふたをして冷蔵庫へ。
最初はお試しだから1本でと思わずに、最初から2本で作ってください。後から必ずキュウリを追加しようと思うから。所要時間30秒
キュウリが高くて大量に作れな~い(涙

2【パプリカのマリネ】赤と黄色のパプリカを太めの千切りにする→タッパーにを酢と砂糖と塩を適量調合してその中に入れる→冷蔵庫へ 所要時間30秒
漬け液を作るのが面倒な時は「カンタン酢」でもいいけど、これだけのために買うのなら、自分で作った方が経済的。私は酢は米酢一本です。緑色が欲しかったらキュウリでも入れて。

3【ピーマンとカニカマのレンチン】ピーマンを千切りにする。カニカマをほどいてピーマンと混ぜ、ほんだしと麺つゆを適当に入れてレンジでチン。 30秒+レンチン時間

プールは大賑わい

コロナ禍の中、プールが閉鎖されているところもあるようですが、私が通っているジムはまったく問題なくやっています。元々コロナが始まった3月から、スタジオは閉鎖になりましたがプールは継続されていました。プールの水は塩素がたっぷり入っているから消毒になるんだとのこと。

#コーチの方々は口の前にアクリルマスクをしていますが、あれ、意味があるんだろうか。

梅雨が明けたとたん猛暑になり、プールは大賑わいになっています。家にいるよりプールに入っているだけで涼しいから、特にご年配の方たちが大勢来て、水中ウォーキングやエアロビを楽しまれています。

私はジムでエクササイズをした後、混雑しているので15分ほど泳いで後はスパへ。ジムに行くのはエクササイズとスパが目的。もちろん光熱水費をケチるためよんw

元々ジムに通うことになったのは、私が以前住んでいた所では毎日夜1時間のウォーキングをしていたのですが、今住んでいる所は閑静な住宅街で、「夜の一人歩きはやめましょう」の看板が沢山ある。「都会では夜のウォーキングはできないのか」ということで、友人お勧めのジムへ行くことになりました。

このジムを選んだのはもうひとつ。プールがあったからです。私はスポーツが大好きですが、水泳はダメ。クロールで25mを泳いだらもうその後は泳げないという程度。

私にはスポーツに関して懸念がありました。年配の方たちは口をそろえて「腰が痛くて動けない」「関節が痛くて歩けない」と下半身の不調を言います。どうやら年を取ると、足腰が悪くなるようだ。これは良くない。運動しないと結局体重が増え、更に負担が増えることになる。何よりイルカ体質の私には動かないことが辛い。

水泳なら足腰が悪くなってもできるんじゃないか、でも、しっかり年を取ってから水泳を始めても上達が遅いのではないかと思い、ジムに入って慣れたころ、週2回、ジムのスイミングスクールに入りました。

私は背泳ぎができなかったので、「ひよこコース」という超初心者コースで「まず、水に慣れましょう!はい、水に顔をつけて、ブクブク.。o○はい、良くできました~!」から始めなければなりませんでした。

アホくさいけどしかたがない。

そして2年間、ひよこコース→初心者コース→中級者コース→上級者コースと順調に出世し、クロールと平泳ぎしかできなかったのが、4泳法マスター。クイックターンをしながら遠泳もできるようになりました。一番好きなのはバタフライ。スクールのバタフライはよく競泳で見るようなバッタンバッタンと忙しく水をかくようなものではなく、ゆっくりもぐってゆっくり水上に上がるもの。そのゆっくり水上に上がるとき、自分が人魚になった気分になるのが好き。

ひととおり泳げるようになったところでスクールは止めました。これで年を取って歩けなくなくなっても運動を続けられる準備ができました。何事も準備が大事。

ジムには池江璃花子さんのアップに「2020+1」のポスターが貼られています。「水の申し子マーク・スピッツ」やら「ドナルド・ショランダー」やらの名前が頭に張り付いているわ。昔は水泳競技で日本人は成績が振るわなかったものだけど、今は各地いたるところにスイミングスクールができて小さな頃から泳ぐ子どもが増え、世界大会でも日本人選手が上位に入るようになりました。水泳は全身運動になるから年配者にはもってこい。

ともかく暑い時にはプールに行く。コロナでもプールは大盛況です。

オトシマエをつけてもらおう

前回からの続きです。私はしっかり落とし前をつけさせたのでスッキリです。フラッシュバックも無ければ元夫を恨むこともない。元夫に対しては何の気持ちもない。そういえばそういう人もいたなーという程度。まったく存在感なし。

先日子どもと会った時、「パパから送ってきたけど多いからあげる」と、甘栗を1パックもらいました。あー、このデカい甘栗高いんだよー。1個100円くらいするんだよー。「さすがパパ、お金持ちだねー」と言って受け取り、家に戻ってパクパクいただきました。美味しいわー。

まだ、夫の影響を引きずっている方は、甘栗の後ろに夫の姿を見るからできないと思いますが、私にとって夫は影も形もないので、目の前にあるのは棚から甘栗。なんの意味もありません。ただの美味しい甘栗。

私が夫につけさせた落とし前とは、夫から一番大事なものを奪い取ったことです。
私は夫が一番大切にしていた「家族」を奪い取りました。機能不全の家庭に育った夫にとって、それは欲しくて欲しくてたまらなかった宝物でした。そして自分は世間に良き家庭の良き夫で父親であるとアピールできる、大切なアイテムでした。

更にその奪い取ることになった原因は自分であると、しっかり認識させました。その原因は拙書「家庭モラル・ハラスメント」に書きました。これはどう理屈をつけようが、原因を作ったのは夫自身です。もっとも今は「離婚するほどのことではなかっただろうが」と恨んでいるだろうけど(笑

オトシマエはきっちりとつけていただかないと、いただいた清算をしていないからもやもやを引きずることになる。そうだ、「復讐」と言わずに「オトシマエをつけてもらう」と言おう。それなら罪悪感はないでしょ?

半沢直樹~みんな復讐が好き 2

「半沢直樹」がまた放送されていますが、視聴率は好調のようです。なぜみんな「半沢直樹」が好きなのか。それはもちろん「やられたらやりかえす。百倍返しだ!」があるからです。

このセリフと水戸黄門の印籠出しは、テレビの2大決まり画面かもしれません。

虐められ、貶められ、視聴者がイライラジリジリとしている時にパッと出てくる印籠や倍返し。でも、最初から印籠を旗に吊るして歩けば、事件も起こらないのではないかと思ったりもする(・_・?)

ともかく、視聴者はそれぞれ自分がやりたくてもやれない復讐願望を持っています。その怨念を半沢直樹が代わってやってくれているようで、スカッとします。

#余談ではございますが、このドラマには歌舞伎役者さんが重要人物をされているせいか、セリフを言うたびに大見得を切っているように見えるのは私の気のせいだろうか。。芝居が大げさすぎやしないか?

さて、半沢直樹は大物に対して最初から「倍返しだ!」と宣言しますが、これはハラッサーにはやらない方がよいのは当然です。油断させてスキを作らせ、そこを突くのが定石だからです。そして(家庭モラハラはできませんが)自分が報復したのだとは気づかせないようにするのも大事です。半沢直樹はテレビだからこれで終わっていますが、本来ならば百倍返しのさらに百倍返しで返って来てもいいケースです。

そんなことできるの?と思われる方は、知恵をめぐらせましょう。小さなひとりでもできることはあるものです。ただし、私利私欲によるものだったり、勝手な逆恨みだったりした場合はうまくいかないかもしれません。

世の中って、そういう風にできているものなのよ。不思議ね。

「復讐なんてそんな悪いことはできない」と思う方もいるでしょう。そういう方は復讐なんか考えずに、潔く清廉潔白に生きたらいい。でも、だったらなぜ半沢直樹を見るのでしょうか。

以前「返報性の法則」について書きました。

人は相手から何かしてもらったらお返しをしなければならないと考える生き物です。これはしてもらったものが厚意でも悪意でも変わりなく、人間の心理に組み込まれたものだからです。

だから「倍返しだ!」は当然の行動です。でもなぜ「復讐は良くない」と考えるのでしょうか。もちろん「テロにはテロを」といった争いの場合は人の命がかかっているし、実際そういう場合の報復はエスカレートするだけで何も残りません。だからやるべきではないと思う。でも、モラ夫から何かされたら、「倍返し」はあっていいと私は思う。それでスカッとするならやった方がいい。

私はモラハラ禍からの脱出には「勝利感」が不可欠だと思っています。この勝利感が無くやられっぱなしで終わったら、お返しは心理による正常反応なのでいつまでもモヤモヤが残ってしまいます。ただ何をもって勝利と思うかは人それぞれです。

以前掲示板に笹ベアさんが書いて下さいました。

”モラからの和解金は、生活費には使いませんでした。
和解金は、シミ取りレザーやネイルジェル、ライブ代に充てました。
モラは、私の美と楽しみのために15年間働いたのです。
私の腹の虫には”ザマーミロ”が必要でした。”

勝利感とはザマーミロです。

半沢直樹は日本中の人にザマーミロという、自分にはできない報復を小気味よく見せているから、喝さいを浴びるのです。